人と人とのつながりとは、いったい何なのか ──── 。
そんなことをずっと考え続けてきたという、22歳のインド系アメリカ人、アナンヤ。大学で心理学を専攻していた彼女は、世界の様々な地域における人々の関係について研究を進める中で、どうしたら人々が互いに調和し、地球とも調和して生きていけるのかを知りたい、と木の花ファミリーにやって来ました。
ある日、「自分の中に様々な問いがある」というアナンヤと、いさどんが話をする場が持たれました。まず最初にいさどんが「あなたが何かひとつ質問をすると、僕はその10倍以上答えるかもしれません。長くなったらごめんなさいね」と言い、会話はアナンヤのこんな質問から始まりました。
アナンヤ:
ここに滞在しながら皆さんを観察していて、学んだことがあります。ここの皆さんは、今世界で起きていることに対して、何か物理的な行動を起こすというよりも、自分自身がその世界の一部であることを理解し、自分ではコントロールすることのできない、何か大いなる流れに沿おうとしているように感じられます。目には見えない何かに、耳を傾けようとしているように思えるのです。
いさどん:
そうです。
アナンヤ:
私が知りたいのは、それがこのコミュニティの核となる部分なのかということです。
いさどん:
私たち人間は、この世界に、一人ひとりがとても個性的に自らを表現しながら、存在しています。そしてその個性的な人間が、たくさんいます。そのたくさんの人間一人ひとりが、それぞれの目的に基づいて、自らの見える範囲内のことだけを考えていると、一人の人間の行動や、それがもたらす影響の範囲というのは、限定されたものになります。しかし、そのたくさんの人々が、ある共通点を持って行動すると、それはネットワークになるのです。
例えば、宇宙には天体がありますね。そのどれ一つとして、単独で存在しているものはいません。すべてが連動し、互いに連携し合いながら大いなるネットワークを築き、その中に一つひとつの星々の存在する位置があります。この世界で最も大きな存在は、大宇宙です。現代の人間の解釈では、まだ、この大宇宙のすべてを想像すらすることはできません。今、人類がその仕組みを想像できるのは、天の川銀河くらいの範囲でしょう。私たちは天の川銀河に生きていますが、その他の銀河については、成り立ちそのものが違いますから、今の私たちの思考では解釈することができない世界なのです。
もう少し、身近なところへ視点を移してみましょう。私たちは、太陽系生命体です。なぜ太陽系生命体かというと、太陽が私たちの存在の基軸になっているからです。
私たちは、太陽のエネルギーが元となった生態系の中で存在し、消滅していく仕組みになっています。私たちの肉体は、太陽の光が地上に届くことによって営まれる生態系の中で食べ物をいただき、呼吸をします。1日が過ぎることも、1年が過ぎることも、すべて太陽が基軸となって生きているということは、わかりますね?
