あなたはこの世界のために生まれてきています

 ~21世紀の癌の処方箋・「囚」から「閃」へ~

 
僕はこの世界の観察者です。世の中のあり方や人のあり方、自然のあり方を常に観察しています。そうすると、そこにはいろいろな法則があることが観えてきます。ところが、ほとんどの人々は自らの中に湧いてくる欲望や興味を優先させているため、そこに法則があることを気付けていません。ですから、人間が創り出した世界はその法則を無視しているために、地球上に矛盾を発生させることになっています。今、人間社会はその矛盾のピークを迎えています。それはある意味、人間の能力の高さの証明でもあります。しかし、能力が高いからといって、その能力は常に良い方向に表現されるとは限りません。その能力の高さを、戦争のような極限に負をもたらすために使うこともあるからです。

そういった現状の中で、わたしたち人類はとても不健康な日々を送っています。その不健康な現象の一つが病気の蔓延です。今、日本人の死亡原因の一位は癌です。そこで、癌細胞の気持ちを僕は考えてみました。彼らはある意味能力が高く優秀な細胞です。自分たちの適切な範囲を知っており、その環境が整うと爆発的に勢力を拡大します。どこに勢力を拡大するのかというと、他の生命の中に寄生しながら広がっていくのです。ですから、この世界で癌細胞だけが独立して生きることはありません。常に何かに寄生しながら存在しているのです。このような話をすると、地球という器の中にいる今の人間の現状を想像できませんか?

癌細胞は自分たちが活動するエリアをつくり、その枠の中に入っています。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。

囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観から生まれる考えだけで生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる想いの両方によって生まれます。この閃きの状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(Ⅰ)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、これは地球の構造と同じです。わたしたちの体も同じ構造でできており、太陽系、銀河、さらに宇宙も同じ構造になっているのです。キリスト教の十字架も同じです。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

名称未設定

癌細胞は、自分たちが活動するエリアを見つけると、そこで自分だけの世界をつくります。しかし、人間の胃の中に癌細胞が増殖する環境が整ったとしても、通常、癌細胞は広がりません。なぜなら、人間の体の中には癌細胞を抑える免疫力があるからです。そこで癌細胞は、自分たちの存在するエリアの法則に従い、門を開き、「閃」という状態で役割をするようになったら、正常細胞として働くようになるのです。

しかし、「癌」という漢字を紐解くと、「品」物を「山」のように抱えると「病」気になる、という欲深な性質を示しています。癌細胞は能力が高く、自分たちのエリアをどんどん広げていく細胞ですから、自らが胃の中の役割に徹することよりも、いろいろな役割を持つ細胞を癌細胞に変えてしまうのです。そうして、癌細胞一辺倒の世界をつくり上げていきます。そして、癌が増殖していったエリアの機能は壊れてしまうのです。結局、わたしたちの体の中の重要な機能が停止すると、いずれ全体の生命機能は停止することになります。その結果、癌細胞も共に死滅するのです。癌細胞は本来、その癌細胞が寄生している全体が健全であると、癌細胞も共に存在していけるのですが、それを無視して自分たちだけの世界を広げるために能力を使うと、自分たちも消滅するはめになるのです。

しかし、癌細胞だけが問題なのではありません。本来わたしたちの体は、癌細胞と正常細胞がバランスをとるようになっています。ですから、癌細胞が増殖するということは、必ずわたしたちが自らの体の生態系を乱すような原因を持っており、それが癌細胞の増殖を手助けしているのです。たとえば癌細胞がより増殖するような食べ物を取り、環境をつくっていたり、癌細胞と共鳴するような心の状態を保っていることが挙げられます。癌細胞は品物を山のように抱える欲深な状態に共鳴する細胞です。その考え方は自らに囚われ、まわりに対して門を開かない状態です。そうした状態は、まわりのものたちと調和し、連携しない性質を示しています。

元々、癌細胞は癌細胞として存在していたのではありません。条件が整うと、正常細胞が癌細胞化するのです。このように癌細胞を捉えていくと、地球上の今の人類の姿に観えてきませんか?人間も、元々自然から発生したものであり、生命の循環の中にあったものが自我を得て、ある条件のもとにエゴを優先させていった結果、地球にとって癌細胞化するのです。まさしく、今の人間は地球上の癌細胞として存在しています。そういった意味では、地球に対して負荷をかけ続けている現代社会のリーダーたちは、癌細胞のボス的存在とも言えます。本来、人類は地球生命と共存・共栄する立場にいると捉えると、新しき人類のリーダーたちはその考え方を今までの価値観とは全く逆転させる必要があるのではないでしょうか。

