ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら。。。
仏のいさどん。
閻魔様のいさどん。
宇宙人のいさどん。
人間臭く名古屋弁丸出しのいさどん。
愉快ないさどん。
いつも真剣ないさどん。
そして誰よりも愛深きいさどん。
ひとりひとりが集まって
ひとつの宇宙を構成しているのだけれど、
非常に幅の広いいさどんを観ていると、
いさどんひとりで宇宙全体を表わしているよう。
そして、心が暖かいいさどんは、
体自体もいつもびっくりするほど暖かい。
それはまるで、内から放射線状に
外に向かって光を放っているよう。
春のぽかぽか陽気よりもずっと暖かく、
でも真夏のうんざりするような暑さとは違う。
太陽そのものの純粋な光が、
人の心を柔らかく開き、
心のとげが自然と溶けていくような、
そんな気持ちになります。
ここでは、「心磨き」を
日々大切にして生きています。
生活している中で、
自分がミスをする、
流れに滞りが起きる、
人とぶつかる、
そういった出来事から自分の心の癖を見つめ、
不調和として出ていたエネルギーを
調和の方向へ活かせるように、
ある意味、ひとりひとりが修業の道を歩んでいます。
修行というと、辛く苦しいという
イメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし、いさどんの隣にいると、
暖かいものを発している彼の隣にいるだけで、
自然と心が浄化され、
意識的に何もしていないのに、
自分のエネルギーが調和の方向へ流れていくようです。
精神性を高めるということが修行であるなら、
「素直に感じる心」があれば、
こういった楽しくもありがたい修行の道も
あるものです。
以前、いさどんはこんなことを話してくれました。
「自分が道理や心を言葉で伝えなくても、
最終的には、人が自分のことを見るだけで、
『ありがとうございました!』と
その人の心が目覚めていくような存在になれれば」と。
ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら、
いさどんとの会話は一切なくても、
いさどんの心がその存在からあふれているな、
ありがたいなと感じました。
そして、いつも自分が
何をまわりにもたらしているのか、
自分が眠りについている時でさえ、
人というものは絶えずまわりに
何かしらの影響を与えているのだ、
ということを改めて感じました。
心を磨くって、ついつい森の中での修行みたいなイメージで辛くないと意味がないのかなって思ってたけど、素直に感じる心って、優しくて穏やかで純粋な心のように感じるね。いつも一緒にはいない木の花メンバーだけど、このブログを通じていさどんやみんなの心を感じる。僕にとっては大事な時間。いつも分かりやすく丁寧に更新してくれるみんなに感謝してます。