心を耕すカトケン先生!

1月23日より2ヶ月間、農業体験のため
ファミリーに滞在している「カトケン」こと加藤賢太くんは
高校の農業の教員を目指しています。
去年11月の生活体験ツアーに参加した際、
ファミリーの生活の中に永続可能な暮らし方があることを知り、
身近な環境を良くするには、まず自分の生き方を
改めなければいけないと思ったそうです。
23歳にしながら高い意識を持っているカトケンは、
ここで農業体験をしながら自分の心を見つめ、
大人会議でも積極的に自分の想いをシェアしています。
今回は、そんなカトケンの一昨日の大人会議での報告を
紹介したいと思います。

カトケン:
木の花ファミリーに来て3週間が経ちました。
毎日すごく充実しています。
自分が何のために生まれてきて、
何のために生きているのか、
死んだ後どこに行くのかということを
昔から疑問に思っていたんですけれど、
自分のセンサーがしっかりしていれば、
そういうこともわかってくるんだなという感覚があります。

沢山の人にいろんなアドバイスをいただいて、
それは自分が今必要としている言葉であったり、
タイミングであったり、
僕のことをすごく想って言ってくれているんだなと感じています。

今不安なことは、
1カ月半後実家に帰った時に、まわりの影響で
また元の自分に戻ってしまうのではないかということです。
でも、そうはなりたくないと思っているので、
今実行していることとして、
まず僕の家族にもここの心を伝えています。
帰ってから伝えるのではなく、
今ここにいながら電話で
ここの心の在り方を伝えられたらなと思っています。

この前お父さんに電話をして言ったことは、
「木の花ファミリーに自分が来る時に、
快く『行って来い』と言ってくれてありがとう。
自分は柔道も好きだけれども、柔道をやらなくても、
柔道以外にも生きる希望を見つけることができました。
本当にありがとう」と言いました。

親にそういう言葉を伝えるのは、
ちょっともどかしいというか、
抵抗があって上手く言えなかったのですが、
父親からの「良かったね。頑張れよ」という
短い言葉の中にはすごく心がこもっていました。

想いというのは自分の中に秘めるのではなく、
相手に伝えることで相手もプラスの想いになり、
その想いがまた自分の方に戻ってきて、
そういうのがどんどん循環していくんだなと感じました。

今まで自分はマイナスの想いを両親に伝えていて、
「なんで自分の言うことを聞いてくれないんだろう」とか、
「なんで僕はこう言いたいのに、こう取ってしまうんだろう」
という想いがありました。
でもそれは、自分の中にマイナスの想いがあり、
それを言うことでまた自分の方に返ってきて、
それが連鎖していたんだなということに気づきました。

これからも、感謝の気持ちは自分の中に秘めるのではなく、
親でなくても相手に伝えていくことが大切なんだと思いました。

いさどん:
好青年だという外観にしては、
カトケンの精神は非常に弱々しい。
柔道3段にも関わらず、精神の細さを見ていたのだけれど、
だんだん言葉の中に力強さが観えてきて、
「この男、結構たくましくなるな」という感じがしています。

実家に戻る時に不安だと言っていたけれど、
ここに来て3週間でこれだけ変身できたら、
あと1カ月半あるわけだから別人になっていくよ。
別人といっても、カトケンはカトケンだけどね。
「僕は柔道がなくても、ちゃんと生きていける」という言葉がいい。
依存していたものから自立して、
自分の心で立とうという想いが伝わってきました。

感謝の言葉を親に述べた時に、
親は嬉しいだろうなと思います。
これは良い話だなと思いました。

カトケン:
今まで花をプレゼントしたことは一回あったのですが、
感謝の気持ちを言葉にしたことはなかったので、
言葉で伝えたいなと思って実行してみました。

いさどん:
カトケンは、良い先生になるね!