そのような姿勢を人類が取り続けるようであれば、今後も宇宙や地球生態系はそういった行いに対し様々な現象を通して問題という形で、気付きを与えていくことでしょう。それは、「他者とつながりなさい。そして調和しなさい」というメッセージです。さらに、「あなたはこの世界のために生まれてきています。この世界があなたを生み出したのです」と伝えてくれているのです。

昔の人々は、それほど癌にはなりませんでした。しかし、今の人々に癌はとても多いのです。最近の統計によると、日本人の三人に一人は癌で亡くなっており、一生のうちに二人に一人は何らかの癌にかかると言われています。そこからは、今の人々の自らのことを優先して他者のことを思わず、お金や物に執着し抱え込んでいる姿が観えてきます。それはなぜかというと、人と人がつながらず、生きることに不安を感じながら生きているからです。今の人々はお金や物が沢山あることが幸せであり、そのことが社会で成功したことだと錯覚しています。しかしそれは、本来人間があるべき尊い存在としての姿からは逆の姿なのです。

そういったことを癌細胞はわたしたちに教えてくれています。癌細胞は、「あなたの生きる姿勢がまさに癌細胞のような存在なのですよ」と教えてくれているのです。そして、あなたの心が開かれ、調和的になると、癌細胞はその役割を終え、自ずと消えていくのです。

21世紀に入り、人類は多くの面で行き詰まりを迎えています。しかしそれは、この世の中が問題なのではありません。あなたのほんの小さな日常の囚われが大きくなって、連鎖し、地球規模の現状となって、この世界全体を形成しているのです。それと同時に、わたしたち一人ひとりの身近な問題や悩みも、同じ延長としてこの世界は示してくれているのです。ですから、そうしたすべての問題を解決するためには、一人ひとりがそのことに気付き、まずは自らのほんの小さな囚われから解放されていくことが、問題解決の鍵となるのです。皆さん一人ひとりの手の中にその鍵は託されています。

誰一人として、自らが癌細胞のような存在ではありたくないはすです。わたしたちは本来、この世界のために生まれてきたのですから、この世界のために貢献し、誇りを持って人生の終わりを迎えることが真のヒト(十)の生きる目的であり、人としてのあるべき姿なのです。もう一度、あなたも自らと向き合い、人はどのように生きるべきなのかを考えてみてください。

 
まずは、あなたの「囚」を「閃」へ。

 

 


21世紀の人のあるべき姿 ~前編~

2015年10月31日から2日間、内モンゴル出身の27歳のムルンくんが企画した「古代日本と遊牧民族の叡智が融合し未来を創造する~モンゴルの草原から来た青年の吹き起こす風 第一章『大地』」と題したイベントが木の花ファミリーにて開催されました。その2日目に行われたムルンくんといさどんの対談の様子を以下にご紹介します。

※なお、9月10日に行われたムルンくんといさどんの対談は、「地球談話を実践する人々~ムルンくんといさどんの対談」からご覧になれます。

 

宮ノ下広場にて お祈りをするムルンくん
宮ノ下広場にて お祈りをするムルンくん

いさどん:
今朝、木の花ファミリーの聖地である宮下で儀式をしているムルンを観て、ムルンという人を紐解いてみたら面白いと思いました。僕も30歳の頃から普通ではない人生を歩んできましたが、ムルンは30歳前にして力強い志とともに一途に生きています。そして、それはこれからどんどん育っていくことでしょう。僕は今64歳で、あなたは27歳なので、年齢差は大分ありますよね。あなたにそれだけ早く志の花が咲くということは、あなたにはそれだけ大きな役割があるのだろうと思うのです。

宮下で儀式をしている時に、ムルンはこの世界に向けて言葉を発していました。そして、そこにはこの世界の意志に応えているムルンの姿がありました。それが、本来の人のあるべき姿なのです。