アナンヤ:
はい。
いさどん:
私たちが存在することも、1日、1年、あるいはもっと長いサイクルを計算することも、すべて光が基軸になっています。宇宙的に捉えると、光が基軸となってこの世界が運営されているということは、何かその背景に、それを動かしている法則があるはずです。その存在を考えるようになると、私たちが自分というものを認識した時に、それは“自分が”生きているのか、それとも、何かの法則のもとに、自分の個性が必要でこの世界に生み出され、役割を果たすために生かされているのか、ということが観えてきます。
簡単に言うと、この世界には、目には見えない巨大な法則があり、私たちはその法則が創り出す流れに乗っているということです。
あなたが今、あなたであるように、今のあなたは過去のあなたとは違います。未来のあなたもまた、今のあなたとは変わります。それは、あなた自身の人生物語です。しかしもう一つ違う視点から観ると、宇宙の物語の中で、あなたが役割としてある一定期間、あなたの人生を表現したということでもあるのです。
人間は一人ひとり、そのことを知っています。それは、地球に生まれる前の霊的な存在の時に、そのビジョンを共に練っていたからです。そして地球に生まれ、肉体を持った時点で、そのことを封印したのです。しかしそれは、大いなる法則が紡いでいく物語の中に組み込まれています。
始めのうちは、そのことを忘れています。忘れている間は、思い出させるための出来事が起きてきます。中には、思い出さないまま人生を終わる人もいますね。そういった人の人生は、霊的には充実した人生ではありません。
木の花ファミリーの人々がやっていることは何なのかというと、物理的なことは手段にしかすぎません。今の社会に対して何かをアピールすることが目的でもなければ、物理的に豊かになることが目的でもないのです。では、一体何を目的として生きているのかというと、なぜ、私たちはこの時代に生まれてきたのか。そしてなぜ、ここに集い、この木の花ファミリーという生き方をしているのか。そのことを理解し、その上で、その目的を存分に表現して終わるということです。
そうすると、生きるということは、私が存在する目的を知るためにあります。では、どこに向かってそれを考えるのかというと、それは、宇宙の法則との約束のもとに自分が存在している、ということを知るためなのです。それがわかると、人生を完全燃焼できます。
あなたを観ていると、何かを探しているようです。私は何のために生まれてきたのだろう、私が生まれてきた本当の目的は何だろう、と探している状態です。それは、木の花の人たちが目指しているのと同じものです。それをしっかりと実感するためには、もう少し、自分は何のために生きているのかを詳しく知る必要があります。そうすると、あなたの表情の曇りは晴れるでしょう。しかしそれは、急いで取る必要はありません。あなたは今、そういう段階に来ているのですから、いずれはそうなるということです。そこで気を付けなければならないのは、それは放っておいたら来るものではないということです。自らがしっかりとした意志を持ち、それに目覚めるための歩みを進めることが必要です。
今から、あなたの質問以上のことを言います。
あなたも、僕も、誰もが、この巨大な宇宙の中に存在しています。そして、この指先のたった一つの細胞 ────(そう言っていさどんは、人差し指を立てました。)この細胞をカッターか何かで切り取り、捨てたとしましょう。そうすると、離れていきますね。でも今現在はここに付いています。地球にとって、私たちはそんな存在でしょう。宇宙にとっては、さらに微細なものです。しかし事実は、その微細な細胞たちが連動し、私というひとつの体をつくっているということです。そしてその細胞の一つひとつすべてが、独立した存在として個性を持ち、その一つひとつに魂があるのです。
もしもあなたがそういったことを知りたいと思ったら、隣りを見て「誰か教えて」と言わなくても、斜め45度上に意識を向け、そこにある存在を感じてみてください。そして、そこに向かって自分の思いを流せばいいのです。私は何のためにここにいるのか、と。その思いが本当に純粋なものであれば、回答は出てきますし、それをわかるための出会いが自然に訪れます。
もしかすると、あなたは少し前にそれをしていた可能性があります。だから今、僕に出会っているのかもしれません。
アナンヤ:
今語られていた「純粋」とは、どういう意味ですか?
