勇気を持って、愛を持って、大人ムーブメントを世界へ

多様な人々が集い、未来に向かって真剣に語り合いながら、笑いあり、涙ありの3日間を共に過ごした大人サミットの最終日。
「今はまだどう言葉にしていいかわからないけど、ここで感じたものをぜひ多くの人とシェアしていきたい」という19歳の大学生から「年齢に関係なく同じ心を求めている人たちに出会えて本当に嬉しかった」と涙を流す72歳の女性まで、参加者たちがそれぞれの想いを語った後、いさどんから以下のメッセージがありました。

年齢も職業も国籍も、多種多様な人々が集った第6回大人サミット
年齢も職業も国籍も、多種多様な人々が集った第6回大人サミット

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みなさん、3日間ご苦労様でした。
私はいさどんです。役割はいさどんをやることです。それを最近とても感じています。
というのは、いさどんの視点というのは、やっぱり独特です。この世界の物事の捉え方がとても特殊なんです。そういう自分を生かせば、みなさんに新しい視点を伝えることができます。でも、この視点をいくら持っていても、いさどんの独りよがりでは何も価値がないですよね。それを伝える場があるということは、本当にありがたいことです。そう考えた時に、こうやって毎日心のことを伝えあっている木の花ファミリーという場所に、いさどんは生かされてるなと思います。

この価値を知ったら、やはりこれは世の中に広げていかないといけません。大人サミットは今回で6回目ですが、まだまだ世界の70億人の中の数十人です。しかし、喜ばしいことは、一人でも、そういったことを考える人が増えてきたことです。我々が教育しなくても、地球がそういう時代に入っています。
昨年、太陽系の冬至と地球の冬至が、25800年ぶりに同時にやって来ました。マヤ暦も終わった。これは、新しい価値観の時代が始まるということです。

天の川銀河を旅する太陽系の冬至
天の川銀河をゆく太陽系

二十一世紀は、どのような時代か。
私たちは二十世紀において、物理的進化の花を十分に咲かせてきました。ですから、物理的なことはもう、そんなに進化しなくてもいいと思うのです。
私たちは人間として、魂を表現して生きています。肉体と魂、それは見えるものと見えないもの、陽と陰の関係です。物理的なものをどんなに進化させても、その奥にある見えない部分が不健全であったら、物理的なものは不健全に使われてしまいます。
その代表例の一つが原発です。核融合は、人類が行きついた最高の技術です。しかし人類はまだ、太陽を再現するまでには至っていません。それは人間にはコントロールできない大変なものですから。それでも、核融合という新しい領域に人間は入ったのです。ところが、それを使って人間が何を成し遂げたかというと、原爆を作りました。原発でも、事故が起きると今の福島のように大変なことになるのです。

そこまでテクノロジーの道を進めた人間たちは、今、さらに世界を探求して、人間とは何者なのかということをわかろうとしています。
たとえば今、先進国では太陽の探査をしていますね。なぜかというと、太陽がちょっと不思議な活動をし始めたのです。太陽がちょっとだけ異常になると、地球は肺炎になります。太陽系にとっては大変大きな問題です。そこで、人類は宇宙に目を向け始めた。宇宙を探査しているのです。

0iW9a9宇宙を探査するということは、宇宙を見るのではありません。
宇宙があって、その仕組みの中に太陽系があり、そして地球があります。その中にこの地球生態系があり、私たち一人ひとりの存在につながっていきます。
この世界には、二つの視点があります。一つは、自分の目から自分の価値観で見る視点。もう一つは、自分がどの位置にいてどう生きているかということを外から観る視点です。その双方の視点があって、人間は初めて真実を知る道を歩み出すのです。
これまで、人々はその一方の視点しか持っていませんでした。しかし今、宇宙を探査することによって、宇宙から自分を捉えるという、外からの視点を持つことを人類はやり始めたのです。それが21世紀という時代です。
21世紀には、そういう意味でのテクノロジーが必要とされていきます。そのテクノロジーは何のためにあるのかといったら、私たちが、自らが何者であるかをわかるためにあるのです。それが21世紀を生きる私たちの目的であり、そのためにテクノロジーが生かされていくのです。

もう一つは、この大人ムーブメント(※)を広げるということと同じですね。人類が、一つの生命として、自分たちは何者なのかということを共にわかる時代、それが21世紀なのです。そのことを人々が理解した時、本当の意味で、人類はこの地球生態系に貢献できるようになります。依正不二(えしょうふに)の実現です。正しい法を持つものとしての人間、すなわち正法が、他の全ての生命である依法に貢献できる時代が来る。それが21世紀のテーマなのです。

太陽系は冬至を過ぎ、新しい光が差してくる時を迎えています。地球も、銀河も、そういう時代を刻み始めたのです。あとは人間がその意識に目覚めて、この世界に現象化することです。
この銀河群も、天の川銀河も、太陽系も、地球生態系も、我々の体も全て、さまざまなものがそれぞれの役割を担いながら連鎖して、ネットワークを創り、大きな世界、そして我々の体のような小さな世界を創っています。この宇宙は、その絆から生まれた愛そのものです。絆ができるところには愛が生まれます。ということは、絆があるということは、その世界は必ず善意がベースになっているということです。そして調和の世界が広がっていることに、我々はそろそろ気付くべきなのです。

それに対して、今の人間世界は、どうですか。その真実をわからないで、不調和な世界を生きてきましたよね。戦前も戦後もそうですね。命を犠牲にして、不調和な競争の世界を創って来ました。その中で人間たちは、個人的な欲求をより多く叶えてくれる社会が自由な社会だと思って来たのです。しかし、実はそれは、人々をどんどん不自由にしていくのです。なぜならそれは、欲望や、不健全な思考の中に自らを閉じ込めていくことになるからです。閉じ込めていくということは、自らを不自由にしていくということです。このように優れたテクノロジーと、多くのモノやお金があふれているのに、なぜか人々は不自由感を持っているのです。
そのように自らを閉じ込めているものがいったい何かということに気付いて、自らの縛りから自らを開放する。その魂の解放のネットワークが人類の目覚めとなって、地球生命としての役割を人類が果たす。それは、愛と調和の時代です。そういう時代が、これから開かれていきます。そして私たちは、目覚めた者として、その役割をしっかりと果たしていきたいと思うのです。