カタカムナでムルンという思念を紐解いてみましょうか。

みかちゃん:
「ム」は六方向への拡大・縮小が極まるということで、「無」にも通じます。

いさどん:
「ム」は般若心経で言うと、「無眼耳鼻舌身意(むげんにびせっしんい)」と色即是空のことです。この世界は無から始まって、無にまた還ります。ですから、ある意味悟りの境地とも言えるのです。

それから、カタカムナで言うと、「ム」はヒフミヨイムナヤコト(一二三四五六七八九十)の六にあたり、「産(ム)す」という思念もあります。「産す」はこの世界の物事が発生する段階です。カタカムナの思念によると、「ヒ」は秘かに始まることを意味し、見えないところで秘かに現象の種が産まれ出すということです。そして、「フ」はそれが二つに割れることを意味し、それが四つになって八つになって、この世界の物事が始まっていきます。「ミ」はそれが満つっている状態です。そして、「ヨ」は時が産まれ混沌としている状態であり、その次の「イ」で位置が決まります。ヒからイまでは潜象界のことであり、まだ現象界に現れていない状態です。そして、そこから「ム」が始まります。つまり、潜象界に秘められたものの位置が決まったら、産して、現象の元ができたということです。「ム」の段階では、全く汚れていない無の状態です。それがいろいろなものに触れ、現象化が進んでいくと、汚れがついてくるのです。その最初の質量を持つ発生の段階が「ム」なのです。

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そして、「ル」とは、その行為の継続、その状態を保つことです。ですから、「ム」の状態を保ち、「ン」とは前の音を強くするのです。そうすると、この人は非常にわかりやすい人であり、この世界に現れてくる最初の美しい状態で志を強く保っている人ということになります。それが「ムルン」という人です。ですから、とても一途な人です。27歳でその大事を示し生きていったら、その見本になる人ですね。

今、ふっと湧いたのですが、なぜあなたはこのような活動をするようになったのですか?

ムルン:
今から生まれてくる子どもたちは、僕よりももっとエネルギーが高く、もっと優れたいのちたちです。しかし、その子どもたちが今の社会システムの中で生きていったら、たいへんなことになってしまいます。だから、僕はその子どもたちのために新たなシステムを創りたいのです。闇の時代の矛盾が起きているこの世界では、誰かがそれをやり始めないといけないのです。僕にはその役割があるのです。

いさどん:
昨晩のウエルカムコンサートでは「何億年もの時を越えて」という歌が歌われましたが、その中に「闇の時代は終わりを告げて 光の時代へと向かってゆく」という歌詞があります。それは、まだ闇の時代にいて、いよいよ闇の時代が終わるということを歌っているのです。それは言わば、満(ミ)つって、混沌(ヨ)として、位置(イ)が決まる段階です。ですから、闇の側にいて、光の時代を迎えようとしている状態なのです。まさに木の花ファミリーの歩んできた道は、その状態です。そして、それがいよいよ産(ム)して、「そういった時代になったのだ!」と示していくのがあなたの役割です。そして、これから生まれてくる子どもたちはその先の未来を創っていく人たちです。

今、時代は非常に早いスピードで変化しています。今までの人類の歴史を振り返ってみると、250年前のヨーロッパ産業革命以降、物質的なものを究めてきた時代でしたが、それはある意味逆転現象でした。つまり、自らの心に湧いてきた想いを叶えることが幸せだと思って生きてきたことが、かえって自らを苦しめてきたのです。そして、皆が幸せになろうとしてきたことが、かえって世の中を混乱させてきたのです。

ですから、本当の自分を観るという意味で人類は今、思考の質的転換(ナ)をしないといけないのです。

ムルン:
僕の場合、本当の自分は光なのです。太陽の光がボンと自分の中に入ってきて、それが肉体の中に混ざって、僕は生まれてきたのです。

いさどん:
それはお母さんのお腹の中にいた時の話ですか?それとも、生まれてからの話ですか?

ムルン:
僕が生まれる前の話です。

いさどん:
それは、自分が光だった時代ということですか?

