-早朝4時に目覚めて-
いさどん:
目が覚めたのには、理由がある。理由を探ろうと思って下に降りてきた。
それを素直に表現すると、これからますますユニークな生き方を実践していく。それは特定の価値観がモデルとなって世の中全体がそれを追いかけていくような、これまでの流れとは違う。ある意味独創的で、そこに湧き出すものは、斬新でオリジナル。それは世の中の流れが終焉を迎え、新たな時代に切り替わる証として我々の生き方がある。それは独創的だから、モデルがない。モデルは自分たちがなる。だからこれまでの時代が終焉を迎え、次の時代につながる何かを生み出していくだけの能力が常に我々には必要だが、それは努力して積み上げるものではない。これから切り変わっていく先にそれがあるからこそ、今、古い価値観が壊れていく。だから努力することなく、感覚的にそういった生き方を呼び覚ましていく。もしくは呼び覚ますとき、自らの中にその知恵を問うていく。
それには、常にどの分野においても対向発生的な関係が出来上がる必要があり、その延長に様々な個性が存分に表現されていく。そのためには、そういったことを強く意識していくだけの決意ある心作りをしなければならない。
その決意は個人的なものではなく、対向発生を基準とした、二人から始まる集団的意識の連鎖。そしてそれは情を挟まないものでなくてはならない。情や欲の延長の損得勘定を挟まない関係でなければならない。そういったものを挟むと純粋さが失われ、その新たな指針となるべき方向性が湧いてこない。
ここからは天の方に意識を向けてメッセージを引き出す。
現代の人間の意識レベルでは、時代が紡がれていくときに、人はその中で自らのサイクルを寿命として表現し消えていく。そのときに、たとえば藁一本の長さに限界があるように、個々の生の一本一本が複雑に絡みあって縄となり、そして時代が刻まれていく。
この時代に生を受け生きることは、それまでの過去の因縁のつながりの上に生を受け、そして自らの生をそこに絡めて表現することであり、それによってその後に役割を担う生に役割を絡めて渡すということでもある。
途中にある藁の長さが、個々の役割の範囲であるゆえ、その者はその範疇でしかものを見ない。しかし、そのようにして縄が未来へつながっていくことゆえ、今こそ過去から未来への縄の構造を理解し解釈しなければ、時代はどのような意志をそこに表現しているのか、自らが何の目的をもって生を受けているのかわからない。そういった大局に立ったところで世界があることを理解しなければ、人間がこの世界に存在していることの目的を果たすことはできない。
その時その時の状態に振り回され、自らの役割の範囲を表現するだけであるならば、この世界が過去から未来へ永遠に続いていくことの根本の目的とはずれたレベルにある。だから現代人のような自らの命の糸の範囲でしかものを捉えないのでは、この世界がなぜこのように紡がれていくのかが観えないので、その意志を受けとって生きていくことにはならない。
そうすると、世界が我らのためにあるというような錯覚にもなる。本来、世界はある場所や時を区切ってその特定だけにあるものではなく、連綿と続く生の絡み合いが過去から未来へ紡いでいくものである。
それを理解し、表現していく段階に今、人類が来た。そこには個の目的はないとも言えるし、ひとつひとつの生に焦点を当てれば、個性的な個の目的もあると言える。しかしながら、それは個々の自我を満たすものではない。個性があり、役割がある=自我を満たすこととは違う。その構造が人間にはわからないがゆえに、次の時代へどうつなげていくかということを今の人間は見出せない。それは今までの手法に囚われているからである。それは今までの手法を手放し、新たな視点を受け入れる姿勢で時の一瞬に立ったとき、時が教えてくれる。しかし、まっさらで純粋な状態になれないならば、その先の道は湧いてこない。
ここからまた、地の方に意識を戻して語ると、このユニークな生き方が自らの願いや意志では湧き出してこないということは、生きることの目的がそういった個人的なものの意識レベルを超越しているからこそ、生きることに対する願いがないのである。
