究極のコモンズとは?

6月3日から7日まで、河口湖周辺の会場で「国際コモンズ学会」が開催されました。この学会は、自然資源、人工物などを複数の人々でどのように調和的に活用していくか、それを管理する組織や社会的な仕組みなどを研究することを目的にしています。
そして6月6日、そのフィールドトリップの一環としてエントリーした木の花ファミリーを、アジア、アメリカ、アフリカの各地から17名のゲストが訪れました。

畑を見学するゲストたち
畑を見学するゲストたち

見学ツアー、昼食、ウエルカムコンサート、プレゼンテーションの後には座談会の場がもたれ、いさどんはじめ数名のメンバーも参加しました。その中である外国人の方から、「コミュニティメンバーになるときには皆さんの財産も一緒に持ち込み、コミュニティ全体と共有することになると思いますが、もしコミュニティを離れたくなったらその財産はどうなるのですか?」という質問が投げかけられ、いさどんは次のように答えました。

座談会のようす
座談会のようす

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いさどん
そういった質問をする人はよくいます。では、なぜそういう質問が出るのかというと、メンバーである人の精神性が共有できていない場合にそういった質問が出るのです。
ここのメンバーになるときには、まず、木の花の世界観を皆で共有してもらいます。それは「木の花憲章」という形でつくられているものであり、それを理解した上でメンバーになるわけです。ただ、多くの人がここのメンバーとして参加しますが、すべての人がその意志を継続できるのかというと、時々メンバーから抜ける人もいるということです。そのときに適用される規約もありますが、それ以前に、メンバーとしての意識が共有できているかどうかがとても重要なことになります。

皆さんは「コモンズ」の研究をされているわけですが、私たちは土地などの物理的なもののみならず、精神性まで共有する生活を送っています。ですから、悲しみや喜び、そして学ぶということも皆で共有するわけです。そして、それは決してここだけのものではなく、自然の仕組みを紐解いていくと、この世界自体がまさしくそういった姿になっています。
今日は、皆さんとそこのところを共有したいと思い、今この場にいます。

例えば、私たちはひとつの太陽のもとにいのちを紡いでいます。さらに、ひとつの海のもとにも、私たちはいのちを紡いでいます。太陽が降り注ぎ、雨が降り、そして大地に植物が芽生えてきます。その芽生えてきた植物は私たちのいのちに変わるわけです。そして、私たちは嫌いな人とも共通の空気のもとに生きています。
それから、この空間です。私たちはこれを大地の上にある生活空間と思っていますが、実は宇宙空間も私たちは共有しているわけです。今、共通して私たちは1秒間に30km移動しています。それを1年続けると、太陽のまわりを一周することになります。そして、秒速470mでこの星は自転しています。それで、今日のお昼に出会ったみなさんと一緒に夕暮れを迎えようとしています。
そうやって、私たちはこの世界の仕組みから自分たちを観てみると、共有していることが沢山あるのです。その中でも、もっとも共有しているものが時空です。過去から未来へ時間が刻まれていく中で、私たちは瞬間を共に歩んでいるわけです。

その中で、地球の生態系は様々な生命がそれぞれオリジナルないのちを表現しています。それは生態系として循環しているわけですから、小さく観ると弱肉強食になります。しかし、ライオンとシマウマの関係で言えば、お互いが存続するために絶対必要なものとして、いのちのバトンタッチ、リレーがされているということなのです。
ライオンに食べられたシマウマは確実にライオンのいのちに変わっていくのです。そういった生き物は自らの体を大地に返し、植物になり、それが循環しています。宇宙も含めて、私たちは共通した中にいると考えたときに、自らと他者との区別がどこにあるのだろうかと私は思います。

人類の中には相変わらず沢山の対立がありますが、二百何十万種と言われる地球上の生命の中で、この世界の仕組みに対してこういった矛盾を生きているのは人間だけです。その仕組みを知り、他者と自らが同じであり、さらに、他者によって自らが生かされていることに気付けば、すべてを共有するのは当然のことなのです。ですから、違いによって対立したり、違いに興味が行くほうが不自然だと思うのです。
多くの人々が病気や対立、国家間の戦争によって苦しんでいます。それは自分という意識から外を観て、違いを比べるからです。
私たちは地球人、インド人、アメリカ人、そして人間、一体何なのでしょうか?もしかしたら、私たちは宇宙人でもありますよね。そうしたら、地球の外からこの地球の姿を観ると素晴らしい世界ですが、宇宙の仕組みやこの宇宙に唯一存在する地球生態系の仕組みから私たち個人を観たときに、自らと他者を区別する必要があるかどうかです。
私たちは共通の地球上に生きているすべての生命と家族なのです。そして、人間はその能力を持ってこの生態系を壊すこともできれば、より発展させることもできるのです。

「ハルマゲドン」という言葉がありましたが、それはある意味破壊ということで人々は恐怖に思っていました。しかし、そういった個人のエゴや自らの側の主張ではなく、全体の仕組みに目覚めて、地球人として、もしくは宇宙人として、生態系の中の一端を担う一人として調和し、共有して生きていく平和な時代を築くために、古い価値観を壊すという意味でのハルマゲドンなのだと私は思っていました。
私は21世紀の早い段階に人類はそのことに目覚めるのではないかと期待しています。私のイメージの中にはそれがあって、皆にこの生活を提案し、実践し始めたわけです。

日本には東京大学という大学があるのですが、その大学院の日本や外国の学生たちが昨年ここを訪れました。彼らはサスティナビリティ(持続可能性)ということについて研究していました。
そのときに彼らは、「私たちは知識としてサスティナビリティということを研究してきましたが、実際の現場はほとんど見たことがありませんでした」と言うのです。それで、ここを訪ねてきたのです。そこで、私はこう伝えました。
「制度としてのサスティナビリティはいりません。私たちの存在が地球上の生態系というひとつの生命システムの中にあることに気付けばいいのです。もっとも、地球は宇宙の中にたったひとつで存在しているのではなく、太陽のもとに他の惑星と調和しているわけです。さらに、太陽は止まっているのではなく、2億5千万年かけてこの銀河系をまわっています。そういったことからすると、私たちは自分である前にこの世界の仕組みの中に存在し、この世界そのものだということになります。そのことに気付いたときに、自らを主張する前にこの世界のために生きて、そしてこの世界に生かされているということになるのです。」

