生活と理想をひとつにする時代

僕には前に進めようとする心と
それにブレーキをかけようとする心の両方がある。
前に行こうとする心が強くても、
現実にはなかなかその通りになっていかないことがある。
人生ってそういうものだな、
と今までは思っていた。

しかし、ここ1、2年は、
ブレーキをかける方が多く、
現実の方が先に進んでいく。
僕の方が慎重になって、
「そんなに上手くいかないよ」
と思うことが多くある。

そんな中、去年の後半頃から、
いろいろな人とのつながりが出来ている。
僕よりもここを訪ねてくる人たちの方が、
純粋で疑いなく進んでいこうとしている。
僕の中には
「また障害物が出てくるかも」とか、
「人はそんなに簡単には動かないよ」
という想いがある。
それを、流れの中で出会ったことだから、
流れのまま行きましょうということで
日々を過ごしている。

去年の後半くらいから出会った人たちというのは、
僕が考えていることを語ると、
それを僕が考える以上に受け取って反応してくれている。
今まで僕は、
「人間はまだそこまで気づかないだろう」とか、
「これは特別な考えだから普通の人には」と思っていた。
でも、そういった人ばかりではないということがわかった。

事が動き出した。

面白いのは、
以前と逆になってきているということ。
以前は、自分の中から湧き出してきた
高い理想をどんどんやっていこうとしても、
現実にはなかなかそうはならなかった。
今は、慎重に慎重にしているのに、
事はどんどん進んでいく。

羽を広げすぎないようにと考えることもある。
しかし、それを一人で出来るのかと言ったら、
一人でできはしない。
そうすると、僕がそんなふうに考える必要はない。
まわりの人たちの心に響くように、
自分の中にある変わらぬ想いを
語っていくだけでいいんだろう。

私たちの生活は普通ではない。
しかし、これを支持する人たちが
これからますます出てくるのも流れである。
面白いのは、
そういう予測を自分でしておきながら、
「そんなに上手いこといくのかな」という心や、
それがなっていくと、
「えっ、本当になるの?」という想いも出てくる。
もっと自分を信じてあげなきゃと思う。

僕には裏表がない。
私利私欲がない。
あなたは何を考えているのですか?
と問われたら、
そこにあるのは、本当に良い世の中が来ること。
この世界を動かしている存在に皆が目覚め、
この世界の仕組みの中で生かされていること、
そしてすべてのものがひと連なりのものであり兄弟である、
ということに気づくこと。

そうしたら、
当たり前に自分を想うように
人のことを想えるようになり、
そのつながりの中で
人々が平等で平和で愛ある生き方が出来るようになる。
皆が笑っている姿を自分の中にイメージして、
そういう世の中が来ること。
何が希望なのかと言ったら、それだけ。

疑いのない、争いのない、偽りのない、
皆が笑っていられる世の中。
独立した個人の笑いではなく、
皆で一緒に歌い笑いながら生活している。
生活の中に笑いがあり、喜びがある。
そういった世の中が来ること。

私たちは、
人類として過去に尊い教えをもらった。
キリスト、ブッダ、
沢山の聖者たちから道をいただいた。
それはどれをとっても原則は同じものです。
彼らが一体何を語ったのだろうと
心の目で見通してみると、この世界の仕組み。
ひと連なりであるということ。
ひと連なりであるということは、
全部つながっているのだから
全て自分自身だということ。
他を己と思って愛しなさい。
他と思えるものも自分ですよ。
だから、それを愛しなさい。

連なるということは、
悪意では成立しない。
善意を持って連なりなさい。
この世界を創っているものは、
別々の姿をし、いろいろな役割をしている。
どれも重要で不必要なものはない世界だから、
平等な世界です。
調和の中で、
一つのものに束ねられている。

世界の人々に対して
過去のメシアたちが伝えようとしたことは、
そのようなことだろうと思う。
人間たちがそのもとにある心を理解できたら、
聖者たちのような生き方だったのだろう。

しかし、人間たちは、
この世界を見通してみるのではなく、
個人という立場から
自分のエゴでまわりを見ていくようになった。
その結果、自分という概念を得るようになり、
広くこの世界を見通してみるということを忘れてしまって、
この地上だけに特定する概念で
物事を捉えてしまっている。

どんなに大きな組織のトップであろうが、
有名人であろうが、皆同じ人間である。
ただ、そこに大きな差ができた。
どこに差ができたかというと、
「自分がそれだけのものになった、
他の人とは違うんだ」という心を持ったからである。

この国が皆にとって良い国でなくてはいけない。
それを皆で創り上げていく。
その国というのは、
日本という国だけではなく地球国のこと。
過去に聖者たちが
私たちに残してくれた財産を指針としなさい。
一番の根本はこの宇宙の仕組み。
宇宙の仕組みには、生活も全てが含まれている。
私たちの存在も、もちろんその中に入っている。

私たちは、道徳や宗教を通じてそれを学んできた。
それなのに、ベースの心が「自分が」
というところになってしまい、
この世界を見通して
日々を生きるということを忘れてしまっている。

いろいろな宗教が人々を導びこうとしてきたし、
理屈や道理を知っている人は沢山いる。
しかし、実際にそれを生活に落とし込んでいる人は
ほとんどいなくなった。
そのような日々を送ることを
喜びとしている人もほとんどいなくなって、
頭の中だけの学びとなってしまっている。
そういう矛盾の中で生活している人がほとんどで、
特に宗教のリーダーたちに
そういう生き方をしている人が多いと思う。

私たちがこの生活を始めて、もうすぐ16年になる。
ただ淡々とやってきたのは、
「皆で」ということ。
「平等」ということ。
「調和」ということ。
全て同じ概念で、粛々と生活の中でやってきた。

そして、世の中の人たちもそのことに気づき始め、
気づいた人たちがつながろうとしている。
特に、ある程度の物を獲得してきて満足している人たち。
そういう人たちが、その満足で終わってはいけない。
自分の能力や財をもっと違う形で活かさないと、
自分の我を満たしただけでは価値あるものにはならない。

自分で自分の価値を築き上げていくということ。
「有形のものではなく、無形のものを優先して
価値を見い出していくことが大切なんだ」
ということに気づいた人たちが、
見えない力の働きでここに集まってきている。

