533(いさみ)ナイトより③「どんな大海を行く者も その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな」

僕が30歳でお釈迦様との出会いをいただくようになってから、宇宙の真理や人のあるべき生き方を世の中に広める場を創ろうと思っていました。そんな僕に対して父親は、「夢というものは見るものだ。そして夢というものはいずれ褪せて、それがはじけるものだ」と思っていたようです。僕のプランは40歳でお金儲けをやめて、日々を世のため人のためにお返しする人生を始める、というものでした。そしてその日が近づいてくると、父親の予測とは逆に、どんどん僕の想いは熱くなっていったのです。そして、僕が40歳になって、いよいよそれを実現しようということで、仕事を辞めて両親のところへ行き、両親の面倒をみながら、農業の勉強をし、人々にもそういった心を伝えていこうと自分の生まれた土地に移り住んだのです。

当初、僕が田舎へ戻ったことを両親は喜んでくれていました。ところが、僕が思っていた親孝行と、両親が考えていた親孝行には大きな違いがあり、両親は息子が商売でもっとお金を得て、豊かな生活をするというような一般的な価値観を自分たちの喜びとしていました。しかし僕は、世の中が良くなって、みんなが助け合って暮らせる幸せで平等な社会を創りたいと思い、そのために自らが生まれた土地を活かしていこうと考えていたのです。その結果、両親は僕の理想を理解できず、悩むことになってしまいました。

ある日、父親は僕にこう問いかけました。「おまえな、世の中のためって言うけど、日本にはどれほどの人がいると思うんだ。ましてや、世界にはもっと沢山の人がいるぞ。おまえ一人そんなことを言って、世の中が変わるか?」

そこで僕はこう答えました。「そういう親父のような人が世の中に沢山いるから、世の中が変わらないんだ。そういった人の理屈では確かにそうかもしれないけれど、塵も積もれば山となるというように、そんな人ばかりいるから、今の世の中のようになっているんだ。だから、人にどうしろということは当てにならないが、自分の行いだけは自分の責任で、ひとり分だけ世の中を変える!それは、絶対に出来る!そうしたら、それを見ていた人がわたしも!と言って変わっていく可能性が生まれる。そして、それが広がっていけば、いずれ70億の人が皆そういった考えに変わっていく可能性につながる。もしも、自分がそういった考えを持っていながら、それを怠ったら、すべての可能性が消える!」と伝えました。そして心の中では、「僕がひとりその志を持っているにもかかわらず、親に言われたからと言ってやめてしまったら、世の中は変わらない!」と思っていました。そうしたら、父親は「おまえってやつは、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うといって、どうしようもないやつだ」ということであきらめてくれました(笑)。

その後、ある朝、僕が2階の部屋から下へ降りようとしたら、両親が下でテレビを観ながら話しているのが聞こえました。二人は「どうしたものか。世間の人が息子を見たら、いい若いもんがどこか具合でも悪いのだろうかと思ってやしないだろうか・・・」と悩んでいたのです。それで僕は父親にこう伝えました。「僕も40歳を過ぎたんだよ。そうしたら、早い人は孫もいるよ。僕はもう子どもではないのだから。親父だったって、若い頃は父親の言うことは聞かないで、『俺は筋を通してきた』って言っていたじゃないか。僕も40歳を過ぎたのだから、『老いたるは子に従え』という言葉があるように、子どもの方針を認めて、それに賭けてみたらどうだ」と言いました。しかし父親は、息子の人生イコール自分の考えの延長にしたかったのです。そのあたりで、父親の考えと自分の考えが違っていたことが明らかになってきました。

僕としては、家長制度が壊れていく本家の古田家を盛り返すということと、平成の二宮金次郎が世の中に現れてもいいだろう、という想いでふるさとに戻ったのです。そして、ふるさとで人のあるべき生き方を世の中に広める場を創ろうと考えていたのです。

しかし、父親の想いを受けて、僕は気が付きました。自分は親孝行をしていたはずなのに、与えようとする意識とそれを受け取る意識の価値観が違うがために、親不孝をしていることがわかったのです。親孝行や人を想うことは、相手と通じたときに価値があるのです。どんなに相手を想う心であっても、それがいかに尊くても、相手と通じなければ意味がないと考えたときに、自分は間違っていたと気付きました。その極めつけとして、「自分は世のため人のための人生を生きると言っておきながら、結局自分の先祖や両親を優先して考えていた。ここにも我があることを知って、天はこの我も取りなさいと教えてくれているのだ」と気付き、親元を離れ、富士山へ行き、この生活をしようと決意したのです。

