皆が安心して暮らせる世界へ

今、木の花には
ドイツ人のライナーが滞在しています。
日本に来て14年になるライナーは、
日本人の奥さんと来月生まれる予定の赤ちゃんと
3人で木の花に移住することを考えています。
今日の昼食後、いさどんと
移住の相談をする機会を持ちました。
今回は、その二人の対話を紹介したいと思います。

いさどん:

ここの生き方は、
僕が考えたことでもなければ、
どこかに見本があってできたものでもありません。
僕らはコミュニティといったものに
興味がなかったから、
外国にあることも知らなかった。
ただ新しい生き方が必要だと思って、
16年前に皆で暮らし出しました。

何もわからず、
ただ大事だと思って歩んできました。
少しずつわかってきたのは、この生き方は、
世の中の人々に
次の生き方の見本として示すためにあるんだということ。
今まさしくそういう時代が来て、
ライナーのように気づいた人たちが
ここを訪れるようになりました。

最終的には、
木の花のコミュニティのためにあるのではなく、
この国のため、世界のため、地球のために
あるのだと思っています。
僕たちは、ここのメンバーとして暮らしていますが、
目的は地球が健全になること。
今ここで暮らしているから、
生涯このコミュニティで出会った人たちと
仲良く暮らして終わっていくということではありません。

もっと広い人たちと新しい家族として暮らすために、
いろいろなところへ行くかもしれない。
キリストの教えを受けた人たちが
世界中へ行ってその心を広めたように、
私たちもそういう考えでいます。

自然はいろいろな姿をしています。
木があったり、動物がいたり、
虫がいたり、いろいろな形を取っています。
一つだけが単独で存在しているのではなく、
いろいろなものが関わりながら、
お互いを存在させ合っています。
そこでは全てが平等で、自分の力を皆のために使い、
皆が自分を活かしてくれるという関係をつくっています。

ここでも全く同じように、
全てを共有し、皆が平等に生きています。

ライナー:

それは、ガンジーの伝記を読んだ時に感じました。
彼はヒンデューでありながら、世界市民だったんです。
彼は地球はONE、生命本体はONE、
石であったり、風景であったり、
動物全体であったり、ひとつ潰したら、
僕のひとつも壊れるという考えです。
ガンジーは僕に
こういう考えのきっかけを与えてくれました。

いさどん:

僕も、ガンジーに対して共感を持っています。
インドのマザーテレサやガンジーは素晴らしい人でした。
あの人たちはあの人たちのように役割を果たしてくれました。
だから、この木の花というところは木の花らしく、
これから世の中に役割を果たしていく。
彼は、本当に僕の尊敬する人です。

ライナー:

僕も社会貢献や他の人へのサービスに
興味を持つようになりました。
ここに住むことは、
人生の大きなチャンスだと思っています。

いさどん:

ここはとても大切な生き方をしています。
こういった生き方を誇りに思って
皆生きていると思うんですが、
世の中の人たちはこの大切がまだよくわからないから、
理解されないこともあります。
しかし、理解されなくても、
自分たちの中に「本当に大切」という
真実の心が湧いていれば、
誰でもできると思うんです。

仕事は、今現在何をしているのですか?

ライナー:

ずっと10年間、
ITのヘッドハンティングの会社を経営しています。

いさどん:

その仕事はどうしていくつもり?

ライナー:

自分のビジネスをギブアップして、
新しい道を始めようと思っています。

いさどん:

僕が考えているのは、木の花のメンバーイコール
農業じゃなくてもいい。
ここは多様性あるところだから、
社会のためになることなら、
いろいろな意味でいろいろな活動が必要だと思っています。
その人の能力が一番発揮できるところ、
そして皆に貢献できる生き方をすればいい。
自分が一番やりたいこと、
一番能力の高いこと、皆がその人に望むこと、
そういったいろいろなことを皆で考えて、
一番ふさわしい生き方をしてくれたらいいと思います。
それについてはどうですか?

ライナー:

素晴らしいですね。

いさどん:

現在の活動をこちらに来て新しい形で続ける、
ということもできます。
「木の花はこういうところ」と言って、
新たに入ってくる人をそこの中に取り込んでしまう、
木の花の在り方にしてしまう、
ということではないんです。

木の花に新しい人が入ってきて、
その人の能力が活かされれば、
木の花は大きくなり新たな多様性になる。
木の花というのは、
ひとつの家族というよりも村だから、
村の中にはいろいろな人がいて、
いろいろな機能があり、
それが連なってひとつの村ができるという考え方なんです。

だから、あなたの意思も尊重するけれど、
皆で一番良い方法、ひとりひとりが
一番役に立ってその人の能力を活かせる、
ということを考えていきます。

自分で「こうだ」と決めないでいくと、
自分の思っていることよりも
さらに広い可能性が開けることになる。
知らないことに出会うこともできます。
だから敢えて、私たちはビジョンを決めて持ちません。
皆で多様性を大切にしながら生きていくと、
結果として事が起きてきます。

