いさどん:
オーロヴィル(昨年末のインドの旅の中で訪れたインド最大のコミュニティ)で出会いお世話になった沢山の方々にお礼の気持ちを表すために、オーロヴィル滞在最後の夜に日本食ディナーを開催することになった。
その会場となったチベット展示館へ事前に下見に行ったとき、カルサンというチベット人の女性と出会った。彼女はこのチベット展示館に夫と13歳になる娘と暮らしている。彼女は1歳半のときにインドに来て、孤児を集めた学校で同じように親のいない子供たちと共に育った。それはまさに、子供たちや世話役の先生たちが皆で共に助け合うコミュテニィの暮らしだったそうだ。そして今でも、誰かに何かがあるとすぐにその情報が仲間たちに届き、皆でサポートし合うとても温かい関係にあると話してくれた。
彼女といろいろと語り合えたことは素晴らしい魂の出会いであり、オーロヴィルでの滞在の中でも印象深い出来事となった。
(以下はいさどんとカルサンの対談です。)
いさどん:
マトリマンディールやポンディチェリーにあるシュリ・オーロビンドのアシュラムを訪ね、マザー(シュリ・オーロビンドの精神的パートナーであり、オーロヴィル創立者/1973年没)やオーロビンドのスピリットを感じたときに、その精神性は私たちと同じだと確認しました。しかし、今現在オーロヴィルに暮らしている村人全体を見てみると、彼らはそういった精神に憧れてはいても、自分自身の中にそれを保ち、生きていくことはできていないのではないかと思います。ですから、オーロヴィルの元になる精神性と現実の人々の状態には随分ギャップがあると感じました。
カルサン:
本当にそのとおりです。
いさどん:
しかし今日、唯一あなたにその力強い精神性を感じました。僕が今回オーロヴィルを訪れたのは、人々の中にそういった精神性の新たな扉が開くきっかけになればと思ったからです。そして、もう少し広い世界観、宇宙観の元にオーロヴィルの人々が生きていくことを望んでいます。
カルサン:
ありがとうございます!本当にそのとおりです!
先日、オーロヴィルにあるお坊さんが来ました。皆は彼に説法をしてくれるよう依頼しました。しかし、説法自体はそれほど重要ではないのです。それはあちこちで行われていますし、録音もされています。ですから、説法の代わりに、私は子供たちのいる学校を彼が訪ねるための段取りをすることにしました。なぜなら、子供は未来を担う存在だからです。
そこで彼と子供たちがオープンにディスカッションする場が持たれました。そこで、私も含め、大人として感じたことは、私たちはオーロヴィルについて明瞭ではないということです。私は子供たちが質問をするのを聞いて、彼らがとても混乱していることがわかりました。
13歳の子供がそのお坊さんに、「どうしたらリラックスできるでしょうか?」と尋ねたので、とてもびっくりしました。私の人生はとても困難でしたが、その歳でそのようなことを考えたことはありませんでした。それから、「どうしたら対立を防げますか?」と尋ねる子や、「私たちの中にはどのくらいの精神性があるのでしょうか?」と聞く子もいました。私が思うには、そういった精神性、他者への思いやり、神への降伏(神に全てを委ねること)などは、全て自らの内側にあるのです。
いさどん:
インドを訪れて素晴らしい寺院や施設を見てきましたが、「そうしたものは全て人々の心の中に、精神性の証として確立するものですね」とマザーと確認し合いました。
カルサン:
その通りです!どのようにそれを確立したらよいのでしょう?もし、いさどんがオーロヴィルの人たちを癒したり、もっと深いところにいざなってくれるとしたら、どのように助けてくれますか?
いさどん:
今、私にできることは、世界はもっと広く、地球はひとつであると人々に伝えることです。そして、私たちはその地球から分離して存在しているのではないのです。体を見たら爪と皮膚は別の働きをしていますが、等しく私たちを維持してくれている一部です。そして、私たちはもっと大きな生命のポジションを担っています。ですから、自分が自分である前に、まずは地球であり、宇宙であるという意識に気付くことを伝えますね。
私たちは自らの内から世界を観る自我の目線と、世界に自らが生かされているという外側からの目線が同時に存在しないと、バランスの取れた人ではないのです。
カルサン:
素晴らしいお話をありがとうございます!