これが究極の「コモンズ」だと思います。そういった考えのもとに、私たちはメンバーを迎えています。ですから、ここのメンバーであろうがなかろうが、私たちは常にこの世界を共有しているのです。
残念ながら、地球上でここまで共有している人々の暮らしをほとんど聞いたことがありません。しかし、私たち人類は、地球人として、さらに宇宙人として目覚めたときに、そういった暮らしが地球で可能なのか?人類にとってそれが可能なのか?といったときに、そのモデルが必要になってくるわけです。それを求めてきた人たちのために、私たちはここでこの生活をしています。
ですから、その精神を持っていることが大切なのです。その精神を十分に持てていない人は、自由に普通の生活をすればいいということで、ここを離れていくときに引きとめることはしません。

そういった時代が21世紀のうちに地球上に訪れます。広い世界観を人々が持つことによって、政治家や宗教家に世の中を良くしてもらおうと頼まなくても、ひとりひとりが目覚めれば良い世の中ができるはずなのです。

130606-163338-001外国人ゲスト
私は皆さんが経験や専門知識をこうしてシェアしてくれたことに対し、感謝を述べたいと思います。私たちは世界中のコミュニティを研究している学者や実践者のグループなのですが、もし私たちが突っ込んだ質問をしているのであれば、それは皆さんのコミュニティを否定するものではなく、どのようにコミュニティが運営されているのかという詳細を見出し、それを世界中にある他のコミュニティと共有したいからなのです。ですから、皆さんのコミュニティでは何がよく機能し、どのような問題があるのかを知りたかったので、私たちはとても具体的な質問をしました。

いさどん
私たちが質問される多くのことは、コミュニティを研究する人もこういった暮らしに興味を持っている人でも、細かいところに興味が行くものですが、私たちはなぜコミュニティが必要なのか、そもそもコミュニティとは何なのか。もっと広い視点から自分たちを観ていくと、実は私たちは「地球コミュニティ」に生きていることが理解できるわけです。
そうすると、小さなルールというものは、そこに出会った人たちの個性としてあればいいのです。ですから、それはコミュニティによって違っていいわけです。それから、そのコミュニティを形成するメンバーひとりひとりも窮屈な決まりごとに縛られる必要はないのです。

窓の外に観える植物や、土の中にいる虫や動物たちすべてが自らを誇らしく表現しながらこの世界を紡いでいるように、私たちもそうやって自分の尊厳を保ちながら生きていけるようになるのです。それがコミュニティの理想だと思うのです。

外国人ゲスト
私たちのグループを代表して、こうやって皆さんが私たちを温かく迎えてくださったことにお礼を申し上げたいと思います。

いさどん
残念ながら、今回は少ししか皆さんとお話する時間がとれませんでした。ただ、私たちは今日物理的に出会って、初めて知り合ったように思うかもしれませんが、この星の上に同じ生命の人類として共に生きてきたわけです。皆さんは「コモンズ」ということを研究していらっしゃるということですが、皆さんの資料を私は見せていただいて、まさしくここはコモンズの精神を表現している場だと気付いたのです。
そういうことからすると、初めて出会ったのではないですし、いつかまた、地球の未来に向かって私たちひとりひとりがどのような意識を持っていったらいいのか、皆さんともっと深く話し合える機会を持てたらと願っています。

素晴らしい生命の星であるこの地球上に存在する200万種類以上の生命の中で、たった1種類、人類だけが特別な生き物なのです。思考し、喜び悲しみ、未来を創っていくことができる生き物なのです。他の生命にそのような能力は与えられていません。
しかし、その能力を人類だけのためや個人だけのために使ったら、人間以外の生命はそのことによって大きな迷惑を被るでしょう。そして、この素晴らしい生態系は壊れ、多くの人々が人間の中にいながら苦しんでいくことでしょう。人間の能力をどちらの方向に向けるかによって、未来はかかっているのです。
未来を経済界の人たちや賢い大学の先生、政治家たちなど特別な人たちに任せず、ひとりひとりがそのことに目覚める時代が来ていると思います。これはとても優しく、ソフトで平和的な革命です。そして、それが21世紀中に訪れると私は思っています。

外国人ゲスト
本当に感謝しています。この座談会の時間自体が私たちにとってとても大切な時間でした。私たちにたいへん多くのことを考えさせる機会となり、ありがとうございました。

いさどん
ぜひまたお会いしましょう。

 

コモンズ学会のみなさん
コモンズ学会のみなさん

 


橋下大阪市長発言から見えてくるもの

今回は、先ごろマスコミを大きく賑わした橋下徹大阪市長の発言を宇宙視点から語ります!
座談会には、静岡県富士宮市議会の現職民主党議員である野本貴之さんにもご参加いただきました。

*  橋下市長の発言については、下記にて全文をご覧になれます。
 5月13日 橋下氏と記者団のやり取り ― 朝日新聞デジタル
 5月27日 橋下氏「私の認識と見解」全文 ― 毎日jp

野本市議(右)を交えての座談会の様子
野本市議(右)を交えての座談会の様子

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いさどん
今回の一連の報道を見ていて思ったのは、橋下さんは政治の世界で生きる人としては正直すぎるし、そうだからこそ軽率でもあるということ。簡単に言うと、国政を担うだけの器ではなかったってことにもなるね。
彼が知事になった当時は大阪府政なんて真っ黒けで、そこに歯に衣着せぬ発言で颯爽と登場した橋下さんは、不満でいっぱいだった府民や国民から大声援を受けた。彼は賢明で、言動にも筋も通ってた。ところがそのままの姿勢では、結局、国政を担うだけの器の大きさを問われることになる。政治の現場では、異なる立場の人達とも共にやっていく度量が必要なんだよ。そこを正義感で突っ走って、反感を持たれていたところから一気にバッシングを受けた。つまりは彼の人間性が表面に現れたというだけのことだから、そんなにキイキイ言っていじめる必要はないなあと僕は思うんだよ。

