絶対に譲らないたったひとつの道

いさどん:
今朝、「そういえば最近、天と対話していない」と思って、久しぶりに心を天に向けた。この関係の絆が深いことは間違いない。私たちは目先のことに左右されず、もっと大きなスタンスで歩むことが大切である。大事なことは、それが必要とされるときのためにあるのだから。だからこそ、私たちはこの生活をやり続けている。人々の理解が進もうが進まなかろうが、自らの心に曇りがなければ、真実はその先にある。それで行く以外に道はない。それは天との約束なのだから。

今まで、この歩みを曲げたことはない。それはなぜかというと、この歩みを所有したことはないからである。これは託されて、使命としてやってきたことだから。現世的な企みや個人の都合でやっているわけではないのである。

そして、いつもその姿勢について想うのは、何も望まず、生きるために必要な最低限のことが継続されれば、目的は達成できるということ。それは、木の花ファミリーの合言葉でもある「愛とお米があればいい」の精神である。そこに常に立ち返って、私たちの存在の意味を忘れなければ、現実にはとても豊かなものを表現し、そしてとても豊かなものを与えられていることがわかる。だから、ゆるぎなく進めばいい。真実は、どんなことがあっても絶対曲げてはいけない。確信があれば、それは継続できる。

昨日のミーティングの最後に僕が話したことの中にもそれがある。
それは、「絶対に譲らないたったひとつの道」。

 

※以下は、前日のミーティングの最後にいさどんが語った内容です。

 

――

私たちは生命です。生命とは無数の命を紡いでいるのですが、よくここで語られる生命の姿は連鎖してつながり、すべてが成り立つことです。すべてというのは宇宙全体のことです。そして、その雛形が地球の姿ですね。それは地球生態系に現されているのですし、私たちひとりひとりの身体もその生命の雛形としてあるのです。

そして、もう一つの雛形が私たちの人生です。これは何の雛形かというと、生命を紡いでいるひとつとして役割を担いながら、私たち人間ひとりひとりが自らの個をオリジナルに表現するように出来ているわけです。その時に、個のオリジナルが個性として単独になってしまうことがあるのです。ですから、この地球の生態系や私たちの体の構造は、個というカルマが暴走することをコントロールしてくれる為に雛形としてあるのです。

つまり、私たちがこの宇宙の雛形としての肉体をいただいて生きるということは、私たち自身の体が宇宙の雛形だということです。それと同時に、この世界の姿が私たちの体や精神の雛形になっている、すなわち逆雛形になっているということです。お互いに生命としてこの世界を表現しながら、その生命が暴走しないようにこの世界が雛形として私たちに指針をくれているということです。そのことをよく理解して生きることが、この命(みこと)を束ねて宇宙をひとつにしている魂(神様)に役割をもらって、本来の役割を果たすことだと思うのです。

それが、生命としての人間が、他の生命にはない尊い生命の調和を束ねる役割を地球上でいただいた本当の姿なのです。それを実行できると、地球上に無限なる宇宙の調和の姿がもたらされ、それを地上天国というのです。それを人間たちはそろそろ知ることによって、自らの尊厳を高めることができます。このことの尊さを知ったものは、本当の意味で高いプライドを持つことができるのです。それは絶対に譲らないたったひとつの道だからです。そのたったひとつの道に出会えること。それは本当の誇りであり喜びなのです。

今年も上半期が終わって、すぐにお正月が来ます。そろそろ仕上げにかからなければいけない時が来ていると思ったら、やはりそのような気持ちを常に持って日々を送りたいと思うのです。もし、みなさんひとりひとりが本当に自分を価値あるものとしたいならば、それをベースにして毎日の生活を生きることです。人生は自らを見事に表現してくれ、駆け引きも一切通用しない正直なこの場を提供してくれます。修行するには本当に最高の場だと思います。

私たちの生活スタイルが本当に大切なところは、手法を使わないことです。瞑想したければ、畑へ行って草取りをしながら無心になればいいのです。ヨガをしたければ、自らの想いに集中して神と対話すればいいのです。いつでも私たちは、この生活の中で悟りの道を歩むことが出来るのです。人間が考えられる悟りを開くための手法は、日々の生活に全て散りばめられていて、神さまが表現してくれているのです。
手法に出会うことは便利の良いことです。それは入口としてはいいですが、捉われてしまうのは問題です。最終的には自らの命の表現の場である日々の生活に現象としてその人柄を表していく。その人生と命をいただいて生きるということです。そして、そのことは私たちが生きていく上でもっとも大事な修行なのだと気づくことです。

このようなことは宗教などのレベルの世界ではないのです。そのような利益的な世界は完全に超えてしまった人として、真実に目覚めた者たちが宇宙から託されていることに応えていく時代です。そのような時代が来ているということであり、その雛形を私たちはこの場所に創らなければいけないのです。

今は小さいかもしれませんが、とても大きな役割です。是非、そのくらいの心になって毎日を過ごしてもらいたいものです。

 


「心磨きって何ですか?」

先日、渋谷にて木の花ファミリーのドキュメンタリー映画『確固たる居場所』が上映されました。上映後、監督の澤則雄さんといさどんによる対談があり、澤さんから「いさどん、心磨きって何ですか?」という質問を投げかけられたいさどんは、次のように答えました。

質問に答えるいさどん。会場も集中しています。
澤さん(左)の質問に答えるいさどん。会場も集中しています。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
心を磨かなくても別にいいのですが(笑)、生きているということは、自分の想いが行動になって、それが対象のものや出来事に反映して返ってくるものです。
ですから、神社にはご神体の鏡がありますよね。そこで何をするのかというと、鏡の前では自分の姿が映るじゃないですか。それは自らを拝むことになります。それが「生きる」ということであり、「命」と書いて「みこと」と読み、「神」のことだと僕は理解しています。つまり、自分を拝み観ることです。

