革命は一人ひとりの目覚めから起きる!

5月3日、533(いさみ)ナイトに先立って、木の花ファミリーでは毎年恒例の田楽田植え祭りが行われました。その時のいさどんの挨拶をご紹介します!

乾杯の前に挨拶をするいさどん ー 田楽田植え祭りより
乾杯の前に挨拶をするいさどん ー 田楽田植え祭りより

今年も毎年恒例の田楽祭がやってきました。先程、降神祝詞が奏上され、日常生活からは程遠いような神事が執り行われましたが、実はこれも日常生活なのです。わたしたちは人間ですから、いのちですよね。そうすると、地球の循環、そして他の星との宇宙の循環の中にわたしたちは常に存在しています。それが、わたしたちの日常なのです。

近年、人間は能力が高いがために、この地球を人間だけのもののように考えている傾向があります。そういったおごりの心が今、いろいろな意味で人間社会に行き詰まりをもたらしているのです。

ツケをそのままにして先に進むと、矛盾はあり続けます。そして、人の心が二極化する世の中がこれから訪れようとしています。つまり、今までの時代に興味を示さない若い世代が矛盾を無視し新たな時代を創っていくのに対し、今までのツケがこれからクローズアップされていきます。若い世代からすると、それは自分たちが残したものではないから責任を負いたくないと思っていますし、だからといって現実を見ても夢がないので、新たな価値観のほうに逃げようとしてそちらの方へ意識を向けてしまっています。そして、ツケを残してきたことに責任ある世代もそのツケを残しただけで、ツケの大きさを意識しない者もいれば、自分たちの犯してきたことに対して償いをしようとしない者もいます。また、どうにかするつもりはあっても、そのツケはどうにもならない段階まで来ているのです。

マスコミもそれについて報道はしますが、どのようにその矛盾を解消するのかという方法は見出せず、世論にそういった空気が起きないので手をこまねいて見ている状態です。矛盾を見てそれを償おうという気が起きないために、これからしばらくの間、二極化したおかしな時代が訪れることでしょう。本来ならば、そのまま素直に次の時代に移行すればよいのですが、これは移行期に現れる現象とも言えるのです。

今までの時代は、人間の可能性の探究の時代でした。人々はエゴを花開かせ、そのことによって夢見てきた時代でした。そして今、エゴを花開かせたツケの実態を知った者たちは、どうすることもできず呆然と立ち尽くし、そのツケを先送りにしている状態なのです。このツケは、もはや一部の者たちがどうにかしようとしてもどうすることもできない段階まで来ています。今の時代の主力の人々も、その異常さに唖然として対策も打てず、どうすることもできないのです。

昔の美しい自然をもう取り戻すことができないように、人間社会もツケが大きくなり過ぎてしまって、このまま放っておいて健全になっていくことはもはやありえません。矛盾が自然の中に蔓延してしまったら、それは解消できないのです。本来、自然のものであるならば潜象界へ還っていくのですが、人工のものはサイクルが長いので、浄化されるのにかなりの年月を要するのです。

人間の欲望が膨らみ過ぎてしまった今の世の中に対して、唯一の解決策は一体何でしょうか。それは、個人が全体意識に目覚め、一人ひとりが自らの分だけその責任を取ることです。そうすると、その意識のウェーブが起きて、解決に向かうことでしょう。

最近、財政健全化計画の話題が取り上げられなくなったのも、それは状況がどんどんひどくなっていくばかりで、それを言っても仕方がない状況になっているからです。社会全体がそのような状況になっているのです。

だから今、その唯一の解決策として、革命しかないのです。この革命は、一人ひとりの目覚めから起きます。これはその意識のウェーブの革命です。個人を観てみると、行き詰まりに出会い痛みを伴って目覚める者もいれば、「これはこのまま行くとダメだ!」とまだ行き詰っていないのに積極的に改善する者もいるとしたら、これからの時代はまだまだ前者の方が多いのです。それは愚かしいことでもあるのですが、今の状態がリセットされるために、わたしたちは行き詰まりや問題事に出会うようになっているのです。

そうしたリセットがどこまでも成らないとなったら、これは地球的矛盾にもなるので、天変地異や異常気象の力によって成るということなのでしょう。いずれにしても、地球にとっての自己矛盾でもあるのですから、これは時代と共にリセットしなければならない時が来ているのです。そういった意味で、霊的に地球を導いている存在たちの力だけでは、もはやどうしようもならない段階まで来ているということなのでしょう。