ムルン:
そうではなく、一つの魂はある意味エネルギーですよね。そのエネルギーがいろいろなものと関連しているということです。光は宇宙が成り立っている一部であり、その一部から僕が来たということです。

いさどん:
光は物質です。ですから、わたしたちの物質の元になっているのです。宇宙は、ヒフミヨイムナヤコトという一から十の仕組みによってできています。ト(十)は統合という思念で仕上がりの状態であり、ヒ(一)は始まりの思念であり、太陽の日でもあり、燃える火でもあり、光でもあるのです。ですから、あなたの話はその通りなのですが、なぜそういうことをあなたは確信を持って話すのでしょうか。そこのところを聞きたかったのです。普通の人はそういったことを自信を持って語らないものです。

ムルン:
僕はそういったことを自然に感じますね。

いさどん:
それはムルンが自然に感じて、自分の中で当然のように語ることはかまわないのです。それはあなたのルーツですからね。しかし、自信を持って自分の記憶を語ったとしても、まだそのことをわからない人たちは「この人は何を言っているのだろうか?変わったことを話しているなあ」と思ってしまうのです。

ムルン:
実は、これはいさどんのせいなんですよ(笑)!いさどんと話していたら、説明をしなくても、自然とそういう会話に入れるので慣れてしまったのです。

みかちゃん:
ということは、ここに来るまではそういう話をしてこなかったということですか?

ムルン:
僕はあまりこういう話をしてきませんでした。

いさどん:
自分の中に秘めていたのですね。

ムルン:
それは、相手が理解してくれないからです。ただ、相手が少しわかりそうな人であれば、僕はたくさん話をしますし、その人も喜んでくれます。

いさどん:
先程、僕は30歳の頃から変な人だったという話をしましたね。その頃、世の中は高度成長の真っ最中ですから、土地を買えば絶対儲かり、株を持っていれば絶対儲かる時代だったのです。そのような時代に、まわりがどんなにその大事がわからなくても、自分の心の中で秘かにその想いを持ち続けながら歩んできました。最初の頃は自分の中にその想いは満つっていても、語れなかったですね。それが、少しずつ語れるようになってきました。こういったことは僕の中では本当のことですから、語ってきたのです。しかし、今はそれを多くの人に語れる時代になったのです。ですから、あなたが宮下で儀式をして、そのことに皆が立ち会う時代になったのです。先を少し見通してみると、それを受けて実行する人たちがもう生まれてきています。そうすると、ある意味これは順番なのです。僕のような人が現れ、それに共鳴して生きている木の花の人たちがいて、さらに木の花の存在をどこかで感じ集まってくる人たちや、それを受けてあなたのような人と出会っているのです。しかし、あなたは明らかに、僕が30歳の頃とは違う社会に生きています。そして、さらにそれを受けて、子どもたちはわたしたちとは明らかに違う価値観で社会を創っていくことが観えるのです。

ムルン:
そうです。今、生まれてきている子どもたちは、僕が持っているものをすでに持って生まれてきているのです。

いさどん:
そういうことをあなたが語れるのは、確かに僕のせいなのです(笑)。僕がそういったことを理解しているので、あなたは今まで秘めていたものを語っているのですが、それを僕は解説しているのです。

ムルン:
そうですね。生きていくことは成長していくことですから、一番大切なことは自分をよく見つめ、自分とよく対話をすることです。僕がなぜこの道を歩んでいるのかというと、僕はずっと自分の心の声を聞いてきたのです。そうやって自分の心に従い、自然からエネルギーをもらいながら、転んでも泣いても歩んできました。そして少しずつ成長していくと、自分というものが何であるのか、自分がこの世界でしたいことは何なのか、そしてもっと大きな自分の役割は何なのかという質問が自分の内から湧いてくるのです。そして、それをしっかりと考えることが大切なのです。その結果、自分の精神世界とつながり、バランスが良くなって、自分の役割がさらに定まっていくのです。その時に、人は初めて行動することができるのだと思っています。

いさどん:
今、あなたが話していることは、あなたの歩みとして内に秘めてきたことです。しかし、これからは自分が経験してきた歩みを皆の歩みとして外に表していくことが必要なのです。自分の中で秘めているものは自らの心を強くし、この歩みを進めてきたものでもあるのですが、これからは皆が「そう言えば自分もそうだった!」と忘れていたことを思い出すために使っていくといいでしょう。

ですから、今までは、「これを話してもわからないだろうから、人には話せない」としてきたことを、これからは、今はわからないけれど縁があった人にはそれを語っていき、人々がわかるための手助けをする立場に立つのですよ!

