週刊文春への掲載を受けて ~ある弁護士さんといさどんとの対談~

昨年から親しくしていただいている弁護士さんが2ヶ月ぶりに木の花ファミリーを訪れ、いさどんと話す場がもたれました。話題の中心は先日発売された週刊文春に木の花ファミリーが掲載されたということで、弁護士さんが色々な質問をいさどんに投げかけました。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

A弁護士:
少し痩せられましたか?

いさどん:
昨日から断食をしていますが、体重は減っていないですね(笑)。僕のイメージからするとだいぶ体重がオーバーしているので、できれば7~9kgは減量したいと思っています。

A弁護士:
何日間の断食なのですか?

いさどん:
以前ケアを卒業して、心の問題に取り組むために長期滞在している女性がいまして、今、心は安定してきているのですが、「断食をやってみたい」と言うので、「僕も一緒に付き合ってあげるよ」と伝えると、「それは心強いです!」と言うものですから。

ようこ:
ですから、その人次第で、どれくらい断食をするかが決まります。

いさどん:
一昨年、デンマークから文化人類学者が3ヶ月ここに滞在していたときに、「断食に挑戦してみたい」と言ってきたので、そのときも「付き合ってあげるよ」と言い、彼女は1週間やって、僕はついでに10日間やりましたね。

A弁護士:
そのときは痩せられましたか?

いさどん:
そうですね、最初の3~4日間で1kgずつ減って、その後はほとんど変わらなかったです。痩せるのが目的ではなかったのですが、減量は断食の途中で止まりますね。つまり、人間は食べ物で生きているのではないということがわかるのです。だいたい、5日以上過ぎると、ほとんど体重が減らなくなります。

A弁護士:
先日、知人の弁護士に会ったのですが、彼は9年間食べてないそうです。不食の人ということで有名らしいのですが、彼はプラーナを吸っていると言っていまして、それこそ結界やアワ歌で良いプラーナを与えましょう、と考えたのですが、プラーナをいただいているわけではなく、自分が愛を出していて、愛が循環している、と言っていました。彼は良いエネルギーを出していますよ。

いさどん:
青汁だけで生活している女性がいると聞いたことがあります。

A弁護士:
ですから、色々なエネルギーの人が沢山出てきているのですよ。

いさどん:
その色々なエネルギーの中のひとつが、今回の話かと思っています(みんな、笑)。

A弁護士:
(週刊文春を指しながら)いよいよ、いよいよ、ということですね(笑)。

いさどん:
この人たちはここを汚らしいところにしたいのでしょうが、僕は人の心を綺麗にするためにやってきたのです。

A弁護士:
この週刊誌自体がそういったエネルギーを持っていますよね。要は、体制を崩すことを許さない人たちですよ。今の支配者階級の宣伝部隊になっているわけですから、小沢一郎バッシングも週刊文春から始まっているわけです。やはり今の支配者にとって、気に食わない者はどんどん叩いていこうという感じですよ。

いさどん:
そういうことでしょうし、表面的な綺麗事の延長にこの掲載があると思います。今、木の花のことを率先して批判している人たちは、アカデミックに優れている人たちがスマートな世界を描いて、そうでないものは糾弾しようとするところもあるのでしょう。たとえば、原発に対して物申す、というところもあるじゃないですか。
そしてこの雑誌を見ていると、性の話でも汚れた描写が一緒に出ていますよね。そういったことを喜んで読む人たちが支持しているのですから、色々なことが入り混じってしまっているように感じます。

ただ、ここのところに来て、うちのネタは出るものは出たわけですから、これ以上のネタがないとしたら、次に何が出るかということですよね。

A弁護士:
感覚として、こういう意味では出ないと思います。ただ、木の花のホームページを見て、いさどんブログやみなさんのメッセージを読ませてもらい、その感想を言わせてもらうと、ある意味ではこういったことを全く知らない人から見ると、開き直りのような印象を受けるわけです。「わかる人はわかる」と。
この記事が出る前にある人と話をしていた際、その人はNPOで色々なことを一生懸命やっている人なのですが、木の花の話をすると、「ああ、あそこね」というイメージを持っているわけです。つまり、この記事の前からそういった人たちの情報を受けているわけですよ。そういったことも一部にはあるわけです。私は、「そういうところではないから、行けばわかりますよ」と伝えるのですが、そのようなイメージはある程度定着していると言えなくもないのです。
その中で、みなさんの「私たちはぶれていません」というメッセージや、いさどんの話というのは、知らない人からすると、ここは隔絶したグループという印象を抱いてしまうわけです。それはそれでひとついいのかもしれませんが、ここがひとつの先駆者、すなわち先を走るひとつのグループであって、そのグループにつなげる細い道を何もわからない人にも与えられるような感じがいいのでは、と私は思うのです。
今の感じだと、「木の花は何があっても動じません。私たちは皆と違った、きっちりとしたグループとしてできあがっていますよ。ですから、ここに来てそれを感じてください」というメッセージはあるけれども、普通の人からすると「ああ、そうなの」と逆に引いてしまうような印象があると思うのです。
今日、みちよちゃんが駅に迎えにきてくれて、ここに来るまでの車中で色々と話したのですが、彼女は彼女でできあがっているわけですが、友達に謙虚さが足りないと言われたそうです。第三者から見ると、色々なやりとりからそういったイメージなのです。