このようにして、ふるさとでの理想郷づくりを半年で断念した僕は、ふるさとを出発する当日、その志を滝神社の氏神様に報告しに行きました。そうしたら、氏神様から次のような言葉が降りてきました。「そなたのことは、上の神様より聞いておった。そなたがここに来て、わたしを盛り立ててくれることを喜びとしておった。だから、まさかここで別の地へ行くとは思わなかったが、それは理解できる。旅立ちのはなむけに、言葉を送る。どんな大海を行く者も、その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな。」そこで、僕はその意味をこう解釈したのです。「この言葉の奥には二つの意味が隠れている。一つは、氏神であるわたしがそなたの魂の親であることを忘れるな。そして、そなたは肉の親とは心が通じなかったと思っているかもしれないが、そなたのふるさとである両親のことを忘れるな。」

それから月日が経ち、僕が42歳で富士山麓に移住してから、父親は持病が悪化し入院していました。僕も時々富士山から岐阜の病院へお見舞いに行っていたのですが、父親と僕の間には心の壁ができていました。父親からすると、最高の息子ができたと思って僕に賭けていたのが、自分の思惑と違う息子の生き様を見ていつも悩んでいたのです。父親が亡くなる1週間前、僕のいないときに父親はおふくろにこう言ったそうです。「おい、もしかして、あいつの言うことのほうが本当かもしれんな。」そう言って、父親は亡くなっていきました。

しかし、僕には不満でした。「わかるのであれば、生きている間にもっと明快にわからなければいけない。そんなツケを残したような形のわかり方ではダメだ」と思いながら、父親の葬式の日が来ました。僕は父親が生きている間にそれを伝えたったのですが、何しろ死ぬ間際でしたし、昔の人にそのようなことをわかれとは言えませんでした。しかし、肉体がなくなって魂だけになれば、親子ということではなく、魂同士で思う存分伝えられると思ったのです。それで、昭和天皇様が亡くなられたときに声をかけたように、僕は父親の葬式が終わってみんなが帰っていった後、仏壇に向かって、「親父、何もして行かなかったな。古田家は、後は自分のことばかり考える兄弟たちだから、もう決着がつかなくなる。あなたは筋道を通すと言うわりには、何も筋道を通さずに終わったじゃないか」という意味で、父親に死んだ心境を尋ねました。死んだ限りは僕と対面すれば、僕の心が何ものかがわかると思って語りかけたのです。そうしたら、父親はこう言いました。「俺にはようわからんがな。でも、これで良かったそうだぞ。」

そのとき、父親の魂の上を観たら、そこに光が観えたのです。それで、「父親は光を観たのだ」と思い、僕は気付きました。父親は自分が誇れる最高の息子を得たと思っていたのに、ガッカリして旅立っていったのです。ところがそうではなかったということと、僕は僕で「このケジメをつけない人は何なのだ!」と思っていた人が、実は神様の使いだったのだと気付き、お互いに発見したのです。

そのときに僕はこう思いました。「どんな人であっても他人というものはこんなに赤裸々に人間の愚かしさや矛盾を見せてはくれない。しかし、僕の両親が本当に赤裸々に人間の矛盾を見せてくれたことによって、自分は人というものを学ぶことができた。両親が無理解だったからこそ、自分は大きな道を歩めるのであって、もし両親が自分の想いを理解してくれていたなら、自分はこの小さな山の中で暮らしていたかもしれない。そうしたら、僕の人生はまったく別のものになっていただろう」と。ふるさとにいることと、大海を行くことの意味はまったく違うのです。

だから、すべては神の成せる業だと気付きました。思うようにならないことも、思うようになることもすべて、天の意志なのだと。しかし、そのようにこの世界を受け取っていないと、わたしたちは都合の良いことだけを天の意志だとしてしまうのです。

しかし、真実は、自らの襟を正して生きていくことが大切です。そして自分が生きた結果、世の中が襟を正していく ―― それが真の生き方です。

 

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533(いさみ)ナイトより②「信じる心で生きていく」

僕は30歳のときにお釈迦様との出会いをいただくようになり、その後育っていくためのいろいろなプロセスを経て、32歳からたくさんの人々を対象によろず人生相談を受けるようになりました。何でも相談を受けるということは、僕がどのような話にも乗っていくからです。たとえば会社の経営が上手くいかないとか、人事をどうしたらいいかとか、進学・就職・恋愛問題はもちろん、家庭不和・子育て・病気の相談まで何でも相談に乗って来ました。あの当時不思議だったのは、僕は自分で答えている意識がないのです。口が勝手に動くのです!お筆先ではなく、僕の場合は「お口先」でしたね♪今でも時々そんなことがありますが、話していると新しい発想が湧いてくるのです。そうすると、自分がそこから学びながら話しているときがあります。当時はまったくそうでしたね。だから話したくて仕方がないのは、自分の口から出てくることを学びたかったのです。

そのときに、自分の口から出てくることを学ぶのですが、そこには未熟な自分もいて、囚われた自分がそれに抵抗するのです。ですから、降りてきた発想は優れていることばかりなのですが、それを自らに囚われて受け取れない自分に苦しんでいる時代があったのです。31歳から33歳の2年ぐらいはとても辛い時代でした。当時は苦しくて、ひとりになると毎日泣いていましたね。泣くどころかもっとひどいときは、自分の頭を自分のこぶしで殴ることもありました。でも、それは頭が痛いだけで、何の解決にもなりませんでしたけどね(笑)。

