朝起きてくるなり、
「私もう帰りたいんです」と言うケア滞在中のちよこさん。
早速話を聞くことにしました。
ようこ:
ちよこさんは3月27日からここに来ているから、
今日で10日になるんだね。
いさどん:
まだ10日しか経ってない?
毎日あまりにも沢山のお話をするので、
もう3ヶ月くらい付き合ったような雰囲気がするけれど(笑)。
僕は、多い人で1週間に1回面談するくらいで、
普通は2週間に1回くらいしかお話しないんです。
ちよこさん:
もうここにいても辛いので、兵庫に帰りたいと思っています。
いさどん:
ここで提供することを受け取り、
キャッチボールするということが出来ない時には、
どんなにこちらが改善したらいいと思っても、苦痛になってしまいます。
しかし、どこへ行っても自分の心はついていきますからね。
ちよこさん:
兵庫の娘のところへ戻っても辛いのはわかっているんですけれど。。。
いさどん:
家へ戻っても同じことが起きるとわかっているんですね。
ようこ:
薬を飲んでも飲まなくても辛いのと同じ話ですね。
ここにいてもどこへ行っても辛いと言うのは。
ちよこさん:
霊障のことはもうそんなに気にならなくて、
今は自律神経が思うようにコントロール出来ないんです。
これさえ取れたら。。。
いさどん:
この間までは原因が霊障でした。
そのうちに、自律神経から原因が違うことに変わったりするものです。
ちよこさん:
昨日もいらいらして眠れなくて。
薬を飲んでも効かなくて、寝たり起きたり寝たり起きたりで。
その後また薬を飲んだら2時間くらい眠れて。。。
いさどん:
じゃあ、薬が効いたから良かったですね。
そこで「ああ、良かった。効くようになった」と喜べばいい。
良かったのに、どうしてまた具合が悪くなっているんですか?
以前は薬を飲んでも全然効かなかったのが、
今はまた効くようになって良かったじゃないですか。
一つ言えることは、
どんなことがあってもちよこさんは不満になるということです。
それが心の傾向としてあります。何でも不満。
「おかげさまで、ありがたいです」と感謝する心がありません。
今だって、以前より落ち着いて話が聞けるようになっています。
でもそう言うと、きっとここで、
「いや、それは外から見えるだけで、
中はそうじゃないんです」と言うんでしょう(笑)。
何しろ、「そうですね、そうやって見ると少し気が楽ですね」
という心が生まれてきません。
兵庫に帰るという話も、
ここから自分の娘さんの家へ台風を持っていくようなものです。
そんなことは誰も喜んでくれませんよね。
ちよこさん:
娘が病んでしまうかもしれません。
いさどん:
僕は、その人が「これじゃいけないな」と
そこから抜け出そうとするきっかけを
提供してあげることしか出来ないと思っています。
実際に物理的な病気については、物理的な対処が必要ですが、
物理的な病気の奥にある心の癖も同時に見ていかないといけません。
物理的なことだけで、病気が起きているわけではないのですから。
物理的なことを解決すれば良くなることも中にはあるでしょうが、
ほとんど心の問題が形になって表われているものです。
それをしっかりと見ていき気づきを提供したいと思っていても、
本人がそのことに気づかないといけません。
これは薬ではなかなか取れないものです。
ちよこさん:
他の人にも同じことを言われました。
薬も他人も何とかしてくれない、最終的には自分だけだと。
いさどん:
自分だけだと言いますが、
ここにはこうやって付き合ってくれる人もいるわけです。
しかし、あなたの人生ですから、
最終的には自分がそこを乗り越えていかないといけません。
あなたの人生という旅の上で起きている出来事ですから。
そういったことを何とも思わない人もいますし、
逆にありがたいと思う人もいます。
ちよこさん:
いつも自分中心になってしまって、他が見えないんですよね。
だから、健康なほうに持っていけないんです。
いさどん:
持っていけないというのが今の状態です。
それを「嫌だ嫌だ」というところに
増幅させる心がちよこさんの中にあります。
「今はそういうふうに持っていけない状態なんだな」と思うだけでいいんです。
「薬を飲むのをやめなさい」とか
「~するのをやめなさい」と言われているのではなく、
何でも出来る環境にちよこさんはいるわけですから。
今どういう環境が与えられているのかといったら、
まわりが一切負荷をかけないで、
自分の状態が忠実に外に出る環境にいるわけです。
ということは、自分自身の中を見ている状態です。
それで、「自分はこうだったんだ、
その部分をこう変えればいいんだな」というところに持っていければいいんです。
そういういい環境にいるのですよ。
僕は、薬が効かないのが一番いいことだと思っています。
薬が効くと、自分の中にある種を誤魔化してしまうんです。
その種を見せるために問題事は起きているのですが、
薬を飲んでそれを押さえてしまうと問題事が出ないから、
