橋下大阪市長発言から見えてくるもの

今回は、先ごろマスコミを大きく賑わした橋下徹大阪市長の発言を宇宙視点から語ります!
座談会には、静岡県富士宮市議会の現職民主党議員である野本貴之さんにもご参加いただきました。

*  橋下市長の発言については、下記にて全文をご覧になれます。
 5月13日 橋下氏と記者団のやり取り ― 朝日新聞デジタル
 5月27日 橋下氏「私の認識と見解」全文 ― 毎日jp

野本市議(右)を交えての座談会の様子
野本市議(右)を交えての座談会の様子

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いさどん
今回の一連の報道を見ていて思ったのは、橋下さんは政治の世界で生きる人としては正直すぎるし、そうだからこそ軽率でもあるということ。簡単に言うと、国政を担うだけの器ではなかったってことにもなるね。
彼が知事になった当時は大阪府政なんて真っ黒けで、そこに歯に衣着せぬ発言で颯爽と登場した橋下さんは、不満でいっぱいだった府民や国民から大声援を受けた。彼は賢明で、言動にも筋も通ってた。ところがそのままの姿勢では、結局、国政を担うだけの器の大きさを問われることになる。政治の現場では、異なる立場の人達とも共にやっていく度量が必要なんだよ。そこを正義感で突っ走って、反感を持たれていたところから一気にバッシングを受けた。つまりは彼の人間性が表面に現れたというだけのことだから、そんなにキイキイ言っていじめる必要はないなあと僕は思うんだよ。

橋下徹大阪市長
橋下徹大阪市長

彼の発言内容を見ると筋が通っていて、根拠のないものではない。かと言って容認するようなものでもないけれど、一つ、みんなに考えて欲しいのは、時代は常に移り変わっている、ということ。人類の歴史として、長い間男尊女卑の世界が続いてきた。海外ではレディーファーストなんて言葉もあるけど、それは男性社会が都合よく使ってきたもので、形を優先して平等の精神を表現することを怠ってきたんだよ。橋下さんの言う従軍慰安婦問題だけでなく、世界で女性たちが歴史上どう扱われてきたか。逆に言うと、女性たちも自らの尊厳に目覚めていなかった。そういう時代から、本当の意味での平等、宇宙の根源に陰陽があるように、そろそろフィフティー・フィフティーの関係になる社会が来てほしいし、来るべきだと僕は思ってる。今回の出来ごとも、そこへ向かっていく時代の流れの中で起きていると見てるんだよ。

橋下さんは一連の騒動の後に出した「私の認識と見解」の中で、今こそ女性の人権を尊重し、新しい時代を創っていこうと語っている。彼のような切り口からそういった捉え方をすることもできると思うんだけど、なぜこんなにマスコミから叩かれるのか。その理由の一つに、彼は沖縄の米軍司令官に風俗産業の利用をすすめたんだよね。そんなことを米軍司令官に伝えたら、軍の規律として否定するに決まってるのに、なんというか、公人である意識が低いというのか、デリカシーが足りないんだよ。民主党の立場からはどう捉えますか?

野本さん
もちろん党内にもいろんな意見はあります。

いさどん
何でも民主党は分かれてるんじゃないの。

野本さん
民主党だけではなく与党の中でも分かれてますが、いわゆる中間よりの方々と、そうじゃない方々の中で分かれています。従軍慰安婦問題で言えば、日本と韓国が合意した日韓基本条約の中でそこは解決しており、韓国の公式見解として個人の対日請求権は放棄して、従軍慰安婦の個々の問題については韓国の国内法で対応する、となっているんです。ところが韓国内でそんなことを言ったら政権の首が飛んでしまいますし、実際にその合意内容が報道された時には非難が殺到しました。だから韓国政府は対外的には強くでざるを得ない。そして日本政府に対して、そうは言っても人道的な配慮として何とかしてくれよと、ある意味泣きついてきているような状態なんです。

いさどん
それは水面下の話?イ・ミョンバク(韓国前大統領)は日本に対してそれなりの措置を取るべきだという強気な言い方をしていたし、韓国の最高裁判所でも、過去の条約で解決していると言っても従軍慰安婦問題は別という見解だったけれど。

野本さん
韓国では、親日的態度は売国奴と言われてしまう面がありますから、そう言わざるを得ないんですよね。外交的には日韓基本条約で解決していて、本来は韓国でやるべき問題を日本に言って来ていること自体が問題だ、というのが日本政府の立場です。