昨夜の大人会議で初めて司会にも挑戦したカトケンは、
不器用ながらも色々なものを学び吸収しようという意欲にあふれ、
見ているこちらも一生懸命応援したくなるような気持ちになりました。
カトケンは、農業を教えながら
心も伝えられる真の先生になれそうですね。
カトケンの日々の成長ぶりを皆で楽しみにしています。


富は心に積んでいく

今回は、「世の中に対して訴えたいこと」を
大人会議でシェアした際のいさどんや皆のコメントを紹介します。

いさどん:
僕のブログを読んでいる人から、
「私はいさどんの心を理解しているからいいのですが、
いさどんのことを知らない人がブログを読むと
誤解する人がいるんじゃないか、という懸念を持っています」
というメールがありました。

そこも狙いです。
人は自分の観える範囲を良しとし、
自分の理解できるところだけを受け取ろうとします。
だから、僕の中の真実を
人によっては拒否したり理解できなかったとしても、
その人たちが先へ行くきっかけになるだろうと思っています。
無理解があったとしても、
僕は正直であることが一番大事な役割だと思っています。
何人がそれを肯定的に受け取り、
何人がそれを批判的に観るのかは大事ではありません。
僕のような人間がいてそういうことを伝えていく、
ということが大切だと思っています。
胸を張って、堂々と正直を言い切れる
生き方をしたいと思います。

いさおちゃん:
聖書の中にも、
このブログと似たようなことが書いてあります。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは虫が食ったりさびついたりするし、
また盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は天に積みなさい。
そこは虫が食うこともさびつくこともなく、
また盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ。」

ちなっぴ:
この文章を聞きながら自分の人生を振り返っていて、
ここに来る前いさどんに
同じことを教えてもらったなと思っていました。
私は自分のことを成功者だとは全く思っていないのだけれど、
いつも自分の想い以上のことが起こるのはなぜか、
いさどんに聞いたことがありました。

その時いさどんは、
「人には徳というものがあるんだよ。
だけど徳はね、使っていくだけではなくなるんだよ。
人生は徳を積んでいくことが大事なんだよ」
と話してくれました。

私は、「そうか、徳を積むことが大切なのか」と思い、
いさどんと一緒に16年前にここに来て、
これからの人生は人のために生きようと思いました。
これから出会っていく人たちにも、
機会があったらこのことを話していきたいと思っています。

ちーちゃん:
昔からいさどんを見てきて、
本当に成功者だなと思っています。
ずっと一途にこの想いを貫いて、
ぶれないところはすごいなと思っています。

かとけん(2か月の農業体験滞在中。農業の教員を目指す23歳):
これからは心の時代なんだなって。
心が大切になってくる時代なんだと感じました。

いさおちゃん:
聖書からの引用をまた読みたいと思います。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、
一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

だから、言っておく。
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、
体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、
倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は
鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、
明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』
『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、
これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」

いさどん:
このブログは、
競争社会の中で勝ち組と言われる人たちに向けたものでしたが、
社会の中で勝ち組と見られているような人でも
行き詰っているのが今の社会です。
多分、こういう競争社会の中で、
勝ち組の人は一人もいないんじゃないかと思います。
得られれば得られるほど、
それを維持することやさらに得ようとして
自分が縛られていくのですから。

しかし、そこから解放されることによって、
初めて人は自由になっていくのです。

そのためには、
ここのような相互扶助の生活をすることが大切です。
一人で農業をしている人も
村づくりをしたらいいのにとも思いますが、
想ったとしてもこういった村づくりは
誰もができるものではありません。
だから、皆が気楽に参加できる村が
あちらこちらにできていったらいいと思っています。

そういう志ある人がこういった村に参加して、
そこで自分の志や能力を活かしていく。
そういう仕組みができていったらいいと思います。


3か月のケア滞在を終えて

9年間のうつ病のため
ケア滞在をしているきっこさんがここへ来て、
早3か月が過ぎました。
昨夜、吐血したため
今日病院に行ってきたきっこさんは、
病院から戻って早々、
「嬉しい報告があるの」と
目を輝かせながら話してくれました。

昨日の夜、歯を磨いていたら
3回にわたって吐血したの。
びっくりしてどうしたのかなと思って、
今朝病院に行ってきてね。
CTを取って胃カメラを飲んで、
血液検査もしてもらって。

