今回は、前々回のブログ「明るく暖かく柔らかく優しい世界へ」を
2月3日節分の夜、大人会議でシェアした時の
いさどんやメンバーのコメントを紹介します。
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いさどん:
さのっちはここのメンバーですし、
ブログに対するタイムリーなコメントを寄せてくれていると思います。
ひょうさんやたけちゃんも一緒に暮らしていないだけで、
ここの家族のような人たちだと思います。
しかし、近い人たちだけではなく、
世の中にも意識を持っている人が沢山います。
そういった人たちが「これだ」と気づくために、
ここの生活があると思っています。
だから、私たちは高い意識を持って日々を送るべきだと思います。
高い意識を持った上で、
一般社会の人たちと同じような生き方をしていくことです。
意識が違えば、
今まであった社会と同じようなことをしていても、
別世界を表わすことができます。
「なぜ、そういった生活ができるのだろう」と
皆が不思議に思うような場をつくっていけると思っています。
強いリーダーがいてそこが成り立っているようでは、
新しい時代の見本にはなりません。
一人一人がリーダーであることを自覚することにより、
全体のハーモニーがつくられていく。
強いリーダーがいてそこが成り立っても、
それは今までの在り方であって、
次の時代はそれを求めていないし、
モデルにもならないと想っています。
みちよちゃん:
私もさのっちと同じことを想っていました。
いさどんは「誰でも自分に優しく善意を持っているのだから」と言うけれど、
私は自分に厳しい癖があるので、
そうなると他の人にも厳しくなるし、
優しくない社会をつくるのだと思いました。
私は3年前に木の花に出会った時から、
いさどんのような強いリーダーシップがいない状態で
こういうコミュニティがつくれるか知りたいと思っていました。
メンバーとしてここで生活したいな、
と思った大きな理由はそこにあります。
この3年でまだその答えは明確に出ていないけれど、
確かなことは、
私たちは皆育てられているということ。
まだまだ未熟な私のようなものもいるけれど、
安定感のあるメンバーもいる。
いさどんほどの人はいませんが、
こうして育てられた人たちが
別のエコビレッジの立ち上げなどの実践の場をいただくことで、
さらに深められていくのだと感じています。
育ててくれているのは、
神様なのだと思います。
たっちゃん:
僕もここに来て3年になりますが、
この前いさどんがコンサートの時に
「どういうふうに生きていったらいいのか」
ということを話していました。
その時に、何のために生きているのか知る必要がある、
そこがわかるとぶれない
ということを言っていました。
それを聞いていたらひとつのイメージが浮かんできました。
生まれる前に魂たちが、
「次に降りる時はこういう星にしよう」とか、
「こういうふうな日本になったらいいね」と相談しているようなイメージです。
だから僕はここに来ているんだなと思った時に、
すごく大切なことを知っていたはずなのに、
自分事に捉われて、
何のためにここに生まれてきたのか忘れていたなと思って、
はっとさせられました。
今でもこのことを想うと、
もとの流れに戻っていると感じられて、
神様に意識を向けるというのはこういうことなんだな、
本当に安心の中で生きられるんだなと思っています。
一人のリーダーが引っ張っていく時代ではなく、
僕に浮かんできたイメージの中では
皆が光って全体に光が散らばって柱が立っていく。
京都でも滋賀でも
これから出てくるであろういろいろな場所に
皆が光の柱を立てていき、
ネットワーク化していく時の要になる役割をここは担っているなと思うと、
一人一人の意識が大切だと改めて思いました。
今日2月3日の節分は農の暦で大晦日に当たり、
明日は新年を迎えます。
また新たな「変革の年」に向け、
自分の意識を変えるきっかけになりました。
よしどん:
「神の道一本」という部分があったけれど、
ここ4、5日は自分事に捉われていて、
どうしたらそこから抜けられるかなと思った時に、
やっぱり神様だなと思いました。
その時から、
作業をしていても何をしていても、
ずっと神様に心を向けています。
そうすると、喜びが自然に湧きあがってくる。
気づきや想いも湧いてくる。
そういう気持ちの良い状態が続いていて、
この感情は全部神様からいただいているんだなと感じています。
神の道一本で行くというのは、
全ていただいて生きていくというすごくシンプルなことで、
そうやって生きていけばいいんだなと思っています。
これは自分の中では今までにない気づきでした。
いさどん:
僕らにはいくつかのスタンスがあって、
自分の側に立ったスタンス、
家族やまわりの人たちとのスタンス、
それから日本人としてのスタンス、
人類としてのスタンス、
地球の生物としてのスタンス、
この世界の一部としてのスタンスなどがあります。
私たちは、そういったスタンスを同時に持っています。
ただ、どれを認識してやっているかによって、
一人一人与えられる役割が違ってきます。
人殺しのような歓迎できない役割もあれば、
その一方で歓迎できる役割もありますが、
そのどちらも尊く大切な役割です。
僕らは今、
こういった生き方をしていく役割を与えられています。
一人一人がその大切に気づいた時に、
ここが完成されるし、
見本として世の中に示せるものになると想っています。
僕はここを多様性なところにしたいと考えています。
多様性というのは
この宇宙の仕組み、自然そのものです。
しかし、私欲だけの多様性であるならば、
それは今までの社会の繰り返しにしか過ぎず、
それでは見本になりません。
そこでは、気づくものには見守る。
伝えて理解できるものには伝える。
でも伝えてもわからないものには楔を打つ。
ただ、そんなことを一切しなくても、
自分の状態を観て、
自分が今立っているところにふさわしい生き方を
自分で捉えてもらえたら一番いいと思っています。
それは強い願いです。
「畑を耕す前に心を耕せ」という言葉がここにあるように、
どんな出来事であっても
その価値というのは出来事自体にあるのではなく、
その出来事を起こした背景の心にあります。
愚かな心や私欲の心で生きるものにはそういう価値が与えられるし、
尊い心のものには、
全て尊いこととして価値が与えられる世界になっています。
だから、
まず心を見つめることが大切です。
何を目標にして心を見つめるかと言ったら、
「己を忘れて人のためにある」ということです。
それを一番にしてほしいと思っています。
私たちは、
どこかで何かに捉われてしまって窮屈に生きている、
ということに気づかないといけません。
自分を閉じ込めていることから解放してあげることで、
本当に自由な世界が訪れます。
そこに気づいた人は幸せです。
これは人間に与えられた永遠のテーマです。
それがわからないから、
人間は地上に生まれてきたようなものです。
今まで人間は、
そのカラクリの中でいろいろなことを模索してきました。
最近想うのは、
どうもこの世界がそのカラクリを人々に伝え、
そういった物語の最終章が来そうな気がしているということです。
しかし、
それでこの世界が終わるわけではありません。
その最終章を迎えると、
また次のステージが始まります。
どうも、私欲を実現することによって
幸せを得ようとするステージは、
終末を迎えようとしているのではないかと思います。
しかし、その気づきは
まだまだ全体からしたらほんの一部であり、
僕らはその最たるものだと思います。
ほんの一部であっても、
時代はそういうふうに確実に動いています。
感じられる人は感じ始めているのだから、
あっという間に次のステージは来ます。
そこのところへ心を向けてもらいたいと思います。
いつか、「地球にあんな時代があったね」と
振り返る時が来るでしょう。
そのことに皆が気づいたら、
僕のリーダーシップ的役割はなくなるはずです。
そういうふうになることを楽しみにしています。