「この前の地震のとき、どうだった?」といさどんに聞かれたので、
「まだ生きてた」と、にやっと答えると、いさどんもにやっとして、
「あの地震のとき、あのままゆりかごのように揺れてるのもいいなと思ったんだ。生きているときも次があるし、死んだあとも次がある」と言います。
そこで私が、
「死んだあとも次があるって本当にわかっていたら、地震があっても何があっても、同じようにハハハって笑っていられるよね」と続けると、
「そうだね。でも、中途半端に生きていると、辛かったり苦しかったりする」と言います。
「でも、本人は、中途半端に生きていると思ってなくて、精一杯生きているって思っているのがミソだよね。どうしたら、そういう人はそのことに気づけるのかな?」といさどんに投げかけてみると、長い沈黙のあとにいさどんは次のように語りました。
「そうだな。夫婦関係も、お互いを想いあい、支えあうっていうのも、美しいようだけれど、心の成長を妨げることもある。お互いが近いものだけに、かばい合ってしまうこともある。本来、パートナーシップってのは、心の安息をただ求めるのではなく、心の成長のための相手として与えられているもの。近しいものだからこそ、本当にお互いを想いあい、歯に衣着せぬ物言いで、本当の姿を伝えることができる。そして、それは誰とでもそういう関係を築くことができる。そういうパートナーシップならあってもいいよね。」
ツꀀ
いつ何が起こるのかわからないのが人生。同じように精一杯生きるのであれば、そのエネルギーを自分だけの幸せ、苦しみに向けるのではなく、死んだあとにも次があると信じられる委ねる心、生かされていることへのありがたさに向けられると、いつだって笑って生きていけるのかもしれませんね。