この世界を音楽のように眺められたら

いさどん:
最近、いろいろ考えて心がちょっと疲れている。

ようこ:
例えば何を考えているの?

いさどん:
この世界のこととか、
人の心の歪みのこととかね。

それらを音楽のように観ていければいいんだよね。
ああなったらいい、こうなったらいいではなく、
音楽のように強弱があったり、
波のようにこっちに来たりあっちに行ったりと、
この世界が調和になっていく姿として眺められたらいいよね。

まだまだ僕の心には欲がある。
この世界がこうなったらいいという想いを全てなしにして、
あるがままに生きていく。
あるがままにいただいていく。
そういう人にならないと。

ようこ:
いさどんは、心の眼が観えて、想いも深いから、
人よりも沢山のことを思い巡らすことがあるんだろうね。
私はいさどんほど眼が観えないし、浅いから、
穏やかに生きていられる。

何も想わずに心が疲れなければいいのかと言ったら、
単純にそうとも言えないよね。

いさどん:
そうだね。そうでない人は生きている意味がない。
生きているということはそういうことだから。
悟ってしまったようになって、何も反応せず、
ただそこにいるだけではね。

ようこ:
それがユートピア、理想卿なのかと言ったら、
ちょっと違う気がする。

いさどん:
不完全を楽しむということだよね。
この世界は、わざわざ不完全にして完成させてある。

まずは今日のやるべきことをやろう。
そうやってこの人生の卒業を迎えていくんだろう。
この世界に自分がいて、世界を見せてもらいながら、
楽しみながら、そして自分も関わりながら生きていく。

ようこ:
皆の中には、『いさどんのように広い視野を持ちたい』と
思っている人もいるかもしれないけれど、
実際いさどんのように視野が広がったら、
いろいろなことが観えてしまって、
観えたら何かしたくなるのが人の常だからね。

単純に視野が広がったら、
今より幸せになるということでもないんだよね。

いさどん:
今と比べてきっと良くなるんだろうと思っても、
そこにはそこの世界がある。

ようこ:
そうそう。
だから、何でも良い悪いと言えない。

いさどん:
誰のようにということではないよね。
自分は自分のままの、ありのままでいいのだから。

ようこ:
この心の道は、進めば進むほど道が狭くなると言うけれど、
眼が観えれば観えるほど、
自分をマスターすることが問われてくるんだろうね。

いさどん:
何がってことではないけれど、ありがとう。

ようこ:
こちらこそ。心の学びになりました。


ただそこにいるだけで

ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら。。。

仏のいさどん。
閻魔様のいさどん。
宇宙人のいさどん。
人間臭く名古屋弁丸出しのいさどん。
愉快ないさどん。
いつも真剣ないさどん。
そして誰よりも愛深きいさどん。

ひとりひとりが集まって
ひとつの宇宙を構成しているのだけれど、
非常に幅の広いいさどんを観ていると、
いさどんひとりで宇宙全体を表わしているよう。

そして、心が暖かいいさどんは、
体自体もいつもびっくりするほど暖かい。
それはまるで、内から放射線状に
外に向かって光を放っているよう。
春のぽかぽか陽気よりもずっと暖かく、
でも真夏のうんざりするような暑さとは違う。
太陽そのものの純粋な光が、
人の心を柔らかく開き、
心のとげが自然と溶けていくような、
そんな気持ちになります。

ここでは、「心磨き」を
日々大切にして生きています。
生活している中で、
自分がミスをする、
流れに滞りが起きる、
人とぶつかる、
そういった出来事から自分の心の癖を見つめ、
不調和として出ていたエネルギーを
調和の方向へ活かせるように、
ある意味、ひとりひとりが修業の道を歩んでいます。

修行というと、辛く苦しいという
イメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし、いさどんの隣にいると、
暖かいものを発している彼の隣にいるだけで、
自然と心が浄化され、
意識的に何もしていないのに、
自分のエネルギーが調和の方向へ流れていくようです。

精神性を高めるということが修行であるなら、
「素直に感じる心」があれば、
こういった楽しくもありがたい修行の道も
あるものです。

以前、いさどんはこんなことを話してくれました。
「自分が道理や心を言葉で伝えなくても、
最終的には、人が自分のことを見るだけで、
『ありがとうございました!』と
その人の心が目覚めていくような存在になれれば」と。

