いさどんインドへ行く ~ 色が水に溶けていくように

僕がインドへ初めて行ったのは、
今から27年前の12月26日。
僕が31歳の時だった。

カルカッタ行きの飛行機の中で、
田中さんという添乗員が僕の隣に座っていた。
何でインドへ行きたかったのかを彼に話しながら、
「今日は何日?」と聞くと、
彼は「26日ですよ」と答えた。

僕は「お釈迦様が初めて僕の頭の上に現れた日だ」
と気づいた。
お釈迦様の生きた国、嗅いだ匂い、
吸った空気を、踏んだ土を味わいに来た。
それが偶然にも、12月26日だった。

「カルカッタの空港にあと1時間で到着です」
というアナウンスを聞いた。
涙を流しながら、
なぜ自分がインドへ行くのかということを
ずっと田中さんに話していた。

カルカッタの空港に着いた。
空港では、滑走路の脇で
沢山の人がお百姓さんをしていた。
飛行機の窓から、
そこらへんを人が歩いているのが見えて、
異国に来たんだな、すごいな、と思った。

ロッキードのジャンボジェットの扉が開いて、外に出た。
空気を吸った瞬間、
「やっと来たなあ、懐かしいなあ」と思った。
こんなに懐かしい気持ちになったのは、
生まれて初めてだと思った。
自分の故郷に久しぶりに帰っても、
こんな気分になることはなかった。
「何だろう、この懐かしさは」。
頭の中に想いが巡った。

それまで僕は、
お釈迦様の聖地であるインドという地を
客観的に捉えていた。
ものすごく親しい人が生きた土地を訪ねにいくような。
だから、知らない所を
訪ねてきた感覚になるのだろうと思っていた。
「初めて来ました。やっと来ました」と、
そういう気持ちになるのだろうと思っていたが、
そうはならなかった。

実際に来てみたら、
「うわあ、帰ってきたなあ」と、
自分の中の細胞が感じていた。
自分は、確実に以前、この国で生きていた。
なんだ、自分の故郷に帰って来たのか、と思った。

空港の税関の向こう側では、
「ルックツアーの皆さんこちらですよ」と
言っている男の人がいた。
その呼び声の主を見ると、
顔はインド人の顔をしているのだけれど、
日本語が上手で、
彼の雰囲気がすごく日本人みたいだと思ったのを
覚えている。
普通に日本語で冗談を言うような。
僕は誰にでも冗談を言うから、
片言の英語と名古屋弁丸出しの日本語で
ばんばん冗談を言うのだけれど、
彼はそれにちゃんとついてくる。
そこには、インドへ行った雰囲気が全然なくて、
がっかりした記憶がある。

彼は、ツアーのガイドをしている時以外は
ずっと僕の隣にいて、
何で僕がインドへ来たのかを聞いてきた。
僕は旅の間中、涙しながら話していた覚えがある。

その旅の間の話はひとまず置いておいて、
インドを離れる前日のこと。
ニューデリーの空港の近くのホテルに宿泊していた。
僕は、最後の夜だからということで、
瞑想をしていた。

心地よく瞑想に入っていく。
「こんなに心地のいい瞑想をしたのは久しぶりだ」
と味わっていると、音楽が流れてきた。
僕がイメージの中で美しい景色を見ると、
頭の中でベートーベンの「田園」が流れてくる。
その時もそれが流れてきた。

瞑想の中、
僕は晴れている場所で
8の字を描きながら空を飛んでいる。
最初は、上昇気流に乗って上へ上へと飛んでいた。
下を見ると、草原に花がいっぱい咲いている。
コスモスのような、けしのような花畑で