一人ひとりの心の中にユートピアを

いさどん:
人間は理想を求めているのに、それを生きるのにふさわしくないものであることが多い。まずはそれを認識する必要がある。人間の中にはそういった矛盾が常にある。だから、まずはその矛盾に気付き、理想を生きる者になることが求められる。
多くの人間は人間らしい行動をしているのだが、それをしている限り理想の世界と出会うことはできない。人間の性(さが)を突破し、奥にある本質に目覚めないとその世界と出会えない。たとえば、宗教を熱心に信仰している人は、その信仰を持って夢見心地に生きていても、その夢は現実化しない。
結局、宗教の構成員としてその仕組みの中にいるだけのことで、その宗教が世の中を変えるような動きにはなってはいかない。その目的が個人の救済にあるか、もしくは真理を本当に求める気がないのかもしれない。だから、我々には理想郷を現象化してみせる必要がある。

木の花塾に来る人の中には何度か通ってくる人たちがいる。この人たちもどこかで理想を求めて、そこに身を置きたいと思っているのだが、結局いつ歩み出すのか。自らのエゴを未処理にしておきながら、理想が現れるのを待っている。そうやって受け皿を探しているのだが、常に受け身で、自らその世界をつくろうとはしない。

今、多くの人たちが現実の矛盾や生き辛さに疑問を持ちながら、それを持ったまま解決しないで毎日を過ごしている。
僕は朝目が覚めると、「いつまでこの毎日の延長が続くのか」と思う。この社会の矛盾を浮き上がらせている人たちがまだこの世界にい続けて、その人たちと時空をともにしている。僕はいつかすべてが溶け合って、このギャップがなくなればと思っているのに、現実にはギャップがあり続ける。
それは一方的にこちらの都合の良い世界になれということではない。本来この宇宙も地球も我々の体の構造もそれぞれ役割を持ちながら一体の世界なのだよ。それから考えると、今の人間たちはバラバラの意識を持って通じ合わないところがある。それがわからなくて外れることはいいとしても、せめてここにとどまり共に歩む人たちとだけでもそれを互いに考えて、ひとりひとりがその世界を現実化するための推進役になってもらいたい。その決意を示さないと、人間はいつまでたってもこういった生き物であり続ける。

神様は人間に特殊な役割と能力を与えたが、それは人間のために与えたのかどうなのか。このゲームを終わりのないゲームとして、矛盾を発生させ続けてこの世界の状態を表現し続けていくのか。
信じる、信じないは人それぞれであるが、神はたしかにいる。そして神の存在を知ると、この矛盾がなぜ創られているのかがわかる。それは人間の未熟さと神の仕掛けが表していることである。
神が仕掛けたその罠に人間の愚かしさが引っかかっている。人間はいつでも自分というものを捨てて、神様のつくったこの一体の中に入ることができる。だから、我々はそこに向かって進むだけだ。

一体世界を表現しようとするのが、本来の我々の集う目的である。それは地球と一体、自然生態系と一体であり、すでに自分自身は自らを構成しているものと一体で存在している。このように、我々はすでに一体である。
エコビレッジをつくろうとしている人は自らに都合の良い一体世界を考えているが、その前提として己をなくし、この世界を知って、地球生態系のように一体を表現していくことが必要だ。そのためには個がありながら、なくならないといけない。その境地に立たないと頭でっかちになって、理想は語るが現実が伴わない。
エコビレッジの精神は、人間が抱えているすべての問題を解決する。しかし、その認識を間違えると、エコビレッジは個の願いを満たしてくれるものだと思ってしまう。エコビレッジとは個の欲望を超えたところで自然にできるものなのだよ。

そうすると、理想郷はすでにどこにでもあることになる。その世界を木の花では実現していく。
木の花の「花」は、「桜」のいのちの美しさと潔さを表している。それは、美しく咲いて、潔く散っていく精神。それから、「梅」の健康と不老長寿。そして、「桃」の全体のための精神を持つことによって個の価値が生まれる。それは菩薩の精神。菩薩たちが暮らす桃源郷の世界。
その木の花の世界は、一人ひとりがオリジナルに、宇宙にたったひとつしかない個性の花を咲かせている姿。それがネットワークしながら、宇宙の大樹に花を咲かせる。来年はそれを完成形にして見せる年になる。

そういったことを希望として生きる人々がいることを世に知らしめる。それは、人生を生活に追われて、金に追われて生きていくような貧しい世界ではない。その理想を生きる一員として、個の花を咲かせる。
多くの人が本当の世界を求めているのに、それが信じられないから、大樹の満開を観ることができない。それを表現するために生きている。一人ひとりは、たったひとつの花にしかすぎない。だから、みんなが一体となって力を合わせることで可能となる。

ようこ:
一人ひとりが自分の心の中にユートピアがあるか、いつも確認しながら生きていくことが大事だね。

いさどん:
そうだね。

ようこ:
そうすれば、その一人ひとりの心が形となって表れてくる。最近のいさどんの話がユートピアのことばかりなのは、一人ひとりがその認識が薄いからだと思っている。一人ひとりの心の中にユートピアができていったら、確実に雰囲気が変わる。
木の花でも、今は人がそぎ落とされて少し雰囲気が変わってきたけれど、その心がみんなの中に浸透していったらさらに変わっていく。それが実際に形となってどう現れてくるのかを観ていくのは、楽しみだね。
  
 


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