そうしたら、おかげさまで
消化器系は咽頭から十二指腸まで
パーフェクトに健康で、全部きれい。
ただ、気管支拡張症の症状が
出ているらしいということだったの。
私はもともと気管支は弱い方だから。
でも、吐血したのに貧血がない。
もともと貧血のボーダーラインにいて、
貧血だったこともあったのにね。

お医者さんは、
今私の健康状態が極めて良い、
栄養状態がとても良いとおっしゃっていた。
もう一つは、ストレスが全くない
生活をしているのがよくわかりますって。
以前はよく十二指腸潰瘍も胃潰瘍もしていたのに、
今は潰瘍が全くないきれいな体をしていますって。
だから、いかにここがストレスがない社会、生活であるか
ということがよくわかりましたっておっしゃっていたの。

その話を大人会議でシェアしたきっこさんは、
「気管支拡張の症状はあるけれど、
他は何の問題もない健康体で。
気分はすごく爽やかです!」と
とても明るく話してくれました。
メンバーからも、「きっこさんは若々しくて美しいね」
というコメントが上がるほど、
きっこさんの心の状態はとても良くなってきています。
そんなきっこさんは、
その日の子供会議でも幼児たちに向けて報告してくれました。

今日はみこや幼児の皆に
お礼を言いたいと思って、
お話の時間をもらいました。
昨日、ちょっと体の調子が悪くて、
今朝8時くらいに
幼児が食事をしているお部屋に行ったんですけれど、
その時にみこが
私が飲んでいる玄米コーヒーのマグカップを手で触って、
手をあっためているんですね。
みこが手をあっためているなと思ったら、
そのあったかい手で
私の手をあっためてくれたんです。
私の手が痛いのを知っているから。

今までもみこは、
「首がいたい?」とか、「目がいたい?」と言って、
手を当ててヒーリングをしてくれていました。
今日は本当に調子が悪かったのだけれど、
みこがそうやってずっと、
私の手を温めてくれました。
とても気持ちが良くて、
「みこ、早く食べなさい!」と大人たちから
言われないといいなと思いながら(笑)、
温めてもらいました。

他の幼児たちも
公園にお散歩へ行く時とか色々な時に、
手を私の体に当てて、ヒーリングしてくれていました。
そのおかげで、
きっこさんはとっても元気になりました。
だから、幼児たちどうもありがとう!

3か月のケア滞在を終え、
自分の心を冷静に見つめ
心が安定してきたきっこさんは、
「今後は一般の生活体験に切り替え、
社会復帰に向けて取り組んでいきたいです」
と話してくれました。

そんなきっこさんのことを、ケア主治医であるいさどんはこんなふうに語りました。

大学の先生をしていたきっこさんは、
もともと能力の高い人でした。
年齢には思えない、
かわいらしい魅力的な人でもあります。
そんなきっこさんが病気のため、
その能力を活かせないのは大変残念なことです。
現在のきっこさんは、
5月頃をめどに社会復帰をして、
世のため人のために生きていくことになっています。

木の花の卒業生として、
そしてファミリーメンバーとして、
生き生きと生きていっていただくのを願っています。


地球が次のステージへ

今回は、前々回のブログ「明るく暖かく柔らかく優しい世界へ」を
2月3日節分の夜、大人会議でシェアした時の
いさどんやメンバーのコメントを紹介します。

いさどん:
さのっちはここのメンバーですし、
ブログに対するタイムリーなコメントを寄せてくれていると思います。
ひょうさんやたけちゃんも一緒に暮らしていないだけで、
ここの家族のような人たちだと思います。

しかし、近い人たちだけではなく、
世の中にも意識を持っている人が沢山います。
そういった人たちが「これだ」と気づくために、
ここの生活があると思っています。
だから、私たちは高い意識を持って日々を送るべきだと思います。

高い意識を持った上で、
一般社会の人たちと同じような生き方をしていくことです。
意識が違えば、
今まであった社会と同じようなことをしていても、
別世界を表わすことができます。
「なぜ、そういった生活ができるのだろう」と
皆が不思議に思うような場をつくっていけると思っています。

