「私って馬の耳に念仏みたいなものやね」

昨日、「もう帰りたいんです」と言っていたケア滞在中のちよこさん。
今朝もいさどんの顔を見るなり、「いさどん、私。。。」と話し始めました。

ちよこさん:
ここにおってもどうにもなりません。

いさどん:
僕が思うのは、「ここにいてもどうにもなりません」と言っても、
行くところは結局娘さんのところになりますよね。
娘さんのところは普通の家庭だから、
いくら親子だといっても、いつもちよこさんのことばかり構っていられないし、
そればっかりやっていたら疲れて変になるかもしれません。

それが出来ないとなったら、ちよこさんは病院に行くしかありませんが、
病院に行くとしたら、閉じ込められた状態になるんですよ。

ちよこさん:
一度入院したことがあるからわかります。

いさどん:
病院ではこんなふうに付き合ってくれる人もいないだろうし、
「とりあえずここにいて下さい。具合が悪ければ薬を飲みましょう」ということです。

そうやって、キャッチボールしながら良くなっていこうということがない場所です。
薬が強くなればなるほどその人の人格は麻痺し、自分を忘れていくことになります。
生きていても自分を表現出来る環境がなければ、むなしい日々の繰り返しになります。

「ここにおってもどうにもなりません」とちよこさんが言うから、
僕は無理強いするつもりはないので、
「ここにいなかったらどうなるんだろう?」ということを今考えました。
ちよこさんのように悪く悪くものを考える癖とは違って、
当たり前にどうなっていくんだろうと考えました。

そうすると、松尾芭蕉の俳人ではないはいじん(廃人)になってしまうからね。
これははいじん違いだよ(笑)。

今、こうやって語りかけているのは、
ちよこさんの中にある正気の部分を引き出そうとしているからです。

ちよこさん:
でももう死にたいんです。

いさどん:
それは最終的には個人の自由ですが、
死んだらどうなるのかということをちよこさんは知っていますよね。
今だって、そういう考え方をしていると、
ネガティブな心が膨れ上がってしまいます。
死ぬとそれがピークの状態が続くことになります。
生きているからそれを改善することも出来ますが、
ピークの状態で死ぬとそれで止まってしまうんです。
それがずっとあり続けることになります。

今、ちよこさんは僕の話を頷きながら聞いていますよね。
それはあなたの中に冷静に聞こうとする部分と混乱している部分があって、
僕は今、ちよこさんの中の冷静に聞こうとしている部分に働きかけているから、
この会話が成り立っているんです。

今の状態が辛いというのはずっと聞いているからわかりますが、
代わってあげることは出来ません。
でも、理解はしています。
だから、そういうのは幻だとも言いません。
「そのままの状態でいいですよ」とも言いません。
そこを何とか越えていくためのお手伝いなら出来ます。

「薬を飲むのをやめなさい」とも言いません。
しかし、薬を飲んでも効かないのなら、
薬から離れて正常な心を引き出す作業をした方が良くなるんだと思います。
薬を飲んだら効くということなら、「それも良かったね」とも思います。
辛いままにしてはいけないから、薬も時には頼る必要があります。

でも、ここに来た時と比べたら大分進歩しましたよ。
色々なことに取り組むようになりました。

ちよこさん:
自分の癖がね。もっと楽観的であればいいのだけれど。

いさどん:
悪いふうに考えてしまうのが病気であるのなら、それは治したいですよね。
それが癖であったら、なおさら取りたいですよね。
僕はちよこさんを見ていると、傾向として二面性があり、
前向きで明るくどんどんアクセルを踏んでいくちよこさんと、
行きすぎてしまって自分を振り返り、
振り返りすぎてしまって進めなくなってしまうちよこさんがいると思っています。
行きすぎてしまうのも、先案じを行きすぎてしまい、
「ダメだ、ダメだ」と自分で決めてしまうちよこさんがいるんです。

出来れば、前者のちよこさんを育てたいです。

ちよこさん:
私もそうなりたいです。

いさどん:
でも、慎重なちよこさんも育てないといけないのですから、バランスですね。

ちょっと気になるのは、ちよこさんは薬を10年近く飲み続けてきたでしょ。
そうすると、薬じゃないとコントロール出来ないことになり、
ちよこさんの頭の中にそういう仕組みが出来てしまうんです。
何でも悪く捉えてしまったり、
「ダメだダメだ」という方向にしか行かない仕組みが頭の中に出来てしまうと、
心の問題を越えて機能障害になっていきます。

そうすると、今僕がこうやって
ちよこさんに語りかけている方法では治らなくなってしまいます。
だから、そこへ行ってしまう前にこうやって言葉かけをして呼び戻し、
ちよこさんのコントロールの中にちよこさんを戻しておきたいと思っています。
機能障害になると、うつ病みたいな段階ではなく、
例えば統合失調症の段階に入ってしまいます。

そうなると、回復するための時間とエネルギーは大変かかります。
今ちよこさんはそうやって「ダメだダメだ」と言いながら、こういう話も聞けていますよね。
それは、ちよこさんがまだ機能障害ではなく、
ちよこさんの心の癖が今の状態をつくっているということです。