今このようなことをみなさんに伝えるのは、僕がいさどんだからです。この世界に生まれて、お前その役割を果たして来いと言われたからやっています。そしてみなさんにも、一人ひとりふさわしい役割があるはずなのです。
今までは、問題ごと(それも神様の仕掛けなのですが)を作っては、そこで苦しみ悩んで解決し、それを喜びとしてきました。それも、大事をわかる過程として必要なことでした。しかし、そろそろ次のステージへ行く時が来ています。この目的が何であるかをみんなで共有し、それを仕上げていきましょう、という時代に来ていると思うのです。
そうしたらもう、一つひとつの出来事を個人の問題として悩んでいる時ではないじゃないですか。もしもそれを個人のこととして悩んでいるとしたら、その悩みは、人とつながっていくと自動的に解決していくのです。僕は1年間に500件以上、人生相談の面談をしていますが、心の病気でも体の病気でも、その原因は何かといったら、絆の不足、愛の不足だと捉えています。そして、それはつながることによって自動的に満たされていくのです。そうすると、そこでは問題ごとを解決する必要がなくなります。たとえば、アル中の人を愛の中に入れてあげると、自然とお酒が要らなくなるのです。

この世界には、そのようなおもしろい仕掛けがあるのです。つまりこの世界には、善なる法則が流れている。それがあることに気付いて、そこに目覚めていけば、問題ごとはなくなります。それが21世紀です。それを理解して、求めていく。そしてそれをマスターして、さらに広めていく。それが、この大人ムーブメントの最も大事な目的です。
それに気付いたものは、誇らしく、堂々と伝えていくことです。万物は調和でできています。不調和な人はそれを理解できないからと言って、諦めてはいけません。全てのものはすでに調和の中に創られているのですから、不調和をやっていると必ず心が苦しくなっていきます。だから、気付いた我々は、勇気を持って伝えていく。それが「大人」と言われる心を持った人の姿なのです。

どうかみなさん、勇気を持って、すべてに対する愛を持って、行動してください。
大人ムーブメントの広がりは、みなさんに託されています。そのことを自覚して、みんなでやっていきましょう。

 

3日間を終え、新たな旅立ちを迎えた大人サミットメンバーたち
3日間を終え、新たな旅立ちを迎えた大人サミットメンバーたち

 
 
※大人ムーブメント
大人サミットの「大人」とは、年齢に関係なく、大きな精神を持つ人を意味します。
自らの意識が世界を創造しているという自覚と責任を持ち、個人の枠を超えて地球全体のために生きる人 ー それが真の「大人」です。

大人サミットでは、この「大人」たちがネットワークすることで巻き起こる「大人ムーブメント」を広げていくことを目標の一つに掲げています。
 
 


性欲にどう対応したらいいのでしょうか?

9月14〜16日、木の花ファミリーでは「第6回大人サミット」が開催されました。
大人サミットは、自らの意識がこの世界を創造しているという自覚と責任を持つ真の「大人」たちが集い、真剣に語り合いながら、次世代の生き方を発信していく場です。この大人サミットの中で、参加者の一人からいさどんに次のような質問がありました。
「世の中にとっていいことをやろうと考えていても、性欲が邪魔をする時があります。どうしてもそこにエネルギーを取られて、集中ができない。そういう時にどう対応したらいいのでしょうか。」
この質問に対し、「これはとても大切な話です」と言って、いさどんは次のように答えました。

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性欲というのは、我々生命の根源から湧き出てくる欲求です。

天の川銀河
天の川銀河

宇宙に、私たちの存在する天の川銀河があるでしょう。そこでは、セントラルサンを中心に、円盤状に星が回っています。この横向きの渦のエネルギーが起きると、縦に磁場ができます。この縦の磁場は、男性性です。そして横の渦が、女性性にあたります。この横の渦は、女性の性器にも見えますよね。それを貫いてる縦の磁場が男性器ということです。

地球の磁場
地球の磁場

地球も同じ構造になっていますね。中心に鉄のドロドロがあって、地球が横方向に回転しているのに対して縦方向に磁場ができる。これが陰(女性)と陽(男性)なのです。銀河では、常に女性性と男性性の関わりにより、恒星が集中した中心部から星が生み出されています。

私たちの体の構造も同じです。銀河を横から観ると人の目や口と同じ形をしており、これは女性器と同じ形をしています。耳は渦を巻いているでしょう。性器はまさしくその象徴です。宇宙が星を生み出すのと同じように、男女が生命を生み出すための役割として、セックスという神聖な儀式があるのです。これは宇宙の、生命を生み出していく一番大事な仕組みです。

我々はセックスを隠していますが、これがなかったら人類は存在しません。生命が連鎖しないのです。ということは、これは本来とても神聖なものなのです。それなのに、忌まわしい事のように捉えられているのはなぜでしょうか。それは、その神聖さを人々が忘れているからです。

セックスというのは、日本の神話では、イザナミとイザナギが国生みのために行った神事です。子を産むための神事として双方がその意識を確認し、合体する。そこから神(命)が生まれてくるわけです。種が鳥居(女性器)をくぐり、参道(産道)を通って、その奥にある神殿(子宮)に入ります。その子宮という子の宮の中で、子どもは十月十日の間に三十数億年の生命の進化をたどるのです。7ヶ月くらいでサルの状態になりますね。そして十月十日たつと、娑婆に出てきます。そういった神聖さが理解できないと、その尊いことが、逆に愚かしいことにつながるのです。

セックスは、神聖なものなのです。それを神聖な心で行っているかどうか、ということです。自然界のものはカルマが少なく、忌まわしい心を持っていません。だからそれは神聖な行為として純粋に行われています。しかし、人間は性欲という神聖な本能を持ちながら、同時に、忌まわしい心でそれを汚染することができるのです。そこが問題で、その構造がわかっていれば、常に神聖な行為として、神生み、国生みをするイザナギとイザナミの原点に帰れるということです。

カルマ的な欲望優先の欲求のもとは、エネルギーです。そのエネルギーを、真実の探求に使っていけば、欲望的エネルギーは自然に消えていきます。
大切なのは、日々、真実とは何なのか、自分から出てきたトラブルの原因は何なのか、そのもととなるところに興味を持って、そこへの探求にエネルギーを使っていくことです。そうすると、カルマ的欲求は自然に消えていきます。ところが、それを野放しにしている人がたくさんいる社会では、無秩序な世界ができていくのです。こういったコミュニティでも、たくさん人が集まると多くのケースで男女問題で忌まわしい場になり崩壊したりするのは、そこが原因なのです。

心を優先して磨いているところでは、健全なエネルギーが発生し、性欲も健全に湧いてくるようになります。本当に必要な、神聖な性欲しか湧かなくなるということです。
タバコを吸っている人にタバコをやめろと言っても、なかなかやめることはできません。ですから、無理やりにやめるのではなく、自分がタバコを欲しがる原因の元の部分が何であるかを知っていくことです。その探求にエネルギーを使うのです。そしてそれが湧かなくなると、自然にタバコもいらなくなる。体が健康になると、そういう欲求が湧かなくなるし、そういった間違ったものをまずく感じるようになるのです。そのようになった人にタバコを吸うかと聞いても、やめてくださいと言うようになる。やめるのではなくて自然に要らなくなる。そういう世界があることに気付くと、楽にそこへ向かえますよね。やめろって言われると、世界は苦しいところになるでしょう。だからその苦しさに負けてしまうのです。

