いさどんブログ読者の方、お久しぶりです。というのも、実は「いさどん人生読本」(仮題)出版プロジェクトが4日前から始まり、そのテープ起こし、原稿をまとめておりました。この本のねらいは、世の中の人が持っている様々な疑問や課題に、いさどんが順番に答えていき、「大切なこと」を伝えていくこと。生きること、人間関係、パートナーシップ、健康という個人的なことから、仕事、社会、宇宙、神様という大きなテーマにまで話題は広がります。木の花流“人生のヒント集&参考書”。別名「スピリチュアルな哲学書」。
今日は、その一つ目の質問、「人生って何のためにあるんですか?」にいさどんが答えます。生原稿を皆さんともシェアすることで、一緒に本づくりをしていければと思っております。では、出来立てほやほやの原稿、第1弾をお楽しみください。
ツꀀ
第1章 生きること
1、人生って何のためにあるのですか?
まず、「人生は何のためにあるのでしょう」という質問に答える前に、人生というものをどう捉えたらいいのか、ということを考える必要がある。人生を「人が生きる」と解釈するのか、それとも、「人が生かされている」と解釈するのか。それによって、大きな違いがある。
ツꀀ人が生きていると捉えるとしたら、人は自分の意思を持って生きているということ。それは、現代社会の人たちをイメージすることができる。人が、生きるために働く、家族を持つ、生活をする。目的を達成するために、いろいろと考え、行動する。目的を達成するために、いろいろな仕組みをつくり、社会をつくっていく。その結果、この現代社会ができている。
ツꀀ同様に、人生を人が生かされていると考えたときに、宇宙の始まりから、銀河、太陽系、そして地球の創造。ここで、考えておかないといけないのは、すべて「創造された」ということです。何かによって、創られたということ。そして、地球が創造されていく中で、宇宙空間にあったアミノ酸が細胞として変化し、地球上に生命が現れる。それがどんどん複雑な生命に進化し、植物から動物へ、魚類から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、そして人類という生命の歴史、つまり宇宙の歴史がある。
ツꀀこのように、人生を人が生きていると解釈すると、現代の社会、日常の身近な生活をイメージできます。それは、人生を自分の意思で生きているとイメージできるからです。でも、私たちは生きているのか、それとも、生かされているのか。人生を生かされていると見たときに、この宇宙の始まりから今まで、さらにこれから先ずっとこの世界があり続けること、そこまでイメージできるということ。このように、非常に大きな違いがある。
ツꀀ私は過去に、「人生とは何だろう」「自分とは何だろう」「この世界とは何だろう」と考えることがたくさんありました。考えるということは、常にそこに自分がいるということ、自分がいるからこそ考える。これは、お釈迦様が仏教を説くときに、最初に立った位置で、自分は確かにいる。確かにいるから思考する。思考の上にこの世界を解釈する。そして、自分に見えて解釈できるところから、見えずに解釈できないところまでをこの世界として、その世界も、そして自分自身も理解できる、というところに行き着いて、その法則や仕組みを語ったのが仏教である、と解釈しています。
ツꀀそういった解釈の仕方を通して、人は生きているのか、はたまた生かされているのか、ということをずっと考えてきました。私が、今回生まれてきた使命に目覚めて、生きる目的、生きる意味について考えてきた結果、結論は、人は生きているのではなくて、生かされているということです。どんなふうに、どんな切り口で考えても、人が生きているという結論に至ったことがない。
ツꀀ例えば、人は、何かをする予定があるから朝起きて、朝食をとる。そうすると、自分の意識で朝食をとったということになる。それは、生きているか、生かされているかといったら、生きているということになります。
ツꀀけれど、違う解釈をすると、食べるということは、お腹が空くからです。お腹が空くということは、人間は食べ物をエネルギー源にして活動しているので、そのエネルギーが切れたということです。エネルギーが切れたという指令のもとに体の中のセンサーが働いて、脳に信号を送ります。それを脳は感知して、朝食をとろうとする意識が働く。その意識は、体の機能、仕組みからうまれている。
ツꀀさて、仕組みを抜きにして、自分の意志で朝食をとることを考えているのか、それとも、仕組みがその思考を働かせているのか、どちらでしょう。厳密に言うと、仕組みが先に働いて、思考が後からくる。これを、考えていると呼ぶのか。そして、その延長線上に行動したと言うのであるならば、人は生きていると言えるでしょうか。
