先日みんなでNHKの「坂の上の雲」の一回目を観た。
いつもNHKの大河ドラマを観る時には、
娯楽としてではなく
日本の歴史が成り立ってきた秘密や
メッセージが隠されていると思いながら観ている。
過去を振り返って、
今の時代を人々に見つめなおさせるような働きが、
一部の番組の中にあると思っている。
「坂の上の雲」は年末だけ、
3年がかりで放送するという。
この番組をづくりの奥に、
何か大きな意図が隠れているように感じる。
その時代を顕微鏡で観るように一点に集中して、
意図的に表現している。
創られたものだから、
当然大げさに表現されているところもあるが、
史実を織り交ぜて、私たちがどういうところを通って
ここまで来たのかが表現されている。
とりあえず今までのところを観終わって、
今後も続けて観てみようというのが皆の感想である。
僕が思ったのは、
「この番組はテンションが高い」ということ。
この国を支えてきた人々。
優秀で国の中で特別な地位を務めてきた人たち。
そういった人たちの物語。
学問ができて、志が高く、
国のためになろうとする人たちが
取り上げられた物語である。
一般の社会には、
学問ができるだけで志は高くない人たちが沢山いる。
学問もできないけれど、志も高くない人たちもいる。
今の社会ではこのような英雄的な人は
なかなか現れてこない。
物語は明治維新に始まって、
大正、昭和の時代へと続いていく。
今年の大河ドラマは「天地人」。
上杉謙信が「義」を捉えて生きた。
その財産をもって世を生きた人々の物語が
美しく描かれている。
戦いの中で人が死んでいく世界の話である。
この世界での勝者は、
滅ぼされたものにとっては悪である。
しかし、その悪も新たな時代になると、
それが法律になっていく。
それに歯向かったものには死があって、
生きることを選択したものは、
新たな正義に取り込まれ、それを取り入れていく。
そういった選択をしたものが生き残っていく。
しかし、残ったものが正しかったのかといったら、
そうとは限らない。
大河ドラマでは、
兼継が家康に仕えるようになり、
最後に兼継がこの戦国の武将の中で
誰が一番優れて志が高かったかということを語る場面で、
新たに仕えた家康ではなく
石田光成だと語るところがある。
それは、あの物語の中で最も表現したかったところであろう。
実際の出来事がどうであったかはわからないが、
一つの方向に時代が流れることに対して、
視点を変えていくつかの見方や
価値観を観ることの提案をしてくれている。
優れたものたちが
国の中心的な役割を担っていき、
ふさわしい人間たちが
ふさわしい場所で国を支えている。
一回目の「坂の上の雲」を観た時に、
日本にとって開国が正義であったかのごとく、
番組がテンション高く作られてしまっていると感じた。
あの番組がテンション高く作られていればいるほど、
正しい開国と捉える人たちが多いのだろう。
しかし、テンション高くどころか
忘れていた怒りを増幅させ、
違う感情を生みだす人たちもいるということを
同時に忘れてはいけない。
信長の時代には、既に日本の心は世界に向いていた。
日本だけではなく、
もっと世界中のことを知ってみたいという願望が
彼にはあった。
彼の性質だったら、
生きていれば外国を侵略に行っただろう。
それを受けて秀吉は朝鮮に行って、
極悪非道を行い、敗北して戻ってきた。
日本は島国だから外の侵略を受けにくかった。
他方、日本は他国への侵略者である。
そういった見方をすれば、
秀吉は悪党の頭領みたいなものである。
家康は、300年間
鎖国の中に日本を閉じ込めてきた。
多分、信長や秀吉が外に野望を向けて歩んでいった結末を、
家康は教訓にしたんだろうと思う。
自分の支配する世界の足場を固めることで、
江戸時代は長く続いた。
鎖国をしたがために、
世界の近代的な歩みからは遅れてはしまったが、
日本独特の文化が花開いた。
しかし、この国は日本国である前に
世界の中にあるという波が押し寄せて、
鎖国を解き、世が開かれることになる。
そして、明治維新となる。
新しく事が起きるということは、
古いものにそれがとって変わるということ。
新しいものができ、それが続いていくと、
いずれそれは古くなり、ついには壊れる時が来る。
新陳代謝によって、
常に新しいものが現れてくる仕組みになっている。
それを拒もうとすると、そのこと自体が問題のもとになる。
江戸時代も長いこと続いたが、
それが壊れて新しい時代が来た。
それを受けて、人々が躍動する。