ぐっすりと深い眠りについている
いさどんの横顔を眺めながら、
いさどんとの会話は一切なくても、
いさどんの心がその存在からあふれているな、
ありがたいなと感じました。

そして、いつも自分が
何をまわりにもたらしているのか、
自分が眠りについている時でさえ、
人というものは絶えずまわりに
何かしらの影響を与えているのだ、
ということを改めて感じました。


皆が安心して暮らせる世界へ

今、木の花には
ドイツ人のライナーが滞在しています。
日本に来て14年になるライナーは、
日本人の奥さんと来月生まれる予定の赤ちゃんと
3人で木の花に移住することを考えています。
今日の昼食後、いさどんと
移住の相談をする機会を持ちました。
今回は、その二人の対話を紹介したいと思います。

いさどん:

ここの生き方は、
僕が考えたことでもなければ、
どこかに見本があってできたものでもありません。
僕らはコミュニティといったものに
興味がなかったから、
外国にあることも知らなかった。
ただ新しい生き方が必要だと思って、
16年前に皆で暮らし出しました。

何もわからず、
ただ大事だと思って歩んできました。
少しずつわかってきたのは、この生き方は、
世の中の人々に
次の生き方の見本として示すためにあるんだということ。
今まさしくそういう時代が来て、
ライナーのように気づいた人たちが
ここを訪れるようになりました。

最終的には、
木の花のコミュニティのためにあるのではなく、
この国のため、世界のため、地球のために
あるのだと思っています。
僕たちは、ここのメンバーとして暮らしていますが、
目的は地球が健全になること。
今ここで暮らしているから、
生涯このコミュニティで出会った人たちと
仲良く暮らして終わっていくということではありません。

もっと広い人たちと新しい家族として暮らすために、
いろいろなところへ行くかもしれない。
キリストの教えを受けた人たちが
世界中へ行ってその心を広めたように、
私たちもそういう考えでいます。

自然はいろいろな姿をしています。
木があったり、動物がいたり、
虫がいたり、いろいろな形を取っています。
一つだけが単独で存在しているのではなく、
いろいろなものが関わりながら、
お互いを存在させ合っています。
そこでは全てが平等で、自分の力を皆のために使い、
皆が自分を活かしてくれるという関係をつくっています。

ここでも全く同じように、
全てを共有し、皆が平等に生きています。

ライナー:

それは、ガンジーの伝記を読んだ時に感じました。
彼はヒンデューでありながら、世界市民だったんです。
彼は地球はONE、生命本体はONE、
石であったり、風景であったり、
動物全体であったり、ひとつ潰したら、
僕のひとつも壊れるという考えです。
ガンジーは僕に
こういう考えのきっかけを与えてくれました。

いさどん:

僕も、ガンジーに対して共感を持っています。
インドのマザーテレサやガンジーは素晴らしい人でした。
あの人たちはあの人たちのように役割を果たしてくれました。
だから、この木の花というところは木の花らしく、
これから世の中に役割を果たしていく。
彼は、本当に僕の尊敬する人です。

ライナー:

僕も社会貢献や他の人へのサービスに
興味を持つようになりました。
ここに住むことは、
人生の大きなチャンスだと思っています。

いさどん:

ここはとても大切な生き方をしています。
こういった生き方を誇りに思って
皆生きていると思うんですが、
世の中の人たちはこの大切がまだよくわからないから、
理解されないこともあります。
しかし、理解されなくても、
自分たちの中に「本当に大切」という
真実の心が湧いていれば、
誰でもできると思うんです。

仕事は、今現在何をしているのですか?

ライナー:

ずっと10年間、
ITのヘッドハンティングの会社を経営しています。

いさどん:

その仕事はどうしていくつもり?

ライナー:

自分のビジネスをギブアップして、
新しい道を始めようと思っています。

いさどん:

僕が考えているのは、木の花のメンバーイコール
農業じゃなくてもいい。
ここは多様性あるところだから、
社会のためになることなら、
いろいろな意味でいろいろな活動が必要だと思っています。
その人の能力が一番発揮できるところ、
そして皆に貢献できる生き方をすればいい。
自分が一番やりたいこと、
一番能力の高いこと、皆がその人に望むこと、
そういったいろいろなことを皆で考えて、
一番ふさわしい生き方をしてくれたらいいと思います。
それについてはどうですか?