宇宙的に観れば、そういった現象はすべてダイナミックな波乗りのようにも捉えられます。それを小さく区切って捉えれば大変なことになってしまうのですが、そこを超越してしまえば、地球に起きたいろいろなウェーブの中のひとつにしか過ぎないのです。

わたしたちは自分たちだけを見れば小さな存在ですが、こういった小さな集いが大きくなって、世の中に問題をもたらすこともあれば、逆により良い社会を創るきっかけにもなります。人間が自然からいのちをいただき、他のいのちと循環し調和していることを表さない限り、天変地異や異常気象はこれからも起こり続けることでしょう。そして、自然からの警告だけではなく、人間社会の中だけでも矛盾が発生しているような今の世の中で、こうやって毎年自然に感謝し、自然からいのちをいただいていくことを天に誓い、自然とともにあるという謙虚な心を大切に生きていきたいものです。そういった意味で、今日をいのちをいただく儀式のはじまりとして、この一年を過ごしていきたいと思います。

ぜひ、これを機会に木の花ファミリーの健全な成り立ちと豊作だけを願うのではなく、豊かで平和な世界が訪れることを共に願っていきましょう。

 

〈田楽田植え祭りより〉
宮ノ下1

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533(いさみ)ナイトより④「やっと出会えたね」

533ナイトの最後にコメントを求められたいさどんは、次のように語りました。

 
いさどん:
この場が僕の誕生日を祝福する場所だとしたら、できれば皆さんにリクエストがあります。

わたしたちは約束のもとにこの世界に生きています。それを忘れていると、自らの都合だけで生きるようになります。約束を忘れていなければ、約束を果たすために生きるのです。そして約束のもとに生まれてきたということは、その約束を果たすことが生きる目的になります。そして、わたしたちは生きることで、必ず死を迎えることになります。わたしたちが存在する上で、これほど絶対の約束は他にありません。そして死を迎えたときに、約束を果たして旅立っていくことが最も大切なことです。

旅立ちを思い浮かべると、僕にはいつもイメージするフレーズがあります。忘れていた約束を思い出したとき、それから、それまでまったく縁のなかった人に出会いとても強いつながりを感じたときに、「ああ、そうだった!」と思い出すフレーズです。

わたしたちがこの道を歩んでいることは、生きることの中で一番意識していくべき大切な生き方です。それを最優先にして生きていけば、人生の始まりの約束のもとに、人生の終わりにそれを果たし旅立っていくときに、十分な達成感を得る方法なのです。しかし人生の途中では、そういった約束をついつい忘れてしまうものです。そこで、忘れていることを思い出すために、いろいろな出来事に出会うのです。

そういったときに、僕はどんなフレーズをイメージすると思いますか?それは、「やっと出会えたね」というフレーズです。僕は印象深い出会いを得たときに、「やっと出会えたね」と思うのです。そして、この心がどんなに伝わらなくても、いつか誰もがその約束を思い出し、必ず「やっと出会えたね」と思えるときが来るはずです。すべての人がそのような約束のもとに生まれてきているのです。ですから、僕のリクエストは、「何十年もの時をこえて」です(みんな、笑)♪

今、ここに「何万年もの時をこえて」というスライドが(笑)・・・・「何億年もの時をこえて」でしたね(笑)♪その中に、「やっと出会えたね」というフレーズが出てきます。

この曲は、人類が地球上に存在することの意味に気付くための目覚めの歌です。ですから、21世紀の人類へのプレゼントのような曲だと僕は思っています。時代はもう21世紀に入っているのですから、これからこの精神が世の中に広まっていくはずです。僕は「やっと出会えたね」とすべての人にいつも思っています。すべての人と出会うとき、すべての出来事と出会うとき、いつもこのフレーズをイメージするのです。

 
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今日のこの場は、ようこちゃんがいさどんに誕生日プレゼントをあげたいと思い、そこで何をプレゼントしたらいさどんが一番喜ぶのだろう、ということで企画されました。ようこちゃん曰く、「いさどんにとっての一番のプレゼントは人類の目覚めだ。そのためにはまず、ここにいる人たちがさらに目覚めるよう、みんなでこの生き方を再確認する時間を持とう」ということでした。そのようこちゃんの想いはまさに今の僕の心にぴったりです。僕の中には人々が目覚め、宇宙の奇跡である星を本当にわたしたち人類が奇跡として実感し、すべての生命がその生命の尊さ・豊かさを謳歌する、というイメージがあります。そして、そのために生きることが僕の人生です。今、現実を観てみると、そういった社会にはまだまだ程遠い感じがします。そうであるならば、どこかにその雛形となる場所を創らないといけません。