我々は生きていると常に自分らしく考えますよね。思考を巡らせて、それにふさわしく行動します。そして、それにふさわしく事が返ってきます。そのときに、自分が思いもしないことや嫌なことが返ってきたら、どうしますか?多くの人は相手のせいや世の中のせいにしますが、僕は今までずっと沢山の人の相談にのってきた結果、あることに気が付いたのです。
「これは因果応報であり、条件反射だ。自分が投げたボールが同じように返ってきているだけだ」と気付いたのです。

ですから、投げ方を変えればやさしく返ってきます。そのときに、「人生というのは自分にふさわしく事が起きるように創られている。それが心磨きだ」と気付いたのです。
つまり、「人生オール心磨き」ということです。

それは僕たちが心磨きをしているというよりも、心磨きをするために生きているということなのです。自分の中にある色々な問題ごとの種が、それにふさわしい現象となって自分の前に現われてくるならば、その現象を「これは自分自身が引き起こしたものなんだ」と潔く受け取ったときに、そこを卒業できるのです。そうすると、その現象はもう終わるというのがこの世界のカラクリなのです。


心磨きは国境を超えて

インターネットでたまたま木の花ファミリーを知ったアメリカ在住・パキスタン人のカミラさんは、「健全な食やオーガニックのことを学びたい」ということで、1週間ファミリーに滞在されました。そして、滞在5日目、当時長期滞在していたフランス人のプリンから勧められ、ようこ通訳のもと、鬱病の息子のことについていさどんとの面談の場がもたれました。

滞在中、メンバーたちに太極拳の指導をするカミラ
滞在中、メンバーたちに太極拳の指導をするカミラ(右から2人目)

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
では、面談を始めましょうか。今、あなたはご主人と一緒にどこで暮らしていらっしゃるのですか?

カミラ:
私は24歳で結婚し、その後パキスタンからアメリカに移住してからずっとアメリカで暮らしています。

いさどん:
あなたの息子さんは鬱病ということですね。今、息子さんはどのような職業を持っているのですか?

カミラ:
現在息子は自営業をしていますが、今まで3回仕事を変え、2年間仕事をしていなかった時期もありました。

いさどん:
自営業とは、どのような職業ですか?

カミラ:
息子は建築家で、息子の奥さんも同じく建築家です。

いさどん:
その仕事に何か問題はあるのですか?

カミラ:
はい。息子はたいへん熱心に働くのですが、問題は息子が感情的なところです。息子は自立することが出来ず、自分の本当の気持ちを表現することが出来ません。さらに、息子は奥さんによって支配されています。

いさどん:
それは、あなたが奥さんと対立しているということではないですか?

カミラ:
・・・そうかもしれません。私は、奥さんが息子の問題解決の助けになっていないし、適切なアドバイスもしていない、と感じています。

いさどん:
息子さんたちは結婚して何年になるのですか?

カミラ:
7年です。

いさどん:
奥さんのほうが年上ということですが、どちらにとっても初めての結婚なのですか?

カミラ:
そうです。

いさどん:
夫婦間で女性が主導権を握るのは、全く不思議なことではありません。

カミラ:
はい。

いさどん:
息子さんが結婚することによって、あなたが自分の息子を奥さんに奪われてしまったような感情を持っているのではないですか?

カミラ:
・・・そのようには思いませんでした。息子が結婚したときに、奥さんの母親と私との間で主に対立がありました。そして、彼女の母親が彼女に影響を与え、彼女が息子に影響を与えていました。

いさどん:
それは具体的にどのようなことなのですか?

カミラ:
彼女の母親が私に言ったのは、「私の娘はあなたの息子で交通事故によりダメージを受けた問題のある人と結婚すると感じている」ということです。さらに母親は、私たち家族は彼女の家族に対して結婚生活を始めるための費用を支払い、息子と奥さんが住むための家を買う必要があると言うのです。彼女たちは私たちにお願いするというよりも、要求するような形で言ってきました。

いさどん:
家はお母さんたちが買うのではなく、息子さんたちが買えばいい話なのではないですか?

カミラ:
その通りです。

いさどん:
それを向こうのお母さんが買うように言ってきていることに対して、それは筋が違うので、実行する必要はないのではないですか?

カミラ:
その通りです。ただ、問題は奥さんの母親が要求し、そのことで大騒ぎをして、それで息子がヒステリックになってしまったことです。というのも、息子は元々精神的に不安定だったからです。私や夫に反発しながら、息子はこう言いました。「あなたたちは私のことを愛していないし、気にもとめていない。そうでなければ、私に家を買ってくれてもいいはずだ。」そして、息子たちが結婚する以前から結婚後もたいへん不愉快な時間を過ごすことになりました。
息子は私たちに対してとても怒っていましたので、私たちは家を購入することさえ考えました。しかし、当時不動産の相場は非常に高値であったため、今家を購入しても後でお金を失うことになり、今が購入する時期ではないと判断しました。

いさどん:
あなたたちは、向こうのお母さんの要求から、息子さんがあなたたちに家を買うように言ってきたことが不当だということがわかっていながら、家を買おうとしたのですか?

カミラ:
そうです。なぜなら、私たちは息子の状態を申し訳なく思っていたからです。

いさどん:
具体的にどういうことですか?

カミラ:
息子は非常に怒っていたので、私たちは何とか息子をなだめようとしていました。しかし、それは私たちの側からすると、大きな間違いだったと思っています。

いさどん:
それが正当な要求ではないと思っているにも関わらず、息子さんにそのようにしてあげようとすることは、そういった息子さんの姿勢を助長することになるのではないですか?

カミラ:
そう思います。それでは、私たちははっきりNOと言うべきだったということですか?