今はちよこさんの正常な部分に語りかける作業が出来ると思って、その可能性を見ています。
あとは、ちよこさんの意志です。

ちよこさん:
それが問題ですよね。

いさどん:
ちよこさんの意志は僕の意志ではありませんから、そこはちよこさんにお願いしたい。
ぜひ冷静な部分を前に出して下さい。
でも、「ダメだ」ということに対して、「やりなさい」と強制することはしませんから。

ちよこさん:
早く楽になりたいんです。

いさどん:
その楽になる方法ですが、現状のままでは楽ではありませんよね。
楽になる方法として考えられることは二つあります。
今僕が語りかけていることを受け、コツコツと取り組んでいく。
そこに明るい自分をなるべくイメージして抜け出していくようにする。
その作業をするか、それともちよこさんが口癖のように言う「死にたいんですよ」ということを実行する。

ちよこさん:
でも、私死にたくないんですよ。

いさどん:
そうでしょ?だから、そういう言葉を言わないことが大切なんです。
どんなに辛くても、そういう言葉を言わない。
言葉の力は大きいですよ。

ちよこさん:
言霊ですからね。

いさどん:
わかっているじゃないですか(笑)。
自分の口から発したものが自分の未来を創るんです。
昨日僕が評価したのは、
僕の顔を見て「辛いんです」と言いかけてから、
「あっ」と止めて、「これが私の癖なんですよね」と言ったじゃないですか。

段階ですからね。
想いがあって口に出そうになったら止める。
そうやって自分をコントロールしていく。
それをやり続けると、想うという段階で気づくようになりますから、
そうしたら想いの段階で「こういうふうに想っているな」と気づき、止めることが出来ます。
そうやって、だんだん自分の中でその想いの種を封印していくと、そのうち想わなくなるものです。
想わなくなると種が機能しなくなって消えていきます。

今はそれこそ、種に芽が出て外からもよくわかるくらい育っている状態です。
そのうち実がなって収穫しないといけなくなりますよ。
芽が出て実がなって収穫するという段階になると、
その実が全部また種になって、また伸びて、
どんどん増えていくことになっていきますからね。

だから、自分の中で早く収穫して消化してしまうことが大切です。
「これはこういうことだから、もうやらない」という手法です。
ちよこさんは今まで随分育ててきて、種が大変多くなってきましたからね。

これは、ここにいてもどこにいても同じですよ。
それだったなら、ここにいてそれを回復するトレーニングをするのが賢明ですよね。

ちよこさんに必要なことは、
まず、自分が今どういう状態なのかを冷静に振り返って判断する。
今までどういうふうに生きてきて、今はどういう状態なのか。
そして今自分はどうしたらいいのか。
そういったことを冷静に考え、
自分一人で出来なければ、こうやって人に助けてもらう。
冷静な自分をコツコツと育てていけば、
どうしたらいいのかが自然に見え行動出来るようになり、正常な自分を取り戻していけるのです。
それが自分の中で完全に落ちたら、揺るぎのないものになります。

辛いことはそれを解決するために与えられているのですから、
それが自分に与えられたテーマだとしたら、
それを喜びに変えていくことが人生の目的であり、醍醐味でもあるのです。
ただ「辛い辛い」と生きているのではなく、
山が大きければ大きいほど喜びは大きいものです。
辛いことを喜びに変えていかないと、
それを与えられた本当の意味がわからないということになります。

そして、自分がそれを越え他人に伝えられるようになったら、人のために生きられます。
こういった人を「ブッダ」と呼び、尊い人になります。
だから、ちよこさんも尊い人になれるのです。

今ちよこさんは、自分の問題事を自分の中に閉じ込めてしまい
悩みにしているので、少しも楽にはなりません。
毎日そんな生活をしていたら、地獄を生きているようなものです。
まず健康になるだけでも、自分にとって喜びですよね。
その喜びを人のために活かそう、
自分の喜びを人のために活かせたら、徳積みになるんです。

私たちは、ちよこさんがそうなるためのお手伝いをしているんです。
それは、ちよこさんが健康になって生きるということだけではなく、
僕は世の中を良くしたいからこういったことをしているんです。

それが不可能だとしたら、ちよこさんはここに来ていないでしょう。
病院の隔離病棟へ行って、それこそ入退院をくり返すことになっていたかもしれません。
もっとひどくなると、自分で命を絶つようなことにもなります。
そういうことじゃないから、ここに来ているんですよね。
時間がかかったとしても、あきらめずに信じていけば大丈夫です。
あとは、ちよこさんの心次第です。

先程と比べて落ち着いてきていますよ。
「ダメだダメだ」という心があると落ち着かないのですが、
「そうだ、私は全部わかっているんだよね」という心になれば、落ち着いてくると思います。

ちよこさん:
わかっているんですけれど。。。

いさどん:
だから、またそうなってくる時に、
今度は自分が自分に言葉かけをしてあげるんです。
今は僕が言葉かけをしていますよね。
今度は自分が自分に言葉かけを出来るようになればいいんです。

