感謝すら消えてしまう世界へ

「生きることが答え」に沢山のコメントをいただき、
ありがとうございました。
皆さんからの色々なコメントを受けて、
いさどんからのメッセージをシェアしたいと思います。

どこかで区切って答えを出していくということも大切なことではありますが、
それ自体は次につながる過程と捉えることが出来るものです。
今まで私たちは出来事を検証しながら、
次がどうなっていくのかということを検証してきました。
私たちは、常に正解を求めている人たちと違い、
縁があって出会った人、そういった出会いからもたらされる出来事をいただき、
その結果わかったことを学び、次の行動につなげていくという方法で今まで歩んできました。

縁ある人々との出会いから求めるものと提供するもののニーズが合うと、
私たちが最初からわかって提供することもあれば、
出会いによって新たに提供出来るものを育てたり、
元々持っていても今まで提供出来なかったものに気づいていく場合もあります。

だから私たちは、答えをわかっていて提供しているばかりではありません。
積み上げてきた実績の中で見通しが立てられたり、
色々な出来事を経験しながら、
私たちも新しい情報を手に入れ次の糧にしています。

ケアで滞在している人に伝えていることは、
「あなたの人生はあなたの想いをあなたが表現した結果与えられるものだから、
その結果は自己責任ですよ」ということです。

私たちは常に、客観的な視点に立った情報提供をしてきています。
人が生きているということは、
自己表現の結果が返ってくるようになっています。
この世界は因果応報であったり、
類は友を呼ぶという仕組みで現象が自分に返ってくるのです。

そういう仕組みの中で生きているということは、
自分が求めていることを自分で掴むというよりも、
自分自身の中にある想いを行動として表現することによって、
この世界という鏡に映り、結果として現象を自分が見ることになります。

そうすると、一人一人、人生を通して自分を学習していることになります。
自分の行いに対して学習出来る状態の人もいれば、
自分の行いを冷静に判断出来ず、自分の行いで混乱している人もいます。
そのように人それぞれの人生があるものです。

どの人もその人なりに生きて、その人なりの答えをもらって生きています。
それをよくわかっていないと、問題事が起きると他のせいにしてしまいます。
そうではなく、自分の中に種があり、
その種の存在を教えてくれるためにこの世界はある、というふうに捉え、
「それはあなたの中にある種が引き寄せているんですよ。
それがこの世界のあなたに対する働きですよ」と伝える。
そうやって、私たちは客観的な情報を提供しています。

ここで、その人の中にある問題の種を
代わりに解消してあげることは重宝でいいことのようですが、
それをすると、なぜその人にその種が与えられたのかという意味を知ることと、
その学びを奪ってしまうことになります。
いつも他人に解決を求めないといけない人が出来てしまうのです。

最終的に人は自分の存在を正しく認識し、
自分が何ものであるのかということを悟っていく旅をしています。
出来事は、自分自身が何ものであるか、
自分自身がいるこの世界は何なのか、
ということを知っていくためのきっかけになるのです。

常に他人によって物事が解決されていくと、
そのことがいつまでたってもわからない人間になってしまうので、
その人が出会った出来事をその人に返してあげるというのが私たちのスタンスです。
これが一番大切です。

自分の心にふさわしく出来事が表わされ、
そこから学び、自分を知るための旅をしています。
それが人生なのです。

そうしたら、どのような出来事に出会い、
結果どのように死んでいくのかということは全てその人の自己表現です。
中には他人のせいにして被害者として、
自分が表現したものを受け取っていく人もいるのですが、
全て自分自身の表現が自分に出来事をもたらし、
自分を知るためにあるのです。

そこへ至るまでには人間関係にしろ出来事にしろ、
色々なことが複雑に絡みあっていて、
それをどこで区切るかによって、
「良かった」とか「悪かった」という表現が生まれてきます。
無限なる世界で起きている出来事ですから、
より広くそれを捉えた時には問題事は何一つない世界です。
全ては学ぶ過程の出来事となります。
しかし、それを狭く一つ一つのこととして捉えると、
「良かった」とか「悪かった」という世界に陥ります。

そこで僕はこういった中で何をしているかというと、
「こういうケースの場合はこういうことによってこういうことが起きて、
こういう結果になる」とデータ収集をしています。
過去に同じ出会いは一度もなく、
出会う人々の事情は全くオリジナルなのです。