いさどん:
第三者としては、当然そのように考えます。

カミラ:
同感です。

いさどん:
不当であるにも関わらず、それを提供するということは、そのような要求をさらに助長させることにもなりますね。

カミラ:
それがまさに起こったのです。私たちが何を向こうに与えようとも、向こうからするとそれは十分ではなく、さらに要求がエスカレートしていったのです。ここで、私がいさどんにお聞きしたいのは、どのようにしたら私はNOと言えるほど強くなれるのか、そして恐れることなく正直に自分の想いを伝えられるのか、ということです。

いさどん:
息子さんは自分の主張を強く持っているようですが、彼は今自営業をしているとおっしゃいましたよね?

カミラ:
はい。

いさどん:
息子さんがどんな職業をしているかに関わらず、彼は深い考えを持っている人ではないのです。それで、直感で浅く考えて行動し、それがうまくいかないようになっているのです。それと、そういった色々な間違いを犯しても、なかなかそれを学び改善することができません。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
そして、実際よりも精神年齢が幼いということも言えます。

カミラ:
まさにそうです!

いさどん:
それに対して、あなたがいつまでも自分の子供だからと言って、小学生か中学生ぐらいの子供のように扱ってしまうのが問題なのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
あなたは息子さんをあなたの足しになるような人に育てるというよりも、お嫁さんに彼を渡したと想ったほうが賢明です。自分の息子だと思っていると、それを不愉快に感じるものです。
人には、生まれた家に対して大きく責任を持って生きていく人もいれば、生まれた家から離れて新しい人たちと生きていくタイプの人もいるのです。あなたから観ると、彼が奥さんに色々な決定権を任せているのがあまり愉快ではないようですが、彼にとってはそのスタイルのほうがどちらかというと生きやすいはずなのです。だから、彼は一人前になったので、あなたから巣立ちさせるという考えを持ったほうがいいです。そう考えた時点で、あなたたちが彼らの生活を支援する必要はなくなるわけです。

カミラ:
同感です。

いさどん:
そこで、あなたがしっかりとした意志を持たなければいけないのです。あなたは心の中にいつも迷いがあるのです。好奇心で何かを学ぼうとする意欲はとても強いのですが、そういった学びを自分の人生に生かせないのがあなたの人生です。それに、何か行動しようと思ったときに、思うことはあっても、それを的確に行動にすることが出来ません。
大切なことは、あなたの中で「これは間違っていて、こちらのほうが正しい」と思ったときに、それを確実に行なうことです。しかし、あなたは想いを持つだけで、それを実行することが出来ない心の状態をしているのです。

カミラ:
そうです。

いさどん:
ですから、今のようなトラブルがあったときに、それを学習し、教訓として自らの姿勢を切り替えていくということがなかなか出来ません。ではどのようにしたらいいのかということです。それは、結局あなたの人間性の問題です。ですから、僕が代わりにそれをやってあげるわけにはいきません。
ポイントは、自分が「これは間違っている」と思ったら、それを貫き通すことが大切です。あなたの場合、そこが曖昧で常に不安を持っている状態にいます。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
あなたの人生にはそのような精神状態で生きていくことが現われるようになっています。しかし、それは一生変えることができないものではなく、そのことを通して自分がどのような性質を持っているのか、色々な出来事から客観的に学ぶべきなのです。
色々な出来事に出会えば、自分がそのときに相手に対してどういう行動を取ったかは、学び、気付けるはずなのです。そして、自ら発した分の問題点を改善することができるようになるのです。

カミラ:
たとえば、この場合どのような問題ですか?

いさどん:
先程の話で言えば、お嫁さんのお母さんが不当な要求をしてきました。それに影響を受けて、息子さんもあなたたちに家を買うように要求をしてきましたよね。不当であるということは、第三者の僕も当然そう思いますし、あなたもそう思ったわけです。

カミラ:
そうです。

いさどん:
そのときには、やはりあなたがそう考えるのですから、「それは私たちがするべきことではありません」と、とことんその考えを貫き通すべきなのです。そのときに、あなたがしっかりとその姿勢を示せば、向こうにあなたの人格が伝わって、そのような要求をしても通じない人だとなり、相手の人はそれ以上要求してこなくなるわけです。
ところが、あなたが取った行動は、自分が不当だと思っているにもかかわらず、それについてどうしたらいいか悩んでしまっていたのです。それは、あなたに対してそのような要求をしたらそれが叶う可能性がある、ということを相手に伝えていることになるのです。それがあなたの問題点です。

カミラ:
はい。

いさどん:
そうやって、一つひとつ出来事を冷静に分析しながら、自らの取った行ないがどのようにまわりに波紋をもたらしていくかを学習することが大切なのです。自らが取った行ないが波紋をつくっていることに、あなた自身が気付くべきなのです。それがあなたにとって不愉快なことの元になっているのですから。とりあえず、息子さんとの関係を整理するために、彼はあなたたち夫婦のもとから遠くへ旅立ち、親子であっても縁が遠い人になったと考えるべきです。

カミラ:
はい。私が息子から距離を置くということですね。

いさどん:
客観的に観るということです。そして、自らを観察する必要があるということです。ここ木の花ファミリーでは、そういったトレーニングを各自が行なっています。そうすることによって、自分自身の状態を知り、健全な自分をつくっていく作業をしています。そのために、その人の精神性を観るためのツールがあるわけです。
息子さんの場合はしっかりものを考えないで行動するところがあります。それが色々と努力してやったことをダメにしてしまうことがあります。そのような人には、強いコントロールをしてくれる人がそばにいる必要があるのです。自分だけでいると、その安易な行動によって行き詰り、たとえば鬱病の原因になることもあるのです。ですから、彼と奥さんの結婚は良い結婚であると考えられます。ところが、あなたから観ると、息子が別人のようになってしまったとか、自分たちと敵対しているように感じて不満に思っているということなのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
ですから、そこは切り離してあげることが大切です。あなたの地球暦(※)を観ると、地球が木星と関係を持っています。地球はあなた自身を意味し、そして木星は家族やコミュニティとの関わりを示すものです。ですから、そういったものを大切にする心はあるのですが、この場合、地球と木星の角度が微妙にずれているので、意識はあってもそれがうまくいかないのですから、もう少し精度を上げる必要があるということです。つまり、息子さんとの関係に象徴されるように、はっきりと自分の意志を伝えていくことが大事だということです。