木の花のホームページだけでは、詳しいやりとりはある意味わかりませんよね。その中で性と暴力の問題がいわゆる社会の常識とずれていることはずれているわけです。ただそれは、表面的なものではなく、もっと深いエネルギーからすれば、本当のエネルギーがわかれば非難するものではない、ということだろうと思うのです。
そういう受け止め方を私はしているのですが、それは価値観が全く違うので、そのギャップを説明するのは難しいとは思いますが、そこをどうつなげるかだと思うのです。要は、世間は表面的な価値観で物事を見ているわけですよね。しかし、こちらではそういった価値観ではなく、もっと深いところのエネルギーをどのようにするかを真剣に考えてやっているわけですから、そこにギャップがあるのです。
そのつなぎということで、いさどんブログですでに話されているのかもしれませんが、「私たちは二歩先を進んでいます」というメッセージだと、一歩と二歩はどう違うのかとか、そのあたりのつながりが木の花を知らない人から見るとわからないと思うのです。そういう人はもういいよ、と言うのか、木の花がある意味ではリーダーとして、エコビレッジという名前はともかく、こういった自給自足のグループがあちこちにできていくときの先駆者となるのか。
私は、社会の支配から抜け出た本当に自由な生活をできる人たちが少しでも増えれば、一番いいと思うのです。みなさんはその先駆者だろう、とは思うのですが、要はこの「ビッグダディ」になってしまっている問題があると感じています。メンバーのみなさんのインタビューの中でも、「みんなはいさどんが好きだよ」という話になっているわけですよ。いさどんが叩かれているから、逆にいさどん擁護のようなところもひとつあるのですが、最終的には、いさどんが中心ではあるけれども、ひとりひとりが天とつながることが目標なわけですよね。

いさどん:
最終目標というか、今現在なってきていますよ。

A弁護士:
そうですよね、ただ、ひとりひとりのインタビューの中で、いさどん擁護というより、ひとりひとりがもっと自分を表現していったらいいと思いましたが、どうでしょうか?

いさどん:
それは今までずっとここでも語られてきたことで、そこが十分になっていなかったことの結果が今回のことを生んでいるということでもあるのです。それは僕のジレンマでもあったわけです。ですから、僕が望んでいないことが起きているわけです。

A弁護士:
ハッハッハ。

いさどん:
それは外の人の話ではなく、内部の事情として、望んでいないことが起きているわけです。僕を目立たないようにすることに取り組んできたことの延長に、このような段階に来たわけですが、今回のことを通じて今そこへ行こうとしているという感覚はあります。

ようこ:
ようやく(笑)!

いさどん:
ようやく(笑)!

A弁護士:
ようやく(笑)、ひとりひとりの意識が上がってきたということですね。

いさどん:
「これはもう、すずめの子のように餌を食べさせてもらうのを待っているだけではダメだ!自分たちで動かないといけない」とみんなが気付いたということです。
実は、週刊誌の記者は3時間40分、ここで話していたのですが、そのときの僕自身に対する評価は高かったですね。それから、ここがやっていることに対して、「個人的には勉強に来たいです」という話もあったのです。それに、「ここの雰囲気がとても良いですね」という話も出ていました。ただ、編集会議になると、そういうものは一切カットしないと売れないものですからね。
僕がそこで感じたのは、週刊誌の記者も別のものを持っているということです。そうすると、そういうものをつくっている週刊文春という体質も、そこではその両方を持っているということですよ。

A弁護士:
それなら、記者がそう言っていたということを、逆にホームページに出したらいいんじゃないですか?

いさどん:
それはそうですが、木の花のホームページといっても、最近チェックする人が増えたとはいえ、せいぜい一日400〜500件ですよ。

A弁護士:
でも、やはり関心のある人は見ますよ。木の花の情報となると、やはりそこから入っていくわけですから。
昨日、北海道でスピリチュアルリーダーをしているある女性と小田原で自然農をやっている男の子と会ったのですが、木の花の話になると、「私の友達の友達が以前あそこにいたので、今度行ってみようと思っています」という話になりました。やはり自然農をやっているグループだと、ここを出た人たちの友達になることもあるのです。そのときに「木の花のホームページを見たら?」という話もできるわけですから、いさどんとしてのメッセージを出した方がストレートに伝わるのではないかと思うのです。
それで、今言われたように、「ひとりひとりが天とつながることが自分の最終目標なのです。今、良いチャンスを与えられて、木の花のメンバーひとりひとりが直接天とつながることができるように、自立の兆しが観えています」というようなメッセージを出すことは、かなり効果的だと思うのですが。