当時、特に夜、仕事の帰りにひとりで車に乗っていると、車の中でしょっちゅう泣いていました。時間が遅くなればなるほど、道路を走る車の台数も少ないので、まわりを気にすることなく、いろいろと想いを巡らせていました。そうやって自らの想いを巡らせ、それに対して天から答えをいただくと、そこに抵抗する自分が出てきて辛くなるのです。それで車を走らせながら、「わーーーっ!!」と大声をあげながら、顔は涙でくちゃくちゃになることもありました。そういったときに赤信号で止まると、たまたま隣に止まる車もいるのです!僕がすごい顔をしているので、隣に止まった車に乗っている人は僕の顔を見て、「えっ?!何あれ!!」と驚いていることもたびたびありましたね(笑)。

そのような日々を送っている中で、ある日の午後、僕は県道春日井・岩倉線の延長に岩倉から一宮に抜ける道を東から西へ向かって走っていました。一宮に入って間もなく、名古屋から岐阜に向かう国道22号線(通称名岐バイパス)の交差点に差し掛かり、赤信号で止まったのです。正面右向こう角には名岐ボールがありました。そこへ差し掛かる少し手前から、僕は天に向かってその当時自分が抱えていた天に対する不満を投げかけていたのです。

「わたしはこの道をいただき、その道が尊くありがたいことであることを自覚しています。ですが、わたしはその道をいただき、未熟者ゆえ、今苦しんでおります。もし、あなたがわたしにその道を選ぶことを尋ねてくれていたのであれば、わたしにも選択肢があったはずです。しかし、あなたはわたしに何の投げかけもないままに、わたしはこのような道を与えられたのです。それにはすべて同意の心を持っているのですが、一方で自らの囚われに執着する自分がいて、毎日苦しんでいるのです。わたしがこのように辛い想いをしていることはおわかりになるでしょう?もし、最初にわたしに断ってくれれば、わたしにも選択肢はあったはずです。それなのに人を無視して!!何ということをするのですか!!」と不満を言っていました。(そのときちょうど、名岐バイパスの赤信号で止まりました。)

するとお釈迦様から一言、こう返ってきました。「ならばこの道、やめるか!」

それを聞いて、僕は次のような感情が湧いてきました。「何を言っているのですか!!この世界にこの尊き道を知らずして行かぬ者はたくさんおります。けれどもひとたびこの尊き道を知って、行かぬ者がおりましょうか。あなたは何を言っているのですか!!わたしが不満を言うからと言って、やめるということはないでしょう!わたしは絶対にこの道をやめません。どんなに辛くても、やめません!でも、わかってもらいたいのです。わたしは今、辛いのです!!」

よく考えてみたら、「それなら不満を言うな!」ということなのですが(笑)。しかし今、僕がそれを逆に与える側からの目線で観たら、「だからおまえ、超えられないものを超えればいいのだろう?おまえはそれをやめたくないのだろう?」ということなのです。「やめたくなくて、それを超えたいのだろう?」と問われれば、「はい」ということになります。そうしたら、「超えられないと言って苦しいのは誰のせいなのだ?」ということになりますね。みなさんも自分のことのように思いませんか?僕にもそういう時代があったのです。31歳から33歳の2年間はそのような時代でした。

みなさんは幸せですよ♪なぜなら自分のぐだぐだを聞いてくれる生の者がいるのですから。(いさどんは自分を指差しながら)これは生ですよ♪しかし、僕に降りてくるものは得体が知れないのです!これは悪魔かもしれませんよ。そういった不確かなものに対して、僕はこの道を歩んできたのです。「信じる」ことがどれほど難しいか。それが降りてきたときに、僕の中には疑う心があったのです。疑う心があっても、この道は絶対やめてはいけない――と思いながらこれまで歩んできました。

それは僕たちが富士山に移住してきたときも同じです。この意味のわからない生活を始めて、これがどうなるのかなんて、まったくわかりませんでした。どこの農家でも息子に農業を継がせたくない時代に、若い女の人が農業をやっているだけで、「畑に20歳の女の子がいるから変だ!」と言う人がいたり、世の中が核家族になっていく風潮の中で、「集団で暮らしているから変だ!」と言われることもありました。当時の日本は何でも既製品の時代でしたから、変わったことをやると変だという時代だったのです。しかし、僕たちはいくら変だと言われても、まったくわけがわからなくても、大切なのだという心だけでここまで歩んできたのです。それが「信ずる」ということです。

