先日、木の花創立以来初めての相談出張にいさどんとようこが行ってきました。
二人が行きの車中で話した会話を今回のブログでは紹介します。
いさどん:
僕は、この生き方がもっと広がる必要があると思っている。
ただ、今のような一般社会の人たちが、
わがままな豊かさを満たしながら、このような生き方をするのは難しいだろうとも思う。
まだまだ「あれが欲しい、これがしたい」と思っている人たちにとっては、
バランス良く欲望を表現しながら生きていくことは難しいだろうと思っている。
例えば、地球環境に負荷をかけないような生き方をするためには、
今は地球が何個分もいる生き方をしているわけだから、
今のような状態はどこかの時点で改めないといけない。
そういう話は色々なところで出てきているのだけれど、
実際にはそういうことを意識し実践している人はほとんどいない。
そういう中で、私たちの存在はまだ特別な存在だよね。
私たちの中に大切にしている価値観はあるけれど、
ここにいるメンバーの中でも、まだ十分に満たしていない人もいる。
この共同体にいる私たちは一体全体何ものなのか、ということを世の中がいつか理解する時には、
世の中の人々が今の世の中の状態が何なのか、
自分たちが求めていることが私たちにとって何なのか、ということをわかった時だろうと思う。
僕は今、何となく心が晴れない気持ちがある。
今の社会を観て晴れない。
それは僕の中でこの世界に対する理想のイメージがあり、
そこに人々が気づかないから。
そのことに対するイライラとまではいかないけれど、そういった類の気持ちがある。
だからと言って、今わからない人たちに「わかれ」というのも、おかしな話だよね。
ようこ:
「わかれ」と言って、すぐわかるものでもないから。
いさどん:
「自分が何かをやっている」と思うとそういう心になっていくのだから、
「やっている」のではなく、「その役割をもらっている」と思えばいい。
自分がそこでは主役にならず、世の中の動きに対して、
「一つの役をもらった役者のように自分の役割を果たしている、と思えばいいか」
というところに落ち着く。
ただ、そうなる前に、
「自分の思うようにならない。思うように伝わらない」という心が湧いてくる。
それは、今のように振り返れば消えていくことなのだろう。
今日は珍しいことが起きている。
ようこちゃんと僕がこうやって出張するのも初めてのことだし、
相談事で出張するということも初めてのこと。
きっと、これは何かの始まりだと思う。
この機会を区切りにして、僕の晴れない心を卒業したいと思う。
ようこ:
いいねー!
いさどん:
今の木の花に対して想うことは、農業部門がしっかりと確立されること。
それから、きくらげのような新たな経済システムを安定させること。
木の花が共同体として、しっかりとした体制が築かれるということ。
それが出来れば、僕は次の段階に入ってもいいかなと思う。
僕が60歳になって「おやじの館」をスタートするまで、あと1年だよね。
家の前の畑に植わっている夏野菜がどうなっていくのかが、一つの鍵かなと思って観ている。
あれは日にちを追っていけば、学びとともに良い結果がもたらせると思っている。
先日、エコビレッジ国際会議後にここを訪れた、
インドのエコビレッジ、オーロビルに住んでいるビンドゥと話をして、
その後フィリピンでエコビレッジを立ち上げたぺネロペと話をした結果、
木の花がこれからこういった世界で大きな存在になるだろうと思った。
そうすると、色々なことに対する体制が整ってくれば、新しい出会いも生まれてくる。
私たちが取り組んでいるケアのことも、新しい動きがこれから生まれてくる。
そうすると、今日の新しい出発を境にして生まれ変わる必要があると思っている。
自分の自発的な作業とはいえ、
僕も今これを機会に自分の中の晴れない心を取り去っていきたいと思う。
僕は、自分でこうやって打ち出して方向付けをしている。
今日は良い機会だから、自分の中で消化していないことを全部出そうと思って、出してみた。
結局出しても、この道を歩むことには変わらない。
ここまで来たら、他の道なんかない。
ようこちゃんは、そういう意味では未来に賭けているのだから、楽だよね。
ようこ:
楽(笑)!
