保育問題を見てみよう

今、都市部を中心に保育園へ子どもを預ける人の割合が増えています。待機児童が社会問題となり、政府が保育士の増員や株式会社の保育参入などで解消する方針を打ち出す中、いさどんが「保育」について語りました!

*この座談会には、将来保育士になりたいと思っている木の花育ちの2人の高校生、しょうたとすさ、現役保育士で木の花の自然療法プログラム卒業生でもあるしゅうくん、元小中学校教員のまり姉も参加しました。

座談会のようす
座談会のようす

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ともこ:
今、世間では保育士の不足が叫ばれています。それでうちには保育士志望の高校生が2名いるので保育座談会をしよう!ということになり、ちょうど現役保育士のしゅうくんも来てくれて、今日この場を持ちました。
今の保育問題としてまず挙げられるのが、保育園に入れない待機児童が多い。そして保育士の数が足りない。それで政府は、保育士の数を増やすことと、株式会社を保育の世界に参入させる方向で動いてます。そうなると保育の質というのはどうなっていくんだろう、ということも懸念されています。

なかのん:
横浜市ではすでに全保育所の25%が株式会社で、政府は横浜市をモデルにしようとしてるね。

しゅうくん:
横浜市は待機児童は0になったけど、発達障害の子どもが増えたとも言われているよ?

いさどん:
僕が理事を務める社会福祉法人でも、これまでは高齢者向けの施設だけをやっていたのが、今度は保育園をやろうとしてるんだよ。なぜかというと、助成金が出るからなんだよね。それで、「じょせい金」というのはあるけど、「だんせい金」というのは聞いたことがないね。

みんな:
ないね~(笑)。

ともこ:
しょうたたち、ちゃんとついて来てね。

しょうた:
大丈夫。いつも聞かされてるから。

いさどん:
こういうハイレベルなダジャレも言わないと。かたい保育士じゃダメよ。

ともこ:
1001ph03それはさておき。特に都市部では、保育園への入所を申し込む子どもの割合が増えてます。それだけ母親が働きに出る家庭が多くなったわけだけど、ではそんなに子どもを預けないと生活ができない家庭が多いのか、ということもあります。これは保育という面だけじゃなくて、家族のあり方とか、日本の社会全体のこととして見ていく必要がありそうです。

いさどん:
そう。何でお母さんが家庭の中で余裕を持って子どもを育てていけなくなったのか、ということなんだよね。なんで子育て中のお母さんたちが働きに出なきゃいけないのか。日本はそんなに物理的に豊かじゃない国なんだろうか。これはライフスタイルに対する姿勢を考えなくちゃいけないことだよ。

なかのん:
今の保育現場の動きとしては、平成18年に、厚生省の管轄である保育園と、文部省の管轄である幼稚園を統合した「認定こども園」が、福祉と教育を総合的に提供する場として始まりました。都市部では保育園の待機児童が増えている一方で、幼稚園は定員割れのところもあります。幼稚園は預かる時間が短いのと、乳児は預かれないなどの縛りがあって、最近では預かり時間を延長するなど、幼稚園が保育園的な機能を果たすようになってきています。それで、幼稚園と保育園を統合することで総合的に子供を見ていこうという流れがあるみたいですね。
同時に保育士の不足の問題もあります。一般的に保育士は、勤務時間が長くて賃金が安いなど労働条件が悪く、改善が必要だということも言われています。

いさどん:
今それだけ課題があるということは、何年か後には解決されるということでもあるんだよ。問題があるということは、その傷を手当てして治していく、ということを社会はするからね。

なかのん:
もう一つ、無認可の保育所の問題がありますね。

いさどん:
その話題は以前はクローズアップされていたけど、これから株式会社が参入すると、自然に淘汰されていくんじゃないの。

なかのん:
そこで保育所の認定基準を緩和するという話も出ていて、それによって待機児童は減るだろうけれど、一方で保育の質が下がるのではとも懸念されています。

いさどん:
そこを、どう考えていくか。この保育問題を、単純に社会の問題として捉えるとよくわからないから、そういった捉え方じゃないところから考えていこうかな。
92_0186もともと、保育とは子育てのことだよね。自然界はどう子育てを行っているんだろうか。たとえばスズメの子育てとか、同じ動物でも人間に近いペットの子育てとかいろいろある中で、自然に近づけば近づくほど、子育てはルールが決まってるんだよね。たとえばアホウドリならいつ交尾期間があって、いつ卵を産んで、こういう環境の中で子育てして、これだけの期間が経ったら巣立ちして、という風に一つのパターンで繰り返されていく。とても単純でわかりやすいよね。それに対して人間の子育てはどのように行われてきたか。

木の花の子どもたちが保育園に行くようになったのは2年前。何で保育園に行くようになったかというと、全体が大きくなって保育所的機能が必要になった。でもここにはその機能がないので、公的機関を利用した。子どもたちにとってはいいよね。木の花というとてもユニークで多様な環境に加えて、さらに一般社会の子どもや大人と触れる機会を持つことで、豊かになった。一方で大人たちにも社会の情報が入る機会が増えたし、子どもを預けた分手が空いて、豊かになった。

よく、木の花の子育てについて「どのような教育論をお持ちですか」と聞かれることがあるんだよ。多くの人々は、良い教育を子供たちに施したいんだよね。今は乳児教育からあって、それをビジネスの対象にしてる人たちもいる。
教育とは、教え育むということ。子どもたちと付き合いながらこのコミュニティの中で暮らしていて思うのは、知識的な教育が必要な期間というのはあるんですよ。だけどそれと同時に、生まれてすぐの、お母さんがおっぱいをあげている時から教育は始まっているんだよ。
お母さんがどういう気持ちでおっぱいをあげているか。イライラしてたり、この子をこんな子に育てようと思ってたり、逆に子どもに翻弄されていたり。夜中に起きなきゃいけない時に、それをストレスとして接してるお母さんもいれば、子どもと接することが喜びであるお母さんもいるわけだよ。そうやって知らない間に、周囲の環境が子どもに影響していく。これは妊娠中も同じで、どのように妊娠期間を過ごしていたかということが、確実にその子に影響を及ぼしていくんだよ。
そうすると、これは保育という現場だけを考えてちゃいけないということでもあるんだよね。今、行政などで一般的に言われている保育現場以前の環境も、そこに影響してきているんだよ。

e6aa9e338205f1f950caa6a3c9cec822今、保育所に子どもを預ける人の割合が増えているのは、家庭自体に余裕がなくなってきてるってこと。そこも考えていかないと。ただ保育所を増やせばいいという話じゃないと思うんだよね。
安倍さんは、お母さんたちは日本の経済を支えるのに大きな戦力だと考えてる。少子高齢化で働く人が少なくなったら、家庭にいるお母さんたちにはどんどん外に出て働いてもらいたい。そのためには、子どもを持った時に、子どもがいるから働けないなんてことではいけない、ということだけど、それは、豊かさというものをお金をベースにして捉えているから、そういう発想になるわけだよ。

もう一つ考えるべきことがある。それは少子化の問題。これもなぜ若い人たちが子どもを産みたがらないのか、その背景から探って、では社会がどのようなサポートをしていったらその人たちが子どもを産みたいと思えるようになるのか、そこを考えなきゃいけないんだよ。今起きている現象はそれまでの時代が紡いできたことの結果なんだけど、そこを見ないで保育所を増やすという対処療法をやっている。待機児童を解消してくださいというお母さんたちの切実な声があって、それが結構な票になるから、それを獲得したい政治家たちが表面的な対処をする。結局政治家は票が欲しいだけなんだよ。

それで、今日はここに高校生が2人います。高校3年生のしょうたは、つい最近進路についての相談をして、保育士になるための大学進学を決めた。2年生のすさは、ずっと以前から保育士志望だったね。

130811-162215すさ:
もともと子どもが好きだから。中学の時の職場体験が保育園だったんだけど、一人ひとり全然違って、そこで自分はどう対応したらいいかを考えた。親とかいろんな人とコミュニケーションを取るのも楽しいけど、子どもが好きっていうのが一番かな。

いさどん:
国の方針としても、保育の仕事はこれから確実に重要になってくるよ。人員として求められるのと同時に、新しい提案ができる保育士が必要になってくる。木の花ファミリーという環境で育った人がそういう現場に行くと、きっといい人材になるだろうね。同時に、そういう人材はここだけじゃなく、社会にもどんどん育ってきてる。そう考えると、今の問題は次の時代には解決されるだろうと思うんだよ。
考えなきゃいけないのは、今の保育の現状だよね。今現在保育士として働いているしゅうくんは、今の保育の現場に問題点を感じることはあるの?