ライナー:

素晴らしいですね。

いさどん:

現在の活動をこちらに来て新しい形で続ける、
ということもできます。
「木の花はこういうところ」と言って、
新たに入ってくる人をそこの中に取り込んでしまう、
木の花の在り方にしてしまう、
ということではないんです。

木の花に新しい人が入ってきて、
その人の能力が活かされれば、
木の花は大きくなり新たな多様性になる。
木の花というのは、
ひとつの家族というよりも村だから、
村の中にはいろいろな人がいて、
いろいろな機能があり、
それが連なってひとつの村ができるという考え方なんです。

だから、あなたの意思も尊重するけれど、
皆で一番良い方法、ひとりひとりが
一番役に立ってその人の能力を活かせる、
ということを考えていきます。

自分で「こうだ」と決めないでいくと、
自分の思っていることよりも
さらに広い可能性が開けることになる。
知らないことに出会うこともできます。
だから敢えて、私たちはビジョンを決めて持ちません。
皆で多様性を大切にしながら生きていくと、
結果として事が起きてきます。

ライナーは木の花に来ました。
私たちは、この国が変わっていくための
きっかけとなるような場所を
日本中につくろうと思っています。
いろいろなコミュニティができたら、
そのコミュニティを全部自分の家として回っていけるような、
そして皆が必要なところで
必要な役割をしていくような仕組みを
日本中につくりたいと思っています。
コミュニティは皆つながっていかないと
意味がありません。

ライナー:

皆に使ってもらうと、
一番パワーがありますよね。
日本のメーカーは「自分だけ」という考えで、
共有するということがほとんどないですよね。

いさどん:

ファミリーの中にはルールがありますが、
それは素晴らしいルールです。
でも、普通の人にはちょっと難しいかもしれません。
ガンジーの思想に共鳴している人なら大丈夫。
自分のものも人のものも皆で共有していく、
という考え方です。
自分のものが皆のものとなる代わりに、
皆のものは自分のものとして大切に活かしていきます。

自分のもので生きている人は、
人生を自分のために生きていかないといけません。
例えば、夫婦2人で暮らしていて、
奥さんに赤ちゃんが産まれ働けない時に、
自分しかその家族を支えることができない。
でも、自分も具合が悪くなった時に困ってしまう。

しかし、皆がいれば、
そういった人たちも
全て安心して生きていける仕組みができます。
自分の健康、お金、能力、
全てを皆のものだと思うということは、
自分が病気をした時も、
皆の病気だから皆が考えてくれます。
そういった皆が安心して生きていける仕組みが
一番大切です。

外国でもそうだけれど、日本には自殺者が多い。
お年寄りも年老いていくのに、
安心して老後を迎えられない。
それは、お金やものを自分のものと考えているから。
分かち合う、助け合うという仕組みをつくると、
本当に皆が安心して暮らせる世の中になります。

ライナー:

話していて、心が同じだと感じます。
多様性があればあるほど、私に合うんですよ。
私は多様性の大きなファンですから。

いさどん:

多様性というのは、多様性のひとつずつが
対立していたら多様性の意味がありません。
別々のいろいろなものが連なっていくことによって、
多様性からもうひとつ大きな命が生まれる。
そういう意味では、多様性というのは、
非常に平等で個人の個性を大事にする。
でも、もうひとつ大きな命の中のひとつだというと、
たったひとつだから狭い、ということも言える。
多様性というのは、
広くて個性を活かし平等で、そして狭い世界。
それが同時に成立する世界。
それをここでは実現しているんですよ。

実は、ここに来る人は誰でもいいんです。
ここに縁があって来る人たちは、
私たちが選ぶのではなく、
神様が人間の中からトッピングしているんです。
神様は自分の意思をここで表現しようとしています。

今、琵琶湖にこういったところを
つくろうとしています。
そこには日本一の湖がある。
湖の水を取るとへっこんでいるでしょ。
これは女のひとです。
ここには日本一の山、富士山があります。
これはとがっているから男のひとです。
ちょうど日本一の山と日本一の湖。
男と女。
これが今、同時に進もうとしています。

琵琶湖の話も他のプロジェクトの話も、
僕が考えたのではなく、いろいろな人が来て、
その話をここに持ってくるんです。
私たちは、それをつなげているだけです。

ライナー:

琵琶湖のプロジェクトは、
基本的にホテルを管理することですか?
それとも、
そこでコミュニティをつくることですか?