ライナーは木の花に来ました。
私たちは、この国が変わっていくための
きっかけとなるような場所を
日本中につくろうと思っています。
いろいろなコミュニティができたら、
そのコミュニティを全部自分の家として回っていけるような、
そして皆が必要なところで
必要な役割をしていくような仕組みを
日本中につくりたいと思っています。
コミュニティは皆つながっていかないと
意味がありません。

ライナー:

皆に使ってもらうと、
一番パワーがありますよね。
日本のメーカーは「自分だけ」という考えで、
共有するということがほとんどないですよね。

いさどん:

ファミリーの中にはルールがありますが、
それは素晴らしいルールです。
でも、普通の人にはちょっと難しいかもしれません。
ガンジーの思想に共鳴している人なら大丈夫。
自分のものも人のものも皆で共有していく、
という考え方です。
自分のものが皆のものとなる代わりに、
皆のものは自分のものとして大切に活かしていきます。

自分のもので生きている人は、
人生を自分のために生きていかないといけません。
例えば、夫婦2人で暮らしていて、
奥さんに赤ちゃんが産まれ働けない時に、
自分しかその家族を支えることができない。
でも、自分も具合が悪くなった時に困ってしまう。

しかし、皆がいれば、
そういった人たちも
全て安心して生きていける仕組みができます。
自分の健康、お金、能力、
全てを皆のものだと思うということは、
自分が病気をした時も、
皆の病気だから皆が考えてくれます。
そういった皆が安心して生きていける仕組みが
一番大切です。

外国でもそうだけれど、日本には自殺者が多い。
お年寄りも年老いていくのに、
安心して老後を迎えられない。
それは、お金やものを自分のものと考えているから。
分かち合う、助け合うという仕組みをつくると、
本当に皆が安心して暮らせる世の中になります。

ライナー:

話していて、心が同じだと感じます。
多様性があればあるほど、私に合うんですよ。
私は多様性の大きなファンですから。

いさどん:

多様性というのは、多様性のひとつずつが
対立していたら多様性の意味がありません。
別々のいろいろなものが連なっていくことによって、
多様性からもうひとつ大きな命が生まれる。
そういう意味では、多様性というのは、
非常に平等で個人の個性を大事にする。
でも、もうひとつ大きな命の中のひとつだというと、
たったひとつだから狭い、ということも言える。
多様性というのは、
広くて個性を活かし平等で、そして狭い世界。
それが同時に成立する世界。
それをここでは実現しているんですよ。

実は、ここに来る人は誰でもいいんです。
ここに縁があって来る人たちは、
私たちが選ぶのではなく、
神様が人間の中からトッピングしているんです。
神様は自分の意思をここで表現しようとしています。

今、琵琶湖にこういったところを
つくろうとしています。
そこには日本一の湖がある。
湖の水を取るとへっこんでいるでしょ。
これは女のひとです。
ここには日本一の山、富士山があります。
これはとがっているから男のひとです。
ちょうど日本一の山と日本一の湖。
男と女。
これが今、同時に進もうとしています。

琵琶湖の話も他のプロジェクトの話も、
僕が考えたのではなく、いろいろな人が来て、
その話をここに持ってくるんです。
私たちは、それをつなげているだけです。

ライナー:

琵琶湖のプロジェクトは、
基本的にホテルを管理することですか?
それとも、
そこでコミュニティをつくることですか?

いさどん:

そこを所有している会社の社長は、
こういった生活の場を
そこでつくってもらうことを考えています。
木の花のような農を中心として暮らす村をつくったら、
世の中に対して農業や心の勉強を提供したり、
今自殺を考えている人たちが
心のトレーニングをして
社会に戻るような場所になったりと、
いろいろなことを考えています。

そういったものがホテルを中心にしてできたら、
そのまわりにお年寄りやいろいろな人が家族ごとに暮らす。
ホテルの中にあるコミュニティとしての村だけではなく、
外の地域にも点々と家族がいて、
ゆるくつながり、そこにまた村をつくる。

コミュニティというと、
「一か所の場所にその人たちだけ」
という印象が今まで強いでしょ。
そうではなく、一般の地域の中に
いろいろな人たちやいろいろな家族がいて、
そことコアになる村がつながりながら広がっていく、
というイメージを持っています。

ライナー:

交差点みたいな感じですね。

いさどん:

そうそう。
「私たちはここには入れないけれど、
ゆるくつながりたい」という人たちもいていいんです。
酵素の働きのように、
自分たちの考えを広めていくことによって、
対立するのではなく、よりつながっていく。
古くなったものを新しくしたり、
古くならないようにいつまでも若く保たせる、
くっついているものを離して
別の働きをさせる、そういう役割があるんです。

その村は、社会をつなげ、
知らなかった人たちに
新しい仕組みを伝えていくイメージがあります。
もちろん木の花も今、そういう役割をしていますが、
日本中にそういったセンターを沢山つくっていく。

会社を経営している人たちや大学の先生、
いろいろな人たちをつなげ、
そういったセンターをつくろうと思っています。

ライナー:

私も木の花の活動に
大希望のエネルギーを感じます。
私の東京の小さい活動よりも、
そういう大希望の活動に参加するほうが
大切だと思っています。

いさどん:

私たちと同じですね。
自分を活かすためには、自分だけに限定せず、
いろいろな人とつながることで、
もっと大きなことができる。
自分自身に捉われないで、
もっと大きな命のつながりとして観ていくことが大切です。

皆で助け合って新しい社会のために生きていく、
そういう考えのある人なら実は誰でもいいんです。
皆家族だから。

終始、和やかな雰囲気の中、
いさどんとライナーは話していました。
それはきっと、世のため人のために生きる
木の花ファミリーの在り方に共感し、
新しい人生を出発しようとしている
ライナーの謙虚な心が、
その穏やかな空気をつくり出していたのでしょう。
自分のために生きる人生から、
地球上の皆のために生きる人生へ。
さあ、皆さんはこれから
どんな生き方を選んでいきますか。


“スマイル”が沢山の世の中へ

昨日、1月のお誕生日会が開かれました。
その中で、中学一年生の須佐乃王が、
「木の花から世界へ」という夏休みに書いた作文を、
皆の前で読み上げました。
今日は、そこでシェアされた
いさどんのコメントを紹介したいと思います。

いさどん:

今朝、地域紙である「岳南朝日新聞」に
この作文が書いてあるのを知りました。
それを見た時に大変感動しました。
そして、ここの生活がいかに世の中の人たちに大切か、
ということをもう一度改めて感じました。

この生活が始まって16年になります。
その中でいろいろなことがありました。
でも、何か大切なことがある、
と思っていつも歩んできました。
ひとつひとつ扉が開いて、
その扉の向こうが見えるように、
その大切なことは
僕らの生活と共に確信になってきました。

去年は、いろいろな出会いがありました。
ここは日本だけではなく、
外国からも沢山の人が訪れるようになりました。
まさしく新しい時代、
21世紀に開かれる理想の世界の
見本になっていくんだと思うようになりました。

そして去年の暮れ、
いさどんの心の中にふっと湧いて出てきた言葉がありました。
それは「変革」という言葉です。
この世界は変わり続け、
変わり続けることによって成長し、進化し、
時代はつくられていくものですが、
大きな節目という意味では、
この前の大きな戦争の後にくる次の大きな節目、
変革が来るということを感じています。

今年は「変革の年」。
それは木の花で言われているのですが、
木の花の外でもそういったことが
言われるようになっています。
その価値は、人々に全く新しい世界を
もたらすだろうと思っています。

今までは皆が競争してきました。
競争して勝ったものだけが豊かな生活をし、
幸せを掴むという時代だったんです。
すさの作文は、そういったことを解決し、
新しい社会をつくる見本となるような作文でした。
それを自分の中でしっかりと捉えていて、
ああいった綺麗な文章にする力は、
本当に素晴らしいなと思いました。

すさは、須佐乃王という
とても素晴らしい名前をもらっています。
とても変わった名前であると同時に、
すさにはきっと大きな役割があるのだと思います。
人は誰でも、体と心をもらっています。
その人なりの特別な特別な役割をもらい、
大切な命としてこの世界に生まれてきています。

ひとりひとりがそのことに気づいて、
自分がこの世界に良い出来事をもたらすように、
そして自分自身にも良い出来事を
もたらすように生きていくべきだと思います。
そういったことが良い世の中を
つくっていく時代が来ているのだと思います。

今日、昼ご飯を食べながら
テレビの画面を眺めていました。
そうしたら、テレビの画面とは全然違うところから、
ふっと文字が降りてきました。
ひらがなの文字です。
それはとても微笑ましい言葉でした。
それは何なのかなと思いました。
それを思った時に、
ついついにやにやしてしまいました。

僕の前でご飯を食べていたみっちゃんは、
それを見てあっと思ったそうです。
後からみっちゃんは、
「いさどん、さっきにやっと笑いながら、
うるうるしていたでしょ。あれは何?」
と聞きました。
「何でもないよ」と言いました。

いさどんはどうしても人に嘘をつけない人で、
内緒にしておこうと思っていたのだけれども、
ついついまりちゃんに話してしまいました。
まりちゃんに話したら、
まりちゃんと僕のいるところにきょうこちゃんが来ました。
「内緒にしておこうね」って言っていたのに、
隠し事ができないものだから、
きょうこちゃんにも話してしまいました。

そこから、
「きょうこちゃん、内緒にしておこうね」
って言ったのだけれど、
きょうこちゃんは、「私はついついおしゃべりだから」と言って、
あちこちで話してしまったようです。
でも、まだ知らない人もいます。

今日、その文字が浮かんできました。
笑顔というのはいいでしょ。
皆が笑って生きているというのはいいでしょ。

1カ月くらい前、きょうこちゃんと話をしました。
きょうこちゃんのお腹を見て僕は、
「何だか知らないけれど、
そのお腹を見ると愉快になるんだ。
愉快の種が入っているみたいだね。
でも、今の地球人はあまり愉快に暮らしていない。
この地球人を愉快にしないといけないね。
宇宙人だったら、きっと愉快かな。
ここの中に宇宙人が入っているのかな。
まあ楽しみだね」
と話をしていました。

というわけで、皆さんスクリーンを見て下さい。

みんな:

(スクリーンに映った「蘇万伊流」の字を見て、
みんなから驚きの歓声がじわじわ上がってきます)
すごーい!すごーい!スマイル?
すごい名前だね。すごくいいね!

