線路は続くよ 天までも

人は、自分が歩んだ結果、そこに道ができるのだと思っています。それが人生だと思っています。しかし、仏道というお釈迦様が説いた道は、「この世界には道がある」と伝えています。それを見つけ、そこを進みなさい。その道は、線路のようなものです。線路ですから、そこに乗ってしまえば脱線することはありません。その線路の上を進みたくないと思えば脱線することもあるでしょうが、その道を進もうという思いがある限り、どんなに障害があろうとも、その上を進むようになっているのです。

その線路の上を進む中で、様々なことに出会います。それを素直に受け取っていく心さえあれば、出会うことはすべて、先へ進むためのエネルギーへと変えていけます。その線路の枕木の一つひとつは、変化です。変化であり、進化です。先へ向かうとは、必ず進化することであり、それは上へと向かっていく道です。つまり、自我を取っていく道です。魂として、天へと向かう道なのです。

この線路は、一人ひとり誰もに与えられています。そして、必ず先へ、必ず上へと進むようになっています。ところが、自ら勝手に下へ落ちていくための線路を敷く者がいます。そうすると天は現象を起こし、戒めて、方向が間違っていることを伝えます。あれ!間違っていた!ではどの方向に進めばいいのだろう、と上を見上げた時、人間は元の道へと戻ることができるのです。しかし、いくら天が救済のために現象を起こし、痛みを与えても、それを与えられた人間が上を見なければ、ではそのまま行きなさい、ということになります。
それは、進めば進むほど、下降していく道です。本来上昇していく道が下降していくのですから、進めば進むほど差が広がっていきます。そうすると、やがて修正が効かなくなるのです。そういうことも、この世界にはあるということです。

人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

その歩みは、人々の見本となります。この世界が始めからそのような完成形ばかりで構成されていれば、今の世の中のような不幸や混乱はなかったことでしょう。しかし、それでは面白くない。この世界がダイナミックではない。喜びがない。愚かしさがあるからこそ、それに対する尊さがあり、孤独があるからこそ愛があり、辛い道があるからこそ喜びがあるのです。

愛や、尊さや、喜びは、愚かしさを表現するためにまかれた肥料のようなものです。そして、人生という素晴らしい食べ物をいただくのです。そんなふうに食べ物を育てるのは面倒だから、最初から肥料を食べておけばいい、ということには、この世界はなっていません。すべてを現象化に預け、初めてその尊さがわかるのです。地球は、その表現をする場所なのです。

 

私は、この世界と共にある。
私の悲しみは、世界の悲しみである。 私の喜びは、世界の喜びである。

 

 


「いさどん」から「ジイジ」へ 〜 2018年5月3日 67歳の誕生日を迎えて

42歳でいさどんと呼ばれるようになって25年。60歳で生前葬を行ってから7年の質的転換を経て ───── 2018年4月7日の朝、いさどんに新たな想いが湧いてきました。

「これから僕は『いさどん』をやめよう。今、その想いが湧いてきた。これから僕の名は『ジイジ』という名になるようだ。そのほうがふさわしい。『ジイジ』は濁っているけれど、それは人々の汚れに向き合うからだ。世間の皆様に真実を示すため、濁りのついている皆様に伝える者という意味だ。

『ジイジ』をカタカムナでひも解くと、『ジイジ』は『シイシ』となる。シは示しだから、『ジイジ』は示しの示しの位置になる。それは大本の示しという意味でもある。つまり、示しの位置が尊いということ。『ジイジ』は、『ババジ』や『ガンジー』といった高い意識の男性の尊称を示す。そして、イは当然『ヰ』の悟りを示す。それは、高次元の潜態への還元ということで、『ジイジ』は高次の悟りの示しの示し。つまり、人々に道を示す者に対して示す存在。濁点があるのは、現象界には濁りや歪みがあるがために、そこで道を説く者はその濁りや歪みに沿いながら伝える役割ということになる。濁りや歪みに付き合うということからすると、『ジイジ』はカタカムナ的にも高い意識のメッセンジャーと読み取れる。

さらに、ジというのは、心の父という意味がある。だから、『ジイジ』は万人に対して高い意識の父という意味になる。今、僕の精神レベルはその位置にいるのだから、良い尊称だ。とてもふさわしい名だと思う。」

いさどんに『ジイジ』という名が降りてから数日後、天からいさどんに言葉がありました。
「きっかけを創るのが役割なのだからな。」

つまり、一箇所プツッと穴を開け、そこに聖なる種を入れれば、そこが細胞分裂を起こし、新たないのちが生まれてくる。それが世の中に広がれば、世界は変わっていく。だから、その種となるきっかけとなれ、ということです。

今日5月3日は憲法記念日です。毎年、憲法記念日のときには憲法議論が報道されますが、先の観えない激動の時代を迎えた今、これからこの国をどうしていくのかを一人ひとりが真剣に考える時が来ています。