いさどん
それは政治家たちの話でしょ。宇宙的視点に立って語ってほしいね(笑)。

野本さん
それは、大人の、未来的な考えで線引きをしないと、我々の孫の世代や、どこまで先人たちの責任を負い続ける必要があるのかという話が必ず出てきます。

いさどん
だけど、今のような姿勢でいたらどこまでも解決しないで行くよ。

野本さん
韓国の留学生と話たりするのですが、韓国は政治的なパフォーマンスとして対日的に強く言うんですけれども、一般国民の間の個々の文化交流や学生たちの交流では、そこまで日本に対する嫌悪感や謝罪を求める姿勢はほとんどないんです。ある意味建前で動いてるんだと思います。従軍慰安婦の件もそうですし、橋下さんの米軍司令官への発言も、あれは完全に「自由と正義の国アメリカ」「レディーファーストの国アメリカ」としての建て前をぶち破っちゃったもんですから。司令官としては、例えば飲み会のような席ではその通りと思っても、アメリカはあくまでも自由と正義、ジェントルマンの国という建国以来の精神を持ってるので、あなたの言う通りですなんて対外的に言えるわけがない。その本音と建て前を橋下さんは履き違えたんですよ。

いさどん
この騒動を宇宙視点から語るとしたら ― 。
橋下さんが言うような、歴史的事実は実際にあるんだよね。中国でもベトナムでもサラエボでも、これまで世界中で軍による女性蹂躙がどれほどたくさんあったか。そして政府の要請によって、言葉は悪いけど売春婦が戦地へ従軍するということが日本にもあり、彼はそのことを言っている。
ところが、そのような職業的な人もいたけれど、日本軍が相手国の一般市民を強制的に、それこそまだ10代の女の子をつかまえては慰安婦になることを強要したということは事実としてあったんだよ。それは元日本兵たちが証言してる。

野本さん
過去にその証言をまとめたものがありますが、検証した結果、その証言自体が曖昧だという話もあるんですよね。もちろん全部を否定するつもりはありませんが。

いさどん
だけどね、そんなことを言ったら、裁判で強姦か強姦じゃないかを立証する時に、いかにそれが事実であるかをリアルに証言しないといけなくて、その上で立証できたときに初めて強姦事件になるのと同じような話になっちゃうよ。その方向へ話を持って行くと、政治家とか、利害関係の中で突っぱねる人たちの考えになるのよ。それをやっている限り、この問題は次の世代に持ち越してしまうよ。
ここはそんな政治家たちの見解を探る場所じゃなくて、超人類視点に立って、宇宙視点で考えるとどうかという話をする場所なのよ。

事実として、戦争という、精神が異常な状態になる場所で何が行われてきたのか。単に日本と韓国とか、従軍慰安婦問題というようにその部分だけを切り取って見るのではなくて、人間というものが異常になったら何を起こすかということを観ていったら、細かいことを一つひとつ立証しなくても、それはあり得ることだとして捉えられるでしょう。
今回の騒動を見ていて、ここから我々は何をどうするべきかなと思ったら、人類はなぜ戦争を必要としてきたのか、そして、人類の歴史の中で、どうやったら戦争を追放できるのか ― そこを考えていくことなんだよ。その視点に立たないと、いつまでたっても国益だとか立証がどうのとかいう話になってしまう。そうすると心情的なもので常に対立したままになって、永遠にこの問題は解決しない。
大切なのは、ここから先をどうするか、ということなんだよ。

ともこ
うん。どの報道を見ても、言った言わないとか、やったやらない、撤回しろ撤回しないというようなところでばかり盛り上がっていて、根本的な本質のところに議論が向かわないのはどうしてだろうって思うの。

いさお
ネット上でも「どっちが正しかったのか」ということに対する意見がほとんどで、どこまで行ってもけりがつかない。

いさどん
捉え方によっては橋下さんの言ってることも間違ってはいないんだよ。彼は別にバランスの悪い見方をしてるのでもないしね。
かつて日本は、大東亜共栄圏という理想のもとに、欧米の植民地支配から東アジアを解放しようとしていたわけだよ。当時の東アジアの国々にしたら、みんな欧米の植民地だったから、日本軍は一時は歓迎もされた。ところが、やったことが野蛮だった。それが問題なんだよ。
日本の軍隊がどれほど野蛮かと言ったら、たとえば中国で南京大虐殺をしたとかフィリピンで何をやったとかの事実は、いろいろ見方があってわからないことだけれども、事実としてね、アメリカと戦う時にだよ、勝ち目のない戦争をやったでしょ。日本人が日本人の兵隊に対して、どれほどつまらない命令を下して殺したか。そういった日本人の了見を見直す必要があるんだよ。日本人が日本人を殺したんだよ、あの戦争は。