しゅうくん:
育てる側が育ってないなというのは、自分も含めてなんですけど、すごくあると思います。親が「この子とは遊ばせたくない」とか「この行事はやらせないでほしい」とか何かと連絡ノートに書いてきたり、逆に全然見ていない人がいたり、子どもよりも親の教育の方が大変だということが、本当に現状としてあります。

いさどん:
おやおや(笑)。しゅうくんは、その現状をどう捉える?

しゅうくん:
問題解決をしたいと思ってます。きっといい方向に進んで行くんだろうとは思いつつ、どうしたらいいのか解決策が見つからない感じです。

いさどん:
それはその現状を問題と見てるってことだよね。僕なんかそれを聞くと、うわー面白そうと思うんだけど、やっぱり変だろうか(笑)。だって、そこには多様性があるじゃない。それはその親が子どものころに自由に育った証拠だよ。戦争中とか戦後の厳しい時にそんなこと言ってたら生きてけないよ。今は余裕があるから、そこまでの好き勝手が表現できるわけで、日本て豊かな国だなと思うんだけど、どうですか?

しょうた:
すごいな。俺はそんな視点からは見れなかったよ。

いさどん:
その人たちはわがままな親とも言えるけど、もしその親の自由な発想のもとに子供が育っていくとしたら、いろんな可能性があるよ。こちらが好意的に観ていくと、親たちもそのエネルギーを協力的に向けてくれるんじゃないの。
何でこういう発想をするかというと、うつ病とか引きこもりとかで、ここでケアを受けるために親に連れられて来る人がいるでしょ。そこには問題があるということだけど、問題ごとを引き起こすのはエネルギーなんだよ。過保護や過干渉みたいなことをして、それだけのエネルギーを使って子どもを育てた結果そうなった。ある意味愛情とも言えるわけだ。それだけのエネルギーがあるんだから、今度はそのエネルギーをちょっと角度を変えて使うと、有効なものに変えることができる。そのための視点を、ここでは提供しているわけです。
安倍さんは6年前に総理になって、鬱病になった。あれは考え過ぎちゃったんだよね。あの時にここでケアを受ければこういう新しい視点が持てたのに(笑)、自分でいろいろ考えて、鬱じゃダメだ、躁じゃなきゃいけない、そうだー!ということで、お金をばらまき始めた。

なかのん:
国の借金が1000兆円を超えましたね。

いさどん:
本当は借金なんかしないで、収入と支出のバランスを取ればいいのよ。ところが国は自分でお金を印刷してるからバカなことができる。政治家も、自分のお金だったらそんなことしないのに、人のお金でやってるから、収入に見合わない支出をやってきた。それは国民のせいでもあるんだよ。自分の損得ばかり考えて、利益代表を政治家にしてきたんだから。
1000兆円の借金なんて、返せるわけがない。そこで安倍さんは、どこかでデノミネーションか何かでリセットすることを考えてるんじゃないかと思うんだよ。安倍さんは待機児童を減らそうとしてるとか、アメリカと仲良くして軍事バランスをとって日本を守っていこうとしてるように見えるかもしれないけど、実はもう、国を今までの状態では維持しきれない、だからリセットの前段階を踏むことを、どこかで考えてるんじゃないかな。

で、今日は保育の話だったね(笑)。
今の保育問題は、保育の現場だけを見るのではなく、社会構造として捉えないといけない。政治、教育、家庭。一人一人の生き方がどういった世界を創っていくのかということを、真剣に考えないといけない。すさやしょうたには、そういうことを考えた上で、子どもたちが本当に生きる力を育む現場を提供する、そのための知恵が湧き出てくる人になることに期待するね。

まり姉:
ここで子育てをやってて他と違うなと思うのは、現場で瞬間瞬間、子どもとキャッチボールしながら対話していくということ。それで自分が鍛えられるの。でも学校は、対外的に無難なところをやろうとする。こういう時はこういうふうにしたら大きな問題にならない、という考えがベースになってるのよね。でもここではその時その時の子どもとの会話を通して、間違っていたらそれはそれで大人としての責任として振り返って、常にその子とキャッチボールをしながらやっていく。そこでは、自分自身も問われていくよね。

いさどん:
すさもしょうたも、そういうところで育ったんだよ。大人が日々の生活の中でこんなに真剣に子どもと語り合う場は、ほとんどないよ。

なかのん:
何を大切にしているかってことだよね。人が育つことを大切にしているのか、それとも表面的に問題が起きないことを大切にしているのか。

いさどん:
子どもは本来社会のもの。それを、まだ保護が必要な間だけ、親が預かっているのが本当の姿なんだよ。子は親の鏡として、親の姿を映しだしてくれる。親は子から学び、子が自立するまでの間に十分に学ぶことができたら、ありがとうございましたと言って子を社会に返す。これが本来の親子関係だよ。自然界もそうなってる。社会に出たら、もう親子ではなくて対等なものなんです。
保育の現場も、教育的目的が先にあってそこへ持っていくための教育をするのではなく、その人にふさわしい生き方を提供できる場であるといいね。それができない現状があるとしたら、今までそういう価値観がなかったからこそこの現象が起きているということになる。すさはどうしたらいいと思う?

すさ:
やっぱり日本の政治家に問題があると思う。保育園も、そこだけではなく家庭の問題ともつながっているし、もっとその場をどういうところにしたいかという自覚を一人ひとりが持つってことだと思う。

いさどん:
政治家に問題があるというのはね、少なくとも日本は民主主義の国なんだから、誰がその人を政治家にしてるかってことなんだよ。国民一人一人の選択が今の現状を創ってる。それなのに、国民は深いところがわかってない。自分の損得ばかり考えてるから、利益代表を選ぶんだよ。さあ、どうしたらいい?

すさ:
一人ひとりが変わる。

130811-170137しょうた:
保育の現場でも、いろいろ問題があるじゃんね。子の問題、親の問題とかあるんだけど、その問題を全部なくしちゃったと考えたら、それは逆につまんない。それじゃ逆に仕事してる感じがしない。

いさどん:
しょうたもずい分変態になったね(笑)。

しょうた:
いいの変態で!みんないい子だったら気持ち悪いじゃん。ロボットみたいになっちゃう。問題が起きたらそこからやり取りすることで、自分も育っていくわけじゃんね。そういう関係を楽しむ。そういうのがいいんじゃないかな。

いさどん:
そうだね。問題ごとだって、いろいろあるのは個性の表現なんだから、そこを上手に視点を変えて、つないで多様性のある現場を創るという発想があれば、問題もけっこう楽しいチャンスになるんだよね。それをチャンスと捉えられるような視点を持つということが、心磨きなんだよ。
結局この世界は一人ひとりの人間にかかってるんだよ。他の生き物はそんなに他者に害を与えるほどの影響力を持っていない。人間に、全体を統合的にとらえられる視点がありさえすれば、世界は調和的になる。結局は魂磨きだよ。

ともこ:
じゃあ、今の保育問題もチャンスだということですね。

いさどん:
そうだね。結局いつも同じところに行くんだよ(笑)。すべてはこの宇宙の真理のもとに生かされてる。調和を乱すのではなく、調和を創っていくために我々はいる。
しゅうくんも、今保育の現場で色々と問題を感じているけど、それは嫌な場所にいて大変な思いをしているのではなくて、自分を磨く場所を頂いているわけだよね。そこを恐れずに向き合うことで、自分磨きになるんだよ。

しゅうくん:
いやだなと思うことも自分を育てるためにあるんだ、と思うと、他のところに行きたいなと思うこともあるんだけど、やっぱり今いる場所が一番いいのかなって思います。子どもたちの親がいろいろ言ってくるのも、自分たちに与えられてるのかな。
僕は今、ここで学んでるからそういう視点を持つことができるけれど、他の先生はわからないじゃないですか。そしたらとにかく自分は自分でやっていって、周りが変わっていくのを待っていくってことですか?

