平等で愛あり調和のとれた世界へ

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12月24日のクリスマス会で、
いさどんはこのような格好をして登場しました。
さて、今日は、どんな話をしてくれるのでしょうか。
今日はクリスマスイブです。
世界中でイエス・キリストの誕生日を祝う日です。
でも、日本で定着したクリスマスは、
どちらかと言うとプレゼントをもらったり、
おいしい食べ物を食べたりといった行事になっています。
本来、キリストの誕生日を祝う儀式はもっと厳粛で、
私たちにこの世界に生まれてきた意味を
思いおこさせるためのものです。
だからと言って、
こういった楽しいクリスマス会が
いけないと言っているわけではありません。
ただ、そういった深い意味があるということも、
心の中に留めておいてほしいと思います。
この世界ができた時に、
始まりはひとつのものから生まれました。
ひとつのものがいくつかに分かれ、
複雑な世界ができました。
そして、今でも私たちは、
命の仕組みの中でひとつのものとしてあり続けます。
それは、始まりがひとつで、
それが分かれていっただけで、
常にお互いに関係し合って
ひとつであり続けているからです。
今は、人間たちの中に
いろいろな価値観や生き方が生まれて、
対立するものもいます。
人々にこの世界がひとつであるということを
教えるような役割の宗教も、
今はその宗教がもとになって争うようになりました。
その中のひとつの宗教、
キリスト教の元になった教えを広めた人が、
イエス・キリスト。
今日は、その人の誕生日です。
キリストの教えが、
この世界の唯一の教えではありません。
この世界には、いろいろな聖者が現れました。
例えばインドのブッダ(お釈迦様)。
イスラム教のもとであるムハンマド。
中国にも沢山の聖者が現れました。
世界的に大きな宗教のもとになった人たちだけではなく、
私たちにこの世界の真実を
降ろし伝えてくれた聖者たちが今まで沢山いました。
それは、皆、別々の教えのように見えるかもしれません。
しかし、この世界は最初にひとつのものから始まって、
そのひと連なりの中で今もあり続けているのですから、
対立したり、違いを持って
お互いを主張し合うことは本来おかしなことです。
そういったことが沢山の問題として、
影を落としていることも事実です。
今日は、イエス・キリストという方が生まれたことを
世界の多くの人がお祝いしています。
しかし、宗教が違うからと全く無関心の人たちもいます。
そういったことはありがちなことですが、
尊いものは誰が見ても尊いはずです。
つまり、全ての宗教が尊いということです。
過去にはいろいろな聖者たちがいましたが、
今の時代の私たちからは離れていて、
遠い過去の時代の人たちが多くいました。
千年も二千年も前の人たちがいます。
実在すらわからない人もいます。
その人たちがそういうことを言ったかどうかもわかりません。
しかし、身近な時代にも沢山の聖者がいます。
インドのマザーテレサやガンジーといった人たちです。
日本にも沢山の宗教を下ろしてきた尊い人たちがいます。
そろそろ、そういった教えや生き方を
ひとつにしないといけないと思います。
なぜなら、この世界はもともとひとつで、
ひとつのところから生まれてきたものが争い合ったり、
手を結べないでいることは、本当ではないからです。
今日は、クリスマスの記念に
数日前から何かしようと思っていました。
今、テロリストのような格好をしています。
理由があってこうしています。
僕が最近思うのは、宗教をなくしたいということです。
宗教をなくすということは、
尊い教えをなくすということです。
この世界には尊いものが沢山あって、
沢山あるからこそ尊いことすら対立しています。
だから、それをひとつにしたい、そう思っています。
皆平等で、平等というのはインドのお釈迦様の教えです。
皆愛の中で、愛はキリストの心ですね。
そして、全てのものが調和して、
調和はイスラム教のマホメッドの教えですね。
そういったものが本来ひとつのものでなくてはいけません。
平等で愛あり調和すること。
