「この私の人生を、あなたにプレゼントします」ー ある車中での会話から(2)

東京への往復の車中の会話、後編です。

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いさどん:昨日の夜、家に帰る時に夜空を見上げながら、できればこの質量を放棄して、あの星に向かってこのまますーっと行きたいなあ、って思った。それは、「上」に行く、ということではないんだよ。宇宙空間へ出るというだけのことで、宇宙には上下はないからね。
それで、どこへ行くかというと、やっぱりこの太陽系を離れて、銀河の旅をしたいんだよ。この天の川銀河も離れて、別の銀河へ行きたいなあって思ってしまうんだよ。

こうやって話すと絵空事みたいだけど、僕のその想いは本物なんだよ。そしてその想いが現実を創っていく。聖書に「始めに言葉ありき」とあるでしょ。言葉っていうのは想いからできてるから、始まりは想いなんだよ。「想う」という段階では、目には見えない。つかむこともできない。けれども、すべての形あるものは、始めにイメージすることから生まれてくるんだよ。「想う」ということは、宇宙を創造する原理なんだよ。
だから、僕は銀河の旅のこともすっごいマジに考えてるのよ。この肉体から離れることが、すごく楽しみなんだよ。そしてその真剣な想いは、より現実化していくんだ。

結局、その人が何を思考するかが、その人の存在を決めるんだよ。愛ある思考を持っていれば愛ある世界ができるし、愛もどきだったらもどきの世界ができる。そのことに僕はずいぶん前に気付いたものだから、疑わないでとことんやることにした。そうすると、その世界は現実化し、深くなっていく。

ともこ:私も愛ある者になりたくて、それをやろうとするんだけど、一生懸命やろうとしてるうちは“もどき”だなって思うの。「愛あるものになるんだ!」って頭の中で思ってるだけで、心はそうじゃない。そんな者にも、本物の愛が育っていくのかな?

いさどん:それがもどきであるうちは、もどきの世界ができるよね。でもいつか、その一生懸命がもどきじゃないものにつながれば、その時にはそれにふさわしい世界が表れるよ。その人の心のあり方が忠実に再現されるのがこの世界の法則だから。そこのところをとことん理解して、信じて、それになりきれば、その想いにふさわしい現象を生んでいくよ。

僕は確信を持ってるんだよ。昔、富士のふもとに菩薩の里を創ろうとイメージした時に、「いや、そんなことは無理だ」とか「自分みたいなものが人に影響を与えられるようになるのだろうか」という想いが湧いた。だけど同時に、それだからいけない、自分で自分の想いを否定するようなことではいけない、と思ったんだよ。だからその自分を否定する自分を否定して、自分にはそれができるんだと信じ切ることにした。やるだけやって、結果をもらえばいいじゃないか、って考えるようにしたんだ。

極端なことを言うとね。これは本当だろうかと考えるようなことがあった時に、それは僕をたぶらかそうとしている悪魔が、僕をからかって、天になりすまして与えたものだったとするでしょ。僕は、それでもいいと思うんだよ。なぜなら、僕はこの道を歩む時に、とことん信じることをベースにしているから。とことん信じて、まっすぐ進むということをベースにして歩んでいる限り、たとえそれを与えているのが悪魔だったとしても、それでもかまわないんだよ。
そして、僕が人生を終える時に悪魔が
「はっはっは。どうだ、見事にお前を騙してやったぞ。引っかかったな」
と言ったらね、僕はそこでにっこり笑ってね、
「そうですか。あなたは悪魔で、私を騙してきたんですね。
でもその悪魔に私が提供したものは何だと思いますか」
と言うんだよ。そしてね、その僕を騙し続けてきた悪魔に向かって、こう言うんだ。
 
「僕はまっすぐ信じて、この道を歩み切りました。
 この私の人生をあなたにプレゼントしますよ。」
 
 
ねじれて、歪んで、疑っているものを悪魔と呼ぶならば、その悪魔にとって、そんな恐ろしい返り討ちはないんだよ。だってそれは、完全に彼を否定するものだから。彼はそこで「ああ、やられた」と言って消えていくか、それとも、申し訳なかったと言って心を入れ替えるかの、どちらかだろうね。
だから、たとえ悪魔であったとしても決して屈しないんだよ。ましてやそれが神であるならば、なおさらそのまま進んでいけばいい。

ともこ:今の話を聞いて、私の人生はずっと疑いがベースになって来てるって思う。人との関係でも、いつか自分は見放されるんじゃないかという怖れが常にあって、わざわざその関係を壊すような行動を起こすんだよ。どうせダメなんでしょと疑って、その通りの結果を招いて、ほらやっぱりダメなんだと確認してある意味安心してる。そうやってわざわざ自分の不信を深めてるの。

いさどん:疑いがベースということでは、僕もそういう時があったんだよ。だけど、疑う自分がどういうものかと考えてみると、それって価値がないでしょ。僕はそういう自分を評価できないわけだよ。そういった心がある自分は、好きじゃない。疑う心を持ち続けるということは、それでよしとしているってことなんだよ。それを捨てるか捨てないかは、その人の意志だからね。
僕には、強い意志と決意があった。それはどういうものかというと、常に道理の通った方を選び、自分に価値をつけるということ。その王道を行くことをとことん徹底するから、時には矛盾した自分を否定することもある。それだけの意志があるか。僕にはそれがあるから、怖いとは思わないんだよ。

ともこ:私の場合、信じて、自分が傷つくことを怖れてるんだ。

いさどん:信じて傷付くとしたら、それは信じ方が間違ってるってことだよ。

ともこ:信じ方が中途半端ってこと?

いさどん:中途半端というのは、つまり信じてないということだよ。信じることを怖れてるってことは、つまり自分の想いと違うことが起きるかもしれないと疑ってるってことでしょう。ということは、信じてないってことなんだよ。
だから、「信じることを怖れてる」というのは正確な表現じゃないね。つまりは「疑ってる」だけのことなんだよ。どこまでも疑ってるっていうことさ。

ともこ:そうか。言葉は正確に使わないとね。

いさどん:そう。言葉が間違ってるんだよ。信じることを怖れていて、信じるも何もない。

ともこ:うん。
思うんだよ。信じてる人は気持ちいいだろうなって。

いさどん:いやあ、もしもこういう究極的な意味で信じる信じないという話になったら、信じてる人はほとんどいないんじゃないかな。まあ、人生の部分的なところでは信じてるって言えることはあるだろうね。だけど究極的に信じている人は、なかなかいない。もし本当に信じていたら、どんなことが起きようとも怖れる必要はなくなるよ。

ともこ:いさどんは信じてるの?