神風特攻隊の少年兵たち
神風特攻隊の少年兵たち

ともこ
特攻隊や人間魚雷も、訓練や設備の不足から実際は自滅のような形で命を落とす人も多かったって言うよね。東南アジアでは、無茶な作戦を続けたために戦死者より餓死者が多く出たところもあった。

いさどん
僕はそこから、日本人の幼稚さを観てるんだよ。そこから考えると、あんな世界観の狭い、捕虜になったら自決すべきと一方的に命令を下すような発想の者たちが、フィリピンやその他の国へ行って尊敬されるような進駐をしたかどうかは想像できるじゃない。
戦後は、物理的に賠償もしてきたし、ずいぶん振り返ってもきたし、謝れって言われれば謝ってきたんだけど、なぜか日本は許されないんだよね。それは何でかというと、何となくだけど、日本人の中に橋下的気質があるんじゃないか、と思うんだよ。今回日本人はみんな橋下さんを非難しているけど、日本人の中にどこか橋下さんと同じような、自分たちは間違っていない、と理屈を並べて正しさを主張したいところがあるんじゃないかな。

なかのん
日本だけじゃなくて他の国もそうだったんだ、とか。

野本さん
戦後、国民は軍事政権に騙されて戦争に参加させられたんだ、こんな戦争を引き起こしたのは東条英機など一部の軍部の責任で、一般国民の我々は悪くない、というのが国民の意識としてあったわけじゃないですか。そして民主主義は素晴らしいってことに価値観が変わったわけですけれども、実際は国民にも責任があったんですよ。

いさどん
そりゃあそうだよ。オウム真理教のような問題も同じことで、社会はオウムを悪者にしてるけど、社会が若者のエネルギーを正しく引き出せなかったからオウムが発生したんだよ。つまり社会がオウムを必要としていたわけだ。その前の日本赤軍にしても、すべては社会から発生してるんだから、それは日本国民の気質なんだよ。

野本さん
そう言う意味では、戦後60年以上たちましたけれども、私は戦後の時の国民性と今の国民性は変わってないと思ってます。戦争を引き起こしたのも止めることができなかったのも日本国民なわけですから。東条内閣の判断力や指導力不足という問題はもちろんありますけれども、町内でも一丸となって熱狂的にそれを支持して、我が子を万歳して戦地へ送り出し、戦争に協力しなければ「非国民」と非難していたのですものね。
でも戦争が終わってガラッと変わった。そしてアメリカ側からの裁判では、一部の軍国主義者たちが先導したから日本国民は悪くないですよと言われてしまったものだから、我々の上の世代の方々は、自分たちは悪くないんだ、軍国主義者たちが先導したんだ、となって、それが今そのまま引き継がれている部分があるのかなと思うんです。

いさどん
僕の親父の世代から直接聞いた感じだと、建て前はそうだったよね。国民は悪くないと。でも親父たちはね、全然戦争に対して反省してなかったよ。橋下さんも言ってるけど、あれは負けたからこうなったのであって、勝てば官軍なんだから、負けたことがいけなかった、日本には正義があった、という発想なんだよ。

当時の「大東亜共栄圏」地図
当時の「大東亜共栄圏」地図

野本さん
勝っていたら、いわゆる大東亜共栄圏ができて、アジアが一つになっていたと。もしそれが実現していたら、今ごろ正義だったということですね。

いさどん
そこは、やっぱり日本は負けるべくして負けた、と思うんだよ。当時の日本の統治の仕方にしても戦争のやり方にしても、意識は低かった。あれで勝っていたらとんでもない国家ができるよ。北朝鮮よりももっと恐ろしい国家ができてるよ。だから負けるべきだった。時代は正しかった、と僕は思うよ。

ともこ
その日本国民の気質というのは、日本人に特有のものなのかな?

