いさどんと話していると、日常の何気ない会話が宇宙にまでつながっていくこともしばしば!
以下は、先日東京で開催された『確固たる居場所』上映会に向かう車中での、ファミリーメンバーのみちよとともこ、木の花に長期滞在中のじゅんこちゃん、そしていさどんの会話です。前後2回に分けてご紹介します。
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いさどん:昨日テレビで、定年退職を迎える父親に娘がお祝いのサプライズを贈る、という番組をやってたんだよ。そのサプライズの内容はというと、退職の日に、父親の勤める信用金庫で家族や職員たちが次々と踊り始めるんだよ。
みちよ:楽しそう!
いさどん:そーお?全然楽しくないよ。そんなのただのテレビのやらせで、それを「楽しそう!」と思うのは情報ミーハーの人の発想。僕は冷めながら見てたよ。
番組としては、その一家をほほえましい家族として描いてる。でも僕には、その家族が多くの問題を抱えているのが観える。それをあなたたちは、「楽しそう!」と表現してしまうんだね。
(ここで、隣の車線が渋滞しているのを見ながら、じゅんこちゃんが不安げに言いました。)
じゅんこ:これ、どのくらい続くんだろう?
いさどん:それは行ってみればわかることだよ。行ってみなければわからないことを心配して、今そんなふうに不安がっても仕方ないでしょ。
じゅんこ:そうね。私の不安症なところが出てるね。
いさどん:何気なく発する言葉が人間性を表しているんだよ。誰かが一言いうと、僕はその背景にどんな心があるかをピピッと感じるんだよ。
(しばらく走るとインターチェンジがあり、そこで隣車線の渋滞は終わっていました。)
いさどん:ほら、ここで終わってました。だから、行く前から心配する必要なんてないんだよ。行ってみればわかることなんだから。
じゅんこ:そうだね!先案じしたのは無駄だった。
いさどん:常に合理的な発想をしなきゃだめだよ。合理的というのは、事実に基づいて思考を進めるということ。そうすると無駄なエネルギーを使わなくなるし、自分の心を振り返る時にも確実な振り返りができる。自然とか、宇宙は常に合理的なんだよ。
じゅんこ:いさどんは、いつごろからそういう視点を持つようになったの?
いさどん:物事の奥を観るということ?わからないなあ。
最初は観えなかった。それが、何かを見る時には常に真剣に観ていくうちに、そのたびにそこから得られた情報が蓄積されていって、だんだん精度が高くなっていったんだよ。
だけど、ある意味不幸だよね。もっと浅く観ていけば楽でいいのに、どうにもそれを極めたくて仕方がない心があって、常に思考が回っているんだよ。それはけっこう疲れるね。
ともこ:どんなふうに回っているのか見てみたいよ。
いさどん:ここ(頭)だけじゃなくて、ここ(心)も回っているんだよ。頭で回しているものと、心で感じるものと、さらに天から降りてくるものもある。頭での思考と、感覚的・心情的に感じるものが別回路であって、それが同時に回転してるんだよ。
ともこ:自分の中から湧いてくる考えと、天から降りてくるものは別の感覚なの?
いさどん:うーん、それも回路があってね。天から降りてくるものは気付きとして生まれてくるんだけど、ここらへん(頭)から来るんだよね。自分の中から湧き出すものというのは、ここ(心)からくるんだよ。
そうやって考えると・・・・これはしっかり検証してから話した方がいいね。いい加減なことを言うことになってしまうから。
ともこ:いさどんはいい加減なことは話さないんだね。
いさどん:そう。いい加減になると、そこでストップする。
ともこ:さっきのテレビの話だけど、私も、そんなに面白そうと思ってなくても「わあ、おもしろそう」とか適当に言っちゃうことがある。言葉をあんまり考えてない。
いさどん:それは言葉をいい加減に使ってる。言葉というのは、言霊なんだよ。発した言葉が未来を創っていくのだから、いい加減に発していたらいい加減な出来事に出会う。
それは人の話を聞く時も同じで、いい加減に聞いちゃいけない。ただ聞いていればいいことと、相手の言葉をきちんと吟味しながら聞かないといけないことがあるんだよ。
ともこ:いさどんはいろいろな人から相談を受けるけど、そういう時にも頭と心の両方を回しながら、どう対応するのが相手にとって一番良いかを判断してるんだね。
いさどん:心は、アンテナみたいなのを張っていて、相手の心のくもりとか濁りをキャッチするんだよ。「これは濁ってるぞ」とキャッチしたら、それをベースにしながら相手の言葉を聞いて解析する。頭と心の回路が違うから、それを同時に回していく。
ともこ:じゃあ思考はどういうふうに回ってるの?
