その証はそなたの生まれた月日に隠されておる

今日5月3日はいさどんの59歳の誕生日。
朝起きた時には、
「今日は誕生日だから、一日何もしないでいようかな?」
と言っていたいさどんですが、
午前中は出版に関するインタビューとケア面接、
午後はワークショップ、そして夕食後にはケア卒業面談という
超多忙な一日を過ごしました。
話すことが好きでいつも愉快に語るいさどんマジックにかかり(?!)、
いさどんと話す人は皆最後には笑顔になります。

今日の昼食後、メンバーとゲストの総勢95名が集う中、
皆が一緒に大笑いしたいさどんのあいさつを紹介したいと思います。

皆さんありがとうございます。
僕のために日本中の人が今日を休みにして
誕生日を祝ってくれている、と以前から思っていました(笑)。
実際『誕生日おめでとう!』と言ってくれる人は
今目の前にいる皆さんですね。
毎年大勢の人がここに集ってくれます。
今日は大型連休ということで一年で一番人が集う時期ですね。
そんな時期に自分の誕生日を迎えられて、
皆さんにそれを祝っていただくことはとても嬉しいことです。

今日、5月3日というのは憲法記念日です。
昭和22年に憲法が立ち上がりました。
そして昭和26年の5月3日、
僕の誕生日の日に憲法が施行されました。

ある時、僕に天から言葉が降りてくるようになりました。
そして、それまでの自分の生き方から変わって、
「世の中が良くなり人々が幸せになるために生きよう」
と考えるようになりました。

僕が生まれた家の裏山のふもとに神社がありますが、
ある時その神社に行ったんです。
そこで神様とお話する機会がありました。
その時神様は、人間の言葉で話されたんです。
あるシャーマンの女性と知り合いまして、
その人と一緒にその神社へ行きました。

そうしたら、その神社の神様が彼女に乗り移って
私に色々と話をされるんです。
「そなたのことは幼少の頃より見ておったぞ。
やっとそのようなものになったか」と言われました。
「そのようなもの」というのはきっと、
女性を通じてですが、
神様とお話するようになったということだと思うのです。
その時僕は大変感動しました。

小さい頃から川へ行って魚を採り、
一番上流の滝のところへ行って泳ぐ。
その神社は「滝神社」と言いまして、滝が御神体なんです。
そこで泳いで、そして神社まで上がっていき、
冷えた体を神社の神殿の屋根の上に上がって、
甲羅干しをしてあっためて帰ってくる。
帰る時には、神社のさい銭をいただいて
おこづかいにしました(笑)。

これは普通だと警察に捕まることですが、
僕の故郷にある神社は大変お金持ちの神社で
さい銭箱がないんです。
お参りした人がさい銭を投げると、
そのお金は血縁でない子供たちなら
もらってきてもいいことになっていたのです。
だから時々、お宮の鐘が鳴ると
「よーいどん!」といってさい銭をもらってくる。
僕の家が一番神社に近かったから、
僕が一番おこづかいが多かった(笑)。

そんなわけで、僕は小さい頃から
おこづかいをもらいに行ったし、
神殿の上に上がってひなたぼっこをしていた。
「そんな僕のことを神様は見ていたんだ」と思ったら、
なんだか大変感動しました。

次に神社へ行った時、
今度は自分の心の中で神様に語りかけました。
「私は今普通に生きているですが、
今の世の中、人々は大変辛い思いをしています。
そういった不幸な人たちを救いたいと思っています。
私の心の中には、皆が笑って生きている世界
というイメージがいつもあります。
私はそれを行き詰まった人たちに伝えるということをしています。

一体、私はどういう目的があってここに生まれて来たのでしょうか。
こういったことが私の進むべき道なのだとしたら、
私はそういうふうに生きるように生まれてきたのでしょうか。
それとも、たまたま私がいたのを
『面白いのがいる』と神様の方から見染めて、
私にこのような道を与えられているのでしょうか」と聞きました。

そうしたら神様はこう答えられました。
「そなたは生まれる以前より、
この道を歩む約束のもとに生まれてきた」と言われました。
「えっ、そうだったんですか」と思ったと同時に、
「そういえばそうだ。
自分の心の中から語り出た初めて話すことは新しい話ではなく、
前から自分が知っていたことを思い出しているだけだ。
書物で新しいことを学んでも、
それが人のためになるような大切なことになると、
それは人からもらったのではなく、
自分の中にもともとあったことを思い出しただけのことだ」
ということに気がつきました。

それから、「もともと自分が知っていることを
皆に伝えるために生まれてきたのだから、
いつも自分に限界をつくらない。
新しいことを考えて語るのではなく、
自分の中にある真実が自然と湧き出てくるのだから、
自分を自分から解き放ってやりさえすれば、
大切なことは出てくるのだ」と思うようになりました。

その時に、神様はさらに続けてこう言われました。
「その証はそなたの生まれた月日に隠されておる」と。
昭和26年の5月3日。
日本国憲法が施行された日。
「この国に生まれてこの国のために自分は生きている」
と僕は考えました。

