木の花ファミリー創立32周年を迎えて

3月21日、木の花ファミリーは創立32周年を迎えました。以下は、その日に行われた創立記念祭にてジジが語ったお話です。


木の花ファミリーの暮らしが始まり、今日で32年が経ちました。
しかし、木の花ファミリーの暮らしが始まってから、この物語が始まったわけではありません。この物語は、宇宙が誕生した時から始まっています。私たちは、自分が存在するという自我に目覚めた時、その自分が解釈できる範囲を自らのエリアとします。しかし、それは自分を存在させている実際のエリアではありません。

私たちは毎日の生活を営み、時が経ち、歴史を紡いでいきます。その中の一つに、呼吸をするということがあります。呼吸は自分の意志でしているのでしょうか?
呼吸をするためにはまず、地球を包んでいる大気という空間が用意されています。それは私たちに、生きていくエリアを与えてくれています。この空間を誰かが「これは私の場所」と区切って、個人的にエリアを持つことができるでしょうか。そんなことはできるわけがありません。このように、私たちが地球に誕生し生きるということは、私たちの思い通りに何かを叶えることはできないのです。それは、いくら想像してもわからない壮大な物語の中にあります。私たちは人生において色々な出来事に出会い、変化します。生まれたての赤ちゃんが青年になってたくましくなり、年老いて死んでいく。この一人ひとりのオリジナルな物語に寄り添い、その物語と共に歩んでいるものがあります。それは「時間」です。

♪「我らはトキの旅人」♪
※以下のQRコードから木の花楽団の歌を聴くことができます

一体、誰が時間というスイッチをこの世界に入れて、いつまでこの時間という仕組みを提供し続けるのでしょうか。全くわかりません。しかし、明らかにこれは何ものかの意図した働きにより、宇宙の誕生から途切れることなく、私たちを世界に繋いでくれています。
そのテーマは「ひとつ」、即ちワンネスです。そして生きている限り、私たちはその中で沢山の要素を自分以外のものからいただいています。その一番の贈り物は、光です。光は誰が与えてくれていますか?そして、どこからやって来ますか? ——— そう、太陽ですね。
私たちが存在するということは、まず肉体を持っていますから、呼吸をし、食べ物を食べます。そして人生という様々な出来事の中で成長し、経験を重ね、何かをそこで学習しています。その目的は「ひとつ」ということです。私たちは宇宙に存在し、偶然にも今、幸いなことに、そして不思議なことに、人間という命として人生を刻んでいます。宇宙空間の中にある地球では、こんなにも穏やかに太陽の光が降り注ぎ、晴れて、風が吹いて、そして雨が降る中で、動物や植物が栄え、命の循環が営まれています。その美しい穏やかな世界のことを五風十雨(ごふうじゅうう)と言います。

♪「五風十雨」♪
※上のQRコードから歌を聴くことができます

私たち人間もまた、その循環の中の一つの役割としての営みが与えられています。こういったワンネスの世界では、自らを自分以外のものから切り離して存在することはできないのです。
何もないと思っているこの空間ですら、私たちに大気という大きな気 ——— プラーナを与えてくれています。プラーナとは生命力のことです。そして呼吸という循環作用を通し、私たちに「ひとつ」を表現することを求めています。大地は私たちに、その生命力の元である食べ物を与えてくれます。それは私たちがひとつであり、他の無限にある命と切り離すことができず、私たちはその命の循環そのものであることを教えてくれているのです。
このような壮大な物語の元となり、私たちに命の循環の中でその意思を示しているのが太陽です。この偉大な循環を与えている太陽の存在する意味を、あなたは知っていますか?

♪「太陽の導き」♪

さて、今の人間社会に目を向けてみましょう。地球の歴史からすると今からほんの少し前の約6500年前、人類の文明が発祥しました。これ以降を有史と言います。人間は道具を使い、火を用い、そして高い能力を発揮して、自然との付き合い方を工夫し、栄えてきました。なんと素晴らしい生き物が誕生したのでしょう。しかし、その人間の持つ高い能力は、もっと便利にしよう、もっと優れたものになろう、そして、もっと他のものを支配して自分が豊かになろう、ということに使われてきたのです。

その昔、人々は自然に生かされ、自然に感謝し、そして自然の成り立ちの中で動植物たちとひとつとなって、この生命生態系の大循環を表現していました。

♪「むかしむかし」♪

しかし、21世紀も4分の1を過ぎた今、人間たちは地球を自分たちだけのもののように扱っています。
現実に、人間たちはこの壮大な宇宙において、地球のような奇跡の星をみつけることはできません。これは宇宙の大いなる意思が総力を挙げ、地球という星に特別に理想の世界を築いたからです。しかし、その地球において最も高い能力を持つと言われる、優れたものであるはずの人間たちは、自然を超えた人工という世界を造っていく過程の中で、自らの優秀さに溺れ、地球が誕生した本来の目的 ——— 即ち、他とつながり「ひとつ」を表現するという宇宙の叡智を忘れてしまったのです。

