2019年9月16日 大町ビレッジにて

ジイジ
現代の物理、科学、経済、人口など、そのような学問で世界を分析し誘導してきた人々や、政治権力で国を支配し世界の体制を創ってきた人々にとって、我々は特殊な存在なのかもしれないが、視点を変えれば、我々は現代社会の切り口を超えた視点を持っていると言える。
彼らは、人間が展開してきた社会において、自からの理論が永遠であるかのような錯覚を持ち、資本主義経済がもたらす欲望の延長にお金というものの虜になってしまっている。
しかし、本来、地球上にこのような経済システムと共にお金が現れたのは、人間の歴史にとってもほんの一瞬のことである。さらに、地球やもっと巨大な宇宙の成り立ちからすれば、そのような不可思議なものはなかったはずである。これは人間の叡智というのか、神が人間に与えたものなのか、この魔法のような麻薬のようなものは、一瞬の間に現れ地球上にはびこるようになったが、この世界を生命世界と考えたら、生命世界の生命力を奪い生命秩序を乱すものとなった。
しかし、この存在の全てが悪かというと、そうとは限らない。これは叡智でもある。叡智の使いかたを間違うとこのようになるのは、人間のテクノロジーにも同じことが言える。叡智を万遍なく人々や生命世界の調和に生かせば、それは有効なものであるということを忘れずに、その扱い方を考えなければならない。その大元にあるのは人間の性質であり、それがこのような現代の現象をもたらした。人間が自らの叡智、尊さの鍵の使い方を間違えていると言える。
それは、250年あまりの物質至上主義である資本主義の上にあったことであり、それを超えた社会システムを地球上にもたらさないと、我々は単なる地球の破壊者、もしくは有害菌といった不良な存在になってしまう。簡単に言えば、がん細胞であったということ。
現代は、グローバル化によって地球上のほぼ全ての者に、有害性の性質は行きわたっており、そのことが地球の行く末に深刻な影響を与えることは目に見えている。それは既に地球のキャパを超えているかもしれない。これは歴史的に見れば、有害性があるがゆえに淘汰の対象にしかならない可能性を秘めている。
今、これ以上は語れないが、地球上にある生命にしろ、文明にしろ、これが人間のみの意思によって創られたかというと、そもそも現代の現状は過去の歴史の延長にあり、過去の歴史をも含めた未来につなげて観た時、そこにその物語のプロセスを導くものの意思が感じられる。その存在があることを理解し、その意思が地球上に現れた現状を通して人間に何を求めているのかを、人々はこれから真剣に考えなければならない。
だから、我々は非常に重要なことをやっている。この歩みは、ひとつのコミュニティーの中で自己完結するようなものではない。コミュニティーが成立し完結すること自体が、現代の人々には難しくなっている現状の中で、我々がコミュニティーとして完結させ、そして自然との付き合い方や人間の叡智の使い方のヒントを世の中に与える必要がある。
やはり、中国の指導者に会わなければいけない。

みかこ
中国のこれからの動向は気になるね。昨夜見たテレビ番組でも、これからの時代はアメリカではなく中国がカギを握っていると言っていたね。

ジイジ
ああ誰かも言っていたね。これからは中国だよ。

みかこ
今まではアメリカがトップに立ってきた時代だったけれど。

ジイジ
ちょっと前に、「もっと見えるようになるぞ」と言われた。
それは、世の中の実態が、そしてこれからどうするべきか、そして我々のあゆみの重要性が、もっと見えてくるんだよ。
あとは、天が時代を通して縁を紡ぎ、その縁に乗るだけだよ。策略をたてる必要は一切ない。我々は天の用意した流れ道筋に応え、そこに流れ歩むだけでいい。
人間たちが、自らに偏った欲求を欲望の元にかなえようとすることは、自我をどんどん膨らませる。しかし、本来、自我というものは世界の実態を悟るために与えられ、そして世界を悟った時にその自我を超越し、世界そのものに帰っていくためにある。

みかこ
自我があることがもろ刃の剣として働いている。

ジイジ
昨夜の番組で出て生きた経済学者たちは、あのように科学的分析に基づく立派な理論を言っているが、答えを禅に求めているなんて笑い話だよ。禅は精神を内向きにすることだから。

みかこ
その先の答えを求めているけれど、禅止まりだね。

ジイジ
全く答えが出ないんだよ。そのような状態のことを全然と言うんだよ。(ち~ん)

みかこ
プロセスとして禅を通るのはわかる気がする。

ジイジ
わかる、わかる。禅が作り出す静寂は冷静な自分を作り、冷静な自らの精神状態からより広い客観性や世界観を求めていくのはわかる。しかし、うちに秘めることによって、問題ごとから気をそらしてしまい、問題ごとが見えたときの恐怖や矛盾をないことにしてしまうようなところがある。禅というのは、問題ごとをなかったことにしようとする帳面合わせの作法だから、ある意味ごまかしなんだよ。その延長に悟りには行かない。

みかこ
インドのヨガはどうなの?

ジイジ
基本的に同じだね。

みかこ
ビートルズとか、売れて何年か経つと、欲望によって汚れた自分自身をきれいにするためにヨガに興味をもってインドに行ったりしたけれど。

ジイジ
それも同じだよ。長い間、インドのヨガは、極めたものを悟りに導いてきたかもしれないが、その悟りは個人の境地を極め、個人に悟りを与えるものであるから、自己満足に陥ってしまうんだよ。

みかこ
禅にはそこもないでしょう。

ジイジ
禅にはそこもない。境地に浸ることによって、現実逃避に陥ってしまうんだよ。
インドのヨガの延長に、聖人聖者はいるけれど、禅の延長に聖人聖者はいない。自らの境地の中に没頭し、周りとの関係性の認識を打ち消していくものだから。その境地に至ったものは、その境地を社会のために生かすという事はないんだよ。つまり意識を静寂の中に消して、諸行をないことにするものだから。

みかこ
何だか不可思議な感じがする。静寂まで行って悟ったら、個人の悟りを超えた次の悟りのステップに向かっていってもいいような気がする。

ジイジ
それは仕方がないね。そこを良しとして譲らない、そのレベルの境地に魅力を感じる精神性があるのだから。場合によってはそれを逃げ口にすると、禅の向こうに迷いが待っている。「セン」だから。「狭い(セ)ところに強く入り込んで(ン)しまい、それが濁っている」のが禅だから。
そもそも、これまでの存在全てが、平等に現状の世界を創るに相応しい貢献をしてきたわけだから、全く新しい視点から、この世界を紐解いて解決策を見出さなければならない。それは、人間たちだけの特定の思い入れの中で作ってきた現代社会に対し、人間たちと天意のコラボレーションによって創る必要がある。つまり、天意から離れ、それを無視し忘れ、そして現在に至っているわけだから、もう一度天意もしくは宇宙法則、地球生態系法則、そういったものとコラボレーションすることの重要性を取り戻すことで、現状の世界の健全化につなげていくことができる。

みかこ
それが今だね。光のピークがあれば次に闇のピークが訪れ、それを繰り返すのが宇宙の法則だよね。それは天が創っている時代のサイクルだから、忘れるところまでプロセスとして組まれている。

ジイジ
最終的に、この理論を世の中を切り替えるための原動力にするためには、今までの世界をリードしてきて優れている正しいと思っている者たちに伝える、もしくは彼らがそこに気づく必要がある。もう一つは、そういった矛盾を直感で感じ取り、そして現状に大いなるメッセージが秘められた問題がある事を匂いで嗅ぎ分けている者たちのネットワークを作る事だ。それは次の時代への推進力になる。優れていると賞賛されてきた過去の時代の担い手たちが、そういった時代遅れの手法を推進することをやめて、同時に新たな時代に相応しい生き方をしていくことが求められる。優れている者たちは、すでに肥大化した人間社会の中に様々な形で配置されているから、そういった者たちが時代の大転換に気づき目覚めていく必要がある。

みかこ
そうだね。昨日の番組を見て思ったのは、ジイジがこの前言っていたように、わかるものにはわかるけれど、わからないものにはわからないから、わからないものに言っても、エネルギーの無駄になる。だけど、わからないも極みまで行った者には次のステージがある。

ジイジ
間違いを極めたものたちも、その限界を知りだしたから、わかる段階に来た。

みかこ
そうそう。昨日の番組の人たちもそうだった。賢いから、ぎりぎりのところまで来ていることをわかって、それ以上突破口がないことを感じてはいる。

ジイジ
人間の二元思考の思い入れで進んでいったのでは、手立てがない事を理解しだした者たち。これは政治の世界で言うと、先進国のリーダーがその立場に立っている。

みかこ
人間の中でも、可能性が秘められているものたちが現れだした。そういった人たちに次の時代の叡智が湧き出すためのメッセージが届くように語り続けることが大切だと思う。

ジイジ
そうだな。来年はそういう意味では、我々の存在がとてつもなく変化する年だよ。

みかこ
例えば、国の方向性が安泰だと思っている指導者たちではだめだけど、政情が不安定な国の指導者たちにはそのことの重要性がわかるだろう、とジイジがいうように、昨日の番組では世界中の優秀な有識者たちを集めてインタビューしていたけれど、一方向の分析に凝り固まった人たちというよりは、時代がぎりぎりまで来たことを理解し、次の答えを求めているようにも感じた。