いさどん:
あなたが自我に囚われていない状態ということです。それは難しいかもしれませんが、たとえば恋愛をするでしょう?そうすると、相手の事情には関係なく、相手に自分の思うような人であってほしいと願うものです。しかし、そこに二人の人間の関係があるとしたら、そこでは必ずキャッチボールの上に、二人の調和のネットワークを築く必要があります。それはひとつの例ですが、恋愛関係に限らず、この世界はすべて調和のネットワークで成り立っています。そこで、自分に都合の良い結果を求めるような心では、純粋とは言えないのです。自分の願う通りの結果を得ようとし、思惑を持ってアクションを起こすのではなく、自分が生きた結果、出会うものをいただいていくということです。
「いただく」とはもらうことですから、そこには感謝が生まれます。しかし自分のビジョンを持って思い通りの結果を得ようとすると、それは「いただく」のではなく「勝ち取る」ということです。それは自分の心を刺激してくれるかもしれませんが、長い目で見るととても効率の悪い生き方です。
例えば、あなたは木の花ファミリーに初めて来て、ここのことをまったく知らないとします。そして木の花ファミリーの中に入ると、何か普通の社会とは違うものを感じるでしょう。それは、ある人にとっては懐かしいものです。そしてそれが、もっとも自然な感じ方だと思います。
人は皆、生命です。そしてこの宇宙全体もまた、巨大な生命です。その巨大な生命を構成する小さな生命、さらにその小さな生命を構成するもっと小さな生命、さらにそれを構成するもっともっと小さな生命まで、すべてが相似形になっており、それらがすべて連鎖して、巨大な生命ネットワークを築いています。ところが人間になると、そのことを自我によって忘れるのです。
この巨大なネットワークは、愛でできています。それは、善なる、愛なる、調和のネットワークです。それを忘れた人々は、どこか心がざわざわしています。家族から遠く離れ、一人で暮らしていて寂しくなって、久しぶりに家族に会えば懐かしいと感じるでしょう?それと同じような感覚を、木の花ファミリーに来た人々が感じるのは、そういうことなのです。
20世紀までは、人々がそのことを忘れていくサイクルでした。個人が自我の欲望を叶え、豊かになろうとする時代でした。それは、霊性よりも物理性を追求した時代です。ただそういう時代だったということであり、悪いことではありませが、それが進みすぎると、霊性と物理性のバランスが取れなくなります。ですから、人々が物理的な豊かさを求め続けた結果、それが飽和して、今度は霊性の豊かさが求められ始めたのです。
霊性も、物理性も、どちらもそれを司る天の意志があり、我々はその意志のもとに存在しています。現代は、たくさんの人々が高度な教育を受けるようになり、優秀な人がたくさんいます。しかしこの20世紀型の優秀な人々が増えれば増えるほど、地球が歓迎しません。その20世紀型の優秀な人々が世の中をリードしてきた結果、今の地球の現状があるからです。
では、物理的に優秀ではない人たちが地球にやさしいかというと、そうではありませんね。そういった人々は、優秀な人々に巻き込まれていくのです。ですから今、霊的には、優秀さの見直しがされているのです。
生きるということは、個人の願望を叶えるのではなく、天と対話することにより、こちらの思いと天の意志が協働して、地上が運営されていくということです。人間以外の生命は、みんなそのように生きています。人間も、およそ7000年前までは、そのように生きていました。
原始時代に戻れということを言っているのではありません。今現在、私たち人間は、とても優れたテクノロジーを持っています。そのテクノロジーを、天と対話し、この世界に流れている宇宙法則のもとに使っていけば、人間は地球と共に、この世界に貢献する存在となるでしょう。
あなたもいずれ、死を迎えることになります。すべての生命は固有のサイクルを持っており、それが終わると死ぬのです。そしてそのサイクルの間に出会った物理性は、すべて、生きることに対する手段でしかありません。健康であることも病気であることも、いいことも悪いことも、すべて手段にしか過ぎないのです。
真実は、死んだ先の世界が、私たちの本住の地であるということです。そして、こちらでの学びが不十分であると、それを埋め合わせるために、またこちらの世界に生まれてくるという仕組みになっています。また、こちらの世界で役割がある場合も、生まれてくる原因のひとつになるのです。ですからあなたにはあなたの、生まれてくるための個人的理由があります。さらに、この世界があなたを今の形で受け入れた理由があります。そして今あなたは、それを知るための模索をしているのです。
そういうことを求めようとする人は、生きることの意味を知るための目覚めの段階に入ったということです。それは喜ばしいことですね。そうでない人々は、お金や物の豊かさに囚われ、中にはアルコールやドラッグで惑わされ、中毒になっている人もいます。地上の物理的な快楽に溺れるような生き方をするのです。あなたがそういったものではないものを求め出したことは、とても幸いなことです。
アナンヤ:
私は生きる目的を探しているということですが、それはあらかじめ決められていることではなく、後から少しずつ分かっていくものなのでしょうか?