いさどんが32歳の頃、次のようなビジョンが降りてきました。

「いつか、国を司る役割を持つ人々がここを訪れて、僕に問いかけるのです。
『私たちはこの国を、本当に豊かで人々が幸せになるように、一生懸命治めようとしてきましたが、これはと思うことをいくらやっても、どうにも上手くいきません。本当に国を正しく豊かに治めるためにはどうしたらいいのか、そのヒントを得るために、ここに理想を生きる人々の暮らしがあると聞いて、訪ねてきました。どうしたら、良い国を創ることができるのでしょうか。』

それに対して、僕はこう答えるのです。
『それは、制度や仕組みを創ることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこにいる人々の心を見てください。このような心や考え方で人々が暮らせるような国創りをすれば、本当に豊かな国になるでしょう。』」

そこで、国を司る人々に答えているのは ──── 『ジイジ』です。

『いさどん』から『ジイジ』へと変わることは、大きなターニングポイントです。いさどんの次元上昇に伴って降りてきた名は、『ジイジ』。今日2018年5月3日が、『ジイジ』として生きるスタートです。60歳で生前葬を行ってから7年の月日を経て、質的転換を迎えた今、今年2018年の再スタートの年にふさわしい名がいさどんに降りてきたのです。

皆さん、これから『ジイジ』をよろしくお願いします。

 

 


どうぞ、地球が喜ぶ生き方をしてください ~私たちが菜食をする意味~

先日、木の花を訪れたアメリカ人のアナンヤといさどんとの会話の中で、こんなお話がありました。


アナンヤ:
昨日、草刈りをしていたら、草の中からたくさんの虫が出てきました。草を刈れば、彼らの住処を奪うことになりますし、たくさん殺すことにもなるでしょう。ここでは肉や魚を食べませんが、牛や豚などの命を奪わないということと、草や虫たちの命には何か違いがあるのでしょうか。

いさどん:
それは僕から教わらなくとも、あなたがこれからピュアな存在となっていけば、自然にわかることです。でも、とても大切な投げかけですから、今解説しますね。聞ける相手がいる時には聞けばいいのですが、本来、人が目覚めるということは、他人に聞かなくても自然に自らの中から湧き出してくるものなのです。

私たちは、この物理的な肉体の中に、DNAとして膨大な情報を持っています。しかし、私たちは霊的な存在でもあるのですから、真実は、この物理的DNAの情報量よりもはるかに膨大な情報を、霊的DNAとして持ち合わせているのです。そこに目覚め、アクセスできるようになると、近代文明が求めてきた学問的知識は幼稚なものであることがわかるでしょう。
氷山は、水面上に出ているのは全体の約10%だと言います。残り90%は水面下に沈んでいて、表からは見えません。これまでの歴史の中で、人類は物理的な目覚めの進化の過程の中で、今、脳の10%を使うようになりました。残る90%は、まったく使っていないとは言いませんが、有史以来の文明に貢献したのは、ほとんど10%の方でした。残る90%の脳にアクセスできるようになると、閃きが湧いてくるようになります。偉大なる先人であるキリストや仏陀、孔子などは、学校にも行っていなければ師匠もいなかったのですよ。ですから、私たちにとって大切なことは、知識で覚えようとすることではなく、感じることです。生きることを感じるのです。

そこで先ほどの質問に対してですが、小話をひとつご紹介しましょう。
昔、僕がまだ畑の現役だったころ、土手の草刈りをしていました。その畑には、生姜とウコンが植えられていました。僕はその管理をしていたので、草が生えれば草刈りをします。しかし、生姜とウコンの間に生えている草は取りますが、同じ植物である生姜とウコンは残していくのです。
そこで僕は、疑問に思いました。同じ植物なのに、この差別は何だろうかと。そうしたら、今僕に刈られている草が、こう教えてくれました。

──── それでいいのですよ。私たちは、そういう存在なのですから。今あなたは、私が土手の草である状態を見ています。でもあなたが、刈った後の私を生姜の畑に入れてあげれば、私はいずれ、あなたの育てる作物になるでしょう。ウコンのところへ持っていけば、ウコンになるでしょう。私は、あなたが大切にしている存在にもなるのです。
あなたが刈り取った草をそのままそこにおいておけば、私はまた土手の草となり、あなたに刈られることになるでしょう。そのことに私たちは、何の抵抗も感じない存在なのです。ですから、それでいいのですよ ────

