約束の場所へ

うつ的な心の改善のため、
2月16日からケア滞在をしている
21歳のみずほちゃんは、
積極的に大人会議で
自分の心の報告をしています。
今回のブログでは、
最近のみずほちゃんの
大人会議での報告を
皆さんともシェアしたいと思います。

昨日の大人会議では、
自己主張をくり返してしまって
いさどんさんに注意されたので、
今日は自分がどれくらい
自己主張をしているのか見つめていました。

そうしたら、言おうとすることのほとんどが
自己主張や自分アピールで、
話せることがなくなってしまいました。

お昼はそのことで気分が暗くなり、
のんちゃんに「感情が動いてないみたいに見えるよ」
と言われたりしました。
それでストレスが溜まったのか、
お昼休みに無性にチョコが食べたくなり、
コンビニに行こうとしました。

そうしたら、シーツを持ったまり姉に会って、
「ちょっとシーツを運んでくれる?」と言われました。
時間がなかったので、
「今コンビニに行こうと思ってて」と言うと、
「えっ、コンビニに行くの?!」と驚かれました。
私も驚きました。
「コンビニなんていつでも行っていいんだよ」
と言われたと思っていたので、
とても軽い気持ちでいたんです。

「行ってもいいけど、行かん方がいいと思うでー。
おやつやってあるんやし。
チョコ食べたいってどんな気持ちから来てるん?」

「いやぁ、チョコを食べたいって気持ちで。。。
我慢してもストレス溜まるのかなと思うし。。。」

「それやって先のことを決めてんねやろ?」

「んーー。。。」

「じゃあ、私がいなかったら、黙って行ってたん?」

「はい」というやりとりがいくつかあって、

「別に行くなと言っているんじゃないんやで。
行きたかったら行ってき」と言われて、

「はい。。。じゃあ行ってきます」
という感じでコンビニに向かいました。

向かう途中で、
話が違うよーという反発の気持ちや、
めんどくさいなぁという気持ち、
そんなに気軽にコンビニに行けないんだと残念に思う気持ち、
これって恥ずかしいことなんかなぁという気持ちが出てきました。

そうしたら、車に乗ったクララとスズケンに
「本宅に行くなら送ってくよー」と声をかけられ、
「コンビニ行くだけなんで大丈夫です」
と言うはめになってしまい、
あーあと思いました。

コンビニに着くと、
もうなかなか来れないだろうし、
とまとめ買いをもくろむ私が出ましたが、
これが私の不安ぐせなんだなぁと思いなおし、
ガーナチョコを一箱買って帰ってきました。
それで部屋で2つ食べてみたんですが、
なんだか美味しくないし、
落ち着きません。

それでお風呂でようこちゃんに話してみました。
そこで教えてもらったのが、
また人の話を自分に都合の良い風にとる
くせが出ているねということ。
「1日3000円の滞在費をかけてここにいるのに、
チョコレートに逃げていたら
お金を貸してくれたご両親や彼の了さんも悲しむよ、
60人みんなが応援しているからね」と言われ、
これを機に変わろうと思い、
ようこちゃんにチョコレートとお金を預かってもらうことにしました。

それでいくぶんスッキリしたんですが、
今度はそのことを大人会議で話すのが怖くなりました。
でも、それをキャサリンとゆみちゃんに話していて、
私の強い自己主張の元には
人から愛されたい気持ちがあることに気づいたのです。
人から認められたりほめられたりしないと愛されない、
と思いこんでいたのです。

ほめられたいだなんてエゴだ、
と頭ではわかっているのに、
心では認められないと安心せず、
ほめられないことが明るみに出るのをとても怖がっていました。

そして父のことを思い出しました。
仕事から帰ってきたら
成績が良いと時々ほめてくれて、
家で居場所が無かった私には
それがとても楽しみで、良い子を演じてきたこと。
それから、勉強のできない弟には冷たい父のこと、
高校で落ちこぼれて父からそっけなくされたこと、
弟につきっきりの母が
私が寝込んだ時だけ猫かわいがりしてくれたことなど、
色々なことを思い出しました。

私は16歳から19歳までうつ病だったんですが、
母にかまってほしくて
自分からうつ病になっていったんだろうし、
治るのを遅らせたのも自分だったんだと思います。

自分に甘くしていって
自分をダメにして同情されたい、
という意識が私には根強くあり、
それが自分に都合の良い風に話を受け取る
今のくせにつながっているのかなぁと思いました。

明日からは人に好かれようとするんじゃなくて、
愛されていると信じて
人を愛していこうと思いました。

みずほちゃんが今の気持ちを
明るく正直に報告してくれた後、
みんなからは暖かい拍手が湧き上がりました。
ちょっと恥ずかしそうなみずほちゃんに、
みんなからは、「素晴らしいね」
「勝手に良くなっていく見本のような事例だね」
「感動しました!」「いい報告だったね」
と沢山のコメントが続きました。

ケアの「主治医」であるいさどんが、
「ここがどんどん『約束の場所』になってきたなと感じます。
こういったことをみんなで共有するいい時間は、
そうそうできることではないよね」と発言すると、
みかちゃんが「では、歌います!」と
『美しいいのち』を歌い出しました。