いさどん
そうだろうね。この島国で、実力以上のプライドがあったということだと思うよ。
もともと、日本という国は世界で最も神を祀る国でしょ。八百万の神々と共に生きてきた、本来はとても信仰が深い民族なんだよ。自然と共に、宇宙の法則に則って生きてきた精神性がベースにあって、その誇りをプライドとして持ってる。それが、高い精神性が無くなってプライドだけが残っていたんだよ。さらに、戦争に負けて神国としての誇りがズタズタになって、本当の日本人の価値感といったものを持てなくなったところで、変なプライドがまだ残ってるということだと思うのね。
ドイツが意外と他の国とうまくやってるのは、自分の国がやったことをとことん振り返って、ナチスを総括し、民族としての反省をしたわけ。でも日本人はどこかで、大東亜共栄圏という名のもとに東アジアの解放に貢献したんだという思いが残ってるんだよ。
僕がそこで思うのは、日本人は神々と共に生きてきた精神性が高い民族だという誇りを持つべきだとは思うんだけれど、それは高い精神性に根付いた誇りであって、その精神性を十分に保てない、実態のないプライドだけがあるということが問題なんだろうと思うんだよ。

ともこ
戦争の反省も足りてない?

いさどん
日本的には十分振り返っているつもりだろうけど、被害者でもいろいろいるでしょう。例えばいじめにあった人でも、10謝ったら許す人もいれば100謝っても許さない人もいて、それは相手をよく見て、相手に合わせて対処するってことが大切なんだけど、やっぱり日本側の視点からでしか捉えられていないと思うんだよ。こちら側の理屈が主張されてるってことだよ。

ともこ
確かにいくら議論を重ねてもずっと平行線で、距離が近付いていく感じがしないね。

いさどん
それはひとえに、国家を超える意識がないからだよ。
もしも日本が大戦前にうたっていた、大東亜共栄圏として欧米列強の植民地支配から東アジアを救い解放するんだという意識が本物であり、それだけの大きな精神があったなら、自分たちのやったことが愚かであったということを認めて、もう1度手を結ぶことができるはずだよ。
だけど実際は、大東亜共栄圏という名のもとに、日本の国益をただひたすら追求して、欧米の列強がやっていたことを真似しようとしたわけだよね。それは植民地主義を同じ兄弟の国に対して進めようとしたに過ぎないんだから、反感を買っても仕方ないと思うんだよ。

今月横浜にて開催されたアフリカ開発会議
今月横浜にて開催されたアフリカ開発会議

そういう姿勢をしっかり振り返って、自らを見直し、そして成長させていくという作業が、日本にはできていない。今、日本はアフリカを最後のビジネスフロンティアとして、中国や韓国と競いながら進出しているけれど、あれも武器を持っていないだけで、やっていることは同じようなことだよ。そういった自国優先の進出ではなく、地球規模の豊かさを追求するために協働していくことが、21世紀のリーダーシップとして大切なことだと思うんだよ。
もしも謙虚に、しっかりと相手の感情も踏まえながら自らを振り返ることができたなら、中国や韓国がプライドが高いとか被害妄想が強いなんて言って原因を相手のせいにしなくても、もっといい関係が創れるはずだよ。そうじゃない?

ともこ
そう思う。もし、世界の中で日本にできる役割があるとしたら、それっていったいどんなことだろう?

いさどん
まず、これを解決するためには、やっぱりとことん今までの過ちを認めるということだよ。それは、やったことの罪を認めるというよりも、自らを戦争に駆り立てていった、その精神性が未熟であったことを認めるということだと思うんだよ。
それを認めた上で、その出来事を今後に活かしていくために、どう協働していくのかを考える。東アジアとの関係とか、もっと大きくアジア全体や、世界に日本がどう働きかけていくのか。どう他の国と手を結んでいくのかということは、アメリカに対してだって呼びかけていけるわけでしょ。それが新しい意味での、日本の精神性を活かした、ある意味世界のリーダーシップを取っていくような国になる立ち振る舞いじゃないかと思うんだ。それが大人の発想だと思うよ。