いさどん:
それについては、今までの僕のブログにだいたい網羅されているはずです。

ようこ:
そうですね。

いさどん:
最近のものはこういったことを受けての話になっていますが、以前からずっと膨大な量の話を出していまして、そこをそのまま素直に受け取ってもらえれば、今のような表現はすでにしてあるのです。

A弁護士:
おそらく、その膨大な量を多くの人は見ないですね。

ようこ:
人は、最新のものから見ていきますからね。2009年のいさどんブログが設立されたところから読む人は、よっぽどマニアックな人ですよ(笑)。

いさどん:
全部で2000ページはありますからね(笑)。

A弁護士:
そうすれば誤解はないわけですが(笑)、そうじゃない人が大半なわけですから。

いさどん:
そこで思うところは、これは木の花のみんなにも伝えてあることですし、みんなもそのことはよく理解していると思うのですが、この世界にどんな形で反映されるかは、この世界の人たちの観る価値観によって決まるのです。
たとえば、ある出来事が起きたときに、それが暴力でも性でもいいですが、それを解釈するときには、これだけの膨大な情報を出されたのですから、結局その人の意識レベルで見えるものしか、見えません。
ですから、全体を観ることができたら、これだけの狭い情報に特化した評価とは違うものになるのですが、人はとかく自分の価値観でしか見ないのです。

昨日みちよちゃんが、「やっと私もいさどんのことがわかった」と言うから、「あなた、遅いね~」と伝えたのですが(みんな、笑)、それは何かというと、みちよちゃんが言うには、「いさどんは前から『イエスかノーかどちらかだよ』と言っていたよね。たとえば、木の花のここは好きだけど、ここは嫌だという人が多いし、私もそうだったのだけど、よく考えたら違うんだね」と言うから、「当たり前だよ。良いところも悪いところも、同じ精神から生まれてきている。そうしたら、良いと思ったら全て良いふうに観えないといけないのだし、悪いと思ったら全て否定しないといけない。それが本当は明快なものの見方なのだけど、あなたでも、木の花のここは良いけど、ここは悪いとずっとやってきているから、いつまでたっても本質が観えなかったんだよ。でも、今回のことでそれがわかったのだから、それだけ効果があったね」と話をしました。

僕としては、自分の心に曇りはないわけです。本来、僕の生き方としてはこれでいいと思うのです。ただ、ここの人たちが僕と同じような気持ちなのかどうかという確認が必要だったのですが、最近みんなの言動を観ていると、同じになってきたと感じています。

A弁護士:
今回のひとりひとりのメッセージではそれを感じますよね。

いさどん:
やっと、そこまで来たと思うと、それでいいと思うのです。時代は、いつも必ず一方通行です。ただ、最終的に宇宙はまた戻っていきますが、常に一方通行です。
事実として、人が協働しないといけないとか、もっと個人を超えて人とつながらないといけない世界が確実に来ています。昨日、関東では6月の1日の降雨量として記録的な大雨だったとニュースになっていましたね。北海道でもまだ6月なのに最高気温が34.8度と記録が更新されていくわけです。このように未踏のところへこれから踏み入れていくわけです。

A弁護士:
そうですね。

いさどん:
そうしたら、人間たちも未踏のところへ行かないといけないのに、どうも話をしていると、自分たちが今までいた居心地が良いところでものを観ようとしているから、それではここで起きていることは理解できないのです。しかし、私は以前から「先をやりなさい。雛形をやりなさい」と言われていて、今回の件が起きたときでも「難しいことを与えておるゆえ、心して行け」と言われたのです。そのときに、「わかっています」と言いながら、実際にそれが来ると、「これだったのか」という想いもありますが、でも難しいことはこれで終わるわけではありませんから、安心はしていません。

そうすると、気になるのは、僕のことはいい。ただ、みんなについては、巻き込んできたのか、それともそれぞれの人生プランのもとに集ってきたのか、ということです。集ってきたのであれば、誰にも責任はないのです。そして、世の中もこういったことを必要としているのですし、それに応えて、あえてこういった難しい役割を引き受けて降りてきた、という自覚はあるのです。この契約はあと17年ですけどね。

A弁護士:
80歳までということですか。

いさどん:
はい、あと17年この契約をもらっているのですが、「おまえ、いのちがある限り、評価はされんぞ」ということも聞いているのです。だから僕は、「いいじゃないですか。建物が建つときに見えない基礎で、縁の下でいいんじゃないですか。それが大事なのですから」という約束のもとにやっていることは確かなのです。

現世的な対処は当然していきますが、ページをめくっていくことが必要だと思うと、ページの先には「こうだったね」という話が来るという確信はあるのです。最終的に、生きるということは、ダイナミックに、変な規制をかけず、生き切るということです。そして、死ぬことは、自らが生まれてきて役割を与えられたことの完成を観る、ということです。それしかないと思っています。