性欲についても同じように捉えていくと、自らの学びのための発見になります。
そして、その取り扱いも難しくなくなるのではないかな、と思います。
 
 


愛とお米があればいい

木の花ファミリーには「愛とお米があればいい」という言葉があります。これは、いつの頃にか、いさどんの中から湧き出してきた言葉です。この言葉を受けて、木の花楽団ボーカルであるみかちゃんから『愛とお米があればいい』という歌が生まれ、ファミリーの祭事ではこの歌が歌われます。
この「愛とお米があればいい」の意味について、いさどんが語りました。

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まずは、そもそも愛とはなんぞやということです。

愛には、ランキングがあります。一番初めに私たちが目覚める愛は、自我です。つまり自己愛です。どんなものも自分というものを愛するわけで、我々が自分のことを大事にしたり、人からよく思われたいという欲求を持つのは、自己愛の表われであるわけです。
人間だけでなくて全てのものが、自らを存続させるための働きを持っています。それは動物や植物にも見られる姿です。例えば植物は、水がない時には根を張って水を求めていきますが、水を与えすぎると逆に怠けてしまって、水がなくなったらすぐに枯れてしまうことになります。それは自分を存在させようとする力があるということです。また虫なら、常に自らを存在させるために獲物を捕ろうとしたり、何かに襲われそうになると逃げます。これは全て自らを存続させようとする本能的な、あるいは無意識的な自己愛の姿ということができます。
それが人間的な愛になると、自我がからむことによって「~になりたい」という欲求に発展していくのです。さらに愛が他者に向くようになると、「人から愛されたい」となります。それが自我的な欲求の場合、愛が「恋愛」という所有するものになります。

恋愛の「恋」という文字は、「変」という字に「心」がついたものです。だから、心が変になっていることで、相手が多少おかしくてもよく見えてしまうような、こだわりの愛の状態です。愛は本来無条件であるものですが、恋愛は条件付きの愛ということになります。
さらに執着が進んでいくと、身内の愛、自らの血を分けた関係の愛があり、それは親子や一族の関係で見られるものです。その執着の強い愛によって、子どもの命が危険にさらされた時には、自らの命を犠牲にしてでも親はその命を救おうとします。そしてどんなに出来が悪くてもわが子は可愛いとかばうようになったりもします。それがバランスを欠くと溺愛となって問題となります。それは愛の段階において、まだ自我が自己欲求に近いということです。

さらに愛が進んでいくと、他者の為に自分が存在している、他者の喜びを自らの喜びとするという、自他を区別しない愛があります。自分を愛するがごとく他者を愛するという、菩薩の愛です。これは社会でいうキリストとか仏陀、身近ではガンジー、マザーテレサなど、そういう聖人たちの持っている愛です。
そしてさらに愛が進んでいくと、今度は無条件の愛になります。愛というのは絆によって作られます。絆というのは、言葉を変えるとネットワークです。私達は地球上に生命として生きています。この世界の実相は、いろいろな生命が連鎖して、宇宙全体を生命として存在させているということです。

生命というのは、循環して巡り巡って変化するものです。変化し続けるために、いろいろなものが連動しながら命が巡っていくという形をとっており、それがネットワークです。そこには執着や囚われの感情はありません。ただそこにその仕組みがあり続けること、また変化し続けるものですから、一瞬たりとも同じ状態はありません。永遠に変わり続けるものです。だから、その仕組みはあり続けるものであり、かつ、そのままであり続けることはありません。瞬間瞬間変わり続け、「あってあるもの、なきてなきもの」という姿を表しています。ここまでの表現を仏教的に言うと、仏の愛です。そして神という宇宙の実相から観るなら、神の愛、無条件の愛です。

ここまでは、「愛とお米」の中の「愛」についてお話ししました。愛とはそのように分類できます。
次に「お米」について話します。

120820-172802-001「米」という字は「八十八」と書き、栽培するのにとても手がかかるということですが、実はお米はあまり手がかからない作物なのです。そして、穀物の中で面積当たりの収穫量は一番高い。今日本のお米は1反歩当たり10俵、600kgもとれます。とても生産性のいいものです。ついこの間田植えをしたと思ったら、あっという間に穂が出て、その後一月くらい経ったら収穫になるのです。なかなかそれほど効率がよくて生産性のいい作物はありません。さらに、お米は私たちの主食で、なくてはならないものですが、その成分を調べると、主食と言われる穀物の中で最も栄養バランスのいいのがお米(玄米)なのです。お米は、五穀豊穣の中の豊穣の象徴です。
神話では、「高天原」というところでお米を作っています。そこでは天照大御神(アマテラスオオミカミ)が田植えをして、お米を収穫しているのです。それ以外の、ナスとかピーマンとかトマトとかいうものは作っておらず、お米だけを作っています。お米は最も大切なものであり、これがあれば人が命を紡いでいくのに十分な、とても重要な穀物だということです。お米があるということは、命を紡いでいけるということです。

もう一つ、「愛とお米があればいい」の「あればいい」についてです。
人間には、他の生き物とは違う役割があります。人間以外の生き物は与えられた役割以上のことはしません。逆に言うと、そこからはみ出たことをするような能力が与えられていない、ということでもあります。
しかし人間は、自己実現として、自らが持つ感情や欲求を満たす能力を与えられています。だから人間はどんどん新たにものを作ったり、生活を改善したり、社会を探求したり、便利にしたりする能力があるのです。それだけの能力が与えられているのです。
他の生き物は人間のようなことはできません。しかし、確実に命の連鎖のポジションから外れないようにできています。虫は虫のように、動物は動物のように、それぞれが自らのポジションから絶対外れないのです。そして命の連鎖が常に保たれるように役割を果たしている。逆に言えば、この世界の命の仕組みがまわっていくように、そこのポジションにはめ込まれているとも言えます。
それに対して、人間は先ほど述べたような役割を持っています。自己実現の能力が与えられているために、いろいろなことを考えて、自らの欲望を叶えることを喜びとします。その欲望がどんどん強くなっていくと、我が強くなり、自分のことだけを考えるようになります。その時に何が起きるかというと、この世界の健康なネットワークから外れることになるのです。自分の役割を果たしながらネットワークを存在させる菩薩の愛から外れて、自我を優先し、家族や自分の幸せだけを願う人になるのです。
さらにそれが強くなっていくと、人と対立するようになります。そして体のバランスを欠くようになります。ちょうどよい食べ方とか、ちょうどよい生活のリズムとか、そういったことを失って病気になります。それは「そのアンバランスに気付け」というメッセージですが、執着が強いと、何度痛みをもらってもやり続けます。それが、地獄を生きるということです。人間は最高の愛を表現することもできれば、地獄から抜け出すことのできない最悪の苦しみの中に陥ることもできるわけです。