「ひとつ」とは、自分と他者、自分と何か、そして自分と世界を比べた時に、区別がないということです。私たちはこの世界に生かされ、この世界の循環の一部を担っています。それはとても簡単なことです。「一人はみんなのために、みんなは一人のために。」これが宇宙の姿であり、それをモデルとして、地球にたったひとつの生命大循環の世界が創られたのです。私たち自身の体もまた、それを構成するすべての細胞がそれぞれに意思を持ち、連携して、ひとつの体をつくっています。それを小宇宙と言います。沢山の個性的な機能が連なり、私たち一人ひとりの中でもワンネス・ワンヘルスを実現しているのです。それと同じ構造が地球の生命生態系の中に表現されているのです。
ですから、私たちは人間社会のために存在するのではありません。個人のために存在するのでもありません。「ひとつ」という自らの存在する大調和のエリアを知ったなら、すべてのものがつながり(ワンネス)、ひとつの健康(ワンヘルス)を表現する大循環の中に、あなた自身も組み込まれ、維持されていることを、悟らなければなりません。

♪「ひとつ」♪

21世紀も4分の1を過ぎました。21世紀は「人類の目覚めの世紀」です。つまり、私たちは地球人である前に宇宙人であることを悟る世紀です。そして私たちが日常認識している世界よりもっと広く、人間では到底理解できないような大いなる世界(宇宙)に貢献する時代を迎えています。
しかし、宇宙的には人間が目覚める段階を迎えた今においても、まだ多くの人々は自分のことばかりを考えています。それは、この星に人間が降ろされ、地上世界をつくっていく上で求められる本来の目的からは大きく外れています。人間の存在する本当の目的は、互いに手を取り合い、ひとつにつながり、この地球生命生態系を健康にして、すべての生命と共に喜びあえる世界を表現することです。今日、この創立記念祭で共に歌った歌に、そのメッセージが表わされていました。

木の花ファミリーでは毎年、年始にその年のテーマが示されます。昨年は「兆し」でした。そして昨年の12月頃に、そのテーマの通り、兆しが観えてきたのです。
私たちは今日、3月21日の春分をもって一年の始まりとします。32年前の春分からここ富士山麓での暮らしが始まり、今、30歳を超えた木の花ファミリーの歩みの目的が、かすかに観えてきています。ではその目的の先には何があるのでしょう。
今年のテーマは「目覚め」です。自らの欲望を満たし、願いが叶うことが幸せではないのです。私たちは宇宙生命であり、大いなる奇跡の星、地球の生命生態系の大循環のもとに、本来の役割を果たすべきなのです。その目的は美しい地球の実現、つまり、ワンネス・ワンヘルスです。そのことに、最も高く優れた能力を与えられた私たち人間が貢献せず、その高い能力を全体のために生かさないとしたら、それは一体何のためにあるのでしょう。
しかし、現実はどうですか。人々のエゴはどんどん膨らみ、様々なビジネスが人間の欲を刺激することでお金を儲け、お金があれば幸せだといって際限なく欲望を膨らませてます。人々は、人間社会が提供するものによって依存症になっているのです。
私たちは、始めからすべて与えられ、この星の上に生きています。その始めから与えられていたもので、私たちは幸せでなければなりません。その最も大切なことを、現代人は忘れてしまっています。

♪「この星の上で」♪

私たちはひとつであること、そしてひとつになっていくことを、忘れてしまいました。みんなで分かち合い喜ぶ幸せを忘れてしまったのです。けれども、そのことに目覚めれば、地球はたちどころにユートピアなのです。

32年前、富士山麓で初めての朝を迎えた時、それは3月21日の春分でした。寝ていた部屋の東の窓から、素晴らしい太陽の光が部屋の中に差し込んできました。それを、かずこちゃんに頼んで写真に撮ってもらいました。それはまるで仏様の背中に現れる輝かしい光輪のようでした。
私たちは光の子です。無限なる太陽の光のエネルギーを与えられ、しかしそれを直接自らに取り入れることができない私たちは、大地、雨、動物、植物たちの営みの循環の中で、他の存在を通してその光のエネルギーを自らに取り込み、生かされています。ですから、私たちの元は光なのです。
命は光です。それはつまり、私たちは太陽のメッセージを受けとり、他に向けて発することができるものだということです。そういった私たちの本当の姿に目覚め、意識をひとつにしていきましょう。それは、目覚めの始まりです。そこに気付いた時、人々は目覚め、この世界のすべての問題は解決します。その目覚めは、すぐ隣りにあるのです。そしていつも私たちに寄り添ってくれています。少し横を見てそれに気づき、実行するだけなのです。