いさどん:

蘇は、蘇生の蘇。新たなものが蘇る。
万は、絶対にどんなことがあっても変わらない真実。
森羅万象、この世界に存在する限りない一切の物事。
それを万と表わすそうです。
伊は、人を表わして、音符の韻、
万事を調和する人のことだそうです。
流は、分散して長く伸び広がる意思を表わします。

これをつなげてみると、
この宇宙の全ての物事にのっとり、
万事を調和させ、それを広げ、
人々に喜びを蘇らせる人。

僕には、ひらがなで「すまいる」と出てきました。
笑えてしまいました。笑顔だから。
これは地球のどこでも通じる言葉。
そして、性別はありません。
男でも女でも心の性別はありません。

この子が泣いていたら、
「スマイル、スマイル。」
皆怒っていても、この子を見ると、
「スマイル、スマイル。」
外国の人が来ても「スマイル、スマイル。」

最近、不思議な名前が多いでしょ。
地球が宇宙時代に入ったなと思っています。
すまいるはとびきり宇宙人だよね。
不思議な人たちを飛び越えて、さらに不思議な人。
そう、これは、きょうこちゃんの中に
入っている赤ちゃんの名前です。
(みんなから大拍手)

きょうこちゃんには
もともとリングネームがありまして、
「スマイリーきょうこ」という名前です。
つまり、きょうこスマイル!

さっき、すさが作文を読んでくれました。
須佐乃王という名前は、
こういう魂の人が降りてくるということで、
すさが生まれる2年くらい前に出てきた名前なんです。
この人も、生まれる前に名前が出てきました。

これから来る時代がどんな時代なのか、
僕にはよくわかりません。
でも、皆が笑える、
スマイルが沢山の世の中が来るんだろうな
ということだけはわかっています。

すさ、とても良い作文をありがとうございました。
今日、僕から湧いてきた文字と
エピソードをお話しました。
以上です。


愛とお米があればいい

いさどん:

富士山麓へ来て木の花を始めた頃の気持ちが、
今でも自分の中で全然変わらないんだよね。

ようこ:

今ふと思ったのは、
私は毎朝こうやっていさどんと話をするけれど、
ある朝ここに来てみたら、
「あれ、いさどん静かによく眠っているな」
そして、そのままいさどんの目が覚めなかった。

そこで思うのは
「いさどんは与えられた役割を
全て果たしきったんだね。
だから肉体を返上する時が来たんだね。
おめでたいね。ありがたいね」
ということ。
今までは、
単純にさみしいなと思うだけかと思っていたけれど、
最近のいさどんの皆を想う愛の深さを思った時に、
「いさどんは、
十二分に役割を果たし切ったってことだな。
ありがたかったな」
と思うかもしれないと、
そんな気持ちになった。
もちろん、その時にならないと
わからないことだけれど。

そしていさどんが旅立った後も、みんなと
「あの時のいさどんはああだったね。
面白かったよね。
そういえばあんなこともあったね。
ありがたかったね」と、
本人がいなくてもいろいろな話で盛り上がったり。
「いさどんはあんなことを話していたけれど、
自分たちは今それができているのかな。
まだまだ足りないから、
やり続けるしかないよね」
と話しているようなイメージが浮かんできた。

いさどん:

いい景色だね。

ようこ:

人は、死んだ後に
本当の評価が観えるのかもしれない。
いつまでも想ってもらえる人と、
すぐに忘れ去られてしまう人と。

いさどん:

そうだね。
でも、いたか、いなかったかわからないくらい、
皆の中に入っていて、
その人が特別もてはやされるのではなく、
この世界の中にその心が浸み込んでいけば
いいのかもしれないよ。

この世界が変わっていくためには、
新しい概念がいる。
その時に、「この国をよろしく」と言って、
昭和天皇の魂が僕のところにおいでになった。
あれは本当だったと思う。

僕が特別な人や有名人という形で
よろしくと言われたのではない。
誰の考えだからということではなく、
その心が世の中に広がっていくための
種であるということ。
ただ種であるということだけでいい。

種から生まれたものが、
種とは全く違うような形になって成長し、
種をつくった元のものとまた同じものになり、
また沢山の種をつくり、
その沢山の種が風に乗って飛んでいけばいい。

ようこ:

幸せの種。平和の種。

いさどん:

誰がそれを広めたとか、
そんなことはどうでもいい。
よし、思い切りこの心を広げなきゃ!
食べるものがそんなになくても、
生きて命をつないでいけば、役割は果たせる。
愛とお米があればいい。

♪愛とお米があればいい♪

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい

讃えよ命 いただく恵み

与えよ愛を 御心のまま

開けや心 歌えや命

天の喜び 地に花開け

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい


生活と理想をひとつにする時代

僕には前に進めようとする心と
それにブレーキをかけようとする心の両方がある。
前に行こうとする心が強くても、
現実にはなかなかその通りになっていかないことがある。
人生ってそういうものだな、
と今までは思っていた。