そこで僕は、自分の目指している境地はこの雑草たちの境地だ、ということに気付いたのです。この世界は、なんて素晴らしいのだろう、と。

では、動物と植物の違いはどうでしょうか。
植物は、そこに種が落ち、芽が出ます。そして木ならば何十年も何百年もそこにいます。それは、自然のままに育つということです。そこへ我々が切り倒そうとしてチェーンソーを持って行っても、彼らは「やめてくれー!」と逃げては行きません。木が逃げていったら大変ですね(笑)。つまり、それはカルマが少ないということです。そもそも、彼らは光合成によって成り立っています。太陽のエネルギーを使い、水と炭素の化合物を作ることで成り立っているのです。
一方、動物たちは、我々人間が近付いていくとペットでない限り逃げますね。動物は、植物よりもカルマが多いのです。そしてさらにカルマが多いのが、人間です。動物よりは魚の方がカルマは少ないですが、それも同じことです。そして、命がまだありながら、その途上で屠殺されたカルマというのは、肉体がなくなってもカルマの迷いが存在しています。
例えば、ライオンがシマウマを食べる時には、その生命の存在をすべて、自らの命に変えます。そうすると、シマウマの魂も自然循環の中に入ります。それは殺されたわけではありません。循環の中に入っただけです。それは循環を健康な状態に保とうとする自然の作用なのです。それを、ライオンがシマウマをつかまえて食べるところだけを区切って見ると、弱肉強食に見えるでしょう。自然界は、小さく区切って見ればどこもそうなっています。しかし大きく観れば、すべてのものが活かされていく循環の中にあります。命というバトンが次へ次へと渡されていくのです。

他にも、肉を食べる必要のない理由はいろいろとあります。もちろん魚もです。それを人が食べたいと思うのは勝手ですし、食べることに対して何も言いませんが、人が本当に目覚めたら、自ずと食べないことを選択するでしょう。
現代の食肉生産は、霊的にはとても汚れたものになっています。かつてユダヤ人がアウシュビッツで殺されていきましたが、屠殺の現場も同じようなものなのですよ。今年の初めに木の花にケア滞在に来ていた女の子は、農業大学の実習で豚の牧場へ行き、豚がどのように飼育されているかを見て大きなショックを受け、それがきっかけで心の病気になりました。ひどいことに、雄豚は睾丸をつぶされるのだそうです。そうすると去勢されて、肉が柔らかくなるからです。それは一例であり、食肉生産の現場ではもっと恐ろしいことがたくさん行われているようです。
幸いなことに、私たちはこのような暮らしをしていますから、そのような恐ろしい食べ物を食べなくても生きていくことができます。これはとても重要なことです。菜食は健康とおだやかな心をつくるのに貢献しますが、私たちは自分たちの健康が目的で菜食をしているわけではありません。3時間もあればその全容をあなたに伝えることができますが、それは単純なことではありません。ですから、それを食べずに生きられることは、とても誇らしいことです。

(菜食の意味については、木の花ファミリー通信第90号「食から始まる意識革命」をご覧ください。)

今、20世紀型社会の偽りの仕組みが暴かれ始めています。マスコミは様々なことを暴きますが、実はそんなことは重要なことではありません。それは時代が切り替わる時に、当然のこととして起きているだけなのです。何よりも大切なことは、次の時代をどう生きるかということに気付くことです。

どうぞ、次の時代の歩みに、切り替えてくださいね。そして、地球が喜ぶ生き方をしてください。私たちが生きることは、私たち自身の自我や願望を満たすために生きているのではありません。私たちが存在する世界の表現に貢献するために、私たちはその役割を果たし、その結果、生かされているのですから。どうぞ、地球が喜ぶ生き方をしてください。

 

 


私は何のために生まれてきたのですか

人と人とのつながりとは、いったい何なのか ──── 。
そんなことをずっと考え続けてきたという、22歳のインド系アメリカ人、アナンヤ。大学で心理学を専攻していた彼女は、世界の様々な地域における人々の関係について研究を進める中で、どうしたら人々が互いに調和し、地球とも調和して生きていけるのかを知りたい、と木の花ファミリーにやって来ました。

ある日、「自分の中に様々な問いがある」というアナンヤと、いさどんが話をする場が持たれました。まず最初にいさどんが「あなたが何かひとつ質問をすると、僕はその10倍以上答えるかもしれません。長くなったらごめんなさいね」と言い、会話はアナンヤのこんな質問から始まりました。


アナンヤ:
ここに滞在しながら皆さんを観察していて、学んだことがあります。ここの皆さんは、今世界で起きていることに対して、何か物理的な行動を起こすというよりも、自分自身がその世界の一部であることを理解し、自分ではコントロールすることのできない、何か大いなる流れに沿おうとしているように感じられます。目には見えない何かに、耳を傾けようとしているように思えるのです。