今、沢山の問題がこの人間社会の中にあり、闇のように地球を覆っています。しかし、それは「目覚めなさい」という大いなるものからのメッセージだとしたら、今こそ、その意味をよく理解して、大いなる世界の意思と連動し、ひとつになるという、悟りの境地が求められているのです。「サ・ト・リ」とは差を取ること、即ち、自らと全てのものは一体であり、ひとつである、ということです。そのものの精神が極限まで達し、究極の精神が花開いた状態のことを言います。それは自らを磨き、意識を高めていくということです。
言葉で語るとこのような感じになりますが、歌はいいですね。それぞれの個性がそれぞれの役割の位置に立って音を発し、全体がハーモニーとなってひとつを表現します。木の花の歌は美しいですね。歌を歌うためのテクニックだけでは、あのような響きは生まれません。みんながひとつになって、心が繋がった時、初めてそれが表現できるのです。
32年前、僕はこれから富士山麓で暮らすことをみんなに語りました。しかし、実際に何をするのかは全くわかりませんでした。ただ、そこに参加する人は一人ひとりあなた自身の意志で行ってください、と言いました。そこで僕が絶対と言えることは、これから私たちが生きる生き方は、これからの時代にとって大切な生き方であるということ。何をするかわからなくても、あなたがそのことを信じられるなら行ってください、と。

♪「信じる心」♪

あれから32年が経ち、今、この時を迎えています。この位置にいます。これまで沢山の出会いがありました。そしてやっとその目的の兆しが観え始めています。いよいよ今年、ワンネス・ワンヘルスの実現のウェーブが地球に放たれようとしています。
星に住むということはとても便利なものです。これがもし単なる平坦な場所だったら、この調和のウェーブはあちこちに向けて放たなければなりません。しかし、星は自転、公転をしています。そしてこの星のある太陽系は、銀河の中を自転、公転しています。ですからここにいるだけで、遠くに行かなくても、調和の光のウェーブをみんなでひとつという意識にのせ、天に向かって放てばよいのです。それは宇宙に向かって発信され、地球の自転公転により、地球全体どころか、太陽系全体どころか、銀河全体にまで広がっていくのです。
これが宇宙を生きることの真実です。それを信じないと、この大いなる目的は達成できません。あなたが信じ、そしてそれがみんなと繋がり、ひとつとして発せられた時、現実化するのです。

32年の時が経ち、こういった思いのもとに、そしてこのような仲間たちのもとに、これが世界中へ広がり、宇宙全体の魂たちと共鳴し、この地球に美しい世界が実現することは、なんと幸せなことでしょう。
どうか皆さん、ジジが言ったからやろうなんて考えてはいけません。そうだね、そうだね、とその精神をあなた自身が高く高く積み重ね、あなたの個性を生かしてください。それが目覚めです。そして、私たちの本来の目的である理想の世界 ——— ワンネス・ワンヘルス、美しい地球を実現しましょう!

今日の歌はとてもよかったですね。その歌に心を込めて、ウェーブにして天に解き放てば、地球を巡ります。それを地球が喜んでいる。太陽系が喜んでいる。銀河が喜んでいる。宇宙が、そして大いなる存在が喜んでいる。
私たち人間にはそれだけの高く尊い能力があり、その実現が託されているのです。あなたにも、誰にでも託されているのです。それを信じてやっていきましょう。
みんな、ありがとう。

♪「何億年もの時を越えて」♪


「みんな、ありがとう」〜 人生のたびだちに向けて

木の花ファミリーでは、死を人生の終わりではなく、新たな旅の始まり、即ち「出発(たびだち)」と捉えています。
以下は、ある日の大人ミーティングにて、数年前から病を患ってきたメンバーが医師から余命1ヶ月と伝えられたことを受けて、ジジが語ったメッセージです。


今、年々厳しさを増していく酷暑のように、悪化していく地球環境のことを思うと、この星に生きることは、あまり楽しいことではありません。しかし、我々は修行に来ているのだと思えば、それもまた、自らを向上させるために必要なことであると言えます。そこから学び、向上して、木の花楽団の数々の歌で表現されるような世界を実現し、人生を全うしたいと思います。

僕は、出発(たびだ)つ人を見送るためのしっかりとした意志を持っています。ただし、出発つ者には、やはり完全燃焼していってもらいたいと思います。出発ちの心構えをしっかりと持って、終わりを迎えてもらいたいのです。
人は生き物ですから、必ず死にます。今年は終戦80年を迎えましたが、過去には醜い死に方をしていった、もしくは醜い企ての末に死んでいった人々がたくさんいます。しかし、それは人の本来あるべき姿ではないと思うのです。歴史を振り返り、そういった時代の変遷を観ていると、それが他人事とは思えないのです。なぜなら、同じ人間だから。
人間という生き物は、地上に現れてからこれまでずっと、ひとつの種として生きてきました。私たち一人ひとりにそれぞれのカルマがあるように、人間という種にもまた、ひとつの生命としてのカルマがあります。カルマは本来、そこに顕れる現象を通して自らを学習し、美しくなっていくためにあるものですが、使い方を間違えると、汚れた醜いものにもなるのです。人である限り、願わくば、人生という旅の物語を美しく仕上げて終わりたいものです。