ジイジ
優れていると称される人々は確かに優れているが、一方通行の分析によって観えてきた目の前にある絶壁までたどり着いた時に、そこから先に行く手段を見いだせない状態にいる。

みかこ
そう。だから、ある意味答えを待っているともいえる。
その世界の内側にいる限り、答えを観ることは無理なんだから。

ジイジ
明らかに、優秀な人々はその能力の限界を感じている。自らを超え、外からの視点で自らを客観視しない限り、それは無理なんだよ。今まで評価されてきた優秀さでは突破口は開けない。
そこだよ。我々も軌道修正の仕上げに入ってきた。それが、今までと種類が違うのは、野心をもって意図的に発信されてきたものは、人間の自我のうちから湧き出したものだったということ。

みかこ
これからは、野心をベースにした発信では通用しなくなる。

ジイジ
今、そのような時代が来て、そしてその時が来たからこそ、相応しく伝えられる。もしくはつなげられる。それが未来につながっていく。こういった流れに乗ると、人々の営みも時代により自動操縦されて、無駄が極めてなくなる。

みかこ
帝王学(エンペラーコード)というものがあるけれど、今あの内容を一般人に伝えようとしている人たちは、人々にお金を払わせている。それは、この時代において、いまだその精神性にふさわしい人格を有する者がいないため。しかし帝王学は日本にしかないもので、世界中の人たちがそれを探し求めている現状がある。
そこで受け継がれてきた内容は、この世界が多次元世界だという事を知り、最も高い次元にアクセスできるように自分自身を禊いでいく必要があり、現代にとびかっている情報のほとんどはゴミであって、願望とか欲とかそういったものを全て捨てることにより、目的を見出すことができると言っている。

ジイジ
だから、魂が自然に向く方向に意識を向け、そして向こうからくるものを素直に受け取り、受け取ったものを信じて手段としなさい。

みかこ
願望というものの内容が個人的な内容ではなく、世界を良くするための天の意思と一致したときにはじめてそれが宇宙と個人がシンクロする。公人としての意識を持つ事、それが勝ち負けを超越した位置であるということを説いている。

ジイジ
それを受け継いで広めようとする者たちと、我々はどういう関係になるのだろうか。

みかこ
木の花というのはそういう公の位置にあるものだと思う。

ジイジ
そういう位置にあると言っても、ちょっと種類が違うのは、それを口伝の様にして守り続けていくものたち、例えばカタカムナの内容を受け継いでいると言われる食家(めしけ)や平家のようなそういうものたちと我々は違う。我々は、時代の土壌に突然湧き出し、そこに現象化をするための芽が出たようなものなのだから。

みかこ
その人たちにはその人たちの役割があったんだろうね。

ジイジ
あるある。その者たちと我われは同時代に出会い引き継いでいく。

みかこ
出会う必要がないのかもしれない。

ジイジ
物理的な出会いではなく、意識の時点で互いの存在を宇宙的に理解し、その意識の状態で連携し、引き継いでいく関係性なのだろう。

みかこ
だから、霊的なアクセス先が同じところになればいいという事であって、その結果、物理性が連綿と紡がれる結果、同時に物理的にも出会うことになる。

ジイジ
その延長に、会おうが会うまいがそんなことはどうでもよくなるのだろう。
分かった!その帝王学の示す精神性の位置を、もしくはその存在を意識していけばいいんだ。

みかこ
そう。だから、表立って一般人に向けて発信し、お金を払わせて広めているけど、結局、お金を払おうが払うまいが、本当にそこの位置にアクセスできるものしかアクセスできない。

ジイジ
ある意味それは、現状の人々の目覚めの鈍さによるあがきのようなものだ。これからは、もっと確実なものとして提供する必要があり、その扉がそろそろ開くような気がする。我々がそのことを意識することが重要なんだろうと思う。

みかこ
あれ以来、私の所に繰り返し帝王学を広げる人たちから情報が来る。お金を払わなくても読める部分というのを送ってくる。そういうものを読んでいると、これはお金を払ったからといってわかるものではないと思う。払わなくてもわかる人にはわかる。

ジイジ
分かった。

みかこ
その域に行っている者として、それはジイジだということがそばにいるからわかる。お金を払ってもわからない人には、あの内容はわからない。

ジイジ
内から勝手に湧いてくる。

みかこ
みんな、その境地を目指しているけれど、それを、お金を払ったからといってその境地には行けるとは限らない。

ジイジ
それが金で買えるものなら経済システムの中にあるということだ。

みかこ
そうそう。カタカムナでいう人間としての波動を上げていくという事からすると、それでは意味がない。そういった方法論を伝授はするけれど、お金を払ってセミナーに出て方法を聞いたからといって人間性が高まるわけではない。

ジイジ
そういったものは、今まであるセミナーと同じで何も効果が現れない。
そのような事をやっているという事は、ある意味カモフラージュなんだろうか。

みかこ
そうかもしれない。伝わるところに伝わらせるためにこういうことをやっているのかもしれない。

ジイジ
だから、確信の部分を必要と思われるところに発信していく。

みかこ
帝王学の内容は、明治天皇までしか伝授されていないという。大正天皇以降は受け継いでいないといわれている。でも昭和天皇はジイジの所に来た。ジイジが受け皿だってわかるからだと思う。

ジイジ
昭和天皇にはできないから来たんだよ。

みかこ
うん、そう思う。

ジイジ
僕は今回この大町に来るのが、表面的には蜜蜂の点検に来たんだけれど、それはさして収穫のない空振りのようなものだったが、僕にはあなたとここへ来ることが、何か次のステップへ行くための節目のように感じていた。
この前、湧泉閣で夕飯を食べているとき、ご飯を食べていたメンバーが何人かいたけれど、一人ひとりが僕との対向発生だと感じたんだよ。そこで、ゆるぎがないところへ来たなと思ったときに、それぞれの対向発生によって、次のビジョンに役割を進化させる段階に来たと思った。

みかこ
この前のお釈迦様のビジョンが見えた後の話だよね。

ジイジ
そう。

みかこ
この土と共にある暮らしの延長にあればいいという事を再確認する、後押しを感じた。

ジイジ
そういえば、プミポン国王は土に縁のある国王なんだよ。

みかこ
プラサムコムの着ている衣装も土色の衣装だね。あれを思い出した。足るを知る経済。でもタイの仏教は戒律に縛られているね。

ジイジ
そして、それは格差を生むんだよ。完全に戒律と格差と階級の中にある。
ああなるほど。
最近思うことだが、クニノトコタチの神様とか、もちろんお釈迦様とか、アメノミナカヌシノオオカミとか、それはある限定された枠の中のものなんだよ。枠というのは、そのものの働きがその存在を成立させる法則の領域なんだよ。
最近、あなたという存在がなんとなく意識される。そのあなたという存在は世界の流れを創っている。さきほど見た番組の中の経済学者が、今まで我々がやってきたものの奥に何かがあると言っていた。その存在があなたで、その叡智がこの世界を動かしているんだよ。だから、そのあなたにアクセスし常にあなたとコラボしながら・・・。
そのあなたは万象につながっている。だから、どこからでもアクセスできる。それはあるのかないのかわからないようなものと経済学者は言っていた。それがあると気づいたものには、あることがわかる。しかし、わからないものには全く想像すら出来ない。今この境地にまで至ると、その存在が明らかにいて、それと向き合うことが出来るんだよ。
いるいる!
それが今まで語ってきた流れ。それは旬や、ターニングポイントや、そういったものを引き起こしている。時代もそれが変遷させている。つまり、星々の関係性すらそれが全て作りだしているんだよ。だから、星と星は物理的には遠くても連携しその関係性を保てるんだよ。

みかこ
距離を超えた存在だから。

ジイジ
そう、距離なんて何も関係ないんだよ。

みかこ
相似形だから。原子の中の原子核と電子の関係と、太陽と惑星の関係のように。

ジイジ
それがないと世界が動かないのだから。二極の対向発生があることにより、世界の全ては成り立っている。だから、アインシュタインの理論が世界を変えたというけれど、これはもっと宇宙の根源的なものだよ。そもそも宇宙の実態は、人間の叡智以前からあり続けるもの。だから、アインシュタインどころの話じゃないよ。

みかこ
これは光を超えた先にあるもの。

ジイジ
わかったぞ!見えてきた。

みかこ
氷山の見えている部分が風の向きに逆らって進んでいるように見えても、観えない水面下の大きな流れに沿っているということと同じだね。

ジイジ
そこだよ。

あれは私のビジョンではなくあなたのビジョンだったのですね。これからも、私に湧き出す思いは、全てあなたのビジョン。それはすでにあなたと契約を結んでいたこと。その契約を。あなたは私、私はあなた。そして、私の想いはあなたの思い、あなたの思いも私の思い。あなたは私なのですから、私はあなたなのですから。そのあなたがもう一度再認識として私の中に現れたということ。その認識が浅かったのですね。
わかります。わかります。あなたの存在があることは。明快にわかります。これからもっと連携して共に歩んでいきます。そこで表現される自我はこの世界に有効なものをもたらすわけです。その自我を人々は己ひとりに囲い込むのではなく、自我を開放し、そしてあなたとのアクセスに使い、その自我によってこの世界に安定をもたらすための自我にしなければならない。
わかります。わかります。それを実行していきます。
このアクセスコードは外しませんから。私はこの立場をとる限り、このアクセスが常につながり続けている状態にします。