物語が表現しているテンションの高い時代である。
それまでの変化のない時代に対して、
新たな欲望的希望が生まれる時代に入っていく。
古い欲望は叶っているのにそれを評価せず、
新しい未知なるものに夢を持って、
それを叶えていこうとする。
この物語もそういう所から始まっていく。
その延長線上に愚かな時代が訪れてくる。
希望ある開国という時代から、
あのとんでもない時代、
世界大戦に向かっていくのである。
日本人は、伝統的文化を維持することよりも
富国強兵という政策を打ち出し、
欧米に追いつこうとした。
実際に、物語でも表現されているように、
猿真似と言われながら、
器用だから追いついていく。
しかし、日本人の意識の中には、
真似しているということよりも、
追いつこうとしている意識のほうが強い。
他国にとっても、
猿真似だと馬鹿にしていたものが、
次第に脅威になっていく。
しかし、日本人には
目指すものに追いつこうという意思はあっても、
この世界を導いていこうという発想には欠けている。
世界の中で自国の位置がどこにいるんだろう、
という発想しかない。
明治維新になり、追いつけ追い越せと必死な時代。
テンションが高い故に、
他国に対し、地球全体に対して、
自分たちが何をもたらしているのかを
吟味するような思考にはならない。
太平洋戦争後の日本も同じことをやっていく。
その幕開けが明治維新である。
今の時代にその教訓を活かす時が来ている。
あの時代では、欧米の列強に追いつけと、
産業革命のほうに走って行った。
その結果、自分たちにふさわしいことを忘れ、
欲望的な国家戦略に入っていく。
一時はそれがいいようだけれど、
意図的で一方通行な国づくりが原因で
いろいろな問題が発生してくる。
あの物語の延長線上に、
戦争の時代がある。
日本人はその結果、
大きな代償を払うことになる。
そこへつながっていく流れなのに、
部分的に区切って見ると
全くおぞましいこととして扱うどころか、
時代の英雄を皆で盛りたてて、
「素晴らしい!なんてすごい人物なんだろう」と
評価さえしてしまう。
トータルしてもっとつなげて見たら、
ああいう優秀な人々が、
自分の中から湧き出てくる欲望を叶えたいという想いから、
社会の中枢の中でどんどん国をリードしていく。
その結果、国を導き、人々を導いていく。
太平洋戦争では、
作戦も見通しも何もあったものではない。
めちゃくちゃな、道理の通らない場所に
兵士の命が投げ出され、意味のない死を遂げている。
そして、原爆投下という結末につながっている。
その後、日本人の戦略的な欲望が、
経済という方向に向けられて、今の時代がある。
それが戦後ずっと続いてきたが、
今、壊れようとして、
次の変革の時を迎えている。
二度同じ歴史を繰り返し、これが三度目の正直。
また同じことをやっていいんだろうかと思う。
この番組は、そうではないぞということを
伝えるためのものなんだろうなと思う。
愚かなことをもう繰り返してはいけない。
そのために、しっかり学んでいく。
たとえ作者にその意思があろうとなかろうと、
そんなことはどうでもよい。
もう決して繰り返してはいけない。
古い体制が壊れて新しい時代に移る時に、
その古い時代に形骸化してしまったものを壊して、
新しいものが欲しいというだけではいけない。
その古い時代も、始まりはテンション高く、
希望を持って始まったのだから。
それがなぜ、古くなって
壊れないといけなくなってしまったのか、
ということをしっかりと捉えないといけない。
そして、その教訓を活かした世の中づくりが必要である。
国家というひとつの体制がそれをやってしまうと、
ひとつひとつの細胞である民衆がおきざりにされてしまう。
だからこそ、それを国のせいにしないで、
一人一人がこの世の中を創るということに目覚め、
民衆の中にいつも世の中があるということ。
ないものをねだるのではなく、
過去の古いものから学んで、
新しい時代に活かすことによって、
この世界が何ものか、人間が何ものか、
人間は何のためにこの世界に存在しているのか、
この世界そのものがなぜあるのか、
ということをわかっていくための
学びにすることができる。
個の中から湧き出てくる欲望を叶えようと、
ただテンション高く情熱的に生きたとしても、
時代が移り変わっていくと、
ある時は正義だったものが、
ある時は悪になってしまう。
今までの人間は、ただ湧き出る欲望のままに生きて、
その結果が戦後の時代のような、