いさどん:

そこを所有している会社の社長は、
こういった生活の場を
そこでつくってもらうことを考えています。
木の花のような農を中心として暮らす村をつくったら、
世の中に対して農業や心の勉強を提供したり、
今自殺を考えている人たちが
心のトレーニングをして
社会に戻るような場所になったりと、
いろいろなことを考えています。

そういったものがホテルを中心にしてできたら、
そのまわりにお年寄りやいろいろな人が家族ごとに暮らす。
ホテルの中にあるコミュニティとしての村だけではなく、
外の地域にも点々と家族がいて、
ゆるくつながり、そこにまた村をつくる。

コミュニティというと、
「一か所の場所にその人たちだけ」
という印象が今まで強いでしょ。
そうではなく、一般の地域の中に
いろいろな人たちやいろいろな家族がいて、
そことコアになる村がつながりながら広がっていく、
というイメージを持っています。

ライナー:

交差点みたいな感じですね。

いさどん:

そうそう。
「私たちはここには入れないけれど、
ゆるくつながりたい」という人たちもいていいんです。
酵素の働きのように、
自分たちの考えを広めていくことによって、
対立するのではなく、よりつながっていく。
古くなったものを新しくしたり、
古くならないようにいつまでも若く保たせる、
くっついているものを離して
別の働きをさせる、そういう役割があるんです。

その村は、社会をつなげ、
知らなかった人たちに
新しい仕組みを伝えていくイメージがあります。
もちろん木の花も今、そういう役割をしていますが、
日本中にそういったセンターを沢山つくっていく。

会社を経営している人たちや大学の先生、
いろいろな人たちをつなげ、
そういったセンターをつくろうと思っています。

ライナー:

私も木の花の活動に
大希望のエネルギーを感じます。
私の東京の小さい活動よりも、
そういう大希望の活動に参加するほうが
大切だと思っています。

いさどん:

私たちと同じですね。
自分を活かすためには、自分だけに限定せず、
いろいろな人とつながることで、
もっと大きなことができる。
自分自身に捉われないで、
もっと大きな命のつながりとして観ていくことが大切です。

皆で助け合って新しい社会のために生きていく、
そういう考えのある人なら実は誰でもいいんです。
皆家族だから。

終始、和やかな雰囲気の中、
いさどんとライナーは話していました。
それはきっと、世のため人のために生きる
木の花ファミリーの在り方に共感し、
新しい人生を出発しようとしている
ライナーの謙虚な心が、
その穏やかな空気をつくり出していたのでしょう。
自分のために生きる人生から、
地球上の皆のために生きる人生へ。
さあ、皆さんはこれから
どんな生き方を選んでいきますか。


“スマイル”が沢山の世の中へ

昨日、1月のお誕生日会が開かれました。
その中で、中学一年生の須佐乃王が、
「木の花から世界へ」という夏休みに書いた作文を、
皆の前で読み上げました。
今日は、そこでシェアされた
いさどんのコメントを紹介したいと思います。

いさどん:

今朝、地域紙である「岳南朝日新聞」に
この作文が書いてあるのを知りました。
それを見た時に大変感動しました。
そして、ここの生活がいかに世の中の人たちに大切か、
ということをもう一度改めて感じました。

この生活が始まって16年になります。
その中でいろいろなことがありました。
でも、何か大切なことがある、
と思っていつも歩んできました。
ひとつひとつ扉が開いて、
その扉の向こうが見えるように、
その大切なことは
僕らの生活と共に確信になってきました。

去年は、いろいろな出会いがありました。
ここは日本だけではなく、
外国からも沢山の人が訪れるようになりました。
まさしく新しい時代、
21世紀に開かれる理想の世界の
見本になっていくんだと思うようになりました。