ですから、僕が考えていることに他の人を巻き込んできているとしたら、みんなに気の毒だと思うので、みんなに確認したのです。自分の意志でこの生き方をしていることをみんなが理解できたら、これは鬼に金棒で、何でもいいと思います。ここが世間から全くずれたところであって、一般の人たちが理解できなくても、それは全く構わないのです。
宇宙の仕組みからいったら、だいたい地球上に人間のような意識レベルが低いものが肉体を持ってまだあがいていることからしたら、「あなたたちの世界を広めなさい」という段階に来ているのだと思います。

2012年の12月21日(銀河の冬至)に扉が開いて、そういった変革が始まったとしたならば、2014年はいよいよそういうものが出だしたということです。最初の話の、色々な人が現れてきた延長に、結構刺激的なものが出てきたということです。これは問題提起ですからね。相変わらず、奇抜なのですよ(みんな、笑)。

A弁護士:
人数的に、今80人というのはどうなのですか?

いさどん:
人数は関係ないですね。なぜかというと、多かろうが少なかろうが、大切なのはその一体感です。

A弁護士:
一体感があれば、100人でも200人でもいいということですね。

いさどん:
はい、全く問題ありません。実際に、この状況でもメンバーになりたいという人がいるのですから。全てわかりきっているからこそ、ここのメンバーになりたいという人がいるのです。そうすると、仮にこの記事を見て、「やっと本物が世に認知されるようになったんだ」と思う人もいるわけです。

りゅうしろうも、能力が高いわりにはなかなか活躍しないと思っていたところもあったのですが、インタビューの中で「1万人の中の1人がわかればいい」と彼は言っています。しかし、僕はそんなことは考えていません。100万人に1人わかればいい、と(みんな、笑)。
そうすると、1億3000万の中でとりあえず130人ということです。これは80人が130人になるのですから、すごいことですよ。数字はものすごく謙虚です(みんな、笑)。1万人に1人だったらたいへんですよ。1万人に1人なら、1億3000万からすると、13000人になるのですから。まだ13000人もいらないですよ。これは地球全体のことです。とりあえず、今のところ100人超えればいいんじゃないですか。まだそれくらい微々たるものだということです。
僕はそのようなことを考えているのですが、どうですか?

A弁護士:
そうすると、もっと先鋭化するというか、ある意味わかる人しか入れないということですか?

いさどん:
入れる・入れないは関係のことです。それは天の意志ですから。天の意志と本人の意志です。
これからの時代は、自らの思考と天の法則がいかに一致するかどうかであって、農業も同じことです。この自然法則、天の法則と我々がやろうとしている作物に対する心が一致するかどうかが、これからの農業の在り方なのです。

そこで大切なのは、自分が勝っていてはダメなのです。自分が勝っていては、天が「従」になってしまう。天が「主」で、自分が「従」にならないといけないのです。それが宇宙を生きるということですから。
そうしたら、そういった人をここでつくっていくとしたら、元メンバーのような人たちがここにいたら困るのです。しかし、それでもここにいたいと言っていたので、それを調整してきたのですが、それが調整しきれない状態でどうしようもなくなったときに、あのようなことが起きたのです。しかし、あのことも、彼が僕に何度も、「いさどん、僕を殴ってください。僕のこのどうしようもない人間をなおすためには、殴ってもらうしか方法がないのです」と言ってきているのです。そして、それをずっとなだめてきて、最終的に叶えたら、今のようなことになったわけです。こういった本当のことについては、表に出てこないのでみんなわからないのです。
陰でここのことを色々言っている元メンバーたちも、何回ここで不祥事を起こして頭を丸めたか。一人はパニック障害で仕事ができなくなって、何か月かけて僕がなおしてきたのか。そういったことを忘れてしまっているのです。

真実というところから観ると、確実に間違いのない実績があるのです。真実が観えない世の中だから、こういうふうになっているわけです。

A弁護士:
そうですね。

いさどん:
その真実のところに生きている者が、真実を見えないところに媚を売る必要はないわけです。

A弁護士:
そうです。

いさどん:
生きていれば目的は達成されますし、最終的には死を迎えるのですから、濁りのない生き方をすることが大切だと僕は思うのです。その姿勢は、高飛車だとか、傲慢だとか言われますが、それこそ二歩先ですからわからないのです。だからこそ、世の為にも貫き通さないといけないのです。それが僕の姿勢です。ですから、死ぬまではわかってもらえない、という覚悟をしています。しかし、時代が、「その先駆者がいたのだ」と気づくときに、僕は天から観ていますよ。ハッハッハ。