「薬を飲めばいいんだ」ということになり、いつまでたっても種が取れません。
種があるということにも気づけません。
しかし、薬が効かないというのは、
種をはっきりと見せてもらっている状態なのだから、
後は種を取ればいいという作業になってきます。
種がある限り、薬で抑えようが他のところへ問題事を持っていこうが
辛い状態は起き続けますから。
ちよこさん:
でも本当にいらいらして、一晩中いても立ってもいられないんです。
いさどん:
そういう時はそういうふうに過ごせばいいんですよ。
それを「嫌だ嫌だ」と言うのではなく、
一晩でも二晩でもそういうふうに過ごしていくと、
疲れてきて眠れるようになるんです。
つまり、座ったり立ったりということを一晩中やっているということは、
まだ自分に力があるということです。
それを消費してやると、人間は確実に
「ああ、疲れた」と眠れるようになります。
ちよこさんの場合、そのエネルギーの消費がまだ足らないということです。
ちよこさん:
でも、もう帰りたいんです。
いさどん:
帰るのは一向に構いませんよ。
ただ、話を聞いてみれば、
娘さんがそれで歓迎するとは思えません。
私たちにとってちよこさんは、心に余分な距離がない関係です。
だから、「お母さんがそんな状態では家が大変です」とか
「お母さんだから良くなってほしい」という感情がありません。
私たちはただ忠実にちよこさんの状態を伝えているだけですから、
ここでの私たちの関係はいい距離だと思います。
ところが、血縁の家族の関係だと距離が近いので、
余計にお互いの気を病むんですよ。
ちよこさん:
そうなんです。娘がかわいそうで。
いさどん:
娘がかわいそうと言う割には、
そのおみやげを持って今から家へ帰ろうとしているわけですから、
それは賢明なことではありません。
ちよこさんは、大変なことをわざわざしようとしています。
ちよこさん:
また、いさどんに怒られてしまって。。。
いさどん:
怒っていません(笑)。
一度も怒ったことはありません。
人が怒っていないのに、「また怒られる」と言って
それを知らない人が聞くと、「あそこではいつもそうやって叱るんだ」とか、
「あの人はかわいそうに、怒られているんだ」となるんですよ。
僕が被害妄想になりそう(笑)。
ちよこさんは、「大変だ、大変だ」と
問題事を増幅させているのだから、
冷静に自分を見ていかないといけませんね。
ちよこさん:
それに集中出来たらいいんですけれど。。。
いさどん:
だから、自分で出来ない時には人に委ねればいいんです。
それは、人の言うことを聞くということです。
ちよこさんにはこちらが言うことをはねつける傾向があります。
「あなたは今こういう状態ですから、こういうふうに思いましょう」ということに対して、
「でも私はこうなんです」と反論します。
「そうですね、そう考えればいいんですね」という言葉が出てきません。
ちよこさん:
それが沁みついているんですね。
いさどん:
そうなんです!
今、ちよこさんはいいことを言いましたね。
そこで本当に気づいてもらいたいのは、
ちよこさんは自分がもらっているものを全部はねつけているということです。
この状態だって神様からいただいているんです。
「あなたの中にこういうものがあるよ」ということを忠実に表現してもらっているんですよ。
この世界にあるものに無駄はないわけですから。
「私の中にあるものがこうやって表現されて
、私に気づきを与えてくれているんだ」と気づいたら、
ありがたいという気持ちが湧いてきます。
今のちよこさんにはそういう感謝の心がありません。
ようこ:
「貧乏神も厄病神も神のうち」の話の中でも、
彼らは「ありがとうという言葉が一番嫌いだ」って言っていましたよね。
反対に彼らは「嫌だ嫌だ」という心は大好きだから、
彼らに「私のところに来て下さい」と言っているようなものですよ。
いさどん:
実際に貧乏神も厄病神もこの敷地の中には入ってこられませんが
あなたの心の中に住み着いているものについてはどうすることも出来ません。
ちよこさん:
だから、ラップ音がポンポン鳴るんですね。
いさどん:
ラップ音がポンポン鳴るって言ったって、
まわりの人には何も聞こえていませんよ。
でも、ラップ音がしたって別にいいじゃないですか。
それを「ラップ音がするんですよ」と
すごく辛そうに苦しそうに表現するのがちよこさんの癖です。
耳鳴りは誰でもしているものですが、
慣れているものには気になりません。
珍しい人にとっては耳鳴りを大ごとのように感じるものです。
そういう意味でいったら、当たり前だと思ったら何でもなくなるんです。
ちよこさん:
そうですね。ラップ音の話は余分でしたね。
いさどん:
以前のちよこさんは、
「ラップ音がしてラップ音がしてたまらないんですよ」と僕に訴えていたじゃないですか。
でも今はそれを「ラップ音の件は余分な話でした」と言えるだけ進歩しているんですよ。
