僕が世の中に対して訴えたいこと

今の社会で勝ち組と言われるような、
会社を大きくしたり、自分の望みを叶えてしまった人たち。
社長さんや、政治家、その他大学の先生。
そういった人たちが、自分のやるべきことをやり終えた後に
「やり切った」と思うのだろうか。
そこで満足してもらっては困ります。

沢山の人たちが激烈な環境で生きている中で、
私は人生の成功者としてそれを成し遂げた。
そういった人たちが自分を振り返った時に、
「それだけで終わっていいんだろうか」という自問が
生まれてこないといけないと思う。

今、世の中が熟してきて、
自分の願いを叶えた人たちが沢山出てきた。
しかし、自分の願いを叶えたということは、
自分の願いのレベルの満足に過ぎない。
自分の欲望を叶えた満足から、
己を離れ世のため人のためにある価値というのは、
もう一つ上のランクになる。

有形でも無形でもいい。
そういう価値を成し遂げ、
自分の徳積みをするということである。
ただ自分の願いを叶えるだけでは、
大した人間とは言えない。
最近、そういうことを考える人たちとの出会いが多く出てきた。
それは、時代も次の段階に進んでいる表われなんだと思う。

お釈迦様のように、
過去に尊い道を私たちに残してくれた聖者がいた。
インドではバラモン教という宗教があり、
一番上にバラモンがいて、
その下に王がいるというカースト制度がある。
バラモンという真理を探究するものが一番上で、
カースト制度では王であってもランクを変えられないということになっている。

しかし、魂がそういう枠を超えて成長していくと、
そういった仕組みは崩壊し消滅していくはずである。
魂がどんどん成長して高まっていくということを考えたら、
王であっても、自分の価値のためにさらに高みを目指すべきである。

そういった魂の旅があるとしたら、
この世の中には企業にしろ政治家にしろ、
いろいろな形の成功者がいるけれど、
その人たちは自分の望みを叶えただけで果たして終わっていいのか、
問われていくだろうと思う。

この世界の先端を担っている人たちは、
ある意味時代の寵児だから、
時代をリードしている。
しかし、その人たちがリードしてきた結果、
病気大国であったり自殺大国であったり、
アンバランスや貧富の差が発生している。
それは、その時代をリードしてきた寵児たちの責任でもある。

その人たちは、それを埋め合わせるための作業をして
人生を終えていくことが肝要である。
個人的な望みを叶えた結果、
世の中に与えたことに対する責任を果たしていないことになる。

そういった人たちに、
「その責任を果たして人生を終えましょう」ということを言いたい。
その時に、財を成した人は本当の意味で豊かになる。
単なる物理的な富を抱えただけでは、
それが汚れとなって自分の価値を落とすことになる。

財といっても、
物理的な金銭や物のことだけを言っているのではない。
知識だって同じだと思う。
自分が築きあげてきた知識が、
本当に世の中のために生きているのか考えるべきである。

自分のためだけに人生を生きて終わってしまったら、
それはあまり高い価値とは言えない。
ただ欲深く人生を終わっただけならば、
財や富、知識は尊いものでも有益なものでもないものになってしまう。
そこのところをしっかりと捉え、
観ていくことが大切な事だと思います。

そういった精神が社会に還元されることによって、
今のこの歪み、格差が是正されて平等な社会ができる。
格差をなくし平等な社会をつくる。
獲得できなかったものも獲得したものも、
そこの奥にある心の尊さに気づき、
霊的にも平等になっていく。
皆が神人として地上に生きる、
そういう時代が現実にできてくるのだろう。

それは最近よく思うことで、
競争社会に打ち勝ってきた人たちに特にそれを訴えたい。

僕は、ある意味では成功者だと思う。
自分の成し遂げたいことを成し遂げた。
まだ全ては終わっていないけれど、
少なくともこういった生活を実現し、
こういう世界をつくりたいと思ってそれを成し遂げた。

しかし、これは僕のビジョンではなくて、
神様のビジョンである。
僕は、神様のビジョンがこの世界に降りて実現することを願っていたから、
さらに成し遂げたことになる。
これは無限の道だからこれからもこのまま生きていく。

世の中にはそれを理解できる人と理解できない人がいるから、
万人がそのことをわかるのは、
時代が進んでいくことで事が成っていくことであるが、
少なくとも僕の内には曇りなく大切をやり切れている。
終わりがないことだから、
今はここまでやり切れている。
そしてこれからもこの延長にやり切っていく確信がある。