カミラ:
同感です。

いさどん:
そういった判断をするときに、あなたの判断には少し不安定なところがあって、的確な判断ができていません。

カミラ:
それはどのように改善していったらいいのでしょうか。

いさどん:
そんなときには、自分が的確に判断できない人だからこそ、その自覚を持って冷静に、慎重に物事をとらえないといけないのです。まずは、そういった魂を持って生まれてきていることを自覚することが大切です。それからもう一つ、そういった想いはあっても、的確なタイミングで行動できないと、その行動が遅れてしまうのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
ですから、思いたったときに適切なタイミングで行動するべきなのです。

カミラ:
しかし、私が思うこと自体が遅れることもあります。

いさどん:
想いが遅れること自体が、結局行動が遅れることにつながるわけですから、そこがポイントです。ですから、まずあなたがなすべきことは、何か事が起きて判断を要するときに、もっと適切で慎重な判断をするべきだということです。たとえば、相手から圧力が来たからといって、そこで慎重さを欠いてしまうのではなく、それが正当かどうかの判断をしていけば、行動が多少遅れても、姿勢が適切であれば問題はないのです。

カミラ:
そうです。ただ、問題は、私が圧力を感じた瞬間に明快に考えられないということです。

いさどん:
そうです。それがあなたの心の構造です。それを「私はそういう人なのだ」と自らによく伝えてあげることが大切で、そのようになったときこそ、慎重に冷静に自分の気持ちを落ち着ける作業が必要なのです。

カミラ:
つまり、そういった取り組みを続けていくということですね。

いさどん:
そうです。それは自らへの挑戦ですから、あなたがそういった部分を持っているということは、色々な出来事を通してそれを学んで身につけていきなさいということでもあるのです。あなたが生まれたときに天から与えられた一生の修業のようなものなのです。ですから、今のような出来事が起きているのは、生まれたときの約束通りに、それがあなたの前に起きているということなのです。それがあなたのための修行だとしたならば、息子さんの奥さんのお母さんの態度や息子さんの態度は、あなたの修業を手伝ってくれていることにもなります。
そうやってとらえると、自分が被害者にはならないのです。そうすると、出来事に対するイメージが変わってきませんか?もう少し違う言い方をすると、あなたの一生のテーマをクリアするために、その人たちは協力してくれているということです。

カミラ:
その通りだと思います。これが私の人格に関する最大のテーマということになりますか?

いさどん:
そうです。そこがあなたの心の問題点であり、クリアするためのポイントです。そこがクリアできると、あなたはとても安定した人生を生きられるようになります。
もう一つ、あなたの中で気をつけないといけないことがあります。そういった自分を改善しようとするときに、改革を意味する天王星と他の惑星との関係が微妙にずれているので、自己改革がなかなか進まないということです。

カミラ:
私は今回地球暦というものを初めて観たのですが、これは惑星同士が関わり合っているということですか?

いさどん:
そうです。関わり合っている中で、他の惑星としっかりした関係を持っている星は順調に働いていくので問題はないのです。ただ、あなたの地球暦には微妙にずれている星が水星、地球、火星、木星、天王星と5つあり、それがあなたの不安定な部分を表わしています。9つの惑星の中で5つもずれているのですから、かなり不安定だと言えます。
それで、今お伝えしているのは、改革を表わす天王星がずれているということは、あなたが問題に出会ってそれを経験として学び、新しい自分に切り替えていく作業が苦手な人だということを表わしています。ですから、人生の中で同じような問題に沢山出会うということを示しています。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
そこのところを改善しないと、いくらしっかり意志表示をしようと注意しても、結局自分の身につかないということになります。
特にあなた自身を表わす地球がずれているということは、色々と学んだことが身につかないということです。簡単に言うと、他者の言うことを聞かず、頑固者でもあるということです。色々と悩む割には新しいことを取り入れず、保守的な人だということです。
ですから、先程も言いましたが、自分を観察して問題点を見つけたら、それを学習して変えていくことを大切にしないといけないのです。古い自分を壊すことに喜びを見出すと、新しい自分が生まれてきます。これはシヴァの働きです。それがあなたの中では十分に働いていません。自分自身の改革は古い自分が壊れるということですが、保守的になってそれを変えようとしない力が働いているのです。

カミラ:
わかります。

いさどん:
あなたの年齢的なことも考えると、これはトレーニングが要ることです。ただ、私たちは人生を生きていますよね。この人生そのものがトレーニング期間なのです。そういった意味で、木の花ファミリーはトレーニングセンターなのです。ですから、ここでは人が一生かけてトレーニングすることを、一年単位の短い期間でトレーニングしていくわけです。
ただ、そういったことにあなたが気付き、毎日の生活がトレーニングだと捉え、自分自身を客観的に観ていくように心がけていけば、どこにいても改善していくことは可能です。

カミラ:
それを実践するための具体的な方法はありますか?

