タイから木の花ファミリーの暮らしのあり方を学びに来ている高校生のマインちゃんとナッちゃんに対して、身近な「食」を切り口として世界観を広げるプレゼンテーションが行われてきました。その最終回のプレゼンテーションが終わったところで、マインちゃんから献血について、いさどんに質問がありました。
マインちゃん:
日本では献血をしますか?
いさどん:
本来、一人ひとりの魂は独立したものです。ですから、一人ひとりの生命の性質を示す血液も、霊的には独立した存在です。つまり、親子兄弟といった血縁は関係なく、血液は独立したものと言えるのです。
たとえば体の臓器を移植することは可能ですが、マインちゃんの心とナッちゃんの心を混ぜることはできないでしょう?ですから、心臓という心の臓器は血液を通して栄養を運んでいるだけではなく、心も運び、わたしたちの体をひとつのネットワークとして束ねているのです。血液は、心の通り道ですからね。それは、太陽系の太陽磁場が星々を連携させ、束ねているのと同じ構造です。ですから本来、血液は交ぜてはいけないものなのです。
今は日本でも医療が進み、輸血をするようになりましたが、そういった行為は霊的には混乱をもたらすものです。ただ、近代的な技術を使って輸血をしても、血液もいずれ循環して変わっていくでしょう?たとえば血液がすべて入れ替わるのに4ヶ月かかると言われていますが、その間は霊的には混乱が生じるということです。ですから、血液はなるべく交ぜないほうがいいのです。
マインちゃん:
では、輸血をしないほうがいいということですか?
いさどん:
輸血をするということは、すでに輸血をしなければいけない状態に自分が人生の中で出会ったということです。そのような状態に出会わない人生を生きていくことが、大切なのです。そのために、美しい心で生きることのほうが大切ですね。
人は「死にたくない」という心があると、生きるために何でもしたくなるものです。しかし、覚悟があると、「いのちはいただいたものですから、わたしは充実した人生を生き、いつでもお返しできます」という心になり、輸血などに頼らなくても、寿命があればいのちは復活します。しかし、そういった心がなければ、ただ生きたいばかりですから、輸血でも何でも手段を選びません。その心は汚れたものです。
輸血の技術がないときには、人々は覚悟を持っていのちを返してきました。そういった意味では、今の人間の心が死に対して潔くなくなったのは、輸血に限らず、他の医療技術に対しても依存するようになったからです。それで、日々を真剣に生きなくなったのです。日々を真剣に生き、自らの心を磨いていれば、毎日が充実しているので、いつ死んでもいいという心になるものです。
科学やテクノロジーの進化が進み、人々の生活が豊かになっていくにしたがって、人々の心はそういった物理的な豊かさを求めることを優先してきました。そして、物事の本質を捉え、生きていることの意味を見失い、一方的に延命することだけを求めるようになりました。
本来、わたしたちが肉体をいただき生きていることの意味は、物理的なものに惑わされることなく、自らの霊的な意識の高まりを目指し、霊的な世界から生まれ霊的な世界へ還っていくことを悟り、そしてこの世界へ生み出された目的を達成することです。
ですから、現代人のようにそういったことを忘れ、物理的なことを優先する意識が強くなれば、社会にも混乱が生じるのです。
わたしたち生命は皆、いずれに死に至る約束のもとに生きています。ですから、死に到達するという絶対なる約束事のもとに、日々を生きていくことが大切なのです。
輸血をしないということは、いのちに対して覚悟がひとつ余分にあるということです。本来、人は肉体という物理的な存在ではなく、霊的な存在です。死んだ先の世界にいのちをつなげて捉えていれば、死は恐ろしいものではないのです。魂は一人ひとりオリジナルであると考えられます。以前、血液は汚れているものを回収してろ過する経路だという話をしましたね。血液は心の運び道ですから、他の血を取ると霊的にも血液は汚れていくのです。
