「心の精度を上げるってことは、完成させるってことじゃないんだよ。」
今日は、いさどんがゆみちゃんに語っています。
「完成されていると、とまってしまって、精度を上げることが立証できない。心の精度を上げるには、未完成であり続けることであり、未完成であり続けるから、常にそれを完成にむかって目指すことができる。」
それを聞いてゆみちゃんは、
「えー、そんなこと考えたこともなかった」と驚いています。
でも、そこですかさずいさどんは、こう言います。
「そこでは、『なるほど』ってただ受け取ればいいんだよ。『そんなこと考えたこともなかった』っていうのは、頭で考えることをしていない状態。でも、『そうか、なるほど』っていうことは、考えたり、新しいものを取り入れるという姿勢なんだよ。
人はとかく、新しいものを取り入れるときに、古いものを捨てないといけないと思ってしまい、そこで古い自分に執着していると、それは血が出るほどの痛みを伴う。でも、本当は、人の中には、宇宙の始まりから今までのすべての情報が入っている。もっというと、現在から未来への情報もここに入っている。
人は、今ここにいると思うかもしれないけれど、実は生まれてくる前に、すべてのことをマスターし、それを封印して記憶を消して生まれてくる。
自分にとらわれずに、せまい心を開放してやれば、人は誰でもその無限なる神様の知恵の泉に、パイプをつなげ、蛇口をひらき、その知恵につながることができる。」
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「自分が話しているときに、自分でも聞いたことがない新しい知識が湧き出てくることがあるんだけれど、実はそれは新しいものではなくて、過去に自分がマスターしたものが出ている状態なんだよね。それをただ思い出しているということ。それは、自然の法則で、とてもスムーズなことで、心を開放しさえすれば誰にでもできることなんだ」といさどんは語ります。
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お釈迦様から9年間の学びをいただいたいさどんは、お釈迦様が自分から去ってしまうときにこう問いかけました。
「私はまだまだ赤子のようなものです。あなたなしでは歩んでいけません。」
でも、そこでお釈迦様は、いさどんにこう伝えたそうです。
「そなたは十分に育っておる。赤子だと思っておるのは、そなただけじゃ。
歩んでみなさい。歩めるから。」
最近いさどんは、ここを訪れるゲストに、ファミリーメンバーに、この言葉を伝える機会がよくあります。
また、明日から名古屋に出張し、“共に生活する新しい暮らし”というパネルディスカッションに招待されているいさどんは、現場で役割を果たすよりも、道中の行程のほうが自分の修行だと、今朝笑いながら教えてくれました。そんなときもいさどんは、お釈迦様の言葉を想います。
「歩んでみなさい。歩めるから。」
さあ、あなたも自分の中の枠を取り外し、心を自由に解放させ、無限な神様の知恵の泉につがなる自分に出会ってみませんか?