珍しくメンバーのひろっちが、
「大人会議前にいさどんと話す時間を持ちたい」ということで、
今日の夕食後、ひろっちといさどんの面談の場がもたれました。
ひろっち:
今日の大人会議でもシェアするけれど、
まずはいさどんに話をしようと思いました。
陽子ちゃんから手紙をもらったことがきっかけで、最近色々と思うところもあって。
とりあえず、考えがまとまってブログにしたので、読んで下さい。
(いさどんがひろっちのブログを読み終わりました。)
そういうことなので、いさどんに育ててもらいたいなと思っています。
いさどん:
はっはっは(笑)!共に歩むということだよ。
それと、そういう心境になった人というのは、
それこそ独立して一人の人としてあるのだから、本来は上下なんてないんだよ。
その状態に至るまでには、上下があるのかもしれないけれど。
このような心境になったということは、
「自分対この世界」であるし、「自分対神」だからみんな平等なんだよ。
それに気づいたということは、共に歩むということだから、
上下なく仲間として一緒にやっていこう。
今までの歴史のように、
教団や組織をつくるという発想に基づく目的があるのなら、
そこには上下もあるのかもしれない。
しかし、これからは、
もっと大きなものがこの世界で何かを表わそうとしているわけだから、
その役割をしっかり果たしていくことだと思う。
そうしたら、私たちはその中の一つ一つの材料であったり
手足なのだから、みんな平等なものです。
まして、そのことに気づいた人たちは全く対等なものです。
それこそ、桜田淳子の世界。
ひろっち:
桜田淳子?
いさどん:
♪ようこそここへって(笑)。
ようこそ、この心境になったんですね、ということだよ。
ここの人たちは、
どの人もそういう心を目指してここにいると思います。
しかし、人によってはそれが漠然としていたり、
まだつかみ切れていなかったりしています。
でも、最終的にはみんなそうなるために生きていると思うんだよね。
そうすると、ひろっちはけじめをつけてすごくいい方法をとってくれました。
みんながこれに見習い、しっかりとした決意を持って歩んでもらえればと思います。
気づきが生まれてこない人との違いは、
やはり決意が出来ているか出来ていないかということだと思う。
そういった決意さえあれば、気づきがどんどん出てくると思います。
その違いは大いにあります。
だから、ひろっちの決意は、
みんなの見本になって大変いいんじゃないかと思う。
ひろっち:
「師匠として、僕を弟子にして下さい!」という想いで今日は来たのですが。
いさどん:
それはそうかもしれないけれど、
私たちはあくまでパートナーであり、対等な人間関係であり、
仲間であり、家族であり、そこには上下がないと思う。
ただ、今までの心境のところでは差があったのかもしれない。
僕はひろっちの書いたブログを読ませてもらって、
自分もひろっちと同じ心だと思うし、
ひろっちもその扉を開いた限りはこれから一緒だからね。
ただ、経験上、多少僕の方が
色々な物の観方などは持っているかもしれないから、
大いに話し合ったり、お互いを活かし合っていければいいと思います。
ひろっち:
でも差はあるので。
いさどん:
はっはっは。そうかな(笑)。
ひろっち:
ちゃんと神様に使っていただける人材になれるように、
力をつけていこうと思っています。
まずは、その邪魔をしている我を取っていきたいと思っています。
いさどん:
その心を強くすればするほど、我は取れる。
例えば、自分が心細くなって天に向かって嘆いたとしよう。
心細いということは何か悩み事があるわけだけれど、
そこで「神様、私の問題事をどうしたらいいのでしょうか」と言おうが、
「世の中を救いたいのです。だからお力を下さい」と言おうが、
神に対してそういう形で語りかけている限りは、まだまだだね。
それは、神と自分を分けているということです。
そういうふうに語りかけた時に、
「自分は何て馬鹿なことを言っているのだろう。
神の表われが自分であるのに、神に願いを言ったり、
迷い事を言っているような心境になっていた」ということに気づけばいい。
「我即神なり」だから。
これは一般の人にはなかなかわかりづらいことかもしれないけれど、
宇宙の法則だからね。
そこで道が開かれる。
そういう心境になったら、いくらでも道は開かれる。
最も、どんな人間にもその人にふさわしく、道は開かれているのだけれどね。
ただ、私たちは二人三脚のように神と一緒に生きている、
生かされているわけだよね。