いさどん:
それはちょっと消極的だよね。さっきしょうたが自分はそういう視点を持てないと言っていたけど、こうやって話していくと、こういう変態な捉え方って結構有効だなと思うようになるでしょ。だから、押し付けるんじゃなくて、対話の中で時々そういった視点を出してあげるんだよ。そうするとちょっと楽になるね、とか、そんなに窮屈に考えなくていいじゃない、とか、そういうふうに別の視点を織り交ぜていって、知らない間にマインドコントロールしていく(笑)。
それができるには人間が大きくないといけない。やらねば、とかじゃなくて、気楽に出していく。そうすると、しゅうくんが来ると何となく和むね、というようになっていくんだよ。

この世界は、物理的にものは高いところから低いところへ落ちていく。ところが、気は低いところから高いところへ流れるようになっている。だから元気がいいと人が集まってくる。大変だ大変だと言ってたら、同情はされたとしても、あんな人と一緒にいたらこっちが疲れちゃうと言って敬遠されて、孤独になっていくんだよ。
だからもし悲観的になっていたら、これじゃあいけないと切り替えて、善意に捉えるにはどうしたらいいか、という訓練をここではするんだよ。しゅうくんのようにケアを卒業した人とも、こういったやり取りをしていけることは豊かなことだよね。そのやり取りを見て、また次のケアの人が育っていくんだよ。

で、保育問題についてだけど、結論は出せないね。
もし結論を出すとしたら、やっぱり、一人一人が自分というものに気付いて、魂磨きしかない、ということだね。

ともこ:
本当にそう思う。でも、そうはいっても現実問題として、子どもを預けないと生活ができないお母さんたちがいるよね。今の政策に納得はできないけれども、それでもやっぱり保育園は増えてもらわないと困る、だからそれが票集めのためであっても、やっぱり保育園増設をうたう政治家に票を入れてしまう。そういう人たちがこのブログを読んだ時に、何か視点を切り替えられるヒントになることを盛り込めたらいいなと思うんだけど・・・

いさどん:
そんな人、このブログは読まんでしょ。

みんな:
そっか~~!(笑)

いさどん:
そういう人は、まず木の花のホームページは開かんでしょ(笑)。それは3年くらい先の話じゃないかと思うよ。
これはあくまでも、宇宙視点を求めている人が読むもの。現状の世界に問題を感じて行き詰ってるけど何か突破口を開きたいと思っている、そういう人たちがまずは活かしていく。自分の子どもを保育園に行かせたいばっかりの母親では、何を言ってるんだかわからないのじゃないの。
やっぱり、わかる人からわかっていく、ということだよ。それがやがて広がっていって、いつかはみんながわかるようになる。そのためにも、気付いた人から、日々心を磨いていくということだね。

 


絶対に譲らないたったひとつの道

いさどん:
今朝、「そういえば最近、天と対話していない」と思って、久しぶりに心を天に向けた。この関係の絆が深いことは間違いない。私たちは目先のことに左右されず、もっと大きなスタンスで歩むことが大切である。大事なことは、それが必要とされるときのためにあるのだから。だからこそ、私たちはこの生活をやり続けている。人々の理解が進もうが進まなかろうが、自らの心に曇りがなければ、真実はその先にある。それで行く以外に道はない。それは天との約束なのだから。

今まで、この歩みを曲げたことはない。それはなぜかというと、この歩みを所有したことはないからである。これは託されて、使命としてやってきたことだから。現世的な企みや個人の都合でやっているわけではないのである。

そして、いつもその姿勢について想うのは、何も望まず、生きるために必要な最低限のことが継続されれば、目的は達成できるということ。それは、木の花ファミリーの合言葉でもある「愛とお米があればいい」の精神である。そこに常に立ち返って、私たちの存在の意味を忘れなければ、現実にはとても豊かなものを表現し、そしてとても豊かなものを与えられていることがわかる。だから、ゆるぎなく進めばいい。真実は、どんなことがあっても絶対曲げてはいけない。確信があれば、それは継続できる。

昨日のミーティングの最後に僕が話したことの中にもそれがある。
それは、「絶対に譲らないたったひとつの道」。

 

※以下は、前日のミーティングの最後にいさどんが語った内容です。

 

――

私たちは生命です。生命とは無数の命を紡いでいるのですが、よくここで語られる生命の姿は連鎖してつながり、すべてが成り立つことです。すべてというのは宇宙全体のことです。そして、その雛形が地球の姿ですね。それは地球生態系に現されているのですし、私たちひとりひとりの身体もその生命の雛形としてあるのです。

そして、もう一つの雛形が私たちの人生です。これは何の雛形かというと、生命を紡いでいるひとつとして役割を担いながら、私たち人間ひとりひとりが自らの個をオリジナルに表現するように出来ているわけです。その時に、個のオリジナルが個性として単独になってしまうことがあるのです。ですから、この地球の生態系や私たちの体の構造は、個というカルマが暴走することをコントロールしてくれる為に雛形としてあるのです。

つまり、私たちがこの宇宙の雛形としての肉体をいただいて生きるということは、私たち自身の体が宇宙の雛形だということです。それと同時に、この世界の姿が私たちの体や精神の雛形になっている、すなわち逆雛形になっているということです。お互いに生命としてこの世界を表現しながら、その生命が暴走しないようにこの世界が雛形として私たちに指針をくれているということです。そのことをよく理解して生きることが、この命(みこと)を束ねて宇宙をひとつにしている魂(神様)に役割をもらって、本来の役割を果たすことだと思うのです。

それが、生命としての人間が、他の生命にはない尊い生命の調和を束ねる役割を地球上でいただいた本当の姿なのです。それを実行できると、地球上に無限なる宇宙の調和の姿がもたらされ、それを地上天国というのです。それを人間たちはそろそろ知ることによって、自らの尊厳を高めることができます。このことの尊さを知ったものは、本当の意味で高いプライドを持つことができるのです。それは絶対に譲らないたったひとつの道だからです。そのたったひとつの道に出会えること。それは本当の誇りであり喜びなのです。

今年も上半期が終わって、すぐにお正月が来ます。そろそろ仕上げにかからなければいけない時が来ていると思ったら、やはりそのような気持ちを常に持って日々を送りたいと思うのです。もし、みなさんひとりひとりが本当に自分を価値あるものとしたいならば、それをベースにして毎日の生活を生きることです。人生は自らを見事に表現してくれ、駆け引きも一切通用しない正直なこの場を提供してくれます。修行するには本当に最高の場だと思います。

私たちの生活スタイルが本当に大切なところは、手法を使わないことです。瞑想したければ、畑へ行って草取りをしながら無心になればいいのです。ヨガをしたければ、自らの想いに集中して神と対話すればいいのです。いつでも私たちは、この生活の中で悟りの道を歩むことが出来るのです。人間が考えられる悟りを開くための手法は、日々の生活に全て散りばめられていて、神さまが表現してくれているのです。
手法に出会うことは便利の良いことです。それは入口としてはいいですが、捉われてしまうのは問題です。最終的には自らの命の表現の場である日々の生活に現象としてその人柄を表していく。その人生と命をいただいて生きるということです。そして、そのことは私たちが生きていく上でもっとも大事な修行なのだと気づくことです。

このようなことは宗教などのレベルの世界ではないのです。そのような利益的な世界は完全に超えてしまった人として、真実に目覚めた者たちが宇宙から託されていることに応えていく時代です。そのような時代が来ているということであり、その雛形を私たちはこの場所に創らなければいけないのです。

今は小さいかもしれませんが、とても大きな役割です。是非、そのくらいの心になって毎日を過ごしてもらいたいものです。

 


富士山世界遺産登録から、人類の未来が観えてくる

6月26日、ユネスコは正式に、富士山を世界文化遺産として登録しました。
日本中がお祝いムードとなったこの出来事を、宇宙視点から見てみました!

世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより
世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより

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ともこ:
今回富士山が世界遺産に登録されて、巷ではずいぶん話題になってます。今までも日本の世界遺産登録はいくつかあったけど、今回は今までにない盛り上がりみたいですね。

いさお:
やっぱり富士山は日本人にとって特別なんだよ。「我らが富士山」という感覚が日本人にはあるよね。

いさどん:
世界遺産に登録されるということは、それにふさわしい価値があるということだよね。
富士山は過去に一度、自然遺産で登録しようとしたけれど却下された。確かに富士山は見た者に感動を与えるし、特にスピリチュアルなことを感じる人には大きな存在としてあるんだけれど、では、自然遺産としてふさわしいように日本人があの山を守ってきただろうかというと、心の奥に秘められている富士山への愛着の割には、大事にしてこなかったんじゃないかなと思うんだよね。その結果が、自然遺産登録脚下になったんだろうと僕は考えるんだよ。
それで、世界遺産登録を諦めきれない人たちは、他の切り口を考えた。そして文化遺産でいこう、ということになり、相当な年数をかけて登録運動を展開した。僕らがここへ移住して来た時にはすでに世界遺産登録運動はあったから、少なくとも20年にはなるだろうね。そこまで続けて来られたのは、政界や財界も絡んでいたからだと思うよ。

今回、文化遺産として登録されたことについて、僕は矛盾を感じるところがあってね。それは、マスコミや地域、関係者のはしゃぎようが、どうも経済的効果への期待に集中してるところなんだよ。世界文化遺産として登録されたことで、本来は自然遺産と同じように保護されるべき対象の富士山に、現状はどんどん人が集まって、その経済効果を歓迎している部分ばかりが見えてくる。