ここへ来て、意識を変えて社会へ戻る人は多いです。
ここで見事に問題事を解決していった人は、
自分の新たな歩みを見つけ進んでいきます。

しかし、一見問題事を解決していないようで、
「卒業」に至らずケアを終わっていく人もいます。
しかし、そういった人にもここでの体験は無駄になっていないのです。
例えば、ここにいることが苦痛だった人にとっても、
それが次へ進むための土台になっていきます。

こうやって色々な人に出会っていくと、
誰一人として無駄な出会いはありません。
偏った捉え方をすると、「これが正しい」ということになったり、
「あれは失敗だった、ダメだった」ということにもなります。
しかし、そういうことはこの世界に何一つないのです。

これは、出来事を通してプロセスに出会っていることであり、
その現場に居合わせる時に初めてわかることです。
部分的な情報ではなかなかわかりづらいことであり、
だから、私たちは常に現場に居続け、長い物語をいただいているのです。

一時区切って良い悪いと見えることでも、
ファミリーの外の人たちに公開したいと思っています。
公開しないとそこに疑問も湧きませんし、肯定も出来ません。
ただ、悪いと見えることも確かな手ごたえとしてあるからこそ、
それが私たちの次の歩みの糧になっているのです。

出来事に出会えば出会うほど、
私たちのデータ集積も進んでいきます。
確実に次のためのステップにつながっていきます。
新たな出会いから情報が与えられ続け、そうやってここ自体が育ってきました。

私たちは魂の存在です。
いつかは旅立っていくものです。
その時にこの世界が何だったのかを知るために、ここで生きているのです。
それが、この世界の価値観に一喜一憂しすぎると、
生死を越えたもっと大きな目的が見えなくなってしまいます。
生きていることの意味やこの世界がなぜあるのか、
ということをわかっている人は意外と少ないものです。
それは一生の探究です。

自然の世界を区切って見ると、
弱肉強食の世界がどこにでも展開されているように見えます。
しかし、自然の世界をつなげてみると善意と愛と調和で成り立っており、
全てのものがひとつらなりでこの世界に死はなく、
問題事が何一つない世界です。

この世界に悲惨だと言われる出来事は沢山あります。
平和な時代がもしあるとしたら、平和は争いの上に成立しています。
自然界では、常にいのちを連鎖してきた結果、
部分的に見ればいのちの奪い合いでもあるのです。

だから、物の捉え方を部分的に拡大して見ると、
良い悪いということも生まれてくるものです。
それをこの世界の新陳代謝のように捉えれば、
この世界に問題事は何一つないことになります。
もっと広い視野で物事を捉えたら、それが観えてくるものです。
逆に狭い視野しか持たないものが狭い視野で一喜一憂することによって、
狭い視野を広くするために育てられている、
と考えればそれも問題のないことになります。

私たちはありがたいところにいて、
この世界にいることに感謝して生きていくことで、
全ての出来事から学んでいくことが出来ます。
そして、最終的には万物の中にある一つとしてこの世界を構成しているのだとしたら、
実は「ありがたい」という感謝すら消えてしまうような、そういった世界にいます。
私たちは「ありがたいこと」すら、違和感のある世界にいるのです。

それがわかれば、問題事に一喜一憂する必要はありません。
一種の宇宙の新陳代謝のようなものですから。
そこのところに心が到達した人は、
「そういうことだね。ああ、やっと解放されたね」と捉えるでしょうし、
もっと先の心の世界もあるのです。
未だそこに至らない人にとってみたら、
現実の苦しみは避けて通れないことになります。

私たちはここで縁のある人々に情報提供しているだけであって、
今混乱が必要な人は混乱の中にいますし、
混乱が必要なくなれば自分で抜け出してくるものです。
そして、私たちは情報提供をしていると同時に、
私たち自身が感謝しながら学んでいます。
しかし、感謝するということは与えられている立場であり、
そこには区別があり、それすらも取り去って、
感謝すらいらない世界へ行こうとしています。

今後も色々なことが起きて、皆が一喜一憂していくことでしょう。
私たちは育てられ確実に進化しています。
そういった中で、私たちには想像出来ない大いなる目的があり、
この世界を旅しているということなんだろうと思います。