いつ死んでもいい。
瞬間瞬間、全く悔いがない。

僕の中に私利私欲が全くない。
世のため人のためだけに自分がいるということは、
大変幸せなことであり、
私欲から解放され自由な世界を満喫できることである。

皆にそういう人になってほしい。
人間にそういう生きものになってほしい。
人としてそう生きてほしいという想いがある。

しかし、それは欲ではない。
なぜかといったら、
そのことによってこの世界に理想が切り開かれるから。
理想が切り開かれるからといって、
「ならなきゃ」とか「したい」というものではない。
この世界の仕組みや流れを観ると、
そちらの方に事が動いている。
ただそちらの方に進んでいることでしかない。

そんなにお金も持っていない、
世の中の成功者とも言えない人たちが、
農的暮らしが大事だと言っている。
それに対して、
成功した人たちがいつまでも自分の財を抱えているようなことでは、
あなたたちは本当に富を獲得してそれを豊かさだと言えるのか。

本当の豊かさというのは、
形あるものを抱えて終わっていくものではない。
それは、単なる欲望を満たしたことに対する価値である。
本当の豊かさというのは、
心の中に積み重ねていくもので、
世のため人のためにもたらすものが価値である。
それが本当の富である。

そのことを僕は世の中に対して訴えたい。


明るく暖かく柔らかく優しい世界へ

いさどん:
資本主義の社会では、
お金や物で安心しようとしている人が多い。
それがないと安心できないということで、
掻き集めることに一生懸命になり、
自分を欲の心に奪われてしまう。
自分の中にある善意の心を出していくと、
みんなで一緒に笑えるのに、
勇気を持ってそこを出せないでいる。

ようこ:
不安だから、守る方向に行ってしまう。

いさどん:
そう。この世界全体が競争の社会だから、
対立、差別が生まれてくる。
勝ち抜こうとするものたちは競争する。
それは、落ちこぼれることに対する恐怖でもある。

落ちこぼれないという約束がされると、
不安は発生しない。
しかし、みんな一律平等という約束がされると、
「どうせ皆一緒なんだから」と努力しない。

ようこ:
怠ける心が出る。

いさどん:
そう。それが共産主義の失敗。
だから、資本主義と共産主義の問題点を
埋め合わせるための心が必要になる。
心がないと、競争社会にしろ平等社会にしろ、
結局損得で物事を計るようになってしまい、
腐敗に向かっていく。

誰でも自分には優しく善意を持っているのだから、
それをまわりにも平等に向けていくことが大切である。
自分に優しい善意は、
この世界の仕組みである。
この世界がそういう仕組みで存在している。

そういった優しい社会、
今までと違う価値の豊かさがそこから生まれてくる、
ということにみんなが気づかないと、
競争で落ちこぼれたくない、
という心からなかなか意識が解き放たれない。

最近、若い世代の人の中に
今までの競争社会の中で生きていくことを
拒否する人たちが現れてきた。
そういった意識がじわじわ溜まってくると、
地震のようにエネルギーが蓄積され、
一気に爆発する。
そういうことがいずれ起きるだろう。

書物で警笛を鳴らしている人たちや
口で語っている人はいても、
実際の生活で取り入れている人はほとんどいない。
そういった価値観に流されてしまった人間が、
いきなりこの生活をしてもなかなか大変だろう。
新たな時代を創っていくためには、
お金や物、人材を提供する人たちのネットワークもできてこないと、
現実にはなかなか成り立っていかない。

この世界を創っているものが意思を示しているからこそ、
この現象が起きている。
この世界に必要な活動には、
それが成就するように流れが創られている。
今までの社会のように、
努力して勝ち取っていくような考えでは
成り立っていかないようになっていく。

では、どうしたらいいのか。
それは、「とことん神の道一本」を進んでいくということ。

神という言葉が人々に正しく理解されていない。
これはこの世界の仕組み、法則。
それも無限なる法則。
この世界をミクロからマクロまで共通して統率しているもの。
私たちの思考の中すらも統率している。

宇宙全体が意思を持っている。
そして、法則が生まれてくる。
私たちを存在させ、司っている思考や言語、
それすらも中にある。

それは、観えるようで観えない。
観えないものにとっては全く見えない。
私たちはその法則や仕組みの中にどっぷり浸かっていて、
まさに漬物のような状態。
そういう世界の中にいるということに気づいた時に、
そこに自分の現在や未来を委ねられる。
その時に安心して、
内外なく自分の善意を表現できるようになる。

