「これからが真のスタートです!」~1ヶ月間の真学校より

2月15日から3月14日にかけて、木の花ファミリーでは第1回「1ヶ月間の真学校」が開催されていました。寝ても覚めても宇宙視点三昧の1ヶ月間を経て大きく変化した受講生たちは、現在も木の花ファミリーに長期滞在をしたり、新しい生活を始めながらも毎晩の大人ミーティングにスカイプで参加するなど、それぞれの学びを続けています。
そんな受講生たちへ向けて、真学校最終日の朝にいさどんが語ったお話を、改めてご紹介します!

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いさどん:
この1ヶ月間はあっという間でした。今、みなさんに、この1ヶ月の学びを定着してもらうために何が一番良いのかを考えていました。
学校では義務教育の9年、それに12年、16年・・・と学ぶ人もいますが、その学びはみなさんの中ではどのように残っていますか。学んだことの何パーセントくらいを日々に生かしているのでしょうか。
学校での学びの多くは知識を学びます。そこから自らに相応しいものを取り入れていければ、全て人生に生かせるというものです。100の学びをして、一律80%の学びを得られたとしても、人によって必要なものと不必要なものを仕分けしているのです。
逆に言えば、もし自分が必要だと思うものだけを取り入れていったら、その人は自分の枠の中だけで生きることになります。ですから、不必要と思うものをどのくらい自分の中に取り入れて有効に生かすかによって、その人の幅が広がるものです。

今朝、みなさんがどのよう表情をしてここに来るかを想像してみました。1ヶ月間の学びを終え、昨日の修了パーティーまでの顔と、今日旅立って、日常に戻るときの顔は同じだと思いますか?

みどりーぬ:
全く違う。モードが切り替わっている。

いさどん:
元のモードに戻ってきているということですね。個人差はありますが、僕がみんなの顔を眺めてみると、元のモードに戻ってきている人と、意外と戻っていない人と、完全に元のモードに戻っている人がいます。
では、何のためにこの学びをしてきたのでしょうね。みなさんは真学校で何をやりましたか。

みどりーぬ:
心磨き。

150314-133548いさどん:
心磨きはなぜ必要なのでしょうか。

みどりーぬ:
物事の奥を観るため。

みへちゃん:
幸せで平和な生き方をするため。

いさどん:
それは誰のためですか。

150314-133846あわちゃん:
世の中のため。

みへちゃん:
地球のため。

いぶちゃん:
宇宙?

いさどん:
ハッハッハ。それって、本当に考えていますか?

いぶちゃん:
社会、地球ときたので、単純にもっと広いところを言ってみました(笑)。

いさどん:
そういうのを知識というのですよ。今は、あなたが心から自分らしく想っていることを聞いています。

150314-133637のりこちゃん:
豊かな波動を出すため。

いさどん:
それは何のために必要なのでしょうか。

のりこちゃん:
豊かな波動を出すと、自分も周りも自然な状態でいられるし、天とつながった状態でいられるから。

いさどん:
色々とあると思いますが、まず、自分が楽に楽しく生きられることだと思います。そこで、自分を楽しくない状態にしているのは誰ですか。

のりこちゃん:
自分。

いさどん:
その楽しくない状態を生み出しているのは、どのような自分がそうさせているのでしょうか。

150314-134550のりこちゃん:
狭い世界観。

いさどん:
狭い世界観とはどのようなものですか。

のりこちゃん:
周りが見えず、自分しか見えない。

いさどん:
もし、狭い世界観で自分しか見ていない人がいるとして、それはあまり豊かな人生を生きられないとしますよね。では、どうしてそのようになってしまうのでしょうか。狭い世界観で自分しか見ることができない生き方をしているのは、本当にいけないことなのでしょうか。

みどりーぬ :
それは、自分で気付かないうちに加害者になっているのだと思う。

いさどん:
それは、あなたの場合そういうことがありますね。逆に、気付かないうちに被害者になっていることもありますね。ところで、今、黙っている人たちは、心の中で何を考えていますか。

よこなお:
150314-133446自分のことを言われているのかなと思います。

いさどん:
自分の何を言われていると思うのですか。

よこなお:
自分のことしか考えていないとか、狭い世界観のことです。

いさどん:
今回のこの出会いで、何を学びましたか。

よこなお:
自分がいかに狭い世界観で生きてきたか、そのことによって周りに不調和を与えてきたこと。さらに、自分がいかに面倒くさくて性格が悪い人間であるかが良くわかりました(笑)。

きたじゅん:
狭い世界観だと、誰も気付かないうちに、周りにも自分に対しても加害者になってしまうけれど、自分の世界観を広げれば、自分の資質や特徴などを知って、それを世の中のために生かすことが出来る、ということを考えていました。

いさどん:
自分のために生かすことが世の中のために生かせると今言いましたね。自分が世界を創っている、だから自分のためにやることが世の中のためになる。こういった話は、プログラムの中で良く出てきましたね。それは、自分と向き合った結果の話ですから、個人個人の個性を生かす話ですよね。他の人はどうですか。

たかちゃん:
人との関わり合いの中で、その人たちを鏡として自分の心の状態を学ぶ。そして「正直・素直・信じる」を、勇気を持って実行すること。

いさどん:
それがあなたのこれからのあり方ということですね。他にはありますか。

あわちゃん:
僕は・・・良くわからなくなってきました。

150314-134515いさどん:
わからない状態でこれからどうしますか。

あわちゃん:
わからない状態で・・・ブログを書く。
(みんな、笑)

いさどん:
やることはあるということですね(笑)。

あわちゃん:
結構良い意味で、わからない状態なんです。

いさどん:
それはある意味、幸せかもしれませんね。朝、みなさんの顔がどうなっているのだろうかと想像したときに、きっと元に戻っているのだろうと想像してきました。ここで何が言いたいかというと、人はそんなに簡単に変わることはできないということです(みんな、苦笑)。
この1ヶ月間、みなさんは自分でその学びを勝ち取ったのではなく、バーチャルな1ヶ月間に誘導されてここまできたのです。ましてや、3日や1週間の学びで人が変わるようなことは普通はないのです。それで今日の最終日をもって、これからが真学校での学びを生かしていく真のスタートだということです。例えば大学まで行くと16年間学ぶことになりますが、そこで社会に出るために必要なものが全て会得できたかというと、そこからがそれを生かすスタートなのです。学校では何か刺激をもらっただけのことなのです。

僕はなぜこうしたことをしているのかをイメージしてみました。今の世の中を見ると、迷っている人が多くいます。迷っているということは、生きることの柱になる考えがないのです。本来の自分のあり方や生きるべき方向、生きる目的につながる真実がないということです。真実は人の数ほどありますが、同時に真実は宇宙には一つしかありません。そのように共通するものなのです。

人間はおかしな生き物です。自分という我を持っていて、その自我が原因となって迷う者です。我を持っているということは、自らをコントロールできるということです。他の生き物は、自らというものをコントロールすることができません。この世界に存在するために与えられた役割のまま生きていくだけです。そこから外れると、他の生き物は全て死ぬことになります。もしくは、環境が徐々に変化する場合は、環境適応という形で変化しているだけであり、それが自分の意志かどうかは微妙なところです。
しかし、人間だけはそれを自由自在にできるのです。そして、自らを変えても存在できるように生を与えられているのです。それはある意味高い能力ですが、その能力が自らを苦しめることにもなります。
ここにいる人たちだけではなく、人生に行き詰っている多くの人たちのほとんどは、被害者だと思っています。それでは、加害者はどこにいるのかというと、環境や時代、もしくは何か特定のものなどたくさん存在しています。その中でも、一番の加害者は自分自身なのです。大学まで進んで勉強し、社会に出ても、自分というものから抜けられないということです。
では、どうしたらよいのでしょうか。自分というものから抜けられずに、そこから迷いの人生が始まる人はたくさんいるのです。

みなさんは1ヶ月間学び、それだけの知識を得ました。本当は、これは知識を得るためのものではありません。
1ヶ月間学んだ結果、生きるということはどういうことなのか、この世界の構造はどうなっているのか、自分とは何なのかを学んだときに、自分の外にあるものを自分の中に取り入れていくこと、そして天の智慧をもらい、自らの内に元々ある潜在的な智慧を湧かせることになるのです。そうすると、今までの自我の人生にプラスαを得て、生きていくことになります。
ところが、その学びが単なる知識に終わっていると、それは智慧を湧かせるためには使い物にならないのです。この世界が成り立っている仕組みや自らの内から湧き出る日頃意識していない潜在的な智慧を使うと、その人に柱が立つのです。柱が立っていないと、元の環境に戻ると元の顔に戻っていきます。柱というのは自分らしいということですよ。そのためには、わたしは何者か、わたしはどういう性質をしているのか、をまずは知ることが大切なのです。

(いぶちゃんがi-phoneを操作しているのを見て)

ねぇ、そこの人、何をしていますか、話を聞いていますか。

いぶちゃん:
はい、聞いています。

いさどん:
そういう姿勢は聞いているとは言いません。確かにそれはあなた流の聞いているということですが、そうした姿勢がこれまでのあなたを創ってきたのですよ。それで今までを振り返ってみてどうでしたか。

150314-133745いぶちゃん:
学んでいないです。

いさどん:
学ぶ、学ばないということを聞いているのではなく、今までの人生を振り返ってみて、あなた流に生きてきた結果どうでしたか。

いぶちゃん:
うまく生活できませんでした。

いさどん:
でもそれがあなたですよ。うまくできなかったことと自分を切り離していないですか。これからもそれを続けていくと同じような人生が待っていますよ。
それは、嫌なことも全て自分が歩んできた道だということです。自分の歩んできた道だからこそ、変えようと思えばどのようにでもなるのです。自分とはこういうものだ、今まではこうやって生きてきたからこれからはこういうふうにしていくぞ、と柱を立てられるのです。自分を理解していないと、歩んできた自己責任の道を環境や人のせいにしていくのです。

みなさんは人間であり生命であり、そして生命は時代と共に生きるのです。そして時代というのも生命なのです。蛙でも1年ずつで死にますが、昨年の蛙、今年の蛙、来年の蛙というように、花でも昨年の花、今年の花、来年の花と命をつないでいるのです。
私たち人間も、この時代の人、あの時代の人・・・と古代からずっとつながっているように、世界もそのようにつながっています。つまり、私たちは自分という人生を生きているだけではなく、同時にこの世界をつないで生きているのです。それは、ここで聞いたからそうなのではなく、この世界は実際そうなっているのです。