答えがこうだったらやってもいい、という考えは信じていることにはなりません。ある意味、僕は不幸でしたね。何しろ、自分の歩んでいる道に確信があるわけではないのですから。僕が30歳のときに黄金のブッダが現れたとき、なぜそのようなものが僕のところに来るのか、意味がわからない。尊いとは思うものの、自分にそれだけの価値があると思わないし、ではなぜ僕のところに来るのか。僕の通知表はすべて3だったのですよ(笑)♪死にたいくらい、とりえがなかったのです。それなのに、そのような尊いものが僕のところへ来たのです。しかし、尊いことを図れる秤はありません。そこにある、それだけで尊いのですから、理由はないのです。

僕はひたすらわからない道を歩んできました。わからないけれど、いつも大切だという心で歩んできました。そして歩んでいった結果、その答えがいつも用意されているのです。だから、答えは歩んでいった先にあるのです。とかく人は先に答えをもらってから歩もうとしますが、それでは信仰の境地に到達できません。まず先に、信じてから進まないといけないのです。

これは生の話です。オリジナルな話です。どこかの本に書いてある話ではありません。イエス様でもお釈迦様でも、このような聖人と呼ばれる人たちは皆、物語になってしまっているのです。しかし、僕は知っています。この人たちは怒りもしたし、悩みもしたし、苦しみながら生きていたことを。生の人間をやりながら歩んでいったことを。

だからどこかで僕は、それが前人未到の道であるならば、先を行く者の辛さがわかるのです。逆に言えば、それだけやりがいがあるのですよ♪それを大切だと思えば、誰もやっていなくても、後から来る者たちのために自らの人生を賭けることができます。そこでは、自分のための道はないのです。あるとしたら、自分の人生が終わったときに、やりきったという満足感が自分のための道だと思います。

 

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533(いさみ)ナイトより①「3ばかりの通知表」

5月3日はいさどんの誕生日。1951年5月3日の午前3時頃、岐阜県美濃の地にて古田家に三男坊が生まれました。5月3日生まれの三男坊、すなわち「5・3・3」ということで、当初は「伊佐美」という名前が付けられようとしていたいさどんですが、父親が役場に出生届を出しに行った際、役場の受付の人から「これは伊勢の伊ですね・・・それよりもこちらの偉のほうがいいじゃないですか」と言われ、「偉佐美」と命名されることになったのです!頑固者で人の言うことをあまり聞かないいさどんの父親が役場の受付の人に言われただけで、簡単に名前につける字を変えるなんて、ある意味信じがたいことです。しかし、神様は役場の受付の人をも使って、天の意志を地上に現したのです。

今、いさどんは自らの名についてこう振り返ります。「偉いという字がついたことで、僕には昔からプレッシャーを感じることがありました。自分のことをたいして賢いとも思わないし、たいして立派な人だとも思っていなかったので、名前がプレッシャーになることもあったのです。しかしいつの頃からか、自分はこの字をもらう宿命だったと思うようになりました。そして、この字でなければ、イサミのイはヒフミヨイのイ(五・位置という思念)になるのです。それに対し、ヰ(偉)はヒフミヨイムナヤコトという物事の始まりから終わりまでを悟った最終段階の状態です。昔はその字をもらったことをプレッシャーにも感じてきたのですが、今はその仕組みを語れていると思うのです。」

533ナイト
533ナイト

5月3日の夜はいさどんへのサプライズプレゼントとして、「533ナイト」が開催され、いさどんの人生をファミリー皆で振り返り、一人ひとりがこの生き方に対する志を再確認する場がもたれました。今回は、その夜にシェアされたいさどんのエピソードを3つご紹介します。

 

「3ばかりの通知表」

実は、僕は死にたいと思ったことがあるのです。それは、小学校5年生のときでした。僕は6人兄弟の5番目なのですが、僕に近い兄弟である上のお兄さんとお姉さんは結構勉強ができたのです。僕の小学校のときの通知表を見ると、3ばかり並んでいました。それで小学校5年生のときに家庭科の授業があったのですが、僕はこういう人ですから、「男に家庭科なんて必要ない!なんで男がぞうきんを縫ったりしないといけないんだよ!」といった男気がありました。ですから、ぞうきんを縫ってくることが宿題で出されたときに、とてもむかついた記憶があります(笑)。それで、縫い目を大きくして、がばっがばっと縫っていったら早いじゃないですか(笑)。それを提出したら、その年の通知表には家庭科に2がついていたんですよ!初めてあひるをもらって、それが僕にはとてもショックでした。僕は理数系でしたから、算数と理科だけは時々4をもらっていたのですが、なにしろ3ばかり並んでいました。通知表がすべて3だったときもありましたね。

そうしたら、父親がその通知表を見て、「おまえってやつは3ばっかだな」と言ったのです。3ばかりというのはある意味喜ばしいことでもあると思うのですが、そのときの僕には「とりえがない」と受け取れました。「とりえがない、だから不必要だ」と思ったのです。そうなると、「自分には生きている価値がない」と思うようになったのですから、思い込みは恐ろしいものですね。それで、物置へ行って何を使ったら死ねるか真剣に考えてみたり、川へ行って深いところへ飛び込んだら死ねるかなとか、でもそういえば自分は金槌だから本当に死んじゃったらどうしようと思っちゃったりして(笑)。寒いだろうなとか、苦しいだろうなとか、何か刃物で傷つけたら痛いだろうなと思いながら、さてどうやったら死ねるかと真剣に悩みました。