しかし、ここ1、2年は、
ブレーキをかける方が多く、
現実の方が先に進んでいく。
僕の方が慎重になって、
「そんなに上手くいかないよ」
と思うことが多くある。

そんな中、去年の後半頃から、
いろいろな人とのつながりが出来ている。
僕よりもここを訪ねてくる人たちの方が、
純粋で疑いなく進んでいこうとしている。
僕の中には
「また障害物が出てくるかも」とか、
「人はそんなに簡単には動かないよ」
という想いがある。
それを、流れの中で出会ったことだから、
流れのまま行きましょうということで
日々を過ごしている。

去年の後半くらいから出会った人たちというのは、
僕が考えていることを語ると、
それを僕が考える以上に受け取って反応してくれている。
今まで僕は、
「人間はまだそこまで気づかないだろう」とか、
「これは特別な考えだから普通の人には」と思っていた。
でも、そういった人ばかりではないということがわかった。

事が動き出した。

面白いのは、
以前と逆になってきているということ。
以前は、自分の中から湧き出してきた
高い理想をどんどんやっていこうとしても、
現実にはなかなかそうはならなかった。
今は、慎重に慎重にしているのに、
事はどんどん進んでいく。

羽を広げすぎないようにと考えることもある。
しかし、それを一人で出来るのかと言ったら、
一人でできはしない。
そうすると、僕がそんなふうに考える必要はない。
まわりの人たちの心に響くように、
自分の中にある変わらぬ想いを
語っていくだけでいいんだろう。

私たちの生活は普通ではない。
しかし、これを支持する人たちが
これからますます出てくるのも流れである。
面白いのは、
そういう予測を自分でしておきながら、
「そんなに上手いこといくのかな」という心や、
それがなっていくと、
「えっ、本当になるの?」という想いも出てくる。
もっと自分を信じてあげなきゃと思う。

僕には裏表がない。
私利私欲がない。
あなたは何を考えているのですか?
と問われたら、
そこにあるのは、本当に良い世の中が来ること。
この世界を動かしている存在に皆が目覚め、
この世界の仕組みの中で生かされていること、
そしてすべてのものがひと連なりのものであり兄弟である、
ということに気づくこと。

そうしたら、
当たり前に自分を想うように
人のことを想えるようになり、
そのつながりの中で
人々が平等で平和で愛ある生き方が出来るようになる。
皆が笑っている姿を自分の中にイメージして、
そういう世の中が来ること。
何が希望なのかと言ったら、それだけ。

疑いのない、争いのない、偽りのない、
皆が笑っていられる世の中。
独立した個人の笑いではなく、
皆で一緒に歌い笑いながら生活している。
生活の中に笑いがあり、喜びがある。
そういった世の中が来ること。

私たちは、
人類として過去に尊い教えをもらった。
キリスト、ブッダ、
沢山の聖者たちから道をいただいた。
それはどれをとっても原則は同じものです。
彼らが一体何を語ったのだろうと
心の目で見通してみると、この世界の仕組み。
ひと連なりであるということ。
ひと連なりであるということは、
全部つながっているのだから
全て自分自身だということ。
他を己と思って愛しなさい。
他と思えるものも自分ですよ。
だから、それを愛しなさい。

連なるということは、
悪意では成立しない。
善意を持って連なりなさい。
この世界を創っているものは、
別々の姿をし、いろいろな役割をしている。
どれも重要で不必要なものはない世界だから、
平等な世界です。
調和の中で、
一つのものに束ねられている。

世界の人々に対して
過去のメシアたちが伝えようとしたことは、
そのようなことだろうと思う。
人間たちがそのもとにある心を理解できたら、
聖者たちのような生き方だったのだろう。

しかし、人間たちは、
この世界を見通してみるのではなく、
個人という立場から
自分のエゴでまわりを見ていくようになった。
その結果、自分という概念を得るようになり、
広くこの世界を見通してみるということを忘れてしまって、
この地上だけに特定する概念で
物事を捉えてしまっている。

どんなに大きな組織のトップであろうが、
有名人であろうが、皆同じ人間である。
ただ、そこに大きな差ができた。
どこに差ができたかというと、
「自分がそれだけのものになった、
他の人とは違うんだ」という心を持ったからである。

この国が皆にとって良い国でなくてはいけない。
それを皆で創り上げていく。
その国というのは、
日本という国だけではなく地球国のこと。
過去に聖者たちが
私たちに残してくれた財産を指針としなさい。
一番の根本はこの宇宙の仕組み。
宇宙の仕組みには、生活も全てが含まれている。
私たちの存在も、もちろんその中に入っている。

私たちは、道徳や宗教を通じてそれを学んできた。
それなのに、ベースの心が「自分が」
というところになってしまい、
この世界を見通して
日々を生きるということを忘れてしまっている。

いろいろな宗教が人々を導びこうとしてきたし、
理屈や道理を知っている人は沢山いる。
しかし、実際にそれを生活に落とし込んでいる人は
ほとんどいなくなった。
そのような日々を送ることを
喜びとしている人もほとんどいなくなって、
頭の中だけの学びとなってしまっている。
そういう矛盾の中で生活している人がほとんどで、
特に宗教のリーダーたちに
そういう生き方をしている人が多いと思う。