いさどん:
人に道があってそれに賭けるとなると、自分でどうこう出来ない分だけ楽。
ようこ:
考える必要がないものね。信じていくだけだから。
いさどん:
僕が与えられたこの道は、
絶対なものがそこにあって、確固たる導きのもとにある。
この生き方を広げることが大切であり、
私たちはエコビレッジでもなければ、
医療の一つであるケアを通して世の中に何かを伝えるものでもない。
私たちは宣教師であると言える。
先日、エコビレッジ国際会議に向かう車の中で、
ようこちゃんの話題になってね。
いさおちゃんがようこちゃんと接していると、うっとしたり腹が立つと言っていた(笑)。
ようこ:
そうそう(笑)。
いさどん:
いさおちゃんは、そういうことが2、3日続いてから仕方なく自分の中に収めるという話をした時に、
「いさどんは、ようこちゃんという人をどういうふうに観ているの?」と聞かれたんだよね。
そこで、「僕もようこちゃんにはうっとするんだ」と言った。
うっとするんだけれど、
「ようこちゃんに自分がうっとするということを伝え、
ようこちゃんを自分の思うようにしたい」という心が瞬間的に湧き、
次の瞬間には消えていく。
つまり、自分で考えブレーキなく進んだら、「いただく心」を忘れる。
そうしたら、ようこちゃんは僕がうっとすることをどのように考え、行動しているのかといえば、
彼女には全く悪意がない。
彼女流に判断し、良いと思ったことを行動しているだけ。
そのことに対してNOと言ったら、彼女が良しとすることをNOと言うことになる。
それは、こちらの良しとすることを良しとするということであって、
僕が目指している多様性の中にある真実の在り方から外れることになる。
だから、「自分の想いが何でも達成される」ことよりも、
「制限する」ことの方が大切だと思う。
そこに学びがあったり、成長する要素がある。
だから、僕はそこでうっとすることを自分の中に収め、「いただきます」という心を持つ。
それから、心を上の方へ向け、神様をイメージする。
神様は、「ようこちゃんを通じてその姿勢をつくることを伝えている」と言われる。
それを聞いたいさおちゃんは、
「僕には出来ないけれど、それってすごい世界だね」と言っていた。
一つ一つの行動をようこちゃんが完璧にやっているかどうかについては、わからない。
完璧かどうかということは、「ああだったらいい、こうだったらいい」と考える人間からしたら、
いくらでも評価はあるのだから。
しかし、少なくとも普通の人が行動出来る以上のことを、役割としてようこちゃんはしている。
これは重要なことで、
これから僕らは何もお互いの中に調整する必要のない、
一心同体の関係をつくっていくことをやり始めている。
今までは「ようこちゃんの本質はどんな人なんだろう?」と模様眺めをしているところもあったけれど、
今日を機会にそれをなくして、お互いの関係を次のステージへ進めるべきだと思っている。
ようこ:
いいねー!
いさどん:
僕らは、これから益々世の中のための生き方を進めていく。
世の中には大変な状況の人たちがいるからね。
自分たちのことなど後回しにするくらいの考えでいかないといけない。
そのためには、それにふさわしい二人三脚で行きたいと思う。
今色々と話をしたけれど、
ようこちゃんはこの流れ、木の花のこと、これからケアのことをやっていくこと、
今日の出張のことをどういうふうに考えているのかな?