みかこ
帝王学の立ち位置。

ジイジ
私は公のものであるということの自覚を持ちます。私は天の意志の下にあるということを自覚します。あなたと共にあるということを自覚します。

みかこ
あってあるもの、なきてなきもの。

ジイジ
そうだね。

みかこ
そうだよね。潜象界も現象界も含む法則をつかさどるもの。

ジイジ
それを感じ取れないものがいくらそれを語ってもしょうがないわけだよ。それを感じ取れるものだからこそ、初めてその存在が生きた形で表れてくる。

みかこ
ジイジだ。

ジイジ
ああつながったな。これを個人的な境地とせずに…。ああ、そうか、万物はその位置をとっているからこの宇宙秩序が保たれている。人間が外れているだけなんだよ。

みかこ
万物は悟るということ自体がいらないんだね。天然循環の法則の中にいるから。

ジイジ
そうだよ。それを天然循環という。わかりました。わかりました。そこへ意識を向けて、向けて、向け続けて、そこのアクセスをつかみ取る。これは怠けていてはできないぞ。
最近、物理的なターニングポイントが近づいていると思うんだよ。つまり、物理的なターニングポイントは、我々も年齢と共に変わっていく。そうすると68歳になり、69歳が近づいてきて70歳が近づいてくるように、物理的役割も変わっていく必要がある。今まで次のビジョンに向かうときが見えてこなかったんだけれど、今、次があるということがわかってきた。

みかこ
ジイジは60歳で生前葬をして、そこでも役割が変わったけれど、次の70歳に向けて、70歳から80歳にかけての役割があるはず。

ジイジ
そのための準備をしていこう。最終章を迎えるのだから。
わかった。たくさんわかった。観えてきた。
そうか、あの子供達にはこれが通用する。そういう子供たちが、今、生まれてきているね。最近、孤独を感じることが結構あったんだけれど、時代がターニングポイントを超えて、それを知る者たちが現れて来たから、これからは孤独ではなく、その群れを形成して歩んでいくことが可能になってくる。木の花も本当の群れになるということか。
さて、今の古いメンバーたちが、どこまでそこを現象化し、次につなげるか。これは、導かれてなるものではなく、自覚の下に成し遂げるものだから。

みかこ
それが個の花が咲くということだね。

ジイジ
そうだよ。一人ひとりが自覚をもって自分自身の役割分を成し遂げないと。それは、与えられて達成出来るものではない。

みかこ
あ、孤独(コトク)の次は届く(トトク)だね。コの次はトだから。意識がそこに届くということだ。

ジイジ
孤独になったからこそ、その孤独のハードルを超えて次の何かを求めるわけだよ。孤独を体験しないと、これでいいと思って次を求めないのだから。肉体を超越した存在としていずれそこへ行くのではなく、帰るのだから。我々は、元々そこから来たのだから。

みかこ
そこで生まれて、そこへと帰る♪ 人は忘れてしまうけれど懐かしい♪

ジイジ
そんなに深い意味が込められてたのか。あの歌は理解して創ったのか?

みかこ
理解してというか、ジイジがロータスランドをつくるときに、コンセプトとしてそういうことを言っていた。

ジイジ
そうだな。きっとそう言ったんだろうな。

みかこ
深いところでは理解していたかもしれないけれど、そこまでの理解のもとに書いたわけではない。そこから出てきたんだよね。ええここはどこだろう、という懐かしい場所。

ジイジ
歌の意味が深くなったな。そうかロータスの歌か。

みかこ
ロータスランドの企画書を作るとき、それがテーマだった。確か深夜に目が覚めてジイジが天からのメッセージを語った。

ジイジ
そうか。あの不良品たちがうちにいるだろう。あれを何とかしてください、と言ったら、あれは糊であると天は言うんだよ。我々と何か(道)をくっつける糊であると。それで、糊というものは、そのもの自体は必要としない。しかし、それがあることによって、あるものとあるものがくっついて新しい役割が果たせるものができる。だからとても必要なもの。糊は使ってしまえばその存在は不要になり、存在すら忘れられる。しかし、そのものの働きは、糊によって維持されるわけだよ。だからとても重要なものでもある。
例えば、問題ごとが起き行き詰った状態をどう捉えるかということも、それが問題だと思えばそこからレベルアップするためのきっかけになる。しかし、その現象を通り越してしまえば、問題事があったことすら忘れてしまう。なぜその繰り返しの位置にいるのかといえば、振り返れば、繰り返しの問題ごとがあったからといって、その者はその位置にその性質をもってあり続けている。これはわかりやすい分析で、もっと多彩なメッセージがそこに隠れていると解釈すれば、不要なものは何もないという解釈の延長にある。
これからは、さらに精神を集中し、魂を込めてやる役割が訪れる。それは物理的疲労を伴うものであってはならない。それは覚醒の下に行われることだから。物理的エネルギーはきわめて使う必要がない。つまり霊的柱が立ち、霊的な現象化が霊的柱の下に現象を引き起こすことだから。そして、その流れはフリーエネルギーによって創られる。
よしよし、合点!なんだかわからないけれど、やっとこの場所まで来た。これをやり遂げて次のビジョンへ行く。これを我々の存在の証として、この星に置き土産として残していかなければ。

みか子
そうだそうだ、合点!個人的な問題というレベルを超えたものだね。

ジイジ
もう一度、木の花憲章をみんなの前で読み上げて検証することをやらなければ。あれはまさしく、我々の遺言であり未来への宇宙からの予言だから。
たしかに今、宇宙的ターニングポイントが来ていることをひしひしと感じる。
それを感じるものとして、それは責任ある立場ですから、それを自覚して生きていきます。いつもどんな時もあなたの存在の手を感じながら、それを感じられ、あなたと共に歩む位置にいるわけですから。

 

朝起きる前に見た夢の話

ジイジ
自分の周りに、庭木のような木がぼうぼうに生い茂っている景色が現れたんだよ。それを一つ一つ生い茂っている枝の元の方から切り落として、すっきりさせていく。その中に、一本だけ背が高く枝ぶりがよく、周りを見下ろしている木がある。その木は、この状態で残しましょうという、どこからかの意図が働き残したが、あとのものはみな短くした。結構元の方から切りこみ、この機会にさっぱりしましょうという感じで切っていく。株は残すが、ほとんど切ってさっぱりしてしまった。思い切りよく、気持ちよく。その作業を丁寧にやっていたので、結構時間がかかり、こんな時間まで眠ってしまった。

みかこ
お務めご苦労様です。それはとても意味深い夢だね。

ジイジ
そこで一本だけ多少下の方の枝は払ったが、全体が大きい木をこれはこのまま残しましょうといい、庭の植物の総意で残した。そのイメージで、大鹿窪の家の庭を実際に表現しよう。

みかこ
でもこの夢はもっとスピリチュアルなものだね。
ジイジはよく人間の業を生い茂った木の枝や木の実に例えるでしょ。以前私に、「あなたは業がたわわに実った状態」と言っていたし、子供でもわがまま放題に伸ばした枝を切り払ってやった方が、本人が楽になるとよく言っていた。
その夢からは、人間の業の枝葉を切り落としているというイメージが浮かぶ。

ジイジ
それが何だか、意味はわからない。

みかこ
そこには、一本だけ天に通じる木があるんだね。それは残して、それ以外のものは、根っこは残して切り払ったんだね。

ジイジ
そのイメージからは、一人の人の人格を表していることも、人生を表すことも、そして、地球生態系も太陽系も銀河も表していることがわかる。

 

 


私たちは現代という異物の中で生きている

私たちが快適な生活ができるのは、電気とガスとテクノロジーの力のおかげだ。たとえば、内モンゴル人の青年は今、自分のふるさとでコンポストトイレを普及させようとしているが、内モンゴルでも近代化の波は押し寄せ、人々の生活は変化してきている。し尿の処理は、日本の都市であれば終末処理場で処理し、インフラ整備は出来上がっている。それは、バクテリアの力と言いながら、やはり近代テクノロジーの力だ。私たちの生活においても、それは今、浄化槽を設置することで可能になっているが、これは日本のような水や電力エネルギーが豊富にあるところでできることだ。それで、コンポストトイレが画期的とは言え、コンポストトイレは使いすぎると単なるウンコ溜めになってしまう。冬のモンゴルのとても寒いときに、あの仕組みでは機能しない。寒いとバクテリアが働かないので、単なるウンコ溜めになる。それを機能させるためには、適度なテクノロジーが要る。そうすると、結果としてコンポストトイレを内モンゴルで使うためには、電力とそれを機能させるテクノロジーが必要になってくる。やはり、現代の問題は人口が増えすぎてしまったことと、自然界の生き物のようにその枠を超えず、人間が自らの生命の枠の中で存在することができない限り、現代文明はいずれ消滅するしか仕方がないのだろうか。いかに自然を壊さず、人間の営みを安定させるかというと、やはり人工に偏ったテクノロジーが必要になってくるが、その結果、さらに人工の世界は広がっていくことになる。