いさどん:
それは後からわかるというよりも、あなたの人生の歩みの中で目覚めていくものです。あなたは今、何歳ですか?
アナンヤ:
22歳です。
いさどん:
22歳なら、そんなに急ぐことはないですね。何かに追われている段階ではありませんから。あなたの世代(蠍座世代)は、これまでの20世紀型の価値観で社会をつくるのではなく、次の時代を担っていく世代です。20世紀型価値観の社会から、次の時代に変わっていくための準備をする世代なのです。ですからあなたは、今までのような物理的豊かさを探求する生き方を望まないのです。
もうひとつ前の世代(天秤座世代)ですと、新しい時代を求めるものの、それが見つからずに迷う世代です。しかし、地球が自転と公転を続けていくということは、明らかに、太陽の周りを周回しながら、時代を切り替えているのです。我々が、1日、1ヶ月、1年とスケジュールを立てていくのと同じように、時代は確実に変化しています。ですから、あなたの世代の人々は、自分の中から湧き出してくる、自らが求める生き方を、正直に語りながら進んでいくことです。ただ心の中で思っているのでもいいのです。そしてそれを伝える場に出会った時に、自らの中にあるものを正直に表現しながら進むと、自ずとやるべきことに出会うようになります。
その時に、ひとつ条件があるのは、あなたの心が常にピュアであるということです。あなたがピュアな心で歩んでいく時に、例えば親であったり、友人関係であったり、その障害となる存在に出会うことがあるかもしれません。しかし、そういった価値観を共有できない人々と対立するのではなく、そういった人々にも常に誠実に自らの思いを伝え、接することです。では、誠実の一番の根本は何でしょうか。それは、正直であることです。そのように生きていけば、道は開かれます。その根本にある一番大切なことは、斜め45度上に向かって対話することですね。
アナンヤ:
なぜ斜め45度上なのですか?
いさどん:
私たち人間が天からのメッセージを受け取るのは、頭頂部(松果体)の部分です。そして自ら発信するのは、眉間からです。ですから、眉間から先、斜め45度上に向けて、あなたの意志を発信してください。それはどこに向かっているかというと、宇宙に向かって発信しているのです。そして、返ってきたものをキャッチするのは、頭頂部からです。
(ここでいさどんは、地球儀を手に取りました。)
地球があるでしょう。今私たちは、ここ(と言って、日本を指す)にいます。あなたは、ここ(アメリカ)に住んでいますね。そしてあなたのおじいさん、おばあさんは、ここ(インド)にいます。さて、日本にいる時、上はどちらになりますか。(アナンヤは日本の上空を指し示しました。)そうですね。ではアメリカではどちらが上になりますか?(アナンヤはアメリカの上空を指し示しました。)そう、こちらですね。それを、天と言います。
今、日本から見た天はこちら側にありますね。しかし地球の反対側の人たちにとっては、天は反対側になります。つまり、地球の外のすべてが天なのです。では、地はどこかというと、地球の内部です。天と地は対等のもののようですが、実は天はものすごく巨大なのです。日本語では、小さな一点も「テン」と言います。つまり「点」と「天」は同じなのです。無数の点が、天なのです。
地球は自転し、公転しています。自転の速度は秒速468mです。今は夜ですが、このままいくと明日の朝になります。そして公転の速度は秒速30kmです。そうすると、直径約12000kmの地球1個分を、およそ6分40秒で移動します。さて、先ほどこの話し合いの場が始まってから、私たちは地球何個分を移動したでしょうか。私たちがいるこの場所は、宇宙的には常に移動しています。「この場所」と思っているところは、次の瞬間にはもう「この場所」ではないのです。そのような認識になると、すべての固定概念は、壊れていきます。
今は、簡単な私たちの日常について解説しましたが、事実、私たちはものすごく大きなスケールで、宇宙を旅しています。そのスケールの意識で人々が生きていくのが、21世紀です。これは21世紀の扉が開いたというよりも、3000年に向けての千年紀の扉が開いたのです。1000年から2000年までの千年紀は、物理的探究の時代でした。ですから人類は、物理的にはとても進歩しました。しかしこれからの1000年間は、霊的探究の時代です。霊的探究とは何かと言えば、私たち人間が宇宙に存在することを自覚するということです。
そのための扉が開きました。しかし人類は、まだ幼稚です。新しい時代を迎えるにあたり、あなたたちの世代は、その準備をする人たちです。ですから古い価値観に抵抗するのです。それがどんなに正しいと言われても、抵抗する心が生まれるのです。しかし、それに逆らう必要はありませんよ。自分から湧いてくる思いを、正直に、誠実に伝えていれば、時代は必ずあなたの求めているものを表現するようになるのですから。
僕はおじいちゃんですが、なぜこんなにも情熱的にこんなことをやっているかというと、それを伝えるために生まれてきた人だからです。
アナンヤ:
先日ともちゃんと話した時に、いさどんのこれまでの歩みについて聞きました。30歳からこのような生き方を始め、最初の2年間は泣いて暮らしていたと。なぜ、泣いていたのですか?