いさどん:何か出来事が起きた瞬間は「わあー」って思う時もあるよ。だけど、今までいろんなことが起きたけど、結果的にここまで歩んできてるってことは、その出来事はその瞬間のプロセスを見せてくれただけとも言えるんだよ。「人間万事塞翁が馬」と言うでしょ。今起きていることに対して、結論なんて何も出せないんだよ。
そして今までいろいろあったけど、事実として、この道を信じてやって来て道理から外れたことは一度もないんだよ。うっと思うことが起きれば起きるほど、たくましくしてもらってるんだと思うよ。

ともこ:今こうやっていさどんの話を聞いているとね、何を疑うことがあるんだろうか、って、疑うことの意味を感じなくなってきたよ。

いさどん:そうでしょう。

ともこ:それを、今のこの瞬間だけじゃなくて、日常の中の一瞬一瞬に活かしていけたらいいなって思うんだ。たとえば誰かと話している時に自分の中の疑いを感じる、その瞬間に。

いさどん:それは、その時にそれまでの見通しが外れるような出来ごとが起これば、瞬間は僕だってウッと思うよ。だけど、見通しが外れるってことは、自分の考えていたことと違うことが起きる、つまりわかっているのではないことが起きるんだから、逆に楽しみなことになる。予想以上の何かが起きるぞって思うんだ。
見通しが壊れるってことは、その考えに固執している人間にとっては恐怖なわけだよ。自分の思った通りにならないんだから。僕の場合は、それを楽しむんだよ。さてこれからどうなるだろうね、って。

ともこ:そうなんだね。私なんてね、自分の思った通りにならなくて、勝手に傷ついてたりするんだよ。

いさどん:思った通りにならなかったことを、その結果も見ないうちに何で悪いことだって決め付けるの。思っていたよりもいい結果になる可能性だってあるんだよ。そしてどんな結果であっても、それがまた次を生んでいく。結果は、常に紡がれて続いていくんだよ。

人間は、自分の意志で人間をやっているのではなく、この宇宙から何かを受託して、銀河や太陽系、そして地球がどういう歴史を刻むのかということの延長に、この世界で役割をもらっているんだよ。つまり我々は、銀河の舞台、地球の舞台の役者なわけだ。
役者にはシナリオがあって、多少のアドリブの自由は与えられつつも、そのシナリオを忠実に演じてるんだよ。そしてそれは大きな仕組みの中にあり、役者はシナリオを演じながら、その仕組みが発しているメッセージが一体何であるかを考えるべきなんだ。それが優れた役者になるということだよ。ところがそこを観ようとしないものだから、シナリオ通りに進んでいることであっても、自分の考えと違うと言ってウッとしたりするわけだ。

そして、我々は地球という舞台で肉体をもらって役者をやりながら、同時に観客でもあるんだよ。シナリオライターと監督はというと、天、つまり神の領域にあり、我々は役者として自分たちで演じながら、同時に観客としてその舞台で展開される物語を楽しみ、その奥にあるシナリオライターや監督からのメッセージを感じとることができるという、すごくおもしろい世界にいるんだよ。

そんな場所を与えられているのだから、楽しまなくちゃね!

 

 


宇宙では全てが活かされている ー ある車中での会話から(1)

いさどんと話していると、日常の何気ない会話が宇宙にまでつながっていくこともしばしば!

以下は、先日東京で開催された『確固たる居場所』上映会に向かう車中での、ファミリーメンバーのみちよとともこ、木の花に長期滞在中のじゅんこちゃん、そしていさどんの会話です。前後2回に分けてご紹介します。

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いさどん:昨日テレビで、定年退職を迎える父親に娘がお祝いのサプライズを贈る、という番組をやってたんだよ。そのサプライズの内容はというと、退職の日に、父親の勤める信用金庫で家族や職員たちが次々と踊り始めるんだよ。

みちよ:楽しそう!

いさどん:そーお?全然楽しくないよ。そんなのただのテレビのやらせで、それを「楽しそう!」と思うのは情報ミーハーの人の発想。僕は冷めながら見てたよ。
番組としては、その一家をほほえましい家族として描いてる。でも僕には、その家族が多くの問題を抱えているのが観える。それをあなたたちは、「楽しそう!」と表現してしまうんだね。

(ここで、隣の車線が渋滞しているのを見ながら、じゅんこちゃんが不安げに言いました。)

じゅんこ:これ、どのくらい続くんだろう?

いさどん:それは行ってみればわかることだよ。行ってみなければわからないことを心配して、今そんなふうに不安がっても仕方ないでしょ。

じゅんこ:そうね。私の不安症なところが出てるね。

いさどん:何気なく発する言葉が人間性を表しているんだよ。誰かが一言いうと、僕はその背景にどんな心があるかをピピッと感じるんだよ。

(しばらく走るとインターチェンジがあり、そこで隣車線の渋滞は終わっていました。)

 いさどん:ほら、ここで終わってました。だから、行く前から心配する必要なんてないんだよ。行ってみればわかることなんだから。

 じゅんこ:そうだね!先案じしたのは無駄だった。

いさどん:常に合理的な発想をしなきゃだめだよ。合理的というのは、事実に基づいて思考を進めるということ。そうすると無駄なエネルギーを使わなくなるし、自分の心を振り返る時にも確実な振り返りができる。自然とか、宇宙は常に合理的なんだよ。

じゅんこ:いさどんは、いつごろからそういう視点を持つようになったの?

いさどん:物事の奥を観るということ?わからないなあ。
最初は観えなかった。それが、何かを見る時には常に真剣に観ていくうちに、そのたびにそこから得られた情報が蓄積されていって、だんだん精度が高くなっていったんだよ。
だけど、ある意味不幸だよね。もっと浅く観ていけば楽でいいのに、どうにもそれを極めたくて仕方がない心があって、常に思考が回っているんだよ。それはけっこう疲れるね。

ともこ:どんなふうに回っているのか見てみたいよ。

いさどん:ここ(頭)だけじゃなくて、ここ(心)も回っているんだよ。頭で回しているものと、心で感じるものと、さらに天から降りてくるものもある。頭での思考と、感覚的・心情的に感じるものが別回路であって、それが同時に回転してるんだよ。

ともこ:自分の中から湧いてくる考えと、天から降りてくるものは別の感覚なの?

いさどん:うーん、それも回路があってね。天から降りてくるものは気付きとして生まれてくるんだけど、ここらへん(頭)から来るんだよね。自分の中から湧き出すものというのは、ここ(心)からくるんだよ。
そうやって考えると・・・・これはしっかり検証してから話した方がいいね。いい加減なことを言うことになってしまうから。

ともこ:いさどんはいい加減なことは話さないんだね。

いさどん:そう。いい加減になると、そこでストップする。

 ともこ:さっきのテレビの話だけど、私も、そんなに面白そうと思ってなくても「わあ、おもしろそう」とか適当に言っちゃうことがある。言葉をあんまり考えてない。

 いさどん:それは言葉をいい加減に使ってる。言葉というのは、言霊なんだよ。発した言葉が未来を創っていくのだから、いい加減に発していたらいい加減な出来事に出会う。
それは人の話を聞く時も同じで、いい加減に聞いちゃいけない。ただ聞いていればいいことと、相手の言葉をきちんと吟味しながら聞かないといけないことがあるんだよ。

 ともこ:いさどんはいろいろな人から相談を受けるけど、そういう時にも頭と心の両方を回しながら、どう対応するのが相手にとって一番良いかを判断してるんだね。

 いさどん:心は、アンテナみたいなのを張っていて、相手の心のくもりとか濁りをキャッチするんだよ。「これは濁ってるぞ」とキャッチしたら、それをベースにしながら相手の言葉を聞いて解析する。頭と心の回路が違うから、それを同時に回していく。

 ともこ:じゃあ思考はどういうふうに回ってるの?

