半年記念

2月からうつ的な心を立て直すため、ケア滞在をしているまいちゃん。
雨降りの午後、テントハウスでキクラゲの切り込み作業を一緒にしていると、
彼女が「今日は半年記念なの」と話し始めました。

ようこ:
何の半年記念なの?

まいちゃん:
最後にリストカットをしてから半年が経つんだ。

ようこ:
そうか。まいはここに来る前にそういうことがあったって言っていたよね。
初めてしたのはいつ頃だったの?

まいちゃん:
一昨年の12月。
その頃、同じようにうつ病の友達がいて、その子がそういうことをしていたの。
最初は、「親からもらった体だし、やめた方がいいんじゃない?」と思っていたけれど、
自分もすごくしんどい時にしていたんだ。

ようこ:
するとどういう気持ちになるの?

まいちゃん:
する前は「血が見たいな」と思って、血を見ると満足するというか。
でも、した後にはお風呂に入ったら痛いし、後悔するんだけれど、
またしんどくなるとしてしまっていた。

ようこ:
ここに来てから、そういう気持ちになることはあった?

まいちゃん:
そういえば、ここに来てからはないね。

ようこ:
それは何でかな?

まいちゃん:
一番は、皆が自分の話を聞いてくれて、受け止めてくれるからだと思う。
血がつながっていないのに、本当の親のように叱ってくれる人がいて、
自分と向き合ってくれる人がいることは大きいね。

ようこ:
そうだよね。血がつながっている家族だと、
「こうなってほしい」という欲や利害も出てくるものだけれど、
ここの人たちはそういうものと関係なく、まいの心が良くなることだけを想っているからね。

当時のまいに心を開いて話せる人がいたら、リストカットをしなかったかな?

まいちゃん:
そう思う。心の浮き沈みは自分ひとりの力ではどうしようも出来ないから、
自分が助けを求めている時にそういう人がいてくれるのは大きいと思う。

ようこ:
もし、当時の自分に何かを言ってあげられるとしたら、何て言う?

まいちゃん:
アホなことしたね(笑)って。
そういうことをしても、根本的な解決にはならないのにね。
今となったら、「あんな時代もあったな」って良い思い出になっているよ。
しんどかったんだな、でもアホだったんだなって。

ようこ:
そういうふうに言えるまいの話を聞いていたら、涙が出そうになってきた。
そうやって、しんどかったことでも何でも、自分の人生の糧に出来たらすごいよね。

もし、今目の前にリストカットをしたいという人がいたら、何て言ってあげる?

まいちゃん:
そうだな。。。自分の話をするかな。「私もこういうことがあってね」って。

ようこ:
自分の過去をそうやって人のために活かせるといいよね。
私にはそういうことが無かったから、
「そういうことはいけないことだよ」と言っても重みがないし、
「自由にしたらいいよ」と無責任に言うことも出来ない。

でも、まいはそういった過去を乗り越えてきたから、
言葉に説得力があるし、人生に厚みもある。

まいちゃん:
自分の人生は自分で輝かせないとね。
自分の人生を他人のせいにしても、良くなるわけではないし。
昔は親を責めていた時期もあったけれど、
今は「そういうのが出来ない人たちだったんだな」と客観的に思えるようになった。

ようこ:
ここに来てから着実に心の学びも進んでいるね。

まいちゃん:
この間いさどんに、
「客観的に自分のことを見られるようになるといいよね」と言われた時には
「客観的ってどういうこと?!全然わからない!」って思っていたんだけれど、
そのことがちょっとずつわかってくるようになると、
「自分ってこういう性格だったんだ。こういうところもあるんだ」って
皆が言ってくれていたことも理解出来るようになってきた。

親のことも「自分のことを全然わかってくれていない」と思っていたけれど、
今は「それで仕方がなかったんだな」と思うし、
やっぱり自分の中に親に対する感謝の気持ちもあるから。

いさどんから、「まいの心がたくましくなるために、親との関係も与えられている」
と言われて、本当にそうだなと思っている。
前だったら、親とこういうことがあったら5日間くらい寝込んでいたのに、
今日は朝から作業に行けているじゃん!って(笑)。
ここに来てから、確実に心がたくましくなってきたな。

ようこ:
まいはまわりの環境に影響されやすいから、
心がたくましくなるのは大切なことだよね。
まいの個性が活かされ、まいが生き生きと輝いた人生を歩めるよう、
これからも皆で応援していくからね。


その証はそなたの生まれた月日に隠されておる

今日5月3日はいさどんの59歳の誕生日。
朝起きた時には、
「今日は誕生日だから、一日何もしないでいようかな?」
と言っていたいさどんですが、
午前中は出版に関するインタビューとケア面接、
午後はワークショップ、そして夕食後にはケア卒業面談という
超多忙な一日を過ごしました。
話すことが好きでいつも愉快に語るいさどんマジックにかかり(?!)、
いさどんと話す人は皆最後には笑顔になります。

今日の昼食後、メンバーとゲストの総勢95名が集う中、
皆が一緒に大笑いしたいさどんのあいさつを紹介したいと思います。

皆さんありがとうございます。
僕のために日本中の人が今日を休みにして
誕生日を祝ってくれている、と以前から思っていました(笑)。
実際『誕生日おめでとう!』と言ってくれる人は
今目の前にいる皆さんですね。
毎年大勢の人がここに集ってくれます。
今日は大型連休ということで一年で一番人が集う時期ですね。
そんな時期に自分の誕生日を迎えられて、
皆さんにそれを祝っていただくことはとても嬉しいことです。