いさどん:思考は、相手が発する言葉の背景にある心がどんな状態なのかをチェックしてる。言葉は情報源になるからね。その言葉の奥にある心がどういうものなのか探りを入れつつ、同時に心がアンテナを張っていて、駆け引きや濁りがないかをチェックする。火星探査ロボットがいろんな機能を使って火星を探査しているように、いろんなセンサーが同時に働いてるんだよ。
ともこ:いさどんを見ていると、誰に何を伝えている時でもやさしいな、と思う。例えば昨日の大人ミーティングでも、(メンバーの)りょうちんの心の歪みを周りが問いただしていた時に、そのままではりょうちんが萎縮してしまうからと助け舟を出したよね。
いさどん:それはやさしいというよりも、厳しい言葉を正しく調整しているだけなんだよ。だって、りょうちんをつぶしたって仕方ないじゃない。
僕は、常に誰のことでも「活かす」ってことを考えてるんだよ。場合によっては一度つぶしてやらないといけないこともあるからその時にはガツンと言うけど、逆に、ガツンとやったままにしておいたら今度は使いものにならないでしょ?だから、引き上げる。それはやさしいというよりも、使えるようにするってことをしているだけなんだよ。リサイクル屋みたいなものだね。
ともこ:何をやっている時も、「使えるようにする」ってことが前提になってるんだね。それをはたから見ると、「やさしいな」って見える。
いさどん:普通は、相手の間違いを見つけると腹を立ててつぶしていくからね。僕はやさしいんじゃなくて、それではもったいないと思うんだよ。
みちよ:それは創造する側の視点じゃないと、そういうふうには思わないよね。
いさどん:そう、宇宙や自然にはゴミがない。なんでも活かして、無駄がないでしょ。それをやろうとしているだけなんだよ。それを「やさしい」と言うのは、やさしいとか厳しいとかいう概念でものを考えている人たちの見方で、僕は特別やさしいとは思わない。
ともこ:相手を活かすということがベースになった時に初めて、ただ厳しいだけじゃない、本当に豊かで魅力的な場を創ることができるんだね。
いさどん:そりゃあそうだよ。アイスブレイクがいるんだよ。
ともこ:それが私たちにはなかなか足りないんだと思うの。頭はそれなりにみんな働く。だけど、活かしていくってことが足りない。
いさどん:なんでだろうね、それは。
ともこ:そこをいつもいさどんに調整してもらってるなあって思う。
例えば、子どもを事故で亡くしたとか、すごくつらい体験をした人がいるとするでしょ。そういう人に対して多くの人は同情するけど、いさどんはどういう気持ちで接するの?