いさどん:
まずは、出来事に対して冷静に判断をし、どんなときでもパニックにならないということです。冷静に対処し、今まで不安定だったあなたが安定した姿勢を取ることになって、相手からのあなたに対する行動も変わってくるわけです。

カミラ:
そうですね。あなたたちは瞑想などの方法は取り入れていますか。

いさどん:
残念ながらそういった手法はあまり効果があるとは思いません。それは現実的なものではなく、ある意味逃避的な境地を求めるものです。現実に問題があったときに、瞑想で安定させてそれを忘れさせるとか、それをないものだと捉える手法です。それは、ある意味心を楽にしてくれる効果はあります。しかし、そのことがその人自身の心の中にある問題点を引き起こす種を改善することにはなりません。
ですから、大切なことは、毎日の生活の中で起きて来る事をトレーニングの材料としてじっくりと観察しながら、そこで自らを観察していく作業が最も賢明な方法なのです。

カミラ:
たとえば、人間関係を通して自分自身の姿を観察するということですね。

いさどん:
そうです。それは神様が必要な人間関係を与えてくださっているのです。見方を変えれば、あなたにとって悩みの種であるお嫁さんのお母さんや息子さんたちは、あなたのためのトレーニングを与えてくれているということになるのです。

カミラ:
そうですね。

いさどん:
そうやって視点が変わると、人間関係が変わるのです。

カミラ:
それはまさに真理ですね。

いさどん:
そうです。

カミラ:
ただ、頭では理解できるのですが、心で理解できているのかは難しいところです。

いさどん:
あなたは長年それをやってきていますよね。

カミラ:
はい、それは私の習慣のようなものです。

いさどん:
そうです。今回あなたが生まれるときに、そういった人生を設定してきたわけです。しかし、それはベースとして設定しただけのことですから、そこをベースにして味付けをしたり、色々と変えていくことができるわけです。ただ、今までそういったことに気が付かなかっただけなのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
もしよかったら、ほんの少し挑戦してみてください。ほんの少しのことなのに、人間関係や出来事がパッと変わることがあるのです。そのときに、あなたは自分一人で生きているのではなく、神の意志によって生かされていることに気付くでしょう。誰もがこの世界(神様)とともに生きていますから。そして、あなたの人生を生きるということは、神様とあなたが一緒に練ったプランを生きることなのです。
ですから、神様と一緒に生きる意識で、あなたの不安定な部分に挑戦したら、今までに出会わなかった出来事に出会うようになり、とても新鮮な毎日を送れるようになるのです。

カミラ:
その考え方は、私が挑戦するときに非常に役に立つものです。

いさどん:
あなたには精神性を高め、その延長に安定した境地に到達したいという心があるのです。しかし、今まではそういったことに取り組んできませんでした。どちらかと言うと、不安定な自分に翻弄されてきた人生だったのです。あなたの地球暦には惑星同士の関係に2つの系統がありますが、青で色を付けてあるほうがあなたに精神的な安定をもたらす働きをするものです。ところが、今までのあなたはピンクで色付けされているほうの不安定な思考で生きてきています。

カミラ:
でも、この青のほうもずれのある天王星が入っているので良くないのですよね。

いさどん:
そうです。そこは気をつけないといけません。地球暦に関しては、あなたの人生の全てを表わしているものですので、沢山の物語を秘めています。ただ、これはあなたが生まれたときに始まった人生のベースになるものですから、それに気がつかないと、何年経っても変化・成長のない人生を歩むことになってしまいます。
しかし、いったんそのことに気付き、人生を通して自らを学んでいけば、これはどんどん変えていくことができるものなのです。それはこの地球暦上の惑星の配置を変えていくのではなく、あなたが自分の人生を変えていくことによって、この地球暦が示していることが変わっていくことになるのです。

カミラ:
そうすると、もう一度今日のお話をおさらいしたいのですが、感情的にならず冷静でいることが一番のポイントということになりますか?

いさどん:
そもそも、あなたが考えることは外れていることではないのです。ただし、考えるときには冷静に考え、そして行動は適切に行なうことが大事なのですが、なかなかそれができない人ですから、まずは、「自分は慎重に正確に物事を捉えて、そして適切に行動することができない人だ」と認識することが大切です。
そういった認識があれば、何か事が起きたときにそれをまず思い出し、そこを補うために冷静に捉え、そして思ったことは適切に行動することができるようになります。ただ、そういったことを思っても、あなたは保守的でなかなか行動しませんから、そこは自分に言い聞かせて、確実に変えていく作業をする必要があります。

カミラ:
保守的とはどういうことでしょうか?

いさどん:
保守的とは、今の自分を変えていくことに対して、変えたいという想いはあっても、なかなか現実化しないということです。そういうタイプの人は、人生の中で同じようなことが繰り返し起こることになってしまうのです。

カミラ:
わかります。

いさどん:
神様との約束であなたはこういう人生を生きているわけですから、神様と対話しながら自らに取り組んでいったらどうですか?

カミラ:
それは良い考えですね!

いさどん:
そのときに、神様に向かって、「あなたがあなたのプログラムとして私を地上に降ろしたのですよね。ですから、私は自分の考えで生きることよりも、あなたの意志で生きることのほうが適切だと考えます。私は自らの意志よりもあなたの意志で生きることを選びますので、どうぞ私に適切なるアドバイスを下さい」と語りかけてみて下さい。そういった姿勢で生きていると、あなたの中に適切な気付きが湧き、物理的には生活の中で必要な人や物に出会うことができるのです。
つまり、「自分が生きている」ということを手放すべきなのです。「神に生かされている」、もしくは「神とともに生きている」という考えを持つと、人生は楽しくなりますよ。

カミラ:
それはまさに真理ですね!私はその考えがたいへん気に入りました。

いさどん:
それが最も問題がなく、省エネの生き方なのです。そして、人が最も健康に生きられる方法なのです。今の人間たちは自分の考えで生き過ぎています。真実は、「宇宙とともに、宇宙の法則の中で生きている」ということです。それは「生かされている」ということです。人類がそのことを理解したら、人類は地球にとってとても良い存在になります。