いさどん:思考は、相手が発する言葉の背景にある心がどんな状態なのかをチェックしてる。言葉は情報源になるからね。その言葉の奥にある心がどういうものなのか探りを入れつつ、同時に心がアンテナを張っていて、駆け引きや濁りがないかをチェックする。火星探査ロボットがいろんな機能を使って火星を探査しているように、いろんなセンサーが同時に働いてるんだよ。

 ともこ:いさどんを見ていると、誰に何を伝えている時でもやさしいな、と思う。例えば昨日の大人ミーティングでも、(メンバーの)りょうちんの心の歪みを周りが問いただしていた時に、そのままではりょうちんが萎縮してしまうからと助け舟を出したよね。

 いさどん:それはやさしいというよりも、厳しい言葉を正しく調整しているだけなんだよ。だって、りょうちんをつぶしたって仕方ないじゃない。
僕は、常に誰のことでも「活かす」ってことを考えてるんだよ。場合によっては一度つぶしてやらないといけないこともあるからその時にはガツンと言うけど、逆に、ガツンとやったままにしておいたら今度は使いものにならないでしょ?だから、引き上げる。それはやさしいというよりも、使えるようにするってことをしているだけなんだよ。リサイクル屋みたいなものだね。

ともこ:何をやっている時も、「使えるようにする」ってことが前提になってるんだね。それをはたから見ると、「やさしいな」って見える。

いさどん:普通は、相手の間違いを見つけると腹を立ててつぶしていくからね。僕はやさしいんじゃなくて、それではもったいないと思うんだよ。

 みちよ:それは創造する側の視点じゃないと、そういうふうには思わないよね。

 いさどん:そう、宇宙や自然にはゴミがない。なんでも活かして、無駄がないでしょ。それをやろうとしているだけなんだよ。それを「やさしい」と言うのは、やさしいとか厳しいとかいう概念でものを考えている人たちの見方で、僕は特別やさしいとは思わない。

 ともこ:相手を活かすということがベースになった時に初めて、ただ厳しいだけじゃない、本当に豊かで魅力的な場を創ることができるんだね。

 いさどん:そりゃあそうだよ。アイスブレイクがいるんだよ。

ともこ:それが私たちにはなかなか足りないんだと思うの。頭はそれなりにみんな働く。だけど、活かしていくってことが足りない。

 いさどん:なんでだろうね、それは。

ともこ:そこをいつもいさどんに調整してもらってるなあって思う。
例えば、子どもを事故で亡くしたとか、すごくつらい体験をした人がいるとするでしょ。そういう人に対して多くの人は同情するけど、いさどんはどういう気持ちで接するの?

 いさどん:それは、気の毒に思う気持ちはあるけれど、では世の中に同じようなことがないかと言うと、あるよね。だから、そういうことはこの世界にあり得ることとして、自分がそれに出会ったことをどのように捉えていくか、という話をするよ。だって悔やんでも取り返しはつかないわけだから。
僕は、同情してその気持ちを理解はするけれども、じゃあそれをこれからどう活かしていくかというように、活かすことを考えていくよ。活かすことを伝えてあげると、相手も楽になるからね。

ともこ:その活かすことを伝える時にも、まずは一度相手の気持ちを理解するんだね。

 いさどん:もちろん。理解して、同情するよ。とはいえ、相手も同情だけ受けて同じ場所で苦しみ続けていても始まらないから、それをどのように活かしていくかってことが大切なんだよ。事実は変えられないんだから。

 ともこ:そういうことを伝える時に、相手の心を感じないで言葉の上だけで伝えると、相手が余計に落ち込んだり、言われたことを受け取れなかったりする気がするんだけど。

 いさどん:そこで大事なのは、冷静な伝え方なんだよ。相手にむやみに同情しないってことさ。同情すればするほど、相手も、そうでしょ、そうでしょ、と感傷にひたって落ち込むんだよ。だから淡々と、その人の悲しみがどういうものなのかを伝えていく、ということじゃないかな。

 ともこ:その時に私がいさどんに感じるのは、やっぱり何か、相手を一度理解して受け入れている感じがまずベースにあるってこと。その安心感があるから、相手もそこから先へ進む話を素直に受け入れることができるんじゃないかって思うんだ。

 いさどん:どんなことでも、事実としてあったことなんだから、それは理解できることなんだよ。気の毒なのも当たり前だから、それは理解する。でもその不幸のどん底にいる人に対して、違う視点から見てみてください、そうするとその出来ごとが違って見えてくることもありますよ、ということを伝えていくんだよ。こういう視点を持つとこう見えますよ、と伝えて、それが受け入れられなければまた別の視点を伝えてみる。そこでは、理解をしても同情はしないってことだよ。

 ともこ:その「理解」ができるかどうかは、その人のキャパによるのかな?子どもを亡くしたという話は別として、私の場合、人に対して「どうしてわからないんだろう」って、相手を理解せずに怒ったりする。

 いさどん:僕も、例えばここのメンバーがエゴによって道を踏み外した時に、なぜそんなことをするのかという気持ちになることはあるよ。昔の僕だったらそういう人とはそれ以上付き合わなければよかったんだけど、こういう道を歩んでいる今は、もうそんなことはできないんだよ。だって、大切な人たちばかりだから。それを排除しては、この道は歩めないわけだから。
僕はそこで、ああ、これは天から与えられたんだな、と思うんだよ。するとそれはもう、僕個人の問題ではなくなる。そして共に歩んでいった先に、なぜそれが与えられたかを理解できる時が来る。もしも僕がこの道を歩んでいなかったら、それは絶対にあり得なかったこと。その落差がおもしろいと思うんだよ。相手を拒絶するのではなく、「おもしろいなあ、神様は粋なことをやるなあ」というふうに捉えるわけだよ。

昔、僕が天からの啓示をいただくようになった時には、なかなかそれを受け取れない自分がいて葛藤していたんだよ。それを受け取ることは今現在の自分自身を否定することになってしまうから、その捨てられない自分が反抗してた。だけど統計を取っていくと、自分が何か主張したところで、所詮は天の道理の方が優っているに決まってるんだよ。それはもう、データとしてわかっていること。僕は常に道理の通った方を選ぶ人だったから、自分と天を比べることよりも、自分を主張することをやめる方を選んだ。自分のことを自分ごとにすると辛くなるけど、そこでは自分のことを人ごとにするんだ。その時に、それを「おもしろい」と思えるようになるんだよ。

結局、神様はこの世界で我々にゲームを仕掛けてるんだよ。そうするとね、ゲームに負けちゃならん、と思うわけだ。ゲームに負けないってことは、受け取るってことなんだよ。そうすると引き分けになる。神様とのゲームに、勝ちはないからね。ゲームに負けるってことは、その出来ごとにウッとして心が乱れるってことさ。僕は、絶対に負けたくないんだよ(笑)。

 ともこ:それは、冷静さを装うこととは違うんだね?