橋下徹大阪市長
橋下徹大阪市長

彼の発言内容を見ると筋が通っていて、根拠のないものではない。かと言って容認するようなものでもないけれど、一つ、みんなに考えて欲しいのは、時代は常に移り変わっている、ということ。人類の歴史として、長い間男尊女卑の世界が続いてきた。海外ではレディーファーストなんて言葉もあるけど、それは男性社会が都合よく使ってきたもので、形を優先して平等の精神を表現することを怠ってきたんだよ。橋下さんの言う従軍慰安婦問題だけでなく、世界で女性たちが歴史上どう扱われてきたか。逆に言うと、女性たちも自らの尊厳に目覚めていなかった。そういう時代から、本当の意味での平等、宇宙の根源に陰陽があるように、そろそろフィフティー・フィフティーの関係になる社会が来てほしいし、来るべきだと僕は思ってる。今回の出来ごとも、そこへ向かっていく時代の流れの中で起きていると見てるんだよ。

橋下さんは一連の騒動の後に出した「私の認識と見解」の中で、今こそ女性の人権を尊重し、新しい時代を創っていこうと語っている。彼のような切り口からそういった捉え方をすることもできると思うんだけど、なぜこんなにマスコミから叩かれるのか。その理由の一つに、彼は沖縄の米軍司令官に風俗産業の利用をすすめたんだよね。そんなことを米軍司令官に伝えたら、軍の規律として否定するに決まってるのに、なんというか、公人である意識が低いというのか、デリカシーが足りないんだよ。民主党の立場からはどう捉えますか?

野本さん
もちろん党内にもいろんな意見はあります。

いさどん
何でも民主党は分かれてるんじゃないの。

野本さん
民主党だけではなく与党の中でも分かれてますが、いわゆる中間よりの方々と、そうじゃない方々の中で分かれています。従軍慰安婦問題で言えば、日本と韓国が合意した日韓基本条約の中でそこは解決しており、韓国の公式見解として個人の対日請求権は放棄して、従軍慰安婦の個々の問題については韓国の国内法で対応する、となっているんです。ところが韓国内でそんなことを言ったら政権の首が飛んでしまいますし、実際にその合意内容が報道された時には非難が殺到しました。だから韓国政府は対外的には強くでざるを得ない。そして日本政府に対して、そうは言っても人道的な配慮として何とかしてくれよと、ある意味泣きついてきているような状態なんです。

いさどん
それは水面下の話?イ・ミョンバク(韓国前大統領)は日本に対してそれなりの措置を取るべきだという強気な言い方をしていたし、韓国の最高裁判所でも、過去の条約で解決していると言っても従軍慰安婦問題は別という見解だったけれど。

野本さん
韓国では、親日的態度は売国奴と言われてしまう面がありますから、そう言わざるを得ないんですよね。外交的には日韓基本条約で解決していて、本来は韓国でやるべき問題を日本に言って来ていること自体が問題だ、というのが日本政府の立場です。

いさどん
それは政治家たちの話でしょ。宇宙的視点に立って語ってほしいね(笑)。

野本さん
それは、大人の、未来的な考えで線引きをしないと、我々の孫の世代や、どこまで先人たちの責任を負い続ける必要があるのかという話が必ず出てきます。

いさどん
だけど、今のような姿勢でいたらどこまでも解決しないで行くよ。

野本さん
韓国の留学生と話たりするのですが、韓国は政治的なパフォーマンスとして対日的に強く言うんですけれども、一般国民の間の個々の文化交流や学生たちの交流では、そこまで日本に対する嫌悪感や謝罪を求める姿勢はほとんどないんです。ある意味建前で動いてるんだと思います。従軍慰安婦の件もそうですし、橋下さんの米軍司令官への発言も、あれは完全に「自由と正義の国アメリカ」「レディーファーストの国アメリカ」としての建て前をぶち破っちゃったもんですから。司令官としては、例えば飲み会のような席ではその通りと思っても、アメリカはあくまでも自由と正義、ジェントルマンの国という建国以来の精神を持ってるので、あなたの言う通りですなんて対外的に言えるわけがない。その本音と建て前を橋下さんは履き違えたんですよ。

いさどん
この騒動を宇宙視点から語るとしたら ― 。
橋下さんが言うような、歴史的事実は実際にあるんだよね。中国でもベトナムでもサラエボでも、これまで世界中で軍による女性蹂躙がどれほどたくさんあったか。そして政府の要請によって、言葉は悪いけど売春婦が戦地へ従軍するということが日本にもあり、彼はそのことを言っている。
ところが、そのような職業的な人もいたけれど、日本軍が相手国の一般市民を強制的に、それこそまだ10代の女の子をつかまえては慰安婦になることを強要したということは事実としてあったんだよ。それは元日本兵たちが証言してる。

野本さん
過去にその証言をまとめたものがありますが、検証した結果、その証言自体が曖昧だという話もあるんですよね。もちろん全部を否定するつもりはありませんが。

いさどん
だけどね、そんなことを言ったら、裁判で強姦か強姦じゃないかを立証する時に、いかにそれが事実であるかをリアルに証言しないといけなくて、その上で立証できたときに初めて強姦事件になるのと同じような話になっちゃうよ。その方向へ話を持って行くと、政治家とか、利害関係の中で突っぱねる人たちの考えになるのよ。それをやっている限り、この問題は次の世代に持ち越してしまうよ。
ここはそんな政治家たちの見解を探る場所じゃなくて、超人類視点に立って、宇宙視点で考えるとどうかという話をする場所なのよ。

事実として、戦争という、精神が異常な状態になる場所で何が行われてきたのか。単に日本と韓国とか、従軍慰安婦問題というようにその部分だけを切り取って見るのではなくて、人間というものが異常になったら何を起こすかということを観ていったら、細かいことを一つひとつ立証しなくても、それはあり得ることだとして捉えられるでしょう。
今回の騒動を見ていて、ここから我々は何をどうするべきかなと思ったら、人類はなぜ戦争を必要としてきたのか、そして、人類の歴史の中で、どうやったら戦争を追放できるのか ― そこを考えていくことなんだよ。その視点に立たないと、いつまでたっても国益だとか立証がどうのとかいう話になってしまう。そうすると心情的なもので常に対立したままになって、永遠にこの問題は解決しない。
大切なのは、ここから先をどうするか、ということなんだよ。

ともこ
うん。どの報道を見ても、言った言わないとか、やったやらない、撤回しろ撤回しないというようなところでばかり盛り上がっていて、根本的な本質のところに議論が向かわないのはどうしてだろうって思うの。