いさどん:
自分の自我が強く、それを越えられなかったからです。それは辛いことでした。それでも、自分には、自我を越えるしか道がなかった。毎日が自己否定でした。しかし、その試練を越えたからこそ、その先の世界があったのです。
自我に取り込まれている人間は、自分が辛いと思うことを越えて初めて、そこから解放される道が開けます。しかしあなたは、僕の時代と違い、霊的にはもっと高い時代を生きる人です。ですから、僕のような体験はしなくても、道は開かれるのですよ。
あなたの名前をカタカムナでひも解くと、古い時代の価値観を質的転換し、高次元の意識に導く、強い意志を持っています。それで安定しています。今あなたは22歳ですね。30歳ごろから、本領を発揮するようになりますよ。
少し、霧が立ち込めていたのが晴れましたか?
アナンヤ:
私自身は霧だとは感じていませんが、周りからそう見えるということですね。
いさどん:
最初に話し始める前に、僕にはそれが観えましたが、今のあなたはもっと明快な表情をしています。僕に面談をする人は、一般的に自分個人の悩みを相談する人が多いのですが、あなたの場合はそういうわけではないですね。
アナンヤ:
ひとつわからないことがあって、少し混乱しているのですが、質問していいでしょうか。今、エゴを手放すということについて話してくれましたが、自分のエゴの内側に深く入ることなく、自分自身を観るということはできるのでしょうか。
いさどん:
それは今、僕が一般的な話をしたから、あなたには合わないのでしょう。僕が感じているあなたのエゴは、手放す必要がないものです。エゴというのは、そもそも個性です。その人がその人であるために、エゴを持っているのです。アイデンティティと言えばよいでしょうか。大切なのは、そのエゴの表現の仕方です。ネガティブに使えば問題ごとを起こしますし、ポジティブに使えば楽しいことになります。調和的に使えば社会に有益になりますし、自己主張に使えば対立を生みます。
ですから、「エゴを手放す」という表現は、実は間違いです。正確に言うと、自らの人格をよく理解し、それを上手に使いこなすということです。その実力をつける必要があります。例えば病気になることでも、経済的に行き詰ることでも、問題ごとには様々なものがありますね。それはこの世界で、エゴの使い方が間違った方向に向かっているのです。そのような時には、客観的視点に立ち、どこに問題があったかを観ます。それは車を整備するようなものです。不具合を見つけ、修理してやれば、健全に走るようになります。
そしてまた、今は問題が何もないからと言って、その先もずっとそれでいいかと言うと、そうとは限りません。人生は階段のようになっています。この状態で行ってOKの時もあれば、次の段階へ上がる時には、必ずそれを手放さなければ先へ進めない時がやってきます。今がいいからと言ってそのままで進めば、ある所から、それは問題になるのです。ぶつかるということは、次の段階へ上がるということです。そういったことを、常に自分自身に寄り添いながら、客観的に導いてあげられる、もう一人の自分がいるといいのですけれどね。
そして今お話ししたのは、人生を自分の力で生きていこうとする、一般の人へのアドバイスです。人生を自らの自我で生きている人たちですね。例えば僕の場合、生きることに望みはありません。ですから自分の役割がなければ、早く死にたいです。生きることは面倒ですよ。食べなければならないし、眠らなければならないし、トイレにも行かなくてはなりません。こんな窮屈な場所は嫌ですね。