いさどん:
そうです。

アナンヤ:
私が知りたいのは、それがこのコミュニティの核となる部分なのかということです。

いさどん:
私たち人間は、この世界に、一人ひとりがとても個性的に自らを表現しながら、存在しています。そしてその個性的な人間が、たくさんいます。そのたくさんの人間一人ひとりが、それぞれの目的に基づいて、自らの見える範囲内のことだけを考えていると、一人の人間の行動や、それがもたらす影響の範囲というのは、限定されたものになります。しかし、そのたくさんの人々が、ある共通点を持って行動すると、それはネットワークになるのです。
例えば、宇宙には天体がありますね。そのどれ一つとして、単独で存在しているものはいません。すべてが連動し、互いに連携し合いながら大いなるネットワークを築き、その中に一つひとつの星々の存在する位置があります。この世界で最も大きな存在は、大宇宙です。現代の人間の解釈では、まだ、この大宇宙のすべてを想像すらすることはできません。今、人類がその仕組みを想像できるのは、天の川銀河くらいの範囲でしょう。私たちは天の川銀河に生きていますが、その他の銀河については、成り立ちそのものが違いますから、今の私たちの思考では解釈することができない世界なのです。

もう少し、身近なところへ視点を移してみましょう。私たちは、太陽系生命体です。なぜ太陽系生命体かというと、太陽が私たちの存在の基軸になっているからです。
私たちは、太陽のエネルギーが元となった生態系の中で存在し、消滅していく仕組みになっています。私たちの肉体は、太陽の光が地上に届くことによって営まれる生態系の中で食べ物をいただき、呼吸をします。1日が過ぎることも、1年が過ぎることも、すべて太陽が基軸となって生きているということは、わかりますね?

アナンヤ:
はい。

いさどん:
私たちが存在することも、1日、1年、あるいはもっと長いサイクルを計算することも、すべて光が基軸になっています。宇宙的に捉えると、光が基軸となってこの世界が運営されているということは、何かその背景に、それを動かしている法則があるはずです。その存在を考えるようになると、私たちが自分というものを認識した時に、それは“自分が”生きているのか、それとも、何かの法則のもとに、自分の個性が必要でこの世界に生み出され、役割を果たすために生かされているのか、ということが観えてきます。
簡単に言うと、この世界には、目には見えない巨大な法則があり、私たちはその法則が創り出す流れに乗っているということです。

あなたが今、あなたであるように、今のあなたは過去のあなたとは違います。未来のあなたもまた、今のあなたとは変わります。それは、あなた自身の人生物語です。しかしもう一つ違う視点から観ると、宇宙の物語の中で、あなたが役割としてある一定期間、あなたの人生を表現したということでもあるのです。
人間は一人ひとり、そのことを知っています。それは、地球に生まれる前の霊的な存在の時に、そのビジョンを共に練っていたからです。そして地球に生まれ、肉体を持った時点で、そのことを封印したのです。しかしそれは、大いなる法則が紡いでいく物語の中に組み込まれています。
始めのうちは、そのことを忘れています。忘れている間は、思い出させるための出来事が起きてきます。中には、思い出さないまま人生を終わる人もいますね。そういった人の人生は、霊的には充実した人生ではありません。

木の花ファミリーの人々がやっていることは何なのかというと、物理的なことは手段にしかすぎません。今の社会に対して何かをアピールすることが目的でもなければ、物理的に豊かになることが目的でもないのです。では、一体何を目的として生きているのかというと、なぜ、私たちはこの時代に生まれてきたのか。そしてなぜ、ここに集い、この木の花ファミリーという生き方をしているのか。そのことを理解し、その上で、その目的を存分に表現して終わるということです。

そうすると、生きるということは、私が存在する目的を知るためにあります。では、どこに向かってそれを考えるのかというと、それは、宇宙の法則との約束のもとに自分が存在している、ということを知るためなのです。それがわかると、人生を完全燃焼できます。
あなたを観ていると、何かを探しているようです。私は何のために生まれてきたのだろう、私が生まれてきた本当の目的は何だろう、と探している状態です。それは、木の花の人たちが目指しているのと同じものです。それをしっかりと実感するためには、もう少し、自分は何のために生きているのかを詳しく知る必要があります。そうすると、あなたの表情の曇りは晴れるでしょう。しかしそれは、急いで取る必要はありません。あなたは今、そういう段階に来ているのですから、いずれはそうなるということです。そこで気を付けなければならないのは、それは放っておいたら来るものではないということです。自らがしっかりとした意志を持ち、それに目覚めるための歩みを進めることが必要です。

今から、あなたの質問以上のことを言います。
あなたも、僕も、誰もが、この巨大な宇宙の中に存在しています。そして、この指先のたった一つの細胞 ────(そう言っていさどんは、人差し指を立てました。)この細胞をカッターか何かで切り取り、捨てたとしましょう。そうすると、離れていきますね。でも今現在はここに付いています。地球にとって、私たちはそんな存在でしょう。宇宙にとっては、さらに微細なものです。しかし事実は、その微細な細胞たちが連動し、私というひとつの体をつくっているということです。そしてその細胞の一つひとつすべてが、独立した存在として個性を持ち、その一つひとつに魂があるのです。

もしもあなたがそういったことを知りたいと思ったら、隣りを見て「誰か教えて」と言わなくても、斜め45度上に意識を向け、そこにある存在を感じてみてください。そして、そこに向かって自分の思いを流せばいいのです。私は何のためにここにいるのか、と。その思いが本当に純粋なものであれば、回答は出てきますし、それをわかるための出会いが自然に訪れます。
もしかすると、あなたは少し前にそれをしていた可能性があります。だから今、僕に出会っているのかもしれません。

アナンヤ:
今語られていた「純粋」とは、どういう意味ですか?

