9月14〜16日、木の花ファミリーでは「第6回大人サミット」が開催されました。
大人サミットは、自らの意識がこの世界を創造しているという自覚と責任を持つ真の「大人」たちが集い、真剣に語り合いながら、次世代の生き方を発信していく場です。この大人サミットの中で、参加者の一人からいさどんに次のような質問がありました。
「世の中にとっていいことをやろうと考えていても、性欲が邪魔をする時があります。どうしてもそこにエネルギーを取られて、集中ができない。そういう時にどう対応したらいいのでしょうか。」
この質問に対し、「これはとても大切な話です」と言って、いさどんは次のように答えました。
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性欲というのは、我々生命の根源から湧き出てくる欲求です。
宇宙に、私たちの存在する天の川銀河があるでしょう。そこでは、セントラルサンを中心に、円盤状に星が回っています。この横向きの渦のエネルギーが起きると、縦に磁場ができます。この縦の磁場は、男性性です。そして横の渦が、女性性にあたります。この横の渦は、女性の性器にも見えますよね。それを貫いてる縦の磁場が男性器ということです。
地球も同じ構造になっていますね。中心に鉄のドロドロがあって、地球が横方向に回転しているのに対して縦方向に磁場ができる。これが陰(女性)と陽(男性)なのです。銀河では、常に女性性と男性性の関わりにより、恒星が集中した中心部から星が生み出されています。
私たちの体の構造も同じです。銀河を横から観ると人の目や口と同じ形をしており、これは女性器と同じ形をしています。耳は渦を巻いているでしょう。性器はまさしくその象徴です。宇宙が星を生み出すのと同じように、男女が生命を生み出すための役割として、セックスという神聖な儀式があるのです。これは宇宙の、生命を生み出していく一番大事な仕組みです。
我々はセックスを隠していますが、これがなかったら人類は存在しません。生命が連鎖しないのです。ということは、これは本来とても神聖なものなのです。それなのに、忌まわしい事のように捉えられているのはなぜでしょうか。それは、その神聖さを人々が忘れているからです。
セックスというのは、日本の神話では、イザナミとイザナギが国生みのために行った神事です。子を産むための神事として双方がその意識を確認し、合体する。そこから神(命)が生まれてくるわけです。種が鳥居(女性器)をくぐり、参道(産道)を通って、その奥にある神殿(子宮)に入ります。その子宮という子の宮の中で、子どもは十月十日の間に三十数億年の生命の進化をたどるのです。7ヶ月くらいでサルの状態になりますね。そして十月十日たつと、娑婆に出てきます。そういった神聖さが理解できないと、その尊いことが、逆に愚かしいことにつながるのです。
セックスは、神聖なものなのです。それを神聖な心で行っているかどうか、ということです。自然界のものはカルマが少なく、忌まわしい心を持っていません。だからそれは神聖な行為として純粋に行われています。しかし、人間は性欲という神聖な本能を持ちながら、同時に、忌まわしい心でそれを汚染することができるのです。そこが問題で、その構造がわかっていれば、常に神聖な行為として、神生み、国生みをするイザナギとイザナミの原点に帰れるということです。
カルマ的な欲望優先の欲求のもとは、エネルギーです。そのエネルギーを、真実の探求に使っていけば、欲望的エネルギーは自然に消えていきます。
大切なのは、日々、真実とは何なのか、自分から出てきたトラブルの原因は何なのか、そのもととなるところに興味を持って、そこへの探求にエネルギーを使っていくことです。そうすると、カルマ的欲求は自然に消えていきます。ところが、それを野放しにしている人がたくさんいる社会では、無秩序な世界ができていくのです。こういったコミュニティでも、たくさん人が集まると多くのケースで男女問題で忌まわしい場になり崩壊したりするのは、そこが原因なのです。
心を優先して磨いているところでは、健全なエネルギーが発生し、性欲も健全に湧いてくるようになります。本当に必要な、神聖な性欲しか湧かなくなるということです。
タバコを吸っている人にタバコをやめろと言っても、なかなかやめることはできません。ですから、無理やりにやめるのではなく、自分がタバコを欲しがる原因の元の部分が何であるかを知っていくことです。その探求にエネルギーを使うのです。そしてそれが湧かなくなると、自然にタバコもいらなくなる。体が健康になると、そういう欲求が湧かなくなるし、そういった間違ったものをまずく感じるようになるのです。そのようになった人にタバコを吸うかと聞いても、やめてくださいと言うようになる。やめるのではなくて自然に要らなくなる。そういう世界があることに気付くと、楽にそこへ向かえますよね。やめろって言われると、世界は苦しいところになるでしょう。だからその苦しさに負けてしまうのです。
性欲についても同じように捉えていくと、自らの学びのための発見になります。
そして、その取り扱いも難しくなくなるのではないかな、と思います。
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