今回のブログでは、いさどん改め「聖者イサジ」がメンバーになるためにお試し滞在中のゆたかくんと面談した時の模様をお伝えします。(注:ちなみに、いさどんには1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4いさどん、5古田偉佐美の5つの名前があります。)
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イサジ:
今日は何が聞きたいの?
ゆたかくん:
とりあえず、今世の自分の役割を知りたいです。
イサジ:
今世での役割か。。。それはあなたの自覚です。
ゆたかくん:
自覚ですか?
イサジ:
人は自分の世界というものを自分の思考の中で持つ。そうしたら、自分を喜ばせる思考がどこにあるか。
ゆたかくん:
自分を喜ばせる思考。。。
イサジ:
あなたは毎日何を喜びとしている?
ゆたかくん:
今ですか?
イサジ:
今でもいいし、将来のことでもいい。
ゆたかくん:
今は作業をやっている間に色々と気づくことがあって、それが嬉しいです。
イサジ:
気づきというのは自分が成長するということ。新しいことを知ってそれを積み重ね、自分が広がっていくとか大きくなっていくこと。その結果、何か目的につながる。そうなることを喜ぶということは、その次に望むことがあるから。それは何?
ゆたかくん:
そこまでなっていない人をそこまで上げてあげることです。
イサジ:
それは世のため人のためということ。いつからそんなことを思っているの?
ゆたかくん:
25、26歳の時に仏教を勉強していて、そのくらいからです。
イサジ:
どうして25、26歳の時に仏教を勉強したの?
ゆたかくん:
それ以前にちょっと素行が悪くて、ちょっとひどい目にあって。。。
イサジ:
どんなことをしていたの?
ゆたかくん:
薬物を吸引していました。マリファナと幻覚系の合法ドラックです。
イサジ:
合法ドラックだけれど、今は合法じゃないけどね。
ゆたかくん:
はい。それをやっていて、事故に遭ったのです。
イサジ:
どんな事故?
ゆたかくん:
マンションの2階の手すりを乗り越えて、飛び降りたのです。
イサジ:
それは気分が良くて飛べるつもりだったということ?
ゆたかくん:
混乱していて、よくわかっていませんでした。
イサジ:
それで大怪我をした。
ゆたかくん:
はい。それで入院をしました。
イサジ:
マンションというのは自分の家の?
ゆたかくん:
会社の寮です。
イサジ:
会社の仲間とそういうことをしていたの?
ゆたかくん:
いえ、会社にそういう人はいませんでした。前の職場ではいました。
イサジ:
そのつながりでそういうことをしていた。
ゆたかくん:
はい。
イサジ:
それで?それをやって入院してどう思ったの?
ゆたかくん:
これじゃいけないと思い始めて、そこから指針を見つけようと仏教を勉強し始めました。
イサジ:
仏教といっても幅が広いけれど、どういう仏教ですか?
ゆたかくん:
全般的にです。色々なお坊さんが書いた本を読んでいました。
イサジ:
それで何に気づいたの?
ゆかたくん:
何に気づいたか。。。
イサジ:
仏教の本を読んで、さっき言っていた「自分を高めていきたい、学んでいきたい」という思いが湧いてきたわけだ。
ゆたかくん:
はい。
イサジ:
世の中の人に学んだことを伝えていきたい?
ゆたかくん:
まずは自分が出来るようになってからですが。
イサジ:
それから5年経ったけれど、学んだことはある程度マスター出来た?
ゆたかくん:
マスター。。。いや、全然出来ていないと思います。
イサジ:
今までの5年間は何をやっていたの?
ゆたかくん:
介護ヘルパーなどの仕事をしたり、インドに旅行に行ったりしました。
イサジ:
インドは仏教の勉強の延長に行ったということ?
ゆたかくん:
そうです。
イサジ:
何か気づきはあった?