これは、かれこれ30年以上にわたるプロジェクトです。僕は以前、先程のエピソードの中に出てきた滝神社の氏神様から、「そなたはその役割のもとに生まれてきた」と言われました。ですから、そういった役割を果たす約束のもとに僕は生まれてきたのです。人はそれぞれの約束のもとに生まれてきています。その約束を果たすことがその人の生きる真の目的です。そしてそれを果たし満足して旅立つことが人生の喜びなのです。そうであるならば、僕はまさにそれを生きていることを実感しています。

今日、このような企画があることを僕はまったく知らなかったのですが、今ようこちゃんが話してくれたのを聞いて、「そこまで心が通じている人だったのか」と改めて思いました。そして、ここで歌われる歌は世間でヒットしてたくさんCDが売れるような歌ではありませんが、その歌詞は人々が生きる目的の一番として目覚めるための歌詞です。ここにはそういった曲を作るみかちゃんがいるのです。これは二人三脚のようなものだと僕はいつも思っています。僕が語ると長い話になりますが、同じ内容のメッセージをみかちゃんが歌うと、長くても5分で僕が伝えるメッセージを網羅して表現してしまうのです。昔はその役割の違いに嫉妬したこともありましたが(笑)、もしも今、僕がひとりで歌を作って歌って踊れて、ついでに英語まで話せたら、ようこちゃんもみかちゃんもいりませんね(みんな、笑)♪

そのように考えてみたら、この世界は調和であり、互いの個性を活かしながら、すべての生命がつながってもうひとつ大きないのち・地球という星をつくっていることがわかります。そういった意味では、ひとりの者がすべてをこなしてはいけないようになっているのです。ということは、みんなで力を合わせてやっていくということなのです。そうすると、その役割分担をそれぞれが任され、パズルのピースのような自分自身の人生を見て、いくつものピースがピタッとはまって完成するときに、その過程ではひとつずつのピースとピースが出会っていくのです。そのひとつずつのピースはオリジナルで、他に代わりがいません。そして、それが組み合わさっていくたびに「やっと出会えたね」という感情が湧いてくるのです。

いつかそれが完成するときに、「これがわたしたちの生きる目的であり、約束だった」と気付くことでしょう。一人ひとりが個の花を咲かせれば、それが全体として大木となり、大輪の花となるのです。それはすべてのいのちがつらなり、さらに大きないのち・地球という惑星を構成する自然生態系の姿そのものです。それがわたしたちの生きる姿です。

今日5月3日は憲法記念日です。毎年、憲法記念日のときには憲法議論が報道されるのですが、今年は特にそれが過激になっています。ですから、これからこの国をどうしていくのかを一人ひとりが真剣に考える時代が来ています。

僕が32歳の頃、次のようなビジョンが降りてきました。「いつかこの国を司る役割を持っている人たちがここを訪れて、僕に問いかけるのです。『私たちはこの国を本当に豊かで人々が幸せになるように、一生懸命治めようとしてきましたが、これはと思うことをいくらやっても、どうにも上手くいきません。本当に国を正しく豊かに治めるためにはどうしたらいいのか、そのヒントを得るためにここに理想を生きる人々の暮らしがあるのを聞いて、訪ねてきました。どうしたら、良い国をつくることができるのでしょうか。』それに対して、僕はこう答えるのです。『それは制度や仕組みを創ることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこにいる人々の心を見てください。このような心や考え方で人々が暮らせるような国創りをすれば、本当に豊かな国になるでしょう。』」

地球全体の平和を考えないと、ひとつの国家、ひとつの地域、ひとつの家庭、ひとりの人間の平和はありえません。ですから、今や地球意識から銀河系意識で生きる時代が訪れているのです。地球は、たったひとつの天体として成り立っているのではありません。わたしたちは当たり前のように日常生活を送っていますが、その日常が宇宙的に言えばいかに奇跡なのか――そういったことの価値を真に理解するときが来ているのです。

宇宙に地球のような星は他にないのです。人間のような生命も他にはいないのです。ですから、地球上に人間として生きることは、宇宙の奇跡です。それを表現していくことは誰にとっても尊いことであり、大切なことです。

今、僕はこの道を疑うことはありません。これは天の道であり、時代の意志を受けたものが生きる道なのですから、地球と天体の約束が外れることがないように、そのことを理解した僕もこの道から外れることはありません。微妙なずれもそのうちに入っていて、その天体が織り成す地球上の歴史も約束のままに紡がれていくのです。

確かなことは、わたしたちが託された約束を果たしたときに、わたしたちが想像もできないような世界があるということです。それは、僕も行ってみないとわかりません。ただ、そういった世界があるということです。ぜひ、この肉体があるうちにその景色を見て、旅立ちたいものです。今日はみんなの意識からそういった目的の場所を感じ取ることができました。ありがとうございます(みんな、拍手)!