 いさどん:違うね。本当にそれを無条件で受け取れる人になる、ということだよ。
神様は意地悪をしているみたいだけど、実は意地悪じゃないんだよ。人に愚かさを表現させ、それを克服した時に、今度はその人が喜びを表現する。その時に、神様もその喜びを自らの食べ物として、この世界を動かすエネルギーに変えているんだよ。

今日はこれから上映会に行くけれど、その価値のわかる人たちの中でこういう座談会をやりたいなあ。

 

 


憲法改正を見てみよう!

いさどんブログが新しくなりました!
この世界のあらゆるできごとを、常識にとらわれない宇宙的な視点から
自由自在にいさどんが語る新シリーズ「宇宙視点で見てみよう」。
第一弾は、次期参院選の争点にもなっている「憲法改正」について。
ファミリーメンバーおよびゲスト参加の座談会にて、いさどん、大いに語ります!
(以下は、座談会での会話をほぼ正確に再現しています。
どうぞその場に参加しているつもりで読んでみてください。

宇宙視点でいさどんが自在に語ります!
宇宙視点でいさどんが自在に語ります!

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なかのん
今、憲法改正が話題になっているけれど、それにはいくつかの論点があります。

まず、自民党は「戦争放棄」を謳っている憲法第9条を変えて、軍隊を持って日本の治安を守りたい、というのが基本姿勢です。そこで、いきなり9条を変えるのではなく、まずは憲法改正に関する法律を変えて、憲法改正をやりやすくしようとしています。現在の法律では、衆参両院の3分の2以上、その後の国民投票で過半数の賛成がないと憲法改正はできないようになっています。それを、衆参両院の2分の1以上、その後の国民投票では国民全体ではなく有効投票の過半数の賛成が得られればよい、というように、法律を変えようとしています。これについては、憲法も時代に合わせて変化していく必要がある、という声と、憲法とは国家理念なのだから時の政権の都合でコロコロ変えるべきではない、という声の賛否両論があります。

もう一つの論点は、改正案では国家権力による統制を強めるような記述が多く見られる、ということです。言論の自由に対しては条件が付け加えられ、基本的人権について書かれた憲法97条は全て削除されています。その他、天皇が「象徴」から「元首」に変わっていたり、日の丸や君が代を尊重すべきということが新たに盛り込まれていたりします。

また、改正案では憲法前文の格調が落ち、平凡な文章になった、ということも言われています。(詳しく知りたい方は、こちらのサイトに比較一覧が掲載されています。)

ともこ:今の前文は全世界の人々の平和を前提にしているんだけど、改正案では場合によっては先制攻撃もOKと読み取れるような、微妙な感じがあるね。

憲法改正を訴える安倍首相
憲法改正を訴える安倍首相

いさどん:この憲法改正というのは、ものすごく大きなことだよ。だけど、現在3分の2の議席を持ってる自民党に国民がそれを託しているのかというと、実は国民はそこまで考えて自民党に投票したわけじゃない。単に民主党の至らなさに対する揺り返しで票が増えただけのことで、僕はそこまで国民は愚かではないと思ってる。それでも、長年憲法改正を狙っていたタカ派にとっては、これだけの議席を占めている今は千載一遇のチャンスなわけだよ。

ここで考えないといけないのは、彼らは憲法改正後にどのような国づくりを目指しているのか、ということ。簡単に言うと、戦争に参加しやすくしている、ということだよね。

もう一つ言えることは、日本という国は、まあある意味アメリカのホワイトハウスの庭で飼ってるポチみたいなものでしょ。TPPにしても、最初から参加ありきでことが動いてる。今は、日本人の高いプライドというものが欠落してる状態で、国民も愛国心を持てずにいるんだよ。だから今回の論議は、プライドを持たせるという意味ではいいことだと思うんだよ。

それはどういうことかというと、たとえば、僕はTPPは参加すべきだと思ってるんだよ。日本の農業の脆弱な部分を変に保護していては、結局は守られることでしか成り立つことのできない、意欲のない人たちをつくってしまう。TPPへの参加は、ある程度風当たりを強くすることでそこをたくましくするという作用もあるんだよね。利点も欠点もいっぱいあるのよ。

今回、自民党が千載一遇のチャンスとしてこの憲法改正に取り組み始めたことで、国民も憲法についてまじめに考えるようになる。つまり、国民がこの国のことを真剣に考えるチャンスなんだよ。それっていいことじゃない?民主国家だから、最終的には多数決に委ねるわけでしょ。国会議員ではなく、国民がどういう判断を下すかで決まるんだよ。

なかのん:どこまで真剣に向き合えるようになるかですね。

いさどん:そうなのよ。国を愛してないこの国の人々がどうするのか、安保闘争以来の大きなことになればいいなと僕は思ってるんだよ。その結果がどうなるかは、実際に進んで見てみればいい。

いさお:今、憲法を変えたいと言っている人たちには、戦争に参加しやすくするとか統制を強めるといった偏りがあると思うんだけど。

いさどん:でもね、戦争に参加しやすくする偏りというのは、そういう観方をすればそうなんだけど、日本という国が独立国家になるためには、やっぱりアメリカにこんなに依存してちゃいけないんだよね。それが結局、国民一人ひとりの国に対する責任感をすごく欠落させてしまっているわけだから。

逆に、軍隊をいっさいナシにして、北朝鮮に攻めて来てもらって占領してもらうのはどーお?

ともこ:あははは。

いさどん:いやいや、日本がそうしたとして、北朝鮮がやってきて簡単に征服したとするじゃん。でもそんなことしたら、国際社会が黙ってないでしょ。だからそんなことできないのよ。だから、かえって無防備にした方が、世界の先進国へのメッセージになるよ。僕に今の自民党の議席をくれたら、そういう方向で憲法改正するんだけど。一切の軍隊をナシにして、自衛隊もナシにしてやね、そこに使っていた資金を世界の貧困撲滅のために使う方が、すごい画期的じゃん。みんなそれに倣おうよ、と。

いさお:それは、国際社会も日本をつぶしちゃいけない、と思うような、そんな国になるということでもありますよね。

いさどん:そうそう。北朝鮮がそんな動きをしたら世界が黙っていない、と。

なかのん:あと、相手も無防備なところを責めるのは躊躇するかもしれないよね。

いさどん:そうそう。なんにもないんだから。ウェルカムって言ったりしてさ(笑)。

いや、何でかって言うとね。昔オウム真理教の事件があったでしょ。もっと昔には赤軍派の事件があったでしょ。例えば赤軍ならば、彼らは自分たちなりの理想を掲げてはいたんだけど、実は彼らの中に、本物の国づくりの精神がなかったんだよね。単に社会に対する反発心から、知識で吠えてただけなの。だから自分たちの小さなコミュニティすら持続させられなかったわけじゃん。

それはオウム真理教も同じで、あれほど優秀な人たちを社会が吸収できなかった。社会に理想が見いだせないもんだから、オウムに行って革命を起こそうとしたわけでしょ。彼らが悪事だけを考えていたのかといったら、やっぱり良い国づくりをしようとしてたわけじゃん。