今まで対立があったり区別されていたこの世界が、
多様性を理解し合って、手をつなぎ、
つながっていこうとしている。
それをどういうふうに広げていき伝えていくのか、
ということを私たちは役割として与えられている。
そういう時代が来ている。
それをよく理解していけば、
こういった動きをまだ理解できない人たちも
同時に理解することができる。

その人たちのためにも、
これを進めていく。
それは、この宇宙全体の仕組みを理解するということになる。
そこから降りてこないと、
ただ自分の希望を叶えていくだけでは理解できない。
宇宙全体の仕組みを観て、
それを理解した上で降りてくる。
その時に初めて、
私たちの個々の関係がどうあるべきなのか、
そして今現在どうなっているのか、
どう修正したらいいのかが理解できる。

私たちはどんな役割をもらって、何をしていったらいいのか、
ということを考えてきた。
だからこの生活をしている。
日々起きること、日々出会うことを
緻密に捉え分析し、
その出来事からメッセージをしっかりと掴んでいくことが大切である。

そのためには、
高い意識と広い心、
緻密な情報処理能力がこれから要求される。

先日、新しい魂が示された。
今度木の花に参加する人、すまいるくん。
これからの時代、
こういった人たちがキーなんだろうと思う。
能力が高く、緻密で広く、
一方その人たちが何をもたらすのかと言ったら、
ほわんとした明るく暖かく柔らかく優しい世界をもたらす。

この発音で受ける優しさと、
中に入っているコンピューターの精度の高さ。
そして、人の大きさ。
これはまさしく新しい人類。
時代の大変革の嵐が吹く、その始まりのようなものである。

大変革と言っても、
毎日をただ一歩一歩、足を前に進めていくように歩んでいけば、
確実に次の時代が来るのだから。
自分の足元をしっかりと見て、
一歩一歩踏みしめながら、
確実に進んでいくことが大切である。


この世界を音楽のように眺められたら

いさどん:
最近、いろいろ考えて心がちょっと疲れている。

ようこ:
例えば何を考えているの?

いさどん:
この世界のこととか、
人の心の歪みのこととかね。

それらを音楽のように観ていければいいんだよね。
ああなったらいい、こうなったらいいではなく、
音楽のように強弱があったり、
波のようにこっちに来たりあっちに行ったりと、
この世界が調和になっていく姿として眺められたらいいよね。

まだまだ僕の心には欲がある。
この世界がこうなったらいいという想いを全てなしにして、
あるがままに生きていく。
あるがままにいただいていく。
そういう人にならないと。

ようこ:
いさどんは、心の眼が観えて、想いも深いから、
人よりも沢山のことを思い巡らすことがあるんだろうね。
私はいさどんほど眼が観えないし、浅いから、
穏やかに生きていられる。

何も想わずに心が疲れなければいいのかと言ったら、
単純にそうとも言えないよね。

いさどん:
そうだね。そうでない人は生きている意味がない。
生きているということはそういうことだから。
悟ってしまったようになって、何も反応せず、
ただそこにいるだけではね。

ようこ:
それがユートピア、理想卿なのかと言ったら、
ちょっと違う気がする。

いさどん:
不完全を楽しむということだよね。
この世界は、わざわざ不完全にして完成させてある。

まずは今日のやるべきことをやろう。
そうやってこの人生の卒業を迎えていくんだろう。
この世界に自分がいて、世界を見せてもらいながら、
楽しみながら、そして自分も関わりながら生きていく。

ようこ:
皆の中には、『いさどんのように広い視野を持ちたい』と
思っている人もいるかもしれないけれど、
実際いさどんのように視野が広がったら、
いろいろなことが観えてしまって、
観えたら何かしたくなるのが人の常だからね。

単純に視野が広がったら、
今より幸せになるということでもないんだよね。

いさどん:
今と比べてきっと良くなるんだろうと思っても、
そこにはそこの世界がある。

ようこ:
そうそう。
だから、何でも良い悪いと言えない。

いさどん:
誰のようにということではないよね。
自分は自分のままの、ありのままでいいのだから。

ようこ:
この心の道は、進めば進むほど道が狭くなると言うけれど、
眼が観えれば観えるほど、
自分をマスターすることが問われてくるんだろうね。

いさどん:
何がってことではないけれど、ありがとう。

ようこ:
こちらこそ。心の学びになりました。


ただそこにいるだけで

ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら。。。

仏のいさどん。
閻魔様のいさどん。
宇宙人のいさどん。
人間臭く名古屋弁丸出しのいさどん。
愉快ないさどん。
いつも真剣ないさどん。
そして誰よりも愛深きいさどん。