 

 


533(いさみ)ナイトより③「どんな大海を行く者も その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな」

僕が30歳でお釈迦様との出会いをいただくようになってから、宇宙の真理や人のあるべき生き方を世の中に広める場を創ろうと思っていました。そんな僕に対して父親は、「夢というものは見るものだ。そして夢というものはいずれ褪せて、それがはじけるものだ」と思っていたようです。僕のプランは40歳でお金儲けをやめて、日々を世のため人のためにお返しする人生を始める、というものでした。そしてその日が近づいてくると、父親の予測とは逆に、どんどん僕の想いは熱くなっていったのです。そして、僕が40歳になって、いよいよそれを実現しようということで、仕事を辞めて両親のところへ行き、両親の面倒をみながら、農業の勉強をし、人々にもそういった心を伝えていこうと自分の生まれた土地に移り住んだのです。

当初、僕が田舎へ戻ったことを両親は喜んでくれていました。ところが、僕が思っていた親孝行と、両親が考えていた親孝行には大きな違いがあり、両親は息子が商売でもっとお金を得て、豊かな生活をするというような一般的な価値観を自分たちの喜びとしていました。しかし僕は、世の中が良くなって、みんなが助け合って暮らせる幸せで平等な社会を創りたいと思い、そのために自らが生まれた土地を活かしていこうと考えていたのです。その結果、両親は僕の理想を理解できず、悩むことになってしまいました。

ある日、父親は僕にこう問いかけました。「おまえな、世の中のためって言うけど、日本にはどれほどの人がいると思うんだ。ましてや、世界にはもっと沢山の人がいるぞ。おまえ一人そんなことを言って、世の中が変わるか?」

そこで僕はこう答えました。「そういう親父のような人が世の中に沢山いるから、世の中が変わらないんだ。そういった人の理屈では確かにそうかもしれないけれど、塵も積もれば山となるというように、そんな人ばかりいるから、今の世の中のようになっているんだ。だから、人にどうしろということは当てにならないが、自分の行いだけは自分の責任で、ひとり分だけ世の中を変える!それは、絶対に出来る!そうしたら、それを見ていた人がわたしも!と言って変わっていく可能性が生まれる。そして、それが広がっていけば、いずれ70億の人が皆そういった考えに変わっていく可能性につながる。もしも、自分がそういった考えを持っていながら、それを怠ったら、すべての可能性が消える!」と伝えました。そして心の中では、「僕がひとりその志を持っているにもかかわらず、親に言われたからと言ってやめてしまったら、世の中は変わらない!」と思っていました。そうしたら、父親は「おまえってやつは、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うといって、どうしようもないやつだ」ということであきらめてくれました(笑)。

その後、ある朝、僕が2階の部屋から下へ降りようとしたら、両親が下でテレビを観ながら話しているのが聞こえました。二人は「どうしたものか。世間の人が息子を見たら、いい若いもんがどこか具合でも悪いのだろうかと思ってやしないだろうか・・・」と悩んでいたのです。それで僕は父親にこう伝えました。「僕も40歳を過ぎたんだよ。そうしたら、早い人は孫もいるよ。僕はもう子どもではないのだから。親父だったって、若い頃は父親の言うことは聞かないで、『俺は筋を通してきた』って言っていたじゃないか。僕も40歳を過ぎたのだから、『老いたるは子に従え』という言葉があるように、子どもの方針を認めて、それに賭けてみたらどうだ」と言いました。しかし父親は、息子の人生イコール自分の考えの延長にしたかったのです。そのあたりで、父親の考えと自分の考えが違っていたことが明らかになってきました。

僕としては、家長制度が壊れていく本家の古田家を盛り返すということと、平成の二宮金次郎が世の中に現れてもいいだろう、という想いでふるさとに戻ったのです。そして、ふるさとで人のあるべき生き方を世の中に広める場を創ろうと考えていたのです。