ゆたかくん:
気づき。。。
イサジ:
インドも今は改革、解放だからね。あそこは精神性の発祥の地ではあるけれど、欲の世界でもある。その両方の誘惑の世界だからね。
ゆたかくん:
そこでもちょっとマリファナをやってしまって。。。
イサジ:
ハッハッハ。弱いね。
ゆたかくん:
でも、そこで精神的に高い人たちに会ったりして、ダライラマにも会ってきました。ダライラマが住んでいるところに行って、そこでティーチングのような講習を受けました。
イサジ:
その結果は?
ゆたかくん:
日本に帰ってからは、自分を逆に見失ってしまったというか。。。
イサジ:
自分を見失うということは、インドでは何かを持っていたわけだ。その前の飛び降りてしまったことから仏教を勉強した時にも、何かを持っていた。でも、日本に戻ってきて日本人を眺めていたらそれに流される自分がいて、その何かを見失ったということではないの?
ゆたかくん:
はい。。。
イサジ:
だから、日本に帰ってきて仕事に就き、今の一般的日本人の価値観の中に流されたということだね。
ゆたかくん:
はい、そうです。
イサジ:
それで、こういうところを探していたというわけだ。ここへ来て何日になる?
ゆたかくん:
1週間くらいです。
イサジ:
そうすると、「そろそろ自分の探していたところに行き着いたな」という感じはしていない?
ゆたかくん:
しています。
イサジ:
そうしたら、さっきの質問はもう既に答えが出ている。
ゆたかくん:
・・・?
ようこ:
今世の役割という質問。
ゆたかくん:
ここに来て、「一段落ついたな」というふうには思っています。
イサジ:
さあ、これからだ。これからどうするか?今編集していた原稿にこんなことが書いてあったぞ。「この世界は想いで出来ています。自分の中に今日はお酒が飲みたいとかパチンコをやりたいという思いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起こるのです。」「自分の中から湧き出てくる無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくるのです。そして、その結果次のステージはどうしようかと考えていて、そのどうしようかの想いの中から次の世界が実現していく。」
つまり、自分の考え、自分の中から想いが湧き出てくるということは、自分の中に想いの種があるから湧き出てくるわけだ。だから、自分の意識レベルに合わせた未来が訪れてくるわけだ。
ゆたかくん:
はい。
イサジ:
それが想念の連続となり、未来を創っていくわけです。そうすると、損得勘定をして辻褄合わせをしながら生きる姿は、今時の人々が生きている姿そのものです。それもお金が欲しいとか、欲しいから他人の物を盗むとか、そういうことも現実に創り出すけれど、しかしもっと大きなスタンスで捉えていくと、もっと古い過去、今世のものではなくて前世の時代というのは記憶から離れている。それが私たちの中で記憶の書棚、図書館のようなものになっていて、ふっと想いとして湧き出てくる。それが過去の軌跡の中で培ったもの。今湧き出てくるものは過去の延長にあるものであって、そういった過去から現在までのものが積み重なって今の魂が取る思考となり、人間性が出来ているわけだ。
例えばマリファナを吸うことも、飛び降りることも、その結果仏教に出会うことも、それからインドに行くことも、そして日本に戻ってきて普通の世界に入ってそこで矛盾を感じることも、今、新鮮に経験しているようで、実は過去のあなたの積み重ねが今の思考を生んでいるのであって、その思考がもとになって現在から未来を創っていくわけだ。
そうすると、「理由はないけれど何かがしたい」とか、「なぜだかわからないけれどあの国に惹かれる」というのは、いきなり今湧き出てきた想いではなく、ずっと積み重ねてきたその人の物語の中にあるもの。そして、その積み重ねの延長に今回生まれてきたというわけだ。
ゆたかくん:
はい。
イサジ:
そして、その話を今こうしてしているということは、つまり未来は決まっているということだ。わかる?