そうするとね、今の人間のあり方がね、理想の地球人類の未来を創ろうとしているのかといったら、アベノミクスなんか明らかに、地球全体の調和の流れから逆行してるでしょ。経済が発展するほど、実は地球生態系にはよくないんだから。持続不可能な道を歩み出してるわけだよね。

そういう意味で言ったら、たとえば浅原彰晃が世界総裁になって、この世界をすべて統制したら、修行が正義であり、そのために死んでいくことは聖戦だ、と言われる世の中になるんだよ。全部一律の価値観で統制してしまえば、それが正義の世界になるんですよ。

北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記
北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記

それと同じく、北朝鮮がこの世界を支配したらやね、あのキム・ジョンウンが総裁になって、この世界が統制されるわけだよ。そうしたら今度は、北朝鮮の価値観がこの世界の正義になる。それって別にどうってことないでしょ。だって、今世界の主流になっているアメリカ資本主義にしても、実はすごく間違ってるじゃん。裏表があって。それなのに、今の世界ではそれが正義とされているんだから、北朝鮮だって同じことなのよ。

もしもこの世界にもっと高い理想があったら、アメリカ資本主義ほどの悪はない、と言われるようになるよ。今テレビでもアメリカの特集をやっているけれど、ひどい国だよね、あの国は。今までもアメリカは悪だと言われてきたけれど、それよりもはるかに悪の可能性があるんだよ。だけど勝てば官軍で、勝ったものが正義になるわけだよ。そうするとやね、北朝鮮が悪かどうかなんて、わからんじゃん。

という考えからいったら、北朝鮮が日本に攻めてきたら、「どうぞウェルカム!」と。どうぞあなたたちの好きなようにしてください、我々も共にやりましょう、と言ったら、全然相手も困るだろうね(笑)。

という考え方なんだけど、ダメかね?

ともこ:いいと思います(笑)。

いさどん:だから、我々は戦わない人間、戦わない国民になるってことが大事で、憲法の話に戻るけど、憲法っていうのは国民の権利を守るものなんですよね。法律は国家が国民を統制するためのもので、憲法はその上にあるんですよ。そして憲法は国民の総意によらなければならないもの。

だから今回の憲法改正論議とは、どういう国を我々は創りたいのか、それを国民に問う機会だということ。ここで目が覚めなければ、この国は北朝鮮に渡しちゃった方がいいよ。ほんとにさあ。

いさお:なかなかそういう話ってないですよね。憲法改正したい人っていうのは比較的右寄りの考え方をする人ばっかりで、じゃあ左寄りはどうかというと憲法守るって言うだけで、どういう理想のもとに国を創っていくかという話にはなかなかならない。

いさどん:いやいや、左寄りの人たちが平和主義かと言ったら、全然そうじゃないでしょ。昨日連合赤軍の映画(『実録 連合赤軍 浅間山荘への道程』若松孝二監督)を観たけど、それはもうひどいものだよ。共産革命っていうのは血で作られてきたもの。今は世界的な潮流が血を流すことを抑制しているけれど、いつでもいざとなれば牙をむく体質があるわけだ。

いさお :共産主義の粛清で死んだ人の方が、第2次世界大戦で死んだ人よりも多いんだって。

いさどん:ナチスの罪がどうのと言っている場合なのかどうかわからないようなことをやってる。ユダヤ人の場合は、ナチスが戦争に敗北したから惨劇が明らかになってるけど、文化大革命で何人死んだのかっていうのは全部隠されてるんだから。

改憲反対のデモ行進
改憲反対のデモ行進

もとやん:僕は憲法改正には反対です。

いさどん:何で?

もとやん:平和憲法をなくさない方がいいと思う。

いさどん:でもねえ、事実、今の日本はアメリカの核の下に保護されてるという現状があるんだよ。「我々は平和憲法を持ってる平和な国民です」って言うくせに、沖縄には、沖縄だけじゃないけど、巨大な軍備がある。核だって配置されてるかもしれない。それで平和憲法を守ってると言えるのかどうか。

僕はそれよりも、憲法を改正して、日本人が自分たちで自分の責任を持つところに立つべきだと思うんだよ。そしてアメリカからある程度独立した上で、この国をどうするのかということを考える。それによって、本当の愛国心とか、この国を想う国民が出てくると思うんだよ。今は、アメリカ嫌いと言いながら明らかにアメリカの核の傘の下にいる。それでいて自分たちは平和憲法を守っていると言うのは、真実から目をそらしているよ。

もとやん:今の話を聞いて、確かに僕の考えは表面的だったかなと思う。

いさお:軍隊を持たないとはいっても、日本の軍事力は世界第3位だよ。

もとやん:死の灰もたくさん持ってる。

やすみ:私も改正反対って思ってるけど、それはなぜかというと、まず改正についての議論がしっかりされてないでしょ。

いさどん:改正の草案は自民党から出てるけど、本当はそこから国民が議論していかないといけない。

やすみ:それと、改正のハードルを低くするのはおかしいと思うんですよね。

いさどん:それはそうですよ。だって政権が変わるたびに憲法がコロコロ変わるようではね。

なかのん:確かに。でも欧米なんかでは、憲法改正へのハードル自体は日本と同程度で決して低くないんだけど、それでももう少し頻繁に改正されていて、日本のように改正がない国は珍しいみたい。

いさお:まあ欧米の真似をしなくてもいいけどね。

いさどん:怖いのは、本当に日本の国民が国家という意識でものを考えてるのかというと、今はものすごく意識が低いじゃない。それを育てるためには、このくらいのことがなけりゃいかん。騒乱が起きるくらいのことになったらいいけど、今回も起きそうにないもんな。国民の中に、これは一大事という意識がないもの。

やすみ:自民党の中では改正派が主流だけれど、反対の人もいるわけですよ。でもそれを言えない雰囲気ができてるみたいで、そこが怖いなと思うんですよ。もっといろんな意見を話し合える場が欲しい。

いさどん:だから、今そういうふうに反対派がいても出せない空気があるからこそ、改憲派はこれを千載一遇のチャンスとして、やろうとしているわけだよ。気持ちはわかるよ。こんなチャンスはめったにないから。やりたい人たちにとっては今やらなきゃいつやるの、というくらいの話だから。

僕は反対でも賛成でもないのよ。もうなるようにしたらいいんじゃないの、と。なにしろ、みんなが考えるチャンスを与えられたということでは、TPPもそうだけど、すごくいい機会だよね。

なかのん:議論ということで言うと、福島の原発事故があった時には日本全体で議論が盛り上がったんですよね。最近は下火だけど。あんな感じのものが、憲法改正に関しては見えないんですよね。

いさどん:今回の憲法改正というのは、実は大変なことなんですよ。ところが国民は意外とボケてるのね。その寝ぼけてるのに火をつけるいい機会だから、僕はどんどん進めたらいいと思う。今度の参院選挙でも、こんなに大きな話なんだから、反対派はなぜ反対なのかを出してくるでしょ。その時に投票率は上がるし、みんながもっと国のことを考えるようになるよ。だから、憲法のことなんてどうでもいいのよ。国民の関心が政治に向くという点で、僕は安倍さんはすごくいいことやってくれてるな、と思う。