人生を生きていると、様々な出来事に出会います。出来事は様々ですが、そこに表現される自らの性質は常に共通しており、同じ人であれば同じ性質によって出来事が表現されていきます。その、人それぞれに個性的な性質を分析し、読み解く能力がここには与えられています。自らが何者であるかを知り、いつでもそれを問いかけることができるのです。しかし、そのように恵まれた環境にいたとしても、自らを理解することへの取り組みが十分でない者達がいることも事実です。
2030年は、人類と地球の関係が取り返しのつかない灼熱地球へと向かうのか、それとも本来の健康な地球に戻っていくための歩みに進むかの、分岐点だと言われています。私たち一人ひとりもまた、人生をポジティブに生きるのかネガティブに生きるのか、即ち、人生を学習の場として昇っていくのか、それとも学習が不十分で落ちていくのか、その分かれ目を迎えるのです。どんなに自らのカルマに翻弄され、溺れている人であっても、目覚めれば、いつでも優れた人生を歩む道を行くことができます。その道は誰もに開かれています。なぜなら人には、どう生きるかという選択肢に対して、自らがどうするかを選ぶ意志が与えられているからです。
罪を犯し、場合によっては死刑になるような人であっても、死の間際に「ああ、生きるとはこういうことだったのか」と目覚めれば、何も気付かずただカルマのままに生き、何ら悟ることなく時が来たから死んでいく者よりも、意味のある生を生きたことになります。どんなに寿命が長かろうと、認知症のように自分が何者であるか全くわからない状態になって逝くよりも、自分自身がしっかりと自らを見極め、与えられた寿命を生ききり、完全燃焼していくことが大切なのです。生きるとはそういったことに価値を見出すためにあるのです。

このような話を、それを聞くにふさわしい段階に来ていない者に語っても仕方がないでしょう。しかし、命があと1か月という人がいれば、やはりこの話を語らないわけにはいきません。僕は、余命宣告を受けたことを気の毒だとは思いません。なぜかと言うと、このように生きることに対する覚悟を示すことができる場所に出会い、それで終わりを迎えることができるのです。世の中にはそのような出会いのないまま最期を迎える人がたくさんいます。ですから、こういった人の命に係わる真剣な場所に出会うと、心がピリッと引き締まり、真剣とはこういうことだ、と思うのです。
それを、最期を迎えた時だけでなく、常日頃から持ち続けていたい。自らの意志で人生を歩み、そこで出会うことの全ては自らが選び、望んでやっていることであり、出発つ時もまた自らの意志によって出発つのだというくらいの覚悟があれば、送る側も気の毒だとは思わないし、惜しいとも思いません。よくやった、と拍手で送ることができる。ぜひ、皆にそのように生きてもらいたいのです。

だからと言って、気張って無理をする必要はありません。与えられた寿命のままに、体が教えてくれるままに、素直に素直に、いい人生だったという結論を出すために歩んでください。その時に、「ああ、自分はまだ大切なことを学んでいない。これではいけない。そこを仕上げて出発たなければ」と気付いたなら、見苦しかろうと何であろうと、延命治療を受けてもいいのです。本当に大切なことは、しっかりと仕上げていきなさい。
現代の医療は狂っています。過剰な治療をして、本来の寿命を狂わすような出発ち方は避けた方が良いでしょう。しかし、何か大切なことに気付き、それを掴むために時間が必要であり、その覚悟をもってまだ出発てないと思うなら、その人生のテーマの達成に向けて、現代の技術を使ってでも地上に留まっても良いのです。そのように、生きることを悟るとは、柔軟であるべきです。
縁というのは、不思議なものです。人それぞれに個性があるように、一人ひとりの人生もまた個性的で、ひとつとして同じものはありません。その、あなただけに与えられたオリジナルな人生を、しっかりと噛みしめていきなさい。我々はもともと、ほとんどが他人でした。それが今では、身内でもここまで近くないくらいの関係になっています。その仲間が出発っていくというのは、僕にとっても、身を削られるようです。しかし、出発ってからいくら悔やんでも仕方ないからこそ、生きている間に思い切り伝え合うのです。
できれば、最期を迎える時になってから慌ててやるのではなく、余命宣告を受けていない、当たり前の日常を、その覚悟をもって生きていきたいものです。

出発ちは、地上に生まれ、生きてきたことに対する答えであり、人生の一大イベントです。生まれた時に人生学校に入学し、様々な学びを経て、いよいよ卒業の時が来たのです。その大イベントを、ただ肉体の寿命が尽きたからと言って無自覚に終わるのかどうかは、あなた自身にかかっています。人生を悲観して自ら命を絶つ者もいれば、認知症になって何も分からない状態で逝く者もいる。殺される者もいれば、殺して死刑になる者もいる。内容は本当に様々ですが、どの人も、自らの寿命が尽きることに対して真剣に向き合い、悔いのない出発ちを迎えるべきだということでは同じなのです。
本当に悔いのない人生とは、まず自分自身をよく理解することです。悪いことは悪いなりに、良いことは良いなりによく理解して、しっかりと学び、その上で覚悟を決めて、寿命が来たら出発っていく。そうしたら、その時には「みんな、ありがとう」という意志で、いくことができるのです。そして送る側も、「よかったね、おめでとう!」と送ることができるのです。