ひとりひとりが集まって
ひとつの宇宙を構成しているのだけれど、
非常に幅の広いいさどんを観ていると、
いさどんひとりで宇宙全体を表わしているよう。

そして、心が暖かいいさどんは、
体自体もいつもびっくりするほど暖かい。
それはまるで、内から放射線状に
外に向かって光を放っているよう。
春のぽかぽか陽気よりもずっと暖かく、
でも真夏のうんざりするような暑さとは違う。
太陽そのものの純粋な光が、
人の心を柔らかく開き、
心のとげが自然と溶けていくような、
そんな気持ちになります。

ここでは、「心磨き」を
日々大切にして生きています。
生活している中で、
自分がミスをする、
流れに滞りが起きる、
人とぶつかる、
そういった出来事から自分の心の癖を見つめ、
不調和として出ていたエネルギーを
調和の方向へ活かせるように、
ある意味、ひとりひとりが修業の道を歩んでいます。

修行というと、辛く苦しいという
イメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし、いさどんの隣にいると、
暖かいものを発している彼の隣にいるだけで、
自然と心が浄化され、
意識的に何もしていないのに、
自分のエネルギーが調和の方向へ流れていくようです。

精神性を高めるということが修行であるなら、
「素直に感じる心」があれば、
こういった楽しくもありがたい修行の道も
あるものです。

以前、いさどんはこんなことを話してくれました。
「自分が道理や心を言葉で伝えなくても、
最終的には、人が自分のことを見るだけで、
『ありがとうございました!』と
その人の心が目覚めていくような存在になれれば」と。

ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら、
いさどんとの会話は一切なくても、
いさどんの心がその存在からあふれているな、
ありがたいなと感じました。

そして、いつも自分が
何をまわりにもたらしているのか、
自分が眠りについている時でさえ、
人というものは絶えずまわりに
何かしらの影響を与えているのだ、
ということを改めて感じました。


皆が安心して暮らせる世界へ

今、木の花には
ドイツ人のライナーが滞在しています。
日本に来て14年になるライナーは、
日本人の奥さんと来月生まれる予定の赤ちゃんと
3人で木の花に移住することを考えています。
今日の昼食後、いさどんと
移住の相談をする機会を持ちました。
今回は、その二人の対話を紹介したいと思います。

いさどん:

ここの生き方は、
僕が考えたことでもなければ、
どこかに見本があってできたものでもありません。
僕らはコミュニティといったものに
興味がなかったから、
外国にあることも知らなかった。
ただ新しい生き方が必要だと思って、
16年前に皆で暮らし出しました。

何もわからず、
ただ大事だと思って歩んできました。
少しずつわかってきたのは、この生き方は、
世の中の人々に
次の生き方の見本として示すためにあるんだということ。
今まさしくそういう時代が来て、
ライナーのように気づいた人たちが
ここを訪れるようになりました。

最終的には、
木の花のコミュニティのためにあるのではなく、
この国のため、世界のため、地球のために
あるのだと思っています。
僕たちは、ここのメンバーとして暮らしていますが、
目的は地球が健全になること。
今ここで暮らしているから、
生涯このコミュニティで出会った人たちと
仲良く暮らして終わっていくということではありません。

もっと広い人たちと新しい家族として暮らすために、
いろいろなところへ行くかもしれない。
キリストの教えを受けた人たちが
世界中へ行ってその心を広めたように、
私たちもそういう考えでいます。

自然はいろいろな姿をしています。
木があったり、動物がいたり、
虫がいたり、いろいろな形を取っています。
一つだけが単独で存在しているのではなく、
いろいろなものが関わりながら、
お互いを存在させ合っています。
そこでは全てが平等で、自分の力を皆のために使い、
皆が自分を活かしてくれるという関係をつくっています。

ここでも全く同じように、
全てを共有し、皆が平等に生きています。

ライナー:

それは、ガンジーの伝記を読んだ時に感じました。
彼はヒンデューでありながら、世界市民だったんです。
彼は地球はONE、生命本体はONE、
石であったり、風景であったり、
動物全体であったり、ひとつ潰したら、
僕のひとつも壊れるという考えです。
ガンジーは僕に
こういう考えのきっかけを与えてくれました。