神が生きている状態が自分だから。
そうすると、よりその存在が感じられるようなことが起きてくる。
そういうふうに生きる人が、これから時代をリードしていくんだと思う。
今これを読んでいて、
そういえばひろっちは今度のエコビレッジ国際会議で発表するのに、
こういう精神を表現するんだなと思った。
ひろっちがやろうとしていた「みろくビレッジ」は、
一か所のみろくではなく、この世にみろくをもたらすということ。
今回の決意があって、発表者にふさわしい心になったんじゃないかなと思います。
ようこ:
ひろっちは、メンバーが誕生日を迎えると
その人にお祝いのお手紙を書いてくれるのだけれど、
先日、私の誕生日の時にもお手紙をくれたんだよね。
きっと、ひろっちはお手紙を書くことはあっても、
もらうことはあまりないだろうと思って、遊び心で返事を書いたの。
そうしたら、ひろっちが「5月の末か6月の頭には、
ようこちゃんに手紙の返事を出すから」と言うものだから、
「返事をもらえるのであれば、ちょっと時期を早めて、エコビレッジ国際会議前にほしいな。
その方がひろっちも、よりふわさしい発表が出来るだろうから」と言ったんだよね。
いさどん:
ということは、これは全部、上の意志が働いて私たちが動いているわけだ。
ようこ:
でもこれって、すごい進歩だよね。
ひろっちがまだここに来たばかりの去年の11月に、
全く同じような内容の話をひろっちにした時には、ひろっちに聞く耳がなくて。
ここの大人会議の在り方が指摘モードに偏りすぎているんじゃないかとか、
当時のひろっちの中にはいさどんに対する反発心があったよね。
まあ、男の人であれば多くの人が通る道だけれど。
それが今は、「いさどん、弟子にして下さい」という心になり、
ひろっちはこの半年で色々なことがあって、心が変わっていったんだと思います。
いさどん:
ただ、僕はどの人にとっても師匠という気持ちはないんだよね。
あくまでもパートナーシップだから。
でも、僕はこの道を先に歩んできただけのものを持っているから、
いくらでも惜しみなくそれを提供する。
なぜそれを提供するのかといったら、
この世界でその人により働いてもらわないといけないからね。
まだまだ、これからみんながやることは沢山ある。
それと、僕もだんだん年をとってきて、
役割の転換をしないといけなくなってきています。
その空いた部分にみんなに入ってもらわないといけないということもある。
大いに条件をつけずに活躍してもらいたいと思います。
ようこ:
与えられたものをいただきながら。それこそ、みんなに委ねて。
人間も神のうちだもの。そこに区別はないから。
ひろっち:
自分の我の強さというのが大分取れてきたと思っていたけれど、
「ここまでまだあったんか!」とこの数日でまざまざと見せつけられて。
いさどん:
我はあり続けるものだよ。
ただ、我というものがどういうふうに表現されているのか、ということだよね。
まずは自分だけの我、
つまり、自分の健康やバランスの良さを見ないといけない場合もある。
また、自分と今目の前にいるパートナーとの関係で我を見ていかないといけない場合もあるし、
木の花という我やもっと大きな我で見ていく場合もある。
自由自在に我を使い分けた時に、
我が有効に活かされているという状態だと思う。
我を取り去るというと、何にもなくて
色即是空の話みたいだけれど、それは違うと思うんだよね。
もちろん、そういう解釈もあるけれど、
それは解釈であって、解釈で人は生きているわけではない。
この世界の仕組みの中で生きているわけだから。
その仕組みの中で、しっかりと自分を有効に使い切るということです。
ひろっち:
今までは小さい我だったと思うから、
まずは、それを広げていけるようにと思っています。
いさどん:
ひろっちだから、広げていけられる(笑)。
ひろっち:
大和には、せまっちとか言われているから(笑)。
「おでこはひろっち、心はせまっち」って(笑)。
いさどん:
大和がそう言った?それは面白い(笑)。
まあ、そんなところだから、後はみんなに発表してもらえればいいね。
大変いいことだと思うから。
そういう心になれば、
何の制限のない、自由な生き方が出来ると思う。
その心が出来ないと、人間というのは自由に生きているはずなのに、
ものすごく狭い世界を生きていることになる。
だから、その心であれば人生を楽しめる!
これからもよろしく!
ひろっち:
こちらこそ、よろしくお願いします!
ツꀀ
※ひろっちが書いたブログは、木の花ファミリーブログに載せてあります。