尖閣諸島や竹島にしても、そういった問題を共同で考えていく提案ができるくらいの度量があるといいね。譲るだの譲らないだのでちまちま言い合ってる限りは、この関係は変わらないよ。確かに国益からしたらその考え方は大事かもしれない。だけどそれはね、金儲けばかりが優先してる人たちや、絶対にそこは曲げられないというエゴを優先させる人たちにとってはそうなのだろう、ということ。
それよりもさ、平和で安定した世界を創っていこうという、その先駆けになって世界に呼びかけるリーダーとして、もっと意識の高い投げかけが日本にはできるはずだよ。戦争に負けたんだし、原爆も投下されたんだし、日本にしかできない投げかけがあるはずなんだよ。韓国や中国が同調しなかったとしても、他の国々から、たとえばスイスのように、ああ日本はそういう立場なのかと認めてもらえるような立ち位置というのがあるはずさ。
今こそ、地球の中の日本である、という考え方に立つべきなんだよ。そしてそれは我々一人ひとりの意識にかかってるんだよ。

ぜひ21世紀は、地球を国家で分けることを超えて、人類とは何なのかという視点を共有した精神のもとに生きたいものだね。同じ星の上で、同じ太陽、同じ水、同じ空気、同じ大地を共有して生きている者たちがいつまで争い続けるのか。それは21世紀の命題だと思うんだよ。
我々人間は、二百数十万種もの生態系のトップとして、どのような地球をつくっていくのか。人間以外のものは意見を言わないと思ってるかもしれないけど、今の地球環境をよく観てみたら、実は無言で言っているわけだよ。その意見を感じ取って、反映させて、未来永劫持続可能な地球にしていくという時が来てるんだよ。

安倍首相は金融マンになっちゃったけど、いつごろ日本の国益ではなくて、人類の歩みとして、この世界の法則、生態系のルール、宇宙開発が進めば宇宙ルール、そういう視点でものを考えるリーダーが出てくるだろうか。
でも意外と面白いのは、橋下さんは大改革をうたって国民にうけたでしょ。もっと以前には、小泉さんが自民党をぶっ壊すと言った時にもすごくうけた。しかし結果は、国民の期待を裏切ったんだよね。だけど、もしもとことん筋が通っていて改革をうたう人が出てきたら、結構うけるかもしれないよね。環境問題とか持続可能ということを本気で考えて、ただ所得が上がるばかりじゃない、もっと調和的な生き方をやっていこうよという投げ掛けをする人が現れたら、同じ想いが実は人々の心の中に潜んでいて、支持されるのかもしれない。だけどそういう政治家は、まだ現れないね。

ともこ
野本さんに政治家の本音を聞きたいです。例えば韓国の政治家でも、日本と仲良くしたいと仮に思っていたとしても、そんなことしたら自分の首が飛んじゃうから厳しいことを言わなきゃいけないとか、政治的な立場からの建て前ってたくさんあると思うんですけど。

いさどん
そりゃあ、あるだろうね。だって当選して初めて政治家はその立場に立てるわけだから。

野本さん
本音という部分においては、私の場合は地域ですけれども、富士宮市のためになると思えば富士宮市のためになるような議論はしますね。対人関係においても、ストレートにものが言える状況があるかというと、ストレートに言ったら人間関係が崩れちゃうから、これは建て前にとどめておこうというのはもちろんあります。個々の社会人としての常識やルールでも、人間関係をうまく保つためにやっていますね。

いさどん
政治家になると余計にそれが出てくるんだよ。

野本さん
まあ出てきますね。一議員としてはある程度自由に話ができるんですけれども、これが仮に市長という立場になったりすると、自分と考えが違う人たちも市民としているわけですから、発言自体も最大公約数で考えないといけなくなるわけですよね。お互いにここまでだったら共通の理解が得られるかな、というところまで公約数を作って、そこでの発言をせざるを得なくなるというのは、立場としてあると思います。あまりストレートに言ってしまうと、反対の人からじゃあやめろと言われたりして、市政もできなくなるわけですから。

ともこ
ストレスたまらないですか。

野本さん
たまる人は選挙に出られないと思います。胃潰瘍になって病院行きになるだけです(笑)。

ともこ
自分の理想としての社会があるとしますよね。でも政治家としての立場を保つために、それと反対のことも言ったりやったりしないといけないわけですよね。

野本さん
まあ自分の場合はまだ議員になって3年目で若手なものですから、ある程度自由で縛られてない部分もあるので。市長とかになると縛られる部分もあるんでしょうけれども。

いさどん
でもこの立場もね、何回か繰り返していくと、自分の支持層が決まってくるんだよね。自分はこの人たちに支えられて当選してるな、ということになると、どうしてもそこの利益代表になってくるからね。言えることも言えなくなる。