いさどん:

僕も、ガンジーに対して共感を持っています。
インドのマザーテレサやガンジーは素晴らしい人でした。
あの人たちはあの人たちのように役割を果たしてくれました。
だから、この木の花というところは木の花らしく、
これから世の中に役割を果たしていく。
彼は、本当に僕の尊敬する人です。

ライナー:

僕も社会貢献や他の人へのサービスに
興味を持つようになりました。
ここに住むことは、
人生の大きなチャンスだと思っています。

いさどん:

ここはとても大切な生き方をしています。
こういった生き方を誇りに思って
皆生きていると思うんですが、
世の中の人たちはこの大切がまだよくわからないから、
理解されないこともあります。
しかし、理解されなくても、
自分たちの中に「本当に大切」という
真実の心が湧いていれば、
誰でもできると思うんです。

仕事は、今現在何をしているのですか?

ライナー:

ずっと10年間、
ITのヘッドハンティングの会社を経営しています。

いさどん:

その仕事はどうしていくつもり?

ライナー:

自分のビジネスをギブアップして、
新しい道を始めようと思っています。

いさどん:

僕が考えているのは、木の花のメンバーイコール
農業じゃなくてもいい。
ここは多様性あるところだから、
社会のためになることなら、
いろいろな意味でいろいろな活動が必要だと思っています。
その人の能力が一番発揮できるところ、
そして皆に貢献できる生き方をすればいい。
自分が一番やりたいこと、
一番能力の高いこと、皆がその人に望むこと、
そういったいろいろなことを皆で考えて、
一番ふさわしい生き方をしてくれたらいいと思います。
それについてはどうですか?

ライナー:

素晴らしいですね。

いさどん:

現在の活動をこちらに来て新しい形で続ける、
ということもできます。
「木の花はこういうところ」と言って、
新たに入ってくる人をそこの中に取り込んでしまう、
木の花の在り方にしてしまう、
ということではないんです。

木の花に新しい人が入ってきて、
その人の能力が活かされれば、
木の花は大きくなり新たな多様性になる。
木の花というのは、
ひとつの家族というよりも村だから、
村の中にはいろいろな人がいて、
いろいろな機能があり、
それが連なってひとつの村ができるという考え方なんです。

だから、あなたの意思も尊重するけれど、
皆で一番良い方法、ひとりひとりが
一番役に立ってその人の能力を活かせる、
ということを考えていきます。

自分で「こうだ」と決めないでいくと、
自分の思っていることよりも
さらに広い可能性が開けることになる。
知らないことに出会うこともできます。
だから敢えて、私たちはビジョンを決めて持ちません。
皆で多様性を大切にしながら生きていくと、
結果として事が起きてきます。

ライナーは木の花に来ました。
私たちは、この国が変わっていくための
きっかけとなるような場所を
日本中につくろうと思っています。
いろいろなコミュニティができたら、
そのコミュニティを全部自分の家として回っていけるような、
そして皆が必要なところで
必要な役割をしていくような仕組みを
日本中につくりたいと思っています。
コミュニティは皆つながっていかないと
意味がありません。

ライナー:

皆に使ってもらうと、
一番パワーがありますよね。
日本のメーカーは「自分だけ」という考えで、
共有するということがほとんどないですよね。

いさどん:

ファミリーの中にはルールがありますが、
それは素晴らしいルールです。
でも、普通の人にはちょっと難しいかもしれません。
ガンジーの思想に共鳴している人なら大丈夫。
自分のものも人のものも皆で共有していく、
という考え方です。
自分のものが皆のものとなる代わりに、
皆のものは自分のものとして大切に活かしていきます。

自分のもので生きている人は、
人生を自分のために生きていかないといけません。
例えば、夫婦2人で暮らしていて、
奥さんに赤ちゃんが産まれ働けない時に、
自分しかその家族を支えることができない。
でも、自分も具合が悪くなった時に困ってしまう。

しかし、皆がいれば、
そういった人たちも
全て安心して生きていける仕組みができます。
自分の健康、お金、能力、
全てを皆のものだと思うということは、
自分が病気をした時も、
皆の病気だから皆が考えてくれます。
そういった皆が安心して生きていける仕組みが
一番大切です。

