それで今日思っていたのは、僕の父親は政治家だったし、田舎だけれど代々、村会議員や市会議員をやっていて、子供の頃から政治のことを身近に語る父親のもとに生まれてきたから、政治についてずっと昔から興味があった。でも、父親は政治家になってから人間性がすごく変わって、表面的に理想を語るわりに、駆け引きや自分の欲望を叶えていく姿を見て、自分はそういった世界には行かないでいこうと思った。
ツꀀ政治家は、人々の総意、一票というものによって選出され、政治を司らなければならない。つまり、人々の意見、考えの代表である。それは、民主主義ということで、一見非常によいことのように見えるけれど、ここで一番の問題点は、人々があれもしたい、これもしたいという自分の欲を叶えてくれる政治家を選んで、その代表が政治をやっていくということ。
ツꀀこの世界を治めるにあたって、いろんな制度がある。まず、王がいて、優れた王のもとに、人々が幸せに暮らすような制度。次に、共産主義のような、人間を仕組みで統率すること。その優れた仕組みの中に人間が入って、理想社会をつくる。それから、今のような資本主義。人々が切磋琢磨しながら技術革新し、世の中を物理的にも経済的にも豊かにする。そういった社会を築くこと。
ツꀀでも、その王の治める国は、王の質にかかっていて、独裁者になってしまうと、人々が虐げられ貧しい国になってしまう。また、共産主義はその制度は優れていても、人間は部品ではないから、人間の心の中にあるエゴ、怠慢によって、国が立ち行かなくなる。制度が勝ってしまって、人間を無視した社会ができてしまい、壊れていく。残った資本主義からくる民主主義。これは、非常に優れて勝ち残ったように見えるけれど、今、社会にはこれほどの問題を抱えている。それは、人々の願いを叶えていくこと、人々の心の中にはエゴというものがあって、このエゴの願いを叶えるということになると、今のような社会ができる。
ツꀀ人々は、食べ物をたくさんあるからと言って食べ過ぎて、自分の体を壊してしまったり、自由だからと言って何でもやって、他人との調和を乱し、家庭すら崩壊していく。そして、テクノロジーが進化し、それがビジネス化されることによって、人々は自分が理解できないような高度な機械技術に操られ、お金がそういったものを得るために使われ、人々がお金を使うのではなくてお金に使われるようになる。さらにお金を得ようとして、競争の果てにストレスが起きて、ストレス社会の中では、いろんな病気や問題が発生し、それがまたさらにビジネスチャンスとなって、それを解決する策として企業の思惑が反映されていく。それが今の豊かさを支えている世界。
ツꀀしかし、本当に人間が理想としなければならないのは、一人一人の人間がこの世界の仕組みを会得して、自分の欲望を叶えるのではなく、社会の健全、人々一人一人の幸せのために役割を果たしていくこと。一人の王が理想をもって人々に幸せを与えるのではなく、一人の救世主が現れてこの世に理想を築くのではなく、制度が人々に理想をもたらすのではなく、一人一人の人間の中にある愛、調和の心から生まれる善意の心。それによってつくられる社会ができなければならない。欲が勝ちすぎてしまってこういう世の中になったことをしっかり見て、謙虚に改めることは改めて、そして自然の中で生かされていることに感謝しながら、自然の仕組みに基づいた社会をつくること。それが、宇宙のすべてをつなげておられる神様の意思。それにのっとった政治が、最終的には行われる時が来るでしょう。
ツꀀ今回の選挙で、戦後初めて一党でこれほどたくさんの議席を得た民主党ではあるが、では人々のどういった心によってその議席をもらったかというと、まだまだ欲を叶えたい、もっといい生活がしたい。そういった人間の欲の心の上で票をもらったのであるから、理想郷を築いていくのは大変なこと。願いが叶わないと思えばすぐにまた、反対に回る人たちであること。
ツꀀそうすると、菩薩の里を自分の故郷でつくることは断念したけれど、この富士山麓に来て、まさしく心を学び、自然と調和し、その自然の奥にある精神とともにこの世界に理想郷を築いていこうという志のもとに開かれた木の花ファミリー。そして今、新たな歩みとして京都の綾部の地に、みろくの世を再現するということで“みろくビレッジ”。みろくとは、弥勒菩薩のことで、まさしくそれが菩薩の里である。その雛型は、この富士山麓、聖地富士のもとに開かれた木の花という菩薩の里が見本であって、15年かけてこの理想を築いてきた。行く先が見えないで、ただただ導きのままに、闇の中を突き進むかのように、闇の中で本当に一筋の光を見るだけで、その結果を考えずに歩んできた。今ここまできて、その理想が見えてきたことによって、今度は本当の意味での雛型として降ろそうというのが、みろくビレッジである。これは、誰かの指導のもとにすることではなく、たくさんの人々の志を結集して行われる場所。そういった生活に根ざした理想の場所が必要になってくる。
ツꀀその目的は、いつか、この国を司る人々が本当に素晴らしい国をつくろうと思って政治を行ってきたんだけれど、どうにも理想が開けない、何でだろうと思っていたら、理想の村づくりをしている人々がいるってことを聞いた。ぜひ、そこで国づくりのヒントをいただきに行こうということで訪ねてくる。その日まで、我々はこの理想の暮らしを続けて、この国を司る人々にこの国づくりの型を伝え、バトンタッチするまで、役割として果たしていかなければいけない。
ツꀀ昔、富士の山に登れと言われ、日の出前に富士の山の頂上で神の命を受けよと言われて、そこでいただいた言葉は、「これからは、その心、日の本の国全体に説くがよい」と伝えられた。「だけど、とてもとても自分の力では、そんな日の本の国になんてできません」と思っていたけれど、日の本の国というのは、日本のことではなく、この地球のことであると。その型が日本であって、だから日本は太陽を国旗にいただいて、日の本という国の名をもらっているのだと。新たな人類の国づくりの方向が、この日本という国から表わされて、それがこの地球の理想である。その生き方は、人々が助け合って生きる暮らしにある。そして、自然と調和し、人々は自分の欲を叶えていくのではなく、宇宙の総意に託された国づくり、地球づくりをする。それは、善意に基づいた愛と調和の世界。人々が生かされていることに感謝して生きている生活。
ツꀀそれに向かって、今、着々とことが進んでいることを感じます。今回の民主党の大躍進もその始まり。始まるということはまた新たな問題が起きて、抵抗勢力が出てきたり、紆余曲折があるけれど、一番大切なことは、一人一人の人々が本当にブッダとしての自分に目覚め、キリストとして生きていくこと。そのために、我々は、決して自分のことを優先せず、木の花の精神、「己を忘れて、他人のために生きる。世のため、他人のために生きていく」、そういったことをひしひしと感じていた今朝でした。