しかしこういった境地に至ると、自分で何かをコントロールしなくても、この世界の奥にある流れを感知し、そこに沿って生きるようになります。その流れは、僕の意志とは関係なく、勝手に流れています。人間は人生を生きる時に「自分の人生だ」と言っていろいろなビジョンを持ちますが、それはこの大いなる流れからしたら、本当に小さなものです。その小さな自分のビジョンに囚われてしまうと、その自分のビジョンも元々は大いなる流れの中にあるということを、忘れてしまいます。ですから、僕にはビジョンがないのです。生きる上で、僕の個人的目的はないのです。あるのは、与えられたものの役割としてのビジョンだけです。
ですから、こういった境地になると、生きることを何も画策しなくていいのですよ。24時間経つと、1日が終わります。1年たつと、1歳年を取ります。そしていつか、この役割の終焉を迎えます。その時がいつかは、決まっているのですよ。待ち遠しいと思っています。
そういった境地に立った者は、役割を存分に果たすことができます。あなたは若いですから、早くからこれをやってください。そうすると、社会にとても貢献する人になりますよ。早くから仏陀として生きることができます。何であっても、ご機嫌であれば良いですね。
ただ、僕にはご機嫌でない時があります。それは、人々が自らの心の持ち方を間違えて、汚れている時です。縁のない人にそういった感情は抱きませんが、縁があり、そしてその汚れたものを美しくするビジョンに入っているにもかかわらず、怠けていてきれいにしない人には、それはよくないということは伝えます。最終的には本人の意志ですから、僕は「困ったな」と思ったり、それを残念だとは思いますが、所有はしません。それは、その人が自らの人生として、結果を受け取っていくということです。ですから、どんな場合も、どんな人に対しても、アドバイスはしますが、所有することはないのです。本来、道はすぐに改善できるのに、人はなかなかそれをやりませんね。それが地球の汚れの原因です。ですから僕は言わば、地球の霊的な汚れの掃除屋さんです。
今、世界中で、国や組織のリーダーになっている人々のほとんどが、霊的に汚れています。それがきれいなリーダーに切り替わるのが、2038年です。もうひとつ。2008年に、ヨーロッパ産業革命から始まった248年の冥王星の周期が終わりました。そして、東洋的精神性が世界をリードする時代に入りました。特に、インド・中国・日本といった国々の精神性が、これらの世界をリードしていくことになるでしょう。ですからあなたも、しっかりと役割を果たしてください。
アナンヤ:
今はまだ私の中心にエゴがあり、いろいろなことに興味があるので、それを無しにして何かを成し遂げるということはイメージできません。
いさどん:
それはしなくていいのですよ。何年か経ち、僕に会う必要ができた時にまたここに来て、「あなたの言った通りでした」と言うだけですから(笑)。未来を先取りする必要はありません。今はあなたが思う通りに生きればいいのです。
僕も、30歳からこんなヘンなおじさんになっちゃったんですよ。そして今年の5月3日で、67歳になります。そこで、実はつい数日前にビジョンが湧いてきたのですが、5月3日から、僕は次の段階に入ります。40歳までは、僕は古田さんでした。そして40歳からは、いさどんでした。今年の5月3日以降の新しいビジョンでは、僕は、いさどんの最終段階よりもずっと若々しいです。いさどんは今までとてもパワーが必要でしたが、これからはパワーに頼らないパワーを使うようになります。
すごく楽しみで、ワクワクしています。今、毎日がとてもエキサイティングです。