宇宙を生きるということは、毎年季節を迎え、春にすること、夏にすること、秋にすること、冬にすることに付き合いながら生きることです。朝を迎えることも宇宙を生きることです。しかし、そういった大いなる仕組みの中で生きている私たちは今、何を考えているのでしょうか。あれを食べたいとか、これがないと生きていけないとか、その心があなた自身なのです。
全ての生命に平等に太陽は降り注ぎ、自然は万物に循環し、平等に四季があり、平等に一年が経っていきます。その一年はあなただけの一年ではありません。全てと共に時代を創っているのです。みんなが生きる時代が積み重なって、地球の歴史になり、さらに宇宙の歴史が刻まれているのです。
真学校の中では、そこまでのレベルに人々が目覚めることをイメージしながらいろいろなことを皆さんに提供してきました。人間はそこまでの意識で生きられるのです。それは当たり前のことです。しかし、人は自らの内側だけに興味を持っていたら、ばかばかしいほど些細なことを考えるのです。

のりこちゃん:
焼肉を食べたいとか、日本酒を飲まないとダメとか(みんな、笑)。

いさどん:
そうなのです。時間の使い方であっても、朝起きて、テレビをつけてただボォ――ッと観て、一日が終わっていく人たちもいます。それが積み重なって時代を創っているのです。
「わたしは世の中なんて創っていない」「世界で起きていることはわたしに関係ない」と言っても、事実、そういったことが世の中を創っているのです。そしてたくさん電力を消費して、原発の電力が要るか要らないかという話になっているのです。それは深刻な話なのですが、そういう人たちによって電力会社が支えられているのです。

こうしたものの見方は、視点が変われば当たり前に気付くことであり、そういった視点を持たないと、「焼肉を食べたい」「たばこはやめられない」「お小遣いはいくら無くてはダメ」となるのです。そういったことは全てその人その人の基準です。
これは、そのような枠の中に自らをはめているのか、それとも知らない間にそういった枠ができて、その枠の中に閉じ込められているのか、そのどちらとも考えられます。「それが僕の権利で、それがないと幸せに生きられない」という狭い枠の囚われ方もあるのです。
枠というのは小さなものから大きなものまで様々にあります。時代の流れまで考えたり、宇宙の彼方まで想いを馳せるといった大きな枠もあるのです。そのどれもが真実です。
ですから、自らのスケールはいかようにも持つことができるのです。その結果、あなたの前に、あなたの枠のスケールにふさわしい現象や感情が現れてくるのです。例えば、「生きにくいな」とか、「世の中にろくなやつはいない」とか、「幸せに生きられない」など、一人ひとりの感情をあげたらきりがありません。そのように、一人ひとりは全くオリジナルな人生を歩んでいますが、狭く小さな自分の中に閉じこもって生きていながら、そういった自らを観ることをせず、「わたしの人生がうまくいかないのはなぜなのだろう?」と不可思議に思っている人もいるのです。

みなさんは僕が伝えたいことがわかりますか?そこに気付けた人は、人として生きてきたことの意味をやっと理解し始めた人たちだと思うのです。
こんなことは簡単でしょう?ちょっと自らを離れて、自分の言っていることや自分のまわりを観察してみれば、今まで被害者だと思っていたこと、知らない間に加害者になっていたこと、生き辛いと思っていたこの世界を創っていること、時代をつないでいること、一日を刻むこと、一年を刻むこと、死を迎えること、そして宇宙を生きていることが観えてくるはずです。ちょっと視点を切り替えれば、簡単なことでしょう?

今朝、みなさんの顔を見たら、完全に真学校前に戻っている人と、少し戻っている人と、学びが定着している人がいました。それはどういうことかというと、元の自分に戻ったのです。
元々この人は既に柱が立っているという人、そろそろ柱が立つ頃だという人、柱が立つために来たという人、それから元々柱が無かったからそこへ戻った人、と人それぞれです。それでは、この学びが必要なかったのかというと、そういうことではないのです。
冒頭で話したように、学校教育での学びを得て、そこからがスタートだというのは、その学びを得たからです。昨日まで真学校の学びをして、そして心新たにこれから出発するときに、いよいよその学びを自己コントロールとして使っていくかどうか ―― 、そこからが始まりです。

それは、これから取り組んでいくことなので、十分に身に付いていないですよね。それで、元の自分に戻ってしまうのです。それを私たち人間の世界では「無駄」と言い、自然界では「魔」と言います。無駄や魔は、自分の中にあるのです。自分と向き合わないでいると、いつでも魔は差してくるのです。
やはり、胸を張ってまっすぐ王道を歩みながら、何のためにそれをやっているのか自らの姿勢を常に意識していくことです。そういった、一人ひとりにふさわしく、自分らしい自覚の柱というものがあるのです。
なぜそういう話をするのかという一番の目的は、それがみなさんが自らの歩んだ道を好意的に見ていくコツだからです。「わたしは本当にわたしらしく、存分にわたしを活かし、生きた結果それを誇れる良い人生だった!」と言えるかどうかです。
人はいつか死にます。そのときに、「あぁ、つまらない人生だったなぁ、ぜんぜんダメだった」と悔やむことのない生き方で終わるということです。人生の終末を「良い人生だった!」と胸を張って迎えたときに、初めてこの人生の答えが出るのです。ところが今、目の前にある特定のものに囚われて、「これが無いとわたしは幸せになれない」と条件を付けていたら、あなたはその枠の中に自らを閉じ込めている人ということになるのです。

この世界の構造を理解し、時代を生きるという話が真学校のプログラムの中でありましたね。そういったスケールの大きな人になることもできれば、目の前の小さなことに囚われて生きていくことを選ぶことも、人にはできるのです。そしてそれは、自らで長年積み重ねてきたことですから染み付いています。それをどうするかは、一人ひとりの意志です。それが、あなたらしい生き方につながります。
その答えは、いつか誰でも死にますから、その時に自らと向き合って、一人ひとりどのくらいのものだったかを確認する時が来るのです。それと同時に、みなさんが生きた結果は時代に反映され、時代が紡がれていきます。
ですから、この時代、この世の中は、私たちが創っているのです。それに気付いた人が多ければ多いほど、気付きのように時代は変わっていくのです。自分がその世界を創っているのですから、本当はどこにも文句は言えないのです。
大きく広く捉える人であればあるほど、世の中のためになります。それが大きくどころか、考えることもしていなければ、感情のままに自我に翻弄され、その枠の中に縛られ、閉じこもって生きていくことになります。しかし、自分を閉じ込めその枠の中で不平不満を言っている人にも、その人なりの幸せがあるのです。面白い世界でしょう?これが、私たちが生きている世界の構造なのです。この世界は、どんな意識のレベルの人にでも、存在することを認めてくれるのです。自らを辛く苦しめる人にもですよ。

真学校で学んだことは、そのために世界観を広げましょうということです。自我に囚われ小さいのは、世界が狭いからです。
同じ自我でも世界が広がると、「地球は一つ!生命は単独で存在するのではなく、全てネットワークしているのだ。そして、そのネットワークの中に人類も含まれ、自分もいるのだ」と気付くことが簡単にできます。そして、木も草も虫も、私たちと共通したネットワークの中にいるのですから、こうしたものたちが健全である世界は、私たちにも健全がもたらされることは当たり前の話です。しかし、人はどこかで環境などの学びをしないと気付かないのです。

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空に月が昇り、朝日が昇ることによって、わたしたちは生きているのです。海の潮の満ち干きは月との関係なのです。毎日新たな一日を迎え、朝が来て、昼が来て、夜が来て、眠くなったりと活動するのも、太陽との関係です。
それを全く考えないで生きていくことも可能ですが、日常の繰り返しをどのように観ているか。それが意識レベルであり、それは自由です。目の前にいる子だけを想うのは親の勝手で、感情が湧いてきたら欲しいものを求め、感情が湧いてきたら欲しいように意識表現をする。しかし、そのような生き方は頭を使っていません。それでは動物と一緒です。
ところが、動物はこの世界の法から外れたことをしないので、頭を使わなくても有益な存在であり続けるのです。しかし、人間は枠を広く自由に設定してあるので、本来の目的から外れるようにも出来ているのです。ですから、人間は頭を使わないと外れてしまうことにもなるのです。
人間は何のために頭を使うのかというと、自己コントロールするために頭を使うのです。動物は頭を使わないようになっているから、それぞれの枠の中から外れずに、この世界をきちんと保ってくれる美しいものなのです。
人間は頭を使うようにできています。だから、逆なのです。人間は頭を使って、正しく生きるようになっているのです。動物は頭を使わないで、正しく生きられるようになっているのです。

そうした自己コントロールを身につけて、これからも自己コントロールし続けていき、最後に「良い人生だったな」と胸を張れるのが人生の勝利者なのです。それは、外との戦いではないのです。魔が差すのは自らの内側なのです。自らをよく観察して、自己コントロールをし、自らの魔に打ち勝ったときに人生の勝利が誰にでも訪れます。

そういった人間の目覚めをそろそろ地球上に広げたいと思っているのですが、それは政治の世界で日本の総理大臣が各国の代表者と集って平和を語ったり、環境が悪くなったからといって表面的な取り組みを一生懸命進めるような大きなスケールのことではありません。
誰もが日常のふとした自らの心と向き合って、「今、何をしているのだろう?」と思うことです。そういった何気ない小さなことが積み重なって、今の政治を生み、国の代表を選び、そして平和を謳いながらそれが成らない世界を創っているということではないですか。
「テレビで報道されている紛争や地球温暖化、原発の話は、わたしには全く関係ない」と日頃思っていることが、この世界を創っていると僕は思います。そういったこと全てが自分のやっていることだと思いませんか。
こうした出来事を順を追って振り返って行くと、「わたしはこの世界を創っている問題の元凶だ!」と気付く人もいるでしょう。頭を使っていなければ、自分には全く関係なこととして、自らの意識の行き届く身内や生活の範囲にしか興味が向かないことになるのです。