僕の人生の中では、それ以外死にたいと思ったことはありませんね。ずぶとくなりましたからね(笑)。ですから、いさどんでも真剣に死にたいと思ったときがあるのです。死にたいと思うのは自我の強い人間の特徴なのです。しかし、死んでしまったら、元も子もありません。死にたいと思うのは自分に囚われているからです。誰かと比べたり、よくあるのは自分に意識が行き過ぎてしまうと、他の人の目が気になるのです。そうすると、みんなの目線が自分のところに向いていると思ってしまうのです。

僕はこうやって人前で話すようになりましたが、小学校の高学年から中学校にかけては対人恐怖症で絶対話せませんでした。富士山に移住してからも、いろいろなところへ呼ばれてお話しするようになりました。たとえば会社の経営者の集まりに呼ばれることもあったのです。そうすると、「話を聞きに来る人は優れた人たちだ」と自分で勝手に想像して、プレッシャーを自分にかけていくのでした。たくさん人がいることに対して、それを漠然と見ていると、「みんな優れた人たちなのだろう」と思ってしまうものなのですが、実際一人ひとりに会って話してみると普通の人たちで、そういう場所ではみんな背伸びをしてかっこつけている人が多いのです(笑)。そのことに気付いてからは、自由に話せるようになりました。ところが、多くの人たちは、自分でつくり上げた縛りを取って自由に話すことがなかなかできないのです。だから、僕の話を聞きに来ていることに気付きました。それで聞いている人たちが、「あの人はすごいなあ!」と思うようになるのです。

しかし、こちらにいることもそちらにいることも、たいして変わらないのですよ♪僕にはそのカラクリがわかったのです。ほとんどの人は内にある秘密を話しませんよね。そこで、僕が前へ出て馬鹿話をし、なかなか人前では話せないような話をしていくと、自分を隠して良く見せようと思っている人たちは、「あの人は自分にはやれないことをしている!」と思うのです。これは、ほんのちょっとの意識の違いです。みなさんもそのカラクリに気付けるといいですね♪

 

 


地球意識から銀河系意識へ

4月29日(金)〜5月1日(日)の3日間に渡って、希望の光プロジェクト第4回イベント「新しい世界を描き出す」が、木の花ファミリーにて開催されました。

今回のイベントでは、事前に準備されたプレゼン資料を紹介するだけではなく、その場で多くの実りのある話が湧き出し、今までとは一味違った内容のものとなりました。

(イベント終了後の記念写真)
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今回のいさどんブログでは、イベント2日目にいさどんが語った銀河系意識の壮大なお話をご紹介いたします!

 

「地球意識から銀河系意識へ!!」

冥王星が示す248年の周期によると、今から約一周前の1760年にイギリス産業革命が起こり、1766年にアメリカ合衆国が建国されました。それから248年が過ぎた2008年リーマンショックがあり、それから8年が立ちました。ですから今、パナマ文書が世界で話題になっているように、250年前に始まったイギリス・アメリカの価値観の闇が暴き出されているのです。イギリス産業革命以降、世界をリードしてきた国々が今、混乱に陥っています。それは、250年間続いた物質至上主義の世界の終焉を意味しているのです。

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このように捉えると、安倍首相は首相になった当時、その価値観の延長に未来を夢見て、「強い日本、豊かな日本をつくっていくことがわたしに課せられた課題」と強調しました。しかし、宇宙的に観ると、もはや物質的な豊かさだけを求める時代は終焉を迎えていることが理解できれば、今やその価値観の延長に何をやっても上手くいかないことに気付くのです。ところが、安部首相はじめ今の世界のリーダーたちの思考は自国の利益のみを優先し、経済一辺倒になってしまっているのです。ですから、安倍首相にはこの「希望の光」の場にいていただきたいと思いますし、7月に開催される大人サミットにはぜひ来ていただきたいと思っています。

本来、この世界に存在するものはすべて、螺旋を描きながら宇宙空間を移動しています。ですから、そこに軸が通るのです。それとは逆に、軸のない邪(よこしま)な回転だけでは、思考回路が行ったり来たり回り続けているだけの状態です。

これは、COP20でも今度開催される伊勢志摩サミットでも同じです。そこでは今の世界の現状を画期的に改善する結論は出ないのです。それは現代医療の現場で行われている対症療法と同じで、たとえばテロ対策はどうするのか、北朝鮮をどう扱うのか、とすべて起きたことに対して対症療法をしているだけなのです。ですから、いろいろなところで問題が起きても、もぐら叩きのようにそのたびに対症療法の思考を回しているのが現状です。

そこで、G7と言わずに、もうひとりG(爺)を入れて、G8にして、僕を入れればいいのです(チーン♪)。みなさん、そう思いませんか(みんな、笑)? G7と爺1!