ちよこさん:
私って、馬の耳に念仏みたいなものやね。

いさどん:
すごい!よくわかっていらっしゃる(笑)。
馬の耳に念仏なんてぴったりです。でも、馬よりましですよ。
こうやってキャッチボールが出来ていますし、ちよこさんは全部わかっているんですから。

ちよこさん:
わかりました。またしばらくやってみます。

いさどん:
「またしばらくやってみます」ということは、
「またしばらくしたらこうなります」ということを言っているようなものです。
そこはもうちょっと進歩して、
「わかりました。取り組みます」というふうになると、一歩先に行けます。

僕もちよこさんと話しているとすごく勉強になります。
人間は多かれ少なかれ、そういう要素を持っています。
ただ、ちよこさんはすごくいい例として、
極端に見せてくれているのだから、ありがたいと思っています(笑)。

ちよこさん:
なんで私はこんなふうに生まれてきたんでしょうね。
私も他の人のようだったらいいなと思うんです。

いさどん:
でも、それはわかりませんよ。
他の人になったら、また別の問題があるものです。
ちよこさんが他の人になるのではなく、
ちよこさんは今自分の人間性をわかっているのだから、
問題のあるところを卒業して、いい部分を伸ばせばいいだけのことです。
他の人を羨むのではなく、ただその作業をすればいいんです。
人はそのために生きているのですから。

問題事が発生すると、
「あっ、行きすぎたんだな」とちょうどいいところを知ることが出来ます。
ちょうどいいところを教えてもらって、人は正しく歩けるんです。
自然でも何でもそうですが、
そうやって自分の一番いい落としどころを探していくのが人生です。

ちよこさんは違うふうに生まれたかったんですよね。
そうしたら、今生まれ変わればいいんです。

ちよこさん:
もう、いつも話が長くなりますね。

いさどん:
毎回毎回同じことを話しているのだから、
そりゃ話は長くなりますし、時間はかかりますよ(笑)。
時間はかかっても、僕はこうやって付き合っています。
話していくと、ちよこさんはだんだん落ち着いてきて、
最後には笑えてくるちよこさんが表われてくると思っています。
いくら笑わそうと思っても、笑えない人もいますから。

ちよこさん:
ごめんなさいね。また繰り返しますけれど。

いさどん:
でも今日は、
「ごめんなさいね、また繰り返しますけれど」と予告しているということは、
何となく自分を既に掴んでいるということです。
以前はちよこさんの中にある混乱が次から次へと出てくる状態でしたが、
自分で客観的に「ああ、私はきっとまたこれを出すだろう」と捉えています。
これは、自分の中から湧いてくる混乱にただ翻弄されているのではなく、
それだけ自分を捉え出したということでいい傾向ですよ。

そうやってちょっとでもいいところを見つけていく。
それって前向きなことですよ。
今日の会話は今までで一番進歩しています。
話が少し前に進みましたから。

ちよこさん:
じゃあ、これで終わらせていただきます。

いさどん:
素晴らしい!
いつもは僕の方から「これで今日の話は終わりです」と言い出すのだけれど、
そちらから話を締めたのは初めてですよ。
今までは、「けど」「けど」と言って、
「私の話に付き合って下さい」と言っていた人が、
自分の方から話を締めたんですから、すごい進歩です。

ちよこさん:
また、よろしくお願いします。

いさどん:
ハハハハッ。わかりました(笑)。こちらこそよろしくお願いします。


「私、もう帰りたいんです」

朝起きてくるなり、
「私もう帰りたいんです」と言うケア滞在中のちよこさん。
早速話を聞くことにしました。

ようこ:
ちよこさんは3月27日からここに来ているから、
今日で10日になるんだね。

いさどん:
まだ10日しか経ってない?
毎日あまりにも沢山のお話をするので、
もう3ヶ月くらい付き合ったような雰囲気がするけれど(笑)。
僕は、多い人で1週間に1回面談するくらいで、
普通は2週間に1回くらいしかお話しないんです。

ちよこさん:
もうここにいても辛いので、兵庫に帰りたいと思っています。

いさどん:
ここで提供することを受け取り、
キャッチボールするということが出来ない時には、
どんなにこちらが改善したらいいと思っても、苦痛になってしまいます。

しかし、どこへ行っても自分の心はついていきますからね。

ちよこさん:
兵庫の娘のところへ戻っても辛いのはわかっているんですけれど。。。

いさどん:
家へ戻っても同じことが起きるとわかっているんですね。

ようこ:
薬を飲んでも飲まなくても辛いのと同じ話ですね。
ここにいてもどこへ行っても辛いと言うのは。

ちよこさん:
霊障のことはもうそんなに気にならなくて、
今は自律神経が思うようにコントロール出来ないんです。
これさえ取れたら。。。

いさどん:
この間までは原因が霊障でした。
そのうちに、自律神経から原因が違うことに変わったりするものです。

ちよこさん:
昨日もいらいらして眠れなくて。
薬を飲んでも効かなくて、寝たり起きたり寝たり起きたりで。
その後また薬を飲んだら2時間くらい眠れて。。。

いさどん:
じゃあ、薬が効いたから良かったですね。
そこで「ああ、良かった。効くようになった」と喜べばいい。
良かったのに、どうしてまた具合が悪くなっているんですか?
以前は薬を飲んでも全然効かなかったのが、
今はまた効くようになって良かったじゃないですか。