私たちがこの生活を始めて、もうすぐ16年になる。
ただ淡々とやってきたのは、
「皆で」ということ。
「平等」ということ。
「調和」ということ。
全て同じ概念で、粛々と生活の中でやってきた。

そして、世の中の人たちもそのことに気づき始め、
気づいた人たちがつながろうとしている。
特に、ある程度の物を獲得してきて満足している人たち。
そういう人たちが、その満足で終わってはいけない。
自分の能力や財をもっと違う形で活かさないと、
自分の我を満たしただけでは価値あるものにはならない。

自分で自分の価値を築き上げていくということ。
「有形のものではなく、無形のものを優先して
価値を見い出していくことが大切なんだ」
ということに気づいた人たちが、
見えない力の働きでここに集まってきている。

新しい時代の見本を皆で世界に示そう、
「何となく変だね」と思っていることをもとに、
皆で世の中を変えていこう、
というところに共鳴しているのだと思う。

それは、私たち人間が勝手に思っていることではなく、
何かがそれを束ねようとしている。
宇宙を、地球を束ねている魂が、
この世界を導こうとしている。

何千年も前から
聖者たちが導きを残してくれた結果、
今があるのだとしたら、
その聖者たちの「全てが一つである」
という志を私たちは受け継ぎ、
その精神を持って次のステージに進んでいく。
それは、イエスやブッダのような聖者たちが
絶対ということではなく、
その生き方や教えを新たなものにしていく。
そうすることによって、
私たちと共に聖者が生きていく。
一人一人の中に聖者がいる。

私たちは神の分御魂であり、
私たち一人一人の中に聖者の精神や神が住んでいる。
その心を持って日々の生活を実践していく。
過去の聖者たちが残していった財産を守っていくだけでは、
新たな道が生まれない。
それを新たなものへとつなぎ成長させていく。

今までは、
初めの教えを守っているだけで成長がなかった。
それでは新たな知恵も湧いてこない。
これからは、特定の聖者や特定のリーダーが導くのではなく、
皆で考えながら創っていく時代。
「皆の時代、一人一人が主役の時代が来ます」
とずっと言ってきたけれど、まさしくその時代が来た。
皆で創る仕組みがこの世界を動かしていく。
それこそが宇宙の仕組みである。
私たちの生活のもとにある仕組みが、
理想を実現しようとしていると感じる。

私たち一人一人の中にイエスやブッダがいる。
私たちはその尊い心をもとに、
生活と理想が別々だった
この世界をひとつにする時代が来ている。
そういったことをわからず自分の欲に走っている人や、
欲が満たされず怒りや恐怖の中にいる人たちも、
不安のない安心できる仕組みができていくと、
だんだん氷のように固くなった心が溶けていく。
自分で自分のことを抱えなくていいんだ、
皆に安心して任せればいいんだと気づいていく。

それを先駆けとしてやることは大変な困難が伴う。
事が進んでいない時にやるのは大変である。
しかし、なっていけばいくほど、
「やっていて良かったね、そうだったんだね」
という確信が私たちの中に生まれてくる。
そうやって皆が引き寄せられて、つながっていく。

美しい心の人たちの生活。
それがこの星で実現すると、
この星が本当の意味で美しい星になる。

理想は、外れながら真実を見い出していく。
右へ行ったり左へ行ったりすると、
幅が広くなる。
ところが、真実を持つという心を忘れると、
右へ行ったら右のまま行ってしまう。
それでは真実が観えてこない。
右へ行ったり左へ行ったりしながら、
中央にある真実を見つけていくことが大切である。

自分を取り巻く世界に
自分が何をもたらしているのか。
それが観えることが大前提である。
一本道で行くのではなく、
外れることによって理想が見えている。
外れないで理想に行き、
それが理想なのかと言ったら、
確認はできない。
一本の道を行ったらそれが絶対だということになり、
この世界になぜそういったものが創ってあるのか、
そのことの価値が観えなくなる。
多様性がなくなってしまう。
面白くも何ともない。
ただ必死なだけになってしまって、
楽しめなくなってしまう。
それは味気ない世界である。

喜びがある世界。
喜びがこの世界のスパイスとなっている。
外れるから喜びが生まれる。

その全体像を理解していくと、
知恵が湧いてくる。
ところが、知恵がないのに知識だけ詰め込んでいくと、
知っているというだけでそれを活かすことが出来ない。
この世界には
良いことと悪いことがあるように見えるけれど、
実は両方が支え合いこの世界が成り立っていて、
そのどちらも同じく大切で良いことだということ。

なぜなら、もとは善意と愛と調和でできているのだから。
そこが出発点で、
それを影のように支えるように
悪意、孤独、対立、不調和がある。
一対だからどれも大切であり、
それをありがたいと思えるようになったら、
その影の方は消える。
そこに光が当たるから。

しかし、全てが消えてしまったら面白くない。
影のところから光の方へ出ていくから
「明るいね」と気づける。
だから、行ったり来たりしながら楽しめばいい。
ゲームのように楽しめば、
たちどころに問題は消えていく。