個人は、リーダーが悪いと言います。しかし、それは昔の話であって、王様が悪いから国がよくならないとか、宗教家が悪いから人が悟らないという時代から、これからは白陽期と呼ばれる「庶民の時代」です。つまり、わたしたち一人ひとりが目覚める時代です。

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あなたが目覚めれば、それにふさわしく国会議員を選びますよね。一人ひとりが目覚めたら、選ばれるリーダーも変わるのです。「クニ」の思念をカタカムナで紐解くと、「自由が定着したところ」という意味になります。それは、民衆が自由に振舞って調和を表現する世界です。ですから、クニとは民衆の自由意志によって、その意志にふさわしいリーダーが選ばれるべきです。どのような独裁国家であっても、民衆の心が離れたら存在することはできません。そうすると、なぜ独裁国家があるのかというと、それは民衆が支持しているからなのです。たとえばミャンマーが長い間軍事政権を続けてきたのも、アメリカ型の発想からすると、アメリカの考えに乗らない軍事政権が悪者扱いされていたのです。しかし、ミャンマーの中には軍に所属する人がいて、その一人ひとりには家族がおり、そこから送り出されていたのです。それは民衆の中から軍に参加していたことになります。ですから、軍が民衆に支持されていたからこそ、軍事政権が続いていたという捉え方もできます。それをわたしたちは、アメリカ型報道によって民主国家ではなければダメだと刷り込まれていたとも取れるのです。そこにはそれにふさわしい存在すべき理由があったのだと思いませんか?

これからの時代、一人ひとりが目覚めて世界のリーダーを選べば、世界は変わります。いつの時代でも、リーダーは必要です。ただ、トップダウンの形態によるクニの治め方ではなく、今の木の花ファミリーのような皆の総意によってなることが大切なのです。

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それは、「地球意識」から「銀河系意識」になるということです。太陽系のリーダーは太陽ですね。太陽系では、太陽が惑星を引き連れて共同で太陽系を運営しています。ところが、銀河系には太陽はありません。銀河系の中心で光っているセントラルサンは、古く年老いた星の集合体です。老齢の恒星が中心に引き寄せられて、恒星だから光るのです。それが中心に集まった恒星群が太陽のように光っているだけなのです。それは、長老が集まって方針を決め、若い者たちが運営するという全体性の中にあります。かつての原始的な社会やカタカムナ人はそのように生きてきました。

ですから、これからは「銀河系意識」の時代です!わたしたちは太陽からいのちをいただいていますが、それを銀河系からいただく時代が訪れています。それは、物理的な光から「アマハヤミ(思念の速度。光の速度の10の64乗)」を基軸とした意識によって生きるということです。そのほうがはるかに速く、優れています。

地球意識から銀河系意識へ!!
これからの時代、新たな世のクニツクリをするのは、わたしたち一人ひとりです。

 


災害はメッセージ

4月14日以降熊本県を中心に連続して地震が発生したように、今、日本のみならず世界のあちこちで地震や火山噴火などの自然災害が頻発しています。2月14日から3月12日にかけて開催された「1ヶ月間の真学校」では、「災害に向かって生きる」というプログラムが提供されました。そのプログラムの冒頭でいさどんは次のように語りました。

いさどん

「災害」というのは、人間から見た解釈です。地震も津波も地球の生命活動であり、それは新陳代謝でもあるのです。わたしたちの体も同様に、毎日多くの細胞が死に、そして新たな細胞が生まれてきています。地球の中でも新陳代謝の激しいところと比較的安定しているところがあります。また、長い地球の歴史からすると、大きな変化が起きた時と長く安定していた時があります。それは、地球が生命であるということです。そしてその生命は宇宙そのものであり、宇宙は常に変化、変容、変態を繰り返しているのです。ですから、わたしたち人間が築き上げたものが壊れたといって区切って見る解釈は、きわめて人智的な捉え方なのです。それは、長い目で見たらものは必ず壊れるからです。生命自体は誕生、維持し、それが壊れ、空(くう)となって、また始まるという循環の中にあり続けるのです。

今日は3月6日です。あと5日で東日本大震災が発生してから5年が経ちます。東日本大震災で約2万人の人々が亡くなり、たくさんの物が壊れましたが、あの震災を振り返ってみると、あの地にはこれまでに何度も地震がありましたし、津波もあの地域を襲っていました。しかし、長い間に人々は古くからの言い伝えを忘れてしまい、人工的な防波堤を信頼し、危険な場所に住んでいたのです。昔、そうしたことを伝えていた道祖神など(波分け観音など)がありましたが、人間の欲が勝ってしまったがために人々はそうした伝統的な言い伝えを無視し、便利さのために危険な場所に住んでいたことが、5年前の震災があったときに明らかになりました。