なかのん:どこまで関心が向くかですね。原発の場合はわかりやすいと思うんですよ。

ともこ:そう。だけど憲法は生活への直結感がないんだよね。

いさどん:今自民党は、国防軍を作って、他国が明らかに日本を攻撃してくることがわかったら先制攻撃もOKということにしたいわけでしょ。もしね、それが日本にできたら、かえって今の北朝鮮に危機感を持たせて、神経を逆なでることにはなるよね。だってジョンウンくんはまだ30歳だもん。

もとやん:憲法改正で、国民が国のことを考える方向に行くでしょうかね。原発だってもっと考えていいはずの出来事だったと思うんだけど。

福島の原発事故
福島の原発事故

いさどん:そのくらいこの国の人は眠ってるわけよ。福島の原発は世界で最大の原発事故だって言われてるのにさあ、意識は薄いじゃない。だから、そういうことに目を覚ますには行くところまで行ったらいいじゃない。

いさお:北朝鮮のミサイルが落ちるとか。

いさどん:そうそう。

もとやん:そのくらいで目が覚めるかね?

やすみ:いやあ、高齢の人たちはまだ戦争を体験してるからいいけど、若い人たちはもう冷めてるんだよね。自分が何したって仕方ないわって。そこら辺が怖い気がするんだよね。

いさどん:何でそんな悲観的なことばっかり言うの?若い人たちに任せた方が、斬新な意見が出てくる可能性があるよ。そんな中途半端に経験してるからこそ、きっとこうなるんだろうああなるんだろうって悲観的に考えるんだよ。それより、もっと本当に斬新な意見が出てくる方が楽しみだと僕は思うんだけど。

だから、わかんないところに僕は期待してるのよ。

もとやん:そういう観点はすごいなと思うんですよ。でもそれで国民が考えるようになるかな?

いさどん:何でそんな考え持つの。行ってみなきゃわからんじゃん。考えなきゃ「ボケてるね」ってだけの話で、考えたら「よーし、考えたな」ってだけのことだし。とりあえず、こんな機会はめったにないんだから。これはもう、大歓迎しなきゃいけない。

いさお:逆に言うと、考えてないと考えさせられる機会がどんどんやってくる。3.11であんまり考えませんでした、じゃあ次は何が来るの、って。

なかのん:気が付いたら、あれ、徴兵されちゃうの、って(笑)。

いさどん:やあ、だけどね、徴兵制度ができたら、日本のニートだとか引きこもりだとかはだいぶ減るよ。徴兵制度は悪いばっかりじゃないよ。軍隊に入るというより、国家のために働くトレーニング期間を設けるとかね。まあそれじゃ基本的人権はどうなるんだ(笑)。

やすみ:でも国家のためっていうと、国のために戦争して人を殺しても犯罪にならない、ってことになるじゃないですか。

いさどん:その考え方は、今までの既存社会をベースにしてるんだよ。国家や憲法っていうのは、国民を守る、権利を保護するためのものであって、本当に優れた国家なら、国家のために働く国民というのは優れた社会を創る人たちなんだよ。そういうことをイメージして僕は話してるのよ。今までの既存のひどい国をベースにして疑いの心で話すと、今のやすみさんのような発想になるね。僕は宇宙連合国家をベースにして話してるんだよ。

やすみ:私もいさどんの言ってることわかりますよ。守るために軍隊持とうっていうのには私も反対で、いくら持ったって良くなると思えないから、本当に武器なしにした方がいいと思うんですよね。

いさどん:そのお金を他のことに使った方がはるかにいいじゃん。でもそれじゃ票は取れないよね。・・・いや、わかんないよな。意外とみんな考えてるのかも。今は日常の中で見えない自衛隊にものすごいお金を使ってるんだけど、それを目に見えるように変えようよって言ったら、意外と支持が集まるかもしれない。自民党に反対するものとしてやるから指示が集まらないのであって、賢明な国創りという意味で全く違う観点から出ていったらおもしろいのかもな。僕は日本維新の会がそういうのかと思って期待してたんだけど、石原さんがくっついちゃって、なんのことはない、自民党のタカ派になっちゃった。

・・・あれ、憲法の話だったね(笑)。

いさお:憲法は根本の国作りの話ですもんね。

いさどん:だから、こういうことを国民が考える機会になるということ。大いに進めてほしい。あっちでもこっちでもそういうことを考えてもらって、それに便乗して、新しい人々の暮らし方とか、新たな社会の仕組みということで、『確固たる居場所』を同時上映すると。

もとやん:いいね(笑)。

いさどん:ところで、この話どうやってまとめるの。

ともこ:日本は北朝鮮に差し出す、ということでいいですか。

いさどん:うん、日本は北朝鮮に「どうですか、一緒に国創りしませんか」と提案する。そしたら向こうがびっくりするんじゃない。そのくらいの斬新なことを言いたいね。ぜひ僕にこの国を任せてほしかったんだけど、今世ではそういう予定になってないもんだから。

ともこ:もし任されたら、何から着手しますか?

いさどん:あのー、まず、寿命の定年制をつくる。60歳以上・・・いやほんとは30歳以上にしたいけど。

なかのん:ここにいる人全員もうダメじゃん(笑)。

いさどん:まあそれは過激にしても、もっと現実的なことで言うと、やっぱりベーシックインカムだよね。この国で生きていくことをすべて保証しましょう。人は仕事をする時、「はたらく」、つまり「傍を楽」にする、人のためにやるという精神で働きましょう。その意味が分からない人を、徹底的に思想教育しましょう。

いさお:それ「文化大革命」じゃん(笑)。

いさどん:だって教育って国策でしょ。僕は何を国民に与えるかと言ったら、それはもう、働く精神。つまり、世のため人のために働くことこそ正義として、新しい道徳観をこの国に植え付ける。で、働くんだけど、働きによって所得の格差があるのではなくて、国民には平等に所得の保証をしましょう、と。障害のある人も健常者も関係なく。で、文句は言っちゃいけない、と完全に思想統一をする(笑)。

ともこ:それは既存の共産主義とは違うんだね?

いさどん:違う違う。共産主義は人間のための理想世界を謳っているだけで、自然という概念がないもの。僕の基準は何かと言ったら、地球生態系。銀河の構造とか、太陽系の構造とか、地球生態系のように、役割は様々に違って多様性があり、平等な世界を表現するってこと。

まあ木の花では、あまり新しくもない考えだね(笑)。

 

地球

 


皆さん、I love you.

4月3日ヤマギシの豊里実顕地にて、出版記念コンサートが開かれました。「Welcome to アースファミリー」「星々の会合」「この世界をつくっているのは」と木の花楽団のオリジナルソングが歌われ、コンサートの中盤にさしかかってきた頃、いさどんから皆さんに次のような挨拶がありました。(なお、いさどんの挨拶、ようこからのコメントは春日山実顕地のよしこちゃんがテープおこしをしてくれました。よしこちゃん、どうもありがとう!)

