いつかジイジが旅立つ時に 私たちは何を覚えておくべきですか 〜 ナイジェリアからの研修生・ウァリのインタビュー

ウァリは、ナイジェリアのイバダン大学で持続可能な農村開発のプロジェクトに参加している大学院生です。グローバル・エデュケーション・マガジンに掲載された『新たな時代のモデルとしての持続可能な暮らし』という記事で木の花ファミリーのことを知り、様々な問題を抱えるナイジェリアの現状を突破するヒントがそこにあることを見出したウァリは、木の花ファミリーへ研修滞在を申し込みました。アフリカの学生が日本へ研修に来るには、ビザや経済面など現実的に多くの困難がありますが、NPO法人ぐりーんぐらすの支援のもと、不思議とビザもスムーズに下り、15日間の研修滞在が実現したのでした。

あいちゃんをママ・ジイジと呼んでいたウァリ

滞在中、ジイジを始めとするメンバーたちへのインタビューを重ね、ファミリーの暮らしの奥にある世界観を深く吸収していったウァリ。滞在も終わりに近づいたある日、ジイジの奥さんのあいちゃんにインタビューをし、あいちゃんの変化の物語に大きく感動したウァリは、その日の夜、あいちゃんも同席する場で、ジイジへの最後のインタビューを行いました。以下、そのインタビューの全文をご紹介します!

ウァリの周囲はいつも明るく、インタビューもとても充実した場となるのでした

ウァリ:
まず、このようなインタビューの機会を得たことに私が心から感謝していることを、どうかジイジにご理解頂きたいと思います。こうしてジイジの隣りに座ることができるのは、私にとってとても光栄なことです。今日はジイジの奥さんへもインタビューをし、ここに至るまでのさまざまな物語を聞いて、とても感動しました。そこで、ジイジへの最初の質問です。ジイジが木の花ファミリーという場を立ち上げることになった最も大きな動機は何ですか?

ジイジ:
私は普通の家に生まれました。決して特別な育ち方をしたわけではありません。
子どもの頃はどちらかというと臆病で人見知りな子であったと記憶しています。父親は政治家でした。私の生まれた家は、他の家よりも少し伝統のある家で、私は子どもの頃から祖先に興味を持っていました。現在の私たちの存在の元となる魂たちがいて、自分がいるのだということに興味があったのです。特に、両親に対する感謝の気持ちが強かったです。私は6人兄弟の下から2番目でしたが、社会人になったら両親に恩返ししようという気持ちが他の兄弟たちよりも強くありました。愛子さんと結婚をしたのも、自分が気に入っているということはもちろんですが、何より両親が喜んでくれる人と結婚しようと思って彼女を選んだのです。社会人になり、25歳で会社を立ち上げ、独立しました。たくさんお金を稼いで豊かな暮らしをする目的の一つは、両親が喜んでくれること。そして私が社会的に成功すれば、先祖も喜んでくれると思っていました。そこで私の特徴がひとつ観えてきます。私の中には、自分ではない誰か他の人のために生きるということが、常にどこかにあったのです。
25歳で会社を立ち上げ、日本は高度経済成長期でしたから、経済的に豊かになるということをスタートさせたのですが、私の場合は30歳でスピリチュアルな体験をすることになりました。その体験はあまり一般的なものではないので、どちらかというと自分の内に秘めて、身近な人たちに自分の体験の真実として伝えていました。

その始まりは、私が20歳の時に、15歳の時に亡くなったおばあさんが私の頭の上にいつも座っていることに気付きました。そしておばあさんは、私の人生がうまくいくように導いてくれました。だから仕事もとても順調で、それは私が30歳になるまで続きました。愛子さんとは、私が20歳で彼女が17歳の時に知り合い、私が21歳で彼女が19歳の時に結婚しました。同じ年代の人たちよりも少し早い結婚でした。でも私には、将来会社を立ち上げて豊かになり両親に喜んでもらい、先祖に喜んでもらうことが目標なので、彼女と力を合わせてそれをやっていくために結婚を決めたのです。
25歳の時に、ある占い師に会いました。彼は私に、あなたの人生は20代はとてもいいですよと言いました。そして30代になったらさらに良くなるでしょうと言いました。それで私は事業が大きくなってリッチになるということだけを考えていました。実際に収入も高く、豊かな生活をしていました。しかし30歳になった時に、私の頭の上に、黄金の仏陀が現れたのです。それはとても衝撃的でした。
仏陀は、私がそれまで目指してきた人生の目的を肯定はしますが、結果的にそれをすべて捨てることを望みました。そこで私はインドにも行き、自分はなぜ生まれてきたのか、どう生きるべきなのかということを、導かれるように探求することとなりました。愛子さんは最も身近な存在でしたから、私はそのことを彼女にも語りましたが、彼女はまったく興味を持ちませんでした。彼女にしてみれば、約束が違うと思ったのです。彼女は特にお金を求めていたわけではありませんが、事業を大きくして両親を幸せにするというような、一般的な社会の生き方を思い描いていました。私も同じでしたが、30歳の時の仏陀との出会いによって、自らの自我を超えて世の中のために生きることが、もっと価値のあることだと気付いたのです。
そこで30歳を過ぎてから、私は自分の人生の設計を立て直すこととなりました。日本では人生80年と言います。そこでその半分の40歳までの10年間は、自分自身の目的のために生きよう、そして40歳からの半生を世の中のために生きようと思ったのです。特に40歳からは、お金のために生きることをやめようと考えました。ですから30歳から40歳までの10年間は、40歳から変化するための移行期としたのです。そのように考えるようになってからは、事業への拡大意欲はなくなりました。40歳からの新しい人生に切り替える準備を始めたのです。

黄金の仏陀が現れて以来、私は自分の知らないことを語るようになりました。当時日本は急速な経済的発展を経て、家庭にも社会にも矛盾が噴き出し始め、親子関係でも夫婦関係でも、たくさんの家庭が壊れていく時代でした。私の仕事は内装業でしたから、そういった崩壊した家庭を訪れる機会が多くありました。そこで私は仕事のことを忘れ、そういった家庭に対しアドバイスをすることが多くなっていったのです。
そのアドバイスは、私の社会的経験よりもはるかに優れたものでした。30歳に黄金の仏陀に出会い、その仏陀が私の体の中に入ったからです。ですから私は自分には経験のない話をし、その馴染みのない話が、とても納得のできる優れた生き方であるということを理解しました。最初の2年間は自我の欲望の名残があり、それを捨てることができず、自分の中に、もともとの自分と仏陀が与えてくれる精神性の二つがあり、その葛藤にとても苦しみました。ですから最初の2年間は、一人になるといつも泣いていました。とても孤独な時代でした。人々に優れたことを伝える自分と、内に葛藤を抱えている自分との整合性が取れなかったのです。
そんな中で私の支えになったのは、見えない存在である仏陀でした。内に葛藤を抱え、誰からも理解されない中で、仏陀だけが私の心の支えでした。そして私は、あることに気付きました。「愚かな自分を捨てよう。」自我を超え、人々や社会のために生きることが尊いことであり、自分の目指すべきことであると気付いたのです。そこに気付くまでに、2年かかりました。

私が大切にしていた両親は、私のことを頭がおかしくなったのだと思いました。一緒に生きていこうと約束した奥さんは、私に対して「約束が違う」と怒っていました。しかしその時の私の特徴は、たとえ人が信じられないことでも、自分の体験は人に伝えなければいけない、と、正直であることを最も大切にしていたことです。その結果、身近な人々とは心が遠くなりました。しかし一方で、さまざまな問題を抱えて私の元に相談をしに来る人々は、それに対して私がアドバイスをしたり、仏陀が示す生き方を語ることで、距離が近くなっていきました。
その頃に出会った中の一人が、のりちゃんです。彼女とはもう、出会ってから43年になります。そして彼女は旦那さんとは別れましたが、私とはずっと一緒にこの道を歩み続けています。のりちゃんの妹のれいちゃんも同じで、彼女も旦那さんと別れてこの道を選びました。何より力になったのは、じゅんじマンとはるちゃんの夫婦です。そしてまりちゃん。えいこばあちゃん。ちなっぴー。かずこちゃん。やすえどん。そんな新しい出会いの人々が、とても近しい関係になりました。一番近くにいた愛子さんは、私の反対勢力でした(笑)。私の両親と一緒になって、新しい生き方をやめさせようとしていました。
40歳で仕事をやめて新しい生き方を始める少し前に、愛子さんとはもう一緒に生きていけないだろうと思い、そのことを彼女に告げました。財産はすべてあなたにあげるから、僕は僕の生き方をする、と伝えたのです。その結果彼女に奇跡が起きました。そして今、彼女はここにいます。彼女には難しい選択でしたが、おそらく天が彼女は必要だということで、この生き方をすることを求めたのでしょう。今でもとても重要な役割を果たしています。

今もとても大きな役割を果たしているあいちゃん。あいちゃんの奇跡の物語については、後日改めてご紹介します。

ジイジ:
ここに至るまでにはたくさんの物語があり、それをすべて語ろうとすれば話はとても長くなります。ともかく私の人生は、40歳から新たなビジョンがスタートしたのです。
39歳の時、仏陀は私から離れていきました。それは卒業でした。その後、たくさんの天界の霊と出会うこととなりました。現代人は、生きている人間だけでこの世界が運営され、自分たちの意志でこの世界を動かしていくべきだと考えています。けれども私が自らの体験を通して理解したことは、地球は宇宙の中にあり、奇跡の星だということです。ですから人間の欲望やエゴによって、現代のように自然を壊し、生命を傷めつけてはいけません。この星は地球だけでなく、ましてや人間のためではなく、宇宙の総意によって創られた星なのです。
現代の高等教育を受けた人々には理解できないことかもしれませんが、私は銀河の運営センターと交信しています。そして銀河の中のひとつの組織である、かつて地球上に肉体を持って存在していた、地球を健全にするための魂たちと連携し、これからの人類の在り方を導くということをしています。時代は21世紀に入りましたが、これから30世紀に向けて、人類は宇宙人としての意識で進化していかなければなりません。20世紀までのような人間のわがままを地球上に展開する生き方では、宇宙人として地球を運営し、さらにはこれから宇宙へ進出していくのにふさわしいものであるとは言えないでしょう。
宇宙の成り立ちは、フリーエネルギーです。太陽と地球の関係、太陽系の惑星たちの関係、太陽系と銀河の関係、さらには銀河と銀河の関係に至るまで、それはとても壮大で無限なることであり、同時に大変精密なものです。人類が物理的に探査しようとしても不可能なほど、宇宙は巨大なのです。時間的にも空間的にも不可能です。その巨大で無限なる宇宙の法則によって、私たちは今、ここに生きています。地球上に展開されている生態系のシステムも、宇宙の法則によって成り立っていますから、無限に循環していくのです。植物や動物のような生命たちは、その循環の中で種を進化させながら命をつないでいます。それはとても美しい世界です。この物理的生命世界の循環は、宇宙の中でも特に奇跡と言われるように、意図的に創られたものです。

私が初めてそのことに気付いた時、私は人間を悪であると考えました。ですから自分が人間であるということや、人間そのものに対して悪い印象を持っていた時代がありました。宗教に対しても、同じように悪い印象を持ったのです。そして経済も、表面的・物理的豊かさの追求から、人々を欲望の虜にしていくのです。人々はいつしか、星々の意思を受け取ることも、自然と対話することも、そして大地や動植物たちと共に生きることも忘れてしまいました。そうして自らの生命力を落としていったのです。
人々は自らの生命力を落としながら、人工的に作り上げたものによって情報を得て、地球上に矛盾をもたらすことによって豊かな生活をしていると錯覚しています。このように一方的に人工の世界を膨らませて自然の調和を乱すことを続けていれば、いずれ人類は過去に絶滅していった生命たちと同じように、地球上から淘汰されることになるでしょう。しかし人間がこのように人工の世界を広げているということは、それだけの高い能力を持っている証でもあります。その使い方を変えれば、人間は優れたものにもなれるのです。
木の花ファミリーは日本人の一人当たりの平均収入からしたら、はるかに低い収入で暮らしています。しかしその暮らしは、みんなで助け合い、分かち合い、世の中で困っている人たちを支援する、とても豊かなものです。今地球上で先進国と言われる日本やアメリカやヨーロッパの人々は、人工の世界で暮らしながら、地球のバランスを壊しています。そしてそれに続いて発展しようとする国々も、同じものを目指していることが問題なのです。