カミラ:
その通りですね。

いさどん:
しかし、今の人間は天の存在を忘れていますから、地球にとっても、宇宙にとっても、良くないものとして生きています。

カミラ:
私はいさどんの考えをとても気に入りました。自分自身が強くなれるように感じています。

いさどん:
それは良かったです。

カミラ:
とても良い気分です。そして、それはまさしく私を木の花ファミリーに導いたものと同じ存在です。私はそれが何であるのかわかりませんでしたが、ある日インターネットを観た結果、今、私はここにいるということです。木の花ファミリーがどういったものであるのか、私は全く知らずにここに来たのです。

いさどん:
あなたは数日間ここに滞在されていますが、今日のこの時間があなたにとって最も大切だったのでしょうね。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
僕にはこういったことを地球の人々に伝える使命があるのです。時代は21世紀ですから、人類もいよいよ変わるときが来ているわけです。今日学んだことをあなたはアメリカの家に持ち帰り、そこでの日常に表現していただきたいと思います。そうすると、僕の役割が一つ広がることになります。

カミラ:
わかりました。あなたはたいへん寛大な精神をお持ちですね。というのも、私は単なる一人の訪問者に過ぎず、あなたとこうやってお会いして、直接お話しできるとは思っていませんでした。いさどんと話す機会が持てるのは、ここのメンバーだけだと私は思っていたのです。

いさどん:
そんなことはありませんよ。僕はすべての人々のために生きているのですから。もしよかったら、またこちらにいらして下さい。そのときに長く滞在されたら、こういったことをもっと語り合えると思います。

カミラ:
私もその日を今からとても楽しみにしています。アメリカと日本は離れているので、すぐに来ることは難しいとは思いますが・・・

いさどん:
実は、それも神様に交渉したら、早く実現するかもしれませんよ(笑)。

カミラ:
そうですね(笑)!きっとそれは叶うことでしょう。

いさどん:
そのときを楽しみにしていましょう。

カミラ:
私も楽しみにしています。

いさどん:
最後に、もう一つ真理をお伝えします。
私たちは物理的にはアメリカと日本として距離が離れていますが、こうやって心が通じたものは、いずれ、この物理的な距離を超越した近い存在になれるのです。つまり、こうやって話が通じるということは、魂としては近い存在だということです。ですから、物理的な距離を心配しなくてもいいのですよ。信じていると、道は開かれるものなのです。何かがアメリカにいるあなたと日本の木の花をつないでくれたのですから。

カミラ:
その通りですね。誰かが私をつなげてくれたのですね。

いさどん:
そうです。それを信じていけば、さらにつながっていくことができるのです。今日は良い日でしたね。ありがとうございました。

カミラ:
本当にありがとうございました。

(面談が進むにつれて、見る見る明るく元気になっていったカミラ。
最後にいさどんとハグをした彼女の目には、感動の涙があふれていました。)

※地球暦
杉山開知さんによって考案された、太陽系を1兆分の1の縮図で表す円盤型の暦。
木の花ファミリーではこの地球暦を使い、誕生日の惑星配置からその人の特性や天命を読み解く独自の取り組みを行なっている。

★いさどん解説

カミラの地球暦には、他の惑星との関係が微妙にずれている星が5つもある。それは、各惑星の持っている特徴(天王星の「改革」など)を実行したい気持ちはあるのだけれど実際には実行できないということを意味し、そこへの苛立たしさもあり、息子に対しても自分の考えに対してもとても中途半端な生活をしていた。
彼女は63歳で僕よりも年上なのだが、とても真面目であり、僕が伝えることを素直に吸収しようとする姿勢があったので、この面談はとても良い空気でスムーズに進んでいった。逆に、今までずっと物事を素直に受け取ってこなかった彼女が、今回アメリカでインターネットを観て、日本を訪ね、木の花と出会ったということでもある。
僕はゲストに媚びを売らないし、忙しくもあるので、僕のほうからゲストに声をかけないようにしている。そうしたら、彼女は「ここのメンバーしかいさどんと話す機会を持てないのだろう」と感じていたようだ。ところが、他の外国人ゲストが彼女の問題を聞いて面談を勧めた結果、このような時間を持つことになった。
だから、滞りもある程度続いていくと熟すときが来て、旬のタイミングで取り組むと、とても素直に相手の話を聞くことができるものなのだろう。しかし、滞りも旬ではないときに伝えると、素直に相手の話を聞くことができず、伝える時間とエネルギーがもったいないことにもなりうる。彼女の場合は、重複して色々と滞っていたことがとても良いタイミングで解決していく希望を持てた。それはインターネットを通じ、彼女の意志を超えたものがここと引き合わせてそうなったということである。
今回の事例は、外国人であっても、これほど素直に受け取ることができ、しかも自らが変わっていくために積極的な姿勢を示すことができるというひとつの事例である。


天命とは?

今朝、いさどんと徒然なるままに話をしていく中で、「天命」についての話が出ました。


いさどん:

このあいだ、若者たちがツアーで訪問してきたけれど、ツアーを主催した子が仲間たちに「あそこでは天命がわかるよ」と伝えたことから、みんな、相談シートに「自分の天命を知りたい」と書いていたね。

普通の人たちは、天命というものを「自分がどんな職業に就くか」とか、「どんな社会的地位につくか」「どんな活動をしていくか」というふうに、物理的なこととして捉えていることがほとんどだと思う。でも、実はそういうことはその人の自由意志の範疇に属することで、いくらでも変化することなんだよね。

天命は、そのまま「天からの命(めい)」と言えるのだけど、天が与えた命(めい)というのは、その魂がどういう形状をしていて、自らをどのように表現して、どのような軌跡をたどるのか、ということなんだよ。そして、それは決定されたものではない。つまり、その人のベースにある心の種を表現すること、それが天命なの。

だから、若い子たちにもそのように伝えたのだけど、「それは自分が考えている天命と違う」と捉えた人は、納得できない様子だった。でも、皆、そこのところを大きく勘違いしている。そして、ファミリーのメンバーの中にも、そこを勘違いしている人はいるだろうと思う。