ゆたかくん:
いや、ちょっとわかりません。。。
イサジ:
過去があって、過去の積み重ねに今がある。今は今の上で今を生きているようだが、そのベースは過去の積み重ねによってここまで来ている。だから、今の思考はこれまでの過去の積み重ねでここにある。ということは、過去にも現在があって今にも現在がある。現在の連続が過去になっているということ。現在の連続が過去になっているということは、現在の連続が未来を創っていくということだから、今自分の中から湧き出てくることは過去の積み重ねの結果、今湧き出てくるのだし、今湧き出てくることはこれが積み重なって未来を創っていくわけだ。
自分がこれからどう生きるのかは、マリファナを吸いたくて仕方がない心があれば、未来にマリファナを吸っている自分がいて警察に捕まるという未来を創っていくわけだ。今、「人のためになりたい」と言っているということは、そういう過去の積み重ねがその心になっていて、これはそのまま想っていけば未来にそういう人になれるということになる。
「世の中のためになりたいという大事に気づいてそれを人に伝えるということが、僕の役割なのでしょうか?」と思ったことを誰かに「そうです」と言ってもらって、それで進んでいくのが本当に自分の目覚めなのだろうか。僕はその問いに私心をはさまない。あなたの人生にはあなたの私心をはさめばいい。
そうすると、今のようにあなたの思考を分析して、それはどのような思考の仕組みかを情報としてあなたに伝えると、あなたが自分で判断出来る。そうすると、人生というのは誰と契約して、どういう目的のもとに生きて、そして未来はどうすると観えるのかということがわかってくる。ここで注意しなければならないことは、私心がある人に相談するとそちらの目的プラスこちらの目的が合わさって、「あなたはこうあるべきだ」と言われ、あなたの心が濁ることにもなる。
ゆたかくん:
そうですね。
イサジ:
それはあくまでも、そちらの人生はそちらにあって、こちらの人生はこちらにあるわけだ。しかし、それでは冷たい、寂しいということにもなる。では、ここに集っている人たちが何をしているのかというと、独立して自分を観て、他者とつながり、そこからもう一つ大きな自分を観た時に、人は一つの枠の中で共通した他者との自分を持つことが出来るのだ。例えば私たちの体で髪の毛と皮膚が共通した自分を表現出来るのと同じように、我々も別々だけれど共通したものを表現出来ると気づいた時に、こういった世界が展開出来る。これは何を表わしているのかというと、宇宙の実相。自然界の実相。
その中に我々がいることに気づけば、この生き方はこの世界を表現しているすべての人々にそれを伝えることが出来る。人々に伝える方法として、過去には宗教などの教祖的な伝え方があったけれど、それはもう古い。なぜ古いのかというと、人々は独立した貴いものだからである。優れたものがいて一方的に伝えることは、教祖と信者という関係が出来て、いつまでも信者は信者で在り続け教祖が必要になってしまう。すべてが貴い。平等の貴さがそこでは現れてこないことになる。そういう時代は終わり、すべての人々が独立して自分の意志を持ち、平等の中で世界は出来ている。それがこれからの時代の在り方ではないか。
今、あなたが問いかけた「僕の今世の役割を知りたい」ということについて、私はその答えは出さないけれど情報だけは提供した。答えはあなたが持っているのだから、自分で出せばいい。そして、答えを出した人が今ここに集っている。それがあなたの問いに対する答えだ。
一人一人がしっかりと自立して光って生きている。教祖と信者というランクが出来たら、本当に平等に光っていることにはならない。この世界を自らが担っているということに気づいた時に、人は本当に生き生きしてくる。そうだと思ってやろうとした時に、どこで行動しても真実は観えてくる。宇宙の中の どこにいてもみな平等なのだから。例えば木の花で与えられている役割でもいいし、外で与えられている役割でも同じこと。ここだけが特別な世界なのではなく、すべて平等な世界だから。それを知っていくために、我々は敢えてこういうライフスタイルを取っている。そのスタイルがもっと展開されていけば木の花はなくてもいいかもしれない。しかし、これがある意味在り続けることも大事かもしれない。その答えは我々が持っているのではなくて、この世界を動かしているものの意志の表われであるということ。
ゆたかくん:
よくわかりません。
イサジ:
何が?
ゆたかくん:
わからないものからの意志?