私は仏陀から9年間の学びを与えられ、社会の問題事に出会うことによって、その原因は人間の心にあるということを学びました。そして40歳になる前に、天から「夜明け前に富士の山の頂上に登り、日の本の国の頂点に立て」という命を受けました。そこでとても大変な思いをして、夜明け前に富士山の頂上まで登りました。愛子さんも一緒でした。そして明るくなった東の空に、とても強い光を放つ星があることに気付きました。そこにはたくさんの人々がいましたが、どうも他の人々はその星の存在に気付いていないようでした。
そこで私はその星に向かい、こう言いました。「お言葉の通り、私は今、日本の国の頂点に立っています。どうぞ命をお与えください。」すると、このように返ってきたのです。
「その心、日の本の国全体に説くが良い。」

その瞬間、私にはそれを否定する心が湧き起こりました。とんでもない、私には特別な能力もない、高い教育を受けているわけでもない、そんなことはできません、と心の中で思いました。「日の本の国」とは日の当たる国のこと、即ち地球のことです。私は英語を話すこともできないのに、どうやって外国の人にまで伝えていくのですか、と思いました。しかしその時にひとつ、思い浮かんだことがあります。それは、これからの私に何ができるかわからないけれど、これまで学んできたこの心で、これからも生きていくことはできる、ということです。
そして、大変な思いをして登った富士山を下山し始めました。登る時はあんなに大変だったのに、下りる時には「また来よう」と思っていました。その時には、木の花ファミリーはまだ始まっていません。

木の花の創立期を支えたメンバーたち

その後40歳になったので会社をたたみました。それから2年間は、農業の勉強をしました。そして42歳の時に、富士山麓へ移住したのです。愛子さんも一緒でした。そしてのりちゃん、れいちゃん、ちなっぴー、かずこちゃん、じゅんじマン、はるちゃん、えいこばあちゃん、まりちゃん、やすえどん。大人15人、子ども5人でこの生活が始まりました。その中で今、11人の大人がここにいます。5人の子ども達は社会へと巣立ちました。つまり、4人の大人が脱落したということです。

自然をきれいにするには、食べ物を生産する農の現場をきれいにしなければならないという思いから、最初に有機農業を始めました。そこで、微生物との出会いが始まりました。私たちの暮らしは自給自足が目的ですから、作物は多くの種類を少量ずつ作りました。それは農業としては効率の悪いものです。しかし幸いなことに、この生活を始める3年ほど前から、メンバーたちには不思議なくらいお金が溜まるようになっていたのです。ですからお金に困ることはまったくありませんでした。
最初の10年間は、農的共同体としての基礎を築く時代でした。そして10年が過ぎた頃から、もともと様々な人々の相談に乗ってきたこともあり、うつ病や引きこもりなどの人々を受け入れ、ケアをすることが始まりました。その頃からマスコミにも取り上げられるようになりました。そしてみちよちゃん達が現れて、エコビレッジ運動関係の人々がここに関わるようになりました。その人たちは、私にとってはどちらかというと迷惑な存在でした。彼らにとって精神性は重要ではなく、ただエコビレッジのイメージに憧れて来る人々ですから、心を磨くことをしないのです。
当初、ここは誰でも受け入れていましたから、メンバーがどんどん増えていきました。霊的には最も混乱した時代でした。そして、自分を改善することのできない自我の強い人々がここを去ることになりましたが、彼らは自らの非を認めることなく、外からここをバッシングするようになりました。そのような困難な時期もありましたが、今現在、この生き方は本当に大切な生き方だということを多くの人々が理解し、支持するようになっています。一見困難と思えることがあったことで、自らのエゴを優先して心を磨かない人々がここから離れることになったのも、天の配慮であったと思っています。

そしてここ数年、海外との交流がとても多くなりました。特に中国を始めとするアジアとの交流が増えています。それは、西洋的物質文明が衰退し、これから東洋的精神文明が世界の主流となり、時代が創られていくことの証でしょう。これからの中国の未来は、地球の未来にとても大きな影響をもたらすのです。つい先日もインドからゲストが訪れましたが、インドも同じ立場にあります。彼女は、霊的にはとても私に近い人でした。
そして今、アフリカは地球最後の経済的フロンティアと言われています。しかしそのアフリカで、これまでのような物やお金一辺倒の開発が進めば、地球環境はさらに悪化することでしょう。ですからアフリカの発展には、新しい価値観の豊かさが必要です。時代はすでに21世紀に入ったのですから、なおさらです。そういったことにアフリカの人々が気付くための提案が、私にはあります。それは、民族としての誇りを保ち、世界観を広げ、精神性を高めていくことです。そして自然との絆を取り戻し、共同していくことです。それは、宇宙が地球を創った時の設計図にふさわしい、自然豊かな世界に立ち返ることです。あなたは、そういった社会をアフリカに広げていくためにここへ来たのだと、私は理解しています。

私の人生を振り返ると、お金や人材で苦労をしたことはありません。私は普通の人とは少し違った人生を歩んできましたが、その目的は社会を豊かにし、人々の幸せを実現することです。それを願って生きてきたのが、私の人生です。その最終的な目的は、地球が宇宙の総意によって創られたオアシスであることを、実現することです。本来、宗教がそれを世界にもたらすべきでしたが、宗教は自らの主張によって対立し、他者を否定する存在となってしまいました。そして現在、その存在が争いの元となっています。
宇宙はひとつです。地球もひとつです。私たちの世界観が広くなり、宇宙的視点に立つと、地球が存在することの目的はひとつになります。ですから、私たちの存在することの目的も、ひとつになるのです。そこでは、宗教も、経済も、地球上で表現されることはすべて、ひとつになります。私が今回頂いた命は、残すところあと11年と半分です。その間に、自らに湧いてくるこの宇宙的視点を、地球上に広めていきます。この精神状態で生きることは、現代の地球人類にはなかなか難しいことです。こういった木の花ファミリーのような生活は、絵に描いた世界のように人々は思ってしまうのです。

ウァリ:
ここに来る前、ジイジや木の花ファミリーの様子をユーチューブで観ました。それを観た人々はみんな驚いて、いったいどうしたらこんな暮らしが実現できるのかという問いを持つようになりました。

ジイジ:
もしかして嘘なんじゃないかと疑ったりしてね(笑)。しかし人々の精神性が整ってくれば、その暮らしは実現可能であるということを、木の花ファミリーは証明しています。私が天から受けた使命を、人々に伝えていくことによって、それを現象化することができる。それが木の花ファミリーの暮らしです。
宇宙の総意によって奇跡の星・地球ができているように、天の総意によって地球の中に木の花ファミリーがあることも、宇宙の総意なのです。かつて富士山の頂上で、その心を世界に広めるようにと伝えられた時にはとても無理だと思いましたが、しかしそのために必要な人々が、自然と集まって来たのです。そして私がするべきことは、この湧いてくる心を語ること。私は天と共にそれを進めていく意思を持っていますから、そのために必要な人材も、物も、お金も、必要なものは与えてくれるのです。私がしていることは、天の方を向いて、そこから来るメッセージをみんなに伝えるだけ。そうするとあとは天が広げてくれます。なぜなら、地球は宇宙の総意によってできているからです。
少し長い話になりましたが、あなたの最初の質問への回答として、最後にひとつお伝えします。だからこそ天は、あなたをここに導いたのです。これから地球を優れた星にするために、あなたもそのスタッフであるということです。

ウァリ:
ありがとうございます、ジイジ。実は今日、私には他にも用意してきた質問がいくつかあったのですが、今のジイジのお話は私のすべての質問に答えてしまいました。まるでジイジの魂が私の質問しようとしていたことをすべて知っていたかのようです。ジイジの、今私たちを取り囲む世界と、そして未だ見ぬ世界への高い叡智に感謝します。

ジイジ:
なぜあなたが質問しようとしたことに私がまとめて答えてしまったのかというと、科学に代表されるように、現代人は物事を区切って捉えます。それは特に西洋的なものの捉え方です。しかし、宇宙はひとつであり、地球はひとつであり、私たちは地球に生きるひと塊の生命です。それはひとつの物語の中にあります。その物語の中の一つひとつのものごとをひも解いていくと、すべてのものごとは共通しており、一つひとつがつながり、全体を網羅しているのです。
私が今語ったことは、私が「こんなことを語ろう」と考えて語ったのではなく、ただ湧いてくることを語っただけなのです。これは天の智恵です。あなたも宇宙を生きていて、天の意思によってここに来ているわけですから、その出会いは、上では共通点を持っているのです。
今、人類は人工衛星を使ってGPSで互いの位置を確認しています。しかしそれよりもはるかに高度な宇宙的情報網によって、私たちは出会うことが決まっていたのです。この出会いはとても祝福されるものですね。何よりも、地球が喜びます。

ウァリ:
ありがとうございます。あともう少しだけ、聞きたいことがあります。木の花ファミリーを創立する以前に、ジイジのもとに黄金の仏陀が現れたということですが、ジイジの霊的な目覚めはその時から始まったのですか?

ジイジ:
それは違います。私は仏陀から、私の素性を聞きました。私はもともと、地球の魂ではないのです。宇宙にはたくさんの天体があり、それぞれに魂が所属しています。この世界には、宇宙人としての魂がたくさん存在し、宇宙が運営されているのです。私は今回、この時代に役割があるということで、地球に派遣されたものです。お釈迦さまやキリストやムハンマドのような過去の優れた宗教家たちも、例えばガンジーのような人々も、霊的には私の仲間であり、そういった存在が現在も地球を導いていることは確かです。
私の魂は約1000年ほど前に、インドのヒマラヤへ降り立ちました。今回は3回目の輪廻で、これが地球上での最後の役割になります。ですから私としては、自分の役割を仕上げなければなりません。時代的には、20世紀を終えて30世紀へと向かう千年紀の進化が始まったところです。ここで方向性を間違えると、人類は自ら自滅の道を歩むこととなるでしょう。仏陀は、私がその記憶を取り戻すまでの教育係としての役割を、9年間果たしてくれたのです。
過去の優れた宗教家たちも、その存在の目的はひとつでした。今地球上にはISやボコハラムのような過激な宗教集団もいれば、宗教とは関係のないテロリストや過激な国家もありますが、そういった対立を引き起こしている原因は、人々の世界観が狭いからです。今はアメリカでも中国でもロシアでも、過剰なまでの軍事力を装備しています。

ジイジが愛用している中日ドラゴンズの帽子

ひとつ面白い話をしましょう。あそこに僕の青い帽子がありますね。あれは中日ドラゴンズという、日本の名古屋を拠点とする野球チームの帽子です。僕は若いころ、ここの大ファンで、選手ではなく応援団としてテレビに出たりもしていました。僕がなぜこのチームを応援していたのかというと、自分が住んでいた地域の球団で、自分に近い存在だったからです。今、野球のワールドカップがありますが、そこでは日本人のほとんどが日本チームを応援します。そこでもし、太陽系チャンピオンシップがあったとしたら、地球人はみんな地球チームを応援することでしょう。さらに銀河系チャンピオンシップがあったとしたら、太陽系のものはみんな太陽系チームを応援することでしょう。誰でも個人のことになると自分が一番大事であるように、世界観が広がると、大きな世界が自分自身になるのです。
世界観が狭くなりすぎると、例えばストレスからお酒を飲んでアルコール中毒になって病気になるように、自分の体すらコントロールできなくなります。そこで、私たちは地球という宇宙船に乗った家族であり、共に宇宙を旅しているのだということに気付けば、地球はひとつになり、平和になります。それは簡単なことだと思うのです。私たちは自分の内からの価値観で外を見るのではなく、外の価値観を自らに当てはめて見るということをすれば、そこにあるそれぞれの違いは個性にしかすぎず、その個性を互いに活かし合えば、相手の存在はとても歓迎されるものとなり、この世界が豊かになるのです。内から出てくる自我と、外から見える客観性が、常に一致していることが大切です。