新しい時代の見本を皆で世界に示そう、
「何となく変だね」と思っていることをもとに、
皆で世の中を変えていこう、
というところに共鳴しているのだと思う。

それは、私たち人間が勝手に思っていることではなく、
何かがそれを束ねようとしている。
宇宙を、地球を束ねている魂が、
この世界を導こうとしている。

何千年も前から
聖者たちが導きを残してくれた結果、
今があるのだとしたら、
その聖者たちの「全てが一つである」
という志を私たちは受け継ぎ、
その精神を持って次のステージに進んでいく。
それは、イエスやブッダのような聖者たちが
絶対ということではなく、
その生き方や教えを新たなものにしていく。
そうすることによって、
私たちと共に聖者が生きていく。
一人一人の中に聖者がいる。

私たちは神の分御魂であり、
私たち一人一人の中に聖者の精神や神が住んでいる。
その心を持って日々の生活を実践していく。
過去の聖者たちが残していった財産を守っていくだけでは、
新たな道が生まれない。
それを新たなものへとつなぎ成長させていく。

今までは、
初めの教えを守っているだけで成長がなかった。
それでは新たな知恵も湧いてこない。
これからは、特定の聖者や特定のリーダーが導くのではなく、
皆で考えながら創っていく時代。
「皆の時代、一人一人が主役の時代が来ます」
とずっと言ってきたけれど、まさしくその時代が来た。
皆で創る仕組みがこの世界を動かしていく。
それこそが宇宙の仕組みである。
私たちの生活のもとにある仕組みが、
理想を実現しようとしていると感じる。

私たち一人一人の中にイエスやブッダがいる。
私たちはその尊い心をもとに、
生活と理想が別々だった
この世界をひとつにする時代が来ている。
そういったことをわからず自分の欲に走っている人や、
欲が満たされず怒りや恐怖の中にいる人たちも、
不安のない安心できる仕組みができていくと、
だんだん氷のように固くなった心が溶けていく。
自分で自分のことを抱えなくていいんだ、
皆に安心して任せればいいんだと気づいていく。

それを先駆けとしてやることは大変な困難が伴う。
事が進んでいない時にやるのは大変である。
しかし、なっていけばいくほど、
「やっていて良かったね、そうだったんだね」
という確信が私たちの中に生まれてくる。
そうやって皆が引き寄せられて、つながっていく。

美しい心の人たちの生活。
それがこの星で実現すると、
この星が本当の意味で美しい星になる。

理想は、外れながら真実を見い出していく。
右へ行ったり左へ行ったりすると、
幅が広くなる。
ところが、真実を持つという心を忘れると、
右へ行ったら右のまま行ってしまう。
それでは真実が観えてこない。
右へ行ったり左へ行ったりしながら、
中央にある真実を見つけていくことが大切である。

自分を取り巻く世界に
自分が何をもたらしているのか。
それが観えることが大前提である。
一本道で行くのではなく、
外れることによって理想が見えている。
外れないで理想に行き、
それが理想なのかと言ったら、
確認はできない。
一本の道を行ったらそれが絶対だということになり、
この世界になぜそういったものが創ってあるのか、
そのことの価値が観えなくなる。
多様性がなくなってしまう。
面白くも何ともない。
ただ必死なだけになってしまって、
楽しめなくなってしまう。
それは味気ない世界である。

喜びがある世界。
喜びがこの世界のスパイスとなっている。
外れるから喜びが生まれる。

その全体像を理解していくと、
知恵が湧いてくる。
ところが、知恵がないのに知識だけ詰め込んでいくと、
知っているというだけでそれを活かすことが出来ない。
この世界には
良いことと悪いことがあるように見えるけれど、
実は両方が支え合いこの世界が成り立っていて、
そのどちらも同じく大切で良いことだということ。

なぜなら、もとは善意と愛と調和でできているのだから。
そこが出発点で、
それを影のように支えるように
悪意、孤独、対立、不調和がある。
一対だからどれも大切であり、
それをありがたいと思えるようになったら、
その影の方は消える。
そこに光が当たるから。

しかし、全てが消えてしまったら面白くない。
影のところから光の方へ出ていくから
「明るいね」と気づける。
だから、行ったり来たりしながら楽しめばいい。
ゲームのように楽しめば、
たちどころに問題は消えていく。

そうしたら、
いつの時代もこの世界は地上天国である。
始めから今もこれから先もずっと、
そのことに気がついたら
この世界はたちどころに地上天国となる。
そして私たちは肉体を返して天国へ行く。
そのことが理解できなければ、
肉体をこの世界に返しても天国へ行けない。
地の国、地獄に留まってしまうことになる。
暗い光のない世界に。

「優秀であることが大切だ」と言って、
人々は知識を求め、
優秀な人たちが支配する世の中ができた。
その結果、こういう社会が出来た。
なぜそれを見直さないといけないかと言ったら、
優秀な人たちは
自分が優れているというふうに思っているから
謙虚ではない。
謙虚でない人たちの世界ができて、
生かされているとか、つながるとか、
人を想うことが大切ということを
忘れてしまっている時代である。

私たちはどんなものであっても、
この世界が創られた後に創られたのである。
今現在も、その世界の目的によって維持されている。
そこに気づかないと、
この世界の目的を知ることができない。
いつも、自分独りよがりの、
あるいは人間よがりの世界しか観えない。
その視点でしかこの世界を観ることができない。

だから、
優秀であるということが仇になってはいけない。
優秀であるということは、
この世界の奥にある真理を観ることできるということであり、
それを観ることによって知恵が湧いてくる。
そうすれば、
この世界にあるテクノロジーも物もそこから来る富も
ずっと有効に使える。
人々のために平等に、有限なるものすら
無限に使える時代が来るはず。
そういう人々が大事な時代になった。


自然体の自分を取り戻して

一昨日の夜、
12月11日からケア滞在をしていた
あんべちゃんの「卒業コンサート」が行われました。
二十数年間、
ギャンブルやアルコール、ニコチンへの依存に
苦しんできたあんべちゃんですが、
見事一ヶ月で卒業となり、
翌朝、皆から祝福されながら
ファミリーを発ちました。

そのあんべちゃんの卒業のあいさつと
主治医であるいさどんからのメッセージ、
そしてメンバーからの祝福のコメントを
皆さんにシェアしたいと思います。

あんべちゃん:

皆さん、本当にありがとう!
今日一日いろいろ考えていて、
まとまったことを話したいとか、
まとまったことを話さなきゃいけないという
感覚があったんですけれど、
それは自然体ではないなと思いました。

ここに来たおかけで
自然体であることの大切さを実感したのと、
ここの生活のおかげで豊かさを実感できたので、
今ある自分の自然な気持ちを話そうと思っています。
何も用意していない今、
漠然と浮かんでくる言葉で話してみようと思っています。