私たちは、いつでも問題事から抜け出せる。
そしてまた、新しい問題事に突き当たる。
それがこの世界です。

このカラクリがわかって世界が観えた時、
どんな出来事も楽しめるようになります。
そこでは問題事すら楽しめるという世界が待っているのです。
そこに、人間たちが存在する次の意味が隠されていると思います。
人生を大いなる存在と共に、
ゲームのように楽しんで学んでいきたいと思っています。


17年の人生でベスト3に入る良い時間

4月4日からうつ的な心を立て直すため、
ケア滞在していたあーちゃん(17歳)の卒業コンサートが昨日行われました。
あーちゃんの大好きな歌を2曲、
皆のためにとてもかわいらしい声で歌って踊ってくれた後、
こんな卒業のあいさつをしてくれました。

あーちゃん:
1ヶ月とちょっとここに滞在させてもらいました。
来た時はうつ病と言われていたのですが、
自分としてはその自覚が全然なくて、
自分は病気ではないと思っていたからここまで来られたと思っています
でもそれ以上に、ここの皆さんのあたたかさのおかげで良くなれたと思っています。

昔から両親の仲が悪くて、
自分は全然甘えられないし、甘えたくないというのもあったと思うんですが、
両親から愛をもらうということが無かったから、
ここに来て色々な人に愛されているんだという気持ちにやっとなれました。
心が安心して、ここまで元気になることが出来ました。

ここにケアで来ている人たちがどんどん良くなっていくのを見て嬉しくなったり、
人のことを思いやれる心も身に着いたと思っています。
今までは人に興味がなかったので、そういうところも変わったなと思って、
すごく感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました。

麦が色づく頃にまた帰ってこようと思っています。

いさどん:
今日のあーちゃんの姿を見て、帰すのがもったいないなあーと(笑)。
家に帰ってまた学校へ行けなくなったら、いつでも戻っておいで(笑)。

あーちゃんを見ていて、どこか悪かったんだろうかと(一同爆笑)。
どうしてこういう子がうつ病になるんだろう、
なんで病気だったんだろうということを改めて思います。
お医者さんの見立てって何だろうなと思います。

あーちゃんは時々僕に甘えてくれて、
これは大いに役割として甘えさせてあげるのがいいと思い、やっていただけで、
何か特別彼女に対して治療的なことをしたことは全くなかったのですが、
結果こういう姿(明るくかわいく歌って踊ってくれました)を見せてもらい、
木の花ファミリー始まって以来、今日は歴史的な日でした(笑)。
感激で胸がいっぱいです!

ケアで来た人の卒業式には「おめでとう」「ありがとう」と言うのですが、
こんなふうに手放すのが惜しいなと思ったのは初めてです!
いつでも具合が悪くなったら帰ってきていいからね(笑)。

とりあえず、麦が実る頃には来るそうですから待っています。
というわけで、卒業おめでとうございます。
ありがとうございました。

みっちゃん(司会):
あーちゃんに対してコメントがある人はいますか?

きょうこちゃん:
あーちゃんは「世の中の役に立つ勉強がしたいの」と言っていて、
素晴らしいなと思いました。
今の歌もかわいかったよ!

のんちゃん:
来たばかりの頃は「食べることに興味がない」と言っていて、
「食べることが楽しくなったら、生きるのも楽しくなるかな?」と話していたのだけれど、
今は生きることを楽しんでいるなと思いました。
これからどんどん、楽しんでいっていほしいと思います。

ちなっぴ:
ミーティングが終わったある日、
「踊ってもいいですか?」とさっきの歌を披露してくれました。
「私一人だけで見るのはもったいない!」と思って今日歌ってもらいました。
衣装も色々な人から借りたものをコーディネートして、
前髪もさっき、ちーちゃんが切ってくれました。

今日、あーちゃんと一緒に山羊の乳しぼりをした後、
「私の大好きな場所を案内するわ」と麦畑に行ってきました。
二人で「綺麗だわ、綺麗だわ」とキャーキャー言って、
「今はグリーンで綺麗なんだけれど、これが黄金色になるとさらに綺麗なんだよ」
と言ったら、また来ると言っていました。

みっちゃん:
今度はぜひ、お父さんとお母さんも一緒に来られるといいね。
皆で待っています!