ウァリ:
もうひとつお聞きしたいことがあります。それは世界が今直面している、温暖化についてです。今、様々な科学的調査によって、人類が今のままの生き方を続けていけばいずれ絶滅することになるだろうということが明らかになりつつあります。そこで、私たちはどのようにこの問題を解決することができるのか、それに対するジイジの見解をお聞きしたいです。

ジイジ:
その問題に関する、私の見解はありません。私の見解を言うとしたら、最も良いのは人類が絶滅することでしょう。地球の歴史を振り返ると、過去6億年の間に6回生命は大量絶滅しています。もっとも最近の大量絶滅は約6500万年前に起きました。
絶滅と聞くと、人間たちは今持っているものが壊れて無くなるという恐怖を感じます。しかし生命は、必ず死にます。そこでは、身近なものの死こそ悲しく、受け入れられないものです。しかしそれは地球の新陳代謝にしかすぎません。私の体を構成する数十兆個の細胞は、毎日生まれては死に生まれては死ぬことを繰り返しながら、入れ替わり続けています。死ぬことを悲しんでいたら、私は毎日どれだけ悲しまなければならないのでしょう(笑)。
地球にも歴史があり、時代があります。穏やかな時代もあれば、過激な時代もあります。地球の生命を人生と例えるなら、今は最も大きく変化する時を迎えているのです。海の波が荒いと危険ですね。しかしもしもあなたがサーファーであれば、波が大きいことを歓迎するでしょう。今はそういった時代なのです。私としては、今の人類はわからず屋で、自分の能力だけが高いものであると思っていますから、リセットした方が良いと思っています。しかしながら、銀河の指令センターと地球運営チームは、そうは考えていないようです。人間たちに、自分たちの行いが間違っていることを気付かせ、改めるために、さまざまな現象を起こして刺激を与えているのです。刺激はこれからますます増えていくことでしょう。なぜなら、人間たちがボケて、真実を観ようとしていないからです。

ウァリ:
ジイジは、いずれこの星を去りますね。その時に、後に残る者たちがどのような状態になっていることを望みますか。私が映像で観た富士浅間木の花祭りのように、木の花ファミリーでは調和の響きを世界に発信する様々な活動を行い、世界中から訪れるゲストにもその世界観を伝え続けています。そこで私たちは何を受け取り、いつかジイジが旅立った時に、何を覚えておくべきでしょうか。

ジイジ:
先ほどの温暖化の話と同じように、私たちがするべきことは、もう一段深くものごとを捉える目を持つことです。今は資本主義の影響で、お金や物などの物理的現象の虜になっています。しかしすべての物理的現象の奥にスピリチュアリティがあり、それが元となって物理的世界が発生しています。そのことに気付いた時に、現代の人間たちは物理性に偏りすぎており、その矛盾が物理的現象となって現れてきていることがわかります。それを解決する一番の近道は、見えないけれど最も大切な愛や調和や善意を、人々が取り戻すことです。そうすると地球が穏やかになり、マイクロプラスチックも早く自然の循環の中へと還り、温暖化も穏やかになることでしょう。
人間の心が変わることで太陽の活動が穏やかになり、それと連動している地球のマグマの活動も穏やかになるということが、現代人には信じられないのです。しかし実際私たちが人生を生きていて、自分の心が穏やかな時には穏やかな人生を歩むでしょう?あれが欲しいこれが欲しいと騒ぎ立てたり対立すれば、戦争のような過激な出来事が起きるでしょう?それは宇宙の法則の顕れであり、私たちの心と物理的現象の関係は、宇宙の構造と実際に同じなのだということに気付く必要があるのです。「世界をもっと良くしよう!」と力めば力むほど、平和運動すら対立を生むということです。
だからこそ、穏やかに、愛と調和と善意を実践する。一人ひとりがそのような精神状態になると、地球も穏やかになります。それが私が地球人に伝えたいことであると同時に、私が地球を去っていく時に残したい財産です。

地球人は物理的意識が強いですから、健全な環境を取り戻すために新しい技術を開発したり、平和を取り戻すために交渉して平和運動をするなど、物理的現象に対して物理的な形で対処します。しかし、宇宙の司令塔は物理性ではありません。その視点から観ると、地球上で起きている現象はすべて、人々の心が原因であることがわかるのです。
ですから宇宙から来るメッセージはいつも、心を穏やかにしなさい、そしてあなたは他者と同じであることを理解しなさい、そのためには、この世界は広く、多様であることを知りなさい、と伝えています。不幸なことに、現代の人々は宇宙のことを忘れ、自分たちは人間だと思っています。これが最も不幸なことです。

時代は霊性の目覚めの時代に入りました。それは25800年の、私たち人類にとっては長いサイクルです。それが今、始まったばかりです。ですから、宇宙的にはまだまだ闇の中です。しかし、かすかですが、確実に光は増していきます。人々の目覚めは進んでいます。その証として木の花ファミリーの生活があるのです。そしてその証として、あなたがここに来たのです。

ウァリ:
その通りです。

ジイジ:
これはまだ小さな動きですが、これから確実に広がっていくことでしょう。宇宙は生命です。生命は、善なる愛なる調和によって成立します。それが生命の実体であり、宇宙の実態です。

ウァリ:
実際に、それを木の花ファミリーの暮らしの中に観ました。私はもうすぐここを離れますが、ファミリーのメンバーたちの中に表現されていた愛や一体感、平和や調和をきっと恋しく思うことでしょう。皆さん一人ひとりが、本当に素晴らしいです。
今はまだ、私がなぜここに来ることになったのか、明快な理由はわかりません。しかし時が来れば、きっとわかることでしょう。最初に木の花ファミリーへ研修に行くことが決まった時、私ははたしてビザが降りるだろうかと思いました。通常日本大使館はそう簡単にビザを発給しないのですが、私の場合はどういうわけかスムーズにビザが降りました。

ジイジ:
今はわからなくとも未来に進めばわかるだろう、というのが、この世界の真実の理解の仕方です。先に目的を持っているとしたら、多くの場合、それは人間の自我によるものです。

ウァリ:
後で、ビザの申請を担当してくれた(ファミリーメンバーの)みちよから、私のビザはきっと降りるだろうという確信があったという話を聞きました。しかしビザが降りても、私は学生で、アフリカから日本へ来ることは経済的にとても困難です。それでビザと、NPO法人ぐりーんぐらすからの招待状を持って、ナイジェリアの私のメンターである女性に会いに行きました。すると彼女は、わかりましたと言って航空券を手配してくれたのです。
こんなふうに、いくつもの奇跡が重なって、私がここに来ることが実現したのです。

ジイジ:
地球は宇宙の奇跡です。そもそも宇宙が現象化を起こしたことも、奇跡なのです。それは神の意思です。神の意思ですから奇跡であることは当然なのですが、現代の人々は物理性に汚染されているので、本来当然であるはずの奇跡が信じられないのです。
これまで異常なまでに人工の世界が進んだ結果、地球上に様々な矛盾が発生していますが、これからは当たり前の奇跡へと還っていくでしょう。これから新しい時代が来ます。その時に、古い時代の人々の常識であったことが変わっていきます。古い時代は、宇宙的には異常だったのです。ですから、これから正常に戻っていくのです。これまでが異常だった証拠に、地球上には矛盾がたくさん発生しました。木の花の暮らしの中にある奇跡は、正常に暮らすとこのような社会が実現する、ということの証です。それは宇宙的には正常であるということです。
これから、この当たり前のことが地球上に広がっていく必要があります。これから私たちのように、真実に目覚めたたくさんの人々が地球上でネットワークを築いていく時代が始まります。あなたがここへ来たことは奇跡ではなく、宇宙的に観れば当然のことなのです。なぜなら私たちの行動を時代が支持し、地球が喜んでいるからです。
これからナイジェリアへ帰り、どうぞそのメッセンジャーとして活躍してください。あなに先生は必要ありません。ただあなたが本当に思い、あなたの内から湧き出してくることを、正直に語ればいいのです。私はその仲間です。

ウァリ:
それを実践します。ジイジが語られたことのすべてを、私は国に帰って人々に伝えます。ありがとうございます。心から感謝します。

 


これは世界のリーダー達が聞くべき話だ、と言うウァリは、現在自らが関わる国連の会議へジイジを招待することを検討しています。そんなウァリとアフリカの人々へ向けて、ジイジは最後に、以下のメッセージを贈りました。


 

ジイジから アフリカの人々へのメッセージ

コミュニティが存続するために不可欠なことは、そこに参加する人々が共通の目的のもとに集い、その目的に向かって各々の個性を発揮し、協同していくことです。
視野を広げれば、私たちは皆、地球というひとつのコミュニティに暮らしています。地球上のあらゆる生命は、個々の目的に沿って生きているようでありながら、個の目的を果たす前にまず生態系の一員としての役割を果たしており、だからこそ全体の秩序が保たれ、個が尊重されていくのです。
しかし近代の人間の営みは、生態系の秩序を保つ本来の目的から大きく外れ、民主主義の旗印のもとに個々が自らの立場を主張し、その主張を叶えることが豊かさであると思い込み、欲望を際限なく膨らませ続けた結果、世界は混乱の極みを迎えることとなりました。

今、時代は大きな変化の時を迎え、20世紀までの世界をリードしてきた西洋的物質至上文明に代わる新たな価値観への転換が求められています。近年、アフリカへも、経済的発展の波が先進国によってもたらされています。今、アフリカは地球最後の経済的フロンティアと言われています。しかしながら、そのアフリカがこれまでの先進国と同じように地球に矛盾を生むような発展を遂げるとしたら、私たち人類の行いが、地球に害のあるものとして決定されるようなものでもあります。
時代はすでに21世紀に入り、私たち人類は新たな価値観で生きなければならない時代を迎えています。その新たな価値観は、これまでの経済活動に汚染されていないアフリカにあると考えます。そういった意味では、経済的には後発であったアフリカは、21世紀にふさわしいモデルとしての人々の暮らし方を実現できる可能性を秘めているとも言えるのです。

人間は何のために生まれ、どのように生き、どのような死を迎えるべきか。借り物の文明に染まり、物質的な豊かさを追い求めることに必死になってきた私達近代人は、暫しの間、自らの魂の本質を見失っていました。しかし人間はもう一度、人として生まれてきた事の誇りを取り戻し、数多の生命の中で最も高い能力を与えられたものとして、地球生態系の指揮者としての位置に立ち返るべき時が来ているのです。

アフリカはこれから、地球最後の真のフロンティアとして発展させるべきです。だからこそ、これまでの価値観の延長線上ではない本物の豊かさを表現し、世界の見本となる誇りある国づくりをするべきです。アフリカの大地と共に生きた、古くて新しい人々の価値観を思い出し、再び新たな進化として表現するべきなのです。

私は、特定の人々の豊かさや国々のことを考えているのではありません。
ただこの星をこよなく愛し、この星が健全になることを想い、この星に生きる全ての人々の幸せを願って、この暮らしをしています。人々の幸せが私の幸せであり、地球の喜びが私の喜びであることを常に願っているのです。21世紀を生きる私達には、地球が自分自身であるという大きな意識で生きていくことが求められるのです。

その心がこの星に広がっていくことを、願ってやみません。

 