一つ言えることは、
どんなことがあってもちよこさんは不満になるということです。
それが心の傾向としてあります。何でも不満。
「おかげさまで、ありがたいです」と感謝する心がありません。

今だって、以前より落ち着いて話が聞けるようになっています。
でもそう言うと、きっとここで、
「いや、それは外から見えるだけで、
中はそうじゃないんです」と言うんでしょう(笑)。
何しろ、「そうですね、そうやって見ると少し気が楽ですね」
という心が生まれてきません。

兵庫に帰るという話も、
ここから自分の娘さんの家へ台風を持っていくようなものです。
そんなことは誰も喜んでくれませんよね。

ちよこさん:
娘が病んでしまうかもしれません。

いさどん:
僕は、その人が「これじゃいけないな」と
そこから抜け出そうとするきっかけを
提供してあげることしか出来ないと思っています。
実際に物理的な病気については、物理的な対処が必要ですが、
物理的な病気の奥にある心の癖も同時に見ていかないといけません。
物理的なことだけで、病気が起きているわけではないのですから。

物理的なことを解決すれば良くなることも中にはあるでしょうが、
ほとんど心の問題が形になって表われているものです。
それをしっかりと見ていき気づきを提供したいと思っていても、
本人がそのことに気づかないといけません。
これは薬ではなかなか取れないものです。

ちよこさん:
他の人にも同じことを言われました。
薬も他人も何とかしてくれない、最終的には自分だけだと。

いさどん:
自分だけだと言いますが、
ここにはこうやって付き合ってくれる人もいるわけです。
しかし、あなたの人生ですから、
最終的には自分がそこを乗り越えていかないといけません。
あなたの人生という旅の上で起きている出来事ですから。
そういったことを何とも思わない人もいますし、
逆にありがたいと思う人もいます。

ちよこさん:
いつも自分中心になってしまって、他が見えないんですよね。
だから、健康なほうに持っていけないんです。

いさどん:
持っていけないというのが今の状態です。
それを「嫌だ嫌だ」というところに
増幅させる心がちよこさんの中にあります。
「今はそういうふうに持っていけない状態なんだな」と思うだけでいいんです。

「薬を飲むのをやめなさい」とか
「~するのをやめなさい」と言われているのではなく、
何でも出来る環境にちよこさんはいるわけですから。
今どういう環境が与えられているのかといったら、
まわりが一切負荷をかけないで、
自分の状態が忠実に外に出る環境にいるわけです。
ということは、自分自身の中を見ている状態です。

それで、「自分はこうだったんだ、
その部分をこう変えればいいんだな」というところに持っていければいいんです。
そういういい環境にいるのですよ。

僕は、薬が効かないのが一番いいことだと思っています。
薬が効くと、自分の中にある種を誤魔化してしまうんです。
その種を見せるために問題事は起きているのですが、
薬を飲んでそれを押さえてしまうと問題事が出ないから、
「薬を飲めばいいんだ」ということになり、いつまでたっても種が取れません。
種があるということにも気づけません。

しかし、薬が効かないというのは、
種をはっきりと見せてもらっている状態なのだから、
後は種を取ればいいという作業になってきます。
種がある限り、薬で抑えようが他のところへ問題事を持っていこうが
辛い状態は起き続けますから。

ちよこさん:
でも本当にいらいらして、一晩中いても立ってもいられないんです。

いさどん:
そういう時はそういうふうに過ごせばいいんですよ。
それを「嫌だ嫌だ」と言うのではなく、
一晩でも二晩でもそういうふうに過ごしていくと、
疲れてきて眠れるようになるんです。
つまり、座ったり立ったりということを一晩中やっているということは、
まだ自分に力があるということです。
それを消費してやると、人間は確実に
「ああ、疲れた」と眠れるようになります。
ちよこさんの場合、そのエネルギーの消費がまだ足らないということです。

ちよこさん:
でも、もう帰りたいんです。

いさどん:
帰るのは一向に構いませんよ。
ただ、話を聞いてみれば、
娘さんがそれで歓迎するとは思えません。
私たちにとってちよこさんは、心に余分な距離がない関係です。
だから、「お母さんがそんな状態では家が大変です」とか
「お母さんだから良くなってほしい」という感情がありません。
私たちはただ忠実にちよこさんの状態を伝えているだけですから、
ここでの私たちの関係はいい距離だと思います。

ところが、血縁の家族の関係だと距離が近いので、
余計にお互いの気を病むんですよ。

ちよこさん:
そうなんです。娘がかわいそうで。

いさどん:
娘がかわいそうと言う割には、
そのおみやげを持って今から家へ帰ろうとしているわけですから、
それは賢明なことではありません。
ちよこさんは、大変なことをわざわざしようとしています。

ちよこさん:
また、いさどんに怒られてしまって。。。

いさどん:
怒っていません(笑)。
一度も怒ったことはありません。
人が怒っていないのに、「また怒られる」と言って
それを知らない人が聞くと、「あそこではいつもそうやって叱るんだ」とか、
「あの人はかわいそうに、怒られているんだ」となるんですよ。
僕が被害妄想になりそう(笑)。