それを評価する心がないと、ラップ音がなくなっても、
また次の問題事を探すようになります。
一つ一つどんどん消化していって、卒業していけばいいんです。
それを「嫌だ嫌だ」と自分で抱え込み、
なくなると次の新しいことを探すんです。
僕がちょっと困ったものだなと思ったのは、
「ここではどうにもならないんです。だから、娘のところへ帰ります」と言って、
では娘さんのところで何が起きるのかと考えたら、
その方が恐ろしいことです。
私たちはあなたが病んでいても、
こうやって冗談を言ったり、
「こういう心の持ち方をしたらいいですよ」という話をするだけで、
私たちが病むことはありません。
しかし、あなたが娘さんのところへ行って家族までが病み出したら、
そちらの方が恐い話です。
でも、ちよこさんは平気でそういうことを言うんです。
ちよこさん:
でも、ここにはいづらいんです。
いさどん:
それはあなたがいづらいだけで、
私たちはこういった対応には慣れていますし。
ちよこさんが病んでいるのに私たちも一緒になって病んでいるようなことでは、
とてもこんなことは出来ません(笑)。
確かに、辛そうなちよこさんの顔は、
私たちにとってもあまり良い景色とは思いません。
でも、それはあなたの問題であって、私たちの問題ではありません。
私たちは私たちで毎日「ありがたい」と思って生きていますから。
ところが、ここを離れて娘さんまで病んでしまったら、
それは社会にとっても問題です。
娘さんだって、健康になって帰ってきてほしいはずです。
こうやって客観的に自分を見ていく話をしていれば、
ちよこさんも落ち着いてきますよね。
あなたが一人でいると、ラップ音も復活するわ、
過去生が何だの霊能者が何だのという話になってしまうのですから、
そういう不安な方へ自分を誘導するのではなく、
自分を落ち着かせるように
客観的に自分を見ていく訓練をするべきだと思います。
そうすれば、自立神経も安定してきます。
結局、ちよこさんの外では何も起きていませんから。
ちよこさん:
でも、やっぱり死にたくなるんです。
いさどん:
最後には死んでしまう人もいますが、
そういう人は広い意味で、
自分が死んだらどういうところへ行くのかということを捉えていません。
今の苦痛から逃れたいばかりで、心が狭い状態です。
心が狭い状態の人は生きていても狭い人生を送ることになりますが、
死んでも魂は死にませんので、
狭いところに自分が封印されているようなことになるのです。
生きていればこうやって状態が良かったり悪かったり、
人の話を聞けば少しは楽になったりしますが、
こんなことで死んだらそういうことはなくなりますからね。
それはそれで恐ろしい世界なんですよ。
あなたは今までそういう勉強をしてきて、知っているのだから。
あなたが死んだ先を知っているということはいいことです。
それを知らなかったら、
たちどころに逝ってしまう人もいます。
僕がいくら「それはダメですよ」と止めたところで、
逝っちゃうんです。
それは不幸なことです。
娘さんのところに行く以上に不幸なことです。
もう一つ気づいてほしいことは、
僕もようこちゃんもあなたが楽になるように一生懸命お話しています。
しかし、一番楽にならなければいけないあなたが、
自分を楽にさせないようにしています。
もっと自分を楽にしてあげないといけないのに。
これって結構面白いでしょ(笑)?
すごく愉快な世界です。
「楽になりたい!」と言う人が自分を辛くしていて、
楽な人が自分のことではないのに、
一生懸命その人が楽になるようにしている。
これって面白い景色じゃない?
人間にはこういうところが沢山あって、僕は「変な生き物だな」と思うんです。
ちよこさん:
。。。そうしたら、もう少し頑張ってみます。
いさどん:
何回も言うようだけれど、
頑張るというのは今の状態を押さえつけていく状態です。
頑張ることもいいですが、
ありのままを受け入れていくことが大切です。
ありがたいことに薬は効かないんですから、
今のありのままの自分を受け入れていくしか仕方ありませんよね。
例えばどこかが痛い時に、
痛み止めを飲んだら楽になるかもしれませんが、
痛み止めがない場合や痛み止めが効かない状態なら、
痛みと付き合うしかありません。
それはすごくいいことです。
そのことを味わいなさいということです。
それで人間は成長することが出来ます。
痛み止めがあることにも感謝することが出来ます。
それを自分の中に受け入れた時に、
次のステージに進んでいくことが出来ます。
難しいかもしれませんが、受け入れるということです。
自分の中に種があるのですから、それを認めるということです。
だから、頑張るのではなく、
「先を楽しみにして、もうちょっといようと思います。よろしくお願いします」でいいんですよ。
ちよこさん:
そうですね。よろしくお願いします。
ようこ:
まだ10日しか経っていないんですから。
いさどん:
たった10日ですよ!