しかし、かたやこれからの時代、このようにインフラ整備を行い、人間たちが豊かに暮らすことを維持しようとしても、その暮らしが自然に矛盾を与え、その矛盾が人間に襲いかかってくることが同時に起きてくる。そうしたら、未来の人々にどのような生き方をすべきなのかを伝えることが大切だ。欲をかかず、ほどほどの生き方をしなさい、と伝えるしか仕方がない。人工であふれる都市機能を維持しようとすること自体が、自然界においては異常なことなのだから。だからどこかで、人間の存在と自然のキャパを見極めなければならない。

これだけのエネルギーに依存する消費社会を創ってしまって、これからどうすればいいのか?これは、100年ぐらいの単位のことであれば、地球もなんとかキャパの中に取り入れられるが、200年、300年、1000年となると、もはや限界だ。しかし同時に、これはたった1000年のことだ。これは地球規模で考えれば、スケールとしては小さなことでもある。だから、人工のような発展的に自然を否定するような場所を創ることではなく、ただ粛々と自然とともにありなさい、ということになる。

だから、この問題を解決するのに画期的なことは提案できない。実際に、昨日、一昨日と僕たちは車を使って長い距離を移動し、高速道路を利用し、サービスエリアでそのサービスを受けながら、つまり社会のインフラの恩恵を受けながら行動している。かたや、「自然に倣いなさい」と言いながら、しかしその実態はテクノロジーに支えられている。ほんの一時、人工が暴走することに気づいたとしても、その捉え方を人々の中に継続するように共有しなければいけない。

現状の人間の姿勢を観ると、持続可能なことを実現するためには、打つ手がないと思う。朝が来て、夜が来て、これを繰り返していく。このときに、朝が来るということは人間の営みが紡がれていく。我々は人間の営みが紡がれていくときに、社会にすでにあるインフラを利用している。そのインフラをこれからも維持するためには、とてつもないエネルギーと人工の力が要る。日本では少子高齢化が進んでいくと、これを維持することがたいへんな時代が来る。これが10年、20年の単位の話であれば問題は小さいのだが、1000年という単位からしたら、インフラを維持することも整備することも切り替えていかなければいけない。人間がそのような長いスパンでものを考えて生きてこなかったから、この行き詰まりができたのだが、もっと前に人間の営みと自然の営みが整合することを考えなければいけなかった。ただ欲を膨らませるだけ膨らませ、今、我々が享受している快適な暮らしは、近代科学とテクノロジーに支えられている。近代科学とテクノロジーを使うときに、独りよがりで欲望を膨らませ、人々が不調和の社会を創るようになれば、その行為自体が破壊の矛先にもなる。しかし、このテクノロジーとエネルギー消費を地球や宇宙を意識し、「地球とともに」という想いで人々が調和して使用すれば、無駄がなくなる。無駄がなくなれば、地球はまだ自らのキャパによってそれを許してくれる。どこかでその整合性を取らなければいけない。

私たちも、近代的なテクノロジーに支えられてこの生活をしている。だから、一方的にそれを否定する側に立つべきではない。一方的ではなく、近代テクノロジーが暴走することを懸念し、それからテクノロジーが広がるときにそれを広めようとする者の背景にある精神がどこにあるのか。それを吟味することが大切である。その精神が自我にまみれ、一方的なものであるならば矛盾の発生源となる。しかし、今の人間たちは、自我を膨らませることが最優先になってしまっているがために、聞く耳を持たない。

たとえば、民主主義と言われる日本やアメリカ・ヨーロッパ、韓国のような国では、個人の主張が自由にできることが豊かさだと考えられている。こういった人々の欲望を刺激する社会体制では、資本主義社会の問題点である、人々の欲望を膨らませ、それを自由の証として進めていけば、人間の営みは地球のキャパをオーバーしてしまう。このように地球の現状の問題点を解決するために、人間の営みのどこまでをOKにし、どこからをNOにするかをこれからみんなで積極的に考える必要がある。そうでなければ、私たちは自分たちがすでにあるインフラと近代テクノロジーによって支えられているにもかかわらず、自然の側に立ちテクノロジーの側を否定し、矛盾を語る者になってしまう。

今、この段階に来て、あと10年、20年は許されても、100年、200年になるとこの人類の姿勢は許されないだろう。今の人間たちの振る舞いは、もう待ったなしの瀬戸際に来ている。この状態に対して、答えは出せない。だからみんなで語り合う必要がある。

「聖なるあなたを抹殺し、私は私の希望を叶えることを繰り返していけば、それこそ私は愚かな生き物になってしまいます。だから、あなたもいて、私もいて、その中で私たちの文明を表現する生き方を持続可能にするために、あなたにも賢明に考えていただく必要があり、私も賢明に考えていきます。その連携のもと、その輪の中に地球も入れて、語り合うべきなのです。」

もし、自然生態系や地球の側から捉えたら、民主化運動も異物となる。そういった人間の自己主張をすべて超える必要がある。先日訪れた20代の中国人女性は、「木の花の活動は宇宙や地球を意識しているので素晴らしいのだけど」とフィードバックしていたが、なぜ「だけど」と言うのかというと、現状の人間社会にはそれをわかる人がいないからだ。僕はわかる人がいようがいまいが、大切なことだから語るという境地にいて、役割を果たしていくのだが、それはいずれ人類がわからなければいけないという前提に立って語っている。いつかそうなるから、語っている。それを人間たちがわからないのであれば、やっている意味がない。

そういった現状に対する答えとは言えないかもしれないが――、大町で昨日の午前中、僕はしばしの間まどろみの中にいた。そうしたら、そこに生身の体を持った仏像が現れた。体全体が黄色で袈裟・衣をつけている姿をしていたが、その袈裟・衣は仏像の姿だから体と一体になっていて、衣服のようにまとっているわけではない。黄色といっても乾いた土に近いベージュのような地味な黄色だった。頭から大きくこぶ(肉髷=にっけい)が出ていて、顔は仏像の顔をしている。しかしその仏像は生きている。その姿は非常にシンプルだが深い。複雑だが単純。そして、明快で美しい。何とも言葉にできない。無駄がなく、きりっとしているのに力が入っていない。それでいて、ゆるぎがない。その仏像の中には規律があるけれど縛られていない。自由なのだが、秩序がある。

中身はお釈迦様だったのだが、そのシンプルさと意味深さを身につけないといけない。それは、霊的な存在でもなければ、人間でもない、生きている仏像だった。仏像に魂が入っているとはああいうことなのだ。しかし、通常、仏像は動かないが、あの仏像は動いて語りかけてきた。僕がこれから人々に伝えるときに、あの響きを出すように心がける。響きといっても、非常に静寂で、しかし動きはあるし、言葉も語るが、無駄はない。しかし、あのような完成されたものにひとり、ふたりがなっても、それでは見本とはならない。最終目的としては、みんながそうなるべきである。そうすると、また宗教のような話になっては元も子もない。現状の解決策が見つからなければ、人間は滅亡するしかない道を歩んでいるとも言える。

結局、宇宙的に観れば、地球の行く末は天が握っているのだろう。そういった意味では、人間の努力には限界を感じる。現状も、天が何かの意思を持って表現しているのだろう。

我々は現代という異物の中で生きている。都会の人たちはあの社会構造の中で仕事をした上で、収入を得て暮らしている。そこに破壊が起きると、それを維持するためだけに能力を使い、この回復力はすさまじい。その能力が高いがために、目覚めが遅れる。だからといって、私たち自身もその恩恵を受け、現状を語っている。

・・・どこかに、その整合性のポイントはある。それをみんなで考え、見つけ出す必要がある。その会議に出なくても、日常生活でそれに参加している。そういった全体性を観る力がなければ、これを進めていく資格はない。今、この生き方を進めていくにあたり、人間が依存しすぎ、コントロールされる側になってしまったテクノロジーをどのようにコントロールする側に立つのか。人間が自主的に節度を身に着け、自己コントロールを意識していくしか仕方がないのだろう。現実は、社会が人間の欲望の延長に動き、人間が社会にコントロールされているのだから。

 

 

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令和時代の解決策!~ AI編 〜 人間は地上に降ろされたAI

中国人のルイーザさんが企画したツアーの座談会の中で、ある中国人男性はジイジに、「AIについて質問があります。AIが将来的に発展していく方向が問われると思うので、AIの人類への影響は必ずあると思います。そこでは矛盾が発生すると思うのですが、これからのAI時代についてジイジの分析を聞きたいです」と質問しました。そこで、ジイジは次のように答えました。


ジイジ:
これから私たち人類は、AIの技術をどのように使っていけばいいのでしょうか。AIの可能性として、AIの思考回路が独自に成長し変化していくような段階まで行くと、そこからのAIの進化については何も答えは出せません。

