12月5日、日曜日の朝8時過ぎ、木の花ファミリーの本宅の居間で、いさどんは、一人、朝刊を読んでおりました。近くのテーブルでは、ファミリーの子どもたちが朝ごはんの真っ最中。にぎやかな動的風景の中で、いさどんの周囲はしんと静か。そこに、1歳5ヶ月のまりんがにじり寄って参りました。
ふと、いさどんが近くにいた私に、某朝刊の広告を指しながら、帯津良一医博の推薦文の付く「がんを治す新漢方療法」の宣伝広告についてコメントされました。
「まだ、がんは治すものなのでしょうか。」
「病気にならないように生きる、そういう考えはないのでしょうか。」
私はいさどんの手元を覗き込み、そして、「がんは治るものなら治した方がよいと思うけれど、でも病気にならないような手立てを行う方がベターだな」と思い、「予防ですね」と言いました。
するといさどんは、「さらにその先があるのです。病気になるということは、その人の気づきのためにいただくということではないでしょうか」と呟かれました。
病気になるということは、決して悪いことではない。病気には深いメッセージがある。ファミリーで語られる言葉が、私の心に落ちた一瞬でした。
その後、いさどんが理事をされている養蜂協会の理事仲間の一人が、プロポリスの宣伝にて、最近検挙されたことを話されました。病気を治したい、どんなにお金を払っても治したいと思う人々、そして、そうした人々に法を犯しでも高く売ろうとする人々。新聞やTVのメデイアはそうした現代の姿を刻一刻と報道しています。
「時代はまだそこまでしか来ていないのですね。」
「僕らの生き方にまだまだ追いつかない。」
いさどんの憂国の思いは、確実に今、一人の「現代人」に届きました。その思いをさらに皆様に届けます。新しい医療のあり方を目指して。