それは、目的を捨てる、考えを捨てる、自我を捨てるということ。そのように生き、生に寄り添うならば、自ずとやるべきことが湧き出し、明快に歩むことが出来る。とりあえず今、僕とあなたの組み合わせでこの話を伝えるのは、この関係をもってその指針を生み出し、それを確立し示す。改めてこれを語るのは、今までのこの歩みに対する姿勢がこれから来るであろう歩みには十分であるとは言えないからである。それは、もっと凛とした姿勢で臨まなければその役割は果たせない。あなたには十分にその役割を引き受けて果たす意志はあるとみるが、その姿勢はまだ不十分である。どちらにしても道なるものを降ろし示す役割ゆえ、純粋であることはもちろん、自我におぼれることなく、その決意はふさわしいものでなくてはならない。この道を歩むものの常として見本はない。そして、理解者はない。理解する者たちは我々がその与えられた役割を果たした後に、その段階をもっておいおい現れてくる。前もっての理解者はいないと思え。
ひとつだけ心配はいらぬことがある。それは約束の道ゆえ、これを歩んで成就しないことはあり得ない。そこに迷いが生ずるとしたならば、自我が迷いをつくるだけである。極めて簡単なことだ。しかし、自我があるものにとっては難しい。今や、この時を迎えると、この現象の世界にあるものたちは全て亡者とみなしてよい。
分かった。なぜこの早朝に目覚め、あなたに語り出したのか。今日はひまつぶしメニューのコンテストの日。それも新たな時代の流れの現れ。そこでこの姿勢を示す。難しい話をかみ砕いて話す。その精神の上でアルゼンチンでの会議に使われる、次の時代を示す経済プレゼンを仕上げてもらいたい。マスコミの話を聞いていると100%お金の話ばかりする。
では、お金の話ではなければ何につなげたらいいのか。それは絆、真心。「マココロ。」
「ココロ」とは、繰り返し(コ)、転がり出た(コ)、うつろなもの(ロ)。これは宇宙の創造原理だ。
みかこ:
「金の世は済みておる」と金神様は言っている。
いさどん:
「金の世は済みておる」と金神様が言って、これだけ世の中が金の話一辺倒になるということは、末期症状ということ。
みかこ:
お金でうまくいく世の中は終わり、次の時代へのつなぎの時期ということかな。ということは末期症状ということか。
いさどん:
お金の次に何が来るかといったら、マココロ。そして命の絆。命の絆というのは作る必要のないもの。それはもともとあるもの。宇宙の根本原理。
絆は「キツナ」か、「キスナ」か?
「ス」なら「元のエネルギーが発生し(キ)、継続し(ス)、質的転換する(ナ)。」マココロと一緒。
みかこ:
そうか、宇宙の原理がこの世界に現れると命の絆になるんだ。
いさどん:
「ツ」なら「発生したものが(キ)、集い(ツ)、質的転換をする(ナ)。」
その絆の元の原理は、対向発生。今、この場は対向発生している。
この世界には無限の対向発生があり、その連鎖によってこの世界はできている。向き合うことを拒否するから、事が成らない。北朝鮮もどこかの国と対向発生すればそれでいいのだ!
みかこ:
相手を求めているんだね。単独で空砲を打ち上げている状態だものね。
いさどん:
それはむなしいよ。
みかこ:
相手をする国が現れれば態度が変わるかもね。
いさどん:
そうだね。
みかこ:
寂しいんだ。
いさどん:
そう寂しいんだよ。なぜならこの世界の根本原理は対向発生だから、自らのアクションの受け皿がなければむなしくなる。そこで、地に受け皿がないものは天と対向発生すればいいんだよ。そこではエゴに独占されているものは対象とはならない。個と個だけではなく、個は集団と対向発生することもできる。
みかこ:
天と地の対向発生もあれば、地のもの同士の対向発生もある。
いさどん:
だから、個と集団との対向発生もある。
今ここで理解するべきことは、あなたと僕には対向発生による役割があるということ。ただ、今までの姿勢では不十分なところがある。だから、もっと凛としなさいということ。そうでないと、滞ったり事が成らないだけではなく、動きや流れが悪くなる。さらに、精度を上げよ。これからは、それぞれの役割を果たすためのパートナーシップの対向発生の精度を上げていくこと。
みかこ:
しっかり受け取ります。凛とするとはどういうこと?
いさどん:
凛とするということは、しゃんとすることだよ。
みかこ:
一本柱を通すということか。
いさどん:
「リン」とは、分離する(リ)ことを強める(ン)ということ。それは自立するということ。
みかこ:
しっかり立てということか!明快だね
いさどん:
そう。でないと対向発生にならない。
Source of photo:www.aritearu.com/Life/Sky/Hubble/NGC2207.htm