明治時代の富士講の人々
明治時代の富士講の人々

そもそも、今回富士山が文化遺産として登録されたのは、富士講に代表される信仰の精神がもとになっているわけでしょう。だけど登録を推進してきた人たちの生活や人間性にそれが根付いているかというと、これはほとんど0の状態だね。富士山を紹介する映像を見ても、富士講だとかそういったものはネタとして使われている感じだし、お山開きなどの行事も行事として残っているだけで、精神性が伴っているかと言ったらほとんどない状態。イコモス(世界遺産登録の審査を行うユネスコの諮問機関)はそこら辺を把握して登録したのかというと、どうもロビー活動が功を奏したんじゃないかと捉えられるところもあるんだよね。
僕は、今回の世界遺産登録を歓迎はしていないです。しかし、こういった時代の中で、富士山が日本人の心の中に根付いているということをもう一度呼び覚ます機会にもなるということでは否定もしない。今のところ、様子を見ていかないとわからないというところです。

19年前、木の花ファミリーがここ富士宮の地で始まったのは、富士山があったからなんだよ。温泉と富士山、どっちを選ぶかという時に、両方あるといいね!と言ってたけど(笑)、そんな贅沢はダメ、どっちか片方にしなさい、ということで、やっぱり富士山を選んだ。

いさお:
そうだったんだ。

いさどん:
木の花ファミリーの名前は、富士山の主神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)から頂いているでしょう。そのくらい我々は富士山を大事に思い、ずっと心の拠り所として歩んできたんだよ。
昔から「霊峰富士」と言ってね、それがために周囲に怪しげな宗教が存在することにもなったわけだけど、多くのまっとうな宗教もこの精神性の要となる山を求めて集まってきた。世界文化遺産登録のもととなった富士講が山へ登る時には、六根清浄を唱えるでしょう。「六根」とは人間の五感と意識、「清淨」とはそれが清らかで美しいということ。それは、人間がこの世界に生まれてきて最も求めることであり、また、求めなければいけないことなんだよ。そしてその六根清浄の象徴が富士山なんだよ。

富士山に見守られながらの田植え
富士山に見守られながらの田植え

我々は富士山からご利益を得ようということではなく、この富士山を命の象徴として、その恵みである水と共に生き、健全な食をいただいて、自然生態系のネットワークを健全に表現するということをここでやっている。もともと、すべての生命の元は太陽であり、その太陽の恵みである火と水が合わさって、火水(かみ)、すなわち神となり、命(みこと)として健全に生きていくことが全ての人の目的にあるんだよ。つまり、我々は日々の暮らしの中で健全な生態系を表現することで、社会の健康の見本を示していくということをここでやっているわけだよ。
ということはまさしくね、我々はルーツは違うけれど、富士講の精神そのものを受け継いでここで生活をしているということになる。昔、富士講の人たちは、一般の生活をしながら時々富士山に登ってそれをやっていた。ところが木の花の人たちは、この地に根付いて、六根清浄の精神を日々の生活の中で表現している。そして人々が調和して生きていくという、未来の社会モデルを提示することを意識してここに暮らしている、という意味では、今回富士山が世界遺産になったことで、浅間神社や忍野八海、三保の松原などが構成資産として登録されたけど、その中にやっぱり「木の花ファミリーの生活」を入れるべきなんじゃないかと思うんだよ。

みんな:
おお~(笑)。

いさどん:
ところが、登録運動をしていた人たちも、イコモスも、文化遺産として肝心な、人々の精神性の部分が今日現在どこに存在しているのかということについては、残念ながら調査の対象から外しているんだよ。だからこの貴重な存在の木の花を見過ごしている。
ということは、(声をひそめて)これはね、僕がそれを不満として言っているように聞こえるかもしれないけど、実はこれは神の計らいでね、今これがわかっちゃいけないのです。今はまだ、形を優先して、形にとらわれてる時代だから、段階としてまず富士山が注目される。

ともこ:
なるほど(笑)。

いさどん:
しかし今回注目されたことで、どうやらこの夏の富士山の頂上付近は渋谷の交差点並みの混雑になりそうだね。これはイコモスも懸念してる。ところが登山者を制限するとなったら、関係者は自分たちのお金の話ばかりで喧々諤々の状態。見苦しいったらありゃしないよね。

いさお:
土産物屋のおじさん怒ってたもんね。「入山料なんて安易に決めてもらっちゃ困る!」って。

いさどん:
そう。怒る人と喜ぶ人といろいろで、これは利害そのものなんだよ。そんなところに話題が終始すること自体、富士山が文化遺産となった意味をみんなが理解してないということなんだよ。

ということで、ここまでは、地上の人間たちの生活と、生態系の象徴としての富士山を見て我々が精神性を保ちながら社会にどのように役割を果たしていくのか、という話。

これを宇宙視点でみるとどうなるか。
端折って話しますよ、ここからは。おっきな話になっちゃうからね。

自然とは、つまり自然生態系とは、絶対調和だよね。様々なものがそれぞれ独立した存在として、高いプライドを持っているということかな。ミミズもバクテリアも、カビだって、自らの存在を見事に主張しながらすべての生命が連鎖して、地球生態系を創ってるわけだよね。
さらに、宇宙の星と星の関係や銀河と銀河の関係に思いをはせると、その姿が地球生態系に表現されているのがわかる。その地球生態系は無限なる連鎖として、ひとつの地球という命を紡いでいる。そしてそれを担っている我々一人一人の中にも、小宇宙としての無限なる生命の連鎖があるんだよ。
というふうに考えると、我々はこの自然の象徴である富士山を通して何を観るかと言ったら、宇宙を観ることができるんだよ。宇宙というと地球から離れた遠い世界のような気がするけど、実は我々が観ているこの世界が宇宙であり、自分の魂の器になっているこの肉体も宇宙なんだよ。我々の体も、自然生態系も、宇宙も、すべてが相似形として創られていると考えると・・・・富士山が世界文化遺産として登録されるということは、その本当の意味は、宇宙の法を人間たちがもう一度取り戻し、我々人間の存在する意味を知るチャンスだということ。本当はそうあるべきなんだよ。

国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん
国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん

その意味を知っている人が世界に何人いるか知らないけれども、少なくともここでは語り、そしてそれを日々の生活の中で実践してるわけだ。これは手前味噌の話じゃなくて、まさしく木の花ファミリーがあってこそ、世界に向けて富士山が文化遺産として登録されるのはふさわしいと思うんだよ。今みちよちゃん(ファミリーメンバー/グローバル・エコビレッジ・ネットワーク理事)がヨーロッパに出張して、世界各国の人に向けたプレゼンを富士山麓のエコビレッジからのメッセージとして発信しているのは、とても意味のあることだよ。だけど世界遺産登録に尽力した多くの人たちは、その肝心なところにまだ気付いていない。

ともこ:
尽力した人たちもそうだろうし、社会全体も、信仰が認められて文化遺産になったはずが実はその信仰の実態がないまま登録だけがなされたということを認識していないね。

いさどん:
信仰の部分は言葉としては語られているから、それが意味深いものであるということは意識してるよね。だけどそれが人々の生活に本当に定着しているのかといったら、ほとんど0でしょう。

いさお:
他の国の文化遺産はどうなんだろうね。今ふと思ったけど、「遺産」という言葉を使ってるでしょ。

いさどん:
結局イコモスの姿勢もそこがあいまいなんだろうと思うんだよ。僕はこの地域の取り組みを見ていて、富士山を自然遺産で登録するのは無理だろうと思ってたんだよね。じゃあ文化遺産ならどうかいったら、確かに過去にはその文化はあったけど、まさしく遺跡でね、そういったものは本来は根付いていくべきものなのに、現状は化石のようになっている。
だけどその化石に対して、木の花ファミリーの存在が、クローン技術で恐竜を蘇らせるように、六根清浄からなる富士山信仰を現代に蘇らせることができると考えるわけだ。

いさお:
遺伝子を拾ってきて、みたいな(笑)。

いさどん:
そうそう。それは霊的なものとして、もともと人間の魂にDNAとしてインプットされてるものなんだよ。

ともこ:
ここでそれを保っていったら、みんなの中にも実はそれは眠っているから、いつかそれを呼び覚ますきっかけになり得るってこと?