そこで、人間が生きていく上で何が必要なのかと考えると、本当に必要な欠かすことのできないものと、そうではない付属品とに分ける必要があります。では、本当に必要な欠かすことのできないものとは何か。それを知るためには、生きていく上での本当の目的を見つけることです。人間が生まれて生きて死んでいく中に、人間としての役割があるということです。
人間は思考することができますし、成長して変化していく生命です。そして地獄から最終の真理までの道を歩むことができるようになっています。人間に生まれてくることは、落ちるために生まれてきているわけではなく、精神性を高めていくために生まれてきているのです。その目的を果たすためには、自分の心を磨いてきれいにしていくことです。それが人間の姿、実相なんです。汚れている状態のままでいることは、元の宇宙の実相、神様の愛の世界、そこから最も離れた状態であり、元の所に戻りなさいというメッセージをもらっているわけです。生きることは、その旅をしているのです。

その旅で一番必要なものは何なのか、逆に不必要なものは何なのかを、仕分ける必要があります。そこに愛が必要になるのです。つまり、この世界はネットワークであり、全てのものがお互いに存在させあっている命の世界であり、これが神様の実相なのです。
それを理解するためには、人間の中から湧き出してくる自己に対しての愛、エゴがどんな役割をしているのかを知る必要があります。それはそのネットワークを無視し、壊していくものです。ですからエゴをコントロールして、主食、即ち本当に必要なものだけを求めていくことが大切です。そこには、それだけしか求めません、それ以上のものはいりません、という覚悟が生まれてきます。それ以外のものを求めるとは、道がその分だけ遠回りになるということです。人が生きていくには、お米、塩、水といったものの他にもいろいろなものがいります。ですが、心はその心構えでなくてはいけないのです。
闇の中にいると光はよく見えるのですが、どんどん光が増してくると、光がわからなくなっていきます。だから、地獄に落ちるということは、本当に光の大切さを理解するために与えられているのです。その歩みの道中で、生きるということを学んでいくのです。

我々は、最高の愛のもとで創られた命のネットワークの中で生きています。宇宙が全てを繋げているのです。そのネットワークの中で、自我を表現することによっていろいろな痛みをもらい、自我を削り取っていく。それが心を磨くということです。我々はこの場所で生きることによって修行の場をいただいているのであり、人生は心の磨き場なのです。
その時に最も必要なものは、ネットワークのベースにある愛と、生きるためのベースになるお米、その二つがあればいいということです。そこに余分なものがあると、その分だけ道から外れます。人はそのことを豊かさと勘違いして、たくさん求めてしまいがちです。「癌」という字は、「品」物を「山」のように抱えると「病」気になる、ということを表しています。私たちは、生きていると生老病死といって苦しみも背負うものですが、だからこそ余分なものはいらないのです。
シンプルに心だけを探求していくことが本来の人生の目的なのです。それをやり切れば、人間はこの世界の実相である神のところまでたどり着きます。仏教で言えば、悟りの境地に至るのです。

ここに歌の歌詞があります。これは、みかちゃんが天から受けたものです。まさしくその心を表しています。
 
 
「愛とお米があればいい」

 愛とお米があればいい
 称えよ命 いただく恵み
 与えよ愛を 御心のまま
 開けよ心 歌えや命
 天の喜び 地に花開け
 愛とお米があればいい
 
 
「命」はこの世界の実相です。そして人生という尊い「恵み」をいただいて、御心の愛という宇宙の根本の御霊のままに、自らの「心」を「開き」、「歌う」ことは生きることを表すのです。「命」の賛歌です。「天」と「地」が結ばれて、天の意志が地上に生きる、地上天国、神人和合をうたっているのです。

これが「愛とお米があればいい」ということです。
 
 
 


21世紀の扉を開ける「大人サミット」

木の花ファミリーでは、個人の枠を超えて社会全体のために生きる真の「大人」を目指す人たちが集い、地球の未来を真剣に語らう「大人サミット」を開催しています。今回が6回目となる9月14日〜16日の開催に向けて、改めて大人サミットの意義を確認する場が持たれました。話し合いにはファミリーメンバーの他、これまで木の花育ちの高校生として大人サミットに参加し、4月からは大阪の美容専門学校に通っている19歳のれいかや、宗教家として若者の育成に当たる荒さんなど、数名の大人サミットメンバーも参加しました。

★「大人サミット」について詳しく知りたい方は、こちらのページをご覧ください。

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いさどん:
大人サミット当日に、何をするか。サミットのテーマはすでに参加者の中からも出ているので、それがどうなっていくのかは当日に譲りたい。その場で湧き出てきたものをみんなで練り上げて、一つの作品のように仕上げられたらいいね。
今、大人サミットのメーリングリスト上で若者を中心に活発に意見が出されていて、これだけ活発ならもう大人サミットはやらなくてもいいくらいだよ(笑)。ただし、言葉で語っていることを現実に実行しなさい、ということだけどね。

第4回大人サミットでのワークショップ
第4回大人サミットでのワークショップ

彼らの書いている内容を見ると、大人サミットは年齢は関係ないなと思う。経験や社会的地位も関係ない。これまでの参加者は経験や社会的地位のある人が多く、優れたことを語っていたけれど、生活にそれを反映していくのはなかなか難しい現状がある。木の花ファミリーがやっているのは、言行一致を実践していくということ。そして実際に行動する人のムーブメントを創っていくことが大切だと思う。
大人サミットで僕たちが投げかけていることは、視点を上げれば当たり前のことです。だけどそれが、大人サミットの場を離れて参加者が「個」に返った時の現実と距離がある。その距離をいかに埋めるかというのは、個人のテーマというよりも、僕は人類のテーマだと思っています。今の社会は、政治家なら票集めとか、経営者なら経済だとかいうことに視点が傾きすぎているよね。地球規模でものが観える人が少ない。これが今の人類の実態です。

大切なことは大切で、それを譲ってはいけない。人生を紡いでいくには、人の尊厳や価値に関わることを最優先にしたいものです。お金の話などは3番4番でやっていくと、自然と物事はうまくまわるようになっていくものです。

れいか:
私は逆にここから外に出て、ここで学んだことをみんなに伝えようという考えでいるよ。今100人のクラスの学級長をやっているけど、他のクラスよりもまとまりがいいの。だけどそれを先輩に言っても、後輩が先輩に言うものじゃないって言われる。一般社会ではそれが普通なんだよ。だから、自分とも戦わなくちゃいけないけど、社会との関係も考えるようになったよ。