「日本」という名は、「ひのもと」と言います。
「ひのもと」は「太陽の当たるもと」ということです。
日本だけではなく、
世界中が「ひのもと」に命の星としてあるのです。

今、こうやって皆さんと出会い、
おいしい食事をいただいて、
ここにある平和で和やかな世界を世界中に広め、
これを自分の人生の中で
最も大切なこととして生きていこうと考えています。

今年で59歳になりました。
僕は20歳にして社会に出ました。
40歳にして職業をやめ、今の生活に入りました。
20年単位なんです。
0歳で生まれて、20歳で生まれ変わり、
40歳で生まれ変わって、
来年60歳で4回目の生まれ変わりとなります。

これからは、皆さんと一緒に
さらに世の中のために生きていきたいと思っています。
今日は僕の個人的な想いを語らせていただく場をいただきましたが、
ぜひこれを個人的な想いではなく、
皆さんの想いとして共に良い世の中、
良い地球づくりとしていきたいと思います。

改めて今日出会った皆さんや
これから出会う皆さんにお願いし、
僕のあいさつにしたいと思います。
本当に良い誕生日を迎えることができ、ありがとうございました。

僕は毎日が誕生日だと思っています。
そして、皆さんにもおめでとうと言います。
それは、一人幸せな人がいるということは、
それだけ世の中が幸せになるのですから、
皆さんにもおめでとうと言います。
本当にありがとうございました。


生きることが答え

色々な心の動きとともに、
沢山の出来事を与えてくれたちよこさんですが、
一区切りの答えを出す時が来ました。
2日前の夜、ちよこさんは手首を切りました。
あの状況では命がなくなっていても不思議ではありませんでしたが、
その後ちよこさんに、「何か見てきませんでしたか?」と聞いたら、
「何も見てきませんでした」と答えました。
ということは、まだ死ぬ時ではないということです。
ちよこさんにとって今生きることが答えということです。

ちよこさんはいつも「死にたい、死にたい」と言っていて、
そういった心を改めるということで、縁があってここへ来ました。
色々と話し合ってきましたが、
なかなかその心を抑えきれず、とうとう事が起こってしまいました。

ちよこさんは、「もう生きている意味がない、
生きていることが辛い」と言って死のうとしました。
生きている人にとっては最後の手段です。
皆でちよこさんがそういう心を持たないように、
「生きている意味をしっかりと捉えて、命を大切に生きていきましょう」とずっと伝えてきました。

手首を切るというのは軽い場合もあるのですが、
ちよこさんの場合はとても重いやり方で、
手首の4本ある筋が4本とも切れていました。
手術で3本はつないでもらったのですが、
元のように動かすのはなかなか難しいようです。

昨日の朝、ちよこさんが発見された時、
血の量からいっても普通だったら絶対生きていないだろうと思いました。
沢山の出血があったから顔色も白かったし、
顔を触ったら冷たくて、呼吸もしているように見えませんでした。
「これは手遅れなんだろうか」と思って、「ちよこさん」と呼んだら、
ふっと目を覚まして、「いつまでたっても息が切れないんです」と言いました。

その後すぐ救急車で病院に運ばれ、無事手術が終わった後、
病院から戻ってきてちよこさんはこう言いました。
「飢餓や戦争で苦しんでいる人と比べたら、私は恵まれているんですよね。
だけど、どんなにそういう人と比べて私が恵まれていると言われても、
私の心は辛くて仕方がないんです」と。

徳島に住んでいる息子さんがかけつけて下さり、
ちよこさんの希望で、今後は娘さんのいる兵庫の病院にしばらくいることになりました。
娘さんは、「ありがとうございました。お世話になりました」と電話で言っていました。
「よかったらこれからも経過を教えて下さい」と伝えましたら、
「また報告させてもらいます」と言っていました。

ちよこさんのように死ぬことばかりを考え
不幸な状態になっている人が今、日本中に沢山います。
私たちでも心の持ち方をちょっと間違うと、
自分が楽な方へ、都合のいい方へ行こうとします。
そうすると、自分にとって本当にいいことではなく、
悪いことでもいいことだと思って行ってしまうことがあります。

「あれも欲しい、これも欲しい」と言って欲しいばかりになってしまうと、
そういうものに依存してしまったり、
欲しいからとそのことばかり考えてしまうと、
色々なことが大切なのに考え方のバランスが失われてしまいます。
普通の家庭や色々なところで、そういったことが起きています。

日本中で毎年3万数千人という人が自殺すると言われています。
実際には10万人とも言われています。
ここで大切なことは、冷静に正しい判断をするということです。
相手の側からも自分の側からも観て、
そうやって色々な側から観ると、
何が大切なのかを正しく捉えることが出来ます。

