この世界に死はない、死を活かせば生につながる

今日のいさどんブログは、
現在、ファミリーに滞在している方の大人会議での報告、
そしてそれに対するいさどんのコメントという形でお送りします。

滞在している方:

今日いさどんと話したことがあるのですが、
いさどんに、それを皆の前で話してみたら、
と促されました。
自分の嫌なところを人に知られることには
抵抗がありましたが、何かの役に立つならと思って、
発表します。

私は以前、三回中絶をし、
それを罪悪だと感じて、
何となく自分は幸せになってはいけないと思っていました。
でもその半面、それをどうにか上手く消化できたらいいのに、
とも思っていました。

私にとっては重いテーマなので、
今までなかなか人に話せなかったのですが、
何かの拍子に、メンバーのまこっちゃんやいさおちゃん、
きょうこちゃんに話す機会がありました。
皆からいろいろなアドバイスを受けましたが、
きょうこちゃんからは、
いさどんに言ってみるといいよ、
とアドバイスされました。
そんな話をしているところに
絶妙のタイミングでいさどんが現れ、
いろいろな話をしてくれました。

その中で印象に残っているのは、
「死を活かす」ということです。
活かすという字は、
生活の生ではなくて、活のほうの字です。
三つのきれいな魂が
私の汚れた心を気づかせて、学ばせてくれて、
その経験が自分を活かしたり、
人のためにもなるんだと思いました。
なんだかすごく納得して、
解放された気持ちになりました。
しかし、それと同時に、
これからその死を活かさなければいけない、
というプレッシャーも感じました。

でも、いのちをつなげるために、
なんとか頑張って
自分の中で死を活かしていきたいと思います。

いさどん:

僕の話から、彼女が何かを感じて、
彼女の足しになったのだと思います。

これは大事なことだから、
みんなにも話を聞いてもらいたいと思います。

水子や中絶について、
罪の意識で苦しんでいる人たちが
世の中に沢山いると思います。
それは、なかなか人に話せない。
そして、話したとしても、
そのことに明快な回答を得られない。

世の中には、中絶をいけないことにして、
飯の種にして生きている人たちもいる。
しかし、そうすることによって、
余計にその魂は汚れていく、と僕は思っている。

こういった悩みを打ち明けられた時に
僕がいつも答えるのは、
その魂が美しい魂なのか、
それとも汚れた魂なのか、ということ。

今日も彼女に言ったのは、
「あなたは今、生まれてきてここに生きている。
そして心の病気もして悩んでいる。
それは、なぜだかわかる?
それは、あなた自身に汚れがあって、
この世界に降ろされて、
その汚れをきれいにするために生きている。
その表われが病気なんだよ」と。

それに対して、中絶した子供は生まれてきましたか?
人生を生きましたか?
そして、今、想い悩んでいますか?

長いいのちをもらう人もいれば、
短いいのちをもらう人もいる。
短いいのちで、
この世界に出てこないくらいの状態で
終わっていったものは、
ちょっと見方を変えれば、
この世界で修業をして汚れを取る必要がなかった魂でもある。
そういう見方もできる。

そうすると、
あなたは中絶という行為をしなければならなかった。
それは、あなたの汚れです。
そして、そのことで悩まないといけない。
それも、あなたの汚れです。
それを与えるために、
その魂はたったそれだけの短い期間
あなたにその役割をしてくれて、
そしていのちを終わっていった。

それを、ただ生きていることが尊くて、
生きていることだけが幸せという人たちは、
短いいのちで亡くなったということをかわいそうだと言う。

でも、世の中を見て下さい。
いのちのある人が幸せに生きているとは限らない。
逆に言えば、いのちのある人だからこそ、
不幸に生きている人が多い。
それは生きるという意味が、
自分の汚れを取って磨いていきなさい、
きれいになっていきなさい、
ということで問題事が与えられているから。

だとしたら、この世にちょっとだけ生をもらって
ほとんど生きなかったというものは、
それだけ美しい魂ということも言える。
人のためにだけ役割を果たして去っていった、
ということが言える。
そういうふうに、僕は見ている。

でも世の中には、生きるということを大切と捉えて、
それを飯の種にして、
「その魂はかわいそうだ。きっと迷っている。
だから供養してあげなさい」と言う人たちがいる。
それに従って、たとえば
三年経てば三歳のように七五三を祝ってあげたり、
小学校に入学する歳になったら
ランドセルを買ってお供えしてあげたりする。

ところが、そうすることで、
もともとこの世に未練がなかった魂が
未練を持ってしまうようになる。
きれいな魂だからこそ、
そういった行為によって汚れてしまう。
そして、実際の体がないのに霊的に成長して、
この世に未練を持って迷っていってしまう。
そういう魂たちがいる。
そのことが未練という形で育って、
生きているものたちに災いをもたらすことにもなる。

もしあなたが、
亡くなった子供たちのことをかわいそうだと思って、
いつまでもくよくよしていたら、
あなたのその想いがその魂を解き放たないで、
この世界に閉じ込めて、それを不幸にしている。