みんな、ありがとう。

 


コミュニティを運営するのに大切なのは

今年6月、香港のとある地方で開発から環境を守る活動を続けているコミュニティのメンバー10名が、コミュニティの健全な運営にとって大切なものは何かを学ぶために、木の花ファミリーに1週間滞在しました。その後、メンバーの1名はさらに2か月間木の花ファミリーに残って学びを続け、帰国後に、コミュニティ内で報告会が行われました。

小グループに分かれてのディスカッション

報告会は、「体験の全体シェア」「小グループに分かれてのディスカッション」「質問とまとめ」の3部構成で行われ、参加者からは以下の8つの質問があがりました。

1:宇宙観とは何か。
それはエココミュニティに必要か?我々は、同じ考えに至るまでそれについて話し合うべきか?

2:どうしたら変化できるのか。その定義とは。

3:各メンバーの役割をどのように定義するか?各メンバーの役割とは何か?

参加者からは様々なキーワードがあがりました

4:我々はなぜ一緒にいるのか?自分自身の個性を保ちながら、コミュニティ全体の団結を意識するにはどうしたら良いか?

5:コミュニティとは家のようなものだが、世代を超えたメンバーのニーズをどうしたら満たすことができるのか?満たされていないことについて振り返る必要がある。

6:メンバー間の共振と一体感はどのように表現されるのか?

7:メンバーの成長を促す話し合いやミーティングは、どのようになされるのか?

8:組織におけるトラウマ。

この中で、「最も深めたい問い」として参加者から一番投票が多かったのが、4番の「我々はなぜ一緒にいるのか?自分自身の個性を保ちながら、コミュニティ全体の団結を意識するにはどうしたら良いか?」という質問でした。
この報告会の内容は木の花ファミリーにも共有され、それを聞いたジジは、4番目の質問に対し、以下のように回答しました。

生命の原点としてのコミュニティ

コミュニティは、そこに参加している人々の総意によって運営されるべきです。全体性と個人の意識が共通したものになった時に、コミュニティの理想に辿り着くでしょう。

その見本はどこにあるのかと考えてみると、それは地球生態系であり、また、現代の人間には実際に理解が難しいかもしれませんが、宇宙の実態はそのようになっているのです。ですから、わからないこともあるかもしれませんが、よく考えて、みんなで語り合って、自分のためではなくみんなのための場として結論を出していくようにしましょう。

人間は優秀であるがために、生きることの理論を組み立てて考えますが、その理論が個人個人の目的だけに沿うものであっては、本当に優れた世界はなかなか生まれてこないものです。まずは、誰もがわからないこの難題を、みんなで一生懸命考えて、そして、答えを出していきましょう。誰かの考えに乗るのではなく、みんなで創る場所、それがコミュニティの理想であり、地球の理想であり、宇宙の理想なのです。

あなた自身も、その大いなる世界に生かされており、その仕組みはこの世界の根本原理である愛によって成り立っているのです。その生命の原点に立ち還れば、全ては善きことのためにあることがわかるでしょう。

 


心の糸を光に向けていく

戦後79年となる今年の夏は、これまであまり公になることのなかった戦争の実態を描く番組が数多く放映されました。それらを観ることを通し、人間の行いについて考えることの多くなっていたジジは、ある朝、ピピを通し、銀河の霊的存在(Spirit of the Galaxy)と対話しました。


ジジ:
歴史上、人間は愚かしいことをたくさんやってきましたが、一体この生き物の未来に、どのような結末が待っているのでしょうか。

(この問いに対し、しばらくの間、沈黙の時間がありました。)

SG:
人々の魂のプログラムはそれぞれであり、それは人間というひとつの種としての計画とは、また異なるものです。それぞれ個としての次元に相応しい学びがあり、それぞれの旅をしているのです。魂たちは自らの可能性を開く旅をしており、それらの情報を宇宙に提供することで、私たちに学びをもたらします。
あなたが聞きたいのは、このようなことで良いのでしょうか。

ジジ:
今そのメッセージを聞いて、同時に浮かんで来たイメージがあります。
これまで争いで死んでいった者が数億人いたとして、その数億人という数は、全ての時代に降りて地上を生き死んでいった者の数からしたら、ほんの数%でしょう。もしかして1%に満たないかもしれません。そういう意味では、そのような争いの結果死んでいった者たちの歴史が物理的に地球上に刻まれていたとしても、それはあくまでも魂の学びの残骸であり、それは宇宙的意思の下にあるということが浮かんできました。
そうすると、この歴史上の愚かしい者たち、愚かしいを生きた、もしくは演じた者たちも、宇宙の意思の下にそれを表現して終わった、ということであって、出来事に答えを出すのではなく、その背景にある想いに答えを求めるということで良いと思います。

SG:
私たちはいかなる状況においても、その中から何が生まれて来るのかを待っています。そしてそこに着目します。あなた方もそうあるべきです。

ジジ:
少し先への想いが繋がってきました。そういうことであるならば、どんなことがあろうとも、この道を生きることを貫き通し、そして出会ったことを存分に噛みしめて、生を全うするということです。一つ一つの出来事や地上の流れに惑わされないように。