いさどん:
だからね、「世界文化遺産登録」という切り口だけで語ると、それが見えてこないわけだよ。そこで富士山を、霊峰、信仰、六根清浄というふうに分解してね、さらに、それをつなげ直していくと、人間と富士山の付き合いということだけに限定された話じゃなくなるわけだよ。それは人間と自然とか、人間と命、人間と神であり、神というのは八百万だから最終的には宇宙全体と人間との関わりということになって、人間とこの世界全体の話になるわけだ。
人類は今後も進化し続けて、いつか人間は、自分たちが何者かということを、自分たちを離れた位置から観るようになる。今は物理的に地球から離れて地球を見ることができるようになったでしょ。観測上の概念だけだったものが、実際に宇宙空間に飛んでいって見れるようになったわけだよね。そこまで人類が行くとね、思考の中に眠っている宇宙観がよみがえってくるんだよ。

いつか必ず、人類の進化の延長に、この富士山文化遺産登録の意味がよみがえってくるよ。今、世界遺産登録という切り口だけで語ると、富士山の話に限定して未来を語ることになってしまう。そうするとなんとなく、そういった信仰の対象は富士山だけ?というように、宗教的なせまい意味になる。宗教が自分のところが最高と言って他に対して排他的なのは、自らの切り口からだけで見るからそのようなことになるわけでしょ。それと同じことが起きてしまうんだよね。ところが本当は、どの切り口からであっても同じところに行き着き、すべてを網羅しているものなんだよ。
富士山を登る時に、登山口はいっぱいあるでしょ。どの登山口から登っても、登っていくときには絶対迷わないよ。だって頂上は一つしかないから。でも降りる時には迷うんだよ。下り口がいっぱいあって、それこそ道から外れてあの樹海の中に入ったら出て来られないかもしれないわけだよ。
人生という登山も同じだよね。高みを目指すときには絶対に迷わない。最終的には道はものすごく狭くなって、宇宙の根源の唯一お一人である神様に行き着くだけなんだよ。そこだけ観ていたら絶対行き着くんだよ。ところが下へ下りようものなら、もう迷う道はいっぱいある。いろいろ我が出てきて、問題ごとに出会って、迷うことになるんだよ。

そういう視点でとらえたら、今回の世界文化遺産登録は、いつか必ず人類が到達する道を示していると言えるわけだ。人類は必ずそこへ歩みを進める。ただ、今はほとんどの人がその意味を分かってない。我々はそれを理解したものとして、だからこそ大事な歩みをしていることを自覚するべきなんだよ。それによって、この生き方が大切だということに確信を持って、より力強く歩むことができるでしょ。一人一人はバカやったり迷ったりしたこともあったかもしれないけど、ああ歩んできてよかったな、と思えるでしょう。

ちいこ:
質問です。さっき、頂上を目指すのは簡単で、下りる時には迷うって言ったでしょ。ということは、精神的に高みを目指す方が簡単で、落ちる方が実は難しいってことなのかな?

いさどん:
たとえばね、正直をやることと嘘をついていくのと、どっちが難しいと思う?

ちいこ:
んー・・・・今は正直の方が難しいと思う。

いさどん:
そーお?正直であるということはね、真実を言っていけばいいだけなんだよ。かっこ悪かろうが都合が悪かろうが、真実は1つしかないんだからすごく簡単なんだよ。
だけど嘘をつくと、ついた嘘がバレそうになったらまた嘘つかなきゃいけない、すると今度はあっちでもこっちでも嘘つかなきゃいけない、というように広がっていって、だんだん嘘のかたまりになって、どれが嘘か正直かがわからなくなってしまうんだよ。それに対して正直は、一つしかない、一本道。だから高みを目指すことのほうが簡単なんだよ。なのに人間は、ついつい嘘をついてしまうんだよね。

ともこ:
なんでだろうね。私も正直の方が難しいって思ってるよ。

ちいこ:
思っちゃうよねえ、みんな。

いさどん:
正直の方が簡単に決まってるんだよ。いつも言ってるじゃない。

ともこ:
その簡単な正直を阻むものはいったい何??

いさどん:
それが心の汚れってものだよ。執着とかね。つまり、堕ちていく世界だよ。
本当は美しくなっていくことなのに、それを苦しく感じる人間の精神とはなんだろうね。

みんな:
わかんないね~。

いさどん:
人間てそういうところがあるよね。バカやってストレス解消したりして。ビーガンやりながらたまにはカップ麺食べたりとか(笑)。
最近思うんだけど、人にはいろんな心の道があるでしょ。どの切り口から進むかを選べるわけだけど、そんなものは実は手段にしか過ぎないんだよ。じゃあ目的はどこにあるべきかといったら、まずは我々の体の構造を見ること。我々の命の構造が大きくなって地球生態系の構造となり、更に大きく太陽系の構造となり、それが銀河の構造となり、大宇宙の構造となって、それらすべてが我々の器なわけだ。その中の一部として、我々にはどのような役割が与えられているのか。それ以外の最終到達点があるだろうか、ってことになるんだよ。
人間たちはまだまだ、幸せだの悟りだの、特定の手段や信仰の形で求めようとしてるけど、そういう手段の先にある、共通の真実を知ること。それは、自分の中に真実を開いていくということなんだよ。そして真理の光がさしていく。それにはご利益的な信仰を超えなきゃいけないんだよ。

なかのん:
おもしろいと思ったのは、信仰の対象は自然なのに、今回富士山は自然遺産ではなく文化遺産で登録されてるんだよね。

いさどん:
そうだね。自然は本来文化を生み出すもとなのだから、自然=文化なんだよ。

なかのん:
他の事例だと、文化というと建物とかそういうものが取り上げられるけど、自然物が文化遺産として登録されたことによって、自然遺産で登録されるよりもより本来の姿が表されるようになったのかな、と思う。

いさどん:
表されると言っても、今の人たちは世界遺産登録の本当の意味がわからなくなってるよね。だって文化遺産登録されたのに、誰も六根清浄について考える人がいないわけだよ。ただ富士山に登って、きれいだとか感動したとか言って土産物を買っていくくらいのことでね。
誰か、「信仰」の意味を辞書で調べてくれない?

ようこ:
ウィキペディアには「神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること」と書いてあるよ。

いさどん:
でしょ?それは人間に特定されたものであって、本当はそれを超えなきゃいけないんだよ。人間の目から見た信仰では世界が狭い。宇宙はすべてを包括して、人間も含めて、「あってあるもの、なきてなきもの」という境地へ行くべきなんだ。それが悟りというものだから。
悟りとは、つまり「信仰」を離れることだね。神や仏などの対象と合一することなんだよ。

ちいこ:
さっきいさどんは、人間たちはいつか自分たちを離れた位置から自分たちを観れるようになる、って言ってたよね。そのためにも、この富士山世界文化遺産登録には意味があるのかな?

いさどん:
それはあるね。だってこれも、歴史を刻んでいく中での1ページだからね。ただ、人間て後から理解することが多いよね。その出来事が起きた時にはそれがどういった意味を持っているのかはわからないんだけど、わからないまま進んでいくと、次々と新しい展開につながって、いつか理解できるようになる。だから、今はわからなくてもいいんだよ。

いつか必ず、この富士山世界文化遺産登録の意味を、人々が知る日が来るだろうから。

 

 


「心磨きって何ですか?」

先日、渋谷にて木の花ファミリーのドキュメンタリー映画『確固たる居場所』が上映されました。上映後、監督の澤則雄さんといさどんによる対談があり、澤さんから「いさどん、心磨きって何ですか?」という質問を投げかけられたいさどんは、次のように答えました。

質問に答えるいさどん。会場も集中しています。
澤さん(左)の質問に答えるいさどん。会場も集中しています。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
心を磨かなくても別にいいのですが(笑)、生きているということは、自分の想いが行動になって、それが対象のものや出来事に反映して返ってくるものです。
ですから、神社にはご神体の鏡がありますよね。そこで何をするのかというと、鏡の前では自分の姿が映るじゃないですか。それは自らを拝むことになります。それが「生きる」ということであり、「命」と書いて「みこと」と読み、「神」のことだと僕は理解しています。つまり、自分を拝み観ることです。

我々は生きていると常に自分らしく考えますよね。思考を巡らせて、それにふさわしく行動します。そして、それにふさわしく事が返ってきます。そのときに、自分が思いもしないことや嫌なことが返ってきたら、どうしますか?多くの人は相手のせいや世の中のせいにしますが、僕は今までずっと沢山の人の相談にのってきた結果、あることに気が付いたのです。
「これは因果応報であり、条件反射だ。自分が投げたボールが同じように返ってきているだけだ」と気付いたのです。

ですから、投げ方を変えればやさしく返ってきます。そのときに、「人生というのは自分にふさわしく事が起きるように創られている。それが心磨きだ」と気付いたのです。
つまり、「人生オール心磨き」ということです。

それは僕たちが心磨きをしているというよりも、心磨きをするために生きているということなのです。自分の中にある色々な問題ごとの種が、それにふさわしい現象となって自分の前に現われてくるならば、その現象を「これは自分自身が引き起こしたものなんだ」と潔く受け取ったときに、そこを卒業できるのです。そうすると、その現象はもう終わるというのがこの世界のカラクリなのです。


心磨きは国境を超えて

インターネットでたまたま木の花ファミリーを知ったアメリカ在住・パキスタン人のカミラさんは、「健全な食やオーガニックのことを学びたい」ということで、1週間ファミリーに滞在されました。そして、滞在5日目、当時長期滞在していたフランス人のプリンから勧められ、ようこ通訳のもと、鬱病の息子のことについていさどんとの面談の場がもたれました。

滞在中、メンバーたちに太極拳の指導をするカミラ
滞在中、メンバーたちに太極拳の指導をするカミラ(右から2人目)

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
では、面談を始めましょうか。今、あなたはご主人と一緒にどこで暮らしていらっしゃるのですか?