いさお
ネット上でも「どっちが正しかったのか」ということに対する意見がほとんどで、どこまで行ってもけりがつかない。

いさどん
捉え方によっては橋下さんの言ってることも間違ってはいないんだよ。彼は別にバランスの悪い見方をしてるのでもないしね。
かつて日本は、大東亜共栄圏という理想のもとに、欧米の植民地支配から東アジアを解放しようとしていたわけだよ。当時の東アジアの国々にしたら、みんな欧米の植民地だったから、日本軍は一時は歓迎もされた。ところが、やったことが野蛮だった。それが問題なんだよ。
日本の軍隊がどれほど野蛮かと言ったら、たとえば中国で南京大虐殺をしたとかフィリピンで何をやったとかの事実は、いろいろ見方があってわからないことだけれども、事実としてね、アメリカと戦う時にだよ、勝ち目のない戦争をやったでしょ。日本人が日本人の兵隊に対して、どれほどつまらない命令を下して殺したか。そういった日本人の了見を見直す必要があるんだよ。日本人が日本人を殺したんだよ、あの戦争は。

神風特攻隊の少年兵たち
神風特攻隊の少年兵たち

ともこ
特攻隊や人間魚雷も、訓練や設備の不足から実際は自滅のような形で命を落とす人も多かったって言うよね。東南アジアでは、無茶な作戦を続けたために戦死者より餓死者が多く出たところもあった。

いさどん
僕はそこから、日本人の幼稚さを観てるんだよ。そこから考えると、あんな世界観の狭い、捕虜になったら自決すべきと一方的に命令を下すような発想の者たちが、フィリピンやその他の国へ行って尊敬されるような進駐をしたかどうかは想像できるじゃない。
戦後は、物理的に賠償もしてきたし、ずいぶん振り返ってもきたし、謝れって言われれば謝ってきたんだけど、なぜか日本は許されないんだよね。それは何でかというと、何となくだけど、日本人の中に橋下的気質があるんじゃないか、と思うんだよ。今回日本人はみんな橋下さんを非難しているけど、日本人の中にどこか橋下さんと同じような、自分たちは間違っていない、と理屈を並べて正しさを主張したいところがあるんじゃないかな。

なかのん
日本だけじゃなくて他の国もそうだったんだ、とか。

野本さん
戦後、国民は軍事政権に騙されて戦争に参加させられたんだ、こんな戦争を引き起こしたのは東条英機など一部の軍部の責任で、一般国民の我々は悪くない、というのが国民の意識としてあったわけじゃないですか。そして民主主義は素晴らしいってことに価値観が変わったわけですけれども、実際は国民にも責任があったんですよ。

いさどん
そりゃあそうだよ。オウム真理教のような問題も同じことで、社会はオウムを悪者にしてるけど、社会が若者のエネルギーを正しく引き出せなかったからオウムが発生したんだよ。つまり社会がオウムを必要としていたわけだ。その前の日本赤軍にしても、すべては社会から発生してるんだから、それは日本国民の気質なんだよ。

野本さん
そう言う意味では、戦後60年以上たちましたけれども、私は戦後の時の国民性と今の国民性は変わってないと思ってます。戦争を引き起こしたのも止めることができなかったのも日本国民なわけですから。東条内閣の判断力や指導力不足という問題はもちろんありますけれども、町内でも一丸となって熱狂的にそれを支持して、我が子を万歳して戦地へ送り出し、戦争に協力しなければ「非国民」と非難していたのですものね。
でも戦争が終わってガラッと変わった。そしてアメリカ側からの裁判では、一部の軍国主義者たちが先導したから日本国民は悪くないですよと言われてしまったものだから、我々の上の世代の方々は、自分たちは悪くないんだ、軍国主義者たちが先導したんだ、となって、それが今そのまま引き継がれている部分があるのかなと思うんです。

いさどん
僕の親父の世代から直接聞いた感じだと、建て前はそうだったよね。国民は悪くないと。でも親父たちはね、全然戦争に対して反省してなかったよ。橋下さんも言ってるけど、あれは負けたからこうなったのであって、勝てば官軍なんだから、負けたことがいけなかった、日本には正義があった、という発想なんだよ。

当時の「大東亜共栄圏」地図
当時の「大東亜共栄圏」地図

野本さん
勝っていたら、いわゆる大東亜共栄圏ができて、アジアが一つになっていたと。もしそれが実現していたら、今ごろ正義だったということですね。

いさどん
そこは、やっぱり日本は負けるべくして負けた、と思うんだよ。当時の日本の統治の仕方にしても戦争のやり方にしても、意識は低かった。あれで勝っていたらとんでもない国家ができるよ。北朝鮮よりももっと恐ろしい国家ができてるよ。だから負けるべきだった。時代は正しかった、と僕は思うよ。

ともこ
その日本国民の気質というのは、日本人に特有のものなのかな?

いさどん
そうだろうね。この島国で、実力以上のプライドがあったということだと思うよ。
もともと、日本という国は世界で最も神を祀る国でしょ。八百万の神々と共に生きてきた、本来はとても信仰が深い民族なんだよ。自然と共に、宇宙の法則に則って生きてきた精神性がベースにあって、その誇りをプライドとして持ってる。それが、高い精神性が無くなってプライドだけが残っていたんだよ。さらに、戦争に負けて神国としての誇りがズタズタになって、本当の日本人の価値感といったものを持てなくなったところで、変なプライドがまだ残ってるということだと思うのね。
ドイツが意外と他の国とうまくやってるのは、自分の国がやったことをとことん振り返って、ナチスを総括し、民族としての反省をしたわけ。でも日本人はどこかで、大東亜共栄圏という名のもとに東アジアの解放に貢献したんだという思いが残ってるんだよ。
僕がそこで思うのは、日本人は神々と共に生きてきた精神性が高い民族だという誇りを持つべきだとは思うんだけれど、それは高い精神性に根付いた誇りであって、その精神性を十分に保てない、実態のないプライドだけがあるということが問題なんだろうと思うんだよ。

ともこ
戦争の反省も足りてない?