しかし、そういったことを天然循環法で捉えると、直観で感じ取り、そのようなトコロに住まない、もしくはたとえ津波が間近に迫っている時でも、直観でそのような兆しを感受することができれば逃れられたはずなのです。危機的な状況の中で直観が働き、命が守られることは、生命感が優れている証です。しかし機械的な情報ばかりに頼ってしまい、人間の生命感が失われていると、災害に遭うことになるのです。例えば、ゴキブリやネズミは家が火事になる前に引っ越していくそうですが、人間はお酒を飲んで寝ていたりして亡くなることがあるのです。本来、わたしたち人間もそのような生命感を持っているはずなのですが、今の人々はそれを失っています。

災害を語る前に、何よりも認識しておかなければいけないことは、わたしたちは生命であり、生まれたら必ず死ぬということです。そうであるならば、むやみやたらに死ぬことを恐れる精神状態を考える必要があるのです。つまり、死は生きることの集大成なのですから、その生きる中身がどうであるかによって、死はいつ訪れても恐れるものではなくなるのです。なぜならば、死は必ず訪れるものであり、生きることの結果必ずついてまわるものだからです。ですから、もし死にたくなければ、生まれてこなければいいのです。ところが、不思議なことに人は生まれてくると、生きていることに対して一喜一憂するのです。大切なことは、わたしたちが生まれてきた意味や生きる意味、そして死んでいく意味をホリスティックに理解した上で、生命世界を生きていくことなのではないでしょうか。そのように捉えると、災害が少し違って見えてくると思います。

災難というと、何か嫌なことが訪れ、出来れば避けたいと思うものですが、地球の歴史を遡ってみれば、生命は何度も大量絶滅を繰り返してきました。少し不謹慎な話かもしれませんが、僕は津波のことを思い浮かべたときに、たらいの中に浮かべた板の上の蟻を想像したのです。たらいに浮かべた板の上に蟻を何匹か乗せて、水面に何かを落とすと、波が起きて板の上に水がかかります。蟻からしたら、その波は5メートルくらいの波でしょうか。この写真の津波も、5、6メートルくらいでしょうか。

出典: geocities.yahoo.co.jp
出典: geocities.yahoo.co.jp

そうすると、たらいの中に何か物を落として、波が起こり、蟻の何倍かの高さの波が蟻の上を通っていったとき、それを地球の大きさに例えればほんの僅かな現象なのです。例えば、地球上には最も高いエベレストという山があります。それは9千メートル弱です。それから海の一番深いところが1万メートルくらいありますが、地球の直径は約1万2千キロメートル、また大気は約100キロメートルあります。地球にとって100キロメートルは卵に例えると、卵の殻の部分に匹敵します。そうすると、この地球は山の皺や海のへこみを含めても、とてもきれいな球だということです。そこに5メートル、10メートル、30メートルの津波が来ることは、ほとんど何も起きていないに等しいのです。ですから、わたしたちにとっては大変なことが起きたように思えたとしても、地球規模で言えば、それは何も起きていないに等しいのです。それに比べ、わたしたちがご飯を食べる前に手を洗うとき、それは手についている菌からすると、災害が起きているような大変なことになります。もしも、しっかり手を洗う人がいれば、手についている菌にとっては大災害に出遭い、大量絶滅したことにもなるのです。

今回の真学校では世界観を広げることがテーマでした。そして世界観のスケールが大きくなればなるほど、被害を受けたと感じる被害者意識がほとんどなくなっていきます。地震は地球の生命活動であり新陳代謝なのですから、宇宙から見たら地球はとても安定した星なのです。ですから、自然災害が起きて報道されるたびに、僕にはそのようなイメージが浮かんできて、「それほど大したことは起きていないのになぁ。これは定期的に起きている地球の新陳代謝であり、生きていることによって生まれたひずみが、地球をほんの少し変えているだけなのになぁ」と思うのです。そして、ほんのちょっとの水の波がこのような現象を引き起こすのですから、手を水で洗ったくらいではなかなか菌が取れないのと同じように、人間の営みも5年もすればまた元の状態に復活していくのです。

出典:http://workers-magazine.com/
出典:http://workers-magazine.com/

このように捉えると、ものの見方が変わっていきます。ものの本質を捉える時に、世界観が狭く囚われの心で見れば、それはとても悲惨なことであり、大切な人を無くしてしまった悲しく追悼すべきことになります。この震災で2万人くらいの人が亡くなりました。しかし、災害などがない時にも人はどんどん亡くなっていきます。僕は、人々が亡くなったことがどうでも良いと言っているのではなく、こうしていろいろな形で新陳代謝が繰り返されていることを理解する必要があると伝えているのです。ましてや災害対策を考えれば、生きているわたしたちにとって死は常に隣り合わせにあり、どのような形にしろ、わたしたちにはいずれ死が訪れます。宇宙において死ぬことは、正の方向であり流れです。ですから死を恐れるのではなく、どう生きるのかが大切であり、その死を満足のもとに受け入れていくことが重要なのです。さらに、死ぬことは宇宙の流れからすると、また生まれてくるということでもあるのですから、爽やかに生きて、気持ちよく旅立っていけば、また爽やかに生まれてくることになります。これはお金でも同じことです。気持ちよく使う人には、また気持ち良いお金が入ってきます。このように全てのものには、人の心の響きが乗ります。人生にも心の響きが乗りますから、生きることの心構えとして、いかに宇宙法則に乗せて気持ち良く流していくかが大切なのです。そのように解釈すると少し気分が変わりませんか?