ムルン:
それなら僕も言いたいのですが(笑)、皆、僕と同じなのです!

いさどん:
そうですね。先程あなたは、「自分は光だった」と言いましたが、皆同じ存在なのです。全てのものは太陽の光によって生命が育まれています。太陽がなければこの世界に生命は存在できないこと、そして光から全ての生命が始まっていることをどこかで認識していればいいのですが、多くの人々はそのことを忘れています。ですから、この世界に様々な矛盾が存在していることに危機感を持ち、27歳という年齢でそういったことを大事にしているムルンを観て、僕もこのぐらいの年齢の時からこの人生が始まったことを思い出しました。

僕はこの道を与えられた時にこう言われました。「そなたが生きているうちに、この世界は事が起こらん。」つまり、僕はこの世界が新しい時代を迎える前の土台を創る役割であり、だから生きているうちに本当に社会に認められることはない、と言われたのです。

また、この世界で東北を指す艮(うしとら)の方角は鬼門と呼ばれ、神聖な場所を指すのですが、わたしたちは聖地富士山を東北に見て暮らしています。その向こう側に不二阿祖山太神宮という日本最古の神社があり、そこと縁あって一昨年出会ったのです。富士山をはさんでわたしたちが西南にいて、あちらが東北にいるのです。インドに対して日本が東北の方角にあるということも意味があるのですが、不二阿祖山太神宮には天之御中主(アメノミナカヌシ)という太陽系神と、富士浅間木の花祭りの金神様でもある国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の二神が祀られています。そこを初めて訪れた時、その神殿でこう言われました。「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」つまり、僕が与えられている役割は今の世の中の人々がなかなか理解しにくい難しいことであり、相当覚悟していけ、ということなのです。実際に、僕がどれほど語っても、世の中の多くの人々はまだ自分自身の欲望に囚われていますから、人としての本来のあり方を理解しないのです。

そこで、僕の名前をカタカムナで紐解くと、偉佐美の偉はヒフミヨイのイではないのです。漢字を見るとわかるのですが、偉という字の中に「ヰ」が入っています。これは井戸の井でもあり、湧き出るという意味です。さらに、このヰは全てを理解した悟りを指します。ヒフミヨイムナヤコトと宇宙の全てがつながって統合されると、いよいよ現象界ができていくのですが、現象界では物が発生しますから、物と物に差が生まれるのです。ですから、「サ」というのは物と物の差であり、差ができると動きができ、この世界の動きが始まるのです。そこで「ミ」は、準備が整い満つっている状態です。ということは、心は悟って、いよいよ始まるぞという状態になり、その状態が満つっているということは、まだ現象が始まらないということです。たとえば、家がありますね。僕はその一番奥にいて、物事はこうだからこう始めていけばいいのだと外に向かって示している状態です。しかし、外にある世の中は、まだ動かないのです。ですから、僕の位置というのは、それをどうしたものかと思案している状態でもあるのです。

ホワイトボード2

そして、ムルンという人が現れました。ムルンは、僕が家の中にいて示していることを受けて、「僕がそれを現象化につなげましょう」という人なのです。ですから、僕は潜象界にいて満つっている状態を保っており、あなたは現象界にいて僕の想いをつなげていく役割になるのです。そして、さらにその次にはイサナという宇宙人が生まれています。今2歳なのですが、イサナの「ナ」は質的転換という意味です。「わたしが現象を起こします」という力強い人が次に控えているのです。そのように、「ミ(三)」から「ム(六)」、「ナ(七)」と時代が進んでいく流れを紐解いていくと面白いですね。

みかちゃん:
「ヰ」をもう少し説明すると、ヰはこの世界に発生し、現象界に形が現れ、そしてまた元の世界に戻っていくという一通りの経験をして、高次元へ還元されたということです。だから、発生する前の段階とは違うのです。

いさどん:
それは、ヒフミヨイムナヤコトの全てを統合して仕上がり、悟って、また戻ってくるということです。それは、現象界へ現れ、いろいろなことを経験して全てがわかると、この世界で修行をする必要がなくなって、もう一回元の世界へ戻り、わかった者として潜象界にいるということです。それが悟りの世界です。