翌日、あーちゃんをお迎えに来たお母さんと
あーちゃん、いさどんの3人が話す場がもたれました。

いさどん:
昨日の卒業コンサートはとても良い時間でした。
あとは、本人の自覚と、その自覚の実行あるのみですね。
コツは、自分の世界に入り込まないことと、
人と無理に合わせようとしないでマイペースで行くことです。
逆行することのようですが、それを両立させないといけません。
人に合わせすぎてもいけないし、自分に入り込みすぎでもいけない。
でも、この1ヶ月で成果は出たと思います。

お母さん:
おかげさまでありがとうございました。
本当に元気になってくれて良かったです。

いさどん:
色々と心の学びもあって新しい世界も見たし、
ここでいい時間を過ごしたでしょ?

あーちゃん:
これまで17年間生きてきて色々と楽しいことがあったけれど、
ここで過ごした1ヶ月は17年の人生の中でベスト3に入る良い時間でした。

いさどん:
これからも、ここでの経験はあなたの人生に大きな影響を及ぼしていくよ。
自分が人に良い影響を与えられるということは大切です。
さらに、自分らしさは失わずに。

またヒントが欲しかったり、
だじゃれが聞きたくなったらいつでも帰っておいで!

ツꀀ

ツꀀ


半年記念

2月からうつ的な心を立て直すため、ケア滞在をしているまいちゃん。
雨降りの午後、テントハウスでキクラゲの切り込み作業を一緒にしていると、
彼女が「今日は半年記念なの」と話し始めました。

ようこ:
何の半年記念なの?

まいちゃん:
最後にリストカットをしてから半年が経つんだ。

ようこ:
そうか。まいはここに来る前にそういうことがあったって言っていたよね。
初めてしたのはいつ頃だったの?

まいちゃん:
一昨年の12月。
その頃、同じようにうつ病の友達がいて、その子がそういうことをしていたの。
最初は、「親からもらった体だし、やめた方がいいんじゃない?」と思っていたけれど、
自分もすごくしんどい時にしていたんだ。

ようこ:
するとどういう気持ちになるの?

まいちゃん:
する前は「血が見たいな」と思って、血を見ると満足するというか。
でも、した後にはお風呂に入ったら痛いし、後悔するんだけれど、
またしんどくなるとしてしまっていた。

ようこ:
ここに来てから、そういう気持ちになることはあった?

まいちゃん:
そういえば、ここに来てからはないね。

ようこ:
それは何でかな?

まいちゃん:
一番は、皆が自分の話を聞いてくれて、受け止めてくれるからだと思う。
血がつながっていないのに、本当の親のように叱ってくれる人がいて、
自分と向き合ってくれる人がいることは大きいね。

ようこ:
そうだよね。血がつながっている家族だと、
「こうなってほしい」という欲や利害も出てくるものだけれど、
ここの人たちはそういうものと関係なく、まいの心が良くなることだけを想っているからね。

当時のまいに心を開いて話せる人がいたら、リストカットをしなかったかな?

まいちゃん:
そう思う。心の浮き沈みは自分ひとりの力ではどうしようも出来ないから、
自分が助けを求めている時にそういう人がいてくれるのは大きいと思う。

ようこ:
もし、当時の自分に何かを言ってあげられるとしたら、何て言う?

まいちゃん:
アホなことしたね(笑)って。
そういうことをしても、根本的な解決にはならないのにね。
今となったら、「あんな時代もあったな」って良い思い出になっているよ。
しんどかったんだな、でもアホだったんだなって。

ようこ:
そういうふうに言えるまいの話を聞いていたら、涙が出そうになってきた。
そうやって、しんどかったことでも何でも、自分の人生の糧に出来たらすごいよね。

もし、今目の前にリストカットをしたいという人がいたら、何て言ってあげる?

まいちゃん:
そうだな。。。自分の話をするかな。「私もこういうことがあってね」って。

ようこ:
自分の過去をそうやって人のために活かせるといいよね。
私にはそういうことが無かったから、
「そういうことはいけないことだよ」と言っても重みがないし、
「自由にしたらいいよ」と無責任に言うことも出来ない。

でも、まいはそういった過去を乗り越えてきたから、
言葉に説得力があるし、人生に厚みもある。

まいちゃん:
自分の人生は自分で輝かせないとね。
自分の人生を他人のせいにしても、良くなるわけではないし。
昔は親を責めていた時期もあったけれど、
今は「そういうのが出来ない人たちだったんだな」と客観的に思えるようになった。