いさどん
日本的には十分振り返っているつもりだろうけど、被害者でもいろいろいるでしょう。例えばいじめにあった人でも、10謝ったら許す人もいれば100謝っても許さない人もいて、それは相手をよく見て、相手に合わせて対処するってことが大切なんだけど、やっぱり日本側の視点からでしか捉えられていないと思うんだよ。こちら側の理屈が主張されてるってことだよ。

ともこ
確かにいくら議論を重ねてもずっと平行線で、距離が近付いていく感じがしないね。

いさどん
それはひとえに、国家を超える意識がないからだよ。
もしも日本が大戦前にうたっていた、大東亜共栄圏として欧米列強の植民地支配から東アジアを救い解放するんだという意識が本物であり、それだけの大きな精神があったなら、自分たちのやったことが愚かであったということを認めて、もう1度手を結ぶことができるはずだよ。
だけど実際は、大東亜共栄圏という名のもとに、日本の国益をただひたすら追求して、欧米の列強がやっていたことを真似しようとしたわけだよね。それは植民地主義を同じ兄弟の国に対して進めようとしたに過ぎないんだから、反感を買っても仕方ないと思うんだよ。

今月横浜にて開催されたアフリカ開発会議
今月横浜にて開催されたアフリカ開発会議

そういう姿勢をしっかり振り返って、自らを見直し、そして成長させていくという作業が、日本にはできていない。今、日本はアフリカを最後のビジネスフロンティアとして、中国や韓国と競いながら進出しているけれど、あれも武器を持っていないだけで、やっていることは同じようなことだよ。そういった自国優先の進出ではなく、地球規模の豊かさを追求するために協働していくことが、21世紀のリーダーシップとして大切なことだと思うんだよ。
もしも謙虚に、しっかりと相手の感情も踏まえながら自らを振り返ることができたなら、中国や韓国がプライドが高いとか被害妄想が強いなんて言って原因を相手のせいにしなくても、もっといい関係が創れるはずだよ。そうじゃない?

ともこ
そう思う。もし、世界の中で日本にできる役割があるとしたら、それっていったいどんなことだろう?

いさどん
まず、これを解決するためには、やっぱりとことん今までの過ちを認めるということだよ。それは、やったことの罪を認めるというよりも、自らを戦争に駆り立てていった、その精神性が未熟であったことを認めるということだと思うんだよ。
それを認めた上で、その出来事を今後に活かしていくために、どう協働していくのかを考える。東アジアとの関係とか、もっと大きくアジア全体や、世界に日本がどう働きかけていくのか。どう他の国と手を結んでいくのかということは、アメリカに対してだって呼びかけていけるわけでしょ。それが新しい意味での、日本の精神性を活かした、ある意味世界のリーダーシップを取っていくような国になる立ち振る舞いじゃないかと思うんだ。それが大人の発想だと思うよ。

尖閣諸島や竹島にしても、そういった問題を共同で考えていく提案ができるくらいの度量があるといいね。譲るだの譲らないだのでちまちま言い合ってる限りは、この関係は変わらないよ。確かに国益からしたらその考え方は大事かもしれない。だけどそれはね、金儲けばかりが優先してる人たちや、絶対にそこは曲げられないというエゴを優先させる人たちにとってはそうなのだろう、ということ。
それよりもさ、平和で安定した世界を創っていこうという、その先駆けになって世界に呼びかけるリーダーとして、もっと意識の高い投げかけが日本にはできるはずだよ。戦争に負けたんだし、原爆も投下されたんだし、日本にしかできない投げかけがあるはずなんだよ。韓国や中国が同調しなかったとしても、他の国々から、たとえばスイスのように、ああ日本はそういう立場なのかと認めてもらえるような立ち位置というのがあるはずさ。
今こそ、地球の中の日本である、という考え方に立つべきなんだよ。そしてそれは我々一人ひとりの意識にかかってるんだよ。

ぜひ21世紀は、地球を国家で分けることを超えて、人類とは何なのかという視点を共有した精神のもとに生きたいものだね。同じ星の上で、同じ太陽、同じ水、同じ空気、同じ大地を共有して生きている者たちがいつまで争い続けるのか。それは21世紀の命題だと思うんだよ。
我々人間は、二百数十万種もの生態系のトップとして、どのような地球をつくっていくのか。人間以外のものは意見を言わないと思ってるかもしれないけど、今の地球環境をよく観てみたら、実は無言で言っているわけだよ。その意見を感じ取って、反映させて、未来永劫持続可能な地球にしていくという時が来てるんだよ。

安倍首相は金融マンになっちゃったけど、いつごろ日本の国益ではなくて、人類の歩みとして、この世界の法則、生態系のルール、宇宙開発が進めば宇宙ルール、そういう視点でものを考えるリーダーが出てくるだろうか。
でも意外と面白いのは、橋下さんは大改革をうたって国民にうけたでしょ。もっと以前には、小泉さんが自民党をぶっ壊すと言った時にもすごくうけた。しかし結果は、国民の期待を裏切ったんだよね。だけど、もしもとことん筋が通っていて改革をうたう人が出てきたら、結構うけるかもしれないよね。環境問題とか持続可能ということを本気で考えて、ただ所得が上がるばかりじゃない、もっと調和的な生き方をやっていこうよという投げ掛けをする人が現れたら、同じ想いが実は人々の心の中に潜んでいて、支持されるのかもしれない。だけどそういう政治家は、まだ現れないね。

ともこ
野本さんに政治家の本音を聞きたいです。例えば韓国の政治家でも、日本と仲良くしたいと仮に思っていたとしても、そんなことしたら自分の首が飛んじゃうから厳しいことを言わなきゃいけないとか、政治的な立場からの建て前ってたくさんあると思うんですけど。

いさどん
そりゃあ、あるだろうね。だって当選して初めて政治家はその立場に立てるわけだから。

野本さん
本音という部分においては、私の場合は地域ですけれども、富士宮市のためになると思えば富士宮市のためになるような議論はしますね。対人関係においても、ストレートにものが言える状況があるかというと、ストレートに言ったら人間関係が崩れちゃうから、これは建て前にとどめておこうというのはもちろんあります。個々の社会人としての常識やルールでも、人間関係をうまく保つためにやっていますね。

いさどん
政治家になると余計にそれが出てくるんだよ。

野本さん
まあ出てきますね。一議員としてはある程度自由に話ができるんですけれども、これが仮に市長という立場になったりすると、自分と考えが違う人たちも市民としているわけですから、発言自体も最大公約数で考えないといけなくなるわけですよね。お互いにここまでだったら共通の理解が得られるかな、というところまで公約数を作って、そこでの発言をせざるを得なくなるというのは、立場としてあると思います。あまりストレートに言ってしまうと、反対の人からじゃあやめろと言われたりして、市政もできなくなるわけですから。