ちよこさんは、「大変だ、大変だ」と
問題事を増幅させているのだから、
冷静に自分を見ていかないといけませんね。

ちよこさん:
それに集中出来たらいいんですけれど。。。

いさどん:
だから、自分で出来ない時には人に委ねればいいんです。
それは、人の言うことを聞くということです。
ちよこさんにはこちらが言うことをはねつける傾向があります。
「あなたは今こういう状態ですから、こういうふうに思いましょう」ということに対して、
「でも私はこうなんです」と反論します。
「そうですね、そう考えればいいんですね」という言葉が出てきません。

ちよこさん:
それが沁みついているんですね。

いさどん:
そうなんです!
今、ちよこさんはいいことを言いましたね。
そこで本当に気づいてもらいたいのは、
ちよこさんは自分がもらっているものを全部はねつけているということです。
この状態だって神様からいただいているんです。
「あなたの中にこういうものがあるよ」ということを忠実に表現してもらっているんですよ。
この世界にあるものに無駄はないわけですから。

「私の中にあるものがこうやって表現されて
、私に気づきを与えてくれているんだ」と気づいたら、
ありがたいという気持ちが湧いてきます。
今のちよこさんにはそういう感謝の心がありません。

ようこ:
「貧乏神も厄病神も神のうち」の話の中でも、
彼らは「ありがとうという言葉が一番嫌いだ」って言っていましたよね。
反対に彼らは「嫌だ嫌だ」という心は大好きだから、
彼らに「私のところに来て下さい」と言っているようなものですよ。

いさどん:
実際に貧乏神も厄病神もこの敷地の中には入ってこられませんが
あなたの心の中に住み着いているものについてはどうすることも出来ません。

ちよこさん:
だから、ラップ音がポンポン鳴るんですね。

いさどん:
ラップ音がポンポン鳴るって言ったって、
まわりの人には何も聞こえていませんよ。
でも、ラップ音がしたって別にいいじゃないですか。
それを「ラップ音がするんですよ」と
すごく辛そうに苦しそうに表現するのがちよこさんの癖です。
耳鳴りは誰でもしているものですが、
慣れているものには気になりません。
珍しい人にとっては耳鳴りを大ごとのように感じるものです。

そういう意味でいったら、当たり前だと思ったら何でもなくなるんです。

ちよこさん:
そうですね。ラップ音の話は余分でしたね。

いさどん:
以前のちよこさんは、
「ラップ音がしてラップ音がしてたまらないんですよ」と僕に訴えていたじゃないですか。
でも今はそれを「ラップ音の件は余分な話でした」と言えるだけ進歩しているんですよ。
それを評価する心がないと、ラップ音がなくなっても、
また次の問題事を探すようになります。

一つ一つどんどん消化していって、卒業していけばいいんです。
それを「嫌だ嫌だ」と自分で抱え込み、
なくなると次の新しいことを探すんです。

僕がちょっと困ったものだなと思ったのは、
「ここではどうにもならないんです。だから、娘のところへ帰ります」と言って、
では娘さんのところで何が起きるのかと考えたら、
その方が恐ろしいことです。
私たちはあなたが病んでいても、
こうやって冗談を言ったり、
「こういう心の持ち方をしたらいいですよ」という話をするだけで、
私たちが病むことはありません。
しかし、あなたが娘さんのところへ行って家族までが病み出したら、
そちらの方が恐い話です。
でも、ちよこさんは平気でそういうことを言うんです。

ちよこさん:
でも、ここにはいづらいんです。

いさどん:
それはあなたがいづらいだけで、
私たちはこういった対応には慣れていますし。
ちよこさんが病んでいるのに私たちも一緒になって病んでいるようなことでは、
とてもこんなことは出来ません(笑)。

確かに、辛そうなちよこさんの顔は、
私たちにとってもあまり良い景色とは思いません。
でも、それはあなたの問題であって、私たちの問題ではありません。
私たちは私たちで毎日「ありがたい」と思って生きていますから。

ところが、ここを離れて娘さんまで病んでしまったら、
それは社会にとっても問題です。
娘さんだって、健康になって帰ってきてほしいはずです。

こうやって客観的に自分を見ていく話をしていれば、
ちよこさんも落ち着いてきますよね。
あなたが一人でいると、ラップ音も復活するわ、
過去生が何だの霊能者が何だのという話になってしまうのですから、
そういう不安な方へ自分を誘導するのではなく、
自分を落ち着かせるように
客観的に自分を見ていく訓練をするべきだと思います。
そうすれば、自立神経も安定してきます。
結局、ちよこさんの外では何も起きていませんから。

ちよこさん:
でも、やっぱり死にたくなるんです。

いさどん:
最後には死んでしまう人もいますが、
そういう人は広い意味で、
自分が死んだらどういうところへ行くのかということを捉えていません。
今の苦痛から逃れたいばかりで、心が狭い状態です。
心が狭い状態の人は生きていても狭い人生を送ることになりますが、
死んでも魂は死にませんので、
狭いところに自分が封印されているようなことになるのです。