今回、広い宇宙の仕組みから身近な自我の傾向までの話をしてきましたが、そういった目線を創ることがどういったことを生み出すのかをもう一度確認し、これからのみなさんの歩みにつなげてほしいと思います。それが目覚める(目を開けて生きる)ことであり、そのことを毎日忘れないでいただきたいです。
朝起きたときに、わたしは何者なのか。今日の一歩を進めるときに、自らの歩みがどこにつながるのか。それは、私たち人間が幸せになるためです。そして確かに、この世界を創っていくのです。
この世界がおろかな世界だったら、私たちの幸せはないでしょう。世界には興味がなく、自分のことだけを考えていることをエゴといい、その元となっているのは自我です。しかし、自我を捨てる必要はありません。それはコントロールすればよいのです。
みなさんは、その構造を学んだのです。今、話を聞いて、「そうだったなぁ!」と思い出している人もいると思います。それを毎日持ち続けていくことが大切なのです。僕は毎日持ち続けています。朝起きると、人間とは何だろうと思います。1ヶ月間、毎日それをみなさんに伝えてきました。しかし、それは僕の考えを伝えているわけではなく、この世界の仕組みの観方を伝えているのです。

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これはいさどんワールドなので、アカデミックではありません。しかし、僕はこれが本当に道理にかなっている自信があります。今の科学、物理、政治、経済、教育などの現場では、表面的な道理からできています。しかし、これはどう考えても道理にかなっていることです。
人はこれまで学問として学びを捉えてきました。それが人間社会に豊かさや優秀さを提供し、この世界を創ってきました。しかし、それは否定することではありません。それをもっと有効に生かすとしたら、やはり道理を理解し、道理を常に保っている人が育たなければならないと思うのです。
それは、毎日の地道なその人の意識、活動にあるのです。朝起きたときに、わたしはどう生きるのか。一日が終わって(木の花ではありがたいことにミーティングがありますが)、そこで今日の自分は一日どうだったか。そこでの振り返りには個人差があり、真剣に振り返る人もいれば、みんなの智慧を借りて振り返る人もいます。そして、全体の中から個人の意識になって、寝る前に、今日一日どうだったかと振り返る。それが、一日の「生まれて死ぬ」ことの繰り返しなのです。

こういった生き方を、僕は「充実」と言います。そういった意識をみんなが持ったら、居酒屋やディズニーランドなどレジャーの場所に行っても、「わたしの人生はどうだったかな」とか、「これから世の中をどうしていったらいいのだろう?」という話題がたくさん出てくるようになると思います。自分がどう生きたかということが、どのように世の中に反映されているのか。人々は自らを通して振り返るようになるでしょう。

僕は日々そのように思うのですが、人間と付き合っていくと、「なぜ人間はこのような生き物なのだろう?」と気持ちが折れてしまいそうになることがあります。それも人間らしくて良いのかもしれませんが、人類はこのまま進んで行くと、そのツケは大きいと思います。
3日前、あの東日本大震災から4年が経ちました。アメリカには原発が100基あるそうです。福島の原発事故が起きる前から原発を無しにしようという動きがありましたが、現代の社会はお金で成り立っています。矛盾で成り立っているのです。
そうすると、その「反対」という矛盾と、矛盾を「推し進めよう」という矛盾の対立の世界なのです。人間社会は21世紀になっても、戦いの世界だからです。その代表の国がアメリカです。そのアメリカは自由主義、資本主義の国であり、その実体は矛盾によって大きく栄える国なのです。それが今、世界中の国が目指すべき目標の国とされていますが、現在の社会の動かす経済は、矛盾があればあるほど大きくなります。人間はストレスが溜まれば溜まるほど無駄な消費をしますし、争いもします。そして競争が起きます。そういった負の概念が経済を大きくしているのです。
ですから、福島の原発事故が起きる前から、「原発反対」と「原発推進」とで戦っていたのです。それが、福島の原発事故が起きたことで、「だからやめたほうが良いのだ」「そうではない。だからこそ、安全なものを作って推進しなければならないのだ」という議論になっています。さらに、それに加えて「安全でも安全でなくても、金になるからやらなければならない」というもう一つのグループもあるのです。原発が壊れたら、またその被害で大変なお金や労力がかかるでしょう。だから、それもビジネスチャンスだからやらないといけない、というようにそれぞれの思惑や事情があって戦っているのです。
そこで、僕はどちらの側に立つのだろうかとテレビを観ながら考えていたのですが、マスコミではこのような区分けはしていません。しかし、僕にはそのように人の立場が分かれて観えるのです。僕には世の中の人はみんな、同じ穴のむじなに観えるのです。「何をあなたたちは争っているの?人間って本当に変な生き物だね」と思うのです。

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21世紀を迎え、銀河の冬至を越えた今の時代を考えると、そろそろそういった人々がこの時代に現れてこなければいけないと思います。そして、僕は自分がそのような人間だと気付いたときに、これを生きることを人生の目的とするのです。時代を生きるとはそういうことなのです。
みなさんにも少しだけ、その大いなる大事を提供してきました。「自分の生きる目的は何だろう?」「世の中ではそれがどのように扱われているのだろう?」とちょっと疑問を持ち、そしてちょっとだけ自分と向き合い、そこに頭を使い、考える。そういったことをみなさんに提供できたとしたら、1ヶ月の学びが確実にみなさんの次の一歩につながると思うのです。
それが、自分らしく、柱を立てて生きることです。1ヶ月間の学びが次の一歩を踏み出すときに元に戻ってしまうならば、あなたは何のためにこの時間とお金を使ったのでしょうか?
ちょっとだけ違う自分に変化して、次の一歩に生かしてもらえたら、私たちもこのプログラムを提供して良かったと思います。
 

第1期「1ヶ月間の真学校」受講生のみんな
最終日、旅立ちの前に記念撮影をする 第1期「1ヶ月間の真学校」受講生のみんな

 
 
 


究極の極める世界を生きている

いさどん:
この生き方は、一人の道と、複数の人が絡んでいく道とが共通して成り立つけれど、それぞれがそれぞれの意志で歩むことによって成る道。一人ひとりが道を歩んでいる自覚を持つことから始まる。

世の中に有名人がいるとするでしょ。それはなぜ有名人かというと、その道を極めたものとして、有名人になっているんだよ。お金持ちだろうが、スポーツ選手だろうが、職人だろうが、芸人だろうが、何であろうが、それぞれに道を極めたことによって、有名人になっていく。道を極めるということは、政治の世界で言ったら革命を起こすとか、世界のリーダーになるとか、学問の世界であればノーベル賞を取るとかね。

そうすると、この歩みに対して分野をつけるとすると、「生きる」ことに対しての可能性に目覚めることを探究する道。我々はそこを極める道を歩んでいることになる。

ようこ:
そうだね。

いさどん:
別に、ノーベル賞をもらおうとも思わないし、ギネスブックに載ろうとも思わないけど、この道は究極の極める世界を生きているんだよ。

ようこ:
そう、この道に出会ったら、これしかないものね。

いさどん:
僕には今、その景色が観えてきた。何の目的でこの道を与えられ生きているのかと考えていたのだけど、この歩みの延長に極めるものはこれなんだ!とその一点が観えてきた。それをどう表現したらいいのか・・・生きるということを紐解く。そして、難しいと感じるのは、これを言葉で表現しようとすると限界が来てしまうんだよ。

ようこ:
それもこの道の特徴だからいいんじゃない(笑)?わかる人にはわかる領域ということで。

いさどん:
「そうだね」と言ったときに、「そうだね!」と答えることで確認できるもの。救済されるとか、欲の心で登りつめるとか極めるとか、そういったものとは違うんだよ。

ようこ:
それは明らかに違うね。

いさどん:
そういった感情や利害の解釈を超えたもの。色々な極みがあるとしたら、その極みの・・・

ようこ:
頂点に立つ、と言うと・・・他のものと同じカテゴリーに入るみたいだものね。

いさどん:
そうなんだよ。

ようこ:
色々な極みを超えたところにある?

いさどん:
言葉で表現するといかにもふさわしいようで、響きが違うんだよ。

ようこ:
そうなんだよね・・・色々な極みの背後にあるとか、元にある(苦笑)。

いさどん:
我々が目指している境地、そしてそこに何か存在があるとして、その存在は現象世界で感じているようなものとは違うものなんだよ。それは現象世界にあるものとは違うから、ないとも言える。そこに認識をつなぐことによって、世界の実体を広く解釈することを人間世界に解放していく。今の人間の解釈はとても狭いんだよ。

これは、形があるものを作ることとは違うんだよ。意識の中で創り上げることの出来るもの。そこに気付けばいいだけなのだから、極めて簡単なんだよ。目覚めればいいのだから。しかし、人間は形に囚われているものだから、極めて簡単なことが極めて難しいんだよ。

ようこ:
本当にそう!

いさどん:
ちょっとやそっとじゃ、このことはわからないね。

ようこ:
言葉を聞いて理解するようなことではないからね。

いさどん:
これは境地の世界だからね。もしこれを受け取るとしたら ―――― トキが与えてくれるもの。トキが来て、トコロが整うと、与えられるもの。ただし、それを受け取るに相応しい器が整っていなければならない。

それを、我々は役割として受託している。言葉で表現するとちんぷんかんぷんになってしまうから、それを感じる人でないといけないんだよ。囚われないで、感じればわかるんだよ。

ようこ:
そうそう!その「囚われないで」というのがポイントだね。

いさどん:
僕は常に、「この先に何があるのだろう?」と思って、その先に出会うために歩んでいるだけ。そこに行くための道だから付き合って観ているだけのことで、結果は何でもいいんだよ。結果に出会う連続で終わってもいいんだよ。その旅自体が目的だから。そうやって捉えると、今世の中に問題事は色々あるけれど、そういった囚われから全て解放される。

ようこ:
ね!!