ともこ
ストレスたまらないですか。

野本さん
たまる人は選挙に出られないと思います。胃潰瘍になって病院行きになるだけです(笑)。

ともこ
自分の理想としての社会があるとしますよね。でも政治家としての立場を保つために、それと反対のことも言ったりやったりしないといけないわけですよね。

野本さん
まあ自分の場合はまだ議員になって3年目で若手なものですから、ある程度自由で縛られてない部分もあるので。市長とかになると縛られる部分もあるんでしょうけれども。

いさどん
でもこの立場もね、何回か繰り返していくと、自分の支持層が決まってくるんだよね。自分はこの人たちに支えられて当選してるな、ということになると、どうしてもそこの利益代表になってくるからね。言えることも言えなくなる。

野本さん
例えば韓国のことで言うと、国内向けと国外向けの発言を分けてもいいと私は思うんです。国内では日本は反省が足りないと言っていてもいいけれど、同じものをそのまま日本に向けてしまっている。でも本音では、未来志向でやってかなきゃ、21世紀も22世紀も、このままでは経済的にも文化的にもうまくやっていけないというのはわかりきってる話です。お互い大人になって対外的にうまくやっていきましょうよ、という部分が必要になって来るんですよ。

いさどん
今の一言。「お互いに大人になって」ということは、大人がやってることなのに、大人じゃないってことだよ。そこなのよ。つまり、戦争とは何だったのか。なぜ人類にそれが起きるのか。それを考えていくところから始めないと。もっと広い、深い視点に立って時代を読まないといけないってことが、今日の落としどころじゃないの。

なかのん
野本さんに質問ですが、内向きと外向きの発言を分けることなんてできるんですか。今これだけマスメディアが発達して、一つの発言はすぐ世界を駆け巡るのに。

野本さん
できます。大臣同士とか首脳同士で話す時に、公式見解として一切その話を言わなければいいんです。立場と節度を保てばいいと思うのですが、それを言っちゃってるのが今の問題なんですよね。

いさどん
だけどそれはとりあえず表面上かたをつけようという話で、やっぱりさっきの話でも一番ポイントなのは、国民に問題があったんだってことでしょ。そしたら、国民一人一人が意識を変えて、本音を言ってもいい政治家が選ばれる気風を作るってことじゃないの。
結局、裏表がないと政治家としてやっていけないという場所を創ってるのは、国民なんだから。「こう言ったら国民に支持されるだろう」なんて発想でやっているようでは、いつまでたっても気持の良い世界は来ない。政治家が、国民の利益代表として多数決の上に政権を取ろうなんて考えてるようじゃ、国と国が本当に国境を越えて結び合えるような投げ掛けは出てこないんだよ。
だけど今の政治家は、利益代表としてでないとやっていけない宿命にあるからね。ということは、中国や北朝鮮と違って日本は民主国家であり選挙によって国が成り立っていくのだから、国民一人一人がこの国をしょって立っているという自覚を持つことが必要なんだよ。
我々は人類の行く末を担っている。だからこそ、地球人として、地球の生命として、これからのこの地球の運営をどうするかという意識に目覚めることが大事なんだよ。そしてそういう国民が増えていったなら、当然その国民から選ばれる政治家は、その利益代表でいいわけだよ。それは地球レベルの利益代表になるのだから。そこでは、己という枠を超えた国家ができるはずだよ。

こういう話をすると、それはその通りだ、と思う人が多いんだよね。ところが、さて、いざ自分が政治家を選ぶ時になると、自分にとって損か得かで選んだりするわけだよ。会社で仕事をするのも、日々の生活も、結局は全部同じことの連続なのよ。つまり、地球意識で生きることが大事だという認識と現実の生活がかけ離れていたり、多くの人が現実の生活一辺倒で生きているのが、今の人類なんだよ。
太平洋戦争は軍国主義を進めた一部の人たちのせいで起きたのではなく、国民が支持したから起きたんだよ。民衆の支持がなければどんな独裁者だって必ず滅びるからね。結局一人一人の意識が問題を解決していくんだよ。

そういう意味で言うとね、太平洋戦争で痛い思いをして、もうこりごりだと思って来たから、確かにその後表立って戦争には加担してこなかったけれど、実は精神的には相変わらず、競争や差別というかたちで戦争をしてるんだよ。この国の中でも、企業間の競争があったり、極端なことを言えば受験戦争で子どものころから戦争してる。だから毎年3万人、実際には10万人とも言わる自殺者が出るでしょ。それだけ死ぬってことは、戦争をしてるのと一緒なのよ。ただ手段が戦争だったのか、自殺なのか、はたまた生活習慣病で死ぬのかの違いだけで、ベースになっている意識は一緒なんだよ。

人間としてこの世界に生を受けて、自分のことばかりを考えて生きていくのか、それとも世の中全体のことを考えて生きていくのか。人々が人類、地球という視点に立って考える時代が来ない限り、今の問題は解決しない。逆に言うと、どんなに難しい問題でも、その視点に立ったら、簡単に解決できるんだよ。
それが人間の、本当の存在の意味だと思うんだ。

 


いさどんが 名古屋と渋谷にやって来る!

今年、木の花ファミリーを舞台にしたドキュメンタリー映画
『確固たる居場所』が完成しました。
多くの方から「感動した」「衝撃だった」
「自分の生き方を見つめなおすきっかけになった」等々の
コメントが寄せられているこの映画の上映会を、
全国各地にて下記の日程で開催いたします。

そのうち、名古屋と渋谷には
監督の澤則雄さんといさどんも参加!
みなさん、ぜひ宇宙視点で語り合いましょう!

♦6月27日 北海道・札幌「dining&bar Dino」
詳細:http://khfm.us/nw130604-2
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♦6月29日 北海道・札幌「Cafe&Bar 煌めきの箱庭」
詳細:http://khfm.us/nw130611
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♦7月7日 愛知・名古屋「相生山徳林寺」
詳細:http://khfm.us/nw130602
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♦7月15日 東京・渋谷「カフェ・ド・クリエ渋谷桜丘スクエア店」
詳細:http://khfm.us/nw130604
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会場でお会いできるのを楽しみにしています。

 


天命とは?