今日、5月3日というのは憲法記念日です。
昭和22年に憲法が立ち上がりました。
そして昭和26年の5月3日、
僕の誕生日の日に憲法が施行されました。

ある時、僕に天から言葉が降りてくるようになりました。
そして、それまでの自分の生き方から変わって、
「世の中が良くなり人々が幸せになるために生きよう」
と考えるようになりました。

僕が生まれた家の裏山のふもとに神社がありますが、
ある時その神社に行ったんです。
そこで神様とお話する機会がありました。
その時神様は、人間の言葉で話されたんです。
あるシャーマンの女性と知り合いまして、
その人と一緒にその神社へ行きました。

そうしたら、その神社の神様が彼女に乗り移って
私に色々と話をされるんです。
「そなたのことは幼少の頃より見ておったぞ。
やっとそのようなものになったか」と言われました。
「そのようなもの」というのはきっと、
女性を通じてですが、
神様とお話するようになったということだと思うのです。
その時僕は大変感動しました。

小さい頃から川へ行って魚を採り、
一番上流の滝のところへ行って泳ぐ。
その神社は「滝神社」と言いまして、滝が御神体なんです。
そこで泳いで、そして神社まで上がっていき、
冷えた体を神社の神殿の屋根の上に上がって、
甲羅干しをしてあっためて帰ってくる。
帰る時には、神社のさい銭をいただいて
おこづかいにしました(笑)。

これは普通だと警察に捕まることですが、
僕の故郷にある神社は大変お金持ちの神社で
さい銭箱がないんです。
お参りした人がさい銭を投げると、
そのお金は血縁でない子供たちなら
もらってきてもいいことになっていたのです。
だから時々、お宮の鐘が鳴ると
「よーいどん!」といってさい銭をもらってくる。
僕の家が一番神社に近かったから、
僕が一番おこづかいが多かった(笑)。

そんなわけで、僕は小さい頃から
おこづかいをもらいに行ったし、
神殿の上に上がってひなたぼっこをしていた。
「そんな僕のことを神様は見ていたんだ」と思ったら、
なんだか大変感動しました。

次に神社へ行った時、
今度は自分の心の中で神様に語りかけました。
「私は今普通に生きているですが、
今の世の中、人々は大変辛い思いをしています。
そういった不幸な人たちを救いたいと思っています。
私の心の中には、皆が笑って生きている世界
というイメージがいつもあります。
私はそれを行き詰まった人たちに伝えるということをしています。

一体、私はどういう目的があってここに生まれて来たのでしょうか。
こういったことが私の進むべき道なのだとしたら、
私はそういうふうに生きるように生まれてきたのでしょうか。
それとも、たまたま私がいたのを
『面白いのがいる』と神様の方から見染めて、
私にこのような道を与えられているのでしょうか」と聞きました。

そうしたら神様はこう答えられました。
「そなたは生まれる以前より、
この道を歩む約束のもとに生まれてきた」と言われました。
「えっ、そうだったんですか」と思ったと同時に、
「そういえばそうだ。
自分の心の中から語り出た初めて話すことは新しい話ではなく、
前から自分が知っていたことを思い出しているだけだ。
書物で新しいことを学んでも、
それが人のためになるような大切なことになると、
それは人からもらったのではなく、
自分の中にもともとあったことを思い出しただけのことだ」
ということに気がつきました。

それから、「もともと自分が知っていることを
皆に伝えるために生まれてきたのだから、
いつも自分に限界をつくらない。
新しいことを考えて語るのではなく、
自分の中にある真実が自然と湧き出てくるのだから、
自分を自分から解き放ってやりさえすれば、
大切なことは出てくるのだ」と思うようになりました。

その時に、神様はさらに続けてこう言われました。
「その証はそなたの生まれた月日に隠されておる」と。
昭和26年の5月3日。
日本国憲法が施行された日。
「この国に生まれてこの国のために自分は生きている」
と僕は考えました。

「日本」という名は、「ひのもと」と言います。
「ひのもと」は「太陽の当たるもと」ということです。
日本だけではなく、
世界中が「ひのもと」に命の星としてあるのです。

今、こうやって皆さんと出会い、
おいしい食事をいただいて、
ここにある平和で和やかな世界を世界中に広め、
これを自分の人生の中で
最も大切なこととして生きていこうと考えています。

今年で59歳になりました。
僕は20歳にして社会に出ました。
40歳にして職業をやめ、今の生活に入りました。
20年単位なんです。
0歳で生まれて、20歳で生まれ変わり、
40歳で生まれ変わって、
来年60歳で4回目の生まれ変わりとなります。

これからは、皆さんと一緒に
さらに世の中のために生きていきたいと思っています。
今日は僕の個人的な想いを語らせていただく場をいただきましたが、
ぜひこれを個人的な想いではなく、
皆さんの想いとして共に良い世の中、
良い地球づくりとしていきたいと思います。

改めて今日出会った皆さんや
これから出会う皆さんにお願いし、
僕のあいさつにしたいと思います。
本当に良い誕生日を迎えることができ、ありがとうございました。

僕は毎日が誕生日だと思っています。
そして、皆さんにもおめでとうと言います。
それは、一人幸せな人がいるということは、
それだけ世の中が幸せになるのですから、
皆さんにもおめでとうと言います。
本当にありがとうございました。