イサジ:
そういうことか。わからないものはわかるんだよ。わからないというのは、わからないところから見たらわからないのであって、わかるところから見たらわかるんだよ。この世界にあるものの目的は何なのか。ただ、木があって土があって、植物と土の関係、空気、風、太陽の光、色々なものがある。そこにあるものがあることはわかりますか?ではこれは、ただただ無秩序にあるのかということです。そこには秩序があるのです。しかし、秩序は木を見ただけでは見えない。その秩序は見えるものから見ていってそれをつなげていくと、見えないものが見えてくる。それがあちら側の意志の現れ。それを観ようとするとそこに感じられる。そこに木があって雨が降っていたら木が濡れる。雲っていたら太陽が照らない。雲が去れば太陽の光が射してくる。すべては完全なる秩序の中にある。その秩序というのは意志がないと保てない。それがあちらの意志。我々はその秩序を学びながら、すでにその秩序の中に組み込まれている。我々はその秩序の中にいる。我々が個々に目的を持って生きているということは、結局そこにある木や土、雨や水、太陽の光の秩序と同じものであるということ。
難しい話だけれど、あなたが仏教の話を出すからこういう話になるのです。もし子どもにもっとわかりやすく言うとしたら、「生きていることは自分の力で生きているの?」と聞く。「今日、ご飯を食べたでしょ?今、呼吸をしているでしょ?水を飲んだでしょ?心臓が動いているでしょ?そういうふうに生かされているんだよ」と伝える。そういった原則、生かされているという原理の上に我々は表面的な意識を持っていて、自分が生きていると思っている人はそういう意識でいるわけです。しかし、その深いところまで気づいていったら自分の思考というものは薄くて、その前に大前提の原理、原則があって初めて現象が成立しているということに気づく。そうすると、その薄い思考で捉えているという意識は消え去ってしまい、生かされているという意識になる。
あなたが本当のことを人々に伝えたいと思ったとする。それはニセモノがこの世界にあると思うから、本当を伝えたいということを思う。何かを「本当ではない」と思うから、本当を伝えたいと思うのである。そうすると、今は人々が本当を知らない世界ということになる。自分も知らない。人々も知らない。そこで、自分は本当を知って本当を人々に伝えたい。では、その本当は何かといったら、思考のベースに観えてくる原理。その原理から生み出される現象が現れる。そして、その現象の奥にある知恵が現れる。宇宙の知恵、真理。その真理のもとに人がある。それが歓びであり、その歓びのもとに原理、原則が示すこの世界の目的がある。それは「浄土」とも言うし、「地上天国」とも言う。色々な言い方になる。
ここにあるメンバーのこまねちからもらった手紙にこんなことが書いてある。「正しい食べ物を正しい食べ方でみなと食べ、自分に正直に暮らしていく。こうした身魂磨きを続けていくことこそが、あちら側の意志に基づくことにつながると信じているのだがどうだろう。最後に一句。神様の 教え守りて 粛々と 歩み続ける 我こそ 神なり。」つまり、粛々と歩み続けることが目的なのだと。
ゆたかくん:
粛々と歩み続ける。。。
イサジ:
ただただ学び続けて、磨き続けること。それがこの世界に生み出された目的であって、形が現れるとさらに次の形が現れ、それは変化し続けるものだ。だから、求め続けること。
ゆたかくん:
求め続けること。。。
イサジ:
そこに歓びがあって、それが求める原動力、エネルギーになる。それが続いていく限り、我々はいつも新鮮な気持ちになっていく。それが生命。いのちの表現ということ。だから、どこかに終着地点を設けてはいけない。
それで、「僕のやるべきことは何でしょうか?」という最初の質問に戻る。あなたのやるべきこととは?
ゆたかくん:
何だろう。。。
イサジ:
いきなり答えを出そうとするのではなく、心の扉を開けた時に今目の前にあること、一番身近に想うことにまずは取り組んでいけばいい。テストをもらって満点を取りたいと考えるよりも、最初の一問目を見てそれを解くことをするべきなのだ。人はテストをもらったら、先に満点を取りたいという心が働く。満点を取りたいと思う前に、1問目から取り組んでいけばいい。
ゆたかくん:
目の前にあることからやっていけばいいだけか。。。
イサジ:
そうすれば、間違っていれば間違いがもらえるから、またやりなおせばいい。合っていればそれを糧にして次に進めばいい。
ゆかたくん:
それが心磨きですか?