今朝、いさどんと徒然なるままに話をしていく中で、「天命」についての話が出ました。


いさどん:

このあいだ、若者たちがツアーで訪問してきたけれど、ツアーを主催した子が仲間たちに「あそこでは天命がわかるよ」と伝えたことから、みんな、相談シートに「自分の天命を知りたい」と書いていたね。

普通の人たちは、天命というものを「自分がどんな職業に就くか」とか、「どんな社会的地位につくか」「どんな活動をしていくか」というふうに、物理的なこととして捉えていることがほとんどだと思う。でも、実はそういうことはその人の自由意志の範疇に属することで、いくらでも変化することなんだよね。

天命は、そのまま「天からの命(めい)」と言えるのだけど、天が与えた命(めい)というのは、その魂がどういう形状をしていて、自らをどのように表現して、どのような軌跡をたどるのか、ということなんだよ。そして、それは決定されたものではない。つまり、その人のベースにある心の種を表現すること、それが天命なの。

だから、若い子たちにもそのように伝えたのだけど、「それは自分が考えている天命と違う」と捉えた人は、納得できない様子だった。でも、皆、そこのところを大きく勘違いしている。そして、ファミリーのメンバーの中にも、そこを勘違いしている人はいるだろうと思う。

ようこ:

(メンバーの)まりねえが一時、「私のファミリー全体の中での役割は?」ということで、自分の天命を知りたがっていたことがあったよね。そのときは、きっと物理的なことを言っていたんだよね。

いさどん:

そうそう。

ようこ:

それで、結局まりねえにはその問いに対する答えは与えられなかったけれど、その後、まりねえは自分の意志で自分の心の分析を進めていったよね。そして、その結果、昨日の大人ミーティングで自分が持っている心の種を地球暦の読み解きを通じて教えてもらう、という場をいただいたね。

いさどん:

そうだね。

もういちど繰り返すけど、天命というのは、生きるためのベースになる心の状態を表現することなんだよ。そのベースになる心の状態がどのようにこの世界に波紋を投げかけて、どのような現象をつくっていくのか、その結果が天命、ということ。つまり、心の旅、心の軌跡の結果が天命なんだよ。

総理大臣になったり、会社の経営者になったり、社会的に成功したと言われる人であっても、心の貧しい生き方をする人はたくさんいる。なのに、多くの人々は自分に都合の良いイメージで天命をとらえている。だから、面談を受けるときに、占いのようなつもりで話を聞く人もいる。

ようこ:

そういう人からは、「それは当たっていますね」という言葉が出てきたりするよね。それは、先に自分でイメージを持っているということなんだけど。

でも、「天命とは生きるためのベースになる心の状態のことである」という真理に気付けるチャンスは、普通はなかなかないよね。

いさどん:

そうだね。でも、そこは認識を変えないといけない。そして、認識を変えることによって、単に自分にとって都合の良い結果や世界を追い求めるのではなく、真摯に自分と向き合っていくことこそが天命を全うすることだと気付くことができる。それは、生きる上での大切なポイントなんだよ。

 


「この私の人生を、あなたにプレゼントします」ー ある車中での会話から(2)

東京への往復の車中の会話、後編です。

*    *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:昨日の夜、家に帰る時に夜空を見上げながら、できればこの質量を放棄して、あの星に向かってこのまますーっと行きたいなあ、って思った。それは、「上」に行く、ということではないんだよ。宇宙空間へ出るというだけのことで、宇宙には上下はないからね。
それで、どこへ行くかというと、やっぱりこの太陽系を離れて、銀河の旅をしたいんだよ。この天の川銀河も離れて、別の銀河へ行きたいなあって思ってしまうんだよ。

こうやって話すと絵空事みたいだけど、僕のその想いは本物なんだよ。そしてその想いが現実を創っていく。聖書に「始めに言葉ありき」とあるでしょ。言葉っていうのは想いからできてるから、始まりは想いなんだよ。「想う」という段階では、目には見えない。つかむこともできない。けれども、すべての形あるものは、始めにイメージすることから生まれてくるんだよ。「想う」ということは、宇宙を創造する原理なんだよ。
だから、僕は銀河の旅のこともすっごいマジに考えてるのよ。この肉体から離れることが、すごく楽しみなんだよ。そしてその真剣な想いは、より現実化していくんだ。

結局、その人が何を思考するかが、その人の存在を決めるんだよ。愛ある思考を持っていれば愛ある世界ができるし、愛もどきだったらもどきの世界ができる。そのことに僕はずいぶん前に気付いたものだから、疑わないでとことんやることにした。そうすると、その世界は現実化し、深くなっていく。

ともこ:私も愛ある者になりたくて、それをやろうとするんだけど、一生懸命やろうとしてるうちは“もどき”だなって思うの。「愛あるものになるんだ!」って頭の中で思ってるだけで、心はそうじゃない。そんな者にも、本物の愛が育っていくのかな?

いさどん:それがもどきであるうちは、もどきの世界ができるよね。でもいつか、その一生懸命がもどきじゃないものにつながれば、その時にはそれにふさわしい世界が表れるよ。その人の心のあり方が忠実に再現されるのがこの世界の法則だから。そこのところをとことん理解して、信じて、それになりきれば、その想いにふさわしい現象を生んでいくよ。

僕は確信を持ってるんだよ。昔、富士のふもとに菩薩の里を創ろうとイメージした時に、「いや、そんなことは無理だ」とか「自分みたいなものが人に影響を与えられるようになるのだろうか」という想いが湧いた。だけど同時に、それだからいけない、自分で自分の想いを否定するようなことではいけない、と思ったんだよ。だからその自分を否定する自分を否定して、自分にはそれができるんだと信じ切ることにした。やるだけやって、結果をもらえばいいじゃないか、って考えるようにしたんだ。

極端なことを言うとね。これは本当だろうかと考えるようなことがあった時に、それは僕をたぶらかそうとしている悪魔が、僕をからかって、天になりすまして与えたものだったとするでしょ。僕は、それでもいいと思うんだよ。なぜなら、僕はこの道を歩む時に、とことん信じることをベースにしているから。とことん信じて、まっすぐ進むということをベースにして歩んでいる限り、たとえそれを与えているのが悪魔だったとしても、それでもかまわないんだよ。
そして、僕が人生を終える時に悪魔が
「はっはっは。どうだ、見事にお前を騙してやったぞ。引っかかったな」
と言ったらね、僕はそこでにっこり笑ってね、
「そうですか。あなたは悪魔で、私を騙してきたんですね。
でもその悪魔に私が提供したものは何だと思いますか」
と言うんだよ。そしてね、その僕を騙し続けてきた悪魔に向かって、こう言うんだ。
 