僕の名前には面白いエピソードがありまして、なぜ僕の名前がついたかを父親に聞いたことがあるのです。そうしたら父親は、「生まれた日が5月3日で三男坊。だから、5・3・3でイサミとした」と言うのです。そして元々、「伊佐美」という字を考えて役場に行ったと言うのです。そうしたら、役場の受付の人が「これは伊勢の伊ですから、こちらの偉のほうがいいじゃないですか」と言ったというのです。それを聞いた父親は、頑固者で人の言うことを聞かない人なのですが、その時には「そうですね」とそうしたというのです!それで、僕の名前は「偉佐美」となったのです。

偉いという字がついたことで、僕には昔からプレッシャーを感じることがありました。自分のことをたいして賢いとも思わないし、たいして立派な人だとも思っていなかったので、自分の名前がプレッシャーになることもあったのです。しかしいつの頃からか、自分はこの字をもらう宿命だったと思うようになりました。そして、この字でなければ、イサミのイはヒフミヨイのイ(五・位置という思念)になるのです。それに対し、ヰはヒフミヨイムナヤコトという物事の始まりから終わりまでを悟った最終段階の状態です。昔はその字をもらったことをプレッシャーにも感じてきたのですが、今はその仕組みを語れていると思うのです。

ムルン:
僕もたくさん悩んできたのですが、僕の時代はもっと明快です。僕の時代は悩んでいたものを形にしないとダメなのです。

いさどん:
それがプレッシャーということですか(笑)。

ムルン:
そうですね(笑)。

いさどん:
その時代にはその時代に生きる人のプレッシャーがありますからね。

ムルン:
はい。だから、難しいのです。

いさどん:
実は、この世界に現れるということ自体が、プレッシャーなのです。ただ、そのプレッシャーをどこで感じるかなのですが、自分自身のことで自業自得にプレッシャーを感じる人もいれば、なかなかならない世の中を憂いて世の中のことでプレッシャーを感じる人もいるのです。ですから、どれほどのスケールでプレッシャーを感じているかが、その人の意識波動の位置なのです。

ムルン:
いさどんの話を聞いていて思ったことは、実は僕の名前にも物語があるのです。僕が最初に親からもらった名前は実は中国語の名前で、呉雪芳という名前でした。僕の兄が雪清という名前だったので、ただそれに合わせただけであり、特にこの名前に意味はないのです。それからどういう物語が起きたのかというと、14歳の時に僕は村を離れ、草原をまわりました。そして大都会に行って、勉強するために学校へ行ったのですが、僕のふるさとの出身の人が先生をしていたのです。その先生が僕の名前を記録する時に、「雪芳」という字が「雪峰」に変わってしまったのです。その時は、なぜその先生が僕の名前を間違ったのか、それは意図的なのか、わかりませんでした。しかし、そこから僕の名前はパスポートでも何でもこの雪峰という字になったのです。

そして、今なぜ「ムルン」という名前なのかというと、僕の兄が2歳の時に僕のおじさんの5番目の弟が兄のもとを訪れ、兄にムルンという名前を与えたのです。ムルンにはモンゴル語で川という意味があり、そのモンゴル語の字はとてもきれいです。しかし、兄は中国語の名前を使っていたので、ムルンという名を使うことはありませんでした。そこで、僕は高校まで雪峰という名前を使っていたのですが、高校時代に僕が今話していることや想っていることの形が出てきました。さらに、僕は中国でも内モンゴル出身なので、自分のルーツに憧れる想いが湧いてきたのです。そこで、「僕はモンゴル人なのに、なぜモンゴル語の名前ではないのか?」と思い、「兄はあの名前を使わなかったから、先輩からもらったあの名を僕がもらおう」と思ったのです。

ムルンくんとボード

いさどん:
あなたはどちらかと言うと、中国人というよりも、モンゴル民族の意識のほうが強いということですね。

ムルン:
小さな頃からそれは強かったですね。僕は小さな頃から、村を守るという意識があったのです。僕はモンゴルの先生から、「モンゴル語の名前がないとダメだよ。そしていずれ、君の雪峰が溶けて、川になるよ」と言われたことがあります。山から雪が溶けていって川になる、というのが僕の物語なのです。そして、それは後からわかったことであり、途中でその意味は全くわかりませんでした。