ツꀀまた、私たちは生きていくために、ほかの生き物を必要としている。それは、食べ物のみならず、食べ物を得るための大地、大地に降り注ぐ光、水、空気、そういった自然の作用、生態系の中に食べ物というものがある。そして、私たちがいのちを取り入れるときに、必要な分だけ吸収して、不必要な分は排泄するという仕組みがある。排泄することによって、その排泄物が次のいのちにバトンタッチされるという仕組みになっている。こうして、いのちが伝承され、いのちがつながり続けている。
ツꀀそうすると、私たちが排泄するということは、自分の意思で排泄するのかと言ったら、これもいのちの伝承の上での役割であったり、この世界の仕組み、機能である。この宇宙が創造され、巡り巡って回っている中のある時点が今だとしたら、そういった仕組みの中で、私たちのいのちがあるということ。この現代社会に生きていると、自分の考えや意思、自分の目的を持って行動していると、仕組みの中で生かされていることに気づけない。けれど、この世界にあるものを細かく分析していくと、思考すらこの仕組みの中で湧き出ていることがわかる。
ツꀀ自分がああしたい、こうしたい、また人生が思うようにならないと思う人は、自分の過去を振り返ってみて下さい。きっと、自分の思考が、行き当たりばったりのようにころころ変わりながら、一定していないことでしょう。もし、自分の意思で自分が生きられるのだとしたら、強い信念の延長線上に生きることが可能なはずです。しかし、自分が生きていると考える人には、そういったことができない仕組みになっている。
ツꀀ反対に、私たちは、仕組みによって生かされているという発想を持ったときに、その仕組みは、宇宙の始まりから今まで、そして未来まで、ずっと変わらず、進化し、変化し、あり続けるのですから、安定したものです。生きている目的を変更する必要は、全くないのです。同じ延長線上に、同じ目的のもとに、同じ役割のもとに生きている、非常に安定した景色が見えてきます。
ツꀀしかし、この世界の仕組みから意思が外れて、自分の中で独立した心を持って、人間の思考が勝ってしまった状態で生きていると、この世界の役割から自分を切り離して、自分の意思で行動するようになる。そうすると、仕組みから外れているわけですから、病気になったり、人と対立したり、問題事が起こったりする。問題事が起きて、自然に修正するという仕組みが働く。だから、自分で生きていると考えている人は、常に修正を余儀なくされ、その修正をされていることが、外れているのを元へ戻してもらっていると考えるのか、外れてしまった、失敗した、思うようにならなかったと考えるかは、大きな違いです。果たして、私たちが単独で、この世界で自分の目的を達成して生きていくという仕組みがあるのかというと、実はそんな仕組みはないのです。
ツꀀ人生が何のためにあるのかを考える前に、人生というのは、私たちを生かしている仕組みの中にある人生と、その仕組みがあるにも関わらず、それに気づかないで無視して生きる人生の両方がある。前者は、生かされて生きているという安定した生き方。後者は、自分が生きているという意識のもとに不安定な人生があるということですね。
ツꀀでは、ようやくここで、「人生は何のためにあるのでしょう」ということですが、自分で生きているという人たちにとっては、自分の目的がある。勉強して一流大学に入る、会社を経営する、贅沢な暮らしをする、それが豊かさであると、自分の目的を達成しようとする。でも、その思考というのは、この現代社会の価値観の中にあって、非常に近い世界の話である。逆に、自分が生かされているという人にとっては、この仕組み、宇宙の始まりから、いのちの伝承の中で自分の役割を果たす、自らを向上、成長させるということが目的となる。
ツꀀとなると、「人生は何のためにあるのでしょう」という質問は、人によって全く答えが違ってくる。だから、私が皆さんに、人生とはこういうものですよ、と言うことはできません。ただ言えることは、自分だけの目的を持っている人でも、この宇宙が始まってからずっと途絶えることのないこの仕組みの中に今、生きている。そして、未来へもずっとつながっている。始まりはこの世界がひとつであって、今現在もひとつです。これからもそのひとつの中で未来へ、また始まりに戻ってあるのだとしたら、私たちは独立して、自分の意思でこの世界を生きているのか、ということはあなたが判断することです。答えは皆さんの中にあります。
ツꀀ人生は、自分の物語です。自分と宇宙という自分の物語。だから、何のために人生があるのかということは、自分が紐解いていく。小さく自分の人生をみるのもいいし、大きくこの世界の仕組みを見るのもいい。自分が生きていると見るのもいいし、生かされていると見るのもいい。
ツꀀでも、明らかなことは、私たちの思考を超えて存在するこの世界の中に自分がいるのは事実ですから。そうすると、理解するということは、その思考を超えた彼方まで理解する道があるということ。しかし、人によっては、全く身近の自分が考えられる行動範囲、思考の届く範囲、その中に自分の人生がある。どちらを選ぶのも、あなたの人生の旅。