僕はさっき、ようこちゃんからそれを聞く前には、
ちよこさんが来てからもう3ヶ月も経っていて、
3ヶ月以上ここにいる人はほとんどいないから、
「いい加減あなたは卒業しないといけませんよ」と言おうと思っていました(笑)。
でもたった10日なんだよね。
これは逆に言えば密度が濃い生活をしているのですから、
1ヶ月もしたら随分変化するんだろうと思っています。
10日でちよこさんのコメントが大分変わってきていますよね。
霊障のことは忘れてきているし、
ラップ音も「あれは仕方がないんです」というところまできています。
始めは、ラップ音と霊障の話ばかりで、
僕に「お祓いして下さい」と言っていました。
お祓いは効かないし、薬は効かない、そして死んだらどうなるか知っている。
これはもう最高ですよ。もう完璧(笑)!
ようこ:
あとは、素直に人のいうことを聞くだけ!
いさどん:
そうそう。そんなところでどう?
ちょっと笑えるようになりましたね。
ちよこさん:
わかりました。やってみます。ありがとうございました。
いさどん&ようこ:
ああ、良かった、良かった!
こんにちは、
芽吹き花咲きいいかんじの中、
すばらしい漫才[のよう]で、
やはり人生がかかったような真剣味のためか、
味わいとリズム感が、文章だけなのに
伝わってくるようです。
ラップ音も、
ビートを刻んで せっしょんノリノリか、
心臓おだやかになるような、
3拍子のワルツだったら、いいのに、とか
ドラマーにリクエストできればいいのになぁ、と
思っちゃいました。-=-=-=-=-=さて、ドラマーとは誰か
なんちゃって
人を救う、というよりも、人が自分を救う手伝をすることの、現場の中継をかいま見させていただきました。大変これは貴重な記録です。苦しんでいる人にとって大きな参考になります。救いの手を差し伸べることになります。
他人事じゃない…自分の体験するこの世界が自分の心の表れだとするなら、この問題は遠く離れたここ大阪でこのやり取りを読んでいる僕の世界でもある…
だから…僕はどうすればいいのだろう。
心磨き、祈り、信じる事…うーん。
神様劇場に少し賭けてみようと思いました。
ちよこさんの細胞すべてにこころからの深い愛を示せば、どんな表現でも本当でも嘘でも、きっと治癒するでしょうね。
こころはこころを読むから。
私も身体的に、薬はもう効きません。
自分の癖を見つめてきて、でも、まだどこかで、表面しかみえなくなるとき、
これが治れば、これが手術できれば衰えがとまれば、と思うのですが、
ありがたいことに、見事にお金もないし、前みたいにごまかして、働く力もないし、
薬もかつてのみすぎてきたことで、きかなくなりました。
繰り返し、ぐるぐる回ることもあるのですが、結局ごまかしがきかないのですね・・・。
どんなものも依存できなくなりました。
痛みで気が狂うかなあ、と何度もありますが、意外に冷静になれば、気が狂わないことも感じてきました。
それでも痛みを味わいきるのはなかなかパワーがいりますね^^;;
私もかつて、霊については、とても振り回されてしまってつらかったことがあります。
それは、そのままを受け入れ、理解し、もう何も問題なくなりましたが、ずいぶんかかりました。
痛みや衰えとかを味わうことを何年もやりながら、
本当に少しずつだけれど、広いところに出ている気がします。
此花のようなサポートがあるとありがたいですね。
スピードがすごいです!
どの状態の人がいても、見守り、それぞれの中に幸せがあり、
幸せの真ん中を生きている。
そんな姿は何よりも、力な気がします。
私は一人でやっているから、長いのかもですが^-^;
ちよこさん、そこでどうぞ、いっぱい皆さんとともに自身を十分に自由にされていってください。
つらいと感じることは本当に本当につらいでしょうが、私も応援してます
私も、一緒に進ませてください。
いつもシェアをありがとうございます。
心臓、魂、声。。。拍動が伝わる劇場のようですね。
私が会ったのは初日のちよこさん。
ちよこさんは、ちよこさん。どんな状態でも、この瞬間ここにいるのが。
ちょっと殻をはいでも、捉え方がちがくなっても、素直になっても、ちよこさん。
「やってみます」の言葉のとおりにやってみて、その結果は心配無用でゆだねて(と自分にいい聞かせて(笑))
シェアありがとう。
仙台天命は、本日、向かう先を確かめあいました。