そうしたら、
いつの時代もこの世界は地上天国である。
始めから今もこれから先もずっと、
そのことに気がついたら
この世界はたちどころに地上天国となる。
そして私たちは肉体を返して天国へ行く。
そのことが理解できなければ、
肉体をこの世界に返しても天国へ行けない。
地の国、地獄に留まってしまうことになる。
暗い光のない世界に。

「優秀であることが大切だ」と言って、
人々は知識を求め、
優秀な人たちが支配する世の中ができた。
その結果、こういう社会が出来た。
なぜそれを見直さないといけないかと言ったら、
優秀な人たちは
自分が優れているというふうに思っているから
謙虚ではない。
謙虚でない人たちの世界ができて、
生かされているとか、つながるとか、
人を想うことが大切ということを
忘れてしまっている時代である。

私たちはどんなものであっても、
この世界が創られた後に創られたのである。
今現在も、その世界の目的によって維持されている。
そこに気づかないと、
この世界の目的を知ることができない。
いつも、自分独りよがりの、
あるいは人間よがりの世界しか観えない。
その視点でしかこの世界を観ることができない。

だから、
優秀であるということが仇になってはいけない。
優秀であるということは、
この世界の奥にある真理を観ることできるということであり、
それを観ることによって知恵が湧いてくる。
そうすれば、
この世界にあるテクノロジーも物もそこから来る富も
ずっと有効に使える。
人々のために平等に、有限なるものすら
無限に使える時代が来るはず。
そういう人々が大事な時代になった。


自然体の自分を取り戻して

一昨日の夜、
12月11日からケア滞在をしていた
あんべちゃんの「卒業コンサート」が行われました。
二十数年間、
ギャンブルやアルコール、ニコチンへの依存に
苦しんできたあんべちゃんですが、
見事一ヶ月で卒業となり、
翌朝、皆から祝福されながら
ファミリーを発ちました。

そのあんべちゃんの卒業のあいさつと
主治医であるいさどんからのメッセージ、
そしてメンバーからの祝福のコメントを
皆さんにシェアしたいと思います。

あんべちゃん:

皆さん、本当にありがとう!
今日一日いろいろ考えていて、
まとまったことを話したいとか、
まとまったことを話さなきゃいけないという
感覚があったんですけれど、
それは自然体ではないなと思いました。

ここに来たおかけで
自然体であることの大切さを実感したのと、
ここの生活のおかげで豊かさを実感できたので、
今ある自分の自然な気持ちを話そうと思っています。
何も用意していない今、
漠然と浮かんでくる言葉で話してみようと思っています。

ついさっき感じたことは、
「生きていて良かったな」ということです。
こんな豊かな生活ができて、
こんな豊かな人々とのつながりを得ることができて、
本当に生きていて良かったなと思っています。
自分を嫌いにならないで良かったなと思いました。
これも皆さんのおかげです。
これから、またちょくちょく来ます。
皆さんとのつながりを大切にして、
自分を嫌いにならないで、
頑張って生きていきたいと思います。

ありがとうございます。

いさどん:

あんべちゃん、卒業おめでとうございます。
いつも思うのですが、
おめでとうということと同時に、
ありがとうという想いを持っています。
人と人がつながって幸せな生活をする。
それを喜びとする。
そういうふうに想い、
ここの生活が始まりました。

今の世の中は、
沢山の価値や豊かさにあふれています。
しかし、豊かであるがために、
その豊かさを維持していこうという心が働き、
新たな問題が起きている。
そういったカラクリの中で
得ようとすること、維持しようとすることじゃなくて、
問題が発生した時にそれを解決していくこと。
それが、世のため人のため。
そうやって生きていこうと、
この生活が始まった、
というふうに記憶しています。

思い出すと、一ヶ月くらい前に
あんべちゃんのお母さんから相談があって、
「うちの息子は、とても私の手には負えません。
どう導いたらいいかわかりません」
というような悩みの電話がありました。
そこで僕は、
「とりあえず彼に聞いてみてください。
自分で今の状況を良いと思っているのだろうか。
そこから抜け出したいと思っているのかどうか、
彼に聞いてみてください」と言いました。

「ちょっと時間をください。聞いてみます」
ということで、
しばらくしてまた電話がかかってきました。
「自分はこのままじゃいけないと思っている。
何とかもう一度自分を取り戻したいと思う、
と言っています」と言うものですから、
「それならば、一度こちらへ来てみてください」
ということになりました。

初めて会った時に、
よくあることなんですが、
彼の姿は老人のように見えました。
本来、老人であっても、
希望があっていいはずです。
今、死を迎えようとしている人だったって、
新たな旅立ちという夢をもっていいはずなのに、
「まだ若いのに随分と老けたもんだな」と思いながら、
この老人を復活させたいなと思いました。

本人の意思を聞いたら、
健康な自分を取り戻したいという
強い意思が明らかでした。
それで、ここの生活が始まりました。
最近は特にそうなんですが、
特別なことはほとんどしていません。
僕がカウンセリングをしたわけでもなく、
時々節目の時に相談に乗っただけでした。

この場所にいると、
一人一人がとても個性的で出来上がっている。
皆の心に大きな定まりというものが観えている。
その中にあんべちゃんも生活していて、
この場所が人を癒し、治し、
希望ある生活に導くんだなと思いました。