いさどん:
あなたが自我に囚われていない状態ということです。それは難しいかもしれませんが、たとえば恋愛をするでしょう?そうすると、相手の事情には関係なく、相手に自分の思うような人であってほしいと願うものです。しかし、そこに二人の人間の関係があるとしたら、そこでは必ずキャッチボールの上に、二人の調和のネットワークを築く必要があります。それはひとつの例ですが、恋愛関係に限らず、この世界はすべて調和のネットワークで成り立っています。そこで、自分に都合の良い結果を求めるような心では、純粋とは言えないのです。自分の願う通りの結果を得ようとし、思惑を持ってアクションを起こすのではなく、自分が生きた結果、出会うものをいただいていくということです。
「いただく」とはもらうことですから、そこには感謝が生まれます。しかし自分のビジョンを持って思い通りの結果を得ようとすると、それは「いただく」のではなく「勝ち取る」ということです。それは自分の心を刺激してくれるかもしれませんが、長い目で見るととても効率の悪い生き方です。
例えば、あなたは木の花ファミリーに初めて来て、ここのことをまったく知らないとします。そして木の花ファミリーの中に入ると、何か普通の社会とは違うものを感じるでしょう。それは、ある人にとっては懐かしいものです。そしてそれが、もっとも自然な感じ方だと思います。

人は皆、生命です。そしてこの宇宙全体もまた、巨大な生命です。その巨大な生命を構成する小さな生命、さらにその小さな生命を構成するもっと小さな生命、さらにそれを構成するもっともっと小さな生命まで、すべてが相似形になっており、それらがすべて連鎖して、巨大な生命ネットワークを築いています。ところが人間になると、そのことを自我によって忘れるのです。
この巨大なネットワークは、愛でできています。それは、善なる、愛なる、調和のネットワークです。それを忘れた人々は、どこか心がざわざわしています。家族から遠く離れ、一人で暮らしていて寂しくなって、久しぶりに家族に会えば懐かしいと感じるでしょう?それと同じような感覚を、木の花ファミリーに来た人々が感じるのは、そういうことなのです。

20世紀までは、人々がそのことを忘れていくサイクルでした。個人が自我の欲望を叶え、豊かになろうとする時代でした。それは、霊性よりも物理性を追求した時代です。ただそういう時代だったということであり、悪いことではありませが、それが進みすぎると、霊性と物理性のバランスが取れなくなります。ですから、人々が物理的な豊かさを求め続けた結果、それが飽和して、今度は霊性の豊かさが求められ始めたのです。
霊性も、物理性も、どちらもそれを司る天の意志があり、我々はその意志のもとに存在しています。現代は、たくさんの人々が高度な教育を受けるようになり、優秀な人がたくさんいます。しかしこの20世紀型の優秀な人々が増えれば増えるほど、地球が歓迎しません。その20世紀型の優秀な人々が世の中をリードしてきた結果、今の地球の現状があるからです。
では、物理的に優秀ではない人たちが地球にやさしいかというと、そうではありませんね。そういった人々は、優秀な人々に巻き込まれていくのです。ですから今、霊的には、優秀さの見直しがされているのです。

生きるということは、個人の願望を叶えるのではなく、天と対話することにより、こちらの思いと天の意志が協働して、地上が運営されていくということです。人間以外の生命は、みんなそのように生きています。人間も、およそ7000年前までは、そのように生きていました。
原始時代に戻れということを言っているのではありません。今現在、私たち人間は、とても優れたテクノロジーを持っています。そのテクノロジーを、天と対話し、この世界に流れている宇宙法則のもとに使っていけば、人間は地球と共に、この世界に貢献する存在となるでしょう。
あなたもいずれ、死を迎えることになります。すべての生命は固有のサイクルを持っており、それが終わると死ぬのです。そしてそのサイクルの間に出会った物理性は、すべて、生きることに対する手段でしかありません。健康であることも病気であることも、いいことも悪いことも、すべて手段にしか過ぎないのです。