ようこ:
実際、Aさんのように、こちらの全てを細かく伝えているわけではないのに、感覚で理解されている方もいますしね。

A弁護士:
ここに来れば、エネルギーでわかりますからね。この週刊誌のようなぐちゅぐちゅとしたエネルギーではないことはわかるわけですから。

いさどん:
週刊文春の記者ですら、「いいところですね~」と言っていました(みんな、笑)。だから、「それが感じられる?」と聞いたのです。

特に、このタイミングでカタカムナがここに来ました。12000年前のカタカムナ人の物理学は、ここの生き方そのものですよ。神の物理性をそこでは解いているわけです。そうすると、この現代物理学の奥にあるもの、そして宇宙は物理によってできているわけですから、それを科学として人間は解き明かしてきたわけです。しかし、真理からすると、それはまだまだ遠いですね。
カタカムナでは12000年も前に、それがすでに解き明かされていたわけです。それが戦後に復活したわけですが、その第一人者が講師としてここに足しげく通って勉強会を開いているわけです。今度、アワの歌の解析をしようかという話もあるのですよ。

ここに1年8ヶ月滞在していて今はヤマギシに戻っている人が、ここが恋しくてまた帰ってくるのですが、「この週刊誌や色々な書き込みを見ると、ここにいて感じるものと正反対のものが表現されているので、どういう世の中なのかがよくわかります。」というメールを送ってきました。
事実、週刊誌やここをバッシングする人たちが描く世界と、ここで表現されている世界には大きなギャップがあります。実際にここを訪れる人たちが感じるものが真実なのであり、ここでこれまで色々なことがあったのも、今のこの場所につながるためにあったのです。そして、私たちはこれからも理想郷を目指して歩み続けていくわけです。それを、どこかに焦点をあてて区切ってみるのは、たとえば自然を見て「弱肉強食だ」と言っているようなものなのです。今を真実とし、そして未来にまた今があって、真実が紡がれていくのです。

やはり、観るべきところを観た人にはわかるのです。しかし、それはトキとトコロが、つまりトキが来て、そしてトコロ、すなわちそういう環境が整わないと、起きないのでしょう。地球自体が今そちらの方向へ行っていますが、世界で70億の人間がそれに気が付くためには、相当の負荷が与えられないといけないのかもしれません。木の花のみんなも、今回この負荷を与えられて、やっと目覚めてきたのですからね。

ようこ:
3年前、いさどんが還暦を迎え、生前葬をしたときから、「これからはいさどんを目立たなくして、ひとりひとりが声をあげていこう」と言っていたことが、3年かかってようやくここまで来たのです。

いさどん:
そう、3年かかってやっとね(笑)!

A弁護士:
それも、この出来事のおかげでできたということですね(笑)。

いさどん:
ですから、これは我々のためにもあるのです。

ようこ:
外の人から見ると、「創立以来の木の花最大の危機ですね」と心配される方もいるのですが、私からすると・・・

いさどん:
やっとここへ来たか(みんな、笑)!全ては善きことのために。この世界だけを見ていると、今回のことは一大事ですよ。しかし、この世界の人たちが何を見ているかです。

A弁護士:
エネルギーがわかる人が少しずつ増えてきてはいますね。

いさどん:
この間、カナダ人の文化人類学者の教授が10日間滞在していたのですが、国から助成金をもらってここで長期の研究をしたいということで、助成金が下りればすぐにでも来て、半年くらいここに滞在したいと言っています。
彼女は10日間ここに滞在して、この一連の騒動についての情報も耳にしています。彼女はこういった共同体の研究は実は始めたばかりで、それまでは貧困を研究していました。その際、貧困の中にも豊かさがあることに気付き、豊かさや人の幸せを研究すべきだと考えたときに、コミュテニィを研究しようと思ったそうです。
それで彼女にここを紹介した人は、昨年元メンバーの書き込みに賛同して、ここのことを赤軍のようだと言っていた人なのですが、カナダ人の研究者に「いいところがありますよ」とここのことを紹介するのですから、おかしいですよね(みんな、笑)。思考が狂っているのは、天のはからいなのです。

彼女がここに来たときには、こういったことが話題になっている真っ最中でした。ところが、彼女が聞く情報と、ここで展開されている世界が違うのです。それで彼女は、この観えないものを調査する必要があると感じ、僕と3時間話したのです。そうしたら、彼女は「これは重要だから、これを世の中に出さなければ私の人生の意味がない」と言っていました。
そして、彼女の滞在中に、一昨年ここに3ヶ月滞在していたデンマークからの人類学者が、たまたまここに1泊2日で来たのです。彼女は、「いさどん、今度はもっと長くいるからね」と言っていました。それから、イギリス人の写真家も、たまたま同じときに1泊2日で来ていたのです。彼も深い写真を撮る人ですが、その3人がここで出会ったのです。そして、「ここを世に出さなければ!」と3人が盛り上がっていたのです。
そうすると、これは天が何かをやっていますよ。日本の民衆が何をやっていても、天が何かをやっています。ここにいると、それがわかるのです。

ようこ:
メンバーのインタビューの最後に、今ここに長期滞在中の中国人のコメントも載っていますが、今ふたりの中国人がコミュニティを創ることを学ぶためにここに滞在しています。

A弁護士:
今日、お昼ご飯を一緒に食べましたよ。

いさどん:
アメリカで物理学を専攻している彼が、中国でコミュニティを創りたいということでここに滞在しているのですが、ここのことはとても評価していますね。ですから、ミーハーで色々な活動を表面的にしている人たちとは大きな差があるのです。
さて、そこで彼らに理解してもらうための行動をするのか。それとも、ここを求める人たちが来るために、明快なあり方を提示し続けるのか。ここを求める人たちは砂金探しをしているようなものです。その砂金であるべきなのかといったら、僕は後者であるべきだと思うのです。
ですから、僕はわからないほうがいいと思いますが、どうですか(笑)?