ついさっき感じたことは、
「生きていて良かったな」ということです。
こんな豊かな生活ができて、
こんな豊かな人々とのつながりを得ることができて、
本当に生きていて良かったなと思っています。
自分を嫌いにならないで良かったなと思いました。
これも皆さんのおかげです。
これから、またちょくちょく来ます。
皆さんとのつながりを大切にして、
自分を嫌いにならないで、
頑張って生きていきたいと思います。

ありがとうございます。

いさどん:

あんべちゃん、卒業おめでとうございます。
いつも思うのですが、
おめでとうということと同時に、
ありがとうという想いを持っています。
人と人がつながって幸せな生活をする。
それを喜びとする。
そういうふうに想い、
ここの生活が始まりました。

今の世の中は、
沢山の価値や豊かさにあふれています。
しかし、豊かであるがために、
その豊かさを維持していこうという心が働き、
新たな問題が起きている。
そういったカラクリの中で
得ようとすること、維持しようとすることじゃなくて、
問題が発生した時にそれを解決していくこと。
それが、世のため人のため。
そうやって生きていこうと、
この生活が始まった、
というふうに記憶しています。

思い出すと、一ヶ月くらい前に
あんべちゃんのお母さんから相談があって、
「うちの息子は、とても私の手には負えません。
どう導いたらいいかわかりません」
というような悩みの電話がありました。
そこで僕は、
「とりあえず彼に聞いてみてください。
自分で今の状況を良いと思っているのだろうか。
そこから抜け出したいと思っているのかどうか、
彼に聞いてみてください」と言いました。

「ちょっと時間をください。聞いてみます」
ということで、
しばらくしてまた電話がかかってきました。
「自分はこのままじゃいけないと思っている。
何とかもう一度自分を取り戻したいと思う、
と言っています」と言うものですから、
「それならば、一度こちらへ来てみてください」
ということになりました。

初めて会った時に、
よくあることなんですが、
彼の姿は老人のように見えました。
本来、老人であっても、
希望があっていいはずです。
今、死を迎えようとしている人だったって、
新たな旅立ちという夢をもっていいはずなのに、
「まだ若いのに随分と老けたもんだな」と思いながら、
この老人を復活させたいなと思いました。

本人の意思を聞いたら、
健康な自分を取り戻したいという
強い意思が明らかでした。
それで、ここの生活が始まりました。
最近は特にそうなんですが、
特別なことはほとんどしていません。
僕がカウンセリングをしたわけでもなく、
時々節目の時に相談に乗っただけでした。

この場所にいると、
一人一人がとても個性的で出来上がっている。
皆の心に大きな定まりというものが観えている。
その中にあんべちゃんも生活していて、
この場所が人を癒し、治し、
希望ある生活に導くんだなと思いました。

私たちは、これを本当に大事として、
これからも世の中に広めていく。
困っている人たちのためにこの生活をしていく。
さらに、ここだけではなく、
もっと広くいろいろなところで、
このような生活が営まれていくんです。

苦痛が人々を導いて
喜びとなるような世界を広げていきたいと思った時に、
あんべちゃんは救われたのではなく、
本当の自分に出会ってそれを取り戻した。
そして、これからその恩恵を受けて
ありがとうと暮らしていくだけではなく、
今度はそれをもって社会に出て、
社会に対して役立ててもらう。

そうすることによって、
今度は自分がありがとうと言われる。
ありがとうと言われるということは、
今度は自分に値打ちがついたということです。
相手からは値打ちをもらったんだから、
自分からもありがとうと言う。
そういった輪が広がっていくことが
大事だと思っています。

今朝、あんべちゃんが
これからの決意を細かく箇条書きにしていました。
真面目に自分の目標を立てて達成していく。
そういう人だからこそ、
目標が崩れた時に責任を感じ、
自分を責めてしまう。
そういった出来ない自分から逃げるために、
今までギャンブルなど
健康でない方向へ歩んでいったんだなと思います。

今朝、僕が伝えたのは、
「あんべちゃん、固いね。
真面目に仕組みをつくって、
そのように達成することは素晴らしいこと。
でも、それではつまらないだろう。
自分の枠の中だけだから。
そして出来なかった時に、
自分を責めることになってしまう。
それは固い話だ。

車を運転する時に、
ハンドルでもブレーキでもアクセルでも、
全部、遊びがある。
それで初めて健全な運転が出来る。
それと同じように、人生にも
遊びがないといけないんだよ。
楽しみながらいくということが大事で、
だからと言って遊びばかりでは動けない。
そのバランスが大事だ」
ということでした。

それに対してあんべちゃんは、
「全くそうですね」と答えました。
真面目すぎて
自分が潰れてしまったあんべちゃんが
そのことを知り、
先程のあいさつで
「自然体でなくちゃいけない」と
早速取り入れた。
これが、ここの効果ですね。

以前のあんべちゃんなら、
自分が書いたものを持ってきて
そのまま述べただろうに、
今日早速それを取り入れ、
「自然体で湧いてくる言葉を語ります。
沢山約束せずに、とりあえず旅に出てみて、
やれるようにやってみます」と言う。
一番いい答えですね。
その言葉で、
今回のケアの卒業になったなと思い、
良かったなと思いました。

いろいろな人がここを卒業していきますが、
最近は優等生ばかり。
来る人は皆、健全になって卒業していきます。
一人一人が自分の人生の中で問題をもらい、
答えを見つけて、卒業していく。
あんべちゃんのオリジナルの人生に対して、
これからこの卒業を
活かしていってもらえたらいいなと思います。

何はともあれ、とても良かった。
おめでとうと同時にありがとうという言葉で、
今日卒業のあんべちゃんへの言葉とします。
ありがとうございました。

追伸ですけれど、
今日あんべちゃんとここに来る途中に
車の中で話したのは、
「これからいろいろな場所でいろいろなことが始まる。
あんべちゃんは、まず社会に出て
自分なりに挑戦してもらって、
それはそれで頑張ってやってください。
でも、いろんなことが始まる中で、
例えば琵琶湖の研修センターが立ち上がったら、
ホテルの厨房の責任者がいる。
それは一つの例だけど、
何か話があった時に、
また帰っておいで」
という話をしました。
(一同拍手)

(ここで、ケアのスタート時と終了時の
あんべちゃんの写真がスクリーンに映し出され、
皆から歓声と共に大拍手が沸き起こりました)

みっちゃん(司会):

素晴らしい!良い写真だね。
何か、あんべちゃんに対してコメントがある人はいますか?