そういった世界が来るために人生を生きていこう。
ここの生き方もそのためにあるんだと思っています。
先日皆で映画を観ました。
インドには沢山の宗教があって、沢山の考えがあります。
それをひとつにして、
理想の国家を創ろうと生きた人がいます。
それを成し遂げる途中で、
テロリストによって命を絶たれた人がいます。
ちょうど、今の僕のような格好をしたテロリストに。
それは、ガンジーです。
僕もガンジーのようになりたいと、
先日久しぶりにガンジーの映画を観た時に思いました。
平等な世界、誰もが手をつないで喜び、愛のあふれた世界。
そういった世界を創りたいと思っていたら、
来年に向けての抱負が出てきました。
来年は、「変革の年」。
本当に平等で愛ある調和のとれた世界を創るために、
ガンジーのような志を持ってそれを実現していきたい。
それで、こんな恰好をしてきました。
ガンジー思想をアメリカで実現しようとした、
キング牧師という人がいました。
その人もテロリストによって亡くなりました。
世の中に愛、平等、平和をもたらそうとする人たちが、
殺されていくような世の中ではいけません。
そういった人たちが本当に良きリーダーとして、
そして一人一人が心のリーダーとして生きていく時代を
これから創っていくイメージが僕の中にあります。
皆で暮らしながら、
ここの生活がそういった
新しい世界の見本だということを示していきたい。
そのためには、自分のことと他人のことを区別しない。
なぜかと言えば、最初は全てひとつだったから。
最初はひとつのように、
他人のことも自分のことのようにして生きていける。
それをこれからもやり続けたいと思っています。
今日はクリスマス。
イエス・キリストという人の誕生日。
それにちなんで、ガンジーのように生きたいと思って
お話をさせていただきました。
話の途中で、頭に巻いていたスカーフを外したいさどん。
そこには頭を丸め、どこの国の人とも言えない
雰囲気を漂わせているいさどんがいました。
今年も残すところあとわずか。
地球人、宇宙人としての新しい生き方を
あなたも始めてみませんか。
その報酬は、平等で愛あり調和のとれた美しい世界です。
12月24日のクリスマス会で、
いさどんはこのような格好をして登場しました。
さて、今日は、どんな話をしてくれるのでしょうか。
今日はクリスマスイブです。
世界中でイエス・キリストの誕生日を祝う日です。
でも、日本で定着したクリスマスは、
どちらかと言うとプレゼントをもらったり、
おいしい食べ物を食べたりといった行事になっています。
本来、キリストの誕生日を祝う儀式はもっと厳粛で、
私たちにこの世界に生まれてきた意味を
思いおこさせるためのものです。
だからと言って、
こういった楽しいクリスマス会が
いけないと言っているわけではありません。
ただ、そういった深い意味があるということも、
心の中に留めておいてほしいと思います。
この世界ができた時に、
始まりはひとつのものから生まれました。
ひとつのものがいくつかに分かれ、
複雑な世界ができました。
そして、今でも私たちは、
命の仕組みの中でひとつのものとしてあり続けます。
それは、始まりがひとつで、
それが分かれていっただけで、
常にお互いに関係し合って
ひとつであり続けているからです。
今は、人間たちの中に
いろいろな価値観や生き方が生まれて、
対立するものもいます。
人々にこの世界がひとつであるということを
教えるような役割の宗教も、
今はその宗教がもとになって争うようになりました。
その中のひとつの宗教、
キリスト教の元になった教えを広めた人が、
イエス・キリスト。
今日は、その人の誕生日です。
キリストの教えが、
この世界の唯一の教えではありません。
この世界には、いろいろな聖者が現れました。
例えばインドのブッダ(お釈迦様)。
イスラム教のもとであるムハンマド。
中国にも沢山の聖者が現れました。
世界的に大きな宗教のもとになった人たちだけではなく、
私たちにこの世界の真実を
降ろし伝えてくれた聖者たちが今まで沢山いました。
それは、皆、別々の教えのように見えるかもしれません。
しかし、この世界は最初にひとつのものから始まって、