カミラ:
私は24歳で結婚し、その後パキスタンからアメリカに移住してからずっとアメリカで暮らしています。

いさどん:
あなたの息子さんは鬱病ということですね。今、息子さんはどのような職業を持っているのですか?

カミラ:
現在息子は自営業をしていますが、今まで3回仕事を変え、2年間仕事をしていなかった時期もありました。

いさどん:
自営業とは、どのような職業ですか?

カミラ:
息子は建築家で、息子の奥さんも同じく建築家です。

いさどん:
その仕事に何か問題はあるのですか?

カミラ:
はい。息子はたいへん熱心に働くのですが、問題は息子が感情的なところです。息子は自立することが出来ず、自分の本当の気持ちを表現することが出来ません。さらに、息子は奥さんによって支配されています。

いさどん:
それは、あなたが奥さんと対立しているということではないですか?

カミラ:
・・・そうかもしれません。私は、奥さんが息子の問題解決の助けになっていないし、適切なアドバイスもしていない、と感じています。

いさどん:
息子さんたちは結婚して何年になるのですか?

カミラ:
7年です。

いさどん:
奥さんのほうが年上ということですが、どちらにとっても初めての結婚なのですか?

カミラ:
そうです。

いさどん:
夫婦間で女性が主導権を握るのは、全く不思議なことではありません。

カミラ:
はい。

いさどん:
息子さんが結婚することによって、あなたが自分の息子を奥さんに奪われてしまったような感情を持っているのではないですか?

カミラ:
・・・そのようには思いませんでした。息子が結婚したときに、奥さんの母親と私との間で主に対立がありました。そして、彼女の母親が彼女に影響を与え、彼女が息子に影響を与えていました。

いさどん:
それは具体的にどのようなことなのですか?

カミラ:
彼女の母親が私に言ったのは、「私の娘はあなたの息子で交通事故によりダメージを受けた問題のある人と結婚すると感じている」ということです。さらに母親は、私たち家族は彼女の家族に対して結婚生活を始めるための費用を支払い、息子と奥さんが住むための家を買う必要があると言うのです。彼女たちは私たちにお願いするというよりも、要求するような形で言ってきました。

いさどん:
家はお母さんたちが買うのではなく、息子さんたちが買えばいい話なのではないですか?

カミラ:
その通りです。

いさどん:
それを向こうのお母さんが買うように言ってきていることに対して、それは筋が違うので、実行する必要はないのではないですか?

カミラ:
その通りです。ただ、問題は奥さんの母親が要求し、そのことで大騒ぎをして、それで息子がヒステリックになってしまったことです。というのも、息子は元々精神的に不安定だったからです。私や夫に反発しながら、息子はこう言いました。「あなたたちは私のことを愛していないし、気にもとめていない。そうでなければ、私に家を買ってくれてもいいはずだ。」そして、息子たちが結婚する以前から結婚後もたいへん不愉快な時間を過ごすことになりました。
息子は私たちに対してとても怒っていましたので、私たちは家を購入することさえ考えました。しかし、当時不動産の相場は非常に高値であったため、今家を購入しても後でお金を失うことになり、今が購入する時期ではないと判断しました。

いさどん:
あなたたちは、向こうのお母さんの要求から、息子さんがあなたたちに家を買うように言ってきたことが不当だということがわかっていながら、家を買おうとしたのですか?

カミラ:
そうです。なぜなら、私たちは息子の状態を申し訳なく思っていたからです。

いさどん:
具体的にどういうことですか?

カミラ:
息子は非常に怒っていたので、私たちは何とか息子をなだめようとしていました。しかし、それは私たちの側からすると、大きな間違いだったと思っています。

いさどん:
それが正当な要求ではないと思っているにも関わらず、息子さんにそのようにしてあげようとすることは、そういった息子さんの姿勢を助長することになるのではないですか?

カミラ:
そう思います。それでは、私たちははっきりNOと言うべきだったということですか?

いさどん:
第三者としては、当然そのように考えます。

カミラ:
同感です。

いさどん:
不当であるにも関わらず、それを提供するということは、そのような要求をさらに助長させることにもなりますね。

カミラ:
それがまさに起こったのです。私たちが何を向こうに与えようとも、向こうからするとそれは十分ではなく、さらに要求がエスカレートしていったのです。ここで、私がいさどんにお聞きしたいのは、どのようにしたら私はNOと言えるほど強くなれるのか、そして恐れることなく正直に自分の想いを伝えられるのか、ということです。

いさどん:
息子さんは自分の主張を強く持っているようですが、彼は今自営業をしているとおっしゃいましたよね?

カミラ:
はい。

いさどん:
息子さんがどんな職業をしているかに関わらず、彼は深い考えを持っている人ではないのです。それで、直感で浅く考えて行動し、それがうまくいかないようになっているのです。それと、そういった色々な間違いを犯しても、なかなかそれを学び改善することができません。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
そして、実際よりも精神年齢が幼いということも言えます。

カミラ:
まさにそうです!

いさどん:
それに対して、あなたがいつまでも自分の子供だからと言って、小学生か中学生ぐらいの子供のように扱ってしまうのが問題なのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
あなたは息子さんをあなたの足しになるような人に育てるというよりも、お嫁さんに彼を渡したと想ったほうが賢明です。自分の息子だと思っていると、それを不愉快に感じるものです。
人には、生まれた家に対して大きく責任を持って生きていく人もいれば、生まれた家から離れて新しい人たちと生きていくタイプの人もいるのです。あなたから観ると、彼が奥さんに色々な決定権を任せているのがあまり愉快ではないようですが、彼にとってはそのスタイルのほうがどちらかというと生きやすいはずなのです。だから、彼は一人前になったので、あなたから巣立ちさせるという考えを持ったほうがいいです。そう考えた時点で、あなたたちが彼らの生活を支援する必要はなくなるわけです。

カミラ:
同感です。

いさどん:
そこで、あなたがしっかりとした意志を持たなければいけないのです。あなたは心の中にいつも迷いがあるのです。好奇心で何かを学ぼうとする意欲はとても強いのですが、そういった学びを自分の人生に生かせないのがあなたの人生です。それに、何か行動しようと思ったときに、思うことはあっても、それを的確に行動にすることが出来ません。
大切なことは、あなたの中で「これは間違っていて、こちらのほうが正しい」と思ったときに、それを確実に行なうことです。しかし、あなたは想いを持つだけで、それを実行することが出来ない心の状態をしているのです。

カミラ:
そうです。

いさどん:
ですから、今のようなトラブルがあったときに、それを学習し、教訓として自らの姿勢を切り替えていくということがなかなか出来ません。ではどのようにしたらいいのかということです。それは、結局あなたの人間性の問題です。ですから、僕が代わりにそれをやってあげるわけにはいきません。
ポイントは、自分が「これは間違っている」と思ったら、それを貫き通すことが大切です。あなたの場合、そこが曖昧で常に不安を持っている状態にいます。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
あなたの人生にはそのような精神状態で生きていくことが現われるようになっています。しかし、それは一生変えることができないものではなく、そのことを通して自分がどのような性質を持っているのか、色々な出来事から客観的に学ぶべきなのです。
色々な出来事に出会えば、自分がそのときに相手に対してどういう行動を取ったかは、学び、気付けるはずなのです。そして、自ら発した分の問題点を改善することができるようになるのです。

カミラ:
たとえば、この場合どのような問題ですか?