みこ(4才):

はい!あんべちゃんのスープは
とてもあまくておいしかったです。

あんべちゃん:

また今度来るときにつくるからね。

みっちゃん:

チャーハンも子供たちに大人気だったね。

えいごばあちゃん:

あんべちゃんは、
何か作っている時にすごく生き生きしているの。
その生き生きしているのを忘れないで、
ずっとやっていってほしいなと思いました。

あいちゃん:

日に日にたくましくなって
変わっていくあんべちゃんの姿を見て、
こちらも嬉しかったです。
あんべちゃんのお料理に対する姿勢が
私の学びになったなと思いました。
残り物をまた違う形にしたり、
皆が喜ぶようなものを作ってくれたり、
本当に勉強させてもらいました。
また、いつでも戻ってきていいからね。
行ってらっしゃい!

あんべちゃん:

いってきます!
頑張らないように頑張ります(笑)

この後も続々と皆からのコメントが続きました。
これもひとえに、
あんべちゃんの自分と向き合う真面目な心と
自分の得意なお料理で皆を喜ばせようとする想いが、
皆の感動を呼んだ結果なのだと思います。

皆から祝福されて
ここを卒業していったあんべちゃん。
あんべちゃんの人生がこれから美しく花開くよう、
皆で心から応援しています。


じゅんこさんの変革 ~ 9日間の滞在を終えて

この年末、お料理を学ぶことと
鬱的な心を改善したいという目的で、
9日間ファミリーに滞在していたじゅんこさん。
滞在最終日の夜の大人会議で、
9日間の感想を皆にシェアしてくれました。

じゅんこさん:

わずか9日間でしたが、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ここに来るちょうど1年前の12月、
私はもっと鬱でした。
死んでしまおうと本気で考えていました。
その時に、私は大変高額なお金を払って、
「心を学ぶ」というある施設で、
12月に1週間、
1月、2月、3月に2泊3日ずつ滞在しました。
そこに行く前に
その先生の本をいろいろと読み、
やはりその先生も玄米菜食を推奨していたので、
これは信じられるなと思って行きました。

そこでは、講義が沢山ありました。
ありがたいお話があったんですけれども、
「あれ、言っていること、本で書いてあることと
やっていることが違うんじゃない」ということが、
非常に沢山あったんです。
結果として私は、失望してしまいました。

そのあと、心が苦しくて苦しくてたまらなくなり、
もう1回、8月くらいに別のところに参加しました。
そこも素晴らしいなと思って行ったんですけれど、
言っていることとやっていることが
ちょっと違うということを感じました。

私は鬱で非常にネガティブになっているのに、
結局は、私のネガティブな心を受け取ってくれない。
いろいろなことを言っていても、
結局ポジティブな考え方の人しか
相手にしないようなところだったんです。

落ち込んだ気持ちを引きずって1年経ち、また12月。
どうしても心が収まらず、夫に怒鳴り散らし、
もうたまらなくなって医者にも行ったのだけれど、
医者はもともと嫌いなので薬を飲むつもりもなくて。

そして、また私はいろいろ探したんです。
日本全国いろいろなところに電話をして話をしました。
でも、納得できるところがなかったんです。

そんな時、
「そういえば1年前、
1回目の高額なお金を払ったところで、
木の花ファミリーという、
よくわからないのだけれども
皆で生活をしている
素晴らしいコミュニティがあるって聞いたことを
ふと思い出して、ホームページを見てみたんです。
そうしたら、
ホームページに自然療法というのがあって、
「もうこれしかない」と思って
電話をかけました。
本当にすがるような想いでここに来ました。
だから、私は木の花ファミリーについて
全然知らなかったんです。

最初のいさどんとの面接で、
いさどんに何度も言われたことは、
私にはネガティブなところがある。
私の考え方には癖があるということでした。
今まで2回高いお金を出して失敗した経緯もあったので、
ここを信じていいいのか、
またここも同じなんじゃないか、
ここでもだめならどうしようと、
不安で不安で仕方がありませんでした。

面接のあと、
いさどんから「読んでみるといいよ」と
ブログのコピーをいただき、
早速読んでみたら、
私の中にすとんと落ちるものがありました。
まさに私のことだ、と思いながら読みました。

それから皆さんと一緒に生活していたら、
何も講座があるわけでもないのに、
固くきゅっと縮こまっていた私の心が、
一日一日、何があるわけでもないのだけれど、
開いていったんです。

私は最初、
人が怖いと皆さんに申し上げたんですけれど、
それはここでも実際に同じでした。
正直に言うと、
一番最初に怖いなと思ったのは、
メンバーのゆみちゃんでした。
厨房で皆笑いかけてくれるのだけれど、
ゆみちゃんはコツコツやっていて、
「やはり料理のできない私が厨房なんかに入って、
この人には迷惑なのかな」と思っていたんです。

同室のまりちゃんに、
まりちゃんは私のケアの担当だと伺っていたので、
「実は、ゆみちゃんがね」と相談してみたんです。
そうしたら、まりちゃんは、
「じゅんこさん、それは違うよ。
あなたには癖がある。
あなたの観方がそうだからそう思うのであって、
皆があなたと同じようにひとに接するわけではないよ」
といろいろ話をしてくれたんです。

それで、きっと神様が与えてくれたのか、
まりちゃんに相談した次の日に、
たまたまゆみちゃんとお風呂が一緒になったんです。
最初、私は「どうしようかな」と思ったんですけれど、
ゆみちゃんが、「実はね」って、
どうしてゆみちゃんがここに来たのかを
話してくれたんです。

別にゆみちゃんは
私に対して悪い感情なんか何も持っていなくて、
あっけらかんと話してくれていた。
「そうか、これが私の癖なのか。
ゆみちゃんは私を嫌っているわけでも何でもないのに、
私が勝手にゆみちゃんの表情を見てそう思いこんでいる。
これが癖なんだな」ということがわかりました。

皆さんは、
食事の後の片付けも皆で率先してやっている。
厨房に入っていっても、
皆、何をどう指図するわけでもないのだけれど、
何か楽しく、
「ありがとう」と自然に声を掛け合っている。
本当に私にとって生まれて初めての調和、
「ひとと調和して心地いいというのは、
こういうことなんだな」というのを、
心と体で実感した9日間でした。

あんべちゃん
(注:11月11日からケア滞在中。
詳しくは木の花ファミリーブログをご参照ください。
外食産業で長いキャリアを積んできた彼は、
じゅんこさんのお料理の先生を自ら買ってでてくれました)は、
私にとって都合のいい人としていたわけなんですけれど、
厨房の方、厨房以外の方も
絶対にあんべちゃんから料理の技を学びたいんじゃないかなと。
私だったらそう思うよなって思っていました。
毎日毎日私は、
実は厨房の皆さんに悪いな悪いなと思いながら、
あんべちゃんにお料理を教わっていました。