いさどん:
そういった解釈をしていることすら、地球に生きているからこそ体験できる。非常にダイナミックでユニークな、宇宙では体験できないことをしているんだよ。そういった意味で言えば、お金持ちになるのも、有名人になるのも、犯罪者になるのも、戦争をするのも、ダイナミックな話だけどね。

ようこ:
ある意味ね。

いさどん:
しかし、人は感情に囚われてしまうから、たいへんな想いをすることになる。感情の解釈を超えたところから眺めていたら、ダイナミックな世界だよ。よくぞここまでダイナミックに創ったものだと評価するけど、逆にこの世界って狭いとも思うんだよ。囚われの結果、今の世界ができているのだから。

ようこ:
そう。

いさどん:
囚われを取ったら多くの評価が消えてしまうような世界なのに、その囚われの中にダイナミックがある奇妙な世界だよ。その奇妙な世界を表現する法則によって創られた。だから、その法則の外に出てみると、ちょっと寂しい気もするよね。せっかくここまで創り上げて、そこでダイナミックを楽しんでいたはずなのに、そのカラクリがわかってしまったらむなしいよね。その真っ只中にいて、おぼれているからこそ、一喜一憂して楽しいとも言える。

バカバカしいことに、あれが正しい、これが間違っていると、一つ一つの立ち位置に立ったところでの囚われが解釈しているんだよ。それは、囚われがあるからそうなっているだけなのに。

こうやって伝え合っていても、ようこには伝わったと思うけど、今の世の中の人々には伝わるだろうか。そして、伝わらないとも言えない。それはプロセスを踏んでいるだけだから。そうすると、登山のようなもので、今頂上で話をしているとしたら、頂上に向けての登山道を登って来る段階によっては、このあたりでは伝わるとか、あの段階ではまだわからないだろうという解釈になるよね。そして、もっとずっと裾野のほうの現代人類にはなかなかわからないだろうと思いつつ、ただ我々が今この景色をここで観ているということは、いずれ全体がそこに到達することを示しているとも受け取れる。

トキが動いて、トコロに至ると、事が起きる。想うままに生きていけば、ふさわしい事が起きるようになっている。

大切なのは、トキとトコロと存在することの意味をつかむこと。存在するということはこの世界を紐解くベースだからね。そこで特定のことに囚われてしまうと、存在することの意味を探究することを忘れてしまう。

ようこ:
だから、木の花では魂を探究するのに最高の環境が与えられているよね。

いさどん:
そうなんだよ。

ようこ:
霊的に言えば、これほど探究するのに最高の環境は他にないよ。

いさどん:
そう。つまり、お金やモノの尺度に囚われない場所だから。この道は、囚われからの解放だ。

ようこ:
そうだね!それが全ての答えだから。
 
 


たくさんの人間の可能性の中のひとつ

いさどん:
自分の歩んでいる道が何であるかを考えていた。
そこには、答えがない。ただ、人間というものの可能性の幅は非常に広い。私の歩んでいる道が何であるかと考えた時に、その中のひとつであることは確かだが、それがイエスなのかノーなのか、何であるかはわからない。

そこで、私の歩んでいる道は何なのですかと問うと、人間の歩むべき道、という答えが出てきた。
しかし、人間の歩むべき道は幅が広い。ではこれもその中のひとつにすぎないのかと考えてみると、それは私のとるべき道である。「私」というのは、天のこと。そして自分自身のこと。それは天のとるべき道であり、私という自分自身のとるべき道である。

自らに囚われて「私の道」を見ると、たくさんの中のひとつにしか過ぎない。しかし、自らに囚われずに、人のあるべき道、と捉えると、私のとるべき道、つまり、天のとるべき道は、私という自我のとるべき道。

それはどういう道なのかと考えると、この世界の仕組みの映像が浮かぶ。だから、それでいいのだ、と思う。ただそこに道があるのみ。
ただし、今の世界の状態から見ると、それは孤独な道でもある。

しかしまた、こうも考える。今、この形で生を紡いでいることは、多様な「私」という存在の幅の中の、一点にしか過ぎない。この期間はこの形である、というだけのこと。そう捉えると、この孤独も、どうということではない。

ともこ:
だけどいさどんは、もっと通じ合いたいと思ってるよね。

いさどん:
誰と?

ともこ:
みんなと。

いさどん:
そうだね・・・確かに。
しかしそれは、こちらが何か不足していることを埋めるために通じ合うことを求めているのではない。通じ合うということは、少なくとも同じ視点に立つということ。そうすると、共通した認識のもとにいられる。
それは、何か共通点がなければ淋しいというような意味ではない。ただ、人が高まっていけば当たり前に観えてくる景色を、観てもらいたい。そしてそれを観たら、そこにふさわしい姿勢になるだろうということを伝えているだけ。
それを客観的に捉えると、今、時代はそのような位置の視点で生きる者たちを求めている。しかし、自分の時間軸から捉えると、それがなかなか成らない。

一人ひとりに、自我がある。自我とは、自己愛。自己愛とは、宇宙の究極の姿。
この世界は全て、自己愛によって紡がれている。究極の自己愛とは、この世界を紡ぐための部品となること。それは、自我を超越した状態。自我を超越した自我の状態。
それを感じると、心が躍動する。心の躍動とは、喜びのこと。そういった世界を、ただ表現したい。

それは究極の喜びだ。そこへ到達することが最終目的であるはずなのに、人間は自我を満たすことにばかり囚われて、囚われに喜びを求めている。それでは究極の自己愛にはつながらない。

そこで、私とは何だろうと考える。それは、たくさんの人間の可能性の中のひとつである。
それは私という天の望みと、私という自我の望みが共通している点のところを歩んでいる。それは、たくさんの可能性の中のひとつ。人間にはたくさんの可能性がある。その中のひとつに過ぎない。

人間は、自らが受け取れる範囲内のものを良しとしたいもの。それが囚われであっても、それを良しとしたいのだ。しかし、そこを超えていかなければ次が観えてこない。

この広い宇宙の中で、人間たちが当たり前と思って生きている今の地球上の姿は、特殊の特殊の特殊の世界だ。人間は、そのことに気付いていない。良くも悪くも、特別の特別の特別を生きている。そこに気付いていないから、こういう形で存在していることの本当の価値がわからない。だから、人間であることを生かせない。
今のところ、それは人間一人ひとりの意志ではなく、天の采配によってしか、成っていない。本来人間は、天と協議しながら道を歩むべき者なのである。

ともこ:
ある意味、人が歩むべき道を歩む時に、本人の意志はないと思ってた。

いさどん:
意志は、天からわざわざ与えられ、地上に降りてきている。そうでなければ、この世界の大本の存在がむなしいから、人間に意志を与えた。
そして、互いに協議しながら築いていく場を創った。そういったところへ登りつめる可能性を、人間に与えた。しかし、人間はそれに気付かず、生かし切れていない。

ともこ:
いさどんや木の花のこれまでの歩みを見ると、こういう世界を創ろうという自分の意志によってやってきたというよりも、天から道を与えられて、それをいただくことを選択してきた、という感じがする。

いさどん:
与えられたことをいただくという意志を選択してきた。それが、自らの意志だということ。ただ、そこが本当に解釈できているかどうか。与えられるままに生きることが、与えられたのではない自らの意志であるということだ。
人間には自我があるから、天と共にその道になり切ることが難しい。そこでは自我が邪魔をする。我々は、そこになり切るという道を歩んでいる。

これからも、この道を歩む。これしかない。時代はそのように進んでいる。他に選択肢のない自覚を、自らの意志で選択している。そこには強い意志があり、そこには自我の意志はない。
 
 
 


宇宙人ピトピから全人類へのメッセージ

2015年3月21日の春分の日、創立21周年を迎えた木の花ファミリーに、宇宙人ピトピがやって来ました。10歳のゆい、みのり、ゆうゆ、9歳のみこと、きよは、ピトピと一緒に宇宙のこと、地球のこと、いのちの仕組みについてお話ししました。

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*お話を始める前に、「12歳のかのこちゃんから宇宙人ピトピへの質問〜心が大きな人になるにはどうしたらいいの?」のスライドショーをみんなで見ました。→  スライドショーを見る
 

■    ■    ■    ■
 

ピトピ:
毎日朝が来るのは当たり前のことだよね。それは、地球が1回転したんだよ。しかも、地球は回転しながら、1日に260万km宇宙空間を移動している。そんなことを考えながら生活している人はほとんどいないけれど、それは本当のことだよ。

人間はそういったことを忘れてしまったけど、たとえば今、桜のつぼみが大きくなってきたでしょ。それはね、地球と太陽の関係が影響しているんだよ。12月から1月にかけて寒くなって、それが暖かくなってくると桜の木はそれを感じ、つぼみを膨らませ、そして花が咲く。花が散ると夏が来て、夏が終わると秋が来て、次に冬が来て、また桜が咲くんだよ。それはどうしてそうなるか、わかるかな?

ゆい:
地球が太陽のまわりを1周したから!

ピトピ:
その通り!みんなはそういうことを考えているかな?

150321-204828みのり:
考えてな~い!

ピトピ:
みのりは今何歳?

みのり:
10歳!

ピトピ:
10歳ということは、0歳のときがあったわけだね。そうすると、今みのりが10歳だということは、どういうことが起きたのかな?

みのり:
えーとね、10年たった!

ゆい:
はい!太陽のまわりを10周まわった!

ピトピ:
そうなんだよ!太陽のまわりをみのりが10周まわったんだよ。みのりがまわったんだよ!そうすると、10歳になる。
そこで、今日1日はどうだったのかな?

ゆい:
地球がその場で1回転した!

ピトピ:
そう!みんなは日本にいて、地球が1回転まわったのと付き合ったということだよ。それを365回付き合うと、太陽のまわりを1周することになるね。それがこの世界の仕組みだよ。それって、変えることはできると思う?

みのり・みこと・ゆい:
変えられない!

ピトピ:
太陽と地球の関係や、そこに月がどのように関わっていくのかとか、その太陽と地球と月の関係の中で地球にどんなことが起きているのかとか、その中に人間がいてどんなふうに関わっているのかということを、僕はみんなに伝えているんだ。人間の中には好き嫌いがあって、色々なことを言うけれど、そこには人間にはどうすることも出来ない大きな仕組みがあるんだよ。その中にみんなは生きているんだよ。
そうすると、人間はあれがしたいこれがしたいと色々なことを言うけれど、人間がしてもいいこととしてはいけないことがあるんだよ。それは何だかわかる?

ゆい:
殺してはダメだよね。

ピトピ:
殺してはダメだといっても、殺しているよね。

みのり:
生きているものを殺すなんて、最悪!

ピトピ:
たとえばお肉を食べると、動物を殺すことになるよね。みんなはお肉を食べないけど、毎日いのちを食べているでしょ?