ようこ:
ここに来てから着実に心の学びも進んでいるね。

まいちゃん:
この間いさどんに、
「客観的に自分のことを見られるようになるといいよね」と言われた時には
「客観的ってどういうこと?!全然わからない!」って思っていたんだけれど、
そのことがちょっとずつわかってくるようになると、
「自分ってこういう性格だったんだ。こういうところもあるんだ」って
皆が言ってくれていたことも理解出来るようになってきた。

親のことも「自分のことを全然わかってくれていない」と思っていたけれど、
今は「それで仕方がなかったんだな」と思うし、
やっぱり自分の中に親に対する感謝の気持ちもあるから。

いさどんから、「まいの心がたくましくなるために、親との関係も与えられている」
と言われて、本当にそうだなと思っている。
前だったら、親とこういうことがあったら5日間くらい寝込んでいたのに、
今日は朝から作業に行けているじゃん!って(笑)。
ここに来てから、確実に心がたくましくなってきたな。

ようこ:
まいはまわりの環境に影響されやすいから、
心がたくましくなるのは大切なことだよね。
まいの個性が活かされ、まいが生き生きと輝いた人生を歩めるよう、
これからも皆で応援していくからね。


その証はそなたの生まれた月日に隠されておる

今日5月3日はいさどんの59歳の誕生日。
朝起きた時には、
「今日は誕生日だから、一日何もしないでいようかな?」
と言っていたいさどんですが、
午前中は出版に関するインタビューとケア面接、
午後はワークショップ、そして夕食後にはケア卒業面談という
超多忙な一日を過ごしました。
話すことが好きでいつも愉快に語るいさどんマジックにかかり(?!)、
いさどんと話す人は皆最後には笑顔になります。

今日の昼食後、メンバーとゲストの総勢95名が集う中、
皆が一緒に大笑いしたいさどんのあいさつを紹介したいと思います。

皆さんありがとうございます。
僕のために日本中の人が今日を休みにして
誕生日を祝ってくれている、と以前から思っていました(笑)。
実際『誕生日おめでとう!』と言ってくれる人は
今目の前にいる皆さんですね。
毎年大勢の人がここに集ってくれます。
今日は大型連休ということで一年で一番人が集う時期ですね。
そんな時期に自分の誕生日を迎えられて、
皆さんにそれを祝っていただくことはとても嬉しいことです。

今日、5月3日というのは憲法記念日です。
昭和22年に憲法が立ち上がりました。
そして昭和26年の5月3日、
僕の誕生日の日に憲法が施行されました。

ある時、僕に天から言葉が降りてくるようになりました。
そして、それまでの自分の生き方から変わって、
「世の中が良くなり人々が幸せになるために生きよう」
と考えるようになりました。

僕が生まれた家の裏山のふもとに神社がありますが、
ある時その神社に行ったんです。
そこで神様とお話する機会がありました。
その時神様は、人間の言葉で話されたんです。
あるシャーマンの女性と知り合いまして、
その人と一緒にその神社へ行きました。

そうしたら、その神社の神様が彼女に乗り移って
私に色々と話をされるんです。
「そなたのことは幼少の頃より見ておったぞ。
やっとそのようなものになったか」と言われました。
「そのようなもの」というのはきっと、
女性を通じてですが、
神様とお話するようになったということだと思うのです。
その時僕は大変感動しました。

小さい頃から川へ行って魚を採り、
一番上流の滝のところへ行って泳ぐ。
その神社は「滝神社」と言いまして、滝が御神体なんです。
そこで泳いで、そして神社まで上がっていき、
冷えた体を神社の神殿の屋根の上に上がって、
甲羅干しをしてあっためて帰ってくる。
帰る時には、神社のさい銭をいただいて
おこづかいにしました(笑)。

これは普通だと警察に捕まることですが、
僕の故郷にある神社は大変お金持ちの神社で
さい銭箱がないんです。
お参りした人がさい銭を投げると、
そのお金は血縁でない子供たちなら
もらってきてもいいことになっていたのです。
だから時々、お宮の鐘が鳴ると
「よーいどん!」といってさい銭をもらってくる。
僕の家が一番神社に近かったから、
僕が一番おこづかいが多かった(笑)。

そんなわけで、僕は小さい頃から
おこづかいをもらいに行ったし、
神殿の上に上がってひなたぼっこをしていた。
「そんな僕のことを神様は見ていたんだ」と思ったら、
なんだか大変感動しました。