そして去年の暮れ、
いさどんの心の中にふっと湧いて出てきた言葉がありました。
それは「変革」という言葉です。
この世界は変わり続け、
変わり続けることによって成長し、進化し、
時代はつくられていくものですが、
大きな節目という意味では、
この前の大きな戦争の後にくる次の大きな節目、
変革が来るということを感じています。

今年は「変革の年」。
それは木の花で言われているのですが、
木の花の外でもそういったことが
言われるようになっています。
その価値は、人々に全く新しい世界を
もたらすだろうと思っています。

今までは皆が競争してきました。
競争して勝ったものだけが豊かな生活をし、
幸せを掴むという時代だったんです。
すさの作文は、そういったことを解決し、
新しい社会をつくる見本となるような作文でした。
それを自分の中でしっかりと捉えていて、
ああいった綺麗な文章にする力は、
本当に素晴らしいなと思いました。

すさは、須佐乃王という
とても素晴らしい名前をもらっています。
とても変わった名前であると同時に、
すさにはきっと大きな役割があるのだと思います。
人は誰でも、体と心をもらっています。
その人なりの特別な特別な役割をもらい、
大切な命としてこの世界に生まれてきています。

ひとりひとりがそのことに気づいて、
自分がこの世界に良い出来事をもたらすように、
そして自分自身にも良い出来事を
もたらすように生きていくべきだと思います。
そういったことが良い世の中を
つくっていく時代が来ているのだと思います。

今日、昼ご飯を食べながら
テレビの画面を眺めていました。
そうしたら、テレビの画面とは全然違うところから、
ふっと文字が降りてきました。
ひらがなの文字です。
それはとても微笑ましい言葉でした。
それは何なのかなと思いました。
それを思った時に、
ついついにやにやしてしまいました。

僕の前でご飯を食べていたみっちゃんは、
それを見てあっと思ったそうです。
後からみっちゃんは、
「いさどん、さっきにやっと笑いながら、
うるうるしていたでしょ。あれは何?」
と聞きました。
「何でもないよ」と言いました。

いさどんはどうしても人に嘘をつけない人で、
内緒にしておこうと思っていたのだけれども、
ついついまりちゃんに話してしまいました。
まりちゃんに話したら、
まりちゃんと僕のいるところにきょうこちゃんが来ました。
「内緒にしておこうね」って言っていたのに、
隠し事ができないものだから、
きょうこちゃんにも話してしまいました。

そこから、
「きょうこちゃん、内緒にしておこうね」
って言ったのだけれど、
きょうこちゃんは、「私はついついおしゃべりだから」と言って、
あちこちで話してしまったようです。
でも、まだ知らない人もいます。

今日、その文字が浮かんできました。
笑顔というのはいいでしょ。
皆が笑って生きているというのはいいでしょ。

1カ月くらい前、きょうこちゃんと話をしました。
きょうこちゃんのお腹を見て僕は、
「何だか知らないけれど、
そのお腹を見ると愉快になるんだ。
愉快の種が入っているみたいだね。
でも、今の地球人はあまり愉快に暮らしていない。
この地球人を愉快にしないといけないね。
宇宙人だったら、きっと愉快かな。
ここの中に宇宙人が入っているのかな。
まあ楽しみだね」
と話をしていました。

というわけで、皆さんスクリーンを見て下さい。

みんな:

(スクリーンに映った「蘇万伊流」の字を見て、
みんなから驚きの歓声がじわじわ上がってきます)
すごーい!すごーい!スマイル?
すごい名前だね。すごくいいね!