ゆい:
野菜のいのち!

ピトピ:
そうだね。生きるということは、いのちが次のいのちに順番につながっていくリレーのようなものなんだよ。
食べ物を食べ、自分が生きる。生きるということは色々なものを外に出すことでもあるよね。空気を吸ったら吐くし、そういうことが生きるということだよ。そして、いのちといのちをつなげていくことを「時が生きる」といって、それが「時代」のことだよ。
それは、人間ひとりひとりにはどうすることも出来ないことだね。だから、人間は時代を自分で創っていると思っているのだけど、本当は、星と星の関係や時代が人間に役割を与えているだけなんだよ。

そこで、地球上で人間たちが太陽や月や他の星との関係を無視して、自分たちだけの考えで何かをしようとして、それが間違っていると何が起きると思う?

150321-204805みのり:
地球温暖化!

ピトピ:
そうだね。それから?

みのり:
食べ物がとれなくなって、もっと住みにくくなる。

ピトピ:
そうそう。この世界にはそういうルールがあるんだよ。ルールを壊すとどうなるかな?

ゆうゆ:
病気!

ピトピ:
病気になるのは、そのルールから外れるからだね。もっとルールから外れると、人間は何をするか知っている?

ゆい:
戦争!

ピトピ:
そうなんだよ。戦争が起きたりするんだよ。だから、地球の外の星や宇宙の関係の中に地球があって、その宇宙のルールの中に人間がいるとしたら、人間がそのことに気付いて、地球や宇宙のルールに沿って生きていくと、戦争や病気がない世界ができるんだよ。

みのり:
みんなが仲良く暮らせるね!

ピトピ:
そうなんだよ。本当は、人間はそういった世界を創ることができるのに、今はそれが出来ていないでしょ?病気はたくさんあるし、みんなは仲良くしていないし、その上戦争までしているよね。それはなぜかというと、人間がそのことを忘れて、それを思い出す勉強をしているからなんだよ。そうやってルールを守らないと病気になったり、戦争が起きて平和な世界じゃなくなるでしょ?平和じゃなくなると、みんな辛いよね。それを勉強しているんだよ。

みのり:
なるほど~!

ピトピ:
それでね、人間は今までそういったことを地球上でたくさんしてきたね。そこで、そろそろそういったことをやめる時代が来ていると思うんだ。なぜかというとね、そういったことをみんなに伝える僕のような存在が現れてきたからさ。

みんなが仲良く助け合って暮らす生き方は、ずっと昔の、宇宙の始まりのときからあったんだよ。地球と宇宙、太陽と地球と月の関係とか、宇宙の仕組みの中には、ずっとあったんだよ。そういった宇宙の仕組みに気付いて、その仕組みとともに生きていくことが、人間には出来るのだから。そして、それは誰にでも出来ることなんだよ。宇宙はいつもそうあり続けるのだから。
そのことに気付けば、いつでもそういった平和な世界は訪れる。誰もが健康で、みんなが仲良く暮らせる世界はいつでもあるんだよ。でも、そのことに気が付かなければ、気が付かない人たちの中にはそういった世界はないんだよ。でも、気付けば、宇宙の始まりから宇宙の終わりまでずっとあり続けるものなんだ。

みんなのまわりにはお金や物がたくさんあって、それほど貧しい人はいないよね。昔はご飯1杯食べるのもたいへんだった時代が日本にもあったんだよ。でもね、世の中にはまだまだ病気はたくさんあるし、テレビのニュースを見たら殺したとか殺されたという話はたくさんあるよね。それから、地球温暖化で将来が危ういという話もあるし、戦争もしているよね。

戦争というのは面白いんだよ。自分の側が正しくて、相手の側が間違っているというのが戦争なんだよ。でもね、日本にいる人が「こっちが上だ!」と日本で言ったとするね。そして、日本の裏側にいるブラジルの人たちが「こっちが上だ!そっちは上じゃないぞ!」と言って喧嘩したら、それは自分たちの側から見えることを正しいとして考えているからなんだよ。

みのり:
そうそう!

ピトピ:
もし、日本の人もブラジルの人も地球の外に出ていって、外から地球を見たら、「なんだ!地球の外の世界のことを僕たちは言っていたんだ!」と気付いて、「結局言っていることは同じだね!」とわかり合うことができるんだよ。

みのり:
うんうん!

ピトピ:
だから、大きなこの世界の仕組みを知ると、みんな同じことがわかるんだよ。でも、お互いの違いを主張して、「自分たちのほうが正しいんだ!」と言ったら戦争になるね。地球の外から見たら、同じことに気付くのにね。

今、地球上で戦争が起きているね。日本の中でも色々な対立や事件が起きているけど、地球上で戦争をしているのは人間たちだけだね。地球の外から地球を見てみたら、「なぜ戦争をするの?」とおかしく思うよ。だってね、地球のまわりには100kmの薄い膜があるんだけど、それは何だか知っている?100kmというのは、ほんのちょっとなんだよ。地球の直径が12742kmだから、その127分の1の厚みの空気の層があるんだよ。

ゆい:
127分の1?すごく薄いね!

ピトピ:
だから、卵の殻ぐらいの厚みの空気の層が地球のまわりにあるんだよ。空気っていくつあるかな?

みのり:
えっとね、空気は目に見えないからわかんない!

ゆい:
空気って・・・無限にあるんじゃない?

ピトピ:
それは地球上の視点で見るから、見えないんだよ。地球の外に出て、見てごらん!地球から離れて、地球のまわりにある空気の層を見てみると、いくつあるかな?

みのり:
ひとつ!

ピトピ:
ひとつだよね。空気はひとつだよ。それでね、地球の上で人間は戦争をしているでしょ?「あの人たちは間違っている!」と言ってね。みんなは嫌いな人の吐いた空気を吸いたくないでしょ?

みのり:
でも、自分が嫌いな人が吐いた空気もまわってるから・・・

ピトピ:
そうなんだよ!だから、空気の層はひとつなんだよ。ということは、嫌いな人とも同じ空気を吸っていることになるね。地球がまわって、昼と夜が来るでしょ。それから、月があるから、海の水が満潮になったり干潮になって、海の水が動くんだよ。水はたまっているだけでは、腐ってしまうんだよ。水が流れているから、腐らないで生きているんだよ。

みのり:
へ~!

ピトピ:
その海の水が動いているからいのちができて、そのいのちは全てひとつの空気のもとにあるんだ。ここにある地球儀を見てごらん。ここに青い海があるでしょ?海はいくつ?

きよ:
ひとつ!

ピトピ:
でも、太平洋とか大西洋とかインド洋とか、色々あるんじゃない?

きよ:
全部一緒だもん!

ピトピ:
その通り!水はひとつだね。それでね、太陽の光はまわっている地球にまんべんなく当たるでしょ。太陽は「ここは嫌だから光をあげない!」とは言わないよね?

みこと:
ハハハッ!

ピトピ:
太陽の光はひとつでしょ?次に、地球上に陸地はたくさんあるね。陸地は五大大陸と言って五つあるんだけど、陸地も全て循環しているんだよ。循環というのはね、太陽の光が海の水に当たって、それが蒸発して・・・

ゆい:
雲になって、また雨になって、今度は雨が落ちてきて、それで川になって流れていって・・・

みのり:
森林できれいになって、それを人間が使って・・・

ゆい:
水は浄水場できれいにするんじゃないの?

ピトピ:
ハハハッ!それは人工の世界だね。自然自体が浄水場なんだよ。

みのり:
うんうん!

ピトピ:
たとえば、山の動物がうんちやおしっこをするでしょ。それが山の中で分解されていく間にきれいになるんだよ。そうやって全てのものがまわっているんだよ。

ゆい:
そうか!

ピトピ:
でも、今地球上にある土は、逆に自然を汚すものもあるね。

みのり:
そうそう!

ピトピ:
つまり、人間が創れるものではないものによって、この世界はまわっているんだよ。でも、今の大人たちは自分たちでこの世界を生きていると思っているんだ。そして、自分が信じることは正しくて、信じられないことは間違っていると考えているんだよ。それで対立して、戦争を起こしている。地球を外から見てみたら、地球上で戦争するなんてバカなことだと思わない?

みのり:
本当にバカだよね!

ピトピ:
今、人間はそういった生き物になってしまったんだよ。それでね、たとえばテレビを観ることだったって、コンビニに行って買い物をすることだったって、もしかしたら他の生物のいのちをおびやかしているかもしれない。あるいは、戦争を起こすようなもとになっていることもあるんだよ!

ゆい:
わかる気がする!

ピトピ:
直接戦争を起こさなくても、自分が知らない間に戦争に加担していたり、ぜいたくをして食べ物を残して、どんどん捨てていくことだったって、日本にお金があるから外国からたくさん物を買ってくるでしょ?そうすると、外国で生産された食べ物の値段が高くなるんだよ。

みのり:
どうして?

ピトピ:
高く買う人がいたら、値段は上がるでしょ?そうすると、貧しい国の人たちはお金がないから食べ物が買えなくなるね。だから、日本人がぜいたくをすると、外国の人たちの食べ物がなくなって、その結果奪い合って、戦争が起きるんだよ。みんなはね、自分は戦争と関係ないと思っているかもしれないけど、テレビのニュースを見ると遠くの国で戦争が起きていることがわかるでしょ。実は今の人間たちがやっていることは、大きいか小さいか、直接関わっているか関わっていないかだけで、みんなで創っていることなんだよ。

宇宙人ピトピはね、このように地球を眺めているんだよ。そうすると、人間はバカだなあと思うから、それを伝えるために地球にやってきたんだ。みんなは今、木の花ファミリーというところで暮らしているから、僕が伝えたような生き方をしていると、外にいる人たちは「あれは木の花だから」とか「木の花だけ特別だ」と言うようになるんだよ。でも、今の話は木の花の話じゃないでしょ?宇宙の話だよ!地球の人間の話だよ!そうすると、誰のことでもない、みんなのことだってわかるね。そして、宇宙から見たらこういうふうに見えるよ、と伝えているだけなんだ。

僕は宇宙人ピトピだけど、みのりはどう?

みのり:
150321-214058宇宙人みのり!

ピトピ:
あなたは?

ゆい:
宇宙人ゆい!

ピトピ:
あなたは?

みこと:
宇宙人みこと!