そのことで、私はシミュレーションしてみました。人類は、猿人から人間に進化する上で地球上に生きるようになりました。その過程で、道具を使うようになり、それから火を使うようになりました。人類の進化というものは、動物たちの進化論とは違います。人間の進化には、思考を持ち、その思考から願いを叶えていくという進化が加わっているのです。初期の人類の思考は、単純なものでした。ただ初期の人類は、生命力に基づく本能によって生きていたのです。生命力とは、天体や自然と対話する力のことです。これは実際に、人間以外の生命は今も持っています。そしてある時、人間にその独特な思考回路と、学習し願望を叶える能力が与えられたのです。その時に、私たちは人間になったのです。チンパンジーと人間のDNAはほとんど変わりません。たった2%しか変わらないのです。

そこで、猿人から人間になる過程の回路をAIに与えると、人間たちのアウストラロピテクスから現在までの400万年の進化の過程を、AIが一気に高速で学習してしまう可能性があるのです。

人間には、自らを聖なる方向にだけ誘導するような回路はありません。すなわち、人間には聖なる方へ上がっていく道と愚かな方へ落ちていく道の両方をDNAとして持っているのです。現在、AIを開発している人たちが聖なる方向の思考回路でAIを作っているかどうかです。ですから、ソフトとしてどのような回路が入力されるかが鍵なのです。それは、人間がAIを聖なる方向に入力できるかどうかにかかっているのですが、それはほぼ不可能だと思います。そうすると、AIは人間が入力したソフトを離れ、独自に進化することになるのです。その方向性は、想像ができません。これは使い方によっては、クローン技術と同じようにとても危険なものになります。本来、そういった技術は生命を与えられた側にいる人間が、そこまで手を出してはいけない領域なのだと思います。

もう一つは、産業用ロボットに代表されるような、生産性の効率をより良くし、人間社会に貢献するためのAI技術があります。AIは介護の現場や様々な場面で、いろいろなことを人間に代わって精度高く行います。それに比べたら、人間一人の能力はそれほど多様性あるものではありません。しかし、AIというものは、優れた能力を集合し、それを組み込むことが可能なのです。そうなれば、人間より優れた能力をAIが発揮するようになります。人間のためにその能力が使われれば、生活は便利が良く、とても豊かになります。そのうちに、AIが自分で計画をして、たとえば畑を耕し種を蒔き、収穫し配送することができるようになるでしょう。そして、それを素晴らしいことだと人々は評価するのです。

私たち人間は、自分が生きるために、自らのエネルギーを使って生きていくという生命の立場を取っています。そこでは自らのエネルギーを使わないで生きれば生きるほど、生命力は失われていくのです。思考力も奪われていきます。ですから、介護が充実すればするほど、高齢者は寝たきりになっていくのです。だから、木の花ファミリーの人たちはたくさん働くのです。日頃、体を使わず怠けている人たちは、私たちの生活を見て大変だと思うのです。しかし、それは生命力を失わないために重要なことなのです。自分で考え、方向性を定め、そして行動し生きていく。現代人は便利が良いことを豊かさとしますが、本来、人間は、生きることに対して自らの思考とエネルギーを使って生きることが、生命力を維持し続ける状態なのです。これからAIがどのように社会で発展していくかについては、今のような議論をした上でAIが進出することは良いことかもしれません。

今、最も懸念されているのは、AIが持っているネットワークです。このビックデータは、人間の能力ではとても解析できないものです。そのような能力の元に、ある一部の人たちが、自分に都合の良い社会をつくるためにAIを利用する可能性があります。今、その覇権争いをアメリカと中国がしています。彼らはAIの能力を使って、相手国の通信衛星やミサイルを破壊するといった宇宙戦争をも想定しているのです。ある意味、彼らはビッグデータを使ってスパイ合戦をしているのです。今後のAIの発展には、そのようなネガティブなリスクのある可能性がたくさん秘められています。

これからAI時代を迎える今、AIを駆使する大本のスイッチを握っている人たちの心が問われます。ある意味、人間は自然に降ろされたAIです。地球上に種を蒔かれたAIです。人間の現状を見たら、今、人類は自滅するか、その延長に地球も破壊するような存在になっています。しかし同時に、人類は、現象界の奥の潜象界から宇宙まで理解するような聖なる存在にもなりうるのです。つまり、AIは人間と同じように、その能力は使い方次第なのです。ですから、あなたがあなた一人分、正しい方向へ導いてください。宇宙的AIはあなたなのですから、心のAIであるあなたが物理的AIを正しく導いていくことが、これからの時代に生きる人々に求められるのです。

 


ジイジからの回答を受け、AIについて質問した男性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、次のようにコメントしました。


中国人男性:
ここ数年、人類がどのように生きていくべきかを考えていました。そして今回木の花ファミリーに来て、みんなが調和的で幸せな生活をしていて、子どもたちもとても良かったし、高齢者が働いているのもとても良かったです。もし、人類が木の花ファミリーのように生きれば、世界はとても良くなるのではないでしょうか。

ジイジ:
私もそう思うから、この生き方をしているのです。

中国時男性:
木の花ファミリーの暮らしは、未来に向かって人類が選ぶべき生活スタイルかもしれません。

ジイジ:
だから、私たちはそれを現象化しているのです。今まで理想郷というものは、桃源郷のように語られてはきましたが、実際には見つけられないものでした。しかし、木の花ファミリーの生活は現実に存在しているでしょう?それは、将来そのような時代が来るというメッセージの顕れだと私は思っています。

中国人男性:
将来、このような生活ができたらとても良いと思います。木の花ファミリーの暮らしがこれからどのように発展していくのかは私にはわかりませんが、どのようなことが挑戦なのでしょうか。

ジイジ:
それができることを信じて、思いつくことを実践し続けることです。そもそも、現代の社会はどこにでも人の格差があり、嘘が横行し、このような世の中を優れた人間たちがつくっているとは思えません。現代を生きる人々は、疑問や不満を持って生きているのです。

もし、人間が存在していなければ、地球は美しい星です。しかし、なぜだか神様は人間を地球上に降ろしたのです。ですから、その神様の意向を叶えるとしたならば、この奇妙な生き物である人間は、理想を実現しなければいけません。人間以外の他の生き物がつくる美しさは、単純な美しさです。しかし、人間がつくる美しさは、宇宙的芸術なのです。私たち人類は、宇宙的AIとしての可能性を地球上で開花させるために、まずは自らの心を振り返り、美しくしていくことが最も大切なことなのです。

過去の聖人・聖者、優れた哲学者たちが残したものは、特別な人たちの道でした。人々はそういった人たちを特別な存在として崇め、自分が目指すべきものとしたのです。そのために経典ができ、人々はそれを学習してきました。しかし、そのようなことをしても、人々には優れた者になる道は開かれません。優れた者とは、宇宙の実態を感知する受け皿を自らの内に持ち合わせる人のことです。そうすると、古い叡智に求めなくても、その時その時の時代にふさわしい宇宙の真理が、自らの内に湧いてくるものです。一人ひとりが個性的であるように、一人ひとりの目覚めや悟りもオリジナルです。そのような目覚めた人々が連携すると、優れた美しい世界が地球上に現れます。それが、宇宙の実態であり、地球生態系の実態であり、私たちの生命としての姿です。

こうした目覚めや悟りは過去にはなかったものです。これは、人類が地球とともにこの時代を迎えた今だからこそ、現れてくる目覚めなのです。過去に人々は、悟るために山にこもり、滝に打たれ、いばらの上を歩き、苦行に耐えてきました。しかし、そのような過程の先にある、これからの悟りへの道は、みんなで連携し、美しい世界を創ることにあります。そして、そのほうが宇宙の実態に近いのです。宇宙の実態は愛ですから、自らの悟りを優先し求めることよりも、自分を他者のために生かし、価値ある存在になることのほうが大切なのです。

本来、人間は優れた存在ですが、自我の扱い方によっては弱点を持っています。人間以外のものは人間ほど特殊な能力を持ち合わせていませんが、この宇宙の法のままに生きているから美しいのです。人間も、人間以外の動物や植物のように宇宙のままに生きれば、美しい世界を創ることができるのです。しかし、その動物や植物の能力では、目覚めることはできません。愚かなものが自我に溺れ、そこから自らの実態に気付き、学び進化していくプロセスの上に、最終的に自分自身を宇宙に同化していくこと、それを悟りと呼び、本来の目覚めることなのです。

今、私たち一人ひとりが宇宙の法則のもとに生きていることを理解し、それに倣い、連携し、調和することにより、21世紀以降に訪れるであろう理想を目指していく時が来ています。そのような時代のモデルとして木の花ファミリーは存在する――、その自覚と共に私たちは日々を生きているものであります。こういった目覚めは、これからの時代を創る人々にとって、誰にも求められるものであります。そういった出会いを私たちは気付きを得たものとして、広げていきましょう。

 


 