ようこ:

(メンバーの)まりねえが一時、「私のファミリー全体の中での役割は?」ということで、自分の天命を知りたがっていたことがあったよね。そのときは、きっと物理的なことを言っていたんだよね。

いさどん:

そうそう。

ようこ:

それで、結局まりねえにはその問いに対する答えは与えられなかったけれど、その後、まりねえは自分の意志で自分の心の分析を進めていったよね。そして、その結果、昨日の大人ミーティングで自分が持っている心の種を地球暦の読み解きを通じて教えてもらう、という場をいただいたね。

いさどん:

そうだね。

もういちど繰り返すけど、天命というのは、生きるためのベースになる心の状態を表現することなんだよ。そのベースになる心の状態がどのようにこの世界に波紋を投げかけて、どのような現象をつくっていくのか、その結果が天命、ということ。つまり、心の旅、心の軌跡の結果が天命なんだよ。

総理大臣になったり、会社の経営者になったり、社会的に成功したと言われる人であっても、心の貧しい生き方をする人はたくさんいる。なのに、多くの人々は自分に都合の良いイメージで天命をとらえている。だから、面談を受けるときに、占いのようなつもりで話を聞く人もいる。

ようこ:

そういう人からは、「それは当たっていますね」という言葉が出てきたりするよね。それは、先に自分でイメージを持っているということなんだけど。

でも、「天命とは生きるためのベースになる心の状態のことである」という真理に気付けるチャンスは、普通はなかなかないよね。

いさどん:

そうだね。でも、そこは認識を変えないといけない。そして、認識を変えることによって、単に自分にとって都合の良い結果や世界を追い求めるのではなく、真摯に自分と向き合っていくことこそが天命を全うすることだと気付くことができる。それは、生きる上での大切なポイントなんだよ。

 


「この私の人生を、あなたにプレゼントします」ー ある車中での会話から(2)

東京への往復の車中の会話、後編です。

*    *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:昨日の夜、家に帰る時に夜空を見上げながら、できればこの質量を放棄して、あの星に向かってこのまますーっと行きたいなあ、って思った。それは、「上」に行く、ということではないんだよ。宇宙空間へ出るというだけのことで、宇宙には上下はないからね。
それで、どこへ行くかというと、やっぱりこの太陽系を離れて、銀河の旅をしたいんだよ。この天の川銀河も離れて、別の銀河へ行きたいなあって思ってしまうんだよ。

こうやって話すと絵空事みたいだけど、僕のその想いは本物なんだよ。そしてその想いが現実を創っていく。聖書に「始めに言葉ありき」とあるでしょ。言葉っていうのは想いからできてるから、始まりは想いなんだよ。「想う」という段階では、目には見えない。つかむこともできない。けれども、すべての形あるものは、始めにイメージすることから生まれてくるんだよ。「想う」ということは、宇宙を創造する原理なんだよ。
だから、僕は銀河の旅のこともすっごいマジに考えてるのよ。この肉体から離れることが、すごく楽しみなんだよ。そしてその真剣な想いは、より現実化していくんだ。

結局、その人が何を思考するかが、その人の存在を決めるんだよ。愛ある思考を持っていれば愛ある世界ができるし、愛もどきだったらもどきの世界ができる。そのことに僕はずいぶん前に気付いたものだから、疑わないでとことんやることにした。そうすると、その世界は現実化し、深くなっていく。

ともこ:私も愛ある者になりたくて、それをやろうとするんだけど、一生懸命やろうとしてるうちは“もどき”だなって思うの。「愛あるものになるんだ!」って頭の中で思ってるだけで、心はそうじゃない。そんな者にも、本物の愛が育っていくのかな?

いさどん:それがもどきであるうちは、もどきの世界ができるよね。でもいつか、その一生懸命がもどきじゃないものにつながれば、その時にはそれにふさわしい世界が表れるよ。その人の心のあり方が忠実に再現されるのがこの世界の法則だから。そこのところをとことん理解して、信じて、それになりきれば、その想いにふさわしい現象を生んでいくよ。

僕は確信を持ってるんだよ。昔、富士のふもとに菩薩の里を創ろうとイメージした時に、「いや、そんなことは無理だ」とか「自分みたいなものが人に影響を与えられるようになるのだろうか」という想いが湧いた。だけど同時に、それだからいけない、自分で自分の想いを否定するようなことではいけない、と思ったんだよ。だからその自分を否定する自分を否定して、自分にはそれができるんだと信じ切ることにした。やるだけやって、結果をもらえばいいじゃないか、って考えるようにしたんだ。

極端なことを言うとね。これは本当だろうかと考えるようなことがあった時に、それは僕をたぶらかそうとしている悪魔が、僕をからかって、天になりすまして与えたものだったとするでしょ。僕は、それでもいいと思うんだよ。なぜなら、僕はこの道を歩む時に、とことん信じることをベースにしているから。とことん信じて、まっすぐ進むということをベースにして歩んでいる限り、たとえそれを与えているのが悪魔だったとしても、それでもかまわないんだよ。
そして、僕が人生を終える時に悪魔が
「はっはっは。どうだ、見事にお前を騙してやったぞ。引っかかったな」
と言ったらね、僕はそこでにっこり笑ってね、
「そうですか。あなたは悪魔で、私を騙してきたんですね。
でもその悪魔に私が提供したものは何だと思いますか」
と言うんだよ。そしてね、その僕を騙し続けてきた悪魔に向かって、こう言うんだ。
 