近代医療のテクノロジーが優れていて、生きることに対して恩恵をもらえるとしたら、いのちが永らえるということです。しかしそれは、輸血によって他の霊的・物理的汚れを自分に取り入れることでもあるのです。僕は、そういった行為を否定しているのではありません。
大切なことは、そういった仕組みを知り、自らの心を綺麗にしていくことです。そして、生活も綺麗にして、血液を浄化していけば、常に美しい人で生きられるということです。
ワンちゃん:
今、タイでは献血のキャンペーンを行っています。それは、「献血によっていのちを助けましょう」という活動です。
いさどん:
それは、いのちの質や人生の質を問わず、ただ永らえることだけが大切だという現代医療の考え方です。ですから、そうした考え方が進めば進むほど、混乱した社会が広がっていくのです。
ワンちゃん:
今まで、献血は良いことだと思っていました。
いさどん:
それは、表面的ないのちの捉え方なのですよ。
それよりも、いのちに対して覚悟を持ち、潔く爽やかな人生を生きることは、その人の人生が健やかで、それこそ神人(天人)が地上を生きるというようなことにつながります。これは新たな時代を生きる人々の考え方です。
ワンちゃん:
タイで献血のキャンペーンを行うとき、「これは他の人たちのいのちを永らえるために、あなたが出来る最善の行為です」ということで広まっています。
いさどん:
それは、現代的な浅い医療の考え方です。それでは、問題事は根本的に解決せず、医療行為がどんどん広がっていくことになります。
ワンちゃん:
ただ、わたしは低血圧で献血ができません。だから、それを喜びとすべきですね。
いさどん:
あなたが低血圧だとしたら、それを喜びとする部分とそうでない部分があります。その低血圧はあなたの心の現れなのです。その状態を改善するためにまずは心の持ち方を改めると、食生活が変わり、生活が変わり、あなたは低血圧ではない健全な状態になるのです。ですから、低血圧であることは喜びにはつながりません。
ワンちゃん:
タイにも血圧を上げるような食養生プログラムがあります。
いさどん:
それは体の健康のためにやるのではなく、心のバランスを取るためにやるべきですね。健康は心のバランスの現れなのです。「健康になろう!」と思って取り組んだ結果、心が不健全なのに体だけ健康になったら、別の意味で人生に問題をもたらします。ですから、常に自分と向き合って生きることが大切です。いろいろな滞りは自らの心の実態を見せてくれているのですから、そこから逃げないことです。それはある意味、出家者の心構えのようですが、今、お坊さんたちでもそこまではやっていませんね(笑)。
ナッちゃん:
今、わたしたちの精神は健康ではありません。ですから、多くの人たちが異なる病気を抱え、不健康な状態でいます。そこで、どのようにしてその病気の原因を知り、どのようにその状態を改善していったらいいのでしょうか?
いさどん:
まず、人間の不健康は地球の病気です。それは社会が病んでいるとも言えます。病気になった人のことをかわいそうだと思いませんか?ところが実際は、病気になった人は世の中に問題をもたらしている人なのです。
世の中に問題があると、喜ぶ人がいるのです。生きることに不安な人がいると、喜ぶ人がいます。それは保険屋さんです。人が争うと、喜ぶ人がいます。それは弁護士です。裁判官も、人が争うことによって自らの仕事が充実します。人が欲深くなって不要なものまで欲しがるようになると、喜ぶ人がいます。それは物を作る人です。病人が増えると、喜ぶ人がいます。それは、その人たちによって支えられている製薬会社や医者です。ですから、この世界は、混乱や問題事で成り立っているのです。
ナッちゃん:
いさどんは、皆それぞれオリジナルな魂を持っていると言いましたが、科学は血液型をいくつかに分類しています。それはどういうことなのでしょうか?