いさどん:
雪峰というのは、そこに山があって高い位置にあるということで、それは意識が高いということですが、まだその状態では人々のいのちにはなっていないのです。山に降っている雪が溶け、川となって流れてきて初めて、人々はそれを飲み、その水がいのちとして生きていくことになるのです。

ムルン:
その意味が高校時代に解け始めたのです。

みかちゃん:
だから、ムルンという名前には深い意味があります。ただ、山にいるだけではダメなのです。「小聖は山に住み、大聖は町に住む」という言葉があるように、小さな聖人は山に住むことに対し、大きな聖人は町に住んで一般大衆に説いていくのです。

いさどん:
僕は1000年前に地球に降り立ったのですが、その時僕はヒマラヤで行者をしていました。地球に慣れ、宇宙の意識をこの地球上に降ろすためにはまず、ヒマラヤで暮らし、そこで修行をする必要があったのです。カタカムナで言う、ヒフミヨイムナヤコトは、一(ヒ)から十(ト)までの道です。そうすると、ヒからトまでを学ぶということは、ヒト(人)の道を学ぶということです。そして、ヒトであることの意味を学び、悟って昇天すると、俗世に生きなくなるものです。しかし、悟った者の悟りは何のためにあるのかというと、それは悟らない者のためにあるのです。普通、「わたしは悟りたい」と言うと、自らの欲望の延長に悟りたいということです。ところが、「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり」と言うように、悟った者には悟らない者のためにその道を示す役割があるのです。そこには、「自分のため」はないのです。そうすると、ヒマラヤなどで修行をし、悟った者は昇天していくのですが、次にまたこの世界に戻ってきた時には一般の人々の中に入り、そしてわからない者のために生きるということになるのです。

ですから、僕には宇宙から地球に来て、最初にヒマラヤに降り立ち、その後に里に降りてきたという魂の歴史があるのです。そして、こういったことはずっと前から、僕にはわかっていたことなのです。中学、高校の頃にはもうわかっていました。

 

後半へ続く ~

 

 


宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

2015年マヤ新年の日、地球に祈りのウェーブを巻き起こす式典の中で、いさどんは次のように語りました。

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今日2015年7月26日、マヤの新年・11MENの祭典に立ち合わせていただきました。そしてその最中に、ひとつの文字が浮かんできました。それは、「時(トキ)」という文字です。マヤ暦はおよそ20000年前から始まりました。その歴史をたどれば、今わたしたちはカタカムナを学んでいますが、そのカタカムナ以前に太平洋という地球上で一番大きな海にムー大陸があったそうです。そのムー大陸が消滅したとき、時(トキ)の文明を東に移し、マヤの文明にしたのです。そして、言魂の文明を西に移し、ユーラシア大陸の端に存在していたヤマトの国に移したのです。それから13000年の時を経て、一昨年、わたしたちはそれをカタカムナの学びとして出会いました。そして昨年から、メキシコの太陽マヤ族最高司祭の尊母ナー・キン氏との出会いにより、このヤマトの地で、マヤの新年の祭典が行われるようになったのです。

歴史を振り返ってみますと、2012年12月21日に25800年ぶりの銀河の冬至を迎えました。わたしたちの地球にも冬至はありますが、冬至とは光がもっとも少ない闇のピークのことです。わたしたちは太陽の生命エネルギーをもとにして、地球上で生命活動を行っています。そして、全ての生命が自分という個性をいただいて、時代を紡いでいるのです。その太陽の一螺旋である25800年ぶりの銀河の冬至が2012年12月21日に訪れ、この日を持ってマヤ暦は終わっています。それは、時(トキ)の文明を継承したマヤの人たちが、太古の昔にそういった宇宙の仕組みや太陽の構造を理解していたということです。

これまで、わたしたちは新たな時代を迎えるための心の準備をしてきました。一人ひとりが自らの個性的な心の歴史を知って、カルマを読み解き、そして新たな心とともに新たな時代を迎える準備をしてきたのです。それが木の花ファミリーの21年の歴史です。

そしてくしくも、新たな時代の扉を開けることになった4年前の東北の震災3.11を持って、わたしたちは地球暦に出会ったのです。地球暦に出会って、わたしたちは自分個人を生きているのではなく、星々の対話を受けて、宇宙の意志を一人ひとりの人生に表現していることがわかってきました。