野本さん
例えば韓国のことで言うと、国内向けと国外向けの発言を分けてもいいと私は思うんです。国内では日本は反省が足りないと言っていてもいいけれど、同じものをそのまま日本に向けてしまっている。でも本音では、未来志向でやってかなきゃ、21世紀も22世紀も、このままでは経済的にも文化的にもうまくやっていけないというのはわかりきってる話です。お互い大人になって対外的にうまくやっていきましょうよ、という部分が必要になって来るんですよ。

いさどん
今の一言。「お互いに大人になって」ということは、大人がやってることなのに、大人じゃないってことだよ。そこなのよ。つまり、戦争とは何だったのか。なぜ人類にそれが起きるのか。それを考えていくところから始めないと。もっと広い、深い視点に立って時代を読まないといけないってことが、今日の落としどころじゃないの。

なかのん
野本さんに質問ですが、内向きと外向きの発言を分けることなんてできるんですか。今これだけマスメディアが発達して、一つの発言はすぐ世界を駆け巡るのに。

野本さん
できます。大臣同士とか首脳同士で話す時に、公式見解として一切その話を言わなければいいんです。立場と節度を保てばいいと思うのですが、それを言っちゃってるのが今の問題なんですよね。

いさどん
だけどそれはとりあえず表面上かたをつけようという話で、やっぱりさっきの話でも一番ポイントなのは、国民に問題があったんだってことでしょ。そしたら、国民一人一人が意識を変えて、本音を言ってもいい政治家が選ばれる気風を作るってことじゃないの。
結局、裏表がないと政治家としてやっていけないという場所を創ってるのは、国民なんだから。「こう言ったら国民に支持されるだろう」なんて発想でやっているようでは、いつまでたっても気持の良い世界は来ない。政治家が、国民の利益代表として多数決の上に政権を取ろうなんて考えてるようじゃ、国と国が本当に国境を越えて結び合えるような投げ掛けは出てこないんだよ。
だけど今の政治家は、利益代表としてでないとやっていけない宿命にあるからね。ということは、中国や北朝鮮と違って日本は民主国家であり選挙によって国が成り立っていくのだから、国民一人一人がこの国をしょって立っているという自覚を持つことが必要なんだよ。
我々は人類の行く末を担っている。だからこそ、地球人として、地球の生命として、これからのこの地球の運営をどうするかという意識に目覚めることが大事なんだよ。そしてそういう国民が増えていったなら、当然その国民から選ばれる政治家は、その利益代表でいいわけだよ。それは地球レベルの利益代表になるのだから。そこでは、己という枠を超えた国家ができるはずだよ。

こういう話をすると、それはその通りだ、と思う人が多いんだよね。ところが、さて、いざ自分が政治家を選ぶ時になると、自分にとって損か得かで選んだりするわけだよ。会社で仕事をするのも、日々の生活も、結局は全部同じことの連続なのよ。つまり、地球意識で生きることが大事だという認識と現実の生活がかけ離れていたり、多くの人が現実の生活一辺倒で生きているのが、今の人類なんだよ。
太平洋戦争は軍国主義を進めた一部の人たちのせいで起きたのではなく、国民が支持したから起きたんだよ。民衆の支持がなければどんな独裁者だって必ず滅びるからね。結局一人一人の意識が問題を解決していくんだよ。

そういう意味で言うとね、太平洋戦争で痛い思いをして、もうこりごりだと思って来たから、確かにその後表立って戦争には加担してこなかったけれど、実は精神的には相変わらず、競争や差別というかたちで戦争をしてるんだよ。この国の中でも、企業間の競争があったり、極端なことを言えば受験戦争で子どものころから戦争してる。だから毎年3万人、実際には10万人とも言わる自殺者が出るでしょ。それだけ死ぬってことは、戦争をしてるのと一緒なのよ。ただ手段が戦争だったのか、自殺なのか、はたまた生活習慣病で死ぬのかの違いだけで、ベースになっている意識は一緒なんだよ。

人間としてこの世界に生を受けて、自分のことばかりを考えて生きていくのか、それとも世の中全体のことを考えて生きていくのか。人々が人類、地球という視点に立って考える時代が来ない限り、今の問題は解決しない。逆に言うと、どんなに難しい問題でも、その視点に立ったら、簡単に解決できるんだよ。
それが人間の、本当の存在の意味だと思うんだ。

 


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