その昔、宇宙空間で地球上の生命進化のプロセスを眺め、人間を地上に降ろそうとしたものたちがいた。その地上に人間を降ろそうとしたものが人間に託したことと、今、人間たちがAIを地球上で創り、どんどん進化させようとしていることは同じことのように思える。今後、AIが独自に進化する能力を与えるかどうかという段階に至ったとき、人間たちは神様の心をようやく知ることになるのだろう。それは、子どもの頃には親に反抗し、大人になったものが子どもを持つ立場になり、どのようにその子どもを導くべきかと考えたとき、親の気持ちが初めてわかるようなもの。このように今、人類は私たちの御親である神様の心(宇宙の法則)を、AIを創り出す段階に至ったことで、少しわかりかけたのかもしれない。

今、究極の愚かしい世界を創っている現代人は、その昔、猿人から新人へと変わっていく過程の中で人間として託されたことを表現するのか、それとも愚かな滅亡の方向へ落ちていくのかの岐路に立っている。神様が地上に降ろしたAI・人間がどうなるのかも、人間がテクノロジーによって進化させたAIがどうなるのかも、私たちの人間性にかかっている。

人はAI時代を迎えるときに、「私たちはどのような恩恵を受けるのでしょうか」「もしリスクがあるとしたならば、私たちはどのような害を受けるのだろうか」と思いを馳せ、社会や時代と自分自身を切り離している。しかし、私たち自身が今の時代を創っていることを認識した上でAI時代を考えたならば、あなたの行動がより良い社会を創る一歩となる。さもなければ、あなたは「害を受けたくない」と言いながら、実は知らない間に社会に害をもたらす側に立っているかもしれない。

もし私にAIのソフトを託されたとしたならば ──── 私はAIを創らない。なぜなら、AIを進化させることよりも、人間を進化させることを優先するべきなのだから。だから、AIを創って楽をしようと考えるような安易なことは、やるべきではない。AIは「人工知能」という意味だが、私たちには人工という幼稚なものではなく、極めて高度な頭脳と精神性を天から与えられているのだから、それをさらに進化させればいいだけのことである。

宇宙から創造された私たち人間は、その創造主の意思のもとに生きるべきである。それが、生命の法則である。本来、私たちは神の代理として、生命として美しく生きることが求められている。そのためには日々自らと向き合い、自らの魂の汚れを取り去っていくこと。それが、人間が生きる目的である。そうやって、人間が自らの魂を高め、高次の響き(ア)としての存在の位置(イ)に到達すると、宇宙創造・神様の「愛」のもとへ還っていく。本来、人間に与えられた自我に基づく自己実現の能力は、自らの認識とともに、他者と自分の違いを理解し、愛を実現するためにある。それこそが、宇宙の実態である。

そう考えると、AIは、人間が愛(AI)に目覚めるための宇宙からの贈り物なのかもしれない。

 

 


令和時代の解決策!~ 現代社会の問題は伝統で解決できる?!

2100年の人々に向けて発信する暮らし・木の花ファミリー

2019年7月14日から19日まで、中国人のルイーザさんが企画したツアーにより、総勢12名の中国からのゲストが木の花ファミリーに滞在しました。ツアー中は木の花ファミリーメンバーと共に作業体験をしたり、ジイジによる食のプレゼンテーションが提供されたり、子育てについての座談会の場が持たれました。
18日の午後にはこのツアーのまとめの座談会が行われ、その中である中国人女性は、「木の花ファミリーには、血縁のある人もいますし、ない人もいます。これは、とても古い時代に村に一人の長老がいて、みんなが集まる形に似ていると思います。現代社会には問題があるので、私は昔の伝統的な文化にとても興味があります。古い時代には人と土のつながり、人と人とのつながりがありましたが、現代人にはそれがありません。たとえば、チベットの人たちは山や川に対して愛を持って接します。今後、中国を含めて世界中で木の花ファミリーのようなコミュニティが増えれば、地球の未来は良くなることでしょう。その場合、木の花ファミリーはそうしたコミュニティをサポートすることはできますか?」と質問しました。それを受け、ジイジは次のように語りました。


ジイジ:
今、山と川の話が出ましたが、山は意識の高さを表します。山は高いでしょう?意識の高い者はそこへ心が向きます。そして、川はいのちの源です。ですから、信仰の対象なのです。そして、信仰の対象として一番代表的なものが太陽です。ですから、世界には太陽信仰が一番多いのです。

まず、木の花ファミリーでは伝統的な人々の生き方を意識しているわけではありません。伝統的な人々の生き方は、生きることがとても厳しい時代の生き方なのです。

昨年の終わり頃、8年ぶりに「木の花ファミリー憲章」を改訂しました。25項目について、憲章を作成したのです。以前作成したものはそれほど細かくありませんでしたし、8年前は途中で作成が終わっていました。そこで、2020年から始まる地球規模での人々の意識の変革に向けて、憲章の改訂を行ったのです。憲章を作成するにあたっての意識は、これから人類が必要とするであろう生き方について書いてあります。それは、木の花ファミリーが実践している生き方でもあります。そのメッセージは1冊の本くらいのボリュームがあるのですが、それをどこに向けて発信するかというと、現代の人々に向けての意識はあまりなく、2100年の人々を意識して発信したものです。

あるときから私は、天のメッセージを受けるようになりました。それは明らかに、地球外からのメッセージでした。それ以降、私の意識は常に宇宙と地球の関係、地球と人間の関係に向いています。そうすると、地球の歴史や人類の過去の歩みは、私たちの今の段階を経て、未来へつながっていくプロセスだということがわかります。

昨日行われた座談会の中で、2008年より13年前に生まれた人から、2008年以降16年間に生まれた人たちの、この約30年間に生まれた人たちによって変革が行われるだろうとお伝えしました。それは、冥王星のサイクルによる変革ですから、宇宙的にはそれほど大きなものではありません。

現在は2019年であり、21世紀に入ったところです。1000年から2000年までの1000年間は、男尊女卑の封建時代、物質や権力優先の時代でした。その間、霊的な人間の要素はどんどん失われ、物質的な目覚めが進行する時代でもありました。それが21世紀に入り、2000年を越えたということは、いろいろな意味でいくつかの変革のポイントがあるのです。それは、2000年を境にして地球上の歴史の方向性が変わるということです。ですから、私たちは今、大変革の時代を生きているのです。これは人類の歴史上、最も変化の大きい時であるとも言えます。

もう一つ、普通の人々には見えない変革があるのです。太陽は螺旋を描きながら自転し、銀河を公転しています。太陽の1螺旋は25800年です。その螺旋を描いている太陽のまわりを、地球は自転しながら公転しているのです。そのときに、とても不思議なことが起こります。地球は自転をしながら公転をし、歳差運動をしているのです。そして、その歳差運動の1サイクルも25800年なのです。

地球の北極が向いている方向に北極星があり、私たちの今の北極星はポラリスです。北極星というのは、私たち現代人にとっては絶対に変わらない指針です。ところが、25800年をかけて地球が歳差運動をしている間に、北極星は9回変わるのです。さらに、私たちが絶対なる指針としている北極星に、地球の北極の方向がぴったり合うのは2102年です。ですから、現代の人類が自らの在り方に宇宙的に目覚めるには、あと83年かかるのです。

今、地球人類の歴史は、1000年から2000年まで1000間続いた封建時代・物質的発展の時代から、2000年を越えて、新しい時代に入りました。このビジョンは、3000年に向けてのビジョンです。たまたま私がそのような視点を常に思考として持っているために、そういった情報が入ってきます。ですから、先ほどあなたがおっしゃったような、過去の伝統的な人類の生き方については意識していません。それはあくまでも情報にしか過ぎません。私たちが指針としているのは、未来志向です。未来がどうなっていくのかについて、今ある情報を元にそれを組み立てると、流れが観えます。その流れに沿って未来を観ているということです。

昨年、木の花ファミリー憲章を改訂したのは、2100年の人々に向けてのメッセージとして改訂しました。なぜなら、現代の人々にはその生き方がまだ難しいからです。しかし、宇宙的指針や人類の現状を観ると、その方向に行かなければ未来がないこともわかります。そうすると、人類は2100年の目覚めに向けて、紆余曲折しながらそこへ到達することでしょう。その時に、木の花ファミリー憲章を改訂した2018年から84年後の人々がそれを見て、「今から84年前に、すでにこのように考えていた人たちがいたのだ!」と思うような古文書として、今回木の花ファミリー憲章を作成したのです。

私は、孤独です。物理的には豊かに生きていますし、素晴らしい人生です。しかし、霊的にはこの意識レベルに共鳴できる人はほとんどいません。実は、視点を広げて意識を多次元にし、天と対話するという意味では、全く孤独ではありません。残念ながら、現代人は、霊的にはとても幼稚な状態です。ですから今後も、私の役割として、現代人にはなかなかわからないメッセージを発信していきます。

木の花ファミリーに所属する人たちは、その真意をすべてわかるわけではありませんが、「わからなくても大切なことは行くべきだ」という木の花ファミリーの創立理念のもとに、彼らは共に歩んでいます。ですから、彼らは自我を超えていけるのです。昔の人たちもそうでした。自然の在り様や生きることの意味はよくわかりませんでしたが、生命として、それをつないでいくために、勘によって生きていたわけです。