A弁護士:
エネルギーはこの場にいればわかりますからね。皇居の清掃奉仕というものが4日間あるそうですが、そこに知り合いが行ったら、最後に天皇陛下と皇后陛下がお出ましになるそうです。そのとき、全く場が変わるそうです。若い女の子が涙ぐむし、今までにない波動を感じた、と僕の知り合いは言っていました。ですから、天皇陛下・皇后陛下が日々の祈りというか、霊的な御行をされていることがわかると言っていましたね。

いさどん:
宇宙的には完璧に次のステージに入っているわけです。地球も次のステージに入りましたからね。あとは、人間たちだけなのです。
そのときに、ここで今までやってきたように、どの人たちもみんな一緒に連れていこうかと思ってやっていたときには、足に絡む者から色々いたのですが、それが今は全て綺麗に整理されました。やはりトキとトコロが来ないといけないのです。人にもその人の時間軸があるのです。
僕は誰をも、望む者は一緒に連れていきたいという現世的な、肉体を持っている人間的な慈悲の心があるものですから、そういったものを引きずっていましたが、天がそれを排除されたのです。

「ありがとうございます。お蔭で楽になりました。その代わりに、人類という重荷がここにかかってきましたが、それは覚悟しております。」

これからは、一般大衆の目覚めの時代に入ったわけですから、「全ての人間に仏性あり」という扉が開かれたわけです。これは、木の花が始まったときから言われていることですが、「ひとりびとりがイエスやブッダである」というのが元々の歩みだったわけです。やっとそこへ、20年をかけて来たわけです。
昨日も、「これは嵐だよね」という話をしていたのですが、ここの人たちはその嵐の中心にいるのです。まわりがすごい勢いで風が吹いているときに、その真ん中は穏やかで晴天で風もない状態だね、とみんなで話していたのですが、こういう表現はいかがですか(笑)?

A弁護士:
そうですね、みなさんを観ているとまさしくそういう感じですね。みなさんのインタビューを読んでも、完全に抜けていますね。

いさどん:
僕は記者の二人が来たときに、「あなたたちは性をどういうものと捉えていて、あなたたちはどういう欲求で性を表現するのですか?」と聞いたのです。そうしたら、「それは欲望ですよ」と言うから、僕は「そうですか。元々性というものは、宇宙創造の原理なのです。だから、神聖なものなのです」と答えたら、その通りが記事には載っていましたが、ただ自分たちの発言は書いていないのです(みんな、笑)。

ようこ:
そこがポイントなのにね(笑)。

いさどん:
「そういうことをやっているから、こういう雑誌も売れたりするのです」と3時間40分も話しました。
ですから、ある意味、今バッシングをしている人たちもエネルギーをたくさん使っていますが、自分たちが何者であるのかをいつか気が付くために、一生懸命やっているのです。

A弁護士:
バッシングのエネルギーは結局自分たちに戻ってきますからね。

いさどん:
この間のカタカムナの勉強会で講師の人が言っていたのは、「これから真実が明かされるときに、本当の宇宙エネルギーが人間の思考の中に働く時代が来るのですが、逆にそういったことが働くということは、エネルギー全体が高いのですから、生き霊など祟るものも同じように激しくなるのです。だから、これからは激しいということですよ」と言っていましたね。

ようこ:
光だけではなく、光も闇も全てのエネルギーが激しくなっていくということです。

いさどん:
バッシングをしている人たちは自分たちを正義の味方だと思っているのですが、残念ながらそうではないですね。どういう心を持ってやっているのかが、自らの人生を形成していくわけです。必ず未来にそれが自分を待ち受けていることを、彼らはわかっていないのです。

A弁護士:
本当のところが観えていないから、記者もみんな、ある意味利用されているわけですからね。

いさどん:
ですから、正義の味方ですが、実はこの世界に正義も悪もないのです。ある意味、悪は、本当の正義の味方ですからね。ただ、正義も正義の味方なのですが、正義だけをかざしているのが悪なのです。

A弁護士:
結局、みんな本当の自分がわからないから、そういうことになってしまうのですよね。

いさどん:
まず、「人間が何者なのか」がわかっていないでしょう。毎日あくせく働いて、お金に追われて、そして物に執着し、人に執着し、自分に執着し、そこで自らの想いを叶えることが幸せだと思っているのですから。そういったことを全て乗り越えられたところに本当の自由があって、真実の世界があることがわからないのです。