強いリーダーがいてそこが成り立っているようでは、
新しい時代の見本にはなりません。
一人一人がリーダーであることを自覚することにより、
全体のハーモニーがつくられていく。
強いリーダーがいてそこが成り立っても、
それは今までの在り方であって、
次の時代はそれを求めていないし、
モデルにもならないと想っています。

みちよちゃん:
私もさのっちと同じことを想っていました。
いさどんは「誰でも自分に優しく善意を持っているのだから」と言うけれど、
私は自分に厳しい癖があるので、
そうなると他の人にも厳しくなるし、
優しくない社会をつくるのだと思いました。

私は3年前に木の花に出会った時から、
いさどんのような強いリーダーシップがいない状態で
こういうコミュニティがつくれるか知りたいと思っていました。
メンバーとしてここで生活したいな、
と思った大きな理由はそこにあります。

この3年でまだその答えは明確に出ていないけれど、
確かなことは、
私たちは皆育てられているということ。
まだまだ未熟な私のようなものもいるけれど、
安定感のあるメンバーもいる。
いさどんほどの人はいませんが、
こうして育てられた人たちが
別のエコビレッジの立ち上げなどの実践の場をいただくことで、
さらに深められていくのだと感じています。

育ててくれているのは、
神様なのだと思います。

たっちゃん:
僕もここに来て3年になりますが、
この前いさどんがコンサートの時に
「どういうふうに生きていったらいいのか」
ということを話していました。
その時に、何のために生きているのか知る必要がある、
そこがわかるとぶれない
ということを言っていました。
それを聞いていたらひとつのイメージが浮かんできました。
生まれる前に魂たちが、
「次に降りる時はこういう星にしよう」とか、
「こういうふうな日本になったらいいね」と相談しているようなイメージです。

だから僕はここに来ているんだなと思った時に、
すごく大切なことを知っていたはずなのに、
自分事に捉われて、
何のためにここに生まれてきたのか忘れていたなと思って、
はっとさせられました。
今でもこのことを想うと、
もとの流れに戻っていると感じられて、
神様に意識を向けるというのはこういうことなんだな、
本当に安心の中で生きられるんだなと思っています。

一人のリーダーが引っ張っていく時代ではなく、
僕に浮かんできたイメージの中では
皆が光って全体に光が散らばって柱が立っていく。
京都でも滋賀でも
これから出てくるであろういろいろな場所に
皆が光の柱を立てていき、
ネットワーク化していく時の要になる役割をここは担っているなと思うと、
一人一人の意識が大切だと改めて思いました。

今日2月3日の節分は農の暦で大晦日に当たり、
明日は新年を迎えます。
また新たな「変革の年」に向け、
自分の意識を変えるきっかけになりました。

よしどん:
「神の道一本」という部分があったけれど、
ここ4、5日は自分事に捉われていて、
どうしたらそこから抜けられるかなと思った時に、
やっぱり神様だなと思いました。
その時から、
作業をしていても何をしていても、
ずっと神様に心を向けています。
そうすると、喜びが自然に湧きあがってくる。
気づきや想いも湧いてくる。
そういう気持ちの良い状態が続いていて、
この感情は全部神様からいただいているんだなと感じています。

神の道一本で行くというのは、
全ていただいて生きていくというすごくシンプルなことで、
そうやって生きていけばいいんだなと思っています。
これは自分の中では今までにない気づきでした。

いさどん:
僕らにはいくつかのスタンスがあって、
自分の側に立ったスタンス、
家族やまわりの人たちとのスタンス、
それから日本人としてのスタンス、
人類としてのスタンス、
地球の生物としてのスタンス、
この世界の一部としてのスタンスなどがあります。
私たちは、そういったスタンスを同時に持っています。

ただ、どれを認識してやっているかによって、
一人一人与えられる役割が違ってきます。
人殺しのような歓迎できない役割もあれば、
その一方で歓迎できる役割もありますが、
そのどちらも尊く大切な役割です。

僕らは今、
こういった生き方をしていく役割を与えられています。
一人一人がその大切に気づいた時に、
ここが完成されるし、
見本として世の中に示せるものになると想っています。