いさどん:
それはれいかが一般社会に出たからで、そこにはそこのルールがあるんだよ。そこは柔軟にやっていくといいね。大切な信念は変えないで、通じないところには柔らかく接する。それは自分を下げることではないんだよ。大人サミットで語られるような意識は、最終的にそれがほんとうに大事だよね、ということになればいいわけで、そこに至るまでのプロセスとしてはそれでいいんだと思うよ。

まり姉:
改めて大人サミットの意義を問う投げかけをメーリングリストに流したけれど、従来の参加者からはほとんど反応がないね。

いさどん:
それは今の人々の実態なのだから、我々が継続していくことが大切だよ。僕は必ず世の中に火が点く時が来ると思っているけれど、本当に火が点くまでは種火だけでも保ち続けておくことが必要で、今の我々は種火の状態だということ。気づいた人たちにとっては重要でも、気づかない人たちにとっては見えていないことで、それが今の世の中の人々の位置だと思えばいいんじゃない。

ひとみ:
今回は、より参加者の主体性を大切にするために外部主導の大人サミットでいこうということになったよね。

いさどん:
本来、大人サミットというのは始めから外部主導で進めようとしたんだよ。だからこそ、火が点くまでは我々が種火を維持していくということだよね。周りが動かない限り木の花が主導でやるけれど、本来は外部主導であるべきものだということは常に投げかけ続けてきたんだよ。これは地球規模の話なのだということを、伝え続ける必要があるんだよ。それをせずに木の花が一方的にやっていては、本末転倒になる。いくら素晴らしいと言っても独りよがりでやっていては意味がないし、逆に火が点かないものに対して怒っていても仕方がないので、それは時代の歩みとして尊重しなければいけない。
現実的には国民はアベノミクスの安倍さんを支持しているわけで、自民党は国民が求めていたことをすっかり反故にしているのに、経済政策だけに踊らされている。政治の世界は国民を愚弄していて騙しているのに、そこが観えない国民だからこそ、ふさわしい政治があるわけです。木の花党を立ち上げるぞ!(笑)だけどそこにヒットしない国民がいる限りは、仕方がないね。
だから我々は、ここで種火を維持しながら、国民の意志がどこかで沸点にくるのを待っているんだよ。そのために、こんなマニアックな生活をしているんだよね。このマニアックな生活は、決して我々の独りよがりの生活ではないはずだよ。これは天との契約においてやっていることだから、個人的な願望でやっていることではないのです。
今大事なのは、これを継続していくこと。毎回、大人サミットはいい場所になっている。これは間違いない。参加者も「すごいところに出会ったなあ」と思って帰っていく。だから、参加しなかった人は損をしたと思うくらい、サミットで話し合われた内容をしっかり発信していったらいいと思う。

ひとみ:
木の花では、生活そのものが大事を優先するようになっていて、基盤が整っているから持続していけるけれど、世の中ではなかなかできないよね。

いさどん:
できないけれど、それぞれの人が関わっている場所を、例えばれいかが今通っている学校を、そういったことの伝わる場所にしていくというのは、長いスタンスで考えれば大事なことだよ。そういった身近なことも含めて、未来の地球についてどう考えるかということがサミットなのだから。

れいか:
その時に、見返りを求めない方針でいくべきだなと思う。

いさどん:
もちろん、答えをどこに落としたいかということは求めない。

れいか:
ここでその話を聞けただけで良かったと思う。何かの拍子に、あの時にこんな話をしていたなと思い出して、それを友達に伝えていったら、今度は友達がそれを支持してくれるかもしれない。

いさどん:
それが種まきだね。いいこと言うね。

れいか:
学級長に選ばれて良かったと思うのは、朝の会が始まる前に、学級長が思っていることを話す場があるの。その後に先生が話すんだけど、先生も理不尽なことを言ったりしないし、私も学級長として思った通りのことを言える。

まり姉:
そう考えると、社会のどこから発信していっても同じことだと思う。木の花からとか、ある会社からとかいう小さな単位から始まって、機が熟してきたら広がってつながり合って、同じ方向を向いていく。木の花の中にいても、個人個人の心磨きにはでこぼこがあって、サボる人もいれば熱心に語る人もいて、いさどんが「なかなかみんなに伝わらんなあ。俺の独りよがりかな」と言いながら見守っている感じと一緒だね。

いさどん:
意欲的な若者も現れ始めているのだから、我々年寄りとしてはこういう場を持ち続けて、若者たちに火が点く時につなげられればいいと思っています。
いつか必ず、「宇宙人」の意識に人々が目覚める時が来るよ。だけど、今の選挙で誰を選んだら国や地球の未来を託せますかと国民に問うたら、いないよね。それで今回僕は投票しないということを選びました。投票したい人がいない、その原因は何かと言ったら、国民の目が開いていないからでしょ。それを開眼させるのが、大人サミットですよ。自分の中の神仏の目を開き、真実に目覚める人が「大人」ということですよ。

まり姉:
荒さんは、若者との関わりについてメールに書いておられましたよね。

荒さん:
ある新聞に、憲法問題に関連して「若者は感覚的に物事を理解しているが、大人の世代は理論や理屈で理解している」というようなことが書かれていました。それを読んで、若者とその上の世代とは話がうまくかみ合わない理由が少しわかったような気がしたんです。感覚で感じている若者にいくら理論や理屈で説明してもわからない。本当に若者に理解してもらいたいなら、「本当にいい社会とはこういうものだ」と感じられるものを創るしかない。例えば木の花のような生活を味わってもらって、今度は自分たちがどのようにしたら自分たちの「木の花」的なものを実現していけるのか、と考えていくようにしないと、いくら理屈で言っても伝わらないと思うんです。

いさどん:
良い社会論は、吐いて捨てるほどあります。ではそれは実際にどこにあるのか、ということですよね。

まり姉:
どう?わたわたは最後に一言何かある?