そのひと連なりの中で今もあり続けているのですから、
対立したり、違いを持って
お互いを主張し合うことは本来おかしなことです。
そういったことが沢山の問題として、
影を落としていることも事実です。
今日は、イエス・キリストという方が生まれたことを
世界の多くの人がお祝いしています。
しかし、宗教が違うからと全く無関心の人たちもいます。
そういったことはありがちなことですが、
尊いものは誰が見ても尊いはずです。
つまり、全ての宗教が尊いということです。
過去にはいろいろな聖者たちがいましたが、
今の時代の私たちからは離れていて、
遠い過去の時代の人たちが多くいました。
千年も二千年も前の人たちがいます。
実在すらわからない人もいます。
その人たちがそういうことを言ったかどうかもわかりません。
しかし、身近な時代にも沢山の聖者がいます。
インドのマザーテレサやガンジーといった人たちです。
日本にも沢山の宗教を下ろしてきた尊い人たちがいます。
そろそろ、そういった教えや生き方を
ひとつにしないといけないと思います。
なぜなら、この世界はもともとひとつで、
ひとつのところから生まれてきたものが争い合ったり、
手を結べないでいることは、本当ではないからです。
今日は、クリスマスの記念に
数日前から何かしようと思っていました。
今、テロリストのような格好をしています。
理由があってこうしています。
僕が最近思うのは、宗教をなくしたいということです。
宗教をなくすということは、
尊い教えをなくすということです。
この世界には尊いものが沢山あって、
沢山あるからこそ尊いことすら対立しています。
だから、それをひとつにしたい、そう思っています。
皆平等で、平等というのはインドのお釈迦様の教えです。
皆愛の中で、愛はキリストの心ですね。
そして、全てのものが調和して、
調和はイスラム教のマホメッドの教えですね。
そういったものが本来ひとつのものでなくてはいけません。
平等で愛あり調和すること。
そういった世界が来るために人生を生きていこう。
ここの生き方もそのためにあるんだと思っています。
先日皆で映画を観ました。
インドには沢山の宗教があって、沢山の考えがあります。
それをひとつにして、
理想の国家を創ろうと生きた人がいます。
それを成し遂げる途中で、
テロリストによって命を絶たれた人がいます。
ちょうど、今の僕のような格好をしたテロリストに。
それは、ガンジーです。
僕もガンジーのようになりたいと、
先日久しぶりにガンジーの映画を観た時に思いました。
平等な世界、誰もが手をつないで喜び、愛のあふれた世界。
そういった世界を創りたいと思っていたら、
来年に向けての抱負が出てきました。
来年は、「変革の年」。
本当に平等で愛ある調和のとれた世界を創るために、
ガンジーのような志を持ってそれを実現していきたい。
それで、こんな恰好をしてきました。
ガンジー思想をアメリカで実現しようとした、
キング牧師という人がいました。
その人もテロリストによって亡くなりました。
世の中に愛、平等、平和をもたらそうとする人たちが、
殺されていくような世の中ではいけません。
そういった人たちが本当に良きリーダーとして、
そして一人一人が心のリーダーとして生きていく時代を
これから創っていくイメージが僕の中にあります。
皆で暮らしながら、
ここの生活がそういった
新しい世界の見本だということを示していきたい。
そのためには、自分のことと他人のことを区別しない。
なぜかと言えば、最初は全てひとつだったから。
最初はひとつのように、
他人のことも自分のことのようにして生きていける。
それをこれからもやり続けたいと思っています。
今日はクリスマス。
イエス・キリストという人の誕生日。
それにちなんで、ガンジーのように生きたいと思って
お話をさせていただきました。
話の途中で、頭に巻いていたスカーフを外したいさどん。
そこには頭を丸め、どこの国の人とも言えない
雰囲気を漂わせているいさどんがいました。
今年も残すところあとわずか。
地球人、宇宙人としての新しい生き方を
あなたも始めてみませんか。
その報酬は、平等で愛あり調和のとれた美しい世界です。