僕はここを多様性なところにしたいと考えています。
多様性というのは
この宇宙の仕組み、自然そのものです。
しかし、私欲だけの多様性であるならば、
それは今までの社会の繰り返しにしか過ぎず、
それでは見本になりません。

そこでは、気づくものには見守る。
伝えて理解できるものには伝える。
でも伝えてもわからないものには楔を打つ。

ただ、そんなことを一切しなくても、
自分の状態を観て、
自分が今立っているところにふさわしい生き方を
自分で捉えてもらえたら一番いいと思っています。
それは強い願いです。

「畑を耕す前に心を耕せ」という言葉がここにあるように、
どんな出来事であっても
その価値というのは出来事自体にあるのではなく、
その出来事を起こした背景の心にあります。
愚かな心や私欲の心で生きるものにはそういう価値が与えられるし、
尊い心のものには、
全て尊いこととして価値が与えられる世界になっています。

だから、
まず心を見つめることが大切です。
何を目標にして心を見つめるかと言ったら、
「己を忘れて人のためにある」ということです。
それを一番にしてほしいと思っています。

私たちは、
どこかで何かに捉われてしまって窮屈に生きている、
ということに気づかないといけません。
自分を閉じ込めていることから解放してあげることで、
本当に自由な世界が訪れます。
そこに気づいた人は幸せです。

これは人間に与えられた永遠のテーマです。
それがわからないから、
人間は地上に生まれてきたようなものです。
今まで人間は、
そのカラクリの中でいろいろなことを模索してきました。
最近想うのは、
どうもこの世界がそのカラクリを人々に伝え、
そういった物語の最終章が来そうな気がしているということです。

しかし、
それでこの世界が終わるわけではありません。
その最終章を迎えると、
また次のステージが始まります。
どうも、私欲を実現することによって
幸せを得ようとするステージは、
終末を迎えようとしているのではないかと思います。

しかし、その気づきは
まだまだ全体からしたらほんの一部であり、
僕らはその最たるものだと思います。
ほんの一部であっても、
時代はそういうふうに確実に動いています。
感じられる人は感じ始めているのだから、
あっという間に次のステージは来ます。
そこのところへ心を向けてもらいたいと思います。

いつか、「地球にあんな時代があったね」と
振り返る時が来るでしょう。
そのことに皆が気づいたら、
僕のリーダーシップ的役割はなくなるはずです。
そういうふうになることを楽しみにしています。


僕が世の中に対して訴えたいこと

今の社会で勝ち組と言われるような、
会社を大きくしたり、自分の望みを叶えてしまった人たち。
社長さんや、政治家、その他大学の先生。
そういった人たちが、自分のやるべきことをやり終えた後に
「やり切った」と思うのだろうか。
そこで満足してもらっては困ります。

沢山の人たちが激烈な環境で生きている中で、
私は人生の成功者としてそれを成し遂げた。
そういった人たちが自分を振り返った時に、
「それだけで終わっていいんだろうか」という自問が
生まれてこないといけないと思う。

今、世の中が熟してきて、
自分の願いを叶えた人たちが沢山出てきた。
しかし、自分の願いを叶えたということは、
自分の願いのレベルの満足に過ぎない。
自分の欲望を叶えた満足から、
己を離れ世のため人のためにある価値というのは、
もう一つ上のランクになる。

有形でも無形でもいい。
そういう価値を成し遂げ、
自分の徳積みをするということである。
ただ自分の願いを叶えるだけでは、
大した人間とは言えない。
最近、そういうことを考える人たちとの出会いが多く出てきた。
それは、時代も次の段階に進んでいる表われなんだと思う。

お釈迦様のように、
過去に尊い道を私たちに残してくれた聖者がいた。
インドではバラモン教という宗教があり、
一番上にバラモンがいて、
その下に王がいるというカースト制度がある。
バラモンという真理を探究するものが一番上で、
カースト制度では王であってもランクを変えられないということになっている。

しかし、魂がそういう枠を超えて成長していくと、
そういった仕組みは崩壊し消滅していくはずである。
魂がどんどん成長して高まっていくということを考えたら、
王であっても、自分の価値のためにさらに高みを目指すべきである。