 


2019年9月16日 大町ビレッジにて

ジイジ
現代の物理、科学、経済、人口など、そのような学問で世界を分析し誘導してきた人々や、政治権力で国を支配し世界の体制を創ってきた人々にとって、我々は特殊な存在なのかもしれないが、視点を変えれば、我々は現代社会の切り口を超えた視点を持っていると言える。
彼らは、人間が展開してきた社会において、自からの理論が永遠であるかのような錯覚を持ち、資本主義経済がもたらす欲望の延長にお金というものの虜になってしまっている。
しかし、本来、地球上にこのような経済システムと共にお金が現れたのは、人間の歴史にとってもほんの一瞬のことである。さらに、地球やもっと巨大な宇宙の成り立ちからすれば、そのような不可思議なものはなかったはずである。これは人間の叡智というのか、神が人間に与えたものなのか、この魔法のような麻薬のようなものは、一瞬の間に現れ地球上にはびこるようになったが、この世界を生命世界と考えたら、生命世界の生命力を奪い生命秩序を乱すものとなった。
しかし、この存在の全てが悪かというと、そうとは限らない。これは叡智でもある。叡智の使いかたを間違うとこのようになるのは、人間のテクノロジーにも同じことが言える。叡智を万遍なく人々や生命世界の調和に生かせば、それは有効なものであるということを忘れずに、その扱い方を考えなければならない。その大元にあるのは人間の性質であり、それがこのような現代の現象をもたらした。人間が自らの叡智、尊さの鍵の使い方を間違えていると言える。
それは、250年あまりの物質至上主義である資本主義の上にあったことであり、それを超えた社会システムを地球上にもたらさないと、我々は単なる地球の破壊者、もしくは有害菌といった不良な存在になってしまう。簡単に言えば、がん細胞であったということ。
現代は、グローバル化によって地球上のほぼ全ての者に、有害性の性質は行きわたっており、そのことが地球の行く末に深刻な影響を与えることは目に見えている。それは既に地球のキャパを超えているかもしれない。これは歴史的に見れば、有害性があるがゆえに淘汰の対象にしかならない可能性を秘めている。
今、これ以上は語れないが、地球上にある生命にしろ、文明にしろ、これが人間のみの意思によって創られたかというと、そもそも現代の現状は過去の歴史の延長にあり、過去の歴史をも含めた未来につなげて観た時、そこにその物語のプロセスを導くものの意思が感じられる。その存在があることを理解し、その意思が地球上に現れた現状を通して人間に何を求めているのかを、人々はこれから真剣に考えなければならない。
だから、我々は非常に重要なことをやっている。この歩みは、ひとつのコミュニティーの中で自己完結するようなものではない。コミュニティーが成立し完結すること自体が、現代の人々には難しくなっている現状の中で、我々がコミュニティーとして完結させ、そして自然との付き合い方や人間の叡智の使い方のヒントを世の中に与える必要がある。
やはり、中国の指導者に会わなければいけない。

みかこ
中国のこれからの動向は気になるね。昨夜見たテレビ番組でも、これからの時代はアメリカではなく中国がカギを握っていると言っていたね。

ジイジ
ああ誰かも言っていたね。これからは中国だよ。

みかこ
今まではアメリカがトップに立ってきた時代だったけれど。

ジイジ
ちょっと前に、「もっと見えるようになるぞ」と言われた。
それは、世の中の実態が、そしてこれからどうするべきか、そして我々のあゆみの重要性が、もっと見えてくるんだよ。
あとは、天が時代を通して縁を紡ぎ、その縁に乗るだけだよ。策略をたてる必要は一切ない。我々は天の用意した流れ道筋に応え、そこに流れ歩むだけでいい。
人間たちが、自らに偏った欲求を欲望の元にかなえようとすることは、自我をどんどん膨らませる。しかし、本来、自我というものは世界の実態を悟るために与えられ、そして世界を悟った時にその自我を超越し、世界そのものに帰っていくためにある。

みかこ
自我があることがもろ刃の剣として働いている。

ジイジ
昨夜の番組で出て生きた経済学者たちは、あのように科学的分析に基づく立派な理論を言っているが、答えを禅に求めているなんて笑い話だよ。禅は精神を内向きにすることだから。

みかこ
その先の答えを求めているけれど、禅止まりだね。

ジイジ
全く答えが出ないんだよ。そのような状態のことを全然と言うんだよ。(ち~ん)

みかこ
プロセスとして禅を通るのはわかる気がする。

ジイジ
わかる、わかる。禅が作り出す静寂は冷静な自分を作り、冷静な自らの精神状態からより広い客観性や世界観を求めていくのはわかる。しかし、うちに秘めることによって、問題ごとから気をそらしてしまい、問題ごとが見えたときの恐怖や矛盾をないことにしてしまうようなところがある。禅というのは、問題ごとをなかったことにしようとする帳面合わせの作法だから、ある意味ごまかしなんだよ。その延長に悟りには行かない。

みかこ
インドのヨガはどうなの?

ジイジ
基本的に同じだね。

みかこ
ビートルズとか、売れて何年か経つと、欲望によって汚れた自分自身をきれいにするためにヨガに興味をもってインドに行ったりしたけれど。

ジイジ
それも同じだよ。長い間、インドのヨガは、極めたものを悟りに導いてきたかもしれないが、その悟りは個人の境地を極め、個人に悟りを与えるものであるから、自己満足に陥ってしまうんだよ。

みかこ
禅にはそこもないでしょう。

ジイジ
禅にはそこもない。境地に浸ることによって、現実逃避に陥ってしまうんだよ。
インドのヨガの延長に、聖人聖者はいるけれど、禅の延長に聖人聖者はいない。自らの境地の中に没頭し、周りとの関係性の認識を打ち消していくものだから。その境地に至ったものは、その境地を社会のために生かすという事はないんだよ。つまり意識を静寂の中に消して、諸行をないことにするものだから。

みかこ
何だか不可思議な感じがする。静寂まで行って悟ったら、個人の悟りを超えた次の悟りのステップに向かっていってもいいような気がする。

ジイジ
それは仕方がないね。そこを良しとして譲らない、そのレベルの境地に魅力を感じる精神性があるのだから。場合によってはそれを逃げ口にすると、禅の向こうに迷いが待っている。「セン」だから。「狭い(セ)ところに強く入り込んで(ン)しまい、それが濁っている」のが禅だから。
そもそも、これまでの存在全てが、平等に現状の世界を創るに相応しい貢献をしてきたわけだから、全く新しい視点から、この世界を紐解いて解決策を見出さなければならない。それは、人間たちだけの特定の思い入れの中で作ってきた現代社会に対し、人間たちと天意のコラボレーションによって創る必要がある。つまり、天意から離れ、それを無視し忘れ、そして現在に至っているわけだから、もう一度天意もしくは宇宙法則、地球生態系法則、そういったものとコラボレーションすることの重要性を取り戻すことで、現状の世界の健全化につなげていくことができる。

みかこ
それが今だね。光のピークがあれば次に闇のピークが訪れ、それを繰り返すのが宇宙の法則だよね。それは天が創っている時代のサイクルだから、忘れるところまでプロセスとして組まれている。

ジイジ
最終的に、この理論を世の中を切り替えるための原動力にするためには、今までの世界をリードしてきて優れている正しいと思っている者たちに伝える、もしくは彼らがそこに気づく必要がある。もう一つは、そういった矛盾を直感で感じ取り、そして現状に大いなるメッセージが秘められた問題がある事を匂いで嗅ぎ分けている者たちのネットワークを作る事だ。それは次の時代への推進力になる。優れていると賞賛されてきた過去の時代の担い手たちが、そういった時代遅れの手法を推進することをやめて、同時に新たな時代に相応しい生き方をしていくことが求められる。優れている者たちは、すでに肥大化した人間社会の中に様々な形で配置されているから、そういった者たちが時代の大転換に気づき目覚めていく必要がある。

みかこ
そうだね。昨日の番組を見て思ったのは、ジイジがこの前言っていたように、わかるものにはわかるけれど、わからないものにはわからないから、わからないものに言っても、エネルギーの無駄になる。だけど、わからないも極みまで行った者には次のステージがある。

ジイジ
間違いを極めたものたちも、その限界を知りだしたから、わかる段階に来た。

みかこ
そうそう。昨日の番組の人たちもそうだった。賢いから、ぎりぎりのところまで来ていることをわかって、それ以上突破口がないことを感じてはいる。

ジイジ
人間の二元思考の思い入れで進んでいったのでは、手立てがない事を理解しだした者たち。これは政治の世界で言うと、先進国のリーダーがその立場に立っている。

みかこ
人間の中でも、可能性が秘められているものたちが現れだした。そういった人たちに次の時代の叡智が湧き出すためのメッセージが届くように語り続けることが大切だと思う。

ジイジ
そうだな。来年はそういう意味では、我々の存在がとてつもなく変化する年だよ。

みかこ
例えば、国の方向性が安泰だと思っている指導者たちではだめだけど、政情が不安定な国の指導者たちにはそのことの重要性がわかるだろう、とジイジがいうように、昨日の番組では世界中の優秀な有識者たちを集めてインタビューしていたけれど、一方向の分析に凝り固まった人たちというよりは、時代がぎりぎりまで来たことを理解し、次の答えを求めているようにも感じた。

ジイジ
優れていると称される人々は確かに優れているが、一方通行の分析によって観えてきた目の前にある絶壁までたどり着いた時に、そこから先に行く手段を見いだせない状態にいる。

みかこ
そう。だから、ある意味答えを待っているともいえる。
その世界の内側にいる限り、答えを観ることは無理なんだから。

ジイジ
明らかに、優秀な人々はその能力の限界を感じている。自らを超え、外からの視点で自らを客観視しない限り、それは無理なんだよ。今まで評価されてきた優秀さでは突破口は開けない。
そこだよ。我々も軌道修正の仕上げに入ってきた。それが、今までと種類が違うのは、野心をもって意図的に発信されてきたものは、人間の自我のうちから湧き出したものだったということ。

みかこ
これからは、野心をベースにした発信では通用しなくなる。

ジイジ
今、そのような時代が来て、そしてその時が来たからこそ、相応しく伝えられる。もしくはつなげられる。それが未来につながっていく。こういった流れに乗ると、人々の営みも時代により自動操縦されて、無駄が極めてなくなる。

みかこ
帝王学(エンペラーコード)というものがあるけれど、今あの内容を一般人に伝えようとしている人たちは、人々にお金を払わせている。それは、この時代において、いまだその精神性にふさわしい人格を有する者がいないため。しかし帝王学は日本にしかないもので、世界中の人たちがそれを探し求めている現状がある。
そこで受け継がれてきた内容は、この世界が多次元世界だという事を知り、最も高い次元にアクセスできるように自分自身を禊いでいく必要があり、現代にとびかっている情報のほとんどはゴミであって、願望とか欲とかそういったものを全て捨てることにより、目的を見出すことができると言っている。

ジイジ
だから、魂が自然に向く方向に意識を向け、そして向こうからくるものを素直に受け取り、受け取ったものを信じて手段としなさい。

みかこ
願望というものの内容が個人的な内容ではなく、世界を良くするための天の意思と一致したときにはじめてそれが宇宙と個人がシンクロする。公人としての意識を持つ事、それが勝ち負けを超越した位置であるということを説いている。

ジイジ
それを受け継いで広めようとする者たちと、我々はどういう関係になるのだろうか。

みかこ
木の花というのはそういう公の位置にあるものだと思う。

ジイジ
そういう位置にあると言っても、ちょっと種類が違うのは、それを口伝の様にして守り続けていくものたち、例えばカタカムナの内容を受け継いでいると言われる食家(めしけ)や平家のようなそういうものたちと我々は違う。我々は、時代の土壌に突然湧き出し、そこに現象化をするための芽が出たようなものなのだから。