わたわた:
ほとんど同意です。

いさどん:
そういう意識を持っている人はまだ貴重な存在の部類だからね。本来は視点が広がればそれは当たり前になって闊歩しているはずです。そして大多数がそうなるはずなんだけど、残念ながらまだそこまで人間は熟していないからね。でも、21世紀はその扉が開く世紀だよ。それも早い段階で扉が開くことを、僕は感覚的に感じてる。そのために、我々のような生活も自然発生的に生まれたのだし、そういう意味でも天との契約でやっていることだから、私利私欲はないのです。そのことを知った者の役割と責任上、継続して火が点くのを待つということです。

わたわた:
まともに考えれば当たり前じゃない、というところにみんなが気付いた時に、当たり前の考えを真面目に地道に実践しているこんなところがあったんだ、ということだね。

いさどん:
人生を正攻法で生きることだよね。

わたわた:
社会を見渡すと、「今まで自分たちのしていたことは、何でつながりがなくぶちぶちと切れていたんだろう」というところに気付き始めている人たちはいる。ことさらそこにフォーカスすると、誰かを持てはやすような一過性のムーブメントになったりするんだけど、それも達観して観れば、大きくみんなが気付いていくための小さな種火が燃え始めているんだろうな、と思っています。それがうまくネットワークするとどんなことになるのかということを、少し前倒ししてやってみよう、というのが「大人サミット」だと思う。

いさどん:
エコビレッジという限定されたものではなく、みんなで何かをやろうというムーブメントは、若者たちの中で生まれ始めている。それが本当に言行一致で生活に定着したものになるという意味では、エコビレッジ的生活は注目されてくると思う。我々もエコビレッジの代表と言われるけど、何もエコビレッジを広げるためにこの生活をしているわけではないよね。エコビレッジという言葉だけで表現できる木の花ではないのだから。もしエコビレッジと言うなら地球がエコビレッジで、みんなの家ということなんだからね。
いずれにせよ、火が点かなければ種火を保っていく作業が必要だけれど、その種火も、だんだん1箇所で保たなくてもネットワークでできるようになってきた。それをやりながら、後は社会の動きと連動していくことだよね。ある特定の場所だけが盛り上がって、自己満足で終わるような世界ではいけない。
去年の冬至以降、宇宙は既にそういう時代へとスイッチを入れ替えたのだから、後は人間たちがいつそれに目覚めるか、というだけのこと。これは宇宙的スケールでやっていることだから、間違いないことです。

 

 


宇宙視点の働き方 〜 新しい時代を創る人たちへ

先日、台湾から3人の大学生がファミリーを訪れました。インターネットで偶然木の花ファミリーを見つけて農作業ヘルパーを募集していることを知り、かねてより憧れていた日本の生活を体験するチャンスだ!とやって来た彼らでしたが、一般的な日本の生活とはちょっと(だいぶ?)違ったファミリーの暮らしに、当初は戸惑うこともあったようです。が、ある日いさどんから「ここは日本どころか世界でもめったにできない体験ができる、貴重な場なんだよ」と言われた彼らは、心機一転!ファミリーの暮らしに興味を持ち始め、いさどんと面談をすることになりました。

* 面談は「地球暦」を読み解くことから始まりました。(木の花ファミリーでは、その人の生まれた日の太陽系の惑星の配置からその人の天命や個性を読み解くという独自の取り組みを行なっています。)
* ファミリーの親しい友人である台湾出身のカエイちゃんと、中国出身の朝鮮民族であるリンちゃんが通訳を務めました。

左から、アリス、ケビン、クリス
台湾からやって来た3人 ー 左からアリス、ケビン、クリス

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
(3人の地球暦を眺めながら)これを読み解いていく時に、みなさんが占いのように興味本位で聞いているだけだとあまり意味がありません。もしも今、あなた達が何か問題を抱えているとしたら、それはあなたの人間性がそれにふさわしい現象を引き起こしているのですよ、と分析することはできます。あるいは、問題とは関係なしにその人の人間性をただ伝えるということもできますが、それでは単なる占いのような感想を持つだけで終わってしまうよね。これはもっと深く読み取れるものなんですよ。
3人は今、大学3年生だね。将来は何をしようと思ってるのかな?

アリス:
マーケティングの仕事をしたいと思ってます。

いさどん:
まだ就職先を決めてないけど、先にマーケティングの職につきたいと思ってるの?

アリス:
そうです。

クリス:
僕はコンピューター関係の会社への就職が決まっていて、そこでマーケティングをやりたいと思っています。

ケビン:
僕はまだ決まってないけれど、管理系の仕事をしたいと思っています。

いさどん:
大学でそういう関係の勉強をしてるの?

ケビン:
いいえ。そんなに具体的に考えてるわけじゃなくて、そういうのもいいなと思ってます。

いさどん:
どんな職業が向いてるか、ということは、この地球暦から読み取ることができるんだよ。たとえばクリスは、いろんなことに関心をもつタイプ。その個性をいい方向に使うと、いろんな発想が出る人ということになるんだけど、悪く出ると一つが完結してないのにすぐ次のものに移って、周りの人がついて来れないという事にもなる。
会社の中で会社のために働くよりも、自分の目的を達成することのほうが大事な人だね。いろいろ考えが回るんだけど、「自分のため」という部分がとても強い。

クリス:
そうかな・・・あまりそうは思わないですけど。

いさどん:
それは「そう思いたくない」ということだったり、自分はそういうつもりでなくても周りの人からはそう見える、ということです。
自分のことは自分では見えにくいものだよ。今後の人生を生きていく中で、あなたの姿勢への答えは周りからもらうことになるのだけど、その答えが、今ここに出ているんだよ。それは、これから人生を生きていくとわかってくると思います。自分は相手にとっていいと思ってやっていても、知らない間に相手は不満を持っていることもある。あなたの場合は直感的に自分のために行動するから、本当はじっくり考えて人の意見も取り入れながら行動することがとても大切なんだよ。
それと同時に、あなたの中には女性的な思いやりもあって、たとえば今の世の中は孤独な人が多いけれど、人と人をつなげてもっとやさしい世の中にしたい、というような、社会変革への思いも強くあるね。そのためにはあなた自身の心の成長がとても大切で、自分でもそうしたいと願っているのだけれど、なかなかそれが実行できない。そういうことがここに表れてるんです。

今、僕がこういった話をしているのはね、最初に言ったけど、みなさんから「今こういう問題を抱えています」という話があると、そこを切り口にできるので伝えやすいのね。だけど、今みなさんは、これからの未来を見ている。まだ21歳で、社会に本格的に足を踏み入れていないので、それぞれに問題ごとの種を持っていても、まだそれが現象となって目の前に現れていないことが多いんだよ。
たとえばね、僕のところにカップルが「私たちの未来をみてください」と言って相談に来るでしょう。二人は恋をしているものだから、相手の悪いところも良いように見えている。まだ未来を経験していない人が、今の感情で、「自分たちは絶対に良い関係だ」とか都合のいい未来を思い描いていることがあるんです。それはいくらそう思っていてもいいけれど、そのまま行くと、現実にはいろんなことが起きる。僕は人に聞かれるからその現実について忠実な話をするんだけど、その場合、ほとんどの人は受け取れないね。でもね、3年後とか5年後にもう一度来てくださいと言って、実際に来てみると、だいたいその通りになってるんだよ。
逆に、過去にさかのぼって話をすることもできるよ。今冷めている2人に、でも3年前はこうだったでしょ?と聞くと、たいていはその通りだと言う。そういうものなんです。

だけど、今はあなたたちの悩みを聞く時じゃないからね。僕はもっと違う話がしたいと思ってます。ここにはね、皆さんが知らない情報がたくさんあるんだよ。
ええと、あなたたちは英語と中国語が話せるのかな?