生きていればこうやって状態が良かったり悪かったり、
人の話を聞けば少しは楽になったりしますが、
こんなことで死んだらそういうことはなくなりますからね。
それはそれで恐ろしい世界なんですよ。
あなたは今までそういう勉強をしてきて、知っているのだから。

あなたが死んだ先を知っているということはいいことです。
それを知らなかったら、
たちどころに逝ってしまう人もいます。
僕がいくら「それはダメですよ」と止めたところで、
逝っちゃうんです。
それは不幸なことです。
娘さんのところに行く以上に不幸なことです。

もう一つ気づいてほしいことは、
僕もようこちゃんもあなたが楽になるように一生懸命お話しています。
しかし、一番楽にならなければいけないあなたが、
自分を楽にさせないようにしています。
もっと自分を楽にしてあげないといけないのに。

これって結構面白いでしょ(笑)?
すごく愉快な世界です。
「楽になりたい!」と言う人が自分を辛くしていて、
楽な人が自分のことではないのに、
一生懸命その人が楽になるようにしている。
これって面白い景色じゃない?
人間にはこういうところが沢山あって、僕は「変な生き物だな」と思うんです。

ちよこさん:
。。。そうしたら、もう少し頑張ってみます。

いさどん:
何回も言うようだけれど、
頑張るというのは今の状態を押さえつけていく状態です。
頑張ることもいいですが、
ありのままを受け入れていくことが大切です。
ありがたいことに薬は効かないんですから、
今のありのままの自分を受け入れていくしか仕方ありませんよね。

例えばどこかが痛い時に、
痛み止めを飲んだら楽になるかもしれませんが、
痛み止めがない場合や痛み止めが効かない状態なら、
痛みと付き合うしかありません。
それはすごくいいことです。
そのことを味わいなさいということです。
それで人間は成長することが出来ます。
痛み止めがあることにも感謝することが出来ます。

それを自分の中に受け入れた時に、
次のステージに進んでいくことが出来ます。
難しいかもしれませんが、受け入れるということです。
自分の中に種があるのですから、それを認めるということです。

だから、頑張るのではなく、
「先を楽しみにして、もうちょっといようと思います。よろしくお願いします」でいいんですよ。

ちよこさん:
そうですね。よろしくお願いします。

ようこ:
まだ10日しか経っていないんですから。

いさどん:
たった10日ですよ!
僕はさっき、ようこちゃんからそれを聞く前には、
ちよこさんが来てからもう3ヶ月も経っていて、
3ヶ月以上ここにいる人はほとんどいないから、
「いい加減あなたは卒業しないといけませんよ」と言おうと思っていました(笑)。
でもたった10日なんだよね。

これは逆に言えば密度が濃い生活をしているのですから、
1ヶ月もしたら随分変化するんだろうと思っています。
10日でちよこさんのコメントが大分変わってきていますよね。
霊障のことは忘れてきているし、
ラップ音も「あれは仕方がないんです」というところまできています。

始めは、ラップ音と霊障の話ばかりで、
僕に「お祓いして下さい」と言っていました。
お祓いは効かないし、薬は効かない、そして死んだらどうなるか知っている。
これはもう最高ですよ。もう完璧(笑)!

ようこ:
あとは、素直に人のいうことを聞くだけ!

いさどん:
そうそう。そんなところでどう?
ちょっと笑えるようになりましたね。

ちよこさん:
わかりました。やってみます。ありがとうございました。

いさどん&ようこ:
ああ、良かった、良かった!


「私、辛くて辛くて」

ケアスタートしてから1週間が経過した、
64歳のちよこさんといさどんの朝の会話です。

ちよこさん:
いさどん、私辛くて辛くて、
薬を1錠のところ3錠飲んでしまって。。。
でも薬が効かないんです。

いさどん:
最低1ヶ月くらいは、
新しい環境で自分を見つめるという作業をしないと。
今は薬も効かない状態なんだから。

「辛くて辛くて」と言うけれど、
一度そこを抜けられて、
そのコツを自分で掴めたらチャンスです。
それを、「もうダメだ、もう死にたい。辛くて薬を多く飲んでみた。」
薬を飲んでも飲まなくても効果は同じなのですから、
それこそチャンスです。
そこで自分を客観的に見る眼を育てていけば、
越えていく力が生まれてくるものです。

ちよこさん:
でも、本当に辛いんですよ。
起きたり寝たり起きたり寝たり。

いさどん:
それはもう何度も聞いているから、十分理解しています。
確かにそうだろうと思います。
骨折をしている人に「しっかり歩きなさい」と言わないでしょ。
「あなたは足が折れているんですから、
骨がしっかり固定するまで安静にして下さい」と言いますよね。
でも、「代わってあげましょう」というわけにはいきません。

あなたが辛いのは十分わかっています。

ちよこさん:
すいません。それが私の口癖で。。。

いさどん:
そこです!
その癖に気づき、「またそういう方向に行っているな」と
自分でコントロール出来るようになったら、
大分ちよこさんの状態が変わると思います。

ちよこさんは、
「自分に何かがとりついているんじゃないか」と言いますが、
病気というのは気が病むと書き、
心にとりついたものです。
霊とかそういうものではなく、
心の癖にとりついたものだと僕は思っています。

お祓いしてとれるものなら、それはそれでいいでしょう。
しかし、心の癖は自分の中から湧き出てくるものです。
そうしたら、その癖を取り去る作業をするのが一番いいことです。
仮にお祓いで一時的にとれたとしても、
癖はまた出てくるものですから、
また同じことを繰り返すことになります。

ちよこさん:
その癖は前世からのものですか?