「僕はまっすぐ信じて、この道を歩み切りました。
 この私の人生をあなたにプレゼントしますよ。」
 
 
ねじれて、歪んで、疑っているものを悪魔と呼ぶならば、その悪魔にとって、そんな恐ろしい返り討ちはないんだよ。だってそれは、完全に彼を否定するものだから。彼はそこで「ああ、やられた」と言って消えていくか、それとも、申し訳なかったと言って心を入れ替えるかの、どちらかだろうね。
だから、たとえ悪魔であったとしても決して屈しないんだよ。ましてやそれが神であるならば、なおさらそのまま進んでいけばいい。

ともこ:今の話を聞いて、私の人生はずっと疑いがベースになって来てるって思う。人との関係でも、いつか自分は見放されるんじゃないかという怖れが常にあって、わざわざその関係を壊すような行動を起こすんだよ。どうせダメなんでしょと疑って、その通りの結果を招いて、ほらやっぱりダメなんだと確認してある意味安心してる。そうやってわざわざ自分の不信を深めてるの。

いさどん:疑いがベースということでは、僕もそういう時があったんだよ。だけど、疑う自分がどういうものかと考えてみると、それって価値がないでしょ。僕はそういう自分を評価できないわけだよ。そういった心がある自分は、好きじゃない。疑う心を持ち続けるということは、それでよしとしているってことなんだよ。それを捨てるか捨てないかは、その人の意志だからね。
僕には、強い意志と決意があった。それはどういうものかというと、常に道理の通った方を選び、自分に価値をつけるということ。その王道を行くことをとことん徹底するから、時には矛盾した自分を否定することもある。それだけの意志があるか。僕にはそれがあるから、怖いとは思わないんだよ。

ともこ:私の場合、信じて、自分が傷つくことを怖れてるんだ。

いさどん:信じて傷付くとしたら、それは信じ方が間違ってるってことだよ。

ともこ:信じ方が中途半端ってこと?

いさどん:中途半端というのは、つまり信じてないということだよ。信じることを怖れてるってことは、つまり自分の想いと違うことが起きるかもしれないと疑ってるってことでしょう。ということは、信じてないってことなんだよ。
だから、「信じることを怖れてる」というのは正確な表現じゃないね。つまりは「疑ってる」だけのことなんだよ。どこまでも疑ってるっていうことさ。

ともこ:そうか。言葉は正確に使わないとね。

いさどん:そう。言葉が間違ってるんだよ。信じることを怖れていて、信じるも何もない。

ともこ:うん。
思うんだよ。信じてる人は気持ちいいだろうなって。

いさどん:いやあ、もしもこういう究極的な意味で信じる信じないという話になったら、信じてる人はほとんどいないんじゃないかな。まあ、人生の部分的なところでは信じてるって言えることはあるだろうね。だけど究極的に信じている人は、なかなかいない。もし本当に信じていたら、どんなことが起きようとも怖れる必要はなくなるよ。

ともこ:いさどんは信じてるの?

いさどん:何か出来事が起きた瞬間は「わあー」って思う時もあるよ。だけど、今までいろんなことが起きたけど、結果的にここまで歩んできてるってことは、その出来事はその瞬間のプロセスを見せてくれただけとも言えるんだよ。「人間万事塞翁が馬」と言うでしょ。今起きていることに対して、結論なんて何も出せないんだよ。
そして今までいろいろあったけど、事実として、この道を信じてやって来て道理から外れたことは一度もないんだよ。うっと思うことが起きれば起きるほど、たくましくしてもらってるんだと思うよ。

ともこ:今こうやっていさどんの話を聞いているとね、何を疑うことがあるんだろうか、って、疑うことの意味を感じなくなってきたよ。

いさどん:そうでしょう。

ともこ:それを、今のこの瞬間だけじゃなくて、日常の中の一瞬一瞬に活かしていけたらいいなって思うんだ。たとえば誰かと話している時に自分の中の疑いを感じる、その瞬間に。

いさどん:それは、その時にそれまでの見通しが外れるような出来ごとが起これば、瞬間は僕だってウッと思うよ。だけど、見通しが外れるってことは、自分の考えていたことと違うことが起きる、つまりわかっているのではないことが起きるんだから、逆に楽しみなことになる。予想以上の何かが起きるぞって思うんだ。
見通しが壊れるってことは、その考えに固執している人間にとっては恐怖なわけだよ。自分の思った通りにならないんだから。僕の場合は、それを楽しむんだよ。さてこれからどうなるだろうね、って。

ともこ:そうなんだね。私なんてね、自分の思った通りにならなくて、勝手に傷ついてたりするんだよ。

いさどん:思った通りにならなかったことを、その結果も見ないうちに何で悪いことだって決め付けるの。思っていたよりもいい結果になる可能性だってあるんだよ。そしてどんな結果であっても、それがまた次を生んでいく。結果は、常に紡がれて続いていくんだよ。

人間は、自分の意志で人間をやっているのではなく、この宇宙から何かを受託して、銀河や太陽系、そして地球がどういう歴史を刻むのかということの延長に、この世界で役割をもらっているんだよ。つまり我々は、銀河の舞台、地球の舞台の役者なわけだ。
役者にはシナリオがあって、多少のアドリブの自由は与えられつつも、そのシナリオを忠実に演じてるんだよ。そしてそれは大きな仕組みの中にあり、役者はシナリオを演じながら、その仕組みが発しているメッセージが一体何であるかを考えるべきなんだ。それが優れた役者になるということだよ。ところがそこを観ようとしないものだから、シナリオ通りに進んでいることであっても、自分の考えと違うと言ってウッとしたりするわけだ。

そして、我々は地球という舞台で肉体をもらって役者をやりながら、同時に観客でもあるんだよ。シナリオライターと監督はというと、天、つまり神の領域にあり、我々は役者として自分たちで演じながら、同時に観客としてその舞台で展開される物語を楽しみ、その奥にあるシナリオライターや監督からのメッセージを感じとることができるという、すごくおもしろい世界にいるんだよ。

そんな場所を与えられているのだから、楽しまなくちゃね!