しかし、父親の想いを受けて、僕は気が付きました。自分は親孝行をしていたはずなのに、与えようとする意識とそれを受け取る意識の価値観が違うがために、親不孝をしていることがわかったのです。親孝行や人を想うことは、相手と通じたときに価値があるのです。どんなに相手を想う心であっても、それがいかに尊くても、相手と通じなければ意味がないと考えたときに、自分は間違っていたと気付きました。その極めつけとして、「自分は世のため人のための人生を生きると言っておきながら、結局自分の先祖や両親を優先して考えていた。ここにも我があることを知って、天はこの我も取りなさいと教えてくれているのだ」と気付き、親元を離れ、富士山へ行き、この生活をしようと決意したのです。

このようにして、ふるさとでの理想郷づくりを半年で断念した僕は、ふるさとを出発する当日、その志を滝神社の氏神様に報告しに行きました。そうしたら、氏神様から次のような言葉が降りてきました。「そなたのことは、上の神様より聞いておった。そなたがここに来て、わたしを盛り立ててくれることを喜びとしておった。だから、まさかここで別の地へ行くとは思わなかったが、それは理解できる。旅立ちのはなむけに、言葉を送る。どんな大海を行く者も、その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな。」そこで、僕はその意味をこう解釈したのです。「この言葉の奥には二つの意味が隠れている。一つは、氏神であるわたしがそなたの魂の親であることを忘れるな。そして、そなたは肉の親とは心が通じなかったと思っているかもしれないが、そなたのふるさとである両親のことを忘れるな。」

それから月日が経ち、僕が42歳で富士山麓に移住してから、父親は持病が悪化し入院していました。僕も時々富士山から岐阜の病院へお見舞いに行っていたのですが、父親と僕の間には心の壁ができていました。父親からすると、最高の息子ができたと思って僕に賭けていたのが、自分の思惑と違う息子の生き様を見ていつも悩んでいたのです。父親が亡くなる1週間前、僕のいないときに父親はおふくろにこう言ったそうです。「おい、もしかして、あいつの言うことのほうが本当かもしれんな。」そう言って、父親は亡くなっていきました。

しかし、僕には不満でした。「わかるのであれば、生きている間にもっと明快にわからなければいけない。そんなツケを残したような形のわかり方ではダメだ」と思いながら、父親の葬式の日が来ました。僕は父親が生きている間にそれを伝えたったのですが、何しろ死ぬ間際でしたし、昔の人にそのようなことをわかれとは言えませんでした。しかし、肉体がなくなって魂だけになれば、親子ということではなく、魂同士で思う存分伝えられると思ったのです。それで、昭和天皇様が亡くなられたときに声をかけたように、僕は父親の葬式が終わってみんなが帰っていった後、仏壇に向かって、「親父、何もして行かなかったな。古田家は、後は自分のことばかり考える兄弟たちだから、もう決着がつかなくなる。あなたは筋道を通すと言うわりには、何も筋道を通さずに終わったじゃないか」という意味で、父親に死んだ心境を尋ねました。死んだ限りは僕と対面すれば、僕の心が何ものかがわかると思って語りかけたのです。そうしたら、父親はこう言いました。「俺にはようわからんがな。でも、これで良かったそうだぞ。」

そのとき、父親の魂の上を観たら、そこに光が観えたのです。それで、「父親は光を観たのだ」と思い、僕は気付きました。父親は自分が誇れる最高の息子を得たと思っていたのに、ガッカリして旅立っていったのです。ところがそうではなかったということと、僕は僕で「このケジメをつけない人は何なのだ!」と思っていた人が、実は神様の使いだったのだと気付き、お互いに発見したのです。

そのときに僕はこう思いました。「どんな人であっても他人というものはこんなに赤裸々に人間の愚かしさや矛盾を見せてはくれない。しかし、僕の両親が本当に赤裸々に人間の矛盾を見せてくれたことによって、自分は人というものを学ぶことができた。両親が無理解だったからこそ、自分は大きな道を歩めるのであって、もし両親が自分の想いを理解してくれていたなら、自分はこの小さな山の中で暮らしていたかもしれない。そうしたら、僕の人生はまったく別のものになっていただろう」と。ふるさとにいることと、大海を行くことの意味はまったく違うのです。

だから、すべては神の成せる業だと気付きました。思うようにならないことも、思うようになることもすべて、天の意志なのだと。しかし、そのようにこの世界を受け取っていないと、わたしたちは都合の良いことだけを天の意志だとしてしまうのです。

しかし、真実は、自らの襟を正して生きていくことが大切です。そして自分が生きた結果、世の中が襟を正していく ―― それが真の生き方です。

 

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by 木の花楽団

 

 