いさどん:
先程の話で言えば、お嫁さんのお母さんが不当な要求をしてきました。それに影響を受けて、息子さんもあなたたちに家を買うように要求をしてきましたよね。不当であるということは、第三者の僕も当然そう思いますし、あなたもそう思ったわけです。

カミラ:
そうです。

いさどん:
そのときには、やはりあなたがそう考えるのですから、「それは私たちがするべきことではありません」と、とことんその考えを貫き通すべきなのです。そのときに、あなたがしっかりとその姿勢を示せば、向こうにあなたの人格が伝わって、そのような要求をしても通じない人だとなり、相手の人はそれ以上要求してこなくなるわけです。
ところが、あなたが取った行動は、自分が不当だと思っているにもかかわらず、それについてどうしたらいいか悩んでしまっていたのです。それは、あなたに対してそのような要求をしたらそれが叶う可能性がある、ということを相手に伝えていることになるのです。それがあなたの問題点です。

カミラ:
はい。

いさどん:
そうやって、一つひとつ出来事を冷静に分析しながら、自らの取った行ないがどのようにまわりに波紋をもたらしていくかを学習することが大切なのです。自らが取った行ないが波紋をつくっていることに、あなた自身が気付くべきなのです。それがあなたにとって不愉快なことの元になっているのですから。とりあえず、息子さんとの関係を整理するために、彼はあなたたち夫婦のもとから遠くへ旅立ち、親子であっても縁が遠い人になったと考えるべきです。

カミラ:
はい。私が息子から距離を置くということですね。

いさどん:
客観的に観るということです。そして、自らを観察する必要があるということです。ここ木の花ファミリーでは、そういったトレーニングを各自が行なっています。そうすることによって、自分自身の状態を知り、健全な自分をつくっていく作業をしています。そのために、その人の精神性を観るためのツールがあるわけです。
息子さんの場合はしっかりものを考えないで行動するところがあります。それが色々と努力してやったことをダメにしてしまうことがあります。そのような人には、強いコントロールをしてくれる人がそばにいる必要があるのです。自分だけでいると、その安易な行動によって行き詰り、たとえば鬱病の原因になることもあるのです。ですから、彼と奥さんの結婚は良い結婚であると考えられます。ところが、あなたから観ると、息子が別人のようになってしまったとか、自分たちと敵対しているように感じて不満に思っているということなのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
ですから、そこは切り離してあげることが大切です。あなたの地球暦(※)を観ると、地球が木星と関係を持っています。地球はあなた自身を意味し、そして木星は家族やコミュニティとの関わりを示すものです。ですから、そういったものを大切にする心はあるのですが、この場合、地球と木星の角度が微妙にずれているので、意識はあってもそれがうまくいかないのですから、もう少し精度を上げる必要があるということです。つまり、息子さんとの関係に象徴されるように、はっきりと自分の意志を伝えていくことが大事だということです。

カミラ:
同感です。

いさどん:
そういった判断をするときに、あなたの判断には少し不安定なところがあって、的確な判断ができていません。

カミラ:
それはどのように改善していったらいいのでしょうか。

いさどん:
そんなときには、自分が的確に判断できない人だからこそ、その自覚を持って冷静に、慎重に物事をとらえないといけないのです。まずは、そういった魂を持って生まれてきていることを自覚することが大切です。それからもう一つ、そういった想いはあっても、的確なタイミングで行動できないと、その行動が遅れてしまうのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
ですから、思いたったときに適切なタイミングで行動するべきなのです。

カミラ:
しかし、私が思うこと自体が遅れることもあります。

いさどん:
想いが遅れること自体が、結局行動が遅れることにつながるわけですから、そこがポイントです。ですから、まずあなたがなすべきことは、何か事が起きて判断を要するときに、もっと適切で慎重な判断をするべきだということです。たとえば、相手から圧力が来たからといって、そこで慎重さを欠いてしまうのではなく、それが正当かどうかの判断をしていけば、行動が多少遅れても、姿勢が適切であれば問題はないのです。

カミラ:
そうです。ただ、問題は、私が圧力を感じた瞬間に明快に考えられないということです。

いさどん:
そうです。それがあなたの心の構造です。それを「私はそういう人なのだ」と自らによく伝えてあげることが大切で、そのようになったときこそ、慎重に冷静に自分の気持ちを落ち着ける作業が必要なのです。

カミラ:
つまり、そういった取り組みを続けていくということですね。

いさどん:
そうです。それは自らへの挑戦ですから、あなたがそういった部分を持っているということは、色々な出来事を通してそれを学んで身につけていきなさいということでもあるのです。あなたが生まれたときに天から与えられた一生の修業のようなものなのです。ですから、今のような出来事が起きているのは、生まれたときの約束通りに、それがあなたの前に起きているということなのです。それがあなたのための修行だとしたならば、息子さんの奥さんのお母さんの態度や息子さんの態度は、あなたの修業を手伝ってくれていることにもなります。
そうやってとらえると、自分が被害者にはならないのです。そうすると、出来事に対するイメージが変わってきませんか?もう少し違う言い方をすると、あなたの一生のテーマをクリアするために、その人たちは協力してくれているということです。

カミラ:
その通りだと思います。これが私の人格に関する最大のテーマということになりますか?

いさどん:
そうです。そこがあなたの心の問題点であり、クリアするためのポイントです。そこがクリアできると、あなたはとても安定した人生を生きられるようになります。
もう一つ、あなたの中で気をつけないといけないことがあります。そういった自分を改善しようとするときに、改革を意味する天王星と他の惑星との関係が微妙にずれているので、自己改革がなかなか進まないということです。

カミラ:
私は今回地球暦というものを初めて観たのですが、これは惑星同士が関わり合っているということですか?

いさどん:
そうです。関わり合っている中で、他の惑星としっかりした関係を持っている星は順調に働いていくので問題はないのです。ただ、あなたの地球暦には微妙にずれている星が水星、地球、火星、木星、天王星と5つあり、それがあなたの不安定な部分を表わしています。9つの惑星の中で5つもずれているのですから、かなり不安定だと言えます。
それで、今お伝えしているのは、改革を表わす天王星がずれているということは、あなたが問題に出会ってそれを経験として学び、新しい自分に切り替えていく作業が苦手な人だということを表わしています。ですから、人生の中で同じような問題に沢山出会うということを示しています。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
そこのところを改善しないと、いくらしっかり意志表示をしようと注意しても、結局自分の身につかないということになります。
特にあなた自身を表わす地球がずれているということは、色々と学んだことが身につかないということです。簡単に言うと、他者の言うことを聞かず、頑固者でもあるということです。色々と悩む割には新しいことを取り入れず、保守的な人だということです。
ですから、先程も言いましたが、自分を観察して問題点を見つけたら、それを学習して変えていくことを大切にしないといけないのです。古い自分を壊すことに喜びを見出すと、新しい自分が生まれてきます。これはシヴァの働きです。それがあなたの中では十分に働いていません。自分自身の改革は古い自分が壊れるということですが、保守的になってそれを変えようとしない力が働いているのです。

カミラ:
わかります。

いさどん:
あなたの年齢的なことも考えると、これはトレーニングが要ることです。ただ、私たちは人生を生きていますよね。この人生そのものがトレーニング期間なのです。そういった意味で、木の花ファミリーはトレーニングセンターなのです。ですから、ここでは人が一生かけてトレーニングすることを、一年単位の短い期間でトレーニングしていくわけです。
ただ、そういったことにあなたが気付き、毎日の生活がトレーニングだと捉え、自分自身を客観的に観ていくように心がけていけば、どこにいても改善していくことは可能です。

カミラ:
それを実践するための具体的な方法はありますか?

いさどん:
まずは、出来事に対して冷静に判断をし、どんなときでもパニックにならないということです。冷静に対処し、今まで不安定だったあなたが安定した姿勢を取ることになって、相手からのあなたに対する行動も変わってくるわけです。

カミラ:
そうですね。あなたたちは瞑想などの方法は取り入れていますか。

いさどん:
残念ながらそういった手法はあまり効果があるとは思いません。それは現実的なものではなく、ある意味逃避的な境地を求めるものです。現実に問題があったときに、瞑想で安定させてそれを忘れさせるとか、それをないものだと捉える手法です。それは、ある意味心を楽にしてくれる効果はあります。しかし、そのことがその人自身の心の中にある問題点を引き起こす種を改善することにはなりません。
ですから、大切なことは、毎日の生活の中で起きて来る事をトレーニングの材料としてじっくりと観察しながら、そこで自らを観察していく作業が最も賢明な方法なのです。

カミラ:
たとえば、人間関係を通して自分自身の姿を観察するということですね。

いさどん:
そうです。それは神様が必要な人間関係を与えてくださっているのです。見方を変えれば、あなたにとって悩みの種であるお嫁さんのお母さんや息子さんたちは、あなたのためのトレーニングを与えてくれているということになるのです。

カミラ:
そうですね。

いさどん:
そうやって視点が変わると、人間関係が変わるのです。

カミラ:
それはまさに真理ですね。

いさどん:
そうです。

カミラ:
ただ、頭では理解できるのですが、心で理解できているのかは難しいところです。

いさどん:
あなたは長年それをやってきていますよね。

カミラ:
はい、それは私の習慣のようなものです。

いさどん:
そうです。今回あなたが生まれるときに、そういった人生を設定してきたわけです。しかし、それはベースとして設定しただけのことですから、そこをベースにして味付けをしたり、色々と変えていくことができるわけです。ただ、今までそういったことに気が付かなかっただけなのです。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
もしよかったら、ほんの少し挑戦してみてください。ほんの少しのことなのに、人間関係や出来事がパッと変わることがあるのです。そのときに、あなたは自分一人で生きているのではなく、神の意志によって生かされていることに気付くでしょう。誰もがこの世界(神様)とともに生きていますから。そして、あなたの人生を生きるということは、神様とあなたが一緒に練ったプランを生きることなのです。
ですから、神様と一緒に生きる意識で、あなたの不安定な部分に挑戦したら、今までに出会わなかった出来事に出会うようになり、とても新鮮な毎日を送れるようになるのです。