真実は、死んだ先の世界が、私たちの本住の地であるということです。そして、こちらでの学びが不十分であると、それを埋め合わせるために、またこちらの世界に生まれてくるという仕組みになっています。また、こちらの世界で役割がある場合も、生まれてくる原因のひとつになるのです。ですからあなたにはあなたの、生まれてくるための個人的理由があります。さらに、この世界があなたを今の形で受け入れた理由があります。そして今あなたは、それを知るための模索をしているのです。
そういうことを求めようとする人は、生きることの意味を知るための目覚めの段階に入ったということです。それは喜ばしいことですね。そうでない人々は、お金や物の豊かさに囚われ、中にはアルコールやドラッグで惑わされ、中毒になっている人もいます。地上の物理的な快楽に溺れるような生き方をするのです。あなたがそういったものではないものを求め出したことは、とても幸いなことです。

アナンヤ:
私は生きる目的を探しているということですが、それはあらかじめ決められていることではなく、後から少しずつ分かっていくものなのでしょうか?

いさどん:
それは後からわかるというよりも、あなたの人生の歩みの中で目覚めていくものです。あなたは今、何歳ですか?

アナンヤ:
22歳です。

いさどん:
22歳なら、そんなに急ぐことはないですね。何かに追われている段階ではありませんから。あなたの世代(蠍座世代)は、これまでの20世紀型の価値観で社会をつくるのではなく、次の時代を担っていく世代です。20世紀型価値観の社会から、次の時代に変わっていくための準備をする世代なのです。ですからあなたは、今までのような物理的豊かさを探求する生き方を望まないのです。
もうひとつ前の世代(天秤座世代)ですと、新しい時代を求めるものの、それが見つからずに迷う世代です。しかし、地球が自転と公転を続けていくということは、明らかに、太陽の周りを周回しながら、時代を切り替えているのです。我々が、1日、1ヶ月、1年とスケジュールを立てていくのと同じように、時代は確実に変化しています。ですから、あなたの世代の人々は、自分の中から湧き出してくる、自らが求める生き方を、正直に語りながら進んでいくことです。ただ心の中で思っているのでもいいのです。そしてそれを伝える場に出会った時に、自らの中にあるものを正直に表現しながら進むと、自ずとやるべきことに出会うようになります。
その時に、ひとつ条件があるのは、あなたの心が常にピュアであるということです。あなたがピュアな心で歩んでいく時に、例えば親であったり、友人関係であったり、その障害となる存在に出会うことがあるかもしれません。しかし、そういった価値観を共有できない人々と対立するのではなく、そういった人々にも常に誠実に自らの思いを伝え、接することです。では、誠実の一番の根本は何でしょうか。それは、正直であることです。そのように生きていけば、道は開かれます。その根本にある一番大切なことは、斜め45度上に向かって対話することですね。

アナンヤ:
なぜ斜め45度上なのですか?

いさどん:
私たち人間が天からのメッセージを受け取るのは、頭頂部(松果体)の部分です。そして自ら発信するのは、眉間からです。ですから、眉間から先、斜め45度上に向けて、あなたの意志を発信してください。それはどこに向かっているかというと、宇宙に向かって発信しているのです。そして、返ってきたものをキャッチするのは、頭頂部からです。

(ここでいさどんは、地球儀を手に取りました。)
地球があるでしょう。今私たちは、ここ(と言って、日本を指す)にいます。あなたは、ここ(アメリカ)に住んでいますね。そしてあなたのおじいさん、おばあさんは、ここ(インド)にいます。さて、日本にいる時、上はどちらになりますか。(アナンヤは日本の上空を指し示しました。)そうですね。ではアメリカではどちらが上になりますか?(アナンヤはアメリカの上空を指し示しました。)そう、こちらですね。それを、天と言います。
今、日本から見た天はこちら側にありますね。しかし地球の反対側の人たちにとっては、天は反対側になります。つまり、地球の外のすべてが天なのです。では、地はどこかというと、地球の内部です。天と地は対等のもののようですが、実は天はものすごく巨大なのです。日本語では、小さな一点も「テン」と言います。つまり「点」と「天」は同じなのです。無数の点が、天なのです。
地球は自転し、公転しています。自転の速度は秒速468mです。今は夜ですが、このままいくと明日の朝になります。そして公転の速度は秒速30kmです。そうすると、直径約12000kmの地球1個分を、およそ6分40秒で移動します。さて、先ほどこの話し合いの場が始まってから、私たちは地球何個分を移動したでしょうか。私たちがいるこの場所は、宇宙的には常に移動しています。「この場所」と思っているところは、次の瞬間にはもう「この場所」ではないのです。そのような認識になると、すべての固定概念は、壊れていきます。