ピトピ:
でもね、今まで自分は何だと思っていた?

みのり:
人間!

ピトピ:
人間で、どこにいるの?

みのり:
地球。

ピトピ:
地球人とか、静岡県人、みのりだね。でも、今のように考えていったら、宇宙人みのりになるね。つまり、心が広がると、宇宙人になるんだよ!でも、心がせまくなると、静岡県人でもなくなるんだよ。

みのり:
自分自身だけになる!

ピトピ:
そう!自分だけになるんだよ。そういうのを「わがまま」とか、「自分勝手」と言うんだよ。でも、これは特別な話じゃないでしょ?そうやって、みんなが地球の外から地球を見ることができるようになったら、みんな宇宙人だよ!


みのり:

本当だね~!

ピトピ:
そうしたら、ひとつの地球で、ひとつの太陽のもとに、ひとつの水のもとに、ひとつの大地のもとに、ひとつの空気のもとに、ひとつの風のもとに、みんなが暮らしているのだから、戦争をすることはないよね。

ゆい:
たしかに!

ピトピ:
人間がそういった考えを持ったら、世の中は平和になるし、みんなで仲良く分け合って暮らせるようになるんだよ。生きているということは、全てのものを分け合うことなんだからね。なにより、みんなはひとつの時間を使っているんだよ!

みのり:
うんうん!

ピトピ:
別の時間の人なんていないでしょ?みんな、同じ時代を同じ仕組みの中で生きているのに、何が違うのかと思うんだよ。でも、心がせまいと、「私とあなたは違うね!」と思ってしまうね。みんなは形は違うけど、同じ人間だし、同じ光のもとに、同じ水のもとに、同じ大地のもとに、同じ空気のもとに、同じ風のもとに生きているんだから。

ゆい:
そうだね!

ピトピ:
みんながそういった心を持てたら、みんなが仲良く平和に暮らすことができるよ。みんなで分かち合う心を持ったら、人は健康に生きられるんだよ。

みのり:
うんうん!

ピトピ:
でも、今の人間たちはそういったことを知っているかな?地球がひとつだったり、太陽がひとつだということを人間たちは今、知っているのかな?

ゆい:
知らないんじゃない?

ピトピ:
人間たちはね、知っているんだよ。だって、そういったことを聞くと、「そうだね!」と言うんだから。でも、それを考えて生きてはいないんだ。みんなが今いるこの場所は、昨日から260万kmも移動したんだよ。そして、地球は1回転したんだし、地球は太陽のまわりを365分の1まわったんだよ。みんな、いっしょでしょ?

ゆい:
うん、いっしょ!

ピトピ:
そういうことを毎日意識して生きていったら、人間はこの世界に生きているのではなく、生かされていることがわかるよ。人間にはどうすることもできない大いなる仕組みの中で、眠ったり、起きたり、ご飯を食べたりしていることがね。
生かされているということは、自分がやりたくてもやりたくなくても、そうやってこの世界に生きているということなんだ。その中で、この仕組みを無視して、あれがしたいこれがしたいとわがままを言っていくと、いのちの循環がおかしくなっていくんだよ。
いのちはね、地球に太陽の光が当たると水蒸気になって、雲ができて雨が降って、植物が生えてきて、それを食べて生きているわけでしょ。それはお百姓さんが食べ物を作ってくれているから生きているみたいだけど、そこにいのちの循環の仕組みがあるから、それができているんだよ。

今日、3月21日の春分という日も、約束通り今年、またこの季節を迎えて、そして桜がもうじき咲くんだよ。

みのり:
うんうん!

ピトピ:
それはね、当たり前みたいに桜が咲いたと人間は喜んでいるけど、実はそれだけの大きな物語があって、その仕組みの中で毎年約束通りやってくるんだよ。
でも、人間がそれを忘れて、「春はもっと長いほうがいい」とか「夏は長くて冬は短いほうがいい」とわがままを言うようになると、人工の世界をふくらませて、自然の仕組みから外れていく。それでね、その人工が進んでいくと、人間は競争したり、戦争をしたり、病気になったりするわけだよ。
IMG_3200
みのり:
お~!

ゆい:
なんとなくわかってきた!

ピトピ:
今、人間たちの中には「よくわからないけど、この世界って変だ!」と思う人が増えてきているね。何が変かというと、人間はこんなにわがままでいいのだろうか、とどこかで思っているんだよ。今の人間たちはわがままだらけだからね。
人間が考えていたらね、少しでも地球に負荷をかけない生き方をしようと思うのだろうけど、だいたい人間は考えていないんだよ。今、70億人の人間が地球上にいるけれど、そういった人がたくさん集まって、地球の未来はとても難しい状態になってきているんだよ。本当は今現在も、とても難しい状態にあるんだけどね。

ここで、みんなに良いことを教えてあげよう!
よくわからないということはね、自分の考えではない、ということなんだよ。そうでない人は、自分でよくわかっていると思ってやろうとするんだよ。でもね、それは自我が勝っていて、自分の考えでやりたいということなんだよ。我が強いとまわりに対してそれが害になって、病気になったり、争いを引き起こしたりするもとになる。
でも、自分がないということは、「いただきます」ということだから、よくわからないけど何かをやりたくなるとか、よくわからないけどその日に予定を立ててやってみたら事がうまく成っていった、ということに通じるんだよ。それはね、地球と太陽のような宇宙の仕組みの約束事で生きていることにつながるね。

だから、自我がなくて、平和に生きる人たちは、宇宙の星と星の関係、宇宙の法則のように生きる人たちなんだよ。そうやって生きると必ず、全てのものがつながって、健康や平和が全てに行き渡ることになる。そして、そういった人たちは、世の中のために、この世界のために生きることになるんだよ。

今日の春分という日は、一年を一日にたとえると、「日の出」のときにあたるんだよ。だから、一年を見渡して、「柱を立てる」ように宣言や決意をすることで、一年全体に影響を与えるときでもあるんだ。
「柱を立てる」ということは、天を意識することだよ。天を意識すると、無限に広い宇宙の法則が自分のもとに降りてくるんだよ。
これはちょっと考えたら、当たり前のことなんだ。だってね、地球がまわりながら存在しているのは、宇宙の星と星の関係、宇宙の法則によってなっているでしょ。だから、その地球上の存在が全て宇宙の法則のもとに生きていることは、当然の話だよ。

その当たり前のことを人間たちは意識しないで生きているね。でも、よくわからないことが、自分をなくすことにつながるんだ。自分をなくすということは、自分の考えを超えた生き方をすることになるんだよ。そして、自分の考えを超えると、新しい価値が降りてくるようになる。これは循環だね。
だから、ひとつの考えが降りてきても、それを正しいとしてずっと持ち続けるものではないんだ。その正しいは、この世界ではどんどん変わっていくのだから、どんどん捨てて、どんどん入れる。これが「柱を立てる」ことなんだよ。
柱というのはね、まっすぐに不動のものが立っていることではないんだ。柔軟にどんなふうにも変化するけど、その筋は通っているからいつでもまっすぐになれるものなんだよ。

地球だってね、ぐるぐるまわりながら宇宙空間をどんどん進んでいるでしょ?そして、二度と同じところへは行かないんだよね。その仕組みも宇宙全体の法則の中に組み込まれているんだよ。

今ね、すごいことが起きているんだよ。そういったことも、人間が知って生きる時代がやっと訪れたんだ!そういう時代が地球にも来たんだよ。
僕は地球上の色々なところをずっと見てきてね、今までもそういったことを言っている人はいたかもしれないけど、実際にみんなでつながって生活しているところは、ここ木の花ファミリーに来て初めて見たよ!

木の花ファミリーをはじめた人たちも、こういった生活を自分たちがするとは思っていなかったと思うよ。だって、そもそも何をしたらいいのか、わからなかったんだもんね。でも、みんなで歩んでみたら、その結果を確認することができた。
「柱を立てる」ということはね、前もってわかることではないんだよ。柱が立っていたら、その時その時に必要なことが起きてくるし、必要な考えが湧いてくるんだよ。

それとは逆に、自我が勝っていると、よこしまな心だから、心が横にまわるんだよ。あれがしたいこれがしたいとか、何か良いものが落ちていないだろうかとか、得することはないだろうか、と考えがいつも横にまわっているんだよ。

柱が立つということは、宇宙の法則が降りてくることだからね、常にそれに基づいて生きていくことになるんだよ。これが、これからの人間にとって、最も重要なことだよ!それは、直観で生きると言うこともできるよ。それがないと、これからの厳しい時代を生きていくことは難しいね。

さらに、そういった生き方は、人間が人として生まれてきた本当の目的に到達できるんだ!だから、その大事を全身の細胞で感じることが大切だよ。頭だけでまわしたら、損か得かだけを考えることになってしまうからね。全身の細胞で感じたら、本当の大事を生きることができるよ。

これから、地球を外から見る視点が当たり前になっていく時代に、人間は日本人から地球人になって、地球人から宇宙人になり出す。そうしたら、人類はこのせまい地球の中で争うようなことはなくなる。人類がそのことに目覚め、時代が創られていくときがようやく来るんだよ!

その先駆けとして、今日創立21周年を迎えた木の花ファミリーのみんなには、これからその大事を全身の細胞で感じて、生きること全てが宇宙の法則のもとにあることを示していってもらいたいね。それはひとりひとりの存在が独立して、そういった意志のもとにあることだよ。

これは、宗教の話ではないよ。当たり前にそのことに気付いたら、当たり前に素直に生きて、自分も世の中も健康になれる生き方だよ。それが柱を立てることであり、その柱が立ったら、頭で考えなくても直観でスムーズに生きていけるようになるんだよ。

ゆい:
宗教ってなあに?

ピトピ:
宗教というのはね、えらい人がいて、「人はこうすると病気になりますよ」とか「間違いが起きますよ」と教えてくれて、「そのためには私の話を聞きなさい」とか「だから人が幸せになるためにはこういうことをすると良いのですよ」と言うと、みんなが拝んだりする世界だよ。だから、みんなが自分の意志や考えを持つのではなく、特別な人や形に頼って生きていく人たちの集まりのことを、宗教と言うんだよ。

ゆい:
それって悪いの?