いさどん:

蘇は、蘇生の蘇。新たなものが蘇る。
万は、絶対にどんなことがあっても変わらない真実。
森羅万象、この世界に存在する限りない一切の物事。
それを万と表わすそうです。
伊は、人を表わして、音符の韻、
万事を調和する人のことだそうです。
流は、分散して長く伸び広がる意思を表わします。

これをつなげてみると、
この宇宙の全ての物事にのっとり、
万事を調和させ、それを広げ、
人々に喜びを蘇らせる人。

僕には、ひらがなで「すまいる」と出てきました。
笑えてしまいました。笑顔だから。
これは地球のどこでも通じる言葉。
そして、性別はありません。
男でも女でも心の性別はありません。

この子が泣いていたら、
「スマイル、スマイル。」
皆怒っていても、この子を見ると、
「スマイル、スマイル。」
外国の人が来ても「スマイル、スマイル。」

最近、不思議な名前が多いでしょ。
地球が宇宙時代に入ったなと思っています。
すまいるはとびきり宇宙人だよね。
不思議な人たちを飛び越えて、さらに不思議な人。
そう、これは、きょうこちゃんの中に
入っている赤ちゃんの名前です。
(みんなから大拍手)

きょうこちゃんには
もともとリングネームがありまして、
「スマイリーきょうこ」という名前です。
つまり、きょうこスマイル!

さっき、すさが作文を読んでくれました。
須佐乃王という名前は、
こういう魂の人が降りてくるということで、
すさが生まれる2年くらい前に出てきた名前なんです。
この人も、生まれる前に名前が出てきました。

これから来る時代がどんな時代なのか、
僕にはよくわかりません。
でも、皆が笑える、
スマイルが沢山の世の中が来るんだろうな
ということだけはわかっています。

すさ、とても良い作文をありがとうございました。
今日、僕から湧いてきた文字と
エピソードをお話しました。
以上です。


愛とお米があればいい

いさどん:

富士山麓へ来て木の花を始めた頃の気持ちが、
今でも自分の中で全然変わらないんだよね。

ようこ:

今ふと思ったのは、
私は毎朝こうやっていさどんと話をするけれど、
ある朝ここに来てみたら、
「あれ、いさどん静かによく眠っているな」
そして、そのままいさどんの目が覚めなかった。

そこで思うのは
「いさどんは与えられた役割を
全て果たしきったんだね。
だから肉体を返上する時が来たんだね。
おめでたいね。ありがたいね」
ということ。
今までは、
単純にさみしいなと思うだけかと思っていたけれど、
最近のいさどんの皆を想う愛の深さを思った時に、
「いさどんは、
十二分に役割を果たし切ったってことだな。
ありがたかったな」
と思うかもしれないと、
そんな気持ちになった。
もちろん、その時にならないと
わからないことだけれど。

そしていさどんが旅立った後も、みんなと
「あの時のいさどんはああだったね。
面白かったよね。
そういえばあんなこともあったね。
ありがたかったね」と、
本人がいなくてもいろいろな話で盛り上がったり。
「いさどんはあんなことを話していたけれど、
自分たちは今それができているのかな。
まだまだ足りないから、
やり続けるしかないよね」
と話しているようなイメージが浮かんできた。

いさどん:

いい景色だね。

ようこ:

人は、死んだ後に
本当の評価が観えるのかもしれない。
いつまでも想ってもらえる人と、
すぐに忘れ去られてしまう人と。

いさどん:

そうだね。
でも、いたか、いなかったかわからないくらい、
皆の中に入っていて、
その人が特別もてはやされるのではなく、
この世界の中にその心が浸み込んでいけば
いいのかもしれないよ。

この世界が変わっていくためには、
新しい概念がいる。
その時に、「この国をよろしく」と言って、
昭和天皇の魂が僕のところにおいでになった。
あれは本当だったと思う。

僕が特別な人や有名人という形で
よろしくと言われたのではない。
誰の考えだからということではなく、
その心が世の中に広がっていくための
種であるということ。
ただ種であるということだけでいい。

種から生まれたものが、
種とは全く違うような形になって成長し、
種をつくった元のものとまた同じものになり、
また沢山の種をつくり、
その沢山の種が風に乗って飛んでいけばいい。

ようこ:

幸せの種。平和の種。

いさどん:

誰がそれを広めたとか、
そんなことはどうでもいい。
よし、思い切りこの心を広げなきゃ!
食べるものがそんなになくても、
生きて命をつないでいけば、役割は果たせる。
愛とお米があればいい。

♪愛とお米があればいい♪

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい

讃えよ命 いただく恵み

与えよ愛を 御心のまま

開けや心 歌えや命

天の喜び 地に花開け

愛とお米があればいい 愛とお米があればいい