でも、厨房の皆さんが、
「じゅんこさん、これができてよかったね」って
いつも声をかけてくれていました。
私は本当に今恥ずかしいし、
稚拙な表現しかできないんですけれど、
そうやってひとのことを喜んでくれるんだというのが、
すごく嬉しくなりました。

また、私がここに来て2日目にまさちゃん
(注:ファミリーメンバーになりたいと
お試し滞在をしていましたが、
4日目にここを離れました)のことがあって、
それも大きな発見でした。
まさちゃんは、
まさにちょっと前の自分を見ているような感じでした。

そして昨日のさのっち。
「メンバーでいるか迷っている」と言うさのっちに
皆があんなにいろいろ伝えていたのに、
今日さのっちが、
「改めてメンバーとしてやっていきたいと思いますので、
皆よろしくお願いします」と言ったら、
そのさのっちを皆が拍手で受け止めた。
今までの私の考えだと、
「人ってこうだ」っていう先入観を持ったら、
なかなかそれを変えられなかった。
だから、人が怖いなと思っていたんですけれど、
たった一日でさのっちが変わって、
皆さんもそれを素直に受け止めて拍手をした。
その心に非常に感動しました。

わずか9日間ですが、
あいちゃんもはるちゃんもやすえどんも、
皆みんな、「実は私もこうだったんだよ」と、
私の近くにいた人たちが話をしてくれて、
私とあまり関わりがなかった人たちも話をしてくれて。
本当に幸せに包まれて、
「優しさってこういういいものなんだな」って思いました。

講座を受けたわけでもないのに、
こういう心地よさなんだな、
これをひとに返していけばいいんだな、
っていうことがわかった9日間でした。
キャサリンもいつも英語で話しかけてくれてありがとう(笑)

私はこれから俗世間に帰ります(笑)。
そこでは皆がこんなに優しく、
前向きな気持ちを持っているわけではないです。
私が住んでいるところは、
3時半くらいになったら暗くなって、
4時になったら真っ暗です。
雪もすごく降り積もっているところで、
私はひとりぼっちです。
そこにいったん帰ります。

そこで私の気持ちがどうなるか、
まだわからない。
でも、暖かい炎が私の胸に灯りました。
それと、ちょこっとだけ料理の基礎を学びました。
あったかい味噌汁を今日は習いましたし、
夫にちょっとずつ作ってあげたりして、
少しずつやっていきたいと思います。

46年間、私はこの癖を持って生きてきました。
まさか9日間でこの癖が治るとは、
そんなに調子よくいかないんじゃないかなとも思うので、
また学びに来たいと思っています。
私は信じられる木の花に巡りあえた。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
本当に今回は短い時間でしたけれども、
ありがとうございました。

(皆の心からの暖かい拍手がじゅんこさんを包みました)

ちなっぴー(キャサリン):

You make me happy!!

じゅんこさんが変わっていく姿を見て、
私たちはありがたいなと思うし、
勲章をもらった、宝をもらったなというふうに思いました。
ありがとう!

じゅんこさん:

こっちもありがとう!
みんな、すごい!みんながすごい!

いさどん:

これからここがやっていこうとすることに、
また確信が持てた。
じゅんこさんの場合は、
最初の面接の段階でいきなり癖が出てきた。
でも面接の中で解決したからね。
今日の発表も聞きながら、
笑顔が本物になったなと思ってね。
今までいろいろあっただろうけど、
悪いことじゃなかったね。

じゅんこさん:

はい!全部必要だった。

いさどん:

ぜひ、高い料金ではなくて
安い料金で心を治すところをつくりたいな(笑)
ここでは、講義をするわけではないし、
一緒に生活するだけだよね。
私たちは一緒に生活して、作業しながら、
おしゃべりをして、よくなっていくんだから、
こんな簡単なことはないよね。

じゅんこさん:

理屈ではないんです。
すごいことをいくら言われたって、
そんなのは机上の空論。
そうじゃなくて、やはり経験している人。
実践している人の姿が一番大きい。
それが一番納得できました。

私は心の中では、
今まで決して幸せではなかった。
でも、この9日間で今、すごく幸せなんです。
だから、今の私の笑顔は本物。
今までは、職業柄、
ひとに不機嫌な顔を向けるのは礼儀じゃないな、
と思ってやっていました。
でも自分はハッピーではない、
だから作り笑いだったんだ。

今は幸せだから、
自分の笑顔が本物になったんだということがわかりました。
人と接してこなかったから、
そう指摘してくれる人との出会いもなかった。
だから、心が暖かくなることもなかった。

皆さんの貴重なお時間ありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。

ファミリーに来たばかりのときは
人が怖いと緊張していたじゅんこさんですが、
昨夜の大人会議では、持ち前のユーモアで
皆の笑いをとるまでに明るい心を取り戻しました。
翌朝、皆に見送られる中、
晴れやかな笑顔でここを出発していったじゅんこさん。
本当に短期間で
ここまでひとの心は変われるということを、
身を持って実証してくれました。

さあ、「変革の年」がスタートしました。
じゅんこさんの変革に、皆で続いていきましょう!


個性と多様性が同時に成り立つ世界

音楽は、個性的な楽器が
それぞれのパートで楽譜に沿って、
別々の表現をしながら、
束ねられることによって
ハーモニーを奏でていく。

道具の機能を果たすためにも、
いろいろなパーツが個性的に役割を果たしながら、
それがひとつながりになることによって、
ひとつ大きな「道具」という機能を果たしていく。
この世界の仕組みは、
どこを区切っても、そういうものである。

人間の社会でも、
一人一人は個性的でありながら、
他のものとつながり、
全体の中で
しっかりと役割を果たしていくことによって、
もうひとつ大きな世界が営なまれていく。

個人の表現であると同時に、
もうひとつ大きなものの表現である。
そうやって徐々に大きくなっていき、
この世界全体になっていく仕組みである。

自然はまさしくその状態で、
それぞれがしっかりと自分の役割を果たしながら、
全体を創っていく。
これは、万物に共通して言えることである。

個々の意識と肉体で独立している人間たちが、
ばらばらでいることによって、
環境破壊や対立を生んでいる。
それは人間の特徴であり、
能力の高さの表われではあるが、
使い方を間違えると
この世界の成り立ちから外れてしまう。
だから、今、
それが修正されようとしている。

今までの木の花の役割は、
自然のように存在すること。
心の調和が音楽のように奏でられること。
心の調和の場として成り立ち、
役に立つこと。
心の調和の絵として完成し、
人々に観賞してもらうこと。