ケビン:
アリスとクリスは話せるけど、僕はあまり英語が得意じゃないです。

いさどん:
どちらにしても、日本に訪ねてきたけど、日本語はそんなに理解できないわけだよね。なのに今、こんなふうに中国語の通訳が2人もついてるなんて、恵まれてると思わない?

(3人とも頷く。)

いさどん:
これはとてもラッキーなことだよ。あなたはさっき、将来はマーケティングの仕事をしたいと言ってたよね。あなたはITで、あなたは管理の仕事。それはあなたたちが自分の枠の中で出会って、やりたいと思っていることだよね。だけど今回日本に来て、こんな中国語の通訳なんて求めていなかったのに、それが今現実にあるでしょう。これが人生なんだよ。

人生というのは、自分が考えたことが実現するのがいいことだと思っている人が多いけど、僕はそうは思わない。自分の考えが実現すると、人間はわがままになるんだよ。その人間のわがままで、今、地球の環境はおかしくなっている。他の生命にも負荷がかかって、人間自身も未来に暗いイメージを持っているよね。それなのに、人間は相変わらず自分の願望を叶えようとすることばかり考えているんだよ。
今みんなは「自分の将来がこんなふうになったらいいな」と考えているでしょ。それが叶うと、人は幸せになるのかもしれない。だけど、その内容によっては、たとえばあなたがマーケティングで業績を伸ばすと、対抗している会社は衰退していくよね。そしてそこで失業者が生まれたりする。そういった競争の中で、人間たちは今の社会を創ってるんだよ。だから、とても豊かな国や豊かな人々がいる半面、とても貧しい国や貧しい人々がいる。その時に、自分は豊かな側にいるからよかったと、それを幸せに思うかどうかということなんだよ。

自分はこの社会で成功して幸せだったと言って人生を終えたとするでしょ。でも実はその自分がやってきた行いが環境問題を引き起こしたり、逆に貧しくなっていく人々を生み出していた。社会では成功者と呼ばれて満足していたかもしれないけれど、この世界とさよならした時には、あちらの世界で真実を知ることになるんだよ。あなたの成功はこういう犠牲の上に成り立っていたんだよ、ということを教えられるんだよ。

では、本当に大切なことは何か。
日本には「働く」という漢字があるんだけど、この字は台湾にもある?

アリス:
ないと思います。

いさどん:
この漢字の人偏は「人」を表してる。それに「動く」が付いているよね。人が動く、ということは、つまり生きているということ。人が生きる、これを「働く」と言うんだよ。
あなたはこれから社会に出てマーケティングの仕事をするでしょ。その目的は、収入を得て生きていくためだよね。働くとは生きていくために必要な行為で、今あなたたちは、それをどのようにやろうかと考えてるわけです。
ところで、「人が動く」で「働く」という字になるのだけど、この字は日本語で「はたらく」と読みます。「はたらく」とは、「傍(はた)」を「楽(らく)」にする、ということ。傍とは自分以外の人のことを言うから、「働く」というのはつまり、他者を楽にするということなんだよ。
例えばね、虫が生きてるでしょ。生きてるってことは動くってこと。虫は葉っぱを食べる。そうすると、葉っぱによって虫は動けるし、葉っぱがあることによって虫は楽になるわけだよ。その虫は次に、鳥に食べられる。すると自分の命が他のものに移って、他の命が生きることになり、傍を楽にしていく。そうやってこの世界は全部つながっているんです。働くとは生きること。生きるとは命が動くこと。それが全部つながって、この世界は一つになっているんだよ。

自分が生きて動くことが、この世界にどのような影響を与えているか。たとえば、空気を汚さない、水も汚さない、大地も汚さない、他の命を犠牲にしない。自分が生きていることによって、他のものたちが歓迎してくれる。そういう生き方ができた時に、本当の意味で「働く」ということになるのです。
この世界はみんながつながって創り上げていて、その中の一つのポジションを担っているのが我々人間の本来の姿であり、本当は、傍を楽にすることが義務付けられているんだよ。けれども、今の世の中を見てみると、みんな対立してるでしょう。国と国、会社と会社、個人と個人が対立して、その中で自分が勝ち抜くことを幸せだと思う風潮がある。しかし実は、自分だけが良ければいいという世界を創れば創るほど、自分もその対象の中に入って窮屈な世界で生きることになるんだよ。

地球暦
地球暦

この地球暦というものはね、その人の生まれた時の太陽と9つの惑星の位置関係をNASAのデータから取り出したものです。こうやって図で見ると平面だけど、実際は太陽はらせんを描きながら銀河の周りを周ってるんだよ。そしてその太陽の周りを他の惑星たちが周りながらついて行っている。この図はそれを真正面から見たものです。そこから捉えた角度によって、それぞれの星がどう対話しているかを読み取っていきます。そこからその人の内面的人格や、社会的にどんな興味を持ってどんな生き方をするかが観えてくるんだよ。例えば、アスペルガーとかうつ病のような心の病気も、星と星の関係から読み取ることができるんだよ。
あなたたちは今、自分は自分であって他のものと関係ないと思ってるかもしれないけど、実はあなたが生まれた瞬間の星と星の関係で表現されていることが、自分の人生で表されているとしたならば、自分とは自分なのか、宇宙なのか。これはそれくらい深いものなんです。

普通、人は自分の未来を観ることはできないよね。だけど、この宇宙は人間が考えられる以上の仕組みによって成り立っていて、いろんなものの見方があるんだよ。この地球暦に出会うと、それまで知らなかった世界が広がっていく。そしてそれは地球暦に限ったことではなくて、いろんなものからこの世界を見て、自分自身を知ることができるんだよ。
それは、逆に言うと、人間はこの世界の仕組みを本当にまだわかっていないのね。それを理解するために人間は生きているとも言える。その方法はと言うと、人間が生きるってことは働くということであり、傍を楽にするということのはずなのに、人間たちは自分のことばかり優先して、傍を楽にしないわけ。だから今、お金や物がいっぱいあっても、なんだか困った社会になってるでしょ。そういうことも、宇宙が人間たちに教えてくれているってことでもあるんだよ。