ようこ:
これは、「考えていない」というのが一番近くてね。
「世の中を良くしたいんだ。戦争をなくしたいんだ!」と言う人もいるけれど、
これは良いんだか悪いんだか、
私は「世の中がああなったらいい、こうなったらいい」とあまり思わない。
私が何かを思っても思わなくても、なるようになるだけだから。
そういう意味では思いがあまりないという感じかな。
今、いさどんが、「晴れない心を卒業しよう」というのを聞いたら、それはすごく嬉しかった。
いさどんと私の個性の一番の違いは、良く言うと、いさどんは思慮深く、視点が深い。
だから、いさどんと話をしていて「心が晴れない」という言葉を聞くと、
「私の心はいつも同じように晴れているから、私の視点はきっと浅いんだろうな」
といさどんから学ぶことがある。
でも、学びになると同時に、
いさどんのその深さが欲として表われ、いさどん自身が疲れている姿を観ると、
私としては、「いさどんという人をもっと有効に活かしたいから、もったいないな」と思う気持ちもあった。
だから、これからいさどんが次のステージへ行くというのを聞き、
これからもっと違う形で活かされていくいさどんを観られる気がして嬉しいな思う。
それがいさどんに対する想いかな。
いさどん:
全くそうなんだよ。僕も知っているんだよ。
僕らがこれから進む道はほとんど決まっている。
そこを辿っているだけだから。
それに一喜一憂することはバカバカしいことなんだ。
しかし、僕の中にもよしどんのような癖があって、
今まではそれをわかっていながらも、進めてきたところもあった。
そして、人に対して、「そういうことはダメだよ」と言ってきた。
でも、そう言いながら、それを取り切れていない自分もいた。
僕は強いエネルギーとコントロールするだけの力があるから、
自分から打ち出して超えていく時期が来たのだと思う。
「今まではそういう自分であった」と認識して卒業していくということだよね。
この機会を境にして、そこに区切りをつける。
さっき、ようこちゃんは「僕を活かす」と言ったけれど、
こちらからもこの与えられた関係を活かさないといけないと思う。
これは、次へ進む大きな旅立ちだよね。
ようこ:
そうだね。旅立ちだね。
今まで、いさどんの欲の部分を感じていたけれど、
それを敢えていさどんに伝えようとは思っていなかった。
というのも、いさどんと他の人には大きな違いがあると思っていて、
心が晴れないいさどんには、皆のためにそういう役割をしているとも思っていたから。
いさどんのその晴れない心を大人会議でシェアすることによって、
皆一人一人の意識が上がったり、「そういう視点もあったのか」と皆の学びになったり。
だから、これは一概にいさどんの癖と言い切れないところがあると思っていた。
これが他の人だと、その当人が自分の癖を観る時だなと思うから、そのことを伝えるのだけれど。
逆に、それだけ皆の意識も上がってきたから、いさどんがこういう気持ちになったとも言えるよね。
いさどんが次のステージへ行けるよう、皆も成長してきたということだと思うと、
いさどんのことと皆のこととダブルで嬉しいよね。
いさどん:
さっき話した、木の花に対する懸念や漠然とした想いを全部出してみた時に、
見通しは立ってきたと思う。
そこを手放せる段階に来たから、この話がある。
ようこ:
そうそう。
だって、いさどんが私みたいな心で創立当初からいたら、
今の木の花は存続していないよね(笑)。
いさどん:
ということは、いつものことながら、事は全て完璧に起きている。
僕が思っていることを情報として皆に伝えることは良いとしても、
それを心配して自分がどうこうしようという心は要らないということだ。
皆に任せていけばいい。
それともう一つ。
セックスについての偏見や誤解を解いていくことが大切だと思っている。
セックスというものを行うことは、精神性を保っていくのに非常に重要なことである。
ただ、精神性を伴うことだし、そのことは非常にデリケートなことだと思う。
人がそれを間違うと、堕落してしまうことにもなる。
先日、「タオコード」という本を読んだ時に、全くその通りだと思ったことが書いてあった。
人間の体には、頭のてっぺんから脊髄を通って尾てい骨まで通る線があり、
そこには1番重要なチャクラがある。
宇宙エネルギーをそこで受け取る。
頭のてっぺんから反対の端に性器があり、
これは宇宙生命のエネルギーを使って生み出す場所。
男性の陽と女性の陰を融合させることによって、生命を誕生させる。
元々一つであったものが分かれることによって、
この世界が創造されてきたのとは逆に、
分かれた二つのものが一つに戻って新たなものを生み出す儀式としての神事がセックスである。
尊い行為である意識のもとに、それが行なわれることが大切だと思う。
そういうふうにセックスを見直していくことが大切だと思っている。
セックスを隠すものとし、それを語り切れないものとしていたけれど、
それももうやめないといけない。
さっきから僕が話している、どうしても心が晴れない部分はそこにもある。
これからは、神聖なものとして表現しないといけない。
本に書いてあったことで共感したのは、
「忌まわしい行為の延長に生まれてきた」と子供たちが思ったら、がっかりするだろう。
そうではなく、「神聖で尊く、この宇宙を創られ維持されていることと同じ大切な行為によって、
自分たちが生を受けている、そのことによって誕生してきたんだ」
ということを伝えることが大切だと思う。
だから、そういったことは美しくバランスの良い心で行なわれないといけない。
それを伝えたい。
その延長に与えられるエクスタシーは、
「あなたの御心のままに」と己が空っぽになることを体現することになる。
ようこ:
そうだね。「エクスタシーとは自分が空っぽであることの表現」って面白いね。
いさどん:
つまり、悟りの境地だよ。
(後編に続きます。)