《いさどんの挨拶》

皆さん、こんばんは。(会場より「こんばんは。」)去年の11月に来て以来、もう5ヶ月ほど経ちました。随分ご無沙汰したと思っています。ただ、この地球に一緒に生きていましたから。ですから、私たちはこの瞬間を共有して、たったひとつの時間、そのたったひとつの過去から未来への流れを生きている、ということで共に生きています。その時々に亡くなる人はありますが、その亡くなった人も魂の世界にいて、またいつかここへ戻って来ます。私たちがその間も生きていたら 先に亡くなった先輩も私たちの子や孫になってまた生まれてくることになり、この世界を私たちはひとつのものとして共有していることになります。

というわけで、今日はお久しぶりの挨拶に、皆さんにメッセージをお伝えしたくてここに立ってみました。皆さん、I LOVE YOU.(会場、笑。会場より「I LOVE YOU!」「I LOVE YOU,TOO!」) LOVE?(会場より「LOVE!」)ここは日本でしたね。皆さん愛しています。(拍手)
 
一昨年の11月15日でしたね。もとやんたち8人の人が木の花を訪ねて来てくれました。あのとき、「扉が開かれた」と思いました。本当です。嘘は言わないいさどんです。そして、新しい歴史が始まると感じたものです。その後12月に、ヤマギシのボスたち、寛ちゃんと同志、よりどんが来てくれました。その時に僕は伝えたのです「待っていた。遅い。もうとっくに出会っていてもいいはずなのに。何をしていたのですか。振り返ってみれば、10年も前に木の花から皆さんにメッセージを送っていたのです。しかし、そのメッセージには反応がなかった。しかし、いつか必ずつながると思っていた。10年経ちました。やっと来ましたね。」
 
それからあっという間に1年経ちました。1年どころか1年半になろうとしています。私は皆さんに時には辛いことを意識して言ってきました。しかし、その背景にあるのは今、メッセージを伝えましたね。愛しているから。愛しているからこそ・・・ですよ。隣の人のことだったら、どうなったって興味を示しません。しかし、私たちが出会ったのは運命の出会いだったのです。そして、そのことを確認し合いました。・・・ですよね、寛ちゃん。(寛ちゃん「はい。」)強制したみたいで申し訳ないです。(会場、笑)もう一人の人ともここで今日、確認し合いたかったのですが、どうも忙しいようで今日は来られなかったようです。そして、その気持ちは今の僕の中でも全く変わっていません。そうですよね、寛ちゃん。(会場、笑)強制していますね。(会場、笑)これからも変わりません。
 
ただ、この話はその時も確認し合いましたが、木の花とヤマギシのハネムーン、蜜月を完成させるための話ではなかったはずです。私たちはこの世の中に真実を表わしていくとき、この世界に生まれてきて「人間というのはこういった目的のためにこの世界に生きている」ということを私たちが自覚して、自らが誇れる人生を生きること、それが私たちの尊厳というものだと思います。そして、その尊厳に目覚めた人々は、他のすべての生命の頂点としての自覚があるものですね。今日、宇宙の話がありましたが、他の星々もその枠組みの中にあるのです。そして、この地球という特別な星、この星は特別なのです。地球の特徴は現実化、変態・変容、つまり状態が常に変わっていくことです。こんな星が他にあるでしょうか?月へ行ってごらんなさい。30年前にアームストロング船長が人類の第一歩を印した、あの足跡がまだ残っているのです。火星の探査機が何年もかけて火星を探査してまわりました。あの足跡がそのままいつまでも残っているのです。宇宙はものすごくゆっくりなんですね。この地球では、もうじきタケノコが出ます。タケノコが一番伸びるときは一日に60センチ伸びるのです。これがこの世界で一番たくさん、宇宙一変化する生命です。私たちもそうです。生まれた時はあの可愛らしい無垢な姿だったのが、10年経ち20年経ち30年経ち40年経ち、それ以上は言いませんが(会場、笑)、随分変わりましたね。中には妖怪みたいになったりして。(会場、笑)それは、この世界の中で地球が特別な星だということです。そして、その中に私たちはいるのです。たくさん変態・変容を繰り返しながら、多様性として私たちひとりひとりがこの世界に存在しているのです。その私たちひとりひとりが別々でバラバラなのかといったら、私たちはひとつの太陽、ひとつの海のもと、それからひとつの大地のもと、この世界にいのちを共通していただいて、このひとつの大気のもとに共存しているわけです。気に入らない人がいても、「あの人の吸った空気だから吸いたくないわ」というわけにはいきません。隣の国、北朝鮮のキム・ジョンウンさんが吸った空気を吸いたくないと思っても、大気は巡って来るようになっているのです。日本からの空気はアメリカの人々が吸うようになっています。それはこの地球がひとつだからです。
 
皆さん、もう一回メッセージを送ります。愛しています。それはどうしてかというと 皆さんが私だからです。そして、私が皆さんです。どうやってこの星の上で私たちを区別することが出来るのでしょうか。人間どころか他の生命も、言語で対話することが出来ないような植物ですら、私たちに酸素を供給してくれているのです。その世界の中で、私たちは特別にいただいた能力があります。それは自我です。これは尊い能力です。自己実現が出来るのですから。自らの想いを叶えて自らを幸せにしようとすることが出来るのです。人間以外のものでそのようなことが出来るものはいません。宇宙の中でも、この三次元世界にもそのようなものたちはいないのです。ところが、私たちはそれが出来るものなのです。そのようなすばらしい能力をもらっているのに、多くの人は自らのほうだけに意識を向けて、自らの側から見える解釈をし、この世界を生きているのです。これではどうしたら、「あなたは私、私はあなた」という世界が出来るのかと思うのです。それで、時々辛い言葉をヤマギシの皆さんに投げかけてきたのですが、くれぐれも言っておきます。愛しいからです。

しかし、僕はヤマギシの皆さんだけを愛しているわけではないのです。すべての人類、そしてすべての生命、さらに地球そのものを愛しています。地球は奇跡の星なのです。そんな星がどこか他にありますか?あと何年たったら、このような星をこの宇宙で見つけることが出来るのでしょうか。この広大な世界は無限にあるのに、私たちはいつこのような星に出会えるのでしょう。僕は出会えないだろうと思うのです。それはこの地球が本当に特別に創られた星だからです。しかし、私たちはそれだけのことを理解して生きているでしょうか。もしその貴重な出会いである自分自身、そして貴重な他者との出会いを理解していたら、私たちはこの地球上で戦うでしょうか。そこに貧富の差ができるでしょうか。そんなことは当たり前ではないですか。
 