いさどん:
私にとっても、とても有意義な時間でした。あなたとはそれほどたくさん話さなくても、魂的に近いものを感じるのです。ですから会ってすぐに、私の親戚のおばさんに良く似ていると伝えたのです。そして、それは物理的ではなく魂的なおばさんという意味です。
カルサン:
全くそのとおりだと思います(笑)。
いさどん:
私たちは地球という一つの魂の元に生き、それを構成しており、一つの家(親)の元に家族なのです。
一昨日、シュリ・オーロビンドのアシュラムに行きました。そこでマザーの魂に色々と案内してもらいましたが、そこまではオーロビンドの魂は感じられませんでした。
そして、彼の座った椅子、ベッドのある部屋に行く前のところで、何か意識が降りてきました。それでなぜかはわかりませんでしたが、私は植物の葉や壁の塗装の傷など色々なものを指差していました。私が指をさすと「そこに私はいる」、「そこにも私はいる」、「どこにでも私はいる」という言葉が降りてきました。「私はこの世界全てにいる。私とあなたの区別は無い。」つまり、あの方はそこまでの魂なのです。
その魂は、日本で私が出会い、ずっと共に歩んできた魂でした。そしてこの旅の前半に、ヒマラヤの山々や土地と対話して出会った魂でもあります。ですから、あの方が地球の魂だとしたら、あの方は私たちの親なのです。私たちは皆その子どもであり、私はあの方そのものであることを感じました。
カルサン:
とても美しいですね。
いさどん:
素晴らしい時間でした。
カルサン:
もう一つだけ、政治的な質問をしてもいいでしょうか?
いさどん:
どうぞ(笑)。
カルサン:
私、鳥肌が立っているわ!
私は1歳半のときにチベットからインドに連れてこられ、その後インドで育ちました。2004年、私は父に27年ぶりに4時間半だけ、ネパールとインドの国境で再会しました。その時、私の娘は1歳半で、初めて彼女の祖父に会いました。父は「チベットに戻ったときに、もう一度会おう」と言っていました。
そこで質問なのですが、父に会いたいという気持ちを持って生きることは、どのように思われますか?
いさどん:
この世界の出来事は全て神様の意志で現れています。その中で人には色々と定めがあって、不幸と言われることもあります。私の今までの人生の半分は、不幸な人たちとの付き合いでした。しかし、不幸を与えられたことの意味を知ると、それは喜びになるのです。
今、あなたの話が始まったときに、私には既に回答がありました。それは、あなたが自分の血縁の家族から遠く離れて生きることになったことは、神様の意志で、そのことによってあなたはもっと大きな家族を知ることになった、ということです。
物理的な家族に恵まれたとしても、もっと大きな真の愛に目覚めることはなかなかできませんね。低い意識しか持っていない人は、貧しさや不幸を与えられても苦しいだけで終わってしまいます。しかし、あなたは自分の辛かった境遇を、もっと大きな家族に結び付けようとしました。
ブッダもキリストもシュリ・オーロビンドもマザーもガンジーも、みんな優れた人たちは、自らの家族を超えて全ての人を家族とみなしました。きっとあなたは、生まれる前に、家族と縁遠いビジョンを選んできているはずなのです。それを神様が叶えてくれただけなのです。ですから、神様に感謝ですね。
カルサン:
私にとって神様が何かはわかりません。しかし、とても父に感謝しています。彼の決意によって、私はチベットから出ることになったからです。
自らが親となってみて初めて、小さな子供を手放すことがどんなに難しいことであったかを感じました。父は3人の子供を犠牲にしました。父がチベットから私たちを送り出さなければ、私たちの命はなかったかもしれません。ですから、常に私を導いてくれた神様なり、聖なるものに感謝しています。私の唯一の内なる平和は、前向きであることなのです。
いさどん:
そうですね。今度は、その感謝やあなたがもらってきた学びを他の人に活かすことが、神様に対するお礼になりますね。
カルサン:
毎日そのように努めています。私たちが最初に手がけたことは、チベットの行き場を失った10代の孤児15人をここに招いて、7週間共に過ごしたことでした。私の娘もそのグループに入りました。決意、大きな責任、そして多大な仕事量がありました。彼らから何も期待してはいませんでしたが、彼らの表情や目からこれ以上のものはないという満足感を感じ、それは最高の贈り物であることに気付きました。
いさどん:
そうですね。与えているようで、実はもらっているのです。
カルサン:
だから、その学校に何かあったときには、お返しをするような気持ちでいます。最終的に、私たちは彼らの親としてではなく、友達として今もあります。
いさどん:
木の花の子供たちはみんなそうですよ。子供たちは私たちの未来を生きる人たちで、それは進化した時代を生きるということですから、精神性は彼らの方が優れているのです。
カルサン:
全くそのとおりです。ですから、最初に彼らに会うときに、「私たちは先生でも親でもありません。あなたたちの友達です」と伝えるのです。
今日は、とても素晴らしい時間をありがとうございました。