イサジ:
心を磨くのも、「磨こう!」と思って磨いたら、正解を先に求めることになる。しかし、それで正解かどうかはわからない。それは磨いた結果、答えをもらうだけのこと。ということは、どうしたらいい?
ゆたかくん:
これからもよろしくお願いします!
イサジ:
ハッハッハ。これで今日の話は終わりだ。良い時間だった。
ようこ:
「聖者イサジに弟子の僧が教えをいただきに来た」という感じだったね。
ゆたかくん:
今日のような光景は、昔、映画で観たことがあるような気がします。
イサジ:
本来は、こうでなくてはいけない。つまり、師がいてすべてを伝える。それを忠実に守る弟子。それは師弟の関係をつくるだけ。たしかに、語りかけることは必要だけれど、自らの中から知恵を引き出し自らで悟っていくことが大切だ。そうでないと、人は成長しない。
ゆかたくん:
その通りです。
イサジ:
仏教の下地があってよかったね。
ゆたかくん:
ハッハッハ。たしかに。
ようこ:
インドに行ったことも、今日の学びの肥やしになっている感じだね。
ゆたかくん:
今日は本当にどうもありがとうございました。
いやーー とても深いお話ですねーー
いさどん、木の花の皆は、見本を示そうとしてくれてる。。
気づいたこと、、、
宇宙の愛にひったって、どれだけ、自分が愛に漬かったかを、表わせるかということ、、
毎日の現象から自分の浸かり具合が、分かるのですね、、、
ただただ、生かされていることに感謝、
そして、これを周りにお返しするのみ、、
、
こういうことを、毎日シェアしてくれる、皆さんや、大宇宙に心から感謝します。。
ありがとうございます。
たけちゃん
わたわたです。
一昨日「ただただ学んでいくこと」と言葉が浮かんできたところでした。
学ぶというのは、変わるということ、それは現わす役割をいただいていくことだと思います。
日々の生活、どんな時でも、学ぼう・学びたいという心を基準にして、今、自分は学ぶに相応しい想念で言動しているかを自己チェックをしていきたいなと思いました。
いつもありがとうございます。
たけちゃん、わたわたへ
いつもコメントをどうもありがとう。
このブログが成り立っているのも、
こうして読んでくれて、反応をくれるみんながいるからこそ。
さあ、次回はミナカヌシノミコトが出てくるでしょうか?!
乞うご期待!
ようこさん、いさどん、
おもしろいです。
宇宙図書館。
ゆたかさんとの対話。
ありがとうございます。
感謝して。
熊本より
義信さんへ
いさどんブログへのコメントをありがとうございます。
大人会議の中の「宇宙図書館」コーナーは、
その場に居合わせた人だけが感じられるもの
(言葉にするのは難しいですね)が醍醐味です。
義信さんもぜひ、木の花に遊びにいらしてくださいね。
みんなでお待ちしています!
実践方法の模索ひきつづき。。。
■あるべくしてあるもの
■みえないもの
→手出しできない。受け入れる。
■わからないもの
→放念する。
わかるときが来るまで放っておく。
■個人差 個体差
わかる者にわかるもの
わからない者にわからないもの
わかろうとしない者が拒絶するもの
→切磋琢磨。学び。実践。経験。
伝え方の工夫
本人の実体験と気づき
事例を見せること
■物質的世界からのアプローチ
原理はあるだろうが、解明できないもの、議論しようのない不思議がある。
不思議は 不思議のままにする。
放念する。
人の叡智 思惑や議論が及ぶ範囲では
問題の存在は認識できる。
手の届く範囲は改善できる。
一問一問
少しずつ解いていく。
解けた対処方法は、実行に移す。
どうしてラジオが鳴るのか。
どうして携帯電話が使えるのか
どうして野菜が育つのか
「そうなる」
「そのような特性がある」とだけ説明できる。
原理・真理を知らなくても、真理の果実を人々は使いこなす。
必要な人の前に置けば。
手の届くところに与えれば。
使い方を伝えれば。