今は、簡単な私たちの日常について解説しましたが、事実、私たちはものすごく大きなスケールで、宇宙を旅しています。そのスケールの意識で人々が生きていくのが、21世紀です。これは21世紀の扉が開いたというよりも、3000年に向けての千年紀の扉が開いたのです。1000年から2000年までの千年紀は、物理的探究の時代でした。ですから人類は、物理的にはとても進歩しました。しかしこれからの1000年間は、霊的探究の時代です。霊的探究とは何かと言えば、私たち人間が宇宙に存在することを自覚するということです。
そのための扉が開きました。しかし人類は、まだ幼稚です。新しい時代を迎えるにあたり、あなたたちの世代は、その準備をする人たちです。ですから古い価値観に抵抗するのです。それがどんなに正しいと言われても、抵抗する心が生まれるのです。しかし、それに逆らう必要はありませんよ。自分から湧いてくる思いを、正直に、誠実に伝えていれば、時代は必ずあなたの求めているものを表現するようになるのですから。
僕はおじいちゃんですが、なぜこんなにも情熱的にこんなことをやっているかというと、それを伝えるために生まれてきた人だからです。

アナンヤ:
先日ともちゃんと話した時に、いさどんのこれまでの歩みについて聞きました。30歳からこのような生き方を始め、最初の2年間は泣いて暮らしていたと。なぜ、泣いていたのですか?

いさどん:
自分の自我が強く、それを越えられなかったからです。それは辛いことでした。それでも、自分には、自我を越えるしか道がなかった。毎日が自己否定でした。しかし、その試練を越えたからこそ、その先の世界があったのです。
自我に取り込まれている人間は、自分が辛いと思うことを越えて初めて、そこから解放される道が開けます。しかしあなたは、僕の時代と違い、霊的にはもっと高い時代を生きる人です。ですから、僕のような体験はしなくても、道は開かれるのですよ。
あなたの名前をカタカムナでひも解くと、古い時代の価値観を質的転換し、高次元の意識に導く、強い意志を持っています。それで安定しています。今あなたは22歳ですね。30歳ごろから、本領を発揮するようになりますよ。
少し、霧が立ち込めていたのが晴れましたか?

アナンヤ:
私自身は霧だとは感じていませんが、周りからそう見えるということですね。

いさどん:
最初に話し始める前に、僕にはそれが観えましたが、今のあなたはもっと明快な表情をしています。僕に面談をする人は、一般的に自分個人の悩みを相談する人が多いのですが、あなたの場合はそういうわけではないですね。

アナンヤ:
ひとつわからないことがあって、少し混乱しているのですが、質問していいでしょうか。今、エゴを手放すということについて話してくれましたが、自分のエゴの内側に深く入ることなく、自分自身を観るということはできるのでしょうか。

いさどん:
それは今、僕が一般的な話をしたから、あなたには合わないのでしょう。僕が感じているあなたのエゴは、手放す必要がないものです。エゴというのは、そもそも個性です。その人がその人であるために、エゴを持っているのです。アイデンティティと言えばよいでしょうか。大切なのは、そのエゴの表現の仕方です。ネガティブに使えば問題ごとを起こしますし、ポジティブに使えば楽しいことになります。調和的に使えば社会に有益になりますし、自己主張に使えば対立を生みます。
ですから、「エゴを手放す」という表現は、実は間違いです。正確に言うと、自らの人格をよく理解し、それを上手に使いこなすということです。その実力をつける必要があります。例えば病気になることでも、経済的に行き詰ることでも、問題ごとには様々なものがありますね。それはこの世界で、エゴの使い方が間違った方向に向かっているのです。そのような時には、客観的視点に立ち、どこに問題があったかを観ます。それは車を整備するようなものです。不具合を見つけ、修理してやれば、健全に走るようになります。

そしてまた、今は問題が何もないからと言って、その先もずっとそれでいいかと言うと、そうとは限りません。人生は階段のようになっています。この状態で行ってOKの時もあれば、次の段階へ上がる時には、必ずそれを手放さなければ先へ進めない時がやってきます。今がいいからと言ってそのままで進めば、ある所から、それは問題になるのです。ぶつかるということは、次の段階へ上がるということです。そういったことを、常に自分自身に寄り添いながら、客観的に導いてあげられる、もう一人の自分がいるといいのですけれどね。
そして今お話ししたのは、人生を自分の力で生きていこうとする、一般の人へのアドバイスです。人生を自らの自我で生きている人たちですね。例えば僕の場合、生きることに望みはありません。ですから自分の役割がなければ、早く死にたいです。生きることは面倒ですよ。食べなければならないし、眠らなければならないし、トイレにも行かなくてはなりません。こんな窮屈な場所は嫌ですね。
しかしこういった境地に至ると、自分で何かをコントロールしなくても、この世界の奥にある流れを感知し、そこに沿って生きるようになります。その流れは、僕の意志とは関係なく、勝手に流れています。人間は人生を生きる時に「自分の人生だ」と言っていろいろなビジョンを持ちますが、それはこの大いなる流れからしたら、本当に小さなものです。その小さな自分のビジョンに囚われてしまうと、その自分のビジョンも元々は大いなる流れの中にあるということを、忘れてしまいます。ですから、僕にはビジョンがないのです。生きる上で、僕の個人的目的はないのです。あるのは、与えられたものの役割としてのビジョンだけです。
ですから、こういった境地になると、生きることを何も画策しなくていいのですよ。24時間経つと、1日が終わります。1年たつと、1歳年を取ります。そしていつか、この役割の終焉を迎えます。その時がいつかは、決まっているのですよ。待ち遠しいと思っています。