次に神社へ行った時、
今度は自分の心の中で神様に語りかけました。
「私は今普通に生きているですが、
今の世の中、人々は大変辛い思いをしています。
そういった不幸な人たちを救いたいと思っています。
私の心の中には、皆が笑って生きている世界
というイメージがいつもあります。
私はそれを行き詰まった人たちに伝えるということをしています。

一体、私はどういう目的があってここに生まれて来たのでしょうか。
こういったことが私の進むべき道なのだとしたら、
私はそういうふうに生きるように生まれてきたのでしょうか。
それとも、たまたま私がいたのを
『面白いのがいる』と神様の方から見染めて、
私にこのような道を与えられているのでしょうか」と聞きました。

そうしたら神様はこう答えられました。
「そなたは生まれる以前より、
この道を歩む約束のもとに生まれてきた」と言われました。
「えっ、そうだったんですか」と思ったと同時に、
「そういえばそうだ。
自分の心の中から語り出た初めて話すことは新しい話ではなく、
前から自分が知っていたことを思い出しているだけだ。
書物で新しいことを学んでも、
それが人のためになるような大切なことになると、
それは人からもらったのではなく、
自分の中にもともとあったことを思い出しただけのことだ」
ということに気がつきました。

それから、「もともと自分が知っていることを
皆に伝えるために生まれてきたのだから、
いつも自分に限界をつくらない。
新しいことを考えて語るのではなく、
自分の中にある真実が自然と湧き出てくるのだから、
自分を自分から解き放ってやりさえすれば、
大切なことは出てくるのだ」と思うようになりました。

その時に、神様はさらに続けてこう言われました。
「その証はそなたの生まれた月日に隠されておる」と。
昭和26年の5月3日。
日本国憲法が施行された日。
「この国に生まれてこの国のために自分は生きている」
と僕は考えました。

「日本」という名は、「ひのもと」と言います。
「ひのもと」は「太陽の当たるもと」ということです。
日本だけではなく、
世界中が「ひのもと」に命の星としてあるのです。

今、こうやって皆さんと出会い、
おいしい食事をいただいて、
ここにある平和で和やかな世界を世界中に広め、
これを自分の人生の中で
最も大切なこととして生きていこうと考えています。

今年で59歳になりました。
僕は20歳にして社会に出ました。
40歳にして職業をやめ、今の生活に入りました。
20年単位なんです。
0歳で生まれて、20歳で生まれ変わり、
40歳で生まれ変わって、
来年60歳で4回目の生まれ変わりとなります。

これからは、皆さんと一緒に
さらに世の中のために生きていきたいと思っています。
今日は僕の個人的な想いを語らせていただく場をいただきましたが、
ぜひこれを個人的な想いではなく、
皆さんの想いとして共に良い世の中、
良い地球づくりとしていきたいと思います。

改めて今日出会った皆さんや
これから出会う皆さんにお願いし、
僕のあいさつにしたいと思います。
本当に良い誕生日を迎えることができ、ありがとうございました。

僕は毎日が誕生日だと思っています。
そして、皆さんにもおめでとうと言います。
それは、一人幸せな人がいるということは、
それだけ世の中が幸せになるのですから、
皆さんにもおめでとうと言います。
本当にありがとうございました。


生きることが答え

色々な心の動きとともに、
沢山の出来事を与えてくれたちよこさんですが、
一区切りの答えを出す時が来ました。
2日前の夜、ちよこさんは手首を切りました。
あの状況では命がなくなっていても不思議ではありませんでしたが、
その後ちよこさんに、「何か見てきませんでしたか?」と聞いたら、
「何も見てきませんでした」と答えました。
ということは、まだ死ぬ時ではないということです。
ちよこさんにとって今生きることが答えということです。

ちよこさんはいつも「死にたい、死にたい」と言っていて、
そういった心を改めるということで、縁があってここへ来ました。
色々と話し合ってきましたが、
なかなかその心を抑えきれず、とうとう事が起こってしまいました。

ちよこさんは、「もう生きている意味がない、
生きていることが辛い」と言って死のうとしました。
生きている人にとっては最後の手段です。
皆でちよこさんがそういう心を持たないように、
「生きている意味をしっかりと捉えて、命を大切に生きていきましょう」とずっと伝えてきました。

手首を切るというのは軽い場合もあるのですが、
ちよこさんの場合はとても重いやり方で、
手首の4本ある筋が4本とも切れていました。
手術で3本はつないでもらったのですが、
元のように動かすのはなかなか難しいようです。