♪美しいいのち♪

野に咲く花々 何て美しい
けれど その上を嵐が通ることもある
来る日も来る日も 雨に打たれて
風に吹かれて それでも生きている
いつしか 嵐も終わりを告げて
何もなかったかのように 青空が広がる

空を見上げれば 太陽に向かって
二羽の鳥たちが はばたいてゆく
まるで 私の心 解き放つように
自由に弧を描き そして燃えて消えた

美しいいのち 美しいいのち
いつか約束した地へと 私も歩き出す
野に咲く花のように 空飛ぶ鳥のように
過ぎゆく嵐のように 私も生きている

美しいいのち 美しいいのち
やがて この星全てが輝き出し
美しいいのち 美しいいのち
やがて 全てのいのちが響き合うだろう


月や星、太陽に話しかけたらPARTⅡ

先日の大人会議では、
月や星、太陽に語りかけたら」のブログを
みんなでシェアしました。
今回はその時の様子を紹介します。

なかのん:
僕がまだここのメンバーになる前に
ゲストで来ていた頃、
いさどんが僕にこんな話をしてくれました。
それは「実現しないことに感謝する」という話です。
願いが叶うと、願い通りの狭い世界に入り、
どんどん狭くなっていってしまう。
でも、願いが叶わないことによって、
自分の願い通りではなく、
与えられたことに眼が向いていく
ということを話してくれたんですよね。
このブログを読んで、
そんなことを思い出していました。

あと、自分に湧き出る想いや感情というのは、
始めは全て神様から与えられたものなんだな
と最近思っています。
そこに自分のこだわりや捉われが加わっていくと、
自分だけの考えになっていってしまうのだと考えています。
始めの神聖なものだけ
持っていられたらいいのかなと思ったりもします。

たっちゃん:
「自分で考えると狭い世界に
自分を閉じ込めてしまいます」というのは、
まさにそうだなと思います。
とかく自分で考えてしまうなと思っています。
だからこそ限界があるなと思っているんですけれど、
僕自身もっと大きなものに委ねていくということを意識して、
かつ考えることは徹底的に考えていく。
使えるものは使って、委ねていく。
そういうことをやっていこうかなと
このブログを読んで思いました。

いさどん:
最近ここを訪れる人の中に、
「ここを科学的に分析して
みんなにわかるようにしないといけない。
そうしないと世の中に伝わらない」
とおっしゃる人もいるのですが、
僕は相変わらず神様の話ばかりしている(笑)

昨日ここを訪れた人の中にも、
「神様って聞くだけでだめなんです。
光って言ったらなおさらですよ」
と言っていた人もいました。
しかし、私たちは納得いかないところで
生かされているんです。
どんなに自分が納得したいと思っても、
実はわけがわからない世界に生かされている。

そして、わけがわかった時には、
もう言葉では表現できないような世界にいるってことです。
これは先の先の話なんです。
だから、どんなに伝わらないと言われても、
やはりこれは語り続けないといけないなと思っています。

こちらからは神様を通して観ていて、
向こうからは科学的分析で観ているだけのことであって、
その真ん中には真実があるのだから。

みかちゃん:
私たちがこういった精神性を
世間に向けて発信し始めたのは
つい最近のことで、
ちょっと前までここは「木の花農園」だったんだよね。
ここは農園です、あやしい所ではありませんって
世間にとってわかりやすい形でやってきた。
それが今や、
ブログでこういった話をどんどん発信していく時代になってきた。

でこちゃん:
「自分で考えるのをやめにしました」という所がいいね。
私もこれ以上世界を狭くしたくないので、
自分で考えるのをやめにします(笑)

みかちゃん:
歌います!
皆がコンサートで毎回聞いている歌です。

♪むかし むかし♪

むかし むかし 人と自然に 
境はなくて 友として支え合っていた
むかし むかし 人とけものに 
境はなくて 友として尊敬し合っていた

いつの頃からか 私たちが
心通わなくなってしまったのは
いのちを小さな小さな箱に
閉じ込めてしまったのは

私は確かに 空であり 星であり 月であり
太陽であり 雲であり 雨であり 土であり
木々であり けものであったのに

いのち脈々と 空と地を自由に
かけめぐってた かつての日々へ
私たちは 又還ってゆく
心で全ての いのちたちと自由に
話していた かつての日々へ
私たちは 又 還ってゆく

カトケン(2ヶ月の農業体験滞在中):
いさどんのブログとみかちゃんの歌で
この場がすごくいい空間になったなと感じました。
僕も、「自分の考えを置いて
出会うことを優先にして生きようとした時に、
この自由な世界と広い世界が観えてきました」
という文章に本当に共感できるなと思いました。

僕はここに来る前から
学校の先生になりたいという
目標を持っていたんですけれど、
やっぱりそういう目標や自分のやりたいことを持っていると、
どんなにエネルギーをかけても
なかなか思うように進んでいけなくなるという感覚がありました。

でも、木の花ファミリーに来てからは、
カーリングのストーンのように
少ないエネルギーで良い方向に進んでいき、
さらにそれを手伝ってくれる人たちが沢山いる。
今まで体験したことがないくらい自分が軽くて、
どんどん良い方向に進んでいくのを感じています。

いさどん:
やはり、こういった文章を裏付る
ここの生活があるからこそ、
人の心に響くものがあるんだろうな
ということを改めて思いました。