カミラ:
その考え方は、私が挑戦するときに非常に役に立つものです。

いさどん:
あなたには精神性を高め、その延長に安定した境地に到達したいという心があるのです。しかし、今まではそういったことに取り組んできませんでした。どちらかと言うと、不安定な自分に翻弄されてきた人生だったのです。あなたの地球暦には惑星同士の関係に2つの系統がありますが、青で色を付けてあるほうがあなたに精神的な安定をもたらす働きをするものです。ところが、今までのあなたはピンクで色付けされているほうの不安定な思考で生きてきています。

カミラ:
でも、この青のほうもずれのある天王星が入っているので良くないのですよね。

いさどん:
そうです。そこは気をつけないといけません。地球暦に関しては、あなたの人生の全てを表わしているものですので、沢山の物語を秘めています。ただ、これはあなたが生まれたときに始まった人生のベースになるものですから、それに気がつかないと、何年経っても変化・成長のない人生を歩むことになってしまいます。
しかし、いったんそのことに気付き、人生を通して自らを学んでいけば、これはどんどん変えていくことができるものなのです。それはこの地球暦上の惑星の配置を変えていくのではなく、あなたが自分の人生を変えていくことによって、この地球暦が示していることが変わっていくことになるのです。

カミラ:
そうすると、もう一度今日のお話をおさらいしたいのですが、感情的にならず冷静でいることが一番のポイントということになりますか?

いさどん:
そもそも、あなたが考えることは外れていることではないのです。ただし、考えるときには冷静に考え、そして行動は適切に行なうことが大事なのですが、なかなかそれができない人ですから、まずは、「自分は慎重に正確に物事を捉えて、そして適切に行動することができない人だ」と認識することが大切です。
そういった認識があれば、何か事が起きたときにそれをまず思い出し、そこを補うために冷静に捉え、そして思ったことは適切に行動することができるようになります。ただ、そういったことを思っても、あなたは保守的でなかなか行動しませんから、そこは自分に言い聞かせて、確実に変えていく作業をする必要があります。

カミラ:
保守的とはどういうことでしょうか?

いさどん:
保守的とは、今の自分を変えていくことに対して、変えたいという想いはあっても、なかなか現実化しないということです。そういうタイプの人は、人生の中で同じようなことが繰り返し起こることになってしまうのです。

カミラ:
わかります。

いさどん:
神様との約束であなたはこういう人生を生きているわけですから、神様と対話しながら自らに取り組んでいったらどうですか?

カミラ:
それは良い考えですね!

いさどん:
そのときに、神様に向かって、「あなたがあなたのプログラムとして私を地上に降ろしたのですよね。ですから、私は自分の考えで生きることよりも、あなたの意志で生きることのほうが適切だと考えます。私は自らの意志よりもあなたの意志で生きることを選びますので、どうぞ私に適切なるアドバイスを下さい」と語りかけてみて下さい。そういった姿勢で生きていると、あなたの中に適切な気付きが湧き、物理的には生活の中で必要な人や物に出会うことができるのです。
つまり、「自分が生きている」ということを手放すべきなのです。「神に生かされている」、もしくは「神とともに生きている」という考えを持つと、人生は楽しくなりますよ。

カミラ:
それはまさに真理ですね!私はその考えがたいへん気に入りました。

いさどん:
それが最も問題がなく、省エネの生き方なのです。そして、人が最も健康に生きられる方法なのです。今の人間たちは自分の考えで生き過ぎています。真実は、「宇宙とともに、宇宙の法則の中で生きている」ということです。それは「生かされている」ということです。人類がそのことを理解したら、人類は地球にとってとても良い存在になります。

カミラ:
その通りですね。

いさどん:
しかし、今の人間は天の存在を忘れていますから、地球にとっても、宇宙にとっても、良くないものとして生きています。

カミラ:
私はいさどんの考えをとても気に入りました。自分自身が強くなれるように感じています。

いさどん:
それは良かったです。

カミラ:
とても良い気分です。そして、それはまさしく私を木の花ファミリーに導いたものと同じ存在です。私はそれが何であるのかわかりませんでしたが、ある日インターネットを観た結果、今、私はここにいるということです。木の花ファミリーがどういったものであるのか、私は全く知らずにここに来たのです。

いさどん:
あなたは数日間ここに滞在されていますが、今日のこの時間があなたにとって最も大切だったのでしょうね。

カミラ:
その通りです。

いさどん:
僕にはこういったことを地球の人々に伝える使命があるのです。時代は21世紀ですから、人類もいよいよ変わるときが来ているわけです。今日学んだことをあなたはアメリカの家に持ち帰り、そこでの日常に表現していただきたいと思います。そうすると、僕の役割が一つ広がることになります。

カミラ:
わかりました。あなたはたいへん寛大な精神をお持ちですね。というのも、私は単なる一人の訪問者に過ぎず、あなたとこうやってお会いして、直接お話しできるとは思っていませんでした。いさどんと話す機会が持てるのは、ここのメンバーだけだと私は思っていたのです。

いさどん:
そんなことはありませんよ。僕はすべての人々のために生きているのですから。もしよかったら、またこちらにいらして下さい。そのときに長く滞在されたら、こういったことをもっと語り合えると思います。

カミラ:
私もその日を今からとても楽しみにしています。アメリカと日本は離れているので、すぐに来ることは難しいとは思いますが・・・

いさどん:
実は、それも神様に交渉したら、早く実現するかもしれませんよ(笑)。

カミラ:
そうですね(笑)!きっとそれは叶うことでしょう。

いさどん:
そのときを楽しみにしていましょう。

カミラ:
私も楽しみにしています。

いさどん:
最後に、もう一つ真理をお伝えします。
私たちは物理的にはアメリカと日本として距離が離れていますが、こうやって心が通じたものは、いずれ、この物理的な距離を超越した近い存在になれるのです。つまり、こうやって話が通じるということは、魂としては近い存在だということです。ですから、物理的な距離を心配しなくてもいいのですよ。信じていると、道は開かれるものなのです。何かがアメリカにいるあなたと日本の木の花をつないでくれたのですから。

カミラ:
その通りですね。誰かが私をつなげてくれたのですね。

いさどん:
そうです。それを信じていけば、さらにつながっていくことができるのです。今日は良い日でしたね。ありがとうございました。

カミラ:
本当にありがとうございました。

(面談が進むにつれて、見る見る明るく元気になっていったカミラ。
最後にいさどんとハグをした彼女の目には、感動の涙があふれていました。)

※地球暦
杉山開知さんによって考案された、太陽系を1兆分の1の縮図で表す円盤型の暦。
木の花ファミリーではこの地球暦を使い、誕生日の惑星配置からその人の特性や天命を読み解く独自の取り組みを行なっている。

★いさどん解説

カミラの地球暦には、他の惑星との関係が微妙にずれている星が5つもある。それは、各惑星の持っている特徴(天王星の「改革」など)を実行したい気持ちはあるのだけれど実際には実行できないということを意味し、そこへの苛立たしさもあり、息子に対しても自分の考えに対してもとても中途半端な生活をしていた。
彼女は63歳で僕よりも年上なのだが、とても真面目であり、僕が伝えることを素直に吸収しようとする姿勢があったので、この面談はとても良い空気でスムーズに進んでいった。逆に、今までずっと物事を素直に受け取ってこなかった彼女が、今回アメリカでインターネットを観て、日本を訪ね、木の花と出会ったということでもある。
僕はゲストに媚びを売らないし、忙しくもあるので、僕のほうからゲストに声をかけないようにしている。そうしたら、彼女は「ここのメンバーしかいさどんと話す機会を持てないのだろう」と感じていたようだ。ところが、他の外国人ゲストが彼女の問題を聞いて面談を勧めた結果、このような時間を持つことになった。
だから、滞りもある程度続いていくと熟すときが来て、旬のタイミングで取り組むと、とても素直に相手の話を聞くことができるものなのだろう。しかし、滞りも旬ではないときに伝えると、素直に相手の話を聞くことができず、伝える時間とエネルギーがもったいないことにもなりうる。彼女の場合は、重複して色々と滞っていたことがとても良いタイミングで解決していく希望を持てた。それはインターネットを通じ、彼女の意志を超えたものがここと引き合わせてそうなったということである。
今回の事例は、外国人であっても、これほど素直に受け取ることができ、しかも自らが変わっていくために積極的な姿勢を示すことができるというひとつの事例である。