その魂は、私のために
縁をもって教えてくれるという役割をしてくれた。
それに気づいて、ありがとうと言って解き放ってあげること。
それが、その子の死を活かすということです。

この世界は、いつも理不尽な世界です。
私たちが生きているということは、
必ず違うもののいのちを奪って生きている。
でも、それを奪っているといったら、
いつも罪を持って生きていかないといけない。
でも、その死んだものは自分の中に生きている。
いのちが伝承されて生きている。
その死が活かされているとしたならば、
それは素晴らしいことで、この世界の仕組みである。
つまり、この世界に死はないということ。

よくこんな相談を受けることがあります。
「大切な親が亡くなりそうです。
どうしたらいいでしょうか?」と。
そんなときに僕が言うのは、
その死が近づいてきた時に、
その死を悲しいと思ってしまいがちですが、
誰でもいつかは死を迎えるのですから、
特別なことではないのです。
精一杯、お世話をして見送ってあげましょう、と。

特に、身近な人が死ぬということは、
自分に近い人だから、その人の生き様を
全て包み隠さず見せてくれたということです。
そしてその人がどういう形で死んでいくか。
病気で死ぬ人もいれば、いろんな形で死は訪れてくる。
それを見せてもらった時に、その人の人生を通して、
その人の生き方から学びを与えられたんだと。
生きてきた結果、人生の卒業式にその人が取った点数が、
その人の生き様の答えだから。
それを見て、自分はこういうふうに生きると、
こういう死の迎え方をするんだというふうに学びましょう。

そうすることによって、
あなたの中にその死が活かされます。
それが、本当の先祖供養です。
一人の人が死ぬことによって、
何人かの人がその生き方を学んで活かしたら、
その人の死は無駄ではなくなる。
沢山の人の生に活かされる。
それが、死が活きるということです。

そうしたら、私たちの世界の中に死はありません。
始まりがあり終りが来て、
それがまたぐるぐる回っているのだから。
私たち自身も死を迎えるけれど、
次の新しい生を迎えるように、
残された私たちの中に身近に接している人の死も活かせば、
その人の死は私たちの中に生きていきます。
この世界は全部そういうふうになっている。

この世界には死がない。
でも、時々、死を悲しく忌まわしいものとして、
避けていこうとする人たちがいる。
そういう人たちには、死が訪れます。
つまり、死が活かされないから。

そういうふうに考えていくことが、
生命の星に生きるということ。
いのちは生きるということです。
いのちは「みこと」ですから、神のことです。
そして、宇宙全体をつなげて循環して、
死のない世界をつくっている。
私たちがそのことに気づけば、
どんなことも活かすことができる。

今日、僕が倉庫へ行ったら、
彼女とその話をしていたきょうこちゃんが
「ちょうどいい所へ来たね」と言ってつなげてくれた。
僕は、ポン菓子をつくりながら、話をした。
そして、今日までずっとそのことで苦しんできた彼女に、
それにけじめをつけて活かそうよ、と。
その魂が自分にどれほどの学びをくれているのかに気づいて、
活かそうよ、と。
後ろ向きな想いを持っていたら、
その魂は自分を活かせなくて迷ってしまう。
結果として、あなたは人を迷わせることになるよ、と。

そういうことではなくて、人をここでも活かそう。
そして、ここで語ろう。
そのことによって、
こういうふうに前向きに物事を捉えることができない人たちに、
それを伝えよう。
そして、これをブログに載せよう。
そうしたら、世の中に広く活かすことができる。
今まで苦しみにしてきたこの経験を、
尊いものに変えることができる。
だから、ぜひみんなに話して下さいと言いました。

いい話でしょ。
こんないい話は、みんなで分かち合わないといけない。

やっぱり、死んだ魂も美しい形で旅立たせてあげたいよね。
この世界はゲームであり、カラクリだから。
そのカラクリがわかると、
「何だ、こんなことだったのか。
今まで何年これで辛い思いをしてきたのか」と。
そしてそのカラクリは、
単に解けたということでも、
自分が楽になったということでもなくて、
「いかにこの世界がありがたいか」
というところにつながるのです。


2 thoughts on “この世界に死はない、死を活かせば生につながる”

  1. 初めてコメントさせていただきます。今、滞在されている方、勇気を持ってみんなと話し、ブログに載せてくれてありがとうございます。私は今、姉の末期がんを在宅で見取ろうと現在進行中です。悲しい気持ちになったり、不安になったり。ネガティブなことに心が動きそうな時もあります。でも、こうして姉を自宅でお世話する事の意味、私が学ぶべき事を一生懸命したいと思っています。「死を活かす。」とても大きく大切な課題ですが、心を落ち着かせ、向き合い、取り組める気持ちになりました。滞在されている方、ありがとう。あなたの勇気で、私も勇気をもらい繋がりました。思いつめず、前を見て、楽しんで、頑張りましょう。

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