昨日の朝、ちよこさんが発見された時、
血の量からいっても普通だったら絶対生きていないだろうと思いました。
沢山の出血があったから顔色も白かったし、
顔を触ったら冷たくて、呼吸もしているように見えませんでした。
「これは手遅れなんだろうか」と思って、「ちよこさん」と呼んだら、
ふっと目を覚まして、「いつまでたっても息が切れないんです」と言いました。

その後すぐ救急車で病院に運ばれ、無事手術が終わった後、
病院から戻ってきてちよこさんはこう言いました。
「飢餓や戦争で苦しんでいる人と比べたら、私は恵まれているんですよね。
だけど、どんなにそういう人と比べて私が恵まれていると言われても、
私の心は辛くて仕方がないんです」と。

徳島に住んでいる息子さんがかけつけて下さり、
ちよこさんの希望で、今後は娘さんのいる兵庫の病院にしばらくいることになりました。
娘さんは、「ありがとうございました。お世話になりました」と電話で言っていました。
「よかったらこれからも経過を教えて下さい」と伝えましたら、
「また報告させてもらいます」と言っていました。

ちよこさんのように死ぬことばかりを考え
不幸な状態になっている人が今、日本中に沢山います。
私たちでも心の持ち方をちょっと間違うと、
自分が楽な方へ、都合のいい方へ行こうとします。
そうすると、自分にとって本当にいいことではなく、
悪いことでもいいことだと思って行ってしまうことがあります。

「あれも欲しい、これも欲しい」と言って欲しいばかりになってしまうと、
そういうものに依存してしまったり、
欲しいからとそのことばかり考えてしまうと、
色々なことが大切なのに考え方のバランスが失われてしまいます。
普通の家庭や色々なところで、そういったことが起きています。

日本中で毎年3万数千人という人が自殺すると言われています。
実際には10万人とも言われています。
ここで大切なことは、冷静に正しい判断をするということです。
相手の側からも自分の側からも観て、
そうやって色々な側から観ると、
何が大切なのかを正しく捉えることが出来ます。

それが失われてしまうと不幸な人をつくってしまいます。
ちよこさんはこう言うんです。
「娘はとても良い子です。この娘が苦しむことが一番不幸です」と。
しかし、その娘さんが一番苦しむことを選んでしまいました。
これがバランスを欠いた心の持ち方です。

僕は最近、「世の中にこういう人は沢山いる。
これから、自殺者をなくす活動をしていきたい」と言ってきました。
ちよこさんと同室だったみかちゃんは、今回の出来事をこう振り返りました。

「いさどんが『60歳になったら自殺者をなくす活動をしたい』と言っていたことが
今まであまりピンと来ていなかったけれど、
今回のことで、『こういうことか』と思いました。
この前ちよこさんが『帰りたい』と言って、
いさどんが『ダメはダメ』と言っていた時にも、
皆の意識が一つになったのだけれど、
今回の出来事を目の当たりにして、
さらに皆の意識が一つになったように感じました。

自殺願望が本気である人は中途半端な想いでは預かれない。
だからこそ、そこで怖気つくんじゃなくて、
本気でやらないといけないという覚悟が出来ました。

死んでいく人を食い止めるという単純なことではなく、
人は誰でも死ぬものです。
しかし、死に方は選ばなければと思っています。
死んでいく時に自分の魂の色々を理解して、
いい死に方をしていければと思います。
あの状況では死んでもおかしくなかったちよこさんが、
今生きているということは本当に神業と思っています。
ちよこさんは、私たちに沢山の学びを与えてくれました。」

僕もちよこさんには、
これからの大切なことを自覚させてもらったと思っています。
世の中には前に進んでも後ろに戻っても
辛い人生を歩んでいかなければならない人が沢山います。
それを本当に何とかしたいと改めて思いました。
そういう人たちが救われる社会をつくりたいと心から思っています。

私たちはこの世界で色々な現象に出会いますが、
その出来事の捉え方によっては、狭く行き詰ってしまうことにもなります。
他方、捉え方によっては、
新しい方向を見出し希望にもつながるものです。

人生は心の旅でもあります。
色々な出来事と出会いながら、
一人一人自分らしく成長の旅を歩んでいくことが大切だと捉えています。
一つ一つの出来事をプロセスと捉え、
この世界の奥にある善意を信じて歩んでいきたいと思っています。