外国でもそうだけれど、日本には自殺者が多い。
お年寄りも年老いていくのに、
安心して老後を迎えられない。
それは、お金やものを自分のものと考えているから。
分かち合う、助け合うという仕組みをつくると、
本当に皆が安心して暮らせる世の中になります。

ライナー:

話していて、心が同じだと感じます。
多様性があればあるほど、私に合うんですよ。
私は多様性の大きなファンですから。

いさどん:

多様性というのは、多様性のひとつずつが
対立していたら多様性の意味がありません。
別々のいろいろなものが連なっていくことによって、
多様性からもうひとつ大きな命が生まれる。
そういう意味では、多様性というのは、
非常に平等で個人の個性を大事にする。
でも、もうひとつ大きな命の中のひとつだというと、
たったひとつだから狭い、ということも言える。
多様性というのは、
広くて個性を活かし平等で、そして狭い世界。
それが同時に成立する世界。
それをここでは実現しているんですよ。

実は、ここに来る人は誰でもいいんです。
ここに縁があって来る人たちは、
私たちが選ぶのではなく、
神様が人間の中からトッピングしているんです。
神様は自分の意思をここで表現しようとしています。

今、琵琶湖にこういったところを
つくろうとしています。
そこには日本一の湖がある。
湖の水を取るとへっこんでいるでしょ。
これは女のひとです。
ここには日本一の山、富士山があります。
これはとがっているから男のひとです。
ちょうど日本一の山と日本一の湖。
男と女。
これが今、同時に進もうとしています。

琵琶湖の話も他のプロジェクトの話も、
僕が考えたのではなく、いろいろな人が来て、
その話をここに持ってくるんです。
私たちは、それをつなげているだけです。

ライナー:

琵琶湖のプロジェクトは、
基本的にホテルを管理することですか?
それとも、
そこでコミュニティをつくることですか?

いさどん:

そこを所有している会社の社長は、
こういった生活の場を
そこでつくってもらうことを考えています。
木の花のような農を中心として暮らす村をつくったら、
世の中に対して農業や心の勉強を提供したり、
今自殺を考えている人たちが
心のトレーニングをして
社会に戻るような場所になったりと、
いろいろなことを考えています。

そういったものがホテルを中心にしてできたら、
そのまわりにお年寄りやいろいろな人が家族ごとに暮らす。
ホテルの中にあるコミュニティとしての村だけではなく、
外の地域にも点々と家族がいて、
ゆるくつながり、そこにまた村をつくる。

コミュニティというと、
「一か所の場所にその人たちだけ」
という印象が今まで強いでしょ。
そうではなく、一般の地域の中に
いろいろな人たちやいろいろな家族がいて、
そことコアになる村がつながりながら広がっていく、
というイメージを持っています。

ライナー:

交差点みたいな感じですね。

いさどん:

そうそう。
「私たちはここには入れないけれど、
ゆるくつながりたい」という人たちもいていいんです。
酵素の働きのように、
自分たちの考えを広めていくことによって、
対立するのではなく、よりつながっていく。
古くなったものを新しくしたり、
古くならないようにいつまでも若く保たせる、
くっついているものを離して
別の働きをさせる、そういう役割があるんです。

その村は、社会をつなげ、
知らなかった人たちに
新しい仕組みを伝えていくイメージがあります。
もちろん木の花も今、そういう役割をしていますが、
日本中にそういったセンターを沢山つくっていく。

会社を経営している人たちや大学の先生、
いろいろな人たちをつなげ、
そういったセンターをつくろうと思っています。

ライナー:

私も木の花の活動に
大希望のエネルギーを感じます。
私の東京の小さい活動よりも、
そういう大希望の活動に参加するほうが
大切だと思っています。

いさどん:

私たちと同じですね。
自分を活かすためには、自分だけに限定せず、
いろいろな人とつながることで、
もっと大きなことができる。
自分自身に捉われないで、
もっと大きな命のつながりとして観ていくことが大切です。

皆で助け合って新しい社会のために生きていく、
そういう考えのある人なら実は誰でもいいんです。
皆家族だから。

終始、和やかな雰囲気の中、
いさどんとライナーは話していました。
それはきっと、世のため人のために生きる
木の花ファミリーの在り方に共感し、
新しい人生を出発しようとしている
ライナーの謙虚な心が、
その穏やかな空気をつくり出していたのでしょう。
自分のために生きる人生から、
地球上の皆のために生きる人生へ。
さあ、皆さんはこれから
どんな生き方を選んでいきますか。