SG:
そうです。どんな中においても決して汚れることのない、清らかな糸のような希望を紡いでいく。それが私たちに繋がる確かな歩みの証となるでしょう。

ジジ:
よくわかりました。そもそもそのような心掛けは持っておりますが、ついつい地上の物理的な刺激に出会うと余計なことを考えるものです。地球で生きることは、どうしても人の心を邪にするものですが、それに惑わされずに生きていくということですね。

SG:
その糸を紡いでいくことに集中することです。必ず縁のあるものを引き寄せて、そのことに集中することで人々が繋がり合う。そのことを忘れないでください。

ジジ:
今自らがやっていること、目的が明快になってきました。魂としての次の段階へ進みます。

(このとき、ジジのイメージには、空間に金色の細い糸が寄り添って、それが紡がれていく映像が浮かんでいました。)

SG:
縁のあるものは自ずと集まって来ます。

ジジ:
縁は物理性を超越し、混沌の中からでも繋がる者をふさわしく確実に引き寄せます。これからはそのことを意識の一番において進みます。
それがこの宇宙的理想を最終的に達成するための歩みになります。

SG:
皆で糸を紡いで待ちなさい。

ジジ:
皆でね。

SG:
一人一人が心の糸を光に向けていくこと。

ジジ:
縁あるものであるからこそ、それぞれの個性をその縁で絡ませて、太い絆にし、天に向かって、光の柱を立てるのです。

次の段階か。分かりました。これを世に発信するという事か。
それでここが特別だと言われていたのか・・。


この対話の後、それまで雨が降っていた空が突然晴れて、光が差しました。

 


『散骨式~自然へ還るセレモニー』より ~「解放」することの大切さ

木の花ファミリーを基盤として様々な社会貢献活動を行うNPO法人ぐりーんぐらすでは、毎年大晦日に、その年に亡くなった縁ある方々のご遺骨を人の手で丁寧に砕く粉骨式を行っています。そして年が明けると、『散骨式〜自然へ還るセレモニー』を開催し、粉骨されて小さな粒子となったご遺骨を、富士山麓の自然の中へとお還しします。

『散骨式〜自然へ還るセレモニー』にて 斎主による散骨式祝詞の奏上
散骨を希望する一人ひとりの手に、粉状になった遺骨を渡していきます
参加者は、思い思いの場所に遺骨を撒き、自然へ還します

2023年は、6人の方々のご遺骨を散骨しました。まるで春先のように暖かく澄み渡った空の下、生前には互いに見ず知らずの存在であった方々の遺骨を共に自然へお還しし、歌と舞の奉納が行われた後、ジジは以下のように挨拶をしました。

ナイジェリアの研修生から送られた民族衣装で挨拶をするジイジ

今日は、いつもながら天候に恵まれ、とても良い散骨式を執り行うことができました。
昨年、私たちとご縁のある6人の方が旅立たれ、今日はその方々のご遺骨を散骨させて頂きました。6人の方の中には、生前に私たちと関係の近かった方もいれば、遠かった方もいらっしゃいます。普通であればお互いに他人同士であった方々のご遺骨を、みんなで一緒に、自然へとお還ししました。この散骨式については、意味深いところがあり、そのことについて少しお話をさせて頂きます。

私たちの暮らす地球上には、命というものが溢れています。人間も、その中の一部です。命は必ず死を迎えますから、私たちもいずれ死を迎える時が来ます。しかし、命には、突然に死だけが訪れるわけではありません。死の前に、生まれるということがあるから、死を迎えることになるのです。
私たちは生まれると、その生まれた場所で頂いた縁を紡いでいきます。まず最初に、親を頂きます。いろんな事情の親を頂くわけですね。この世界に生まれてくる時に、差別ではないかというくらい、それぞれに個性的な縁を頂いて、いろいろな人生を歩み出します。しかしそれは、人間世界の話です。その前に、そもそも生命とはどういうものなのか、ということを考えてみたいと思います。

