手放すということ

「ダメだなあ」今朝、開口一番のいさどんのことばです。

「何がダメなの?」と聞くと、「夢の中で怒ってた」と言います。

「昔はよく怒ってたんだよなあ」といさどん。

「今は日常生活の中で、大抵のことが起こっても、それを容認できていると思っているけれども、心の奥には、例えばこちらが理解できないことに対して、怒りの感情があるんだよな。夢の中では、それがリアルに起こるから、自分の中にそういった感情があるというのがよくわかる。ただ、そういった感情が湧いてきたときに、悲しくなったり自分はダメだと思うんじゃなくて、『ただ、あるんだなあ。』と」

とかく、人は心を磨く道の過程で、自分の中のいろいろな感情に出会ったとき、「こんな自分はダメだなあ」と思いがちですが、そうなる必要はないということをいさどんから感じます。また、ダメだからそれをどうにかしよう、と力が入る必要もないんだと。ただただ、「そういう自分があるんだなあ」と今の自分を受け入れ認めること。それが、手放すということなんだと。

昨日のブログを読んで、「そうか、手放すということが大切なんだ。ようし、どんどん自分の枠を手放していくぞ!」と思ったあなた。昨日のブログの話ではないですが、「手放そうとしないことが、手放すこと」につながるのです。そう思うと案外、「自分の枠を手放すこと」は、日頃つい頑張ってしまうあなたが思っている以上に、簡単で楽なことなのかもしれません。

それもそのはず。いつだって神様は、苦しんでいるあなたを見るのではなく、共に喜びを分かち合いたいと願っていらっしゃるのですから。


解決への道は、解決しようとしないこと

「朝の想いは、神様の気づき」といういさどんとの朝のお話は、とてもひとりで聞くだけではもったいない!ということで、以前ご紹介したいさどんの夢の話に引き続き、今回もいさどんの話を紹介します。

「自分は何のためにここで生きているのか?」と問うたら、『よりよい社会をつくるため』と答えるけれども、それ自身も枠である。結局は、『やれるこ としか、やれない』というのが答えだから、『~したい』『~しよう』と思うことは、自分のできないこともやろうとしたり、やれることもできなかったりとい う結果を生む。

また、『自分の役割を果たしたい』というのも、どこか頑固な考えで、『ただ淡々と日々生きていく』とか『自分の歩みをただたどっていく』というのが 自然の姿。実際、生きていて、食べられていて、役割を果たしているのだから、それをさらに役割を果たしていきたい、と思うのも欲。物事を解決しようとしな い。それが、一番の解決への道。そうやって自分の想いを手放していくこと。人は、地球に生まれて肉体を持つから、それに縛られてしまいがちだけれど、地球 人の意識から宇宙人の意識へと転換していくこと。そうやって、今自分が持っている枠をひとつひとつ超えていき、手放していくこと。そうすることで、肉体的 な疲れもなくなっていく。

物事を解決しようとしないのが、解決への道。相反する二つのことが存在するのが、この世の真理。どちらか一つだけをよしとすることは、この世のシス テムを理解していないことになるし、自分の思い通りにならない現象を与えられることになる。相反する二つの物事を理解できた時、人は自分の枠を越えて、宇 宙人の意識で、地球上にいながら生きていくことができる」

ここ数日、「一日一食」を実践しているいさどん。「食べないといけない」という枠を越え、「食べないと気持ちがいいぞ」と語ります。さあ、みなさんは、自分の中のどんな枠を越えていきたいですか?

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宇宙人?というよりはクレオパトラ!みこ(左)とみのり