いさどん:
その前世というのは何ですか?
そういう前世だとか霊能者だとか得体の知れない話ばかり、
ちよこさんはするんですよ。

そういったことよりも大切なのは、
今の自分の心が自分に対してどういうものをもたらしているのか、
日々の送り方が自分に対してどのようなことをもたらしているのか
をしっかり見つめることです。
バランスの良い、ものの捉え方が
出来るような自分を育てていくことです。

私たちは魂の存在ですから、きっと前世もあったでしょう。
しかし、そういうことの延長に
確実に今の自分があるのですから、
前世がどうだったかなんて
不確かなことは知る必要がありません。
今の自分を見さえすれば、
問題事も見えてくるわけですから。
今の状態をどうするかだけです。
今の自分としっかり対話していくことです。

そこで、「そうですね、
そういうふうにしないといけませんね」
という言葉や姿勢が出てくると、
状態が変わってくるものです。
しかし、今のちよこさんは、
「そんなこと言ったって、私はこうなんです」
って全部はねのけてしまい、
自分が混乱する方向へ発想を育てているという状態です。

その人の人柄がその人の人生をつくっていくんです。
ちよこさんは、自分自身を誤魔化して
他のせいにしている状態です。

ちよこさん:
。。。頑張ってみます。

いさどん:
まあ、今は頑張らないといけないのですが、
そのうちに「頑張らない」ということを覚えるといいですね。
頑張るというのは、
起きていることに対して対抗している状態です。
大切なのは、今の状態を受け入れるということです。

今そういう状態が起きているのには理由があるはずです。
この世界の出来事は全て神様の意志であり、筋道が通っています。
「ああ、きっと今の私にとってこれが必要なんですね」と
それを受け入れるということが大切です。

神様は善意ですから、
「善意でこういったことを起こされているのに、
私は不愉快に受けとっている。
その受け取り方が間違っていたんですね。
これからは何でもいただきます」
という心になっていくと、そういったことから卒業できます。

起きることに不満ばかり言っていても、
その種はどこにあるのかといったら、
自分の心の中にあるのです。
この世界は自分を見せてもらっている鏡みたいなものですから、
自分を知って学んでいくことが生きている目的です。

心の病気をどうやってまわりがサポートしていくのかといえば、
心の支えとしてサポートしていくしか方法はありません。
そして、お医者さんの薬が足しになって効けばいいのですが、
今はそれも全然効かない状態ですから。

こんなに薬が効かない人に会ったのは初めてです。
ある意味良いことですが、
普通、量を無視して飲んだらふらふらになっています。

自分で出来ない時には、
人の言うことを聞いて治すしかありません。
その時に、「本当に治るんでしょうか?」と聞くのは、
相手を信じていないということです。
これに賭けようという心がない。
「信じるものは救われる」というのは本当ですよ。

ちよこさんは、同じことを何度も繰り返しているでしょ?
「また同じことをやっているよ」と
自分で笑ってあげるくらいにならないと。

日にちが薬です。
せっかく自分の中で積み重ねていこうとしても、
否定的な心がそれを逃がしてしまいます。
また御破算にして最初からやり直すことにもなるのだから。
薬が多少でも効く人だったら、それもいいかなと思いますが、
ちよこさんの場合薬が効かないのですから、
それだったら飲んでも仕方がない話です。
そして、薬から離れていくチャンスにもなります。
何でも良い方向に捉えていきましょう。


ケア滞在者に接する時の心構え

今、ここでケア滞在をしている人は7人います。
これは過去最高の人数です。
今まではケアの「主治医」であるいさどんや、
サポートメンバーのまりちゃんやようこが
主にケアの人と接することが多かったのですが、
ここまで人数が増えてくると、
メンバー一人一人の関わり方が非常に重要になってきます。
そこで今回のブログでは、
いさどんが語った「ケア滞在者に接する時の心構え」についてシェアしたいと思います。

問題事は、ある意味ではその人の自己表現であり、
本当の自分を取り戻すための負の部分のエネルギー消費です。
それは膿みたいなものですから、
全部出し切らないと改善に向かいません。

多少は相手の状態を粘り強く伝えてあげることも必要だけれど、
それはあくまで多少であって、
強く伝えるとそれ自体が相手にとって苦痛になることもあります。
だから、「もうちょっとしたら良くなるのに惜しい」という発想を捨て、
心が内省に向いていないとなったら
いつでも手放してあげられるような心構えが大切です。