僕は、ヤマギシの人たちにこういうことを言ったらきついだろうな、と思うのです。だからこそ投げかけるのです。それはそこにこそ気付いてもらいたいのですから。僕の身体ひとつとっても、僕の目線があります。しかし、その中には手の目線とか、足の都合とか耳の都合とか、色々な都合があるのです。内臓の都合とかもあるのです。そうすると、その都合都合の主張ばかりしていたら 身体全体の健康は保てません。それを束ねてひとつの秩序、調和を保っている姿が私たちのいのちなのです。それで、私たちはヤマギシの皆さんも木の花の皆も含めた「血縁を超える自給自足の大家族」(新刊本の映っている後ろのスクリーンを見ながら)なのです。この本に表現されている世界はどこにあるのかと思うわけです。木の花ファミリーと書いてありますが、それはちがいます。地球が血縁を超えた自給自足の大家族ではないですか。そこでは人間だけではありません。すべての生命がONENESSというひとつのいのちなのです。いつになったら人類はそのことに気付くのでしょうか。多くの賢明な人々はそのことを「ガイア」という表現で説いてきました。しかし、現実にその生活を日常で表現している人々に出会うことは難しいです。時代は随分進んできました。そして、道理・理論のところでは立派な世界が出来たと思うのです。しかし、まだまだ今の世の中には、この世界の尊さが理解出来た上での地球人類のあり方は表現されていません。それはこれからだと思います。
 
私たちは一昨年の11月にヤマギシの皆さんと出会いました。僕は本当に見えない糸で結ばれた出会いだと思いましたし、今も思っています。しかし、ヤマギシにはヤマギシの皆さんの歩みというものがありますので、それを私たちも尊重しながら、共にありたいと願う心で当然のことを皆さんに伝えてきたつもりです。それは「私の話を聞け!私の言うとおりにしなさい」ということではありません。「共に、本来私たちが歩むべき道を進みましょう。それは私たちに出会う前からの皆さんの立村の精神ではないのですか?」ということを伝えてきたのです。ですから、皆さんのことは今でも、そしてこれからも愛しています。

今回、本が出ましたね。そんな木の花の日常を皆さんに少しお伝え出来るかなと思います。そして、そこにはヤマギシの皆さんが目指してこられた世界と同じ世界があると思うのです。私たちはそろそろその枠を超えて、もうひとつ大きな役割として共に歩んでいきたい。それはヤマギシの皆さんだけではありません。地球人類とすべての生命がその世界を実現出来るように、それを目指していきたい。それが全人幸福の道だと思うのです。今回の出版を記念して、その心をもう一度皆さんと確認出来、再び共に歩み出せることを願っています。

というわけで、たまに来てコンサートをやってさようならではなくて、ここを自分の家としていつか訪れるようになりたい。そんな想いでいます。また、たくさんの話を皆さんとしましょう。ありがとうございました。

《いさどんの挨拶へのようこからのコメント》

数日前からいさどんが、「ようこちゃん、豊里のコンサートではとびっきりの挨拶をするから」と言っていたので、私はそれを聞いてすごくドキドキしていました。今年の2月3日、節分の時に「節目」という投げかけをヤマギシをはじめ議事録やブログを読んでいる方にいさどんが投げかけたことを思い出し、「さあ、今回いさどんはどのようなメッセージを豊里や他の実顕地の皆さんに投げかけるのだろう・・・」と思っていました。

なぜそう思ったのかといったら、今まで私はいさどんと、どちらかと言うとヤマギシの皆さんへのメッセージを投げかけてきた立場なのですが、ただ私は「みんな家族で大事だよ」 と伝えたいだけでした。さきほどいさどんが皆さんに「愛しています」と言ったように、私も皆さんのことを「大好きで愛しています」と言いたいだけなのに、皆さんのことを想えば時には言いたくないことも投げかけてきて、本当はそれがすごく嫌でした。

それで今日、「いさどんはどんなことを伝えるのだろう・・・」と内心ドキドキしていた時に、いさどんが「皆さん、愛しています」と言ったのです。それを聞いて涙がぽろぽろ出てきました。「本当にもうそれしかないな」と思いました。ただそれだけを思ってずっと皆さんと接してきたのに、言いたくないことも時には言ったりして嫌だなと感じていた想いが自分の中で溶けていったようでした。

今年2012年は木の花では「結びの年」と言われています。ですから、影で何かを仕組んだり、一部の人たちとだけ情報を共有するということはもうなしにして、本当にただオープンにストレートに、私たちの中にある愛を結んでいき、同じ志のもとに結ばれた心の家族として接していけたらいいなと思っています。


「節目 ~2月4日・立春正月を迎えるにあたって~」

2月3日の節分と4日の立春正月は、木の花の年中行事の中でもっとも重要な行事です。それを迎えるにあたって思うところを、多くの木の花ファミリーに関わってくれる人たちにメッセージとして送りたいと思っています。節分とは季節を分けることであり、冬の時代から春を迎える節目であり、立春を農の正月(1月1日)とすると、農の大晦日にあたります。自然とともにあり、農によって暮らしを営むものにとっては、立春正月を迎え、新たな農作業の始まりにもなります。そして、その前日の大晦日には一年を振り返り、自らの襟を正し、新たな年に向かうにふさわしいものでありたいと思っています。

私たちはこの世界に生をいただいて、自らの人生という旅の中でふさわしい出来事に出会いながら生きていますが、とかく人はその出来事を他者からのものとして受け取りがちなものです。しかし、そこで出会う出来事は、すべてふさわしく発信元である自らに返って来たものなのです。そういったことを日頃思う日々の私であっても、一年を通しての節目である時々をその見直しの節目として意識していただいています。それは、私たちの生活の中に一日という節目があるように、一日の中でも朝昼晩があるように、季節が四つの節目を持っているように、一年が12ヶ月の月で区切られているように、私たちが生きていく上で成長し、確かなものとしてその人生に落としていくためには、とても重要な役割をしてくれています。

仏教に「一止」という言葉があります。私たちは過去から未来に向かって生きていますが、一方通行のように前だけを向いて生きていると、自分の進む方向を見失ってしまうものです。真っ直ぐ正しく歩んでいるか、捉えられなくなります。そこで、何かの節目を迎えたときにその歩みを一度止めて、自分の歩んできた道を振り返り、過去が現在の自分にどのようにつながっているのか確認することが大切なのです。そうすることにより、今までの自分の歩みが今の自分にどのようにつながっているのかが理解でき、未来に向かってどのように進んでいったらいいのかが見えてくるものです。

この世界に生きているということは、とかく思うようにならないことが多いものです。自分の想いが叶うかどうかは、自分の想いを叶えようと安易に走ることではなく、自らがどのような役割のもとに生まれ、生かされているのかという目線に立ち、それをいただいていくことによって成っていくのです。自らの想いを叶えようと思うことは、自らが生きているという意識であり、私たちを取り巻き生かしている法からは外れていることになりますから、その法は私たちにその証として問題事を与えてくれているのです。

私たちはその問題を与えられた時々にそれを節目として一度止まって、それまでの歩みを振り返り、これから向かう未来に正しい道を開きたいものです。「一度止まって」と書いて、「正」しいとなるのです。木の花の一年のもっとも大切な行事である節分にあたって、その精神を持ってひとりひとりが振り返り、新たな春を迎えたいものだと思っています。旧年の多くの皆さまとの出会いに感謝するとともに、その出会いがつながり広がって、より良き社会が実現していくよう、ともに歩んでいきたいものです。感謝、合掌