万象が織り成すいのちの相(すがた)

みなさん、いつもコメントありがとうございます。

今日は、8月8日にUPした「未完成交響曲」についてのゆきえちゃん、まゆまゆ、まりりんのコメントを読んだいさどんからのコメントです。

ツꀀ

「ひとつの投げかけが波紋のように広がる。その波紋が、またさらに波紋を広げる。まるで織物のように。

この世界は織物だって言うけれど、無限な出会いと無限な現象によってできている。普通の織物は、縦糸と横糸と、もうちょっと複雑な場合はななめの糸から成る平面の織物。でも、この世界はもっと立体的な織物で、縦と横とななめと、こちら側とあちら側とで糸が織り重なり合い、すごく緻密にできている。それほど緻密なわけがあって、この世界はつくられているということ。

どんな完成であっても、未完成であっても、新しい意味と、それがもともと起きてきたもとの意味と、わけの波紋がある。わけの波紋ってのは、原因と結果の因果の波紋でできてるなって思う。なにひとつむだはない。そして、その因果の波紋は、何をつくり出すかっていうと、場の波紋というその空気をつくり出す。

だから、そのひとつの言葉の投げかけが、その言葉の発想の一番もとにあるものが、善意と愛と調和であるならば、その波紋からくる因果によって平和な世界がもたらされる。それが悪意であったり、対立であったり、孤独なものであるならば、その場は対立の場をもたらすことになってしまう。

だから、自分たちが、もしそういうことの法則を知ったならば、自分たちが何をこの世界に、自分にもたらしているのか、自由にコントロールすることができる。それが対立であっても、そこからまた波紋が広がって、最終的には善と愛と調和のほうに導こうとする力が働くことになる。

それが神様の意志で、我々はいつもそれを信じて、生きていくことが大切。」

ツꀀ

「我にかえったいさどんのコメントとしてつけ加えてね」という前置きの後に、いさどんは、

「今朝のぼくは、自分の中にあるそういう部分が反応したんだね。そのときそのとき、自分の意識していることに応じて、反応するところがあるんだね。もっと軽く反応するときもあれば、もっと深く反応するときもあるんだね」と続けます。

「因果の法則と、場の法則が同時になりながら、それが波紋になって、すべての世界をつなげている。その中に我々がいる。ひとたび、ぱっと愛の種が広がれば、それがぱっと広がる。我々のどの部分に共鳴するかによって、自由自在にこの世界を生きることができる。」

ツꀀ

「誰でも、自由にこの世界を創造することができる、という希望」を朝のいさどんから与えられた私は、この話をただ3人へのコメントではなく、ぜひ一つのブログとしてみなさんにも紹介したいと思い、今日のブログができました。

いさどんから湧き出る、神様の知恵の泉。「何かテーマを与えられると、次から次へと言葉が出てくるんだよ」といさどん。ですので、みなさんからの質問、投げかけ、何でもお待ちしておりますね!


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