533(いさみ)ナイトより②「信じる心で生きていく」

僕は30歳のときにお釈迦様との出会いをいただくようになり、その後育っていくためのいろいろなプロセスを経て、32歳からたくさんの人々を対象によろず人生相談を受けるようになりました。何でも相談を受けるということは、僕がどのような話にも乗っていくからです。たとえば会社の経営が上手くいかないとか、人事をどうしたらいいかとか、進学・就職・恋愛問題はもちろん、家庭不和・子育て・病気の相談まで何でも相談に乗って来ました。あの当時不思議だったのは、僕は自分で答えている意識がないのです。口が勝手に動くのです!お筆先ではなく、僕の場合は「お口先」でしたね♪今でも時々そんなことがありますが、話していると新しい発想が湧いてくるのです。そうすると、自分がそこから学びながら話しているときがあります。当時はまったくそうでしたね。だから話したくて仕方がないのは、自分の口から出てくることを学びたかったのです。

そのときに、自分の口から出てくることを学ぶのですが、そこには未熟な自分もいて、囚われた自分がそれに抵抗するのです。ですから、降りてきた発想は優れていることばかりなのですが、それを自らに囚われて受け取れない自分に苦しんでいる時代があったのです。31歳から33歳の2年ぐらいはとても辛い時代でした。当時は苦しくて、ひとりになると毎日泣いていましたね。泣くどころかもっとひどいときは、自分の頭を自分のこぶしで殴ることもありました。でも、それは頭が痛いだけで、何の解決にもなりませんでしたけどね(笑)。

当時、特に夜、仕事の帰りにひとりで車に乗っていると、車の中でしょっちゅう泣いていました。時間が遅くなればなるほど、道路を走る車の台数も少ないので、まわりを気にすることなく、いろいろと想いを巡らせていました。そうやって自らの想いを巡らせ、それに対して天から答えをいただくと、そこに抵抗する自分が出てきて辛くなるのです。それで車を走らせながら、「わーーーっ!!」と大声をあげながら、顔は涙でくちゃくちゃになることもありました。そういったときに赤信号で止まると、たまたま隣に止まる車もいるのです!僕がすごい顔をしているので、隣に止まった車に乗っている人は僕の顔を見て、「えっ?!何あれ!!」と驚いていることもたびたびありましたね(笑)。

そのような日々を送っている中で、ある日の午後、僕は県道春日井・岩倉線の延長に岩倉から一宮に抜ける道を東から西へ向かって走っていました。一宮に入って間もなく、名古屋から岐阜に向かう国道22号線(通称名岐バイパス)の交差点に差し掛かり、赤信号で止まったのです。正面右向こう角には名岐ボールがありました。そこへ差し掛かる少し手前から、僕は天に向かってその当時自分が抱えていた天に対する不満を投げかけていたのです。

「わたしはこの道をいただき、その道が尊くありがたいことであることを自覚しています。ですが、わたしはその道をいただき、未熟者ゆえ、今苦しんでおります。もし、あなたがわたしにその道を選ぶことを尋ねてくれていたのであれば、わたしにも選択肢があったはずです。しかし、あなたはわたしに何の投げかけもないままに、わたしはこのような道を与えられたのです。それにはすべて同意の心を持っているのですが、一方で自らの囚われに執着する自分がいて、毎日苦しんでいるのです。わたしがこのように辛い想いをしていることはおわかりになるでしょう?もし、最初にわたしに断ってくれれば、わたしにも選択肢はあったはずです。それなのに人を無視して!!何ということをするのですか!!」と不満を言っていました。(そのときちょうど、名岐バイパスの赤信号で止まりました。)

するとお釈迦様から一言、こう返ってきました。「ならばこの道、やめるか!」

それを聞いて、僕は次のような感情が湧いてきました。「何を言っているのですか!!この世界にこの尊き道を知らずして行かぬ者はたくさんおります。けれどもひとたびこの尊き道を知って、行かぬ者がおりましょうか。あなたは何を言っているのですか!!わたしが不満を言うからと言って、やめるということはないでしょう!わたしは絶対にこの道をやめません。どんなに辛くても、やめません!でも、わかってもらいたいのです。わたしは今、辛いのです!!」

よく考えてみたら、「それなら不満を言うな!」ということなのですが(笑)。しかし今、僕がそれを逆に与える側からの目線で観たら、「だからおまえ、超えられないものを超えればいいのだろう?おまえはそれをやめたくないのだろう?」ということなのです。「やめたくなくて、それを超えたいのだろう?」と問われれば、「はい」ということになります。そうしたら、「超えられないと言って苦しいのは誰のせいなのだ?」ということになりますね。みなさんも自分のことのように思いませんか?僕にもそういう時代があったのです。31歳から33歳の2年間はそのような時代でした。