僕の話していることは、時代というものを超えた物語です。それは宇宙的スケールであり、宇宙創造から消滅までのスケールで、それが輪廻するのですから、無限なるスケールで話しているのです。しかし、そういった時代が21世紀に現れたことが、多くの人はまだわからないのです。

A弁護士:
人間は全て宇宙人ですからね。

いさどん:
僕が最近よく言う話ですが、昨日もここにこの場所がありましたが、昨日から今日へ24時間経つと、170万2080km、物理的には移動しているのです。つまり、ここの場所自体が宇宙の中で永遠に同じ場所にないのです。

A弁護士:
回転もしていますしね(笑)。

いさどん:
そうです。あなた自身が、全く止まらないで変化し続けているのです。さらに、カタカムナ的に言えば、この有限な世界は「ない世界」と「ある世界」を行ったり来たりしているのですが、その「ない世界」を私たちは認識できないので、私たちは半分しかこの世界の実態を認識していないことになります。これは、ある段階まで行くと、真実だとわかるのです。

A弁護士:
結局、意識次第で人間は変わっていくわけでしょう?

いさどん:
この世界は意識だけで、たちどころに天国にもなるし、地獄にもなります。

A弁護士:
だから、その意識をどこまで高めるかということが、人間の命を与えられた理由なのですが、この肉体を守るために一生懸命やっているから、もうどうにもなりませんね。

いさどん:
肉体に執着して、この目でしか物が見えていないから、そうなります。ですから、同じ情報をもらっても、意識レベルによって木の花の評価は全く違ってくるのです。物を見て、「これはこうだ」と決めた時点で、物を見ているのではなく、自分自身を観ているのです。しかし、それが人間にはわからないのです。

理想郷はずっと昔から常にあり続けているのです。ただ、人間がそれを理想の意識レベルで観ているかどうかです。悟りも同じことですよ。悟りはすぐ隣にあるのです。全てに執着がなくなって、全ての側にチリのように自らの魂が分散されて反映されたら、万物に自らが立つわけですから、悟りの境地になるわけです。瞬間にして、自分自身を組み立てることができるのです。これが「いさどん」ですよ(笑)!それを、みんながやっているのです。

業をして悟るという昔の方法はある意味幼稚なのです。21世紀の悟りは、もっと簡単にエネルギーもかけずにできるのですが、それができるということはその意識レベルに行かないといけないということです。カタカムナを学ぶと、そのあたりがよくわかってきます。お釈迦様もキリストも、いつの時代にもいるのです。
昔、文字のない時代に、なぜカタカムナが伝承できたのかいうと、「口伝」だというのですが、その口伝の意味がわかっていないのです。口伝とは、その口伝する役割の人が耳で言葉を聞いて、それを次に伝えたと人は思っているのですが、それは違います。いくらそれをしたところで、意識レベルが違っていたら、同じものを観ても別のものになってしまうのです。

微生物が死に絶えても、トキと環境が整うと、また湧いてきます。ホタルや自然のものでも、絶滅したように見えても、トキと環境が整うと湧いてくるのです。この6億年の間に、地球上で6回生命が絶滅したと言われていますが、その後に必ず湧いてくるのです。そしてそれは、進化して出てくるのです。
人間の歴史上、人類というレベルはある一定のレベルになるのですが、それを導く次元の魂が時々降りてくるのです。その魂が降りてきて、何を観るかというと、たとえばお釈迦様が意識したレベルのものが現れると、宇宙を観て、この世界を観て、人々を観て、同じことをそこで語るわけです。キリストでも同じです。経典がなくても、それは同じことを語るのです。宇宙が同じですから。同じことを宇宙はずっとやり続けているわけです。
それは無限に変化し、進化し続けています。ですから、意識の高いものが役割としてパッと降りてくればいいのです。それは天の采配です。それが時代を刻んでいるということです。その中で、ブッダレベルのものが降りてくる時代と、全くいない時代があります。それがある時代に出てくると、それが受け皿になって、宇宙を解釈して伝えるようになるのです。

A弁護士:
今はブッダレベルの魂が結構いるのではないですか?

いさどん:
そこが僕には何とも言えないところです。ブッダレベルのものがいたら、今の時代の様子はもう少し違う気がするのです。すでに出てきているかもしれませんが、それはこれからの働きですね。

いさどんは特定のリーダーのように見えるかもしれませんが、実は特定のリーダーを創らないために生まれてきているときには、誰かがリーダーにならないと仕方がないのです。まだ、みんなが育っていないときにはね。ですから、みんなが育ってしまえば、いさどんはいらなくなるのです。「僕が目立たなくなるように」と僕はずっと伝えてきているのですが、解説すると、事はこういうことですよ。

それで、「生きているうちは評価されないぞ」ということですから、評価されなくても本望なのです。地上で評価されるために生きているわけではなく、天でふさわしい役割を受けて降りてきたのですから。ですから、どんなに傲慢だと言われようが、やはりやり続けるということなのです。

「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり。」
衆生のためにやるためには、衆生にごまをすっているようなことでは、役割は果たせません。僕はそう思っているのですが、生意気ですかね(笑)?