みかこ
その人たちにはその人たちの役割があったんだろうね。

ジイジ
あるある。その者たちと我われは同時代に出会い引き継いでいく。

みかこ
出会う必要がないのかもしれない。

ジイジ
物理的な出会いではなく、意識の時点で互いの存在を宇宙的に理解し、その意識の状態で連携し、引き継いでいく関係性なのだろう。

みかこ
だから、霊的なアクセス先が同じところになればいいという事であって、その結果、物理性が連綿と紡がれる結果、同時に物理的にも出会うことになる。

ジイジ
その延長に、会おうが会うまいがそんなことはどうでもよくなるのだろう。
分かった!その帝王学の示す精神性の位置を、もしくはその存在を意識していけばいいんだ。

みかこ
そう。だから、表立って一般人に向けて発信し、お金を払わせて広めているけど、結局、お金を払おうが払うまいが、本当にそこの位置にアクセスできるものしかアクセスできない。

ジイジ
ある意味それは、現状の人々の目覚めの鈍さによるあがきのようなものだ。これからは、もっと確実なものとして提供する必要があり、その扉がそろそろ開くような気がする。我々がそのことを意識することが重要なんだろうと思う。

みかこ
あれ以来、私の所に繰り返し帝王学を広げる人たちから情報が来る。お金を払わなくても読める部分というのを送ってくる。そういうものを読んでいると、これはお金を払ったからといってわかるものではないと思う。払わなくてもわかる人にはわかる。

ジイジ
分かった。

みかこ
その域に行っている者として、それはジイジだということがそばにいるからわかる。お金を払ってもわからない人には、あの内容はわからない。

ジイジ
内から勝手に湧いてくる。

みかこ
みんな、その境地を目指しているけれど、それを、お金を払ったからといってその境地には行けるとは限らない。

ジイジ
それが金で買えるものなら経済システムの中にあるということだ。

みかこ
そうそう。カタカムナでいう人間としての波動を上げていくという事からすると、それでは意味がない。そういった方法論を伝授はするけれど、お金を払ってセミナーに出て方法を聞いたからといって人間性が高まるわけではない。

ジイジ
そういったものは、今まであるセミナーと同じで何も効果が現れない。
そのような事をやっているという事は、ある意味カモフラージュなんだろうか。

みかこ
そうかもしれない。伝わるところに伝わらせるためにこういうことをやっているのかもしれない。

ジイジ
だから、確信の部分を必要と思われるところに発信していく。

みかこ
帝王学の内容は、明治天皇までしか伝授されていないという。大正天皇以降は受け継いでいないといわれている。でも昭和天皇はジイジの所に来た。ジイジが受け皿だってわかるからだと思う。

ジイジ
昭和天皇にはできないから来たんだよ。

みかこ
うん、そう思う。

ジイジ
僕は今回この大町に来るのが、表面的には蜜蜂の点検に来たんだけれど、それはさして収穫のない空振りのようなものだったが、僕にはあなたとここへ来ることが、何か次のステップへ行くための節目のように感じていた。
この前、湧泉閣で夕飯を食べているとき、ご飯を食べていたメンバーが何人かいたけれど、一人ひとりが僕との対向発生だと感じたんだよ。そこで、ゆるぎがないところへ来たなと思ったときに、それぞれの対向発生によって、次のビジョンに役割を進化させる段階に来たと思った。

みかこ
この前のお釈迦様のビジョンが見えた後の話だよね。

ジイジ
そう。

みかこ
この土と共にある暮らしの延長にあればいいという事を再確認する、後押しを感じた。

ジイジ
そういえば、プミポン国王は土に縁のある国王なんだよ。

みかこ
プラサムコムの着ている衣装も土色の衣装だね。あれを思い出した。足るを知る経済。でもタイの仏教は戒律に縛られているね。

ジイジ
そして、それは格差を生むんだよ。完全に戒律と格差と階級の中にある。
ああなるほど。
最近思うことだが、クニノトコタチの神様とか、もちろんお釈迦様とか、アメノミナカヌシノオオカミとか、それはある限定された枠の中のものなんだよ。枠というのは、そのものの働きがその存在を成立させる法則の領域なんだよ。
最近、あなたという存在がなんとなく意識される。そのあなたという存在は世界の流れを創っている。さきほど見た番組の中の経済学者が、今まで我々がやってきたものの奥に何かがあると言っていた。その存在があなたで、その叡智がこの世界を動かしているんだよ。だから、そのあなたにアクセスし常にあなたとコラボしながら・・・。
そのあなたは万象につながっている。だから、どこからでもアクセスできる。それはあるのかないのかわからないようなものと経済学者は言っていた。それがあると気づいたものには、あることがわかる。しかし、わからないものには全く想像すら出来ない。今この境地にまで至ると、その存在が明らかにいて、それと向き合うことが出来るんだよ。
いるいる!
それが今まで語ってきた流れ。それは旬や、ターニングポイントや、そういったものを引き起こしている。時代もそれが変遷させている。つまり、星々の関係性すらそれが全て作りだしているんだよ。だから、星と星は物理的には遠くても連携しその関係性を保てるんだよ。

みかこ
距離を超えた存在だから。

ジイジ
そう、距離なんて何も関係ないんだよ。

みかこ
相似形だから。原子の中の原子核と電子の関係と、太陽と惑星の関係のように。

ジイジ
それがないと世界が動かないのだから。二極の対向発生があることにより、世界の全ては成り立っている。だから、アインシュタインの理論が世界を変えたというけれど、これはもっと宇宙の根源的なものだよ。そもそも宇宙の実態は、人間の叡智以前からあり続けるもの。だから、アインシュタインどころの話じゃないよ。

みかこ
これは光を超えた先にあるもの。

ジイジ
わかったぞ!見えてきた。

みかこ
氷山の見えている部分が風の向きに逆らって進んでいるように見えても、観えない水面下の大きな流れに沿っているということと同じだね。

ジイジ
そこだよ。

あれは私のビジョンではなくあなたのビジョンだったのですね。これからも、私に湧き出す思いは、全てあなたのビジョン。それはすでにあなたと契約を結んでいたこと。その契約を。あなたは私、私はあなた。そして、私の想いはあなたの思い、あなたの思いも私の思い。あなたは私なのですから、私はあなたなのですから。そのあなたがもう一度再認識として私の中に現れたということ。その認識が浅かったのですね。
わかります。わかります。あなたの存在があることは。明快にわかります。これからもっと連携して共に歩んでいきます。そこで表現される自我はこの世界に有効なものをもたらすわけです。その自我を人々は己ひとりに囲い込むのではなく、自我を開放し、そしてあなたとのアクセスに使い、その自我によってこの世界に安定をもたらすための自我にしなければならない。
わかります。わかります。それを実行していきます。
このアクセスコードは外しませんから。私はこの立場をとる限り、このアクセスが常につながり続けている状態にします。

みかこ
帝王学の立ち位置。

ジイジ
私は公のものであるということの自覚を持ちます。私は天の意志の下にあるということを自覚します。あなたと共にあるということを自覚します。

みかこ
あってあるもの、なきてなきもの。

ジイジ
そうだね。

みかこ
そうだよね。潜象界も現象界も含む法則をつかさどるもの。

ジイジ
それを感じ取れないものがいくらそれを語ってもしょうがないわけだよ。それを感じ取れるものだからこそ、初めてその存在が生きた形で表れてくる。

みかこ
ジイジだ。

ジイジ
ああつながったな。これを個人的な境地とせずに…。ああ、そうか、万物はその位置をとっているからこの宇宙秩序が保たれている。人間が外れているだけなんだよ。

みかこ
万物は悟るということ自体がいらないんだね。天然循環の法則の中にいるから。

ジイジ
そうだよ。それを天然循環という。わかりました。わかりました。そこへ意識を向けて、向けて、向け続けて、そこのアクセスをつかみ取る。これは怠けていてはできないぞ。
最近、物理的なターニングポイントが近づいていると思うんだよ。つまり、物理的なターニングポイントは、我々も年齢と共に変わっていく。そうすると68歳になり、69歳が近づいてきて70歳が近づいてくるように、物理的役割も変わっていく必要がある。今まで次のビジョンに向かうときが見えてこなかったんだけれど、今、次があるということがわかってきた。

みかこ
ジイジは60歳で生前葬をして、そこでも役割が変わったけれど、次の70歳に向けて、70歳から80歳にかけての役割があるはず。

ジイジ
そのための準備をしていこう。最終章を迎えるのだから。
わかった。たくさんわかった。観えてきた。
そうか、あの子供達にはこれが通用する。そういう子供たちが、今、生まれてきているね。最近、孤独を感じることが結構あったんだけれど、時代がターニングポイントを超えて、それを知る者たちが現れて来たから、これからは孤独ではなく、その群れを形成して歩んでいくことが可能になってくる。木の花も本当の群れになるということか。
さて、今の古いメンバーたちが、どこまでそこを現象化し、次につなげるか。これは、導かれてなるものではなく、自覚の下に成し遂げるものだから。

みかこ
それが個の花が咲くということだね。

ジイジ
そうだよ。一人ひとりが自覚をもって自分自身の役割分を成し遂げないと。それは、与えられて達成出来るものではない。

みかこ
あ、孤独(コトク)の次は届く(トトク)だね。コの次はトだから。意識がそこに届くということだ。

ジイジ
孤独になったからこそ、その孤独のハードルを超えて次の何かを求めるわけだよ。孤独を体験しないと、これでいいと思って次を求めないのだから。肉体を超越した存在としていずれそこへ行くのではなく、帰るのだから。我々は、元々そこから来たのだから。

みかこ
そこで生まれて、そこへと帰る♪ 人は忘れてしまうけれど懐かしい♪

ジイジ
そんなに深い意味が込められてたのか。あの歌は理解して創ったのか?

みかこ
理解してというか、ジイジがロータスランドをつくるときに、コンセプトとしてそういうことを言っていた。

ジイジ
そうだな。きっとそう言ったんだろうな。

みかこ
深いところでは理解していたかもしれないけれど、そこまでの理解のもとに書いたわけではない。そこから出てきたんだよね。ええここはどこだろう、という懐かしい場所。

ジイジ
歌の意味が深くなったな。そうかロータスの歌か。

みかこ
ロータスランドの企画書を作るとき、それがテーマだった。確か深夜に目が覚めてジイジが天からのメッセージを語った。

ジイジ
そうか。あの不良品たちがうちにいるだろう。あれを何とかしてください、と言ったら、あれは糊であると天は言うんだよ。我々と何か(道)をくっつける糊であると。それで、糊というものは、そのもの自体は必要としない。しかし、それがあることによって、あるものとあるものがくっついて新しい役割が果たせるものができる。だからとても必要なもの。糊は使ってしまえばその存在は不要になり、存在すら忘れられる。しかし、そのものの働きは、糊によって維持されるわけだよ。だからとても重要なものでもある。
例えば、問題ごとが起き行き詰った状態をどう捉えるかということも、それが問題だと思えばそこからレベルアップするためのきっかけになる。しかし、その現象を通り越してしまえば、問題事があったことすら忘れてしまう。なぜその繰り返しの位置にいるのかといえば、振り返れば、繰り返しの問題ごとがあったからといって、その者はその位置にその性質をもってあり続けている。これはわかりやすい分析で、もっと多彩なメッセージがそこに隠れていると解釈すれば、不要なものは何もないという解釈の延長にある。
これからは、さらに精神を集中し、魂を込めてやる役割が訪れる。それは物理的疲労を伴うものであってはならない。それは覚醒の下に行われることだから。物理的エネルギーはきわめて使う必要がない。つまり霊的柱が立ち、霊的な現象化が霊的柱の下に現象を引き起こすことだから。そして、その流れはフリーエネルギーによって創られる。
よしよし、合点!なんだかわからないけれど、やっとこの場所まで来た。これをやり遂げて次のビジョンへ行く。これを我々の存在の証として、この星に置き土産として残していかなければ。