「僕はまっすぐ信じて、この道を歩み切りました。
 この私の人生をあなたにプレゼントしますよ。」
 
 
ねじれて、歪んで、疑っているものを悪魔と呼ぶならば、その悪魔にとって、そんな恐ろしい返り討ちはないんだよ。だってそれは、完全に彼を否定するものだから。彼はそこで「ああ、やられた」と言って消えていくか、それとも、申し訳なかったと言って心を入れ替えるかの、どちらかだろうね。
だから、たとえ悪魔であったとしても決して屈しないんだよ。ましてやそれが神であるならば、なおさらそのまま進んでいけばいい。

ともこ:今の話を聞いて、私の人生はずっと疑いがベースになって来てるって思う。人との関係でも、いつか自分は見放されるんじゃないかという怖れが常にあって、わざわざその関係を壊すような行動を起こすんだよ。どうせダメなんでしょと疑って、その通りの結果を招いて、ほらやっぱりダメなんだと確認してある意味安心してる。そうやってわざわざ自分の不信を深めてるの。

いさどん:疑いがベースということでは、僕もそういう時があったんだよ。だけど、疑う自分がどういうものかと考えてみると、それって価値がないでしょ。僕はそういう自分を評価できないわけだよ。そういった心がある自分は、好きじゃない。疑う心を持ち続けるということは、それでよしとしているってことなんだよ。それを捨てるか捨てないかは、その人の意志だからね。
僕には、強い意志と決意があった。それはどういうものかというと、常に道理の通った方を選び、自分に価値をつけるということ。その王道を行くことをとことん徹底するから、時には矛盾した自分を否定することもある。それだけの意志があるか。僕にはそれがあるから、怖いとは思わないんだよ。

ともこ:私の場合、信じて、自分が傷つくことを怖れてるんだ。

いさどん:信じて傷付くとしたら、それは信じ方が間違ってるってことだよ。

ともこ:信じ方が中途半端ってこと?

いさどん:中途半端というのは、つまり信じてないということだよ。信じることを怖れてるってことは、つまり自分の想いと違うことが起きるかもしれないと疑ってるってことでしょう。ということは、信じてないってことなんだよ。
だから、「信じることを怖れてる」というのは正確な表現じゃないね。つまりは「疑ってる」だけのことなんだよ。どこまでも疑ってるっていうことさ。

ともこ:そうか。言葉は正確に使わないとね。

いさどん:そう。言葉が間違ってるんだよ。信じることを怖れていて、信じるも何もない。

ともこ:うん。
思うんだよ。信じてる人は気持ちいいだろうなって。

いさどん:いやあ、もしもこういう究極的な意味で信じる信じないという話になったら、信じてる人はほとんどいないんじゃないかな。まあ、人生の部分的なところでは信じてるって言えることはあるだろうね。だけど究極的に信じている人は、なかなかいない。もし本当に信じていたら、どんなことが起きようとも怖れる必要はなくなるよ。

ともこ:いさどんは信じてるの?

いさどん:何か出来事が起きた瞬間は「わあー」って思う時もあるよ。だけど、今までいろんなことが起きたけど、結果的にここまで歩んできてるってことは、その出来事はその瞬間のプロセスを見せてくれただけとも言えるんだよ。「人間万事塞翁が馬」と言うでしょ。今起きていることに対して、結論なんて何も出せないんだよ。
そして今までいろいろあったけど、事実として、この道を信じてやって来て道理から外れたことは一度もないんだよ。うっと思うことが起きれば起きるほど、たくましくしてもらってるんだと思うよ。

ともこ:今こうやっていさどんの話を聞いているとね、何を疑うことがあるんだろうか、って、疑うことの意味を感じなくなってきたよ。

いさどん:そうでしょう。

ともこ:それを、今のこの瞬間だけじゃなくて、日常の中の一瞬一瞬に活かしていけたらいいなって思うんだ。たとえば誰かと話している時に自分の中の疑いを感じる、その瞬間に。

いさどん:それは、その時にそれまでの見通しが外れるような出来ごとが起これば、瞬間は僕だってウッと思うよ。だけど、見通しが外れるってことは、自分の考えていたことと違うことが起きる、つまりわかっているのではないことが起きるんだから、逆に楽しみなことになる。予想以上の何かが起きるぞって思うんだ。
見通しが壊れるってことは、その考えに固執している人間にとっては恐怖なわけだよ。自分の思った通りにならないんだから。僕の場合は、それを楽しむんだよ。さてこれからどうなるだろうね、って。

ともこ:そうなんだね。私なんてね、自分の思った通りにならなくて、勝手に傷ついてたりするんだよ。

いさどん:思った通りにならなかったことを、その結果も見ないうちに何で悪いことだって決め付けるの。思っていたよりもいい結果になる可能性だってあるんだよ。そしてどんな結果であっても、それがまた次を生んでいく。結果は、常に紡がれて続いていくんだよ。

人間は、自分の意志で人間をやっているのではなく、この宇宙から何かを受託して、銀河や太陽系、そして地球がどういう歴史を刻むのかということの延長に、この世界で役割をもらっているんだよ。つまり我々は、銀河の舞台、地球の舞台の役者なわけだ。
役者にはシナリオがあって、多少のアドリブの自由は与えられつつも、そのシナリオを忠実に演じてるんだよ。そしてそれは大きな仕組みの中にあり、役者はシナリオを演じながら、その仕組みが発しているメッセージが一体何であるかを考えるべきなんだ。それが優れた役者になるということだよ。ところがそこを観ようとしないものだから、シナリオ通りに進んでいることであっても、自分の考えと違うと言ってウッとしたりするわけだ。

そして、我々は地球という舞台で肉体をもらって役者をやりながら、同時に観客でもあるんだよ。シナリオライターと監督はというと、天、つまり神の領域にあり、我々は役者として自分たちで演じながら、同時に観客としてその舞台で展開される物語を楽しみ、その奥にあるシナリオライターや監督からのメッセージを感じとることができるという、すごくおもしろい世界にいるんだよ。

そんな場所を与えられているのだから、楽しまなくちゃね!