『太陽の導き』の奉納

今日、この散骨式で、『太陽の導き』という歌を、舞と共に披露させて頂きました。私たちはそもそも何ものなのかというと、太陽から来るエネルギーが転換して、私たちの命になっています。そして、地球上に地水火風空という自然の現象が寄り添い、命の循環が生まれます。その循環の中で、動物も、植物も、目には見えない微生物までもが育まれており、私たち人間も、その循環の中にあって生かされているはずなのです。
なぜこのような話をするのかというと、人間以外のものは、その循環の中で、自分の与えられた立場、そして自分の与えられた生き方の枠を守って生きています。現在もそうです。時代は21世紀になり、人間の社会ではどんどん進化・発展して豊かになることを追求していますが、人間以外の生き物は、地球上で何も変わらず生きているということです。そこで今、そういった命の原点を考えると、今の人間たちが地球上でしていることは何なのでしょうか。
去年、戦争が始まりましたね。あの戦争は仕掛けた側が悪いのかというと、それは私たち人間が創った社会の中で起きたわけです。その社会の一員である日本の現状はどうですか。日本は平和だと言いますが、現実にはたくさんの格差があり、学校に行けない子供や、引きこもりになって自殺する人たちまでいます。小中学校の先生の中にも、精神的な病気が原因で休暇を取る人が1万5千人を超えたそうです。学校だけでもうつ病の人がそれだけいるということは、うつ病になる予備軍は日本中にもっといるのです。これが豊かな国である日本の現状です。日本だけではありません。アメリカでは、つい3日ほど前に、6歳の男の子が口論をして先生をピストルで撃ったというニュースがありました。それが、人々が求めてきた豊かさの結果です。今の時代は、歪み乱れた世界が究極を迎えていると思うのです。現代の地球上に、そういった問題ごとを見付けることは、難しいことではなくなっています。

そこで改めて、この散骨式の意味について考えたいと思います。私たちがこの世界に生を受けたのは、お父さんとお母さんがいたからですが、その始まりには、何もありませんでした。その何もなかった存在がどこから来たのかということを、考えてみましょう。
まず、形として現れた。その時に、何かしらの定めを、既にそこで頂いているわけです。そして自然の仕組みの中で、太陽のエネルギーを頂き、地水火風空の循環の中で食べ物を頂いて、成長していきます。成長するとは、そのエネルギーを体に取り込むということです。そして取り込むだけでなく、排泄もします。排泄したものはどこへ行くのでしょう。それも自然に還っていきます。それを繰り返しながら成長し、やがて寿命を迎え、死に至ります。この循環から外れて生きることは、誰もできません。太陽が要らないとか、空気が要らないとか、水が要らないとか、そんな人はいないでしょう?大地のお世話になっていない人はいないでしょう?しかし、人間たちは、そのことを忘れてしまっているのが現状です。
今の時代を生きる人々は、お金をたくさん稼ぎ、好きなものを食べ、好きなことを何でもやれるのが豊かさであり、成功者であるとしていますが、それがいっぱいに広がっている世界は、自然から離れた世界です。大都会でこそそういった豊かさを享受できることになっていますが、生命としての原点を考えたら、それは本来の在り方とは真逆の世界です。このような価値観が人々に求められるようになったのは、産業革命以降のたった260年ほどのことですが、その僅かな期間の人間の行いによって、地球温暖化や様々な問題が起きています。すべて私たちがやったことです。それが何を意味するのかというと、人間は他の生き物とは違う行動をするようになった ——— つまり、「自分が」「自分の」と、自分というものを特定し、その自分に執着するようになったのです。

自分とは、一人ひとり個性的で、とても大切なものです。しかし、この自分という個性を自分のためだけに、或いは自分の身内のためだけに使うようになった結果、それが大きくなって、自分の国のためだけに、と、戦争にもなっていくのです。これが今の世の中を混乱させている根本原因であり、このまま進めば、いずれ人類を滅亡に導くかもしれません。
今日散骨させて頂いた遺骨に対しても、その人が生きている間はもちろんのこと、亡くなって骨になってからも、これが私のお父さんだ、お母さんだ、私の大切な人だ、と骨を見ます。そしてそれを、お墓や骨壺のように特定の器の中に閉じ込めます。それは、死というものを固定しているからです。固定したイメージを作り、器の中に閉じ込めているから、死は避けるもの、恐ろしいものだと思っている。それは絶対に通過するものであるはずなのに、そのような概念を作って閉じ込めている。しかし、お墓を持つとか、仏壇を持つという風習は、歴史的にはそんなに古い話ではないのです。

人間以外の命はすべて、自然の循環の中へ還っていきます。それは、自然から頂いた肉体的生命を循環の中で紡いでゆき、終わりを迎えたらまたお還しする、ということです。私たち人間も、同じです。では、魂はどこへ行くのでしょうか。それは、一人ひとりの心の位置に相応しい場所へ行きます。ですから、一律にどこへ行くということは言えません。しかし明らかに、魂の精神性は高い位置と低い位置があります。それはどのような違いがあるのかというと、日頃自分のことだけを考えている人は、自我の枠の中に心の位置があるわけです。自分のことばかりで枠が狭いですから、それだけ毎日枠の狭い命を表現していることになります。
枠が狭いと、循環から外れます。そうでしょう?すべてが繋がり、支え合って循環している中で、自分のことばかりになっているのですから。循環の中にいれば、それは流れの中にいるということですから、物事がスムーズに流れて順調に進みます。しかし、「自分だけ」という考えで一生懸命生きていると、一生懸命の分だけさらに流れが悪くなり、滞るのです。それは、自分にとって都合の良いご利益を求めてどこかへ拝んでも、良くなるものではありません。
この大いなる循環とはどのくらいのスケールなのかと言ったら、私たちは今、地球の循環の中に在ります。地球の循環と言いますが、実は地球が運営されているのは、太陽系があるから運営されています。太陽系が運営されるのは、銀河があるから運営されています。銀河が運営されるのは、銀河群があるからです。さらに、人間にはまだ分からない、銀河群よりさらに大きな宇宙の仕組みが、全体を運営しているのです。
その大いなる循環の中で、今日散骨した皆さんの遺骨も自然に還り、いずれ草木に吸われ、生き物に吸われ、炭素循環、窒素循環、いろいろな循環の中で、空気や土に還っていきます。そのように心を大きく広げていくと、今月のお給料がどれだけだったとか、自分の欲しいものが手に入ったとかいうことは、微々たることです。そんなことよりも、もっと大切な枠によってこの世界は動いているのです。