こうした様々な出会いのもとに、今日2015年7月26日、わたしたちはこの富士山麓の地で地球一周の始まりとしてマヤの新年の祭典を迎えています。この祭典はヤマトの国・日本で始まり、そして24時間かけて地球を一周していくのです。

イメージしてください。宇宙を意識した人々の心が羽ばたくようにウェーブとなって、地球を一周するのです。つまり、地球は丸く、時代は途切れることなく永遠に紡がれながら、わたしたちはひとつの世界を生きているのです。

地球上にはまだまだたくさんの争いや様々な困難がありますが、これは人間以外のものが創ったものではありません。それは、人間が自我を自らのためだけに活かそうとして生きてきた結果なのです。それも、それほど長い期間のことではありません。時をさかのぼれば、およそ250年前のヨーロッパ産業革命以降のことでしょう。さらにもう少しさかのぼれば、800年、1600年くらい前のことでしょう。それ以前、人間は自然とともに生かされ、生命ネットワークの中の役割のひとつとして他の生命とともに繁栄していました。

今、この時を迎え、人間の中で自我が沸騰しています。しかし、これは悪いことなのでしょうか。

それは決してそうではありません。人間の可能性と高い能力を知るためには、思い切りその能力を表現する必要があったのです。そして現実にそれを表現したときに、その問題点も噴き出してきました。それが今の時代です。今、それをコントロールする時(トキ)が訪れ、そして自らのカルマを表現する言魂によってコントロールしていく時代になったのです。今、トキとトコロ、マヤとヤマトが出会って、この祭典につながったのです。

そのように考えますと、わたしたちは自分でわかっている範囲で生きているわけではないのです。星の対話によって時代が刻まれているのであり、それは宇宙の仕組みで生きているのです。その仕組みの中で、わたしたちは常に変化・変容・変態を繰り返しながら進化しているのです。

そういったことをイメージしながら、調和の世界を地球上に表現していきましょう。わたしたち人類は、非常に優れた能力と大きな影響力を持っています。人類が目覚めたら、次の時代にはきっと、この地球生命、さらに宇宙に大きな貢献をするような魂となって育っていく姿がイメージできます。

時代は21世紀に入り、ようやくそのような時代になったのです。2012年の銀河の冬至を迎え、新たな扉が開き、2013年・2014年・2015年と3年間その変化の準備期間をいただいて、2015年はその最後の年です。この新年が明けると、いよいよ新たな時の流れを世界中の人々が感じるようになり、人類も地球自身も新たな宇宙時代を迎えるのです。

それぞれの歩みがあるとしたならば、木の花ファミリーは世界に先駆けてそのことに気付き、目覚めたものとしてこの生活を通して表現するものなのです。これは今後の木の花ファミリーの生き方にますます反映され、そして宇宙を通し、地球ネットワークを通して、全世界に広がっていくものだと確信しています。今日のこの快晴は、天がそのような意志を示されていると感じながら、皆さんとともにその自覚を持って歩んでいきたいと思っています。

木の花の歩みが始まったのが21年前だとしたら、やっと今、時が追いついたのです。人は土星の30年のサイクルで生きていますが、最初の30年で自らが何者かを知ります。そして自らが何者かがわかったら、次の30年でそれを人生に表現するのです。そして、60年でその結果をいただき、その後旅立つための仕上げの準備をするのです。木の花ファミリーの20年から30年に向けての今後の10年間は、きっと新たな時代を紡いでいく大きな役割を果たしていくのでしょう。

そういった意味で、わたしたちは宇宙を生き、時を生き、時代を刻んでいるのです。その中のトコロという場にわたしたちの存在があるのです。ですから、心をしっかりと観て、宇宙・トキ・トコロを意識しながら生きていくことが、生命として、そして大きな役割をいただいている人間としての目的なのだと感じています。

それは、宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生を託されているのです。そして、人々は自我から解放され、この世界のために天の意志をいただいて生きていく時代に入ったのです。それは、価値ある素晴らしい人生です。自分のことは自らで責任を持ち、高い意識で歩んでいきましょう。そして、地球上にみろくの世を実現させましょう。皆さん、これからもよろしくお願いします。

一人ひとりにオリジナルな人生が託されている
一人ひとりにオリジナルな人生が託されている