そういった境地に立った者は、役割を存分に果たすことができます。あなたは若いですから、早くからこれをやってください。そうすると、社会にとても貢献する人になりますよ。早くから仏陀として生きることができます。何であっても、ご機嫌であれば良いですね。
ただ、僕にはご機嫌でない時があります。それは、人々が自らの心の持ち方を間違えて、汚れている時です。縁のない人にそういった感情は抱きませんが、縁があり、そしてその汚れたものを美しくするビジョンに入っているにもかかわらず、怠けていてきれいにしない人には、それはよくないということは伝えます。最終的には本人の意志ですから、僕は「困ったな」と思ったり、それを残念だとは思いますが、所有はしません。それは、その人が自らの人生として、結果を受け取っていくということです。ですから、どんな場合も、どんな人に対しても、アドバイスはしますが、所有することはないのです。本来、道はすぐに改善できるのに、人はなかなかそれをやりませんね。それが地球の汚れの原因です。ですから僕は言わば、地球の霊的な汚れの掃除屋さんです。
今、世界中で、国や組織のリーダーになっている人々のほとんどが、霊的に汚れています。それがきれいなリーダーに切り替わるのが、2038年です。もうひとつ。2008年に、ヨーロッパ産業革命から始まった248年の冥王星の周期が終わりました。そして、東洋的精神性が世界をリードする時代に入りました。特に、インド・中国・日本といった国々の精神性が、これらの世界をリードしていくことになるでしょう。ですからあなたも、しっかりと役割を果たしてください。

アナンヤ:
今はまだ私の中心にエゴがあり、いろいろなことに興味があるので、それを無しにして何かを成し遂げるということはイメージできません。

いさどん:
それはしなくていいのですよ。何年か経ち、僕に会う必要ができた時にまたここに来て、「あなたの言った通りでした」と言うだけですから(笑)。未来を先取りする必要はありません。今はあなたが思う通りに生きればいいのです。

僕も、30歳からこんなヘンなおじさんになっちゃったんですよ。そして今年の5月3日で、67歳になります。そこで、実はつい数日前にビジョンが湧いてきたのですが、5月3日から、僕は次の段階に入ります。40歳までは、僕は古田さんでした。そして40歳からは、いさどんでした。今年の5月3日以降の新しいビジョンでは、僕は、いさどんの最終段階よりもずっと若々しいです。いさどんは今までとてもパワーが必要でしたが、これからはパワーに頼らないパワーを使うようになります。
すごく楽しみで、ワクワクしています。今、毎日がとてもエキサイティングです。

 

アナンヤ出発の朝。いってらっしゃい。また帰ってくるのを、待ってるよ。

 


「1ヶ月間の真学校ブログ」をご覧ください

2月25日から3月24日まで、木の花ファミリーでは「1ヶ月間の真学校」が開催されていました。

「1ヶ月間の真学校」は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。今年は例年以上に海外からの参加が多く、個性豊かな受講生たちの変化と共に、日々講座の内容が深まり、とにかくディープな1ヶ月間となりました。いさどんブログはしばらくお休みを頂いておりますが、真学校の中でいさどんから湧き出てきた宇宙の叡知を、以下の「1ヶ月間の真学校ブログ」に掲載しています。どうぞご覧ください!

 

2018年1ヶ月間の真学校 ブログ 

「これ以上、皆さんを前に進めさせません」~2018年1ヶ月間の真学校 開講の挨拶

世界に新しい価値観をもたらすには まず自分を解放してあげなさい

たくさんの人に明るい人生を与えてください~私たちが「人格」を学ぶ意味

地球が回っていることを、感じていますか?

ジオセントリックからヘリオセントリックへ~「己読み」を学ぶ意味

当たり前の仕組み・お財布ひとつの経済

知識として学習しても 人間性は変わらない

私たちはひとつの命です~天然循環法・食

正しいヒメゴト・命を生み出す宇宙の根本原理〜性と宇宙

波動が高いということは、壊れるということ

21世紀の死生観・序章〜魂のランキング

21世紀の死生観・1〜死は新たな旅の始まり

21世紀の死生観・2〜真学校でもっとも伝えたいこと

21世紀の死生観・番外編〜死んだらまっしぐらに光の方へ向かいなさい

たったひとつのことを伝えるために~2018年1ヶ月間の真学校 閉講の挨拶

 

一つひとつが、とても深いメッセージです。21世紀を生きるすべての人へ、お贈りします。