みか子
そうだそうだ、合点!個人的な問題というレベルを超えたものだね。

ジイジ
もう一度、木の花憲章をみんなの前で読み上げて検証することをやらなければ。あれはまさしく、我々の遺言であり未来への宇宙からの予言だから。
たしかに今、宇宙的ターニングポイントが来ていることをひしひしと感じる。
それを感じるものとして、それは責任ある立場ですから、それを自覚して生きていきます。いつもどんな時もあなたの存在の手を感じながら、それを感じられ、あなたと共に歩む位置にいるわけですから。

 

朝起きる前に見た夢の話

ジイジ
自分の周りに、庭木のような木がぼうぼうに生い茂っている景色が現れたんだよ。それを一つ一つ生い茂っている枝の元の方から切り落として、すっきりさせていく。その中に、一本だけ背が高く枝ぶりがよく、周りを見下ろしている木がある。その木は、この状態で残しましょうという、どこからかの意図が働き残したが、あとのものはみな短くした。結構元の方から切りこみ、この機会にさっぱりしましょうという感じで切っていく。株は残すが、ほとんど切ってさっぱりしてしまった。思い切りよく、気持ちよく。その作業を丁寧にやっていたので、結構時間がかかり、こんな時間まで眠ってしまった。

みかこ
お務めご苦労様です。それはとても意味深い夢だね。

ジイジ
そこで一本だけ多少下の方の枝は払ったが、全体が大きい木をこれはこのまま残しましょうといい、庭の植物の総意で残した。そのイメージで、大鹿窪の家の庭を実際に表現しよう。

みかこ
でもこの夢はもっとスピリチュアルなものだね。
ジイジはよく人間の業を生い茂った木の枝や木の実に例えるでしょ。以前私に、「あなたは業がたわわに実った状態」と言っていたし、子供でもわがまま放題に伸ばした枝を切り払ってやった方が、本人が楽になるとよく言っていた。
その夢からは、人間の業の枝葉を切り落としているというイメージが浮かぶ。

ジイジ
それが何だか、意味はわからない。

みかこ
そこには、一本だけ天に通じる木があるんだね。それは残して、それ以外のものは、根っこは残して切り払ったんだね。

ジイジ
そのイメージからは、一人の人の人格を表していることも、人生を表すことも、そして、地球生態系も太陽系も銀河も表していることがわかる。

 

 


私たちは現代という異物の中で生きている

私たちが快適な生活ができるのは、電気とガスとテクノロジーの力のおかげだ。たとえば、内モンゴル人の青年は今、自分のふるさとでコンポストトイレを普及させようとしているが、内モンゴルでも近代化の波は押し寄せ、人々の生活は変化してきている。し尿の処理は、日本の都市であれば終末処理場で処理し、インフラ整備は出来上がっている。それは、バクテリアの力と言いながら、やはり近代テクノロジーの力だ。私たちの生活においても、それは今、浄化槽を設置することで可能になっているが、これは日本のような水や電力エネルギーが豊富にあるところでできることだ。それで、コンポストトイレが画期的とは言え、コンポストトイレは使いすぎると単なるウンコ溜めになってしまう。冬のモンゴルのとても寒いときに、あの仕組みでは機能しない。寒いとバクテリアが働かないので、単なるウンコ溜めになる。それを機能させるためには、適度なテクノロジーが要る。そうすると、結果としてコンポストトイレを内モンゴルで使うためには、電力とそれを機能させるテクノロジーが必要になってくる。やはり、現代の問題は人口が増えすぎてしまったことと、自然界の生き物のようにその枠を超えず、人間が自らの生命の枠の中で存在することができない限り、現代文明はいずれ消滅するしか仕方がないのだろうか。いかに自然を壊さず、人間の営みを安定させるかというと、やはり人工に偏ったテクノロジーが必要になってくるが、その結果、さらに人工の世界は広がっていくことになる。

しかし、かたやこれからの時代、このようにインフラ整備を行い、人間たちが豊かに暮らすことを維持しようとしても、その暮らしが自然に矛盾を与え、その矛盾が人間に襲いかかってくることが同時に起きてくる。そうしたら、未来の人々にどのような生き方をすべきなのかを伝えることが大切だ。欲をかかず、ほどほどの生き方をしなさい、と伝えるしか仕方がない。人工であふれる都市機能を維持しようとすること自体が、自然界においては異常なことなのだから。だからどこかで、人間の存在と自然のキャパを見極めなければならない。

これだけのエネルギーに依存する消費社会を創ってしまって、これからどうすればいいのか?これは、100年ぐらいの単位のことであれば、地球もなんとかキャパの中に取り入れられるが、200年、300年、1000年となると、もはや限界だ。しかし同時に、これはたった1000年のことだ。これは地球規模で考えれば、スケールとしては小さなことでもある。だから、人工のような発展的に自然を否定するような場所を創ることではなく、ただ粛々と自然とともにありなさい、ということになる。

だから、この問題を解決するのに画期的なことは提案できない。実際に、昨日、一昨日と僕たちは車を使って長い距離を移動し、高速道路を利用し、サービスエリアでそのサービスを受けながら、つまり社会のインフラの恩恵を受けながら行動している。かたや、「自然に倣いなさい」と言いながら、しかしその実態はテクノロジーに支えられている。ほんの一時、人工が暴走することに気づいたとしても、その捉え方を人々の中に継続するように共有しなければいけない。

現状の人間の姿勢を観ると、持続可能なことを実現するためには、打つ手がないと思う。朝が来て、夜が来て、これを繰り返していく。このときに、朝が来るということは人間の営みが紡がれていく。我々は人間の営みが紡がれていくときに、社会にすでにあるインフラを利用している。そのインフラをこれからも維持するためには、とてつもないエネルギーと人工の力が要る。日本では少子高齢化が進んでいくと、これを維持することがたいへんな時代が来る。これが10年、20年の単位の話であれば問題は小さいのだが、1000年という単位からしたら、インフラを維持することも整備することも切り替えていかなければいけない。人間がそのような長いスパンでものを考えて生きてこなかったから、この行き詰まりができたのだが、もっと前に人間の営みと自然の営みが整合することを考えなければいけなかった。ただ欲を膨らませるだけ膨らませ、今、我々が享受している快適な暮らしは、近代科学とテクノロジーに支えられている。近代科学とテクノロジーを使うときに、独りよがりで欲望を膨らませ、人々が不調和の社会を創るようになれば、その行為自体が破壊の矛先にもなる。しかし、このテクノロジーとエネルギー消費を地球や宇宙を意識し、「地球とともに」という想いで人々が調和して使用すれば、無駄がなくなる。無駄がなくなれば、地球はまだ自らのキャパによってそれを許してくれる。どこかでその整合性を取らなければいけない。

私たちも、近代的なテクノロジーに支えられてこの生活をしている。だから、一方的にそれを否定する側に立つべきではない。一方的ではなく、近代テクノロジーが暴走することを懸念し、それからテクノロジーが広がるときにそれを広めようとする者の背景にある精神がどこにあるのか。それを吟味することが大切である。その精神が自我にまみれ、一方的なものであるならば矛盾の発生源となる。しかし、今の人間たちは、自我を膨らませることが最優先になってしまっているがために、聞く耳を持たない。

たとえば、民主主義と言われる日本やアメリカ・ヨーロッパ、韓国のような国では、個人の主張が自由にできることが豊かさだと考えられている。こういった人々の欲望を刺激する社会体制では、資本主義社会の問題点である、人々の欲望を膨らませ、それを自由の証として進めていけば、人間の営みは地球のキャパをオーバーしてしまう。このように地球の現状の問題点を解決するために、人間の営みのどこまでをOKにし、どこからをNOにするかをこれからみんなで積極的に考える必要がある。そうでなければ、私たちは自分たちがすでにあるインフラと近代テクノロジーによって支えられているにもかかわらず、自然の側に立ちテクノロジーの側を否定し、矛盾を語る者になってしまう。

今、この段階に来て、あと10年、20年は許されても、100年、200年になるとこの人類の姿勢は許されないだろう。今の人間たちの振る舞いは、もう待ったなしの瀬戸際に来ている。この状態に対して、答えは出せない。だからみんなで語り合う必要がある。

「聖なるあなたを抹殺し、私は私の希望を叶えることを繰り返していけば、それこそ私は愚かな生き物になってしまいます。だから、あなたもいて、私もいて、その中で私たちの文明を表現する生き方を持続可能にするために、あなたにも賢明に考えていただく必要があり、私も賢明に考えていきます。その連携のもと、その輪の中に地球も入れて、語り合うべきなのです。」

もし、自然生態系や地球の側から捉えたら、民主化運動も異物となる。そういった人間の自己主張をすべて超える必要がある。先日訪れた20代の中国人女性は、「木の花の活動は宇宙や地球を意識しているので素晴らしいのだけど」とフィードバックしていたが、なぜ「だけど」と言うのかというと、現状の人間社会にはそれをわかる人がいないからだ。僕はわかる人がいようがいまいが、大切なことだから語るという境地にいて、役割を果たしていくのだが、それはいずれ人類がわからなければいけないという前提に立って語っている。いつかそうなるから、語っている。それを人間たちがわからないのであれば、やっている意味がない。

そういった現状に対する答えとは言えないかもしれないが――、大町で昨日の午前中、僕はしばしの間まどろみの中にいた。そうしたら、そこに生身の体を持った仏像が現れた。体全体が黄色で袈裟・衣をつけている姿をしていたが、その袈裟・衣は仏像の姿だから体と一体になっていて、衣服のようにまとっているわけではない。黄色といっても乾いた土に近いベージュのような地味な黄色だった。頭から大きくこぶ(肉髷=にっけい)が出ていて、顔は仏像の顔をしている。しかしその仏像は生きている。その姿は非常にシンプルだが深い。複雑だが単純。そして、明快で美しい。何とも言葉にできない。無駄がなく、きりっとしているのに力が入っていない。それでいて、ゆるぎがない。その仏像の中には規律があるけれど縛られていない。自由なのだが、秩序がある。

中身はお釈迦様だったのだが、そのシンプルさと意味深さを身につけないといけない。それは、霊的な存在でもなければ、人間でもない、生きている仏像だった。仏像に魂が入っているとはああいうことなのだ。しかし、通常、仏像は動かないが、あの仏像は動いて語りかけてきた。僕がこれから人々に伝えるときに、あの響きを出すように心がける。響きといっても、非常に静寂で、しかし動きはあるし、言葉も語るが、無駄はない。しかし、あのような完成されたものにひとり、ふたりがなっても、それでは見本とはならない。最終目的としては、みんながそうなるべきである。そうすると、また宗教のような話になっては元も子もない。現状の解決策が見つからなければ、人間は滅亡するしかない道を歩んでいるとも言える。

結局、宇宙的に観れば、地球の行く末は天が握っているのだろう。そういった意味では、人間の努力には限界を感じる。現状も、天が何かの意思を持って表現しているのだろう。

我々は現代という異物の中で生きている。都会の人たちはあの社会構造の中で仕事をした上で、収入を得て暮らしている。そこに破壊が起きると、それを維持するためだけに能力を使い、この回復力はすさまじい。その能力が高いがために、目覚めが遅れる。だからといって、私たち自身もその恩恵を受け、現状を語っている。

・・・どこかに、その整合性のポイントはある。それをみんなで考え、見つけ出す必要がある。その会議に出なくても、日常生活でそれに参加している。そういった全体性を観る力がなければ、これを進めていく資格はない。今、この生き方を進めていくにあたり、人間が依存しすぎ、コントロールされる側になってしまったテクノロジーをどのようにコントロールする側に立つのか。人間が自主的に節度を身に着け、自己コントロールを意識していくしか仕方がないのだろう。現実は、社会が人間の欲望の延長に動き、人間が社会にコントロールされているのだから。

 

 