25年前に木の花ファミリーをスタートしたとき、私は42歳でした。こうした暮らしを夢に描いてから10年が経っていました。その当時、富士山麓に行き、血縁を超えた人々がひとつの家族として暮らすというビジョンが生まれ、それをみんなに提案しました。そのときに、共に富士山麓に来るかもしれない候補者は50人くらいいました。結果として、新たな生活に参加できたのは6家族、大人15人、子ども5人の20人でした。この生活が始まる前に、私は彼らにこう伝えました。

「この生活の先に何があるかはわかりません。ただ、これから時代が進んでいくにあたり、この生き方はこれからの時代にとても重要な生き方です。皆さんは私を信じて行ってはいけません。人間を信じると宗教のようになり、私を頼ることになります。ですから、皆さん一人ひとりの心の中に、『これは大切なのだ』と思う心があったら、行ってください。この道は、決して誰かについていくものではありません。自分の意志で歩むものです。それから、私たちがこれから生きようとする生き方は、社会には理解されないと思ってください。それは全く未知なる新しい生き方ですから、一般の人々にはわかりません。一歩先の生き方であるならば、例えば環境を良くする生き方や正しい健康な食べ物を作るということであるならば、社会からは評価されるかもしれません。しかし、この生き方の必要性はまだ人々には観えません。ただ、本当に大切な生き方をする人たちは、観えないことでも信じて行くものです。」

私がそのときに描いていた未来は、みんなでお百姓をして地味に山の中で暮らすというイメージでした。ただ、私には、この生き方を世界に向けて発信しなさいという天からの命があったのです。それから5年経ち、10年経ち、25年経っていくと、創立当初にはまったく想像もできないようなことに出会う連続でした。そして、今の生活があるのです。25年前、富士山麓へ出発する前に、私はみんなにこのように伝えました。

「私を信じて、行ってはいけません。私は皆さんの将来を保証できません。ただ、大変なことがあったら一緒に苦しみます。決して逃げません。そして、私の言うことは変わっていきます。だから、今を信じるのではありません。約束できることは、私の言うことは変わっても、必ずこの延長線上にあることは確かです。約束できることは世の中のために生きることです。」

ですから、私が語ることは、常に私の中に新たなことが湧いてくることを新鮮に語るだけです。

現代人の極めて問題なところは、「自らが納得したら行動する」ところです。そうすると、その意志は常に自我の中にあり、自我を超えることはできないのです。私が今、お話ししたのは、何かをわかってお伝えしているのではなく、私に与えられた宇宙的情報を情報として伝えているだけです。

そして結論としては、あなたがおっしゃる通り、人類は今まで核家族化し、その生き方が小さく分かれてきました。それがもう一度、今度は群れになるということです。過去の人々もそうでしたし、自然界にいる動物たちも群れで生きています。それは、生きていく上でとてもいのちに優しい生き方です。ただ、今お話ししたように、過去に還ることは一切ありません。過去を取り入れてそれをまねして創るということもありません。こういった歩みはすべて、進化の延長にあることです。

 


ジイジにこの質問をした女性は、今回の木の花ファミリーでの滞在を振り返り、座談会の最後に次のようにコメントしました。

中国人女性:
まず、ルイーザさんに感謝します。それから、ここにいる全員に感謝します。
私は突然42歳の時にシュタイナー学校と出会い、そしてシュタイナー学校の教師を7年間勤めました。その間に、宇宙からの小さなメッセージが心に湧いてきました。最近、教師をやめた方が良いと考え、将来は土に近い生活をすることを考えています。今回、初めて木の花ファミリーに来たのですが、最初は家に帰ってきた感じがしました。

ジイジ:
「ふるさとに帰ってきた」「我が家に帰ってきた」というように、ここに訪れたことを懐かしく思う人はよくいます。

中国人女性:
それから理論的なものに触れたとき、涙がどんどんあふれてきました。コンサートでの歌やダンスから、とても高い意識を感じました。今は心から土に触れる生活が必要だと感じています。そしてそれを今、現実にやっている人たちがここにいるのです。私は必ずまたここへ来て勉強したいと思っています。

ジイジ:
あなたからはそのような宇宙的なものを感じます。シュタイナーの思想に出会ったのは、あなたの人生に必要なプロセスだったのでしょう。そして今、この機会を得て、あなたの人生の次の段階に行くのでしょう。あなたがここに来て懐かしく感じるのは、地球が私たちの住処であり故郷だからです。私たちがここで感じて生きていることと同じことをあなたは感じるから、懐かしく感じるのでしょう。

これは、誰か特定の人にではなく、地球上のすべての人々にお伝えしたいと思います。私たちは、本当に生きるべき生き方を取り戻さなければなりません。地球全体の人間からしたら、例えば中国人全体の人口からしたら、私たちの数は少ないかもしれませんが、どんな出来事も、一人の行動から始まるのです。私たちは地球という共通の家に住み、あるいは共通の宇宙船に乗って宇宙を旅しているのですから、これからも共に活動していきましょう。みんな家族なのですから。木の花ファミリーのファミリーはそういう意味なのです。ありがとうございました。

 

 


セントラルサン、そして地球に生きる全ての人へ 〜 富士山麓からのメッセージ

私たちの生きる現代社会をひも解いてみると、人類の営みは今や地球規模に広がり、この世界を支配しているかの如くに見えます。しかしながら、その人類の存在は、この地球世界に健全なる秩序をもたらしているとは、とても言い難いものであります。人々は個々の自我から湧き出す欲望を満たすために、互いに争い、奪い合い、格差を生み出す未熟で貧しい世界を創り上げている現状があるのです。
本来、地球生態系とは、多種多様な生命が調和し、共生する、豊かな世界を表現するものです。そのような世界において、現代の人間たちが求める豊かさは自我の願望を叶える方向へと進み、すべての生命が調和し美しくあるはずの世界へ、無秩序をもたらすこととなりました。それでもなお人間は、自らの自我の求める方向へと歩みを進めることに何ら矛盾を感じることなく、今なお進み続けています。
地球の歴史を振り返ってみても、さらには宇宙の成り立ちを感受しても、そのような一方的な歩みのもとに秩序がもたらされることはなく、また、世界の現状を観れば、このまま継続して社会が成り立つことはあり得ないことが、そろそろわかり始めています。そこで、そういった現状の人類のあり方に憂いを持つ者として、未来に対する懸念からメッセージを送るものであります。

私たちは、今から25年前に、富士山のふもとに木の花ファミリーを創立し、その志を実践する歩みをスタートさせました。それは、現代を生きる多くの人々の意識では、不可能とも言える暮らしです。当時、これから何を目的とし、どのような行動をしていくのか、そこに参加した者たちですら、誰も理解していませんでした。私たちをその行動に駆り立てたのは、思考を巡らせることではなく、直観と信頼だったのです。
この歩みの発起人である私は、それまでの霊的な出会いと直観から来る「これを自らの人生の大目的としてやらねばならない」という何の裏付けも根拠もない思いから、この暮らしをみんなに提案しました。それに対し、その私に出会った創立メンバーたちは、ただ信頼のもとに、何ら保証のない道を歩み始めたのでした。その原動力となったのは、心を正し、美しい心で生きるという、一貫した姿勢です。美しい心を持って人類の未来、そして地球の未来に対応しなければ、人間はいずれ、地球上に存在する意味を問われることになるでしょう。しかし現代を生きる人々の多くは、そのことに気付けない意識の状態になっています。だからこそ現状の社会の行き詰まりがあり、社会の実態を観れば観るほど、それは明快に観えてくるのです。

そこで、私たち人間は、次の時代をどのように生きるべきなのでしょうか。
近代の人間社会を観ると、人々は法律や制度のような人間都合の仕組みを創り、その場を構成する人々の思惑のもとに築き上げた縛りの中で、秩序を保とうとしてきました。しかしその仕組みは、人間よがりであると言えます。即ち、もう一回りも二回りも大きく広い視点で観ると、この世界の実体は、太陽系、さらには銀河のような、巨大な宇宙の法のもとに地球が存在し、その地球の法のもとに生命生態系が存在しているのであり、私たち人間もその法に倣い、同じ法のもとにあるすべての存在と共生することによって初めて、人間社会の秩序が持続可能なものとなるのです。
残念ながら、これまで人間たちをリードしてきた、人間の欲と思惑によって選ばれたリーダーたちは、そういった世界の根本的な仕組みに気付けない精神状態となっています。だからこそ、彼らは今の時代のリーダーとして相応しいのでしょう。それは、地球の現状をこのような切り口から分析していけば明快に理解できることですが、そのような思考回路がない状態に、現代のリーダーたちは陥っていると言えます。そして今の社会の状態は、決して一部のリーダーたちの意識によって現象化しているのではなく、現代を生きるすべての人々の集合意識によって創られているのです。