いさどん:
血液型はとても大まかな人の性質の傾向を示していますが、それは環境、時代など一人ひとり様々な要因が違うので、同じ血液型の人でも厳密に言えば違う人なのです。心の臓器から送られる血液はいのちの通り道であり、血液自体はまさに霊的なものなのです。ですから、血液型でもその霊的なものが分類できるのです。輸血が始まった頃は、血液型の分類がない時代でしたから、そうしたことに構わず他人の血を入れていました。そこから科学によって血液が分析され、その違いがわかるようになり、一人ひとりがオリジナルな存在であることが観えてきたのです。ですから、最終的には血液は交ぜてはいけないというところに到達するのです。血液型で人格を観る場合も、大まかな傾向は観えますが、それを厳密に観ていくと、最終的には一人ひとりがオリジナルであることに行き着くのです。
今の医療は人のいのちを生かすことばかりを優先していますが、死ぬことの大切さがあるのです。長く生きてとても見苦しい人生よりも、短くても美しく素晴らしい人生がありますよね。人々が医療に頼って長生きしようと思うようになったのは、人々が自らと向き合わなくても、医療がいのちを救ってしまうようになってしまったからです。
大切なことは、病気に限らず、どのような問題事に出会ったときも、それに出会った自分を振り返り、その原因を突き止めることです。ある意味医療は、病気という自分が出会った問題事から振り返るチャンスを、人々から奪ってしまったのです。それは、医療自体が本来の目的から外れ、お金儲けのためにまわるようになってしまったからです。ですからその行為は、人間が生まれてきた目的を奪ってしまうようなことでもあるのです。
人間は生まれてからいろいろな出来事に出会い、その出来事から自らの実態を知って、そして高まっていくために生きています。そして高まった結果、執着を一切持たず、自らの霊的な価値を持って旅立っていくのです。それが生きることの本当の目的です。
そういったことがわかると、一人ひとりが生活の中で出会う出来事だけで学び、成長することができるのです。そうすると、宗教も指導者もいらなくなるのです。そういった時代の扉が今、開いたのです。
ナッちゃん:
今の学校に入る前、将来わたしは大学に進学して心理学を学ぼうと思っていました。それは、心理学者になって精神的な病を持つ人々を助けたいと思っていたからです。ですから、自分と向き合って自らを改善していくために、心理学ではふたつの方法で患者を助けることができます。ひとつは患者の問題をしっかり聴き、導く方法です。もうひとつは薬を処方して、たとえば夜眠れるように睡眠薬を、一般社会で普通に機能できるような薬を処方するという方法です。人気のある学部について調べてみると、以前は医学部、工学部、文学部、商業芸術学部などが人気がありましたが、現在は心理学部が人気があります。わたしが思うに、それは人々を助けるために心理学者になりたいのではなく、心理学者になると良い収入を得られるからです。
また、タイの国王は満ち足りた経済を提唱しようとしています。満ち足りた経済を理解するためには、まずどのような状態が満ち足りているのかを知ることだと言われています。それは、衣食住において足るを知るということです。しかし、わたしたちの教育センターに満ち足りた経済について学びに来る人々は、何が足りている状態なのかを理解する心の状態にはありません。彼らはただ欲が深く、お金儲けのために何かを学び、自給自足しようとしているのです。わたしはそういった状況に対して、嬉しくありません。
いさどん:
それは、あなたの中に時代を先取りした想いが湧いているということです。今、時代は欲ばかりかけて生きていると、必ず行き詰まるようになっています。今、拡大・発展の時代から、不要なものをそぎ落とし、必要なものだけを選ぶ時代に入りました。それは物理的なものだけではなく、心も同じ流れです。ですから、あなたが考えていることは次の時代のことなのです。そのままその考えを進めていけば、あなたは世の中が必要なことをやっていることがわかってきます。それは、木の花ファミリーが実践していることであり、心理学の先を行くことなのです。
あなたはこれから一生懸命英語を勉強して、来年の2月に開催される「1ヶ月間の真学校」を受けるといいですよ♪そうしたら、医療や心理学を超えた世界をマスターできます。また会いましょう♪