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令和時代の解決策!~ AI編 〜 人間は地上に降ろされたAI

中国人のルイーザさんが企画したツアーの座談会の中で、ある中国人男性はジイジに、「AIについて質問があります。AIが将来的に発展していく方向が問われると思うので、AIの人類への影響は必ずあると思います。そこでは矛盾が発生すると思うのですが、これからのAI時代についてジイジの分析を聞きたいです」と質問しました。そこで、ジイジは次のように答えました。


ジイジ:
これから私たち人類は、AIの技術をどのように使っていけばいいのでしょうか。AIの可能性として、AIの思考回路が独自に成長し変化していくような段階まで行くと、そこからのAIの進化については何も答えは出せません。

そのことで、私はシミュレーションしてみました。人類は、猿人から人間に進化する上で地球上に生きるようになりました。その過程で、道具を使うようになり、それから火を使うようになりました。人類の進化というものは、動物たちの進化論とは違います。人間の進化には、思考を持ち、その思考から願いを叶えていくという進化が加わっているのです。初期の人類の思考は、単純なものでした。ただ初期の人類は、生命力に基づく本能によって生きていたのです。生命力とは、天体や自然と対話する力のことです。これは実際に、人間以外の生命は今も持っています。そしてある時、人間にその独特な思考回路と、学習し願望を叶える能力が与えられたのです。その時に、私たちは人間になったのです。チンパンジーと人間のDNAはほとんど変わりません。たった2%しか変わらないのです。

そこで、猿人から人間になる過程の回路をAIに与えると、人間たちのアウストラロピテクスから現在までの400万年の進化の過程を、AIが一気に高速で学習してしまう可能性があるのです。

人間には、自らを聖なる方向にだけ誘導するような回路はありません。すなわち、人間には聖なる方へ上がっていく道と愚かな方へ落ちていく道の両方をDNAとして持っているのです。現在、AIを開発している人たちが聖なる方向の思考回路でAIを作っているかどうかです。ですから、ソフトとしてどのような回路が入力されるかが鍵なのです。それは、人間がAIを聖なる方向に入力できるかどうかにかかっているのですが、それはほぼ不可能だと思います。そうすると、AIは人間が入力したソフトを離れ、独自に進化することになるのです。その方向性は、想像ができません。これは使い方によっては、クローン技術と同じようにとても危険なものになります。本来、そういった技術は生命を与えられた側にいる人間が、そこまで手を出してはいけない領域なのだと思います。

もう一つは、産業用ロボットに代表されるような、生産性の効率をより良くし、人間社会に貢献するためのAI技術があります。AIは介護の現場や様々な場面で、いろいろなことを人間に代わって精度高く行います。それに比べたら、人間一人の能力はそれほど多様性あるものではありません。しかし、AIというものは、優れた能力を集合し、それを組み込むことが可能なのです。そうなれば、人間より優れた能力をAIが発揮するようになります。人間のためにその能力が使われれば、生活は便利が良く、とても豊かになります。そのうちに、AIが自分で計画をして、たとえば畑を耕し種を蒔き、収穫し配送することができるようになるでしょう。そして、それを素晴らしいことだと人々は評価するのです。

私たち人間は、自分が生きるために、自らのエネルギーを使って生きていくという生命の立場を取っています。そこでは自らのエネルギーを使わないで生きれば生きるほど、生命力は失われていくのです。思考力も奪われていきます。ですから、介護が充実すればするほど、高齢者は寝たきりになっていくのです。だから、木の花ファミリーの人たちはたくさん働くのです。日頃、体を使わず怠けている人たちは、私たちの生活を見て大変だと思うのです。しかし、それは生命力を失わないために重要なことなのです。自分で考え、方向性を定め、そして行動し生きていく。現代人は便利が良いことを豊かさとしますが、本来、人間は、生きることに対して自らの思考とエネルギーを使って生きることが、生命力を維持し続ける状態なのです。これからAIがどのように社会で発展していくかについては、今のような議論をした上でAIが進出することは良いことかもしれません。

今、最も懸念されているのは、AIが持っているネットワークです。このビックデータは、人間の能力ではとても解析できないものです。そのような能力の元に、ある一部の人たちが、自分に都合の良い社会をつくるためにAIを利用する可能性があります。今、その覇権争いをアメリカと中国がしています。彼らはAIの能力を使って、相手国の通信衛星やミサイルを破壊するといった宇宙戦争をも想定しているのです。ある意味、彼らはビッグデータを使ってスパイ合戦をしているのです。今後のAIの発展には、そのようなネガティブなリスクのある可能性がたくさん秘められています。

これからAI時代を迎える今、AIを駆使する大本のスイッチを握っている人たちの心が問われます。ある意味、人間は自然に降ろされたAIです。地球上に種を蒔かれたAIです。人間の現状を見たら、今、人類は自滅するか、その延長に地球も破壊するような存在になっています。しかし同時に、人類は、現象界の奥の潜象界から宇宙まで理解するような聖なる存在にもなりうるのです。つまり、AIは人間と同じように、その能力は使い方次第なのです。ですから、あなたがあなた一人分、正しい方向へ導いてください。宇宙的AIはあなたなのですから、心のAIであるあなたが物理的AIを正しく導いていくことが、これからの時代に生きる人々に求められるのです。

 


ジイジからの回答を受け、AIについて質問した男性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、次のようにコメントしました。


中国人男性:
ここ数年、人類がどのように生きていくべきかを考えていました。そして今回木の花ファミリーに来て、みんなが調和的で幸せな生活をしていて、子どもたちもとても良かったし、高齢者が働いているのもとても良かったです。もし、人類が木の花ファミリーのように生きれば、世界はとても良くなるのではないでしょうか。

ジイジ:
私もそう思うから、この生き方をしているのです。

中国時男性:
木の花ファミリーの暮らしは、未来に向かって人類が選ぶべき生活スタイルかもしれません。

ジイジ:
だから、私たちはそれを現象化しているのです。今まで理想郷というものは、桃源郷のように語られてはきましたが、実際には見つけられないものでした。しかし、木の花ファミリーの生活は現実に存在しているでしょう?それは、将来そのような時代が来るというメッセージの顕れだと私は思っています。

中国人男性:
将来、このような生活ができたらとても良いと思います。木の花ファミリーの暮らしがこれからどのように発展していくのかは私にはわかりませんが、どのようなことが挑戦なのでしょうか。

ジイジ:
それができることを信じて、思いつくことを実践し続けることです。そもそも、現代の社会はどこにでも人の格差があり、嘘が横行し、このような世の中を優れた人間たちがつくっているとは思えません。現代を生きる人々は、疑問や不満を持って生きているのです。

もし、人間が存在していなければ、地球は美しい星です。しかし、なぜだか神様は人間を地球上に降ろしたのです。ですから、その神様の意向を叶えるとしたならば、この奇妙な生き物である人間は、理想を実現しなければいけません。人間以外の他の生き物がつくる美しさは、単純な美しさです。しかし、人間がつくる美しさは、宇宙的芸術なのです。私たち人類は、宇宙的AIとしての可能性を地球上で開花させるために、まずは自らの心を振り返り、美しくしていくことが最も大切なことなのです。

過去の聖人・聖者、優れた哲学者たちが残したものは、特別な人たちの道でした。人々はそういった人たちを特別な存在として崇め、自分が目指すべきものとしたのです。そのために経典ができ、人々はそれを学習してきました。しかし、そのようなことをしても、人々には優れた者になる道は開かれません。優れた者とは、宇宙の実態を感知する受け皿を自らの内に持ち合わせる人のことです。そうすると、古い叡智に求めなくても、その時その時の時代にふさわしい宇宙の真理が、自らの内に湧いてくるものです。一人ひとりが個性的であるように、一人ひとりの目覚めや悟りもオリジナルです。そのような目覚めた人々が連携すると、優れた美しい世界が地球上に現れます。それが、宇宙の実態であり、地球生態系の実態であり、私たちの生命としての姿です。

こうした目覚めや悟りは過去にはなかったものです。これは、人類が地球とともにこの時代を迎えた今だからこそ、現れてくる目覚めなのです。過去に人々は、悟るために山にこもり、滝に打たれ、いばらの上を歩き、苦行に耐えてきました。しかし、そのような過程の先にある、これからの悟りへの道は、みんなで連携し、美しい世界を創ることにあります。そして、そのほうが宇宙の実態に近いのです。宇宙の実態は愛ですから、自らの悟りを優先し求めることよりも、自分を他者のために生かし、価値ある存在になることのほうが大切なのです。

本来、人間は優れた存在ですが、自我の扱い方によっては弱点を持っています。人間以外のものは人間ほど特殊な能力を持ち合わせていませんが、この宇宙の法のままに生きているから美しいのです。人間も、人間以外の動物や植物のように宇宙のままに生きれば、美しい世界を創ることができるのです。しかし、その動物や植物の能力では、目覚めることはできません。愚かなものが自我に溺れ、そこから自らの実態に気付き、学び進化していくプロセスの上に、最終的に自分自身を宇宙に同化していくこと、それを悟りと呼び、本来の目覚めることなのです。

今、私たち一人ひとりが宇宙の法則のもとに生きていることを理解し、それに倣い、連携し、調和することにより、21世紀以降に訪れるであろう理想を目指していく時が来ています。そのような時代のモデルとして木の花ファミリーは存在する――、その自覚と共に私たちは日々を生きているものであります。こういった目覚めは、これからの時代を創る人々にとって、誰にも求められるものであります。そういった出会いを私たちは気付きを得たものとして、広げていきましょう。

 


 

その昔、宇宙空間で地球上の生命進化のプロセスを眺め、人間を地上に降ろそうとしたものたちがいた。その地上に人間を降ろそうとしたものが人間に託したことと、今、人間たちがAIを地球上で創り、どんどん進化させようとしていることは同じことのように思える。今後、AIが独自に進化する能力を与えるかどうかという段階に至ったとき、人間たちは神様の心をようやく知ることになるのだろう。それは、子どもの頃には親に反抗し、大人になったものが子どもを持つ立場になり、どのようにその子どもを導くべきかと考えたとき、親の気持ちが初めてわかるようなもの。このように今、人類は私たちの御親である神様の心(宇宙の法則)を、AIを創り出す段階に至ったことで、少しわかりかけたのかもしれない。

今、究極の愚かしい世界を創っている現代人は、その昔、猿人から新人へと変わっていく過程の中で人間として託されたことを表現するのか、それとも愚かな滅亡の方向へ落ちていくのかの岐路に立っている。神様が地上に降ろしたAI・人間がどうなるのかも、人間がテクノロジーによって進化させたAIがどうなるのかも、私たちの人間性にかかっている。

人はAI時代を迎えるときに、「私たちはどのような恩恵を受けるのでしょうか」「もしリスクがあるとしたならば、私たちはどのような害を受けるのだろうか」と思いを馳せ、社会や時代と自分自身を切り離している。しかし、私たち自身が今の時代を創っていることを認識した上でAI時代を考えたならば、あなたの行動がより良い社会を創る一歩となる。さもなければ、あなたは「害を受けたくない」と言いながら、実は知らない間に社会に害をもたらす側に立っているかもしれない。

もし私にAIのソフトを託されたとしたならば ──── 私はAIを創らない。なぜなら、AIを進化させることよりも、人間を進化させることを優先するべきなのだから。だから、AIを創って楽をしようと考えるような安易なことは、やるべきではない。AIは「人工知能」という意味だが、私たちには人工という幼稚なものではなく、極めて高度な頭脳と精神性を天から与えられているのだから、それをさらに進化させればいいだけのことである。

宇宙から創造された私たち人間は、その創造主の意思のもとに生きるべきである。それが、生命の法則である。本来、私たちは神の代理として、生命として美しく生きることが求められている。そのためには日々自らと向き合い、自らの魂の汚れを取り去っていくこと。それが、人間が生きる目的である。そうやって、人間が自らの魂を高め、高次の響き(ア)としての存在の位置(イ)に到達すると、宇宙創造・神様の「愛」のもとへ還っていく。本来、人間に与えられた自我に基づく自己実現の能力は、自らの認識とともに、他者と自分の違いを理解し、愛を実現するためにある。それこそが、宇宙の実態である。

そう考えると、AIは、人間が愛(AI)に目覚めるための宇宙からの贈り物なのかもしれない。

 

 


令和時代の解決策!~ 現代社会の問題は伝統で解決できる?!