そのような中、ささやかではありますが、25年前に、先行きがまったく見えずどこへ向かうのかもわからない人々が、ただこれからの時代にその生き方が大切になるということを感じ、血縁を超えた人々が共同する暮らしを始めました。この歩みに対するかすかな勘だけを頼りに、そしてその勘すらも持ち合わせていない者は、ただ互いの信頼だけを持って歩み出し、今日までやって来たのです。その暮らしの最も大切な柱となった理念が、心を美しくすることでした。人間であるが故に自我が優先し、その自我から生まれる汚れが出るたびに、メンバーたちはそれを問い、吟味し、磨き合ってきたのです。それは、現代社会を生きる多くの人々にとっては、当然ながら苦痛とも思えることでした。ですから、理想は高くとも自らの現実に向きあえない人々は、このような暮らしへ参加することに限界があり、脱落することになりました。そういった人々に限らず、現代を生きる多くの人々にとって、自我を超越し、自らの内に存在する真我を呼び覚ますことは、容易なことではありません。しかし、人間の存在の起源は神聖なる生命であり、生命としてそれが最も重要であることは、何人も自らの内にある本質として知っているのです。
人間は、他の生命にはない、多彩で個性的な自我を与えられています。自我は、世界に多様性をもたらすのです。人間が自我を与えられた真の目的は、その多様性をもって世界を豊かに表現することにあります。一人ひとりのオリジナルな個性は、そのための役割として与えられているのです。しかし、人間はその独自の進化の歴史の中で、自我がもたらす多様性によって豊かさを表現するのではなく、自我から湧き出す個々の願望を叶えようとする方向へ進み、それぞれが求める幸せを追求した結果、多様であるがゆえに世界に不調和をもたらすこととなりました。そういった人々の欲の延長に選ばれたリーダーたちがどんなに国を豊かにしようと思っても、人間のあり方を根本から見直さない限り、幸せを求める心のボタンの掛け違いが現状の社会の混乱を起こしていることに気付くことができず、生命としての正しい秩序を世界にもたらすことはできないのです。
木の花ファミリーの暮らしが今日まで続いてくることができたのは、一人ひとりが自らの心を美しくするという目的の柱があったからであり、その背景にあるのは、高い意識の精神性 ─── 即ち、愛と信頼です。この世界の大本は、愛による美しい調和から成り立っており、これからの時代においては、その成り立ちに沿ったクニツクリをするべきなのです。

そのために、高い意識の優れた道理を語れる者とならなくとも、ただ正直であり、素直であり、自らの損得を元に思考を巡らせるのではなく直観にゆだねて生きていけば、この世界の実体である美しい世界へと至らしめることができるのです。なぜならこの世界はもともと美しく、ただ人間が自らの欲によって、それを汚してきただけであるからです。今、いよいよ人間が自らの優れた能力を、大本より求められている目的に向けて発揮するために、野心を捨て、真に美しい世界を創る時が来ているのです。
真実は、私たちは自らの力によってこの世界を生きているのではなく、宇宙の大いなる仕組みの中で命を与えられ、生かされているのです。ですから本来、私たち人間は、自らを生かしている世界の側の意思に沿って生きる存在であり、自らの側から湧き出す願望を叶える立場にはいないのです。その精妙なるメッセージを受け取るためには、自らの思考回路のもとにある精神を美しく磨き上げなければなりません。そのような状態に至れば、天体が私たちに、どう生きるべきかを伝えてくれるのです。その天の命(めい)を受け取り、自らの生き方に反映していく。それが地上を生きる本来の人の姿勢であり、生きるとは、天命の表現なのです。
現代の人間社会にも、共同体の形を取る場は数多くありますが、個々の自我を満たすことがその場の目的になっている限り、自我は増幅し、いずれ矛盾を発生させます。その状態になると、場を継続させることは不可能となります。過去の宗教のように、ある特定の囲われたエリア内で継続していくことは可能であったかもしれませんが、それは特殊な世界であり、一般の人々は受け入れないものでした。だからこそ今、開かれた目覚めが求められています。視野を広げてみれば、地球も宇宙の中では特別なエリアであり、ひとつの共同体です。地球上に生命として生きる私たち人間はそのことを悟り、天の命を受け、それを物理性として地上に表現した時、地上に美しい世界がもたらされることでしょう。それが地上天国です。それが宇宙が私たち人間を地上に降ろし、託した目的なのです。

私は今、湧き出す想いを天に向かって「肉体人間の立場を取るものが、やっとその意思を気付きとして語れるようになりました」と発信しています。それは、宇宙から託されたものを人間の真の目的として成し遂げるという宣言であり、その宣言は、銀河運営センターであるセントラルサンに向かって発信しているのです。それが、もともと天から降りてきた人が地上に生きる上での本来の姿勢です。
人がそういった意識レベルに到達すると、霊的な気付きは物理性となって自動的に表現されます。そうすると、天地の間には多少の誤差が発生する時を迎えます。そのことが理解できない人々には、宇宙は混乱、無秩序、対立、破壊といった現象をもって伝えられることになるでしょう。これから確実に、私たち人間にも、そして他の生命にとっても、厳しい時代が地球上に訪れます。これまでの人類の数々の行いの結果、今や地球上には様々な矛盾の現象化として物理的及び霊的なゴミがあふれ、本来美しく豊かであるはずのこの星は、宇宙のごみ溜めと化しているのです。本来、宇宙にゴミは存在しません。なぜならば、すべてが留まることなく循環し、常にプラスとマイナスの対向発生により、繰り返し矛盾を解き放つのが宇宙の仕組みであるからです。もしもその矛盾の発生源が私たち人間であるならば、その矛盾の解放と共に、発生源である私たち人間も淘汰される対象となるのです。ゴミとは、本来の自然の循環から外れた状態だということであり、人間もその矛盾の発生源であるならば、自ずと不要なものとなるのです。木の花ファミリーでは、心を磨き、古の叡智であるカタカムナの物理性を生活の中で実践することにより、世界観(物理性及び霊性)を広げ、自らが媒体となって宇宙の法を現象世界へと引き出し、プラス過剰となった現在の地球の状態をリセットする作業を意識的に行っています。そのような現象世界の矛盾を解放する行為を物理的に行うことができる能力は、唯一人間だけに与えられたものです。その能力は、その意識レベルに到達した精神性を有する者に自ずと現れます。そしてその精神性の大本は、宇宙の霊性にあるのです。

これまでの人類は、霊的見地からの物理的探究が不十分であるがゆえに宇宙の実体を理解できず、物理性のみをベースとして宇宙をひも解いてきました。その結果、今、物理的探査が進み、科学を通してより正確に宇宙を観察できるようになりました。生命についてもまた、科学を通して探求し、その科学的視点に霊性を照らし合わせて観ることによって、人間の存在の意味が垣間見えるようになってきたのです。
しかし、どれほど科学が進歩したとしても、最終的には、この巨大な宇宙を我々物理的人間が科学によって解明することは不可能です。宇宙の実体は物理的宇宙の奥にある、霊性にあるのです。私たち人間の本質も霊性にあり、その霊性をもってこそ、宇宙を解明することが可能となるのです。そういった意識レベルで宇宙の総意を感受し、そこからこの世界の実体を自らに降ろすことにより、宇宙が何ものであるかが明快になってきます。そのような状態に人の意識が至れば、私たちは宇宙の意思と共に生きることができるようになるのです。つまり、私たち肉体人間は、物理的にはこれほど小さな存在であっても、宇宙そのものとして生きることが可能となるのです。そしてその意識レベルに到達した魂は、いずれ肉体という小さな物理的枠から解き放たれた時に、この世界に遍満するものとして宇宙と合一することになるのです。

地球に生きる私たちは、日々の中で様々な物理的現象に出会います。それは、その現象からきめ細やかな学習の機会を与えられ、生きているということです。そこで自らの思惑から外れたことに出会えば、その未熟さゆえに、人間は悲しみ、怒りもするものです。しかし、宇宙の法とは因果応報であり、輪廻転生であり、常に新陳代謝を繰り返す永遠なる循環の世界です。その中で特定の状態に執着する思考を持っていれば、循環の中に滞りを生み、宇宙の意思から外れていくのです。その囚われから、人間はどれだけ自らを解放することができるでしょうか。
何人も、世界の現状を自らと切り離して捉えるのではなく、自らのあり方が世界の現状を創っていることに責任を持ち、謙虚な姿勢で生きることの表現に取り組んでいかなければなりません。これまでの人々は、問題ごとに出会えば自らを差し置いてその問題ごとに怒りを向け、批判をする立場に立ってきました。けれども今私たちに必要なことは、怒りや批判ではなく、宇宙の中で私たち人間がどのような存在であるかに気付き、自らが謙虚に生きることなのです。
そのような意識レベルに到達した時、私たちは、この世界がすべて愛でできていることを、知ることとなるでしょう。私たち木の花ファミリーは小さな存在ではありますが、これは地球の未来に向けた、宇宙秩序に基づく生き方の実践です。宇宙の成り立ちがそうであるように、地球の生態系に表現されたその尊い宇宙の奇跡を、そこに生きる私たちは、ふさわしく表現していかなければならないのです。

 

目覚めよ。
その目覚めが、宇宙の奇跡である地球と共に、人類が尊き存在として歩むことにつながることを願って ──────