その絵や音楽は
いつも同じ形をしているのではなく、
その音楽に新たに音を加え、
より高度なものになったり、
絵に新たに登場人物を加えることによって、
より充実していく。

それがわかっていないと、
自分の個を重要視するがあまり、
不調和な行動をするようになってしまう。
誰もがそういった仕組みの中にいるわけだから、
木の花の中どころか、
社会でも通用しない。

ことは単純で、
わかりやすい仕組みである。

万物がその仕組みで成り立っている。
素粒子、原子レベルから銀河に至るまで、
自分を主張する単位ごとに個性的に連なっている。
どんなに大きなものも、
どんなに小さなものも、
個性的であると同時に、
ひと連なりである。
これは絶対法則である。
たったそれだけのこと。
何も難しい話ではない。

しかし、現実にこの地球上で、
そのことを理解して生きている人間が
どれほどいるのだろうか。
人間以外の自然は、
皆、その法則の中であり続ける。
人間はすごく高度な生き物なのに、
そのカラクリを理解せず、
自己主張を目的としてしまっている。

ひとつ大きな枠の目的、
さらにもっと大きな枠、
というところに意識を持っていけば、
そこには自分があり、
同時に自分がなくなる。
その意識がないばかりに不安が生まれ、
対立が生まれてくる。

それをここでは修正したり、
伝えたりしている。
それを強制されていると感じる人もいる。
確かに、
人間は個性的で能力が高いから、
その人が自分の意思で気づいていくことは大事である。
その人その人の歩みを与えられているから、
それを大事にすることはもちろん大切である。

しかし、
もうひとつ大きな枠の中に自分がいて、
役割を果たそうとする時にそんなことを言っていたら、
もうひとつ大きな目的が達成されなくなってしまう。
もうひとつ大きな個、
全体の目的を達成していくためには、
自己主張で不調和を生むようなことでは成っていかない。

社会に当てはめてみても同じことで、
本当に必要とされる自分がそこにいないと、
不必要になってはじき飛ばされてしまう。
同じことがどこでも成立しているのに、
人間はそれをわからず、
個だけを主張し、
不調和や対立の種を心の中に保っている。
何とも奇妙な生き物である。

ここ数日、
深夜に「スターウォーズ」の映画を観ている。
そこで思ったのは、
人間が宇宙へ進出していったら、
また宇宙で戦争をしかねない。
宇宙に人間以外の生命がいたら、
今の延長に同じことをやりかねないだろうと思った。

スターウォーズでは、
地球上での国家の対立と同じように、
聖なるグループと邪悪なグループが対立する。
おかしなことである。
対立に聖なるも邪悪もないのである。
どちらも己の側の正義をかざして対立する。
そういう構図である。

そういったことを理解し、
人間が地上に理想郷を創ったとして、
その先の目的は何かといったらよくわからない。
きっとこの世界を動かしている神が、
知っておられるだろう。
その心が大切である。
わかるかな!

とりあえず今は、
そろそろ人間が
自分というものの存在が何ものであるのか、
を知ること。
個から湧き出してくる欲望を超え、
自分の想いからくる行いが
自分に何をもたらしているのか、
この世界に何をもたらしているのかを知り、
もうひとつ大きな目的に気づいて
生きていく時代に来ている。
それが、地球意識や宇宙意識なのである。

人間たちが対立した結果起きている、
病気も戦争も環境破壊も、
実は人間をどこかへ導こうとしている現象である。
人間たちも含めた地球世界が、
次のビジョンへ行こうとしている
意思の表われだとも言える。

問題事もその意思の表われである。
地球の次の在り方へ行こうとするものと、
それに対して抵抗するもの、
そして模様眺めしているものとが、
今、この世界にいる。
一人一人が自分はどの位置にいるのか、
知ることが大切である。

次のビジョンへ行くことはいとも容易いことで、
価値観が変わりさえすれば、
たちどころにできることである。
しかし、古い価値観に執着しているがために、
なかなかできない。
それだけ人間の能力が高いから、
執着することさえ強くできるのである。
他の生き物なら、草でも動物でも、
環境が合わなければあっという間に死を迎え、
潔く新たなものに変化していく。

今、地球の意思が次の次元に移行しようとして、
大きな変化がもたらされている。
地球の意思がその方向に向いている。
私たちも地球の一部として、
霊的にウエイトの高い部分を占めているのだから、
これからは地球の意思に沿って
生きていくことが大切である。
地球がそう考えているから、
そういう考えも私たちの中に
湧いて出てきているのだと考えられる。

過去に地球上で起きていることは、
すべて地球の意思であり、
その延長に人間も存在している。
すべては地球の自己表現である。
人間社会の対立や問題事も、
地球レベルの自己表現なのである。

そのことに気づくと、
この世界の全体像が観えてくる。
だからこそ私たちは、
地球が進もうとする次のステージへと、
新たな役割を果たしていける。

それならば何でもいいじゃないか、
と思う人もいるかもしれない。
人間たちが個々の単位に執着しすぎて、
個を表現することが快感のようになってしまっていると。
なかなか次に進めない状態であり、
生みの苦しみが今起きている。

時期が来ると、どの人も気づいてくる。
ある時期では大変なことも、
新たなものに生まれ変わるのだとしたら、
真剣に粘り強く捉えなければいけない。

地球が自己表現をしていることは、
同時に個々が自己表現をしていることである。
大きな自分と小さな自分の表現が個性的に表わされ、
この世界ができている仕組みをわかり、
しっかりと自己表現をし、
多様な働きをしながら、
全体が成り立つ働きをいただいていく。

この宇宙表現のドラマであったり、
大きな絵画であったり、交響曲のようなもの。
私たちは、その表現の中の一部分である。
そのうねりが今起きていて、
それを理解することが、
悟るということである。

来年に向けて、「変革」の時を迎え、
ますますその動きが強くなっていく。
今年から来年を見通してみると、
方向性は見えてくる。

私たちは恐れることなく、
自然界の仕組み、命の仕組み、
人間社会の仕組みの中で、
私たちの存在が
地球の自己表現であるということに気づき、
しっかりと自己表現をしながら、
全体の役に立っていくことが大切である。

個性と多様性というのは、
一見対立するように見える。
しかし、個性と多様性がしっかりと発揮されながら、
次の大きな仕組みを同時に成立させることは可能である。

今までは、それが難しかった。
しかし、なぜそれが可能かと言ったら、
この世界が個性と多様性で
全体ができているからである。
個性と多様性と全体が
同時に成り立つ世界であることを認識する必要である。

新たな年に向け、それを表現する。
今までは理解しないで、表現していた。
理解しないと、そこで抵抗する心が出てくる。
全体のために、個性や多様性が壊れるのが嫌だと思う人もいたが、
それは違う。
それは同時に成立することだから。