ピトピ:
悪いことではないよ。今までの時代はそれが必要だったね。ひとりひとりが自分の本当の大切に気がつかなかったから、そういう特別な人が教えてくれたんだよ。でも、それをやっていくと、人間たちの間に差ができるでしょ?それにね、そうやって形をつくっていくと、形を維持していかないといけないから、本当のことを言わなくなってしまうんだよ。
本当のことというのは、自分で気付けば健康に生きられるということだよ。でもね、そういった形を大切にするところでは、「私たちのところに来てこれをしないと病気は治りませんよ」という話になってしまうんだよ。それは、たとえば宗教があると、神様にお願いして良くなろうという人が出てきてしまうんだよ。

でもね、色々な問題事が起きるということは、宇宙の法則から自分の心が外れているということだから、その外れている心のもとを見直すと、病気や問題事がなくなって、健康になって、人が争わなくなって、平和になるんだよ。誰かのところに行って治してもらうと、自分の健康を自分でつくれない人になってしまうからね。

今までの時代は、そういったもので人が救われてきたことは事実だね。でも、これからの時代はそういう時代じゃない。ひとりひとりが自分で自分を救える時代なんだ。
もっと言うとね、自分で自分を救って健康になって、そういった健康な人がたくさん集まると、世の中が平和で健康になる。そこでは、誰も誰かに救ってもらう必要はなくなるんだ。そういう時代がこれから訪れるよ。
その当たり前のことを自分の中にしっかりと降ろすことが「柱を立てる」ことであり、「柱を立てる」ことがなにか特別なことだと思っているとしたら間違いだよ。それは誰にでもできることなんだから。

柱を立てるとか、目覚めるとか、感じるということは、全身の細胞がするんだよ。だから、子供たちにはわからなくても、大人たちが真剣に助け合いながら生きているだけで、十分にこうした大切な生き方が伝わるようになる。誰でも宇宙の法則を感じることができるんだ。僕たちは宇宙の中に生きているのだから、宇宙人という意識にいつでも目覚めることができるんだよ。

宇宙人ピトピとしては、こうしたひとりひとりの気付きの輪を広げていけたらと願って、今日はみんなのところにやって来たんだ。みんなにはね、「本当が知りたかったら、そして21世紀のクニツクリの見本を見たかったら、日本の富士山麓に行ってごらん!」と言われるような場所をぜひ創ってもらいたいね。

みのり・ゆい・みこと:
なっとく、なっとく!!ピトピ、今日は面白い話をどうもありがとう!

ピトピ:
それではよろしく!君たちにはそういった時代をつないでいってもらいたいね。みなさん、また会いましょう♪
さよなら、さよなら、さよなら♪
 

未来を生きる6人むすめ♪ 左からゆうゆ、ゆい、きよ、みのり、かのこ、みこ
未来を生きる6人むすめ♪ 左からゆうゆ、ゆい、きよ、みのり、かのこ、みこと

 
 


価値とは? ~ 一人ひとりの目覚めの時代

2月〜3月にかけて開催された「1ヶ月間の真学校」の中で、カタカムナの講座が2日間にわたって行われました。2日目の講座の冒頭で、いさどんは次のように語りました。
 
■    ■    ■    ■
 
いさどん:
私たちの住む地球には多様な生き物が存在します。さらに宇宙に目を向ければ、無限の星が存在し、その中で地球は本当に微細な存在です。先ほど皆で奏上したカタカムナの63首を聞いていたら、「価値」という言葉が浮かんできました。価値はどこにあるのでしょうか。宇宙は星と星の関係性のもとに成り立っていますが、星々は価値については何も考えず、ただ存在するだけで宇宙を形成しています。

では、地球上に無限の生命が存在する中で、その価値はどこにあるのでしょうか。例えば太陽の光は無条件に降り注いでいます。それによって風ができ、水蒸気が上がって雨が降り、大地に植物が芽生え、それが腐食して土ができるというように自然現象は成り立っています。その時に、そこに価値を認識している存在があるかというと、いないのです。動物も植物も微生物も全て、価値というものの上に存在していません。

そこで、価値はどこにあるのだろうかと考えると、人間の思考の中にあります。先日、木の花劇団がここの経済に関する劇を発表しましたが、あの中にはたくさんの価値がありました。劇の中で表現されている価値は何を表しているかというと、今の人間の有り様は変だということを伝えているのです。どうしてこのような価値に人間は縛られているのだろうか、と問いかけているのです。

価値というのは、自分と他者とを分けることから生まれます。それでは、どこから価値が生まれてくるのか、考えてみましょう。

IMG_6204よしてるくん:
差。

いさどん:
その差はどこにありますか?

よしてるくん:
思考かな?

いさどん:
誰の思考ですか?

よしてるくん:
その価値を決める人の思考です。

150216-151724いさどん:
その価値を何が生み出しますか?

みどりーぬ:
比較。

いさどん:
誰と誰を比較しますか?

みどりーぬ:
人と自分。

いさどん:
それは、自分という自意識の上に価値が決まってくるのです。自我を主張し合わない自然界では、価値を決めなくても、美しい生命ネットワークが形成されています。太陽の光が降り注ぎ、自然の成り立ちが流れていくと、その中で生命は全て循環して一つの輪となり、それぞれが各ポジションを担いながら相互に成り立つ仕組みになっています。それは、私たちの体の仕組みと同じです。そこでは、価値基準のいらない世界です。

そこで、さらに価値について考えると、人間の意識だけがそうした価値を持っているのです。価値を持つということは、人間の自我の表現なのです。では、私たち人間が生きていく中で、価値のある人とはどういう人なのでしょうか。

いぶちゃん:
人の役に立つ人。

みどりーぬ:
困っている人がいたら助ける人。

いさどん:
「これこそ価値がある!」というような、究極に価値のある人とはどういった人でしょうか?

みどりーぬ:
闇と光の両極を知っている人。

いさどん:
難しいことを言いますね(みんな、笑)。そのような人のことを何と呼びますか?

やまちゃん:
聖人。

いさどん:
そうですね。では、聖人の代表は誰ですか?

やまちゃん:
お釈迦様、キリスト。

いさどん:
こういった人たちは聖人として生まれてきたのでしょうが、生まれてからすぐに聖人としての生き方をしてきたわけではありません。ある時から聖人の道を歩み出したと思うのですが、それはどのような生き方だと思いますか?

やまちゃん:
真理を教えてきた生き方。

いさどん:
真理とは何ですか?

やまちゃん:
宇宙の法則に則った在り方。

いさどん:
僕は宇宙の星と星の関係や地球の生命の在り方を観て、そこに価値をどのように置くかを捉えました。それに対して、人間の中にある価値とは何だろうと思った時に、価値のある人とは尊い人のことを指しています。そこで聖人というところまで皆で行き着いたのですが、聖人とはお釈迦様、キリスト、ムハンマド、孔子など、日本にもそういった人はいたと思うのです。では、そういった人はなぜ聖人なのでしょうか。

たになおちゃん:
傍(ハタ)を楽にするから。

キタジュン:
自分以外の全ての人に対して救いの手を差し伸べる。

いさどん:
簡単に言うと、世の中や人のことを考えて生きたということでしょう。そこで、さらに価値について考えた時に、自然や宇宙の成り立ちを観ると、そういったものは価値を考えることはありません。それは仕組みです。それぞれが与えられたポジションを担いながら、互いに対話して全体を成り立たせています。そこには確かに意志の存在を感じますが、それは与えられた役割を果たしているだけなのです。それは地球生態系を観ても、たとえば微生物は自らのポジションに対し、こういった価値があるから微生物をやりたいとか、次の役割はミミズにしようかと思うことはありません。

僕は、「生きているかどうか研究家」であり、「変だよ!人間」というのが持論ですが、なぜそう考えるのかというと、人間は常に損得を考えて生きているからです。そこには自我という軸があって、他者と比べて損か得かを考えて生きています。
ところが、宇宙の天体や地球上の他の生命を観ても、そういった価値観を持って存在しているものは何一つありません。しかし、その中で人間は一人ひとり全て違う価値観を持っています。人間には人間という一つの価値観があればそれでいいと思うのですが、人間は一人ひとりオリジナルな価値観を持って存在しているのです。
そうであるがゆえに、この世界の存在を認識するよりも先に自らの存在を認識してしまい、人間はこの世界を認識できなくなっています。自我が強くなればなるほど、認識できる世界は狭くなっていくのです。人間の意識レベルでは、自我があるのが当たり前です。それが人間らしいと勘違いしている人もいるのですが、地球上の他の生命は何一つそのような価値を持っていません。ですから、「自分が」という価値観が小さいと、この世界がより広く観えてきます。そして、「自分が」という価値観がなくなってしまうと、この世界が自分自身にもなってくるのです。

いったい、この人間とは何なのでしょうか。そういった広い世界観を通して観れば、人間として目指すべき尊い方向は、自我の価値観を捨てたところにあるのです。ところが、現代の人々は本来目指すべき方向とは逆のところに自らを置き、それを望むところとして目指しているのです。それで楽に生きているのかというと、実はその世界にいては楽ではありません。

ここにいる皆さんは、真学校で自らを1ヶ月かけてリニューアルし、新たな自分を見出していくという目標があり、1ヶ月もの時間とお金をかけて来ているのです。今の時代に1ヶ月の時間を作ることは大変なことです。それにお金を出してまでやる人は本当に限られた人たちです。今どき、心を見つめて自らをリニューアルしていくことを、1ヶ月の時間とお金をかけてやる人がいるのだろうかと思っていたら、今回14人の申し込みがありました。今後、年に2回開催していく話も出ていますが、それは需要があるからではありません。こうしたプログラムを必要とする時代が来ているからです。

皆さんは、変えることを目的にここに参加していると思いますが、では何を変えるのですか?

たになおちゃん:
自分を変える。

いさどん:
自分にどういったところがあるから、どのように変えようと思うのですか?

たになおちゃん:
自分の性格に問題があったから、自分を変えなければと思います。今まで自己中心すぎて、周りを不幸にしてきました。

いさどん:
自分のことしか考えていないということは、自分が内向きだったということです。それは先ほどの聖人と比べると反対の方向ですね。なぜ自分が内向きだったのでしょうか?自分が内向きだった時には、それが価値のあることだと思っていたから、そうしていたのではないですか?