それが失われてしまうと不幸な人をつくってしまいます。
ちよこさんはこう言うんです。
「娘はとても良い子です。この娘が苦しむことが一番不幸です」と。
しかし、その娘さんが一番苦しむことを選んでしまいました。
これがバランスを欠いた心の持ち方です。

僕は最近、「世の中にこういう人は沢山いる。
これから、自殺者をなくす活動をしていきたい」と言ってきました。
ちよこさんと同室だったみかちゃんは、今回の出来事をこう振り返りました。

「いさどんが『60歳になったら自殺者をなくす活動をしたい』と言っていたことが
今まであまりピンと来ていなかったけれど、
今回のことで、『こういうことか』と思いました。
この前ちよこさんが『帰りたい』と言って、
いさどんが『ダメはダメ』と言っていた時にも、
皆の意識が一つになったのだけれど、
今回の出来事を目の当たりにして、
さらに皆の意識が一つになったように感じました。

自殺願望が本気である人は中途半端な想いでは預かれない。
だからこそ、そこで怖気つくんじゃなくて、
本気でやらないといけないという覚悟が出来ました。

死んでいく人を食い止めるという単純なことではなく、
人は誰でも死ぬものです。
しかし、死に方は選ばなければと思っています。
死んでいく時に自分の魂の色々を理解して、
いい死に方をしていければと思います。
あの状況では死んでもおかしくなかったちよこさんが、
今生きているということは本当に神業と思っています。
ちよこさんは、私たちに沢山の学びを与えてくれました。」

僕もちよこさんには、
これからの大切なことを自覚させてもらったと思っています。
世の中には前に進んでも後ろに戻っても
辛い人生を歩んでいかなければならない人が沢山います。
それを本当に何とかしたいと改めて思いました。
そういう人たちが救われる社会をつくりたいと心から思っています。

私たちはこの世界で色々な現象に出会いますが、
その出来事の捉え方によっては、狭く行き詰ってしまうことにもなります。
他方、捉え方によっては、
新しい方向を見出し希望にもつながるものです。

人生は心の旅でもあります。
色々な出来事と出会いながら、
一人一人自分らしく成長の旅を歩んでいくことが大切だと捉えています。
一つ一つの出来事をプロセスと捉え、
この世界の奥にある善意を信じて歩んでいきたいと思っています。


健全なる精神に健全なる肉体が宿る

5年前から陰性腎臓病という病気を患い、体質改善のためケア滞在をしているたかちゃん。
今日は、ケアをスタートしてから10日が経ったということで、いさどんと話をする機会を持ちました。

いさどん:
10日が過ぎてみてどうですか?

たかちゃん:
体調は特に変化はないですね。悪くなっている個所はありますが。

いさどん:
どこがですか?

たかちゃん:
膝ですね。膝のつまりや心臓のあたりに痛みがあります。

いさどん:
それは医療的にはどういうことなんですか?

たかちゃん:
西洋医学的にはわからないという世界になってしまいますが、
東洋医学では、腎機能が衰えると心臓や肺、泌尿器の機能が落ちてくるので、
そういう弱っている個所に症状が現れてくると言われています。
自分の体に合わないものを食べたり、化学物質系のものを浴びたりすると、膝がつまってきます。

いさどん:
症状が悪くなったり良くなったりするということは、
良くなったら良くなったでいいばかりとは限らないし、
悪くなったら悪くなったで好転反応ということもあるし、
ちょっと様子を見てみないとわからないですね。気分的にはどうですか?

たかちゃん:
気分的には落ち着いています。
病気というものに捉われたくないので、土いじりを通して前向きに気持ちを持たせてもらっています。

いさどん:
気持ちとしては前向きに出来ているということですね。
10日もいれば、ここでの生活にも大分慣れてきたと思います。

ここにたかちゃんのケア記録があるのですが、「自分の正直を出すのが下手」と書いてあります。
これは、たかちゃんのような陰性の人の特徴です。
この世界は陰陽でバランスが取れているのですが、
陰性が強ければ陰性現象が起きることになっています。
そこで自分をちょっと押してみて、陰性から中庸の方へ持っていくようにすると、
違和感があるかもしれませんが、その違和感を押していくと新しい世界を体験することが出来ます。

僕は人の心のバランスを見るのですが、心のバランスというのは体のバランスでもあります。
「病気」は「気が病む」と書き、「病体」とは書きませんからね。
たかちゃんも自分のペースでいいのですが、
ちょっと自分を押してやるということをやってみたらいいと思います。
沢山負荷をかけるとストレスになりますが、
ちょっとだけ負荷をかければ、そんなにエネルギーを使わないで新しい自分が見えるようになります。

心の病気でここに滞在する人には、「最初の1週間から10日くらいは
とりあえず自分のペースで過ごしてもらったらいいですよ」と言うのですが、
そのあたりからはこちらが課題を提案します。

あなたは心の病気でここに来たわけではないのだから、
自分をちょっと前に押してやる程度で自己表現出来るといいですね。
実はたかちゃんは自己表現がすごく好きなんです。
個人的には沢山話をしているし、色々な考え方を持っています。
ところが、全体の中ではそれを共有しません。

たかちゃん:
色々と考えてしまうもので。。。

いさどん:
そうそう。たかちゃんを客観的に観察すると、そこではバランスを欠いているということです。
つまり、言いやすいところでは沢山話すけれど、
自分が苦手だと思うところでは極端に言わないという癖があります。
たかちゃんは自分のバランスが崩れていることに気づき、
どこでも必要に応じた自分を表現していくということが大切です。

それを「言われたからやる」ということではなく、「自分でやってみよう」となると面白くなります。
やっていくと新しい世界が見えてくるので、「これって結構悪くないな」ということになります。
たかちゃんは、多少意識があるのかもしれませんが、自分の中に違和感を覚えているはずなんです。

たかちゃん:
違和感だらけですよ。

いさどん:
自分の心のアンバランスというものは、知らない間に自律神経などに影響しています。
それが何かの形で内蔵にも影響していきます。
たかちゃんの病気は微妙でわかりにくい病気ですよね。
もし、自分の心の微妙なアンバランスが腎臓病として現れているのだとしたら、
心のトレーニングの結果、面白い答えが出るのかなと思っています。

病気の状態に対して「元気」という気が元通りの状態は、
自然体で、何も負荷がかかっていない無理のない状態のことです。
元気になると、体も自動的に元に戻るようになります。
自動的に自分を歪んでいた方から正常な方へ戻そうとする働きが現れてくるのが、
一番いい解決方法です。

西洋医学だったら物理的にこういうふう、
東洋医学だったらこういうふうと捉えるのだろうけれど、
僕は医学の視点ではなく、体も心の表現と見ます。

たかちゃんのケアがスタートしてから10日程日にちが過ぎたし、
自分でもそういうことを感じているのかなと思い、今日伝えられたらいいと考えていました。
僕があなたの病気に対して思っていたのは、
確かに物理的な病気ではあるけれど、これは精神的なところから作用しているということです。
今の話を聞いて、どう思いますか?

たかちゃん:
精神性からくるということについては、自分ではよくわからないんです。
今まで物理的な症状が大変でしたから。
心のトレーニングをやっていくことによって、
本当に自分の症状が好転するのか未知の世界ですからね。

いさどん:
未知だからこそ、挑戦してみる必要があると思います。
極端な話それが見当違いだったら、やる意味がありません。
たかちゃんは自分の中で決めつけるところがあります。
それが陰性的に決めつけていくと、行動せず確認しないで決めつけていくことになります。

バランスのいい形というのは、「とりあえずやってみないとわからない」ということです。
それが陽性だと「これは絶対!」ということでどんどん進んでいってしまいます。
そうすると、アクセルを踏みすぎてしまい、
違っていたらまたその分戻らないといけなくなってしまうんです。

一番バランスがいいのは、「とりあえずやってみよう、
答えを見てそこで判断すればいいや」という心の持ち方です。
それが気楽というものです。

たかちゃん:
「とりあえずやってみよう」というのは、とりあえず今、何をすればいいんですか?
皆の前で今日話すということですか?

いさどん:
今日話せとは言っていません。
それはこちらが強要することではありません。
受身の側に立って、「じゃあ、何をすればいいんですか?
今日やるということですか?」と決めつける癖が出てきています。

たかちゃん:
皆の前で自己表現していくことによって、症状が緩和されていくということですか?

いさどん:
それは行ってみないとわからないことです。
「なるほど。それは新しい取り組みですね。
でもどうなるかは、行ってみないとわからないですね」と、
答えを求めようとせず、否定もしないという状態で行くのがバランスがいいですね。

答えを見ずにわからないからNOと言う人もいれば、
答えを見ないのに「こうだ」と決めつけて暴走する人もいるように、
自分の癖が未来を決めているわけです。
だから、今僕が話していることを自分自身で確認してもらいたいと思っています。
先に進んでみて、「あの時は言われていることがよくわからなかったけれど、
こういうことだったんだ」と気づけたらいいですね。

音痴な人はいません。
練習すれば皆リズムに乗れるようになると言われています。
それと同じで、あっちへ行く心の癖がある人が、こっちへ行けないということはありません。

たかちゃんは、今はどちらかと言うと話好きだし、
理論的なことも考えるし、色々な考えも持っています。
ただそれを、一部の人にしか出していません。
一部の人に出すということは、出しやすいところに出してしまうから、
ある意味では研鑽していくということが出来ません。
他の人の意見と混ぜ合わせたり、
取り入れることをしないから物別れに終わることもあります。
これは人生のマイナスになります。

受け取る時には受け取り、混ぜ合わせる時には混ぜ合わせ、
自分を主張して認めてもらう時には認めてもらうということが出来るようになると、
これは人生にとってプラスとなります。

そういった微妙な心模様が自分の体の状態となって表われているのだとしたら、
あなたのアンバランスな心の癖が難しい病気として表われている、という見方が出来ます。

たかちゃん:
そういうことをやっていかないと、結局体が治っていかないということですか?

いさどん:
西洋医学でそれを治すことは出来るかもしれません。
例えば鬱だったら脳の分泌物が足りない場合、
それを補うことによって治すことが出来るかもしれません。
でもそれは、あくまで根本から治したわけではないので、その種はまた違う形で出てくるものです。
たかちゃんの場合、その種が今体の病気として出ています。

「エネルギー消費」というのは、一人の人間が消費するエネルギーが10あるとしたら、
マイナスに10表現する人もいれば、プラスに10表現する人もいれば、
プラス5マイナス5で表現する人もいます。

それをなぜ全部マイナスに表現するのか、なぜ全部プラスに表現して暴走するのか、
プラスとマイナスのバランスを取ったらいいのにと思うかもしれません。
でも、それもあまり賢い方法ではなく、
10というエネルギーの消費能力があるとしたら、
必要な時にはマイナスに10出せるし、プラスに必要な時にはそちらに10出せるということが、
最大限にそのエネルギーを活かしていることになります。
それが、自分の癖の持っていき方を理解出来ている人であり、
冷静に自分を捉えられている人ということです。
その人の能力を最大に発揮していくことが出来ます。

しかし、それが出来ない人というのは、自分の癖のままに生きているということになります。
知らない間に癖が出てくる状態で生きているから、
「何だか知らないけれど、また同じところへ来たな」とか、
「また人間関係が同じように行き詰まっているな」ということになります。

それは、自己コントロールが効いていない状態です。
自己コントロールが効かない状態で生きている人のことを
「不器用」と言ったり、「賢くない」ということになります。
自分の癖を上手にコントロールしている人は、「あの人賢いね」と言うことになり、
単に大学で勉強が出来て賢いというのとは違う賢さがそこにはあります。

同じことを同じようにくり返す人はいますよね。
本人にはやっている意識がない状態です。
僕はよく「Mの精神」と言いますが、
自分が苦手だと思う方へ積極的に進んでいくことが大切です。
ただ、積極的にといっても、自分が苦痛になるほど積極的になる必要はありません。
出来る範囲でそこへ向かっていき、
そのうちにその快感がわかると、苦痛な方へ苦痛な方へ自ら進んでいくようになります。
そして新しい自分が見えてきます。

どうですか?これは思ったこともなかった話でしょ。
でも、そういう世界があるんです。
その延長に、この難しい病気に対して何かいい答えが出る、と僕は思っています。

ただ、あなたの中に起きていることだから、誰も治してあげることは出来ません。
たかちゃんは、意外と自負心があるのか、
自分で考えたことは色々とやってみるけれど、人の話はあまり聞きませんね。
耳では聞くけれど、結局自分で考えたことを行動します。
そういうことにも気づけるといいですね。

たかちゃん:
沢山話は聞いているはずですが。

いさどん:
「聞いているはずだ」と言うのだけれど、
自分を活性するような話ではなく、自分と共鳴するような話を好んで聞く傾向があります。
いいですか?そこがポイントです。

今までのたかちゃんの癖として、
自分と共鳴するような人とは好んで会話するし聞くのだけれど、
自分が変化していくような話になると。。。

たかちゃん:
そういうところはありますね。

いさどん:
自分が嫌だなと思う方へ自分を持っていかないと、人間というのは変わっていきません。
結局、自分壊しですから。

今まで自分の思うがままに生きてきて今の状態があるのだから、
それを変えようと思ったら、今までの自分を壊さないといけないのは当たり前のことです。
自分を壊すことに喜びを感じるくらいじゃないと、いい答えは出ません。

たかちゃん:
結論から言うと、僕って我が強いということですよね。

いさどん:
そうですね。だから、自分で自分を磨いていくということです。

たかちゃん:
そうですね。ここは自分磨きにはもってこいの場所ですよね。

いさどん:
健全なる精神に健全なる肉体が宿ります。
たかちゃんは、西洋医学から東洋医学まで今まで色々な健康法をやってきました。
しかし、それで答えが出なかったということは良かったと思います。
もし、そこで答えが出ていたら、あなたは心磨きというところに行き着きませんでした。
その手前で満足して終わっていたかもしれませんが、
その代わり、問題事の種は残っているわけですから、
また違う現象として自分の前に現れることになります。

だから、治療法が有効でないというのはいいことです。
マジックのような話ですが、
「あれがいいんじゃないか、これがいいんじゃないか」と外に答えを求めることをやめ、
内に答えを求めていく時が来たのかなと思います。
ぜひ、何らかの手ごたえを掴んで帰っていってもらいたいですね。
心の手ごたえを掴むと、体調も良くなっていくものです。


素直が一番!PART II

4月4日から、ここでケア滞在をしている17歳のあーちゃん。
友人関係が上手くいかなくなって不登校となり、ただ今高校を休学しています。
ここに来る前は、お昼頃起きてからパソコンゲームをして、
寝るのは夜中の2時という生活を送っていました。
規則正しい生活リズムと、健全で安定した心を
身につけるためにケア滞在をしているあーちゃんの、
初めての大人会議での心の報告を皆さんともシェアしたいと思います。

あーちゃん:
ここに来る前は、お母さんやカウンセラーの先生に
言われたことに反発することが多くありました。
「こうした方がいいよ」と言われ、
「こうした方がいいんだな」と頭ではわかっているんだけど、
「自分の好きにさせて下さい」と思っていました。

ここに来て色々な人の話を聞いたら、
それは自分の勝手だったということが何となく理解出来るようになって、
「人の言うことをまずは素直に受け入れてみよう」と思いました。

そうすると、その時々の中で一番いい方法を皆さんがアドバイスしてくれるから、
物事が本当にスムーズに行って、「ああ、なるほどな」と思いました。
素直になることが大事なんだと思いました。

今日のきくらげの切りこみ作業でも、
私は最初ずっと、膝の上に置いてちまちまやっていました。
そうしたらよしどんに、「こういうふうに置いてやるといいよ」と教えてもらったんだけれど、
自分のやり方で慣れていたから、「本当かな?」と疑っていました。

でも、「素直が大事だと学んだから実行しないと」と思ってやってみたら、
すごく早く出来るようになりました。
その時は、ちょっと恥ずかしかったし、
言いにくかったので言わなかったのですが、
午後の作業もはかどったし、良い勉強になりました。
ありがとうございました。

昨日の午後、少しへこんでいたんですけれど、
みっちゃんが話を聞いてくれました。
言われたことをそのまま「そうだな」と受け入れて、
そこから考えをどんどん広げていくようにして自分の中で決着をつけたら、
心がすーっと軽くなりました。
「受け入れるということはこんなにもプラスになるんだな」と思って、ちょっとびっくりしました。

みっちゃんには、いつも話を聞いてもらってすごく感謝しています。
ありがとうございました。

最近は、すごく早く目が覚めるようになって、
生活リズムもだんだん良いサイクルになってきているので、このまま頑張りたいと思います。

いさどん:
良い感じだね。
初めてお母さんがここに連れてきた時に、
「困っているんです」とお母さんが言う割には、
この人の言う話に筋道が通っていることがあって、
「よく物が見えているから後は実行するだけ」という感じでした。

今日は100点満点の報告をしてくれました。
それをしっかり物にして、卒業してもらいたいと思います。
帰ったらまた元に戻ることがないように、ちゃんと身につけてもらいたいと思います。
良い感じですね。素直が一番!

みっちゃん:
このミーティングで報告することも、すぐにこうやって実行してくれて、
素晴らしいなと思いました。

あいちゃん:
最近、すごく楽しそうでいいなと思いました。
「仕事がはかどる」なんて言葉を聞いて、ただ作業をするだけじゃなく、
そういうことも考えているんだなと思ってびっくりしました。

よしどん:
午前中、ずっと二人で向かい合って作業をしていました。
最初はすごくゆっくりやっているのを見て、
「一生懸命やっているんだろうな」と思い黙っていました。
でも、色々とアドバイスをしたら、最初はすぐにはやらないんだけれど、
その後自分で切り替えて、速くできるようになりました。
意識してやっているんだなと思い、変化が見られて良かったです。
しかも、それがこういう気づきになって嬉しいです。
これからもこの調子で続けて下さいね。


生まれ変わった日

昨夜の大人会議では、ちよこさんの件についていさどんから報告がありました。
今回のブログでは、それを皆さんともシェアしたいと思います。

いさどん:
今朝はいよいよ、ちよこさんが決意したようで荷物をまとめていました。
朝、僕が起きてくるのを待っていたそうですが、
待ち切れず2階へ上がって洗面所にいたところでパジャマ姿の僕に出会いました。
ちよこさんは洗面所の前の板の間に座って、深々と頭を下げ、
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました。今日で失礼します」と言いました。
僕は、「あなたの決意ですから、僕はそれに対してどうこう言えませんので、帰っても構いませんよ」と伝えました。

その後、いつものように堂々巡りの話があり、
「帰られるのはいいですが、どうしても確認しておきたいことがあります。
あなたが帰ることに対して娘さんはどういうふうに思っているのでしょうか」と聞きました。
ちよこさんは、「昨日電話した時には、『帰ってきたいのなら帰ってきてもいいよ』と言っています」と答えました。
それを確認しようと、彼女の携帯から娘さんに電話をかけてもらいました。

娘さんと話をしたら、ちよこさんが言っている症状は娘さんと暮らしていた時と全く同じでした。
「あなたは娘さんのところでもここへ来てからも、同じ人をやっていますね。
大変信頼出来ますし、頑なにそのネガティブな姿勢をやり抜くのは大したものです。
どこでも同じ姿勢で一貫性がある!」とほめました(笑)。

ただ、本当にほめられるのは、逆の方向に行く方がほめられることなんです、という話をした後に、
僕もこれ以上彼女にアドバイスをしても仕方がないから、彼女の意志に任せようと思ったんです。

娘さんは電話で、「お母さんが帰ってくるのはいい。
ただ、途中で何かがあるのが心配で、家へ直接帰ってきてもらいたい」と言っていました。
一番印象的だったのは、「もしお母さんを失ったら、その後私が生きていくのは地獄のようだ。
それがどれほど苦しいか」と言っていたことです。
「だから、決してそういうことがないようにお願いします」と僕に言いました。

電話を切ってから、「さあ、どうしようか」と僕は思っていました。
ちよこさんは、「いさどんを困らせて申し訳ない」と言っていました。
僕もこれ以上彼女を強制するわけにいかないし、
私たちのスタンスとしてやる気のない人を預かることは出来ない。

ここでケアをスタートした頃は、「誰でも治したい」という一心で、皆で一生懸命取り組んでいました。
しかし、「良くなりたい」という意志のない人や旬でない人も預かっていたので、
相手も辛かっただろうし、私たちも大変でした。
だからこそ、それからはやる気のある人だけ預かろうということになりました。
そして、本人が希望しない場合はすぐに手放してあげよう、
それがその人の意志を尊重することになると思ってやってきました。

しかし、今回ちよこさんの意志を尊重しても、
自分の中に何となく「それでいいんだろうか?」という想いもありました。
ちよこさんに、「久しぶりに神様に聞いてみたいんだけれど、いい?」と聞いたら、
「お願いします」と言われるので、神様に聞いてみることにしました。
「どうしたらいいでしょうか?」と。

そうしたら、最初は何も答えが出ません。
「答えが出ないということは、いつものように自分で考えろ、ということだ」と思っていたら、おもむろに出てきました。
「間違いを許すな。正しいことを正しいと伝えよ。そして、目には目を、歯には歯を。」

少しの間それを考えわかったのは、彼女は間違いを生きているということです。
この世界に正しいと間違いはないと僕は解釈し、
その人が自分で望む道を歩ませること、
そして自分で気づいて自分で這いあがってくることが大事だと思って今まで接してきました。
これは結構有効だったし、僕も楽でした。
しかしどこかで、言い訳を出来るように接していたということに気づいたのです。

つまり、この世界に正しい、間違いがないとしても、それは広い意味で捉えた時のことで、
今現在の間違いというのはあるんだということです。
人はなぜ苦しみを与えられているのか、なぜ喜びというものを求めているのかといったら、
その目的は学んで成長していくことであるし、正しい道を歩んでいくということです。
人が喜びの方へ歩むことが本来の道だとしたら、
自滅していくものをそれが自分の意志だからといって認めてしまったら、
間違っている道を勧めることになると思ったんです。

そこで、「どうしたらいいんだろう?」と思った時に、「怒れ。怒りをもって伝えよ」と言われたんです。
ただ、僕の中に怒りという感情が湧いてこなかったので、「これはきつく言おう」と思ってこう言いました。

「ちよこさん、今、神様から言葉をいただきました。
僕は、あなたに対してどうしたらいいのかと聞いたのですが、気づきをいただきました。
僕は自分が言い訳の出来る接し方をしていて、それでいいと思っていたのですが、
あなたのおかげでその間違いに気づかせてもらいました。

つまり、間違っているものにそれでいいと言ってはいけない。
間違っているものには間違っていると伝えることが正しい道で、
それをあなたらしくていいと言うのは言い訳だということを今教わりました。
だから、あなたに伝えます。

あなたは間違っている!
あなたが向かおうとしている方向は、あなたにとってもまわりのものにとっても、誰のためにもならない。
それは間違っている!
その間違いを歩むために神様はいらっしゃるのではないし、人は生まれてきているのではない。
間違いは正すためにあるのであって、間違いをそのままやり続けるためにあるのではない。
だから、あなたは間違っている!」ときつく言いました。

僕は繰り返し、「あなたは間違っている!そんなことは許さん!
僕はあなたのいいようにしなさいと言ったけれど、それは間違っていた。
だから、自分の間違いも正せた。
あなたがこの状態で娘さんのところへ行くのは間違っている!
だから、僕は許さん!帰さん!!」と言いました。

そうしたら、ちよこさんの様子が変わって何も言わなくなりました。
今までは、何かを言うと彼女の中から、「でもね」という言葉がすぐに出てきていましたが、
今日は黙ってしまい、静かに聞いていました。

僕がその時にわかったのは、
「ああ、これから『おやじの館』をやる。
自分で命を絶とうとしている人たちと接する。
その時にその人たちの強く深い苦しさと、
『お母さんにもしものことがあったら、私はどれほど苦しいでしょう』と言うちよこさんの娘さんのようなまわりの人たちに接していくのだろう。
それだけの決意を僕も持たないといけないし、
その時に、『いいよ、いいよ』と言っているような今までの姿勢ではいけない。
間違いは間違いとして、間違いを歩むものに怒りをもってでも表わしていかないといけない」と思いました。

ただ、今日は僕の中に怒りの感情があるわけではなく、大事なことを強く伝えました。
1時間半だったか、随分時間をかけてちよこさんとお話しました。

僕は、「あなたには今まで『考えて下さい』と言っていたのですが、あなたには考える必要がない。
間違った方へ行くな。正しい方へ行け。僕に任せなさい。
それを受けてもうちょっと内省しなさい」と言って、ちよこさんの部屋から出てきました。

それから僕は下へ降りていき、他のゲストとお話していたのですが、
ふと庭の方を見たら、なんと、ちよこさんはなかのんと一緒に菊芋の処理をしていました。

僕が、「怒りをもってでもこれを伝えないといけない」と思った時に感じたのは、
彼女は今まで自分のエネルギーが強く、人の言うことを聞いてこなかった。
誰も彼女を叱る人がいなかった。
彼女の心が暴走するのを止めてくれる人がいなかった。
彼女をふと見た時に、「彼女は叱られたいんだ」と感じました。
しかし、叱るというよりも、強い心で導く必要があると感じて、そうしました。

そしてその瞬間、「自分の命を絶とうと本当に行き詰まった人たちには、
その行動が間違いであるということを真剣に伝えることが最も有効なんだ」ということを知りました。
何となくこれからやろうとしていることが見えてきたと感じました。
非常に良い時間でした。

僕はちよこさんを通して、
自分がこれからやろうとしていることが甘かったかということを知り、
これからは真剣勝負だと思いました。
ただ、真剣勝負だからこそ、怒りということよりも、
正しいことを正しいと強く相手に伝えることが大切だと思っています。

「間違いは間違いだ」という強い心をこれから出していく必要があるのだと思い、
今日、自分が生まれ変わったような気がしました。

ようこ:
私もその場にいたのですが、本当にすごい場に居合わせたなと思っています。
木の花に来てから2年半になりますが、
その中で一番、もしかしたら人生の中でも一番心が動かされた瞬間でした。
いさどんを通して神様の想いの深さと、
それを受けたちよこさんの心の変化を目の当たりにした時に、
私にとっても生まれ変わったような節目の日となりました。

木の花のケアにとっても、第1ステージの誰でも受け入れた時代があり、
その後に第2ステージの旬の人を受け入れ、その人の意志を尊重する時代があって、
今日から第3ステージに入ったのだと思っています。
正しいは正しい、間違いは間違いということをしっかり、真剣に伝えていく時代。
本当に今日は節目の日でした。

いさどん:
話が終わってちよこさんの部屋を出た時にようこちゃんを見たら、
赤い眼をしていて眼がうるうるしていました。
このひとがこうなるのは珍しいことでした。

ようこ:
私は泣いていました。愛の深さに感動して。
あんなに自己主張をして止まらなかったちよこさんが黙ってずっと聞いていた姿を見て、
真剣さが特効薬なんだと本当に実感しました。

いさどん:
ちよこさんには突破口がなかった。
「今の状態を逃れられるなら、どうなってもいい。
地獄へ落ちてもいいから死にたい。
薬を飲んで廃人になった方がいい」と言っていましたから。

翌朝、いさどんを見つけたちよこさん。
「いさどんを見ると話かけずにはいられないんです」といつものように話し始めましたが、
今までとはちょっと違う様子です。

いさどん:
今日は、にこにこ笑顔が出ているだけ良かったね。

ちよこさん:
自分が全部悪いと言われた、昨日の言葉が大きかったんです。
本当にショックでしたから。

いさどん:
僕もあなたに出会えて良かったと思っていますが、
ちよこさんにとっても良かったと思うんです。
ちよこさんの中で、取り組むという姿勢を保てていますから。

娘さんは本当に心配していましたよ。
「お母さんが自暴自棄になってもしものことがあったら、私はどんなに辛いんでしょう」と。

ちよこさんのブログを読んでコメントを下さる方も沢山いらっしゃるんですから、
良いふうに活かしていかないといけませんね。

ちよこさん:
ブログのコメントは何度も読んでいます。
特に霊のことで悩んでいる人のコメントは、そこばかり読んでいました。

いさどん:
そうやって、他の人からのコメントでちよこさんに学びや気づきの機会があるように、
あなたのブログを読んで他の人が勇気付けられることもあるんですよ。
人のためにもなれるんです。

しかし、それがダメだったという内容だけのブログだったら、
読んだ人は「やっぱり私と一緒でダメなんだ」ということになりますよね。
少しでもちよこさんの中に回復する兆しがあれば、人に力を与えることが出来るんです。

でも、ちよこさんは今、一生懸命頑張っている状態ですから、
それだけでも人に力を与えることが出来るんですよ。

ちよこさん:
はい、これからもよろしくお願いします。

いさどん:
道は一方通行しかないと考えて下さい。回復の道しかないんですから。