それが成立する世界で何が起きてくるのかというと、
皆で喜べる世界。愛ある世界。
善意でことが動いていく世界が生まれる。
それが私たちが求めているユートピアである。

制度や仕組みを変える必要はない。
人の心がそれに気づくだけでいい。
真実に気づくことによって、悟りに至る。
たったそれだけのこと。
その一番の根本にある真実に気づくということだけ。

気づきは、
人間が思考を巡らせた結果
生み出すものではない。
気づきは思考を超えて、湧き出てくるもの。
自分の中にある神性から出てくるもの。
私たちが自然を観ていて気づくこと。
私たちの思考を超えて、
ふっと何かが湧き出すこと。
それは、自分の中の
もうひとつの自分から湧き出てくる。
自分のもうひとつと密接に自分がつながることによって、
この世界の仕組みが湧き出てくる。
それが、私たちのもとにある神様の意思。

そういった人間たちの営みが
これから地球上に現れてくる。
誰に言われなくても、
個々が気づき、
つながっていくことによって、
この地球が動いていく。
そういった時代が来る。
その生活モデルが私たちの生き方であり、
エコビレッジ運動である。
そして、
それはユートピアにつながるものである。

新たな年を迎えるにあたり、
神様と皆さんと共に歩んでいきたいと願っています。


平等で愛あり調和のとれた世界へ

DSC_0185

12月24日のクリスマス会で、
いさどんはこのような格好をして登場しました。
さて、今日は、どんな話をしてくれるのでしょうか。
今日はクリスマスイブです。
世界中でイエス・キリストの誕生日を祝う日です。
でも、日本で定着したクリスマスは、
どちらかと言うとプレゼントをもらったり、
おいしい食べ物を食べたりといった行事になっています。
本来、キリストの誕生日を祝う儀式はもっと厳粛で、
私たちにこの世界に生まれてきた意味を
思いおこさせるためのものです。
だからと言って、
こういった楽しいクリスマス会が
いけないと言っているわけではありません。
ただ、そういった深い意味があるということも、
心の中に留めておいてほしいと思います。
この世界ができた時に、
始まりはひとつのものから生まれました。
ひとつのものがいくつかに分かれ、
複雑な世界ができました。
そして、今でも私たちは、
命の仕組みの中でひとつのものとしてあり続けます。
それは、始まりがひとつで、
それが分かれていっただけで、
常にお互いに関係し合って
ひとつであり続けているからです。
今は、人間たちの中に
いろいろな価値観や生き方が生まれて、
対立するものもいます。
人々にこの世界がひとつであるということを
教えるような役割の宗教も、
今はその宗教がもとになって争うようになりました。
その中のひとつの宗教、
キリスト教の元になった教えを広めた人が、
イエス・キリスト。
今日は、その人の誕生日です。
キリストの教えが、
この世界の唯一の教えではありません。
この世界には、いろいろな聖者が現れました。
例えばインドのブッダ(お釈迦様)。
イスラム教のもとであるムハンマド。
中国にも沢山の聖者が現れました。
世界的に大きな宗教のもとになった人たちだけではなく、
私たちにこの世界の真実を
降ろし伝えてくれた聖者たちが今まで沢山いました。
それは、皆、別々の教えのように見えるかもしれません。
しかし、この世界は最初にひとつのものから始まって、
そのひと連なりの中で今もあり続けているのですから、
対立したり、違いを持って
お互いを主張し合うことは本来おかしなことです。
そういったことが沢山の問題として、
影を落としていることも事実です。
今日は、イエス・キリストという方が生まれたことを
世界の多くの人がお祝いしています。
しかし、宗教が違うからと全く無関心の人たちもいます。
そういったことはありがちなことですが、
尊いものは誰が見ても尊いはずです。
つまり、全ての宗教が尊いということです。
過去にはいろいろな聖者たちがいましたが、
今の時代の私たちからは離れていて、
遠い過去の時代の人たちが多くいました。
千年も二千年も前の人たちがいます。
実在すらわからない人もいます。
その人たちがそういうことを言ったかどうかもわかりません。
しかし、身近な時代にも沢山の聖者がいます。
インドのマザーテレサやガンジーといった人たちです。
日本にも沢山の宗教を下ろしてきた尊い人たちがいます。
そろそろ、そういった教えや生き方を
ひとつにしないといけないと思います。
なぜなら、この世界はもともとひとつで、
ひとつのところから生まれてきたものが争い合ったり、
手を結べないでいることは、本当ではないからです。
今日は、クリスマスの記念に
数日前から何かしようと思っていました。
今、テロリストのような格好をしています。
理由があってこうしています。
僕が最近思うのは、宗教をなくしたいということです。
宗教をなくすということは、
尊い教えをなくすということです。
この世界には尊いものが沢山あって、
沢山あるからこそ尊いことすら対立しています。
だから、それをひとつにしたい、そう思っています。
皆平等で、平等というのはインドのお釈迦様の教えです。
皆愛の中で、愛はキリストの心ですね。
そして、全てのものが調和して、
調和はイスラム教のマホメッドの教えですね。
そういったものが本来ひとつのものでなくてはいけません。
平等で愛あり調和すること。
そういった世界が来るために人生を生きていこう。
ここの生き方もそのためにあるんだと思っています。
先日皆で映画を観ました。
インドには沢山の宗教があって、沢山の考えがあります。
それをひとつにして、
理想の国家を創ろうと生きた人がいます。
それを成し遂げる途中で、
テロリストによって命を絶たれた人がいます。
ちょうど、今の僕のような格好をしたテロリストに。
それは、ガンジーです。
僕もガンジーのようになりたいと、
先日久しぶりにガンジーの映画を観た時に思いました。
平等な世界、誰もが手をつないで喜び、愛のあふれた世界。
そういった世界を創りたいと思っていたら、
来年に向けての抱負が出てきました。
来年は、「変革の年」。
本当に平等で愛ある調和のとれた世界を創るために、
ガンジーのような志を持ってそれを実現していきたい。
それで、こんな恰好をしてきました。
ガンジー思想をアメリカで実現しようとした、
キング牧師という人がいました。
その人もテロリストによって亡くなりました。
世の中に愛、平等、平和をもたらそうとする人たちが、
殺されていくような世の中ではいけません。
そういった人たちが本当に良きリーダーとして、
そして一人一人が心のリーダーとして生きていく時代を
これから創っていくイメージが僕の中にあります。
皆で暮らしながら、
ここの生活がそういった
新しい世界の見本だということを示していきたい。
そのためには、自分のことと他人のことを区別しない。