みなさんは幸せですよ♪なぜなら自分のぐだぐだを聞いてくれる生の者がいるのですから。(いさどんは自分を指差しながら)これは生ですよ♪しかし、僕に降りてくるものは得体が知れないのです!これは悪魔かもしれませんよ。そういった不確かなものに対して、僕はこの道を歩んできたのです。「信じる」ことがどれほど難しいか。それが降りてきたときに、僕の中には疑う心があったのです。疑う心があっても、この道は絶対やめてはいけない――と思いながらこれまで歩んできました。

それは僕たちが富士山に移住してきたときも同じです。この意味のわからない生活を始めて、これがどうなるのかなんて、まったくわかりませんでした。どこの農家でも息子に農業を継がせたくない時代に、若い女の人が農業をやっているだけで、「畑に20歳の女の子がいるから変だ!」と言う人がいたり、世の中が核家族になっていく風潮の中で、「集団で暮らしているから変だ!」と言われることもありました。当時の日本は何でも既製品の時代でしたから、変わったことをやると変だという時代だったのです。しかし、僕たちはいくら変だと言われても、まったくわけがわからなくても、大切なのだという心だけでここまで歩んできたのです。それが「信ずる」ということです。

答えがこうだったらやってもいい、という考えは信じていることにはなりません。ある意味、僕は不幸でしたね。何しろ、自分の歩んでいる道に確信があるわけではないのですから。僕が30歳のときに黄金のブッダが現れたとき、なぜそのようなものが僕のところに来るのか、意味がわからない。尊いとは思うものの、自分にそれだけの価値があると思わないし、ではなぜ僕のところに来るのか。僕の通知表はすべて3だったのですよ(笑)♪死にたいくらい、とりえがなかったのです。それなのに、そのような尊いものが僕のところへ来たのです。しかし、尊いことを図れる秤はありません。そこにある、それだけで尊いのですから、理由はないのです。

僕はひたすらわからない道を歩んできました。わからないけれど、いつも大切だという心で歩んできました。そして歩んでいった結果、その答えがいつも用意されているのです。だから、答えは歩んでいった先にあるのです。とかく人は先に答えをもらってから歩もうとしますが、それでは信仰の境地に到達できません。まず先に、信じてから進まないといけないのです。

これは生の話です。オリジナルな話です。どこかの本に書いてある話ではありません。イエス様でもお釈迦様でも、このような聖人と呼ばれる人たちは皆、物語になってしまっているのです。しかし、僕は知っています。この人たちは怒りもしたし、悩みもしたし、苦しみながら生きていたことを。生の人間をやりながら歩んでいったことを。

だからどこかで僕は、それが前人未到の道であるならば、先を行く者の辛さがわかるのです。逆に言えば、それだけやりがいがあるのですよ♪それを大切だと思えば、誰もやっていなくても、後から来る者たちのために自らの人生を賭けることができます。そこでは、自分のための道はないのです。あるとしたら、自分の人生が終わったときに、やりきったという満足感が自分のための道だと思います。

 

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by 木の花楽団

 

 


533(いさみ)ナイトより①「3ばかりの通知表」

5月3日はいさどんの誕生日。1951年5月3日の午前3時頃、岐阜県美濃の地にて古田家に三男坊が生まれました。5月3日生まれの三男坊、すなわち「5・3・3」ということで、当初は「伊佐美」という名前が付けられようとしていたいさどんですが、父親が役場に出生届を出しに行った際、役場の受付の人から「これは伊勢の伊ですね・・・それよりもこちらの偉のほうがいいじゃないですか」と言われ、「偉佐美」と命名されることになったのです!頑固者で人の言うことをあまり聞かないいさどんの父親が役場の受付の人に言われただけで、簡単に名前につける字を変えるなんて、ある意味信じがたいことです。しかし、神様は役場の受付の人をも使って、天の意志を地上に現したのです。

今、いさどんは自らの名についてこう振り返ります。「偉いという字がついたことで、僕には昔からプレッシャーを感じることがありました。自分のことをたいして賢いとも思わないし、たいして立派な人だとも思っていなかったので、名前がプレッシャーになることもあったのです。しかしいつの頃からか、自分はこの字をもらう宿命だったと思うようになりました。そして、この字でなければ、イサミのイはヒフミヨイのイ(五・位置という思念)になるのです。それに対し、ヰ(偉)はヒフミヨイムナヤコトという物事の始まりから終わりまでを悟った最終段階の状態です。昔はその字をもらったことをプレッシャーにも感じてきたのですが、今はその仕組みを語れていると思うのです。」