私たちは、これを本当に大事として、
これからも世の中に広めていく。
困っている人たちのためにこの生活をしていく。
さらに、ここだけではなく、
もっと広くいろいろなところで、
このような生活が営まれていくんです。

苦痛が人々を導いて
喜びとなるような世界を広げていきたいと思った時に、
あんべちゃんは救われたのではなく、
本当の自分に出会ってそれを取り戻した。
そして、これからその恩恵を受けて
ありがとうと暮らしていくだけではなく、
今度はそれをもって社会に出て、
社会に対して役立ててもらう。

そうすることによって、
今度は自分がありがとうと言われる。
ありがとうと言われるということは、
今度は自分に値打ちがついたということです。
相手からは値打ちをもらったんだから、
自分からもありがとうと言う。
そういった輪が広がっていくことが
大事だと思っています。

今朝、あんべちゃんが
これからの決意を細かく箇条書きにしていました。
真面目に自分の目標を立てて達成していく。
そういう人だからこそ、
目標が崩れた時に責任を感じ、
自分を責めてしまう。
そういった出来ない自分から逃げるために、
今までギャンブルなど
健康でない方向へ歩んでいったんだなと思います。

今朝、僕が伝えたのは、
「あんべちゃん、固いね。
真面目に仕組みをつくって、
そのように達成することは素晴らしいこと。
でも、それではつまらないだろう。
自分の枠の中だけだから。
そして出来なかった時に、
自分を責めることになってしまう。
それは固い話だ。

車を運転する時に、
ハンドルでもブレーキでもアクセルでも、
全部、遊びがある。
それで初めて健全な運転が出来る。
それと同じように、人生にも
遊びがないといけないんだよ。
楽しみながらいくということが大事で、
だからと言って遊びばかりでは動けない。
そのバランスが大事だ」
ということでした。

それに対してあんべちゃんは、
「全くそうですね」と答えました。
真面目すぎて
自分が潰れてしまったあんべちゃんが
そのことを知り、
先程のあいさつで
「自然体でなくちゃいけない」と
早速取り入れた。
これが、ここの効果ですね。

以前のあんべちゃんなら、
自分が書いたものを持ってきて
そのまま述べただろうに、
今日早速それを取り入れ、
「自然体で湧いてくる言葉を語ります。
沢山約束せずに、とりあえず旅に出てみて、
やれるようにやってみます」と言う。
一番いい答えですね。
その言葉で、
今回のケアの卒業になったなと思い、
良かったなと思いました。

いろいろな人がここを卒業していきますが、
最近は優等生ばかり。
来る人は皆、健全になって卒業していきます。
一人一人が自分の人生の中で問題をもらい、
答えを見つけて、卒業していく。
あんべちゃんのオリジナルの人生に対して、
これからこの卒業を
活かしていってもらえたらいいなと思います。

何はともあれ、とても良かった。
おめでとうと同時にありがとうという言葉で、
今日卒業のあんべちゃんへの言葉とします。
ありがとうございました。

追伸ですけれど、
今日あんべちゃんとここに来る途中に
車の中で話したのは、
「これからいろいろな場所でいろいろなことが始まる。
あんべちゃんは、まず社会に出て
自分なりに挑戦してもらって、
それはそれで頑張ってやってください。
でも、いろんなことが始まる中で、
例えば琵琶湖の研修センターが立ち上がったら、
ホテルの厨房の責任者がいる。
それは一つの例だけど、
何か話があった時に、
また帰っておいで」
という話をしました。
(一同拍手)

(ここで、ケアのスタート時と終了時の
あんべちゃんの写真がスクリーンに映し出され、
皆から歓声と共に大拍手が沸き起こりました)

みっちゃん(司会):

素晴らしい!良い写真だね。
何か、あんべちゃんに対してコメントがある人はいますか?

みこ(4才):

はい!あんべちゃんのスープは
とてもあまくておいしかったです。

あんべちゃん:

また今度来るときにつくるからね。

みっちゃん:

チャーハンも子供たちに大人気だったね。

えいごばあちゃん:

あんべちゃんは、
何か作っている時にすごく生き生きしているの。
その生き生きしているのを忘れないで、
ずっとやっていってほしいなと思いました。

あいちゃん:

日に日にたくましくなって
変わっていくあんべちゃんの姿を見て、
こちらも嬉しかったです。
あんべちゃんのお料理に対する姿勢が
私の学びになったなと思いました。
残り物をまた違う形にしたり、
皆が喜ぶようなものを作ってくれたり、
本当に勉強させてもらいました。
また、いつでも戻ってきていいからね。
行ってらっしゃい!

あんべちゃん:

いってきます!
頑張らないように頑張ります(笑)

この後も続々と皆からのコメントが続きました。
これもひとえに、
あんべちゃんの自分と向き合う真面目な心と
自分の得意なお料理で皆を喜ばせようとする想いが、
皆の感動を呼んだ結果なのだと思います。

皆から祝福されて
ここを卒業していったあんべちゃん。
あんべちゃんの人生がこれから美しく花開くよう、
皆で心から応援しています。