そういった魂の旅があるとしたら、
この世の中には企業にしろ政治家にしろ、
いろいろな形の成功者がいるけれど、
その人たちは自分の望みを叶えただけで果たして終わっていいのか、
問われていくだろうと思う。

この世界の先端を担っている人たちは、
ある意味時代の寵児だから、
時代をリードしている。
しかし、その人たちがリードしてきた結果、
病気大国であったり自殺大国であったり、
アンバランスや貧富の差が発生している。
それは、その時代をリードしてきた寵児たちの責任でもある。

その人たちは、それを埋め合わせるための作業をして
人生を終えていくことが肝要である。
個人的な望みを叶えた結果、
世の中に与えたことに対する責任を果たしていないことになる。

そういった人たちに、
「その責任を果たして人生を終えましょう」ということを言いたい。
その時に、財を成した人は本当の意味で豊かになる。
単なる物理的な富を抱えただけでは、
それが汚れとなって自分の価値を落とすことになる。

財といっても、
物理的な金銭や物のことだけを言っているのではない。
知識だって同じだと思う。
自分が築きあげてきた知識が、
本当に世の中のために生きているのか考えるべきである。

自分のためだけに人生を生きて終わってしまったら、
それはあまり高い価値とは言えない。
ただ欲深く人生を終わっただけならば、
財や富、知識は尊いものでも有益なものでもないものになってしまう。
そこのところをしっかりと捉え、
観ていくことが大切な事だと思います。

そういった精神が社会に還元されることによって、
今のこの歪み、格差が是正されて平等な社会ができる。
格差をなくし平等な社会をつくる。
獲得できなかったものも獲得したものも、
そこの奥にある心の尊さに気づき、
霊的にも平等になっていく。
皆が神人として地上に生きる、
そういう時代が現実にできてくるのだろう。

それは最近よく思うことで、
競争社会に打ち勝ってきた人たちに特にそれを訴えたい。

僕は、ある意味では成功者だと思う。
自分の成し遂げたいことを成し遂げた。
まだ全ては終わっていないけれど、
少なくともこういった生活を実現し、
こういう世界をつくりたいと思ってそれを成し遂げた。

しかし、これは僕のビジョンではなくて、
神様のビジョンである。
僕は、神様のビジョンがこの世界に降りて実現することを願っていたから、
さらに成し遂げたことになる。
これは無限の道だからこれからもこのまま生きていく。

世の中にはそれを理解できる人と理解できない人がいるから、
万人がそのことをわかるのは、
時代が進んでいくことで事が成っていくことであるが、
少なくとも僕の内には曇りなく大切をやり切れている。
終わりがないことだから、
今はここまでやり切れている。
そしてこれからもこの延長にやり切っていく確信がある。

いつ死んでもいい。
瞬間瞬間、全く悔いがない。

僕の中に私利私欲が全くない。
世のため人のためだけに自分がいるということは、
大変幸せなことであり、
私欲から解放され自由な世界を満喫できることである。

皆にそういう人になってほしい。
人間にそういう生きものになってほしい。
人としてそう生きてほしいという想いがある。

しかし、それは欲ではない。
なぜかといったら、
そのことによってこの世界に理想が切り開かれるから。
理想が切り開かれるからといって、
「ならなきゃ」とか「したい」というものではない。
この世界の仕組みや流れを観ると、
そちらの方に事が動いている。
ただそちらの方に進んでいることでしかない。

そんなにお金も持っていない、
世の中の成功者とも言えない人たちが、
農的暮らしが大事だと言っている。
それに対して、
成功した人たちがいつまでも自分の財を抱えているようなことでは、
あなたたちは本当に富を獲得してそれを豊かさだと言えるのか。

本当の豊かさというのは、
形あるものを抱えて終わっていくものではない。
それは、単なる欲望を満たしたことに対する価値である。
本当の豊かさというのは、
心の中に積み重ねていくもので、
世のため人のためにもたらすものが価値である。
それが本当の富である。

そのことを僕は世の中に対して訴えたい。