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533ナイト

5月3日の夜はいさどんへのサプライズプレゼントとして、「533ナイト」が開催され、いさどんの人生をファミリー皆で振り返り、一人ひとりがこの生き方に対する志を再確認する場がもたれました。今回は、その夜にシェアされたいさどんのエピソードを3つご紹介します。

 

「3ばかりの通知表」

実は、僕は死にたいと思ったことがあるのです。それは、小学校5年生のときでした。僕は6人兄弟の5番目なのですが、僕に近い兄弟である上のお兄さんとお姉さんは結構勉強ができたのです。僕の小学校のときの通知表を見ると、3ばかり並んでいました。それで小学校5年生のときに家庭科の授業があったのですが、僕はこういう人ですから、「男に家庭科なんて必要ない!なんで男がぞうきんを縫ったりしないといけないんだよ!」といった男気がありました。ですから、ぞうきんを縫ってくることが宿題で出されたときに、とてもむかついた記憶があります(笑)。それで、縫い目を大きくして、がばっがばっと縫っていったら早いじゃないですか(笑)。それを提出したら、その年の通知表には家庭科に2がついていたんですよ!初めてあひるをもらって、それが僕にはとてもショックでした。僕は理数系でしたから、算数と理科だけは時々4をもらっていたのですが、なにしろ3ばかり並んでいました。通知表がすべて3だったときもありましたね。

そうしたら、父親がその通知表を見て、「おまえってやつは3ばっかだな」と言ったのです。3ばかりというのはある意味喜ばしいことでもあると思うのですが、そのときの僕には「とりえがない」と受け取れました。「とりえがない、だから不必要だ」と思ったのです。そうなると、「自分には生きている価値がない」と思うようになったのですから、思い込みは恐ろしいものですね。それで、物置へ行って何を使ったら死ねるか真剣に考えてみたり、川へ行って深いところへ飛び込んだら死ねるかなとか、でもそういえば自分は金槌だから本当に死んじゃったらどうしようと思っちゃったりして(笑)。寒いだろうなとか、苦しいだろうなとか、何か刃物で傷つけたら痛いだろうなと思いながら、さてどうやったら死ねるかと真剣に悩みました。

僕の人生の中では、それ以外死にたいと思ったことはありませんね。ずぶとくなりましたからね(笑)。ですから、いさどんでも真剣に死にたいと思ったときがあるのです。死にたいと思うのは自我の強い人間の特徴なのです。しかし、死んでしまったら、元も子もありません。死にたいと思うのは自分に囚われているからです。誰かと比べたり、よくあるのは自分に意識が行き過ぎてしまうと、他の人の目が気になるのです。そうすると、みんなの目線が自分のところに向いていると思ってしまうのです。

僕はこうやって人前で話すようになりましたが、小学校の高学年から中学校にかけては対人恐怖症で絶対話せませんでした。富士山に移住してからも、いろいろなところへ呼ばれてお話しするようになりました。たとえば会社の経営者の集まりに呼ばれることもあったのです。そうすると、「話を聞きに来る人は優れた人たちだ」と自分で勝手に想像して、プレッシャーを自分にかけていくのでした。たくさん人がいることに対して、それを漠然と見ていると、「みんな優れた人たちなのだろう」と思ってしまうものなのですが、実際一人ひとりに会って話してみると普通の人たちで、そういう場所ではみんな背伸びをしてかっこつけている人が多いのです(笑)。そのことに気付いてからは、自由に話せるようになりました。ところが、多くの人たちは、自分でつくり上げた縛りを取って自由に話すことがなかなかできないのです。だから、僕の話を聞きに来ていることに気付きました。それで聞いている人たちが、「あの人はすごいなあ!」と思うようになるのです。

しかし、こちらにいることもそちらにいることも、たいして変わらないのですよ♪僕にはそのカラクリがわかったのです。ほとんどの人は内にある秘密を話しませんよね。そこで、僕が前へ出て馬鹿話をし、なかなか人前では話せないような話をしていくと、自分を隠して良く見せようと思っている人たちは、「あの人は自分にはやれないことをしている!」と思うのです。これは、ほんのちょっとの意識の違いです。みなさんもそのカラクリに気付けるといいですね♪