人間は社会を築き、それぞれにいろいろな人生をもらっていますが、それは修行ですね。何の修行かと言うと、自分の枠を取り払うために生きているということです。なぜなら、もともと「自分」という枠はなく、他のものが存在するから、その循環の中で生かされているのです。それなのに、人間はいつしか自らの枠を所有し、そこから離れられないようになっています。これが現代の、本当にどこを切っても問題だらけという社会を創っている一番の原因ですが、現代の人々の中で能力が高いとされる人ほど、そのことがわからないのです。
いずれ、このことを理解しないと社会が行き詰まる時代を迎えます。2012年12月21日に、私たちの世界は25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、昨年2022年12月22日の冬至を以って10年が経ちました。それは、人間たちが自我を膨らませることにとても熱心だった時代が終焉を迎え、次の時代が始まったということです。ですから、2012年12月21日以降、地球上での人間の振る舞いはうまくいかないようになりました。そこからさらに10年が経ったわけですから、さらにそれが明快になり、今、2023年を迎えているわけです。
今日は、普通であれば互いにご縁のなかった方々を、一緒に散骨して自然へお還ししました。自然に還すということは、何もなくなってしまうわけではないのですよ。自然という、ひとつの命の循環の中に還すのですから、今まで別々だったものが、ひとつに還るのです。つまり、まったく縁のなかったものたちが、本来の自分自身となってひとつになっていくのです。
太陽が自分自身だという人はいますか?太陽があるから自分がいるのでしょう?土もそうです。空気もそうです。空気が無かったら生きていけないでしょう?そのように考えたら、この世界は自分自身です。この世界が自分自身であるならば、自分はそこで何をするのかと言うと、生きて、この世界をひとつにするためのお返しをするのです。この世界が健全になるために。

今日は6人の方々の散骨をさせて頂きました。いずれ私たちが旅立つ時も、やはりひとつのところへ還るでしょう。私たちがこのような散骨式を行うのは、世界はひとつであり、みんなが助け合ってこの世界が成り立っていることを、理解しているからです。
今、人間たちはそのことを忘れてしまいました。自分の自我を表現し過ぎて、自我を叶えることが良いことだと錯覚してしまっているのです。しかし、生きることは、自我を手放すために生きているのです。それは、今までも、今も、そしてこれからも、ずっとそうです。自我を手放した状態で生きることは、世界に貢献します。そこで、「自分」という狭い枠に貢献しても、欲深い心が育つだけなのです。

そこで今朝、今年のテーマが降りてきました。それは「解放」です。何から解放されるのかと言うと、一番かわいくて、一番捨てられずに大事にしている「自分」からです。それから解放することが、自分を楽にさせます。そして、価値あるものにします。その自分は、欲深い心で争ってばかりいるこの世の中を良いものにしていきます。
地球はひとつです。ひとつの地球の中で、なぜいがみ合わなければならないのですか。みんな太陽の子どもですよ。みんな大地の子どもですよ。それなのに、どうして争うのですか。人間は今、自然の循環の中の弱肉強食とは違う、互いを貶め、つながりを断ち切ることで、自らの価値を落としているのです。

たったこれだけの規模の散骨式ですが、それは人類にとってとても大きな意味を持っています。特定の墓や骨壺に閉じ込めず、亡くなった人を解放してあげることが、魂にとってどれほど大切なことか。私たちはもっと大きな循環の中にいずれ還っていくのだということを、認識してください。
私たちは一人ひとり個性を与えられていますが、それを自我の枠の中で自分のためだけに使ってはいけません。この世界に命をもらったということは、生きて、この世界を健全にする役割をもらったということです。そしていつか役割を終えたら、「ありがとうございました」と言って、物理的なものはすべてお還しする。そうすると地上に未練がなくなりますから、魂は軽くなって上へ昇っていきます。いろんなものを抱え、未練を残せば残すほど、魂は重くなってなかなか上へ上がれないのです。これが生命の道理です。
来年もまた、こういった散骨式でご縁のある方々を送ることになるかと思いますが、この活動を世の中に広げていくことが、世の中を良くすることにつながっていくのです。

今日はとても良い日で、太陽がこのように暖かい陽を注いでくれているのも、「これをやりなさい」と恵まれたのだと思います。どうか、そういった大切な輪を広げていきましょう。本日は、ご縁のあった皆さまと散骨式を無事に執り行えたことを本当に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

 


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