個々の中から湧き出てくる欲望のままに世の中が創られ、
こういう歴史が刻まれてきた。
それが、今の世の中をつくっている。
すごく狭く苦しい所に人間を追いやってしまって、
この世界ができている。
これは、陥りやすい落とし穴である。
では何を価値観としたらいいのか。
それは、行き詰まりから観ていくことが大切である。
この時代は、明治維新や
第二次大戦の変革の時代とは違って、
大戦争があるわけでもなく、
表面的には穏やかである。
しかし、人間の意識、
ものの捉え方の変革という点では、
過去の維新よりも
さらに大きな変革の時代と言える。
自分の中から湧き出してくる欲望を叶えることは
いいことだ、と突き進んできた時代から、
単に湧き出してきた欲望を叶えるだけでは、
結局その欲望が暴走して
また痛い目に遭うぞ、と
過去の二度の教訓から学ぶ時代。
今、三度目の正直がどうなるかという段階に来ている。
自分の中に湧き出してくる想いをしっかりと吟味していく。
自分の中だけでそれを捉えるのではなく、
私たちが生かされているこの世界の仕組み、
自然観を捉えながら、
人間はどう生きていったらいいのか、
自分はどう生きていったらいいのかということを考える。
新しくなったんだ、古いのはもう嫌だ、
新しくなりたい、と高いテンションで
ただやみくもにエネルギーを使っていけば、
また痛い目をしてやり直しということになる。
そうやって人間たちが成長した結果が、ここにある。
同じような繰り返しで進化し、学んでいる。
あのドラマで、
ただ明治維新を見るというよりも、
今の時代をどういうふうに生きていったらいいのかを
解釈することのほうが大切である。
過去の日本人や人間の性質は自分たちも持っているのだから、
それをしっかりと教訓として活かし、
これからの時代に向けた個々の価値観を創り変えていく。
あの時代には、国を創る人は国を創る人。
一般の人間は一般の人間だった。
しかし、これからは、そういった国を創る人と
一般の人々の区別のない世界。
それこそが、これから求められている世界。
優れた人が出てきて、
歴史の中に名を残す時代は終わり、
これからは民衆の時代。
民衆が目覚めることによって、
いよいよ、人々の心の中に、
神とともにこの世界を創っていくという意識が目覚める。
そして、その延長に次の時代、ユートピアがある。
「坂の上の雲」を観た時に、
区切ってみると素晴らしいドラマ。
テンションの高い時代。
しかし、それがあのどん底の戦争の世界につながっていく。
そして、また維新が起きて、戦後の復興があって、
皆がまた欲望の中で国創りをしていく。
どん底から世界トップクラスの豊かな国を創ったはずなのに、
そのまま進んでみたら、働く意欲が湧かない、
生きていくのが嫌になる人々が沢山出てきた。
そういう今の時代がある。
だから、あの番組は私たちに訴えている。
これからの時代、私たちはどうしたらいいのかを。
僕は「坂の上の雲」というドラマはまだちゃんと観ていなかったんですが、観てみたいなと思いました。明治維新や戦後の復興というのは一方の視点から見たら平和に向かって進化してきたように感じますが、言われてみれば欲望を叶えるためにテンション高く突き進んできたようにも感じますね。そう考えると、やはり物事は一方の側面だけ見ていてはいけないんだと思いますし、いつまでも欲望を追い求めていてはいけないんだと感じました。じゃあこれからの時代、世界は、日本は、自分はどのように生きていけばいいのか、じっくり考えながら生活したいと思います。自分の中にどんな意識が湧き出てくるのか、見ていきたいと思います。
英国はロンドンに足掛け3年暮してみて、世界初めて物語という風情で、植民地経営やら蒸気機関やら 世界初が沢山ありました。地下鉄に「銀行」という名前の駅があって、その当時銀行が世界でそこにしかなかったから 銀行と言えばその場所のことだった時代を感じました。
新しいことを発想し躊躇なく試す自由と気概と勇気、それに植民地や領地、アヘンなどで搾取した資本力と冷血、搾取される立場を風刺する下級市民のしたたかさが混じった空気が残っていました。
日本は先進の知恵を受け身学んで カイゼンするのが得意とされてきて、まるで極西にある英国がホワイトホールで、極東の日本がブラックホールみたい と思ったものです。
じいじのブログで 富士山から吹き出したエネルギーのお話がありました。
霊的にはこれから21世紀以降は日本がホワイトホールのお役目をする順番に選手交代ということかな と解釈しました。