いさどん:それは、気の毒に思う気持ちはあるけれど、では世の中に同じようなことがないかと言うと、あるよね。だから、そういうことはこの世界にあり得ることとして、自分がそれに出会ったことをどのように捉えていくか、という話をするよ。だって悔やんでも取り返しはつかないわけだから。
僕は、同情してその気持ちを理解はするけれども、じゃあそれをこれからどう活かしていくかというように、活かすことを考えていくよ。活かすことを伝えてあげると、相手も楽になるからね。
ともこ:その活かすことを伝える時にも、まずは一度相手の気持ちを理解するんだね。
いさどん:もちろん。理解して、同情するよ。とはいえ、相手も同情だけ受けて同じ場所で苦しみ続けていても始まらないから、それをどのように活かしていくかってことが大切なんだよ。事実は変えられないんだから。
ともこ:そういうことを伝える時に、相手の心を感じないで言葉の上だけで伝えると、相手が余計に落ち込んだり、言われたことを受け取れなかったりする気がするんだけど。
いさどん:そこで大事なのは、冷静な伝え方なんだよ。相手にむやみに同情しないってことさ。同情すればするほど、相手も、そうでしょ、そうでしょ、と感傷にひたって落ち込むんだよ。だから淡々と、その人の悲しみがどういうものなのかを伝えていく、ということじゃないかな。
ともこ:その時に私がいさどんに感じるのは、やっぱり何か、相手を一度理解して受け入れている感じがまずベースにあるってこと。その安心感があるから、相手もそこから先へ進む話を素直に受け入れることができるんじゃないかって思うんだ。
いさどん:どんなことでも、事実としてあったことなんだから、それは理解できることなんだよ。気の毒なのも当たり前だから、それは理解する。でもその不幸のどん底にいる人に対して、違う視点から見てみてください、そうするとその出来ごとが違って見えてくることもありますよ、ということを伝えていくんだよ。こういう視点を持つとこう見えますよ、と伝えて、それが受け入れられなければまた別の視点を伝えてみる。そこでは、理解をしても同情はしないってことだよ。
ともこ:その「理解」ができるかどうかは、その人のキャパによるのかな?子どもを亡くしたという話は別として、私の場合、人に対して「どうしてわからないんだろう」って、相手を理解せずに怒ったりする。
いさどん:僕も、例えばここのメンバーがエゴによって道を踏み外した時に、なぜそんなことをするのかという気持ちになることはあるよ。昔の僕だったらそういう人とはそれ以上付き合わなければよかったんだけど、こういう道を歩んでいる今は、もうそんなことはできないんだよ。だって、大切な人たちばかりだから。それを排除しては、この道は歩めないわけだから。
僕はそこで、ああ、これは天から与えられたんだな、と思うんだよ。するとそれはもう、僕個人の問題ではなくなる。そして共に歩んでいった先に、なぜそれが与えられたかを理解できる時が来る。もしも僕がこの道を歩んでいなかったら、それは絶対にあり得なかったこと。その落差がおもしろいと思うんだよ。相手を拒絶するのではなく、「おもしろいなあ、神様は粋なことをやるなあ」というふうに捉えるわけだよ。
昔、僕が天からの啓示をいただくようになった時には、なかなかそれを受け取れない自分がいて葛藤していたんだよ。それを受け取ることは今現在の自分自身を否定することになってしまうから、その捨てられない自分が反抗してた。だけど統計を取っていくと、自分が何か主張したところで、所詮は天の道理の方が優っているに決まってるんだよ。それはもう、データとしてわかっていること。僕は常に道理の通った方を選ぶ人だったから、自分と天を比べることよりも、自分を主張することをやめる方を選んだ。自分のことを自分ごとにすると辛くなるけど、そこでは自分のことを人ごとにするんだ。その時に、それを「おもしろい」と思えるようになるんだよ。
結局、神様はこの世界で我々にゲームを仕掛けてるんだよ。そうするとね、ゲームに負けちゃならん、と思うわけだ。ゲームに負けないってことは、受け取るってことなんだよ。そうすると引き分けになる。神様とのゲームに、勝ちはないからね。ゲームに負けるってことは、その出来ごとにウッとして心が乱れるってことさ。僕は、絶対に負けたくないんだよ(笑)。
ともこ:それは、冷静さを装うこととは違うんだね?
いさどん:違うね。本当にそれを無条件で受け取れる人になる、ということだよ。
神様は意地悪をしているみたいだけど、実は意地悪じゃないんだよ。人に愚かさを表現させ、それを克服した時に、今度はその人が喜びを表現する。その時に、神様もその喜びを自らの食べ物として、この世界を動かすエネルギーに変えているんだよ。
今日はこれから上映会に行くけれど、その価値のわかる人たちの中でこういう座談会をやりたいなあ。
有難いお話です。
言葉の目的はなにか。生かすこと。
寛容であること。
仕事は辞められる。
日本国籍は辞められる。
地球人は辞められない。
(金星に転籍する能力無し)
●的へ攻撃する動機=発言者の心の写し鏡
動機はどこか
動機はどこか
動機は小我か大我か。
自尊心:「こっちが正しいの」
依存心:「言うとおりにして」「変わるべきはあなた」
自己憐憫・自己都合:「手間がかかるの」「大変なのよ」「早くして」
責任転嫁「あなたのせい」「イライラさせられる
「あなたのために言っているのよ( ; ; )」→自分のためだろ、て発言がままあります。反省。