たになおちゃん:
はい、それしかないと思っていました。

いさどん:
それは、価値違い(勘違い)です!(チーン♪ みんな:笑)人間の意識が低いところにあると、自らを守ってそれで自分が安定すると思っています。ところが、人間の長い歴史の中で人の営みを捉えてみると、いつの時代でも変わらず、「己を忘れて人のために生きる」ことが価値のあることになっています。しかし、多くの人間は常に自らに囚われ、意識の低いところにいて、それが自らを守ることで安心だと思っているのです。

今、なおちゃんが話したように、たいていどの人も意識の低いところにいてはいけないとは思っています。そこに意識があると、行き詰まるようになっているのです。それは、この世界の奥にある見えない法則が、「ここにいてはいけないよ」とそこから抜け出すためのメッセージとして表してくれているのです。

人間社会であろうが、自然界であればなおさら、この世界では自らのことばかりで不調和に生きていたら、問題が発生するようになっています。例えば鳥が、「しばらく天候が悪くなりそうだから、食料を沢山蓄えておかないと」と考えて、田んぼのお米を沢山食べて太ってしまったら、猫が襲ってきてもとっさに飛ぶことはできません。そうしたら食べられてしまいます。
そこで、「足るを知る」ことが大切なのです。適度に食べ、適度に排泄し、それが自然に還元されて、次の命につながっていくのです。そこには人間のような欲の考えはありません。「得した」「損した」「良い人生だった」と考えない世界なのです。そうした考えがなければ、生命の循環の中では皆が健康に命を紡いでいくことができます。そして、そのように価値基準を持たないのが、この世界の生命として生きるものの本来の姿です。

人間は自らを主張し、聖人という存在から遠い人間ほど、価値という基準を持っています。そして、それが自分らしいと自らを守ることであり、そこに囚われながらこの世界を創っています。
それに対してこの世界の側からは、「それでは生きることが苦しくなりますよ。あなたが命だとしたら、本来の命の姿から外れていますよ」と病気などの問題事を通して教えてくれています。鳥が欲をかいて食べ過ぎていたら、危険が迫った時に逃げ遅れて食べられてしまうように、そういったものは生命として生きていく資格がないことになります。だから自然淘汰されるのです。
ところが、現代では人間だけはそういった法から外れたものでありながら、淘汰されずに、人工という世界を創り、他の命に災いをもたらしながら存在しています。今、地球規模で人間は、自然災害や気候変動を通してメッセージをもらっています。しかし、国を司るリーダーたちは、相変わらず経済発展こそを豊かさとして優先しているのです。

命は循環しているのですから、他者の役に立つ働き(傍楽)をしてつないでいくと、この世界は健康になるように創られています。しかし働くのではなく、自分のことばかりを考えて物や金を溜め込もうとすると、血液が全体に行き渡らない病気の状態と同じような社会になってしまいます。今の日本経済は破綻状態にあり、それは借金ばかりが必要な人工透析状態なのです。

そうした政治を司る人々が世の中で成功した優秀な人とされていますが、それは尊い存在とは違います。ですから、今の世の中で成功した人を尊い人とは言えません。
こうした社会の矛盾を目の当たりにするたびに、「人間はおかしな生き物だ」と思うのですが、人間はその価値を人間社会の中にのみ見出し、それが人間らしくていいと思い、その意識が自分たちの首を絞めていることに気付いていません。もしかしたら今、私たち人類は絶滅前夜にいるかもしれません。IPCC(国連気候変動による政府間パネル)のデータを見たら、そのようなことを続けている場合ではないのですが、それは私たち一人ひとりの目覚めに関わっていることなのです。

この1ヶ月間の真学校を通して、まずは自らの実体を知り、客観的な視点を養い、健康で楽に生きていけるように、皆さんは参加しているのです。僕は、改めて皆さんがそういったことを意識し学んでもらえるように、こういった話をしています。

あなたがた一人ひとりがこの世界を創っています。それが塵(チリ)も積もって70億人が集まり、地球にこれだけの影響を与えて今、この世界の現状があります。それは、あなたの働きがこの世界の行き詰まりを創っているということです。それは勉強してわかるようなものではなく、直観で感じて矛盾を捉える感性があったら、当たり前にわかることです。自らを観て客観的な視点が育てば、そこで自らの矛盾にも気付きます。そうすると、当たり前に生き方を切り替えることができます。今の人間は物事が良く見えているようで、知識をたくさん得ていても、そういったことが観えていないようです。

こういったことが人々に当たり前に観えるようになり、一人ひとりが世界の仕組みの中で役割をもらい、世界をつなげるためにあることに気付き、その役割を果たしたら、あなたはすでに聖人です。そして、その時に人は、自らが生きようとしなくても生かされる存在になります。命は必要な分だけ与えられていますし、寿命は決まっているのです。ですから、生きながらえようとしなくても良いのです。世界がこの仕組みである限り、自らに与えられたポジションで生きていく役割と期間は決まっているのです。

その中で人間だけは他の生命と少し違って、生きる内容が一人一人の意志に託されています。それが人間としての価値だと思うのです。私たちはどのように生きるのか。その結果、この世界に何をもたらしたのか。自らの価値をどこに置くのか。そこに気付き生きる自由が人間には与えられているのです。与えられている自由はそれだけです。価値基準もそれだけなのです。

政治はセイ(政・聖)と書くのですから、本来聖人が行うべきものです。それなのに、主義主張のために政治が行われているのが現状です。その自我の極めつけは、自国の利益を得るための戦争です。その自我が世の中に争いの世界を創り、様々な問題事の原因となっているのに、それが観えないのです。人間とはそのようなおかしな生き物です。

そういった中で、皆さん一人一人は自らを転換するために、1ヶ月の時間とお金をかけてここに来ています。世の中の人がなかなかできないことに皆さんは取り組んでいるのですから、僕は特別な人たちだと観ているのですが、自らの転換だけではなく、真の価値とは何かに気付き、この学びから自らの価値をどこに置くのかを考えてもらえたらと思っています。

プログラムの冒頭でそういったことを伝えると、「私は自分の学びのために来ているのに、人のための学びなんて嫌だ!」という可能性もあるのです。しかし、プログラムが進んできて、その中でカタカムナの宇宙観に触れるところまで来ると、皆さんもある程度今の社会情勢と宇宙の構造との矛盾について知ることができてきていると思います。そして、その学びでは広い世界観を持ちましょうと伝えてきました。その中で自分はどのような存在なのかを捉え、世界観が広くなれば、自我から離れることのきっかけとなります。そして皆さんはカタカムナの世界観と出会ったことによって、現象界の奥にある世界まで捉えた時に、この世界の存在する仕組みについてさらに理解を深めることができました。

宇宙空間に生きる私たちは、当然、宇宙人です。そして、私たちが宇宙人という意識を持つと、そこまでの広く高い認識を持つことができます。地球上で私たちは無数の生命ネットワークの中で存在していますが、宇宙の仕組みを認識できるのは、その中でもたった一種類、私たち人間だけです。

IMG_6137昨日のカタカムナ勉強会で「アマハヤミ」の話がありましたが、アマハヤミとは思念の速度であり、光の速度の10の64乗倍と言われています。アマハヤミはこの現象界の光と比べる対象の存在でもあり、究極の相対性理論のようなものです。宇宙は広大な世界ですが、アマハヤミの思念では人間が頭の中で「宇宙」を思い浮かべるだけで、瞬時にして宇宙全体が観えてくるのです。それだけの能力を人間は潜在的に持っています。カタカムナと出会うまでは、この世界の基軸は光という認識だったので、そういった概念はありませんでした。ですから、宇宙を知るためにこれまで物理学者や科学者たちは、莫大な労力をかけて宇宙を探査してきたのですが、光の速度の乗り物を作れないのに、130億光年もの宇宙の世界を観て帰って来ることは不可能なのです。そういった思考を超えて、宇宙に探査の思念を送ると、意識があるレベルに到達していれば、宇宙の全体像が瞬時に観えてきます。そして、人間の存在とは何なのかを思念として想えば、その存在価値が観えてくるのです。

そうしたら、客観的に自らを観て、自分が低い意識レベルにいると気付いたら、こう自らに伝えてあげればいいのです。「あなたは何のためにそのような無駄なエネルギーを使っているのですか。その上、さらに辛い思いまでして、涙を流しています。そんなエネルギーはもったいない。バカバカしいからそんなことはやめましょう。」そういった意識を皆さんに持ってもらえたら、世の中は良くなっていくと思います。

皆さんの日記を読んでいると、真学校の学びとはこういうものだと皆さんは少しずつ理解してきているようですが、実はあるところでこれを切って、「今の延長にこれからの学びを提供していくわけではありません。それでは、学びが皆さんの我の延長の学びになってしまいます」と伝えようと目論んでいます(笑)。そして、本来人間とは何なのかという本質を、自らを一気に超えたところで理解してもらえたらと思っています。今、種明かしをしてしまいましたが(笑)。

昨日のカタカムナ講座の中では、今まで聞いたこともなかったよくわからない話を聞いたと思いますが、そのわからないことを大事だと思って、それに付き合っていくと、ある時あなたに自我が切り離される時が来るのです。その時に、今まで自我に囚われていたことに気付き、今までのあなたの疑問がわかるようになるのです。

そのような自我を超え物事の本質に目覚めるためのプログラムを、私たちはこれからも提供し続けていきます。時代が切り替わる時を迎えているのですから、皆さんにもこの輪を広げていってもらいたいと思います。「自分のために」というところから、本当に世の中を変えていくための役割に目覚めてもらいたいと思っています。

そのために、古代人の叡智であるカタカムナの宇宙物理学は大切なものです。しかし、気を付けなければいけないことは、そこでカタカムナ教になってはいけないと思うのです。癌を治してもらおうなどと、カタカムナの奏上をお願いすると、それはご利益宗教のようになってしまいます。それではいけません。自分自身がそういった意識レベルの人になることが大切です。そして、自らの存在を持って世の中に大事を示していける人になることが大切なのです。誰もがそのような尊い人になれば、次の時代の扉は開かれます。それは一人ひとりの目覚めの時代なのです。それが、これからの人々の目指すべき価値なのです。
 
 
「尊きものを見つけ、そこに行き、救われることよりも、
 自らが尊きものとなって、他を救えるようなものになれ。
 これからは、一人びとりがイエスやブッダであるぞ。」