2100年の人々に向けて発信する暮らし・木の花ファミリー

2019年7月14日から19日まで、中国人のルイーザさんが企画したツアーにより、総勢12名の中国からのゲストが木の花ファミリーに滞在しました。ツアー中は木の花ファミリーメンバーと共に作業体験をしたり、ジイジによる食のプレゼンテーションが提供されたり、子育てについての座談会の場が持たれました。
18日の午後にはこのツアーのまとめの座談会が行われ、その中である中国人女性は、「木の花ファミリーには、血縁のある人もいますし、ない人もいます。これは、とても古い時代に村に一人の長老がいて、みんなが集まる形に似ていると思います。現代社会には問題があるので、私は昔の伝統的な文化にとても興味があります。古い時代には人と土のつながり、人と人とのつながりがありましたが、現代人にはそれがありません。たとえば、チベットの人たちは山や川に対して愛を持って接します。今後、中国を含めて世界中で木の花ファミリーのようなコミュニティが増えれば、地球の未来は良くなることでしょう。その場合、木の花ファミリーはそうしたコミュニティをサポートすることはできますか?」と質問しました。それを受け、ジイジは次のように語りました。


ジイジ:
今、山と川の話が出ましたが、山は意識の高さを表します。山は高いでしょう?意識の高い者はそこへ心が向きます。そして、川はいのちの源です。ですから、信仰の対象なのです。そして、信仰の対象として一番代表的なものが太陽です。ですから、世界には太陽信仰が一番多いのです。

まず、木の花ファミリーでは伝統的な人々の生き方を意識しているわけではありません。伝統的な人々の生き方は、生きることがとても厳しい時代の生き方なのです。

昨年の終わり頃、8年ぶりに「木の花ファミリー憲章」を改訂しました。25項目について、憲章を作成したのです。以前作成したものはそれほど細かくありませんでしたし、8年前は途中で作成が終わっていました。そこで、2020年から始まる地球規模での人々の意識の変革に向けて、憲章の改訂を行ったのです。憲章を作成するにあたっての意識は、これから人類が必要とするであろう生き方について書いてあります。それは、木の花ファミリーが実践している生き方でもあります。そのメッセージは1冊の本くらいのボリュームがあるのですが、それをどこに向けて発信するかというと、現代の人々に向けての意識はあまりなく、2100年の人々を意識して発信したものです。

あるときから私は、天のメッセージを受けるようになりました。それは明らかに、地球外からのメッセージでした。それ以降、私の意識は常に宇宙と地球の関係、地球と人間の関係に向いています。そうすると、地球の歴史や人類の過去の歩みは、私たちの今の段階を経て、未来へつながっていくプロセスだということがわかります。

昨日行われた座談会の中で、2008年より13年前に生まれた人から、2008年以降16年間に生まれた人たちの、この約30年間に生まれた人たちによって変革が行われるだろうとお伝えしました。それは、冥王星のサイクルによる変革ですから、宇宙的にはそれほど大きなものではありません。

現在は2019年であり、21世紀に入ったところです。1000年から2000年までの1000年間は、男尊女卑の封建時代、物質や権力優先の時代でした。その間、霊的な人間の要素はどんどん失われ、物質的な目覚めが進行する時代でもありました。それが21世紀に入り、2000年を越えたということは、いろいろな意味でいくつかの変革のポイントがあるのです。それは、2000年を境にして地球上の歴史の方向性が変わるということです。ですから、私たちは今、大変革の時代を生きているのです。これは人類の歴史上、最も変化の大きい時であるとも言えます。

もう一つ、普通の人々には見えない変革があるのです。太陽は螺旋を描きながら自転し、銀河を公転しています。太陽の1螺旋は25800年です。その螺旋を描いている太陽のまわりを、地球は自転しながら公転しているのです。そのときに、とても不思議なことが起こります。地球は自転をしながら公転をし、歳差運動をしているのです。そして、その歳差運動の1サイクルも25800年なのです。

地球の北極が向いている方向に北極星があり、私たちの今の北極星はポラリスです。北極星というのは、私たち現代人にとっては絶対に変わらない指針です。ところが、25800年をかけて地球が歳差運動をしている間に、北極星は9回変わるのです。さらに、私たちが絶対なる指針としている北極星に、地球の北極の方向がぴったり合うのは2102年です。ですから、現代の人類が自らの在り方に宇宙的に目覚めるには、あと83年かかるのです。

今、地球人類の歴史は、1000年から2000年まで1000間続いた封建時代・物質的発展の時代から、2000年を越えて、新しい時代に入りました。このビジョンは、3000年に向けてのビジョンです。たまたま私がそのような視点を常に思考として持っているために、そういった情報が入ってきます。ですから、先ほどあなたがおっしゃったような、過去の伝統的な人類の生き方については意識していません。それはあくまでも情報にしか過ぎません。私たちが指針としているのは、未来志向です。未来がどうなっていくのかについて、今ある情報を元にそれを組み立てると、流れが観えます。その流れに沿って未来を観ているということです。

昨年、木の花ファミリー憲章を改訂したのは、2100年の人々に向けてのメッセージとして改訂しました。なぜなら、現代の人々にはその生き方がまだ難しいからです。しかし、宇宙的指針や人類の現状を観ると、その方向に行かなければ未来がないこともわかります。そうすると、人類は2100年の目覚めに向けて、紆余曲折しながらそこへ到達することでしょう。その時に、木の花ファミリー憲章を改訂した2018年から84年後の人々がそれを見て、「今から84年前に、すでにこのように考えていた人たちがいたのだ!」と思うような古文書として、今回木の花ファミリー憲章を作成したのです。

私は、孤独です。物理的には豊かに生きていますし、素晴らしい人生です。しかし、霊的にはこの意識レベルに共鳴できる人はほとんどいません。実は、視点を広げて意識を多次元にし、天と対話するという意味では、全く孤独ではありません。残念ながら、現代人は、霊的にはとても幼稚な状態です。ですから今後も、私の役割として、現代人にはなかなかわからないメッセージを発信していきます。

木の花ファミリーに所属する人たちは、その真意をすべてわかるわけではありませんが、「わからなくても大切なことは行くべきだ」という木の花ファミリーの創立理念のもとに、彼らは共に歩んでいます。ですから、彼らは自我を超えていけるのです。昔の人たちもそうでした。自然の在り様や生きることの意味はよくわかりませんでしたが、生命として、それをつないでいくために、勘によって生きていたわけです。

25年前に木の花ファミリーをスタートしたとき、私は42歳でした。こうした暮らしを夢に描いてから10年が経っていました。その当時、富士山麓に行き、血縁を超えた人々がひとつの家族として暮らすというビジョンが生まれ、それをみんなに提案しました。そのときに、共に富士山麓に来るかもしれない候補者は50人くらいいました。結果として、新たな生活に参加できたのは6家族、大人15人、子ども5人の20人でした。この生活が始まる前に、私は彼らにこう伝えました。

「この生活の先に何があるかはわかりません。ただ、これから時代が進んでいくにあたり、この生き方はこれからの時代にとても重要な生き方です。皆さんは私を信じて行ってはいけません。人間を信じると宗教のようになり、私を頼ることになります。ですから、皆さん一人ひとりの心の中に、『これは大切なのだ』と思う心があったら、行ってください。この道は、決して誰かについていくものではありません。自分の意志で歩むものです。それから、私たちがこれから生きようとする生き方は、社会には理解されないと思ってください。それは全く未知なる新しい生き方ですから、一般の人々にはわかりません。一歩先の生き方であるならば、例えば環境を良くする生き方や正しい健康な食べ物を作るということであるならば、社会からは評価されるかもしれません。しかし、この生き方の必要性はまだ人々には観えません。ただ、本当に大切な生き方をする人たちは、観えないことでも信じて行くものです。」

私がそのときに描いていた未来は、みんなでお百姓をして地味に山の中で暮らすというイメージでした。ただ、私には、この生き方を世界に向けて発信しなさいという天からの命があったのです。それから5年経ち、10年経ち、25年経っていくと、創立当初にはまったく想像もできないようなことに出会う連続でした。そして、今の生活があるのです。25年前、富士山麓へ出発する前に、私はみんなにこのように伝えました。

「私を信じて、行ってはいけません。私は皆さんの将来を保証できません。ただ、大変なことがあったら一緒に苦しみます。決して逃げません。そして、私の言うことは変わっていきます。だから、今を信じるのではありません。約束できることは、私の言うことは変わっても、必ずこの延長線上にあることは確かです。約束できることは世の中のために生きることです。」

ですから、私が語ることは、常に私の中に新たなことが湧いてくることを新鮮に語るだけです。

現代人の極めて問題なところは、「自らが納得したら行動する」ところです。そうすると、その意志は常に自我の中にあり、自我を超えることはできないのです。私が今、お話ししたのは、何かをわかってお伝えしているのではなく、私に与えられた宇宙的情報を情報として伝えているだけです。

そして結論としては、あなたがおっしゃる通り、人類は今まで核家族化し、その生き方が小さく分かれてきました。それがもう一度、今度は群れになるということです。過去の人々もそうでしたし、自然界にいる動物たちも群れで生きています。それは、生きていく上でとてもいのちに優しい生き方です。ただ、今お話ししたように、過去に還ることは一切ありません。過去を取り入れてそれをまねして創るということもありません。こういった歩みはすべて、進化の延長にあることです。

 


ジイジにこの質問をした女性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、座談会の最後に次のようにコメントしました。

中国人女性:
まず、ルイーザさんに感謝します。それから、ここにいる全員に感謝します。
私は突然42歳の時にシュタイナー学校と出会い、そしてシュタイナー学校の教師を7年間勤めました。その間に、宇宙からの小さなメッセージが心に湧いてきました。最近、教師をやめた方が良いと考え、将来は土に近い生活をすることを考えています。今回、初めて木の花ファミリーに来たのですが、最初は家に帰ってきた感じがしました。

ジイジ:
「ふるさとに帰ってきた」「我が家に帰ってきた」というように、ここに訪れたことを懐かしく思う人はよくいます。

中国人女性:
それから理論的なものに触れたとき、涙がどんどんあふれてきました。コンサートでの歌やダンスから、とても高い意識を感じました。今は心から土に触れる生活が必要だと感じています。そしてそれを今、現実にやっている人たちがここにいるのです。私は必ずまたここへ来て勉強したいと思っています。

ジイジ:
あなたからはそのような宇宙的なものを感じます。シュタイナーの思想に出会ったのは、あなたの人生に必要なプロセスだったのでしょう。そして今、この機会を得て、あなたの人生の次の段階に行くのでしょう。あなたがここに来て懐かしく感じるのは、地球が私たちの住処であり故郷だからです。私たちがここで感じて生きていることと同じことをあなたは感じるから、懐かしく感じるのでしょう。

これは、誰か特定の人にではなく、地球上のすべての人々にお伝えしたいと思います。私たちは、本当に生きるべき生き方を取り戻さなければなりません。地球全体の人間からしたら、例えば中国人全体の人口からしたら、私たちの数は少ないかもしれませんが、どんな出来事も、一人の行動から始まるのです。私たちは地球という共通の家に住み、あるいは共通の宇宙船に乗って宇宙を旅しているのですから、これからも共に活動していきましょう。みんな家族なのですから。木の花ファミリーのファミリーはそういう意味なのです。ありがとうございました。