A弁護士:
いや、それはいいと思いますよ(笑)。ですから、そのメッセージをストレートに出したらどうですか?

いさどん:
それには、そういう話を理解する相手がいるのです。そのレベルの人が目の前にいると、今のような話が出てくるのですから、相手のレベルに応じて話が出てくるのです。理解できない人に、どんなに説明しても伝わりません。全ては、人のためにあるのですから。
そうすると、そのレベルの話を引き出す人間が来ると、それが語れるのですから、もっと頻繁にここに通ってもらわないといけませんよ(みんな、笑)。今日この話が出てきたということは、あなたがこういった話を引き出す人だということがわかったのですから、お互いにもっと世の中のためにもコラボしていきましょう。今日の話を世に出せば、それを読んでピッと感じる人は感じますよ。ですから、こうやってつながっていくことが大切だと思います。

A弁護士:
そうですね。

いさどん:
これは、世のため人のためです。僕は常に、人類のために生きています。時代を担うために生まれてきているわけですから、そこを外したら生きている意味がありません。

A弁護士:
それぞれの人も、自分の意識を変容するために生きているわけですからね。

いさどん:
そうです。

A弁護士:
ところが、安易な情報というか、闇の力が強すぎてしまっていて、いかようにも仕組まれていますからね。

いさどん:
ただ、天が言うには、「その闇も私が創った」と言われるのですから、天の自作自演なのです(笑)。

A弁護士:
そこが巧妙なので、それに気付くのはその人の本当の意識なのでしょうが。

いさどん:
「そこが巧妙で、ダイナミックであればあるほど、豊かでしょう」と言われるので、「そうですね」と答えるものの、「でも地上で生きていると、結構うっとしますよ」と言うこともありますね(笑)。
  
  


One thought on “週刊文春への掲載を受けて ~ある弁護士さんといさどんとの対談~”

  1. 木の花について真剣に考えている私にとって大事な問題なのでコメントします。
    差し障りあればブログに非掲載で構いません。
    ともこさんの解説で映画中止のきっかけはこれかと知りました。

    木の花を検索しますと、2020年時点でも筆頭に当時の記事コピーが出てまいります。

    週刊誌の記事がインタビューに基づくのか(発言は正しいが記者の解釈に悪意があるのか)、事実でない全くのデタラメなのか。一般人には伝わっておりません。

    記事の読者には「創立者との子供?複数人?え?」という疑問と怯えが芽生えます。そしてメンバーのインタビューも、顔写真つきのリーダー擁護のように見え、代表者の顔出しコメントは無いですね?そして週刊誌記事について読者が感じる疑問に答えていらっしゃいませんでした。

    世間の大半が週刊文春を買いませんが、記事の写真ネット上に掲載されており、2020年も買わずも読める状態です。
    木の花を検索した方が2番目くらいに読む記事です。

    弁護士さんがお勧めされるような短文のコメントを、常時ホームページに掲載しておく方法もあると思います。
    文春への反撃 ではなく、木の花に関心をもつ方への情報提供としてです。

    たとえば
    ・暴力はありました。本人が望んだのですが、応えるべきで無かったです。
    ・天国部屋は存在しま。。す?せん?
    ・若い単身メンバーは多くいます。
    単身での妊娠を望んだ場合の対応は。。です。
    ・創設者の婚外子についての報道は。。。過去には。。現在は。。

    一般人の私がスピリチュアリズムを勉強して机上で学んだことは、子育てはボランティア。

    懐妊という経験欲しさの小我を満たす通販も米国にはあるそう。種を任意に選ぶ発想が選任思考に通じるよう。

    子宝に恵まれずにいる女性には、母親に恵まれない子供を育てる選択肢もある。

    「理解されない」と嘆く言葉は、一般の読者がそれを読むとき「お前に理解する能力が無いだろう」との非難かのように解釈されてしまいかねない。
    そのような卑屈な解釈本人の精神性影響しているのが事実であっても、一般人もつ心の傷をしげきするようなトゲある言葉を避ける言魂もある。
    たとえば
    「木の花が貴方の耳に慣じみ、訪れて頂ければきっと暮らし振りにも親しんで頂けます」といった伝え方もある。

    木の花のノウハウ普及という天啓の目的達成のために、たとえば弁護士さんに釈明文を代筆してもらうとか 世間一般の言語習慣にそって
    平易な表現で すこしずつ噛み砕いて 情報発信をする手段もあると思います。

    動機と手段。動機に相応しい手段かどうか。

    半分当事者のような気持ちで、でも事実をまだ知らない一般人としてのコメントでございました。

あやこ へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です