なぜかと言えば、最初は全てひとつだったから。
最初はひとつのように、
他人のことも自分のことのようにして生きていける。
それをこれからもやり続けたいと思っています。
今日はクリスマス。
イエス・キリストという人の誕生日。
それにちなんで、ガンジーのように生きたいと思って
お話をさせていただきました。
話の途中で、頭に巻いていたスカーフを外したいさどん。
そこには頭を丸め、どこの国の人とも言えない
雰囲気を漂わせているいさどんがいました。
今年も残すところあとわずか。
地球人、宇宙人としての新しい生き方を
あなたも始めてみませんか。
その報酬は、平等で愛あり調和のとれた美しい世界です。
12月24日のクリスマス会で、
いさどんはこのような格好をして登場しました。
さて、今日は、どんな話をしてくれるのでしょうか。
今日はクリスマスイブです。
世界中でイエス・キリストの誕生日を祝う日です。
でも、日本で定着したクリスマスは、
どちらかと言うとプレゼントをもらったり、
おいしい食べ物を食べたりといった行事になっています。
本来、キリストの誕生日を祝う儀式はもっと厳粛で、
私たちにこの世界に生まれてきた意味を
思いおこさせるためのものです。
だからと言って、
こういった楽しいクリスマス会が
いけないと言っているわけではありません。
ただ、そういった深い意味があるということも、
心の中に留めておいてほしいと思います。
この世界ができた時に、
始まりはひとつのものから生まれました。
ひとつのものがいくつかに分かれ、
複雑な世界ができました。
そして、今でも私たちは、
命の仕組みの中でひとつのものとしてあり続けます。
それは、始まりがひとつで、
それが分かれていっただけで、
常にお互いに関係し合って
ひとつであり続けているからです。
今は、人間たちの中に
いろいろな価値観や生き方が生まれて、
対立するものもいます。
人々にこの世界がひとつであるということを
教えるような役割の宗教も、
今はその宗教がもとになって争うようになりました。
その中のひとつの宗教、
キリスト教の元になった教えを広めた人が、
イエス・キリスト。
今日は、その人の誕生日です。
キリストの教えが、
この世界の唯一の教えではありません。
この世界には、いろいろな聖者が現れました。
例えばインドのブッダ(お釈迦様)。
イスラム教のもとであるムハンマド。
中国にも沢山の聖者が現れました。
世界的に大きな宗教のもとになった人たちだけではなく、
私たちにこの世界の真実を
降ろし伝えてくれた聖者たちが今まで沢山いました。
それは、皆、別々の教えのように見えるかもしれません。
しかし、この世界は最初にひとつのものから始まって、
そのひと連なりの中で今もあり続けているのですから、
対立したり、違いを持って
お互いを主張し合うことは本来おかしなことです。
そういったことが沢山の問題として、
影を落としていることも事実です。
今日は、イエス・キリストという方が生まれたことを
世界の多くの人がお祝いしています。
しかし、宗教が違うからと全く無関心の人たちもいます。
そういったことはありがちなことですが、
尊いものは誰が見ても尊いはずです。
つまり、全ての宗教が尊いということです。
過去にはいろいろな聖者たちがいましたが、
今の時代の私たちからは離れていて、
遠い過去の時代の人たちが多くいました。
千年も二千年も前の人たちがいます。
実在すらわからない人もいます。
その人たちがそういうことを言ったかどうかもわかりません。
しかし、身近な時代にも沢山の聖者がいます。
インドのマザーテレサやガンジーといった人たちです。
日本にも沢山の宗教を下ろしてきた尊い人たちがいます。
そろそろ、そういった教えや生き方を
ひとつにしないといけないと思います。
なぜなら、この世界はもともとひとつで、
ひとつのところから生まれてきたものが争い合ったり、
手を結べないでいることは、本当ではないからです。
今日は、クリスマスの記念に
数日前から何かしようと思っていました。
今、テロリストのような格好をしています。
理由があってこうしています。
僕が最近思うのは、宗教をなくしたいということです。
宗教をなくすということは、
尊い教えをなくすということです。
この世界には尊いものが沢山あって、
沢山あるからこそ尊いことすら対立しています。
だから、それをひとつにしたい、そう思っています。
皆平等で、平等というのはインドのお釈迦様の教えです。
皆愛の中で、愛はキリストの心ですね。
そして、全てのものが調和して、
調和はイスラム教のマホメッドの教えですね。
そういったものが本来ひとつのものでなくてはいけません。
平等で愛あり調和すること。
そういった世界が来るために人生を生きていこう。
ここの生き方もそのためにあるんだと思っています。
先日皆で映画を観ました。
インドには沢山の宗教があって、沢山の考えがあります。
それをひとつにして、
理想の国家を創ろうと生きた人がいます。
それを成し遂げる途中で、
テロリストによって命を絶たれた人がいます。
ちょうど、今の僕のような格好をしたテロリストに。
それは、ガンジーです。
僕もガンジーのようになりたいと、
先日久しぶりにガンジーの映画を観た時に思いました。
平等な世界、誰もが手をつないで喜び、愛のあふれた世界。
そういった世界を創りたいと思っていたら、
来年に向けての抱負が出てきました。
来年は、「変革の年」。
本当に平等で愛ある調和のとれた世界を創るために、
ガンジーのような志を持ってそれを実現していきたい。
それで、こんな恰好をしてきました。
ガンジー思想をアメリカで実現しようとした、
キング牧師という人がいました。
その人もテロリストによって亡くなりました。
世の中に愛、平等、平和をもたらそうとする人たちが、
殺されていくような世の中ではいけません。
そういった人たちが本当に良きリーダーとして、
そして一人一人が心のリーダーとして生きていく時代を
これから創っていくイメージが僕の中にあります。
皆で暮らしながら、
ここの生活がそういった
新しい世界の見本だということを示していきたい。
そのためには、自分のことと他人のことを区別しない。
なぜかと言えば、最初は全てひとつだったから。
最初はひとつのように、
他人のことも自分のことのようにして生きていける。
それをこれからもやり続けたいと思っています。
今日はクリスマス。
イエス・キリストという人の誕生日。
それにちなんで、ガンジーのように生きたいと思って
お話をさせていただきました。
話の途中で、頭に巻いていたスカーフを外したいさどん。
そこには頭を丸め、どこの国の人とも言えない
雰囲気を漂わせているいさどんがいました。
今年も残すところあとわずか。
地球人、宇宙人としての新しい生き方を
あなたも始めてみませんか。
その報酬は、平等で愛あり調和のとれた美しい世界です。