あなたたちを見ていると、日本に来てこういった経験を積もうとしてるくらいだから、意欲的なのはわかるんだけど、大切なのはその意欲の内容なんだよ。今までの社会を動かしてきた人たちと同じように、自分が豊かになればいいと自己中心的に考えてると、人が動くってことが、傍を楽にする、つまり世の中をよくするってことにならない。これから社会に出ていくあなたたちには、ぜひ、傍を楽にする生き方をしてもらいたい、と思います。
多くの人は、お金をいっぱい貯めて物をたくさん所有することを豊かさだと思い、そういったことのできる人を優れた人だと思っているけれど、どんなにお金を集めても、いつか人生の終わりが来ます。その時に評価されるのは、どれだけ人のために生きたか、ということです。

話は変わるけどね。
僕らは今、一緒に1秒間に30㎞移動してるんだよ。何のことかわかる?地球の動きのことだよ。
地球は秒速30㎞で、1年かけて太陽の周りを1周する。これって当たり前のことでしょ?
今朝、朝が来たよね。夜が明けたのが朝4時だとしたら、そこから15時間経って夜になった。これは、この星が1秒間に400mの速さで自転してるから。
地球は秒速400mで自転しながら、太陽の周りを秒速30㎞で周ってる。でもその太陽も、秒速17㎞でらせんを描きながら銀河を周ってる。太陽が銀河を1周するのには、2億5千万年かかる。1周前は恐竜の時代だったんだよ。それって、事実でしょ?僕が創った話じゃなくて、天文学の観測データによって証明されてることだよね。
我々が生きてるということは、この宇宙の仕組みの中で生きているということ。銀河と太陽の関係があり、太陽と惑星の関係があり、地球と月の関係があり、さらに、虫が虫を食べ、それを鳥が食べ、それを動物が食べる、という地球の生命の連鎖があって、その中で我々は生きてるということ。それって当たり前の話じゃない?
でも、多くの人間は、日常にそんなことを考えてない。考えてるのは、自分がどんな想いを持っていて、どうそれを叶えたら幸せだろうかということ。これをエゴと言ったり、わがまま、独りよがりと言ってもいい。そればかり考えて生きてる。
人々が独りよがりで生きてきた結果、世界は豊かになったはずだよね。しかし、何かがプラスになった分だけ、人間関係や環境が悪くなるマイナス面がいっぱい出てるでしょう。人が生きるということの本当は、宇宙生命ネットワークの中の役割を確実に果たすということ。みんなで手をつないで、大きな輪を作るようなもの。ところがほとんどの人間は、隣と手をつなぐよりも自分のことばかり考えてる。それが、今の人間の実態なんだよ。

去年の12月21日に、冬至があったでしょう。これは地球の冬至であると同時に、太陽系の冬至でもあったんだよ。太陽系は銀河を周っているんだけど、銀河の中心に対して光の当たる量が最も少なくなる角度の時を冬至と言って、それは25600年ごとにやって来る。去年の12月21日は、その2つの冬至がぴったり重なったんだよ。
冬至というのは、光が一番少ない時。人間の世界で言うと、人間たちが本当のことがわからないで、欲張りになったり自分だけのことを考えて対立したりする、心の闇が広がっている世界。だけど冬至が終わると、今度はだんだん光が差してくる。今、地球全体がその変化の時にあるんだよ。これは誰かが作った話ではなく、観測的な事実。地球や太陽や銀河の動きが、我々地球上の人間が歩んでいる時代と連動しているんだよ。

もう一度、「働く」という話に戻りましょう。働くとは人が動くことであり、私たちが生きることです。それは、星や、太陽や、銀河が動くことと同じなんです。
人間には、エゴを主張して自分の願いを叶える能力が与えられています。そういうエゴやわがままを通していくと、人間関係が悪くなったり、問題ごとが起きるでしょう。人間がバラバラで生きてると、ゴミもたくさん出る。しかし、人がつながると、こちらで不要になったものがあちらで生かされ、不要なものが無くなります。すべてが生きる、生かされる。それが「働く」ということ。つまり、生きることの本当の姿なのです。それは宇宙も自然も、我々の体も同じ。働く作用によって健康を保っているんです。

今日、僕はこの場所でみなさんに、木の花ファミリーが何を目的にこの生活をしているかを伝えたかったんです。それはあなたたちにとっても、とても大切なことだから。みなさんが健全に働くことにより、他者を楽にして、世の中をよくする。それは自然生態系や、太陽と星、銀河と銀河の関係と同じ、調和の構造だということ。
銀河の冬至に象徴されるように、この世界はこれまで闇に向かってきたんだよ。それが地球に表現され、人々が対立し、物は豊かなのに豊かでない世界を創ってきた。それが、闇のピークを過ぎて、光が増していく時代になったんです。冬至が過ぎても、寒さはまだ続くでしょう。だから世の中にはまだまだ問題ごとは多く見られるけれど、時代が変わる時に来ているのは確かなんです。
あなたたちの世代は、光が差していく時代を創っていく世代。だからぜひ、「働く」ということで世の中のため、他者のために生きていくということを実行して、本当の意味で一人ひとりの価値を上げていってください。人がこの世界に生まれるのは入学、死ぬのは卒業のようなものだから、その卒業の時に、良い成績で、希望を持って次のステージに向かえるように。

僕はこういった考えを、日本の国会で総理大臣が演説する時代が来ると思うし、国連で語れる時代が来るといいと思っています。残念ながら多くの人間たちは、まだそういう大きな視点に立てずにいるけれど、みなさんの世代はそういった時代を創っていく世代です。新しい時代には、ぜひそのことを意識して働いてみてください。そうしたらきっといい人生になるし、あなたたちがいい人生を送ったら、それはいい世の中を創るもとになっていくのですから。

アリス:
とても感動しました。一番心に響いたのは、「働く」ことの意味。今までそんなふうに考えたこともなかった。普段働くことを考えるのは、自分のためや生活のため。それが宇宙の仕組みにつながるということを今日初めて知りました。木の花ファミリーがなぜこういう暮らしをしているのかも、だんだんわかってきました。今日聞いたことを大切にしていきたいです。この出会いに感謝します。

いさどん:
人と人の魂が近いと、こういった良い出会いも宇宙が用意するんだよ。

クリス:
このような場を用意してもらって、本当に感謝します。これからは、働くことと心の関係や、人と人とのつながりをもっと意識していこうと思います。今後の自分の人生の中で、もっと高い視点でものごとを見るということを一つの目標にしていきたいです。

ケビン:
ここに来てすごく大きな体験をして、本当にありがたいと思っています。初めは日本に来るのが目的だったけど、いつの間にかそれを忘れて、ここにいることが楽しくなっていました。台湾に帰ったら、ここでの経験を友だちに伝えたいし、みんなにも木の花を体験してもらいたいです。

いさどん:
この考え方はここだけにあるものではなく、この世界の法則なんだよ。そしてこれからは、どこでもそれが表現されていく時代になるんだよ。

今日はみなさんに、今までの人々の価値観にはない、大切な話をしました。ぜひ、心に留めていってください。