「今日は防災訓練だ!」となると、火事になったときにどうしようといった話になって、とかく人は構えてしまいます。リラックスしていれば、全身の細胞がパラボラアンテナのようにセンサーになり、それが色々な変化を感受するので、上手に天の気を読むことができるようになるのです。しかし、「助かりたい!」という想いが強くなると、色々なものにぶつかってしまい、かえって動きが悪くなります。ですから、防災に対する捉え方も、人の心に起因するものだと僕は思います。こういった話をすると防災の話は不要になってしまいますが、資料が用意してありますので、今から一緒に見ていきましょう。

 
スライド4

この後、「災害はメッセージ」のプログラムのプレゼンに沿って、いさどんとみちよが話をしました。その後、ワークショップ形式で、参加者一人一人が自分たちが暮らす環境を振り返る時間が持たれました。

防災WS (3)

 
そして、最後のまとめとして、いさどんは以下のように語りました。

 
今日は、防災について学ぶと同時に、防災とは何かということをみんなで話し合いました。そこで至った結論は、わたしたちが生きると、色々な問題事に出会うということです。これは、真学校を通して一貫して皆さんにお話ししてきたことです。問題事に出会うことは、わたしたちが自我で生きていることに対して、この世界の法によって生かされていることをわたしたちに認識させるためのものです。わたしたち自身は、肉体と心により形成されています。それは自身の内から外に向かって観た視点です。同時にわたしたちは、外から内に向かってこの命が形成されるネットワークの中にいるのです。その双方の成り立ちを意識したバランスの取れた視点を持てば、宇宙が完璧に素晴らしい世界をわたしたちに提供してくれていることに気付くのです。

地上を生きるものとして世界観が狭ければ、物事を広い視点で捉え、そこにある流れや生きることの意味を理解することは難しいでしょう。しかし、わたしたちが地上を生きる役割は、もっと大きな宇宙の仕組みである調和や愛を地上に表現することです。そのことがわかれば、それらを地上に表現できるのです。それが天と地の和合であり、地上に天の法則を表現する役割を果たすことになります。それが本来、わたしたちが地球に生きることの意味です。それが宇宙の実相ですから、それを地球という特別に創られた奇跡の星で表現することが、わたしたち人間に与えられている大きな使命なのです。わたしたちは過去から未来に向かって時代を紡ぎ、その役割として地上に現れ、この宇宙物語を表現しているのです。

web of lights
出典: https://judithkusel.wordpress.com

災害やそれに対する防災を考えるとき、わたしたちの世界観が狭ければ、そこに起きることに対する対策をすぐにしたがるものです。そうした対策は大いにする必要があるのですが、それが目先だけに囚われた解釈になると、それは辛いことに対する対策で終わってしまいます。しかし、災害に出遭うことや災害に備えてその意味を考え、語り合うことは人々の霊性を高め、世界観を広め、最終的にはこの地上に理想の世界をもたらすきっかけとなるのです。ですから人々の意識が宇宙法則から外れるほど、天はわたしたちにそういった出来事を通して考えるチャンスを与えてくれるのです。そのような災害の捉え方をすれば、ただ辛いことに出会っただけではなく、災害もありがたいこととして受け止められるのです。生命として生きることはそのような高い意識を創る世界に存在することであり、そして自然の中に生きることは、ある意味自我を超える修行をしているようなものですから、厳しく感じられるようにできているのです。

そもそも、この世界は矛盾から生まれたのですから、その矛盾の現れである自然の中に生きることは、常に矛盾を埋め合わせて行くことになります。そのカラクリを知り、その中で翻弄されるのではなく、見事にそれをすり抜けて生きる術を見つけたならば、わたしたちはもっと大きな存在になれるのです。それは、宇宙を理解し、命を超越して宇宙を旅するコノハナ人になるということです。

真学校も終盤を迎え、この学びに出会うことの意味が皆さんに定着してきたと思います。当初は、皆さん一人一人の人生の課題に向き合うということでしたね。そろそろ、自らの存在がこの世界を担っているという高い意識に目覚めることが、真学校に出会った意味だと気づいていただければと思います。そして、人は必ず死にます。その時に悔いのない旅立ちをするために、皆さん一人ひとりが高い意識の元にこの世界の成り立ちを担っていることを意識しながら生きていくことを願っています。