ドジでも立派な先生です!

僕は大学の先生でもなければ、教育者でもない。
だけど、いつでも大学の先生になれる。
いつでも、学校の教育の場に立てると思っているんだよね。

それは、自分の中のどこかの部分を
ぱっと切り替えるということ。
だけど、大学で講演するという機会が自分に来ないうちは、
全然できないんだよね。
でも、いざ自分の目の前に来ると、
それがぱっとできる。

人間ってこういうものだと思う。
自分で自分を枠の中に閉じ込めて、
「自分はこういうふうだ」と思っている限りは、
その枠の中にいるけれど、
その枠を取ってあげると、
いつでもそういうふうになれる。

例え立派な話ができなくても、
今立派でないということは、
ドジだということでしょ。
そうしたら、そのドジをね、
リアルに面白おかしく話したら、
人にはドジから利口になっていく要素がある。
そうやって、人は立派になっていく、学んでいく。
ということは、利口でない人でも、
いつでも先生になれるということなんだよね。
この世界はそういう仕組みになっている。

気づけ、気づけということです。


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