こちらが提供出来る客観的な情報を受け取り、
それを自分の中に積み重ねていける人や、
自分の中の負のエネルギーをどんどん消費していく人に
こういった環境を提供することが大切です。
そういう意志がない人に提供しても、
一見優しさのようだけれど、
実は余計な苦痛を与えたり、
場合によっては対立を生むこともあります。

しかし、あまりにも事務的であっさりしていては、
その人が改善する手助けにはなりません。
多少の負荷をかけ、
その人がチャンスを掴む機会を与えるということは必要です。
でも、相手に無理強いさせるような行動は避けるべきです。

「あなたのありのままの状態でいいんだよ」と言う人もよくいますが、
それも偏った見方です。
そういうやり方でそのままの状態でい続けることは、
その人が次のステージに行くための可能性を潰すことにもなります。

だから、多少の負荷をかけますが、
それもキャッチボールで、
その負荷がその人を新しいステージに導く場合にはそれも必要です。
しかし、そうでない場合には、
その人が自分の心にふさわしい場所に行くことを
認めてあげることが大切です。

ここは改善していく場であり、
そのまま改善しない人がい続けるところではありません。
改善していく場だから負荷をかけますが、
その状態でいることがその人にとってふさわしかったり、
もっと悪くなっていく意識を持っている人には、
それを「ダメだ」と言わず、
その人にふさわしいところに送り出してあげることも大切です。

そのことによって、人生という旅の中で
自分の中にある種から発生するエネルギーを
消費させていくことが出来ます。
問題事は自己表現であり、
負のエネルギー消費ですから、
そういうふうに気長につきあっていき、
負のエネルギーをどんどん出す環境を与えてあげることも大切です。

負のエネルギーを消費することによって、
その人は「自分にこれはもういらない」と気づいていくことが出来ます。
それを全部消費し切ってしまえばいらなくなり、
そして調和的になります。
逆に、種がある人が調和的な中にいると、
それ自体がいらいらして自己主張したくなります。
しかし、種はエネルギーを出してしまえば、
種として機能しなくなるから消えてしまうのです。

だから、ケア滞在者に接する時には、
「治してあげよう」と思うのではなく、
「あなたは今こういう状態ですよ」と
客観的な情報を提供し続けることが大切です。
そして、その人が自分で自分を客観的に見て、
冷静に自分を判断出来るようになったら、
病気の状態は自然となくなっていくものです。

問題事は全部自分が起こしたものだから、
本人がそのことを受け取らないとどうしようもありません。
「もうちょっとしたらこの人は良くなるのに」という熱い情熱ではなく、
冷静にケアに望み、その人の問題をその人に預けることが大切です。


心のリフォーム「おやじの館」

ある日のこと。
ここを訪れた方から、
「おやじの館って何ですか?
おやじが沢山いるんですか(笑)?」
と質問されたいさどんはこんな話をしました。

いさどん:
僕は5月で59歳になり、
来年は60歳になります。
僕の人生は20年単位で変わり、
20歳の時に社会に出て一般社会の中で生活をしました。
40歳で建築内装業の会社をやめ、
今のような生活が始まりました。
そして、60歳から新しい人生が始まります。
これから何をするのかといったら、
自殺者をなくす活動をしようと思っています。
今ここで行われているケアの延長なのですが、
自殺者をなくすための家が「おやじの館」です。
名前はもう決まっているんです。
だから、おやじ対象の場所ではなく(笑)、
このおやじが中にいて訪れる人の相談に乗ります。

死ぬということは人生最後のセレモニーですから、
死に方を健全に全うにしないということは、
人の尊厳が失われているということです。
それを保って死を迎えることは大切なことです。
死ぬための心構えをつくる場所をつくらないといけないと思っています。

1週間前からここにケア滞在をしている64歳のちよこさんも、
来た当初は「生きているのが辛くて辛くて、
死ぬことばかり考えてしまうんです」と言っていました。
今朝も、「ああ辛い、ああ辛い」と言うものだから、
「辛ければ、無理せず薬を飲んだらいいよ」と言いました。

お昼ご飯の時に彼女に会ったら、
「ああ辛い、ああ辛い」とまた言うものだから、
「どうしたの?」と聞くと、
「薬が効かないから辛いんです」と言うんです。
そこで僕が、「薬を飲んでも飲まなくても辛いのなら、
飲むのをやめておこうよ」と言いました。
そうしたら、ちよこさんは笑っていました。

こんなふうに僕は
冗談を言ったり半分ごまかしながら、
薬をなくしていって、
正常な精神の方に語りかけ
それを引き出すということをしています。
お医者さんがなぜこういうことをやらないのかと言ったら、
そういった考えがないからです。
それに時間と手間はかかります。
手間はかかっても、
僕はこれが一番いいと思っています。
副作用もありません。

ボロボロになっている人の心を新しくつくり変えて、
新しい人生を見せてあげる「心のリフォーム」が僕の役割です。
心の問題を持っている人がここに沢山訪ねてきますが、
心がボロボロになって自殺する人たちがいるのは
とても不幸なことです。
皆が自分というものを取り戻し、
心身ともに健全になっていけば、
健全な社会が訪れます。
人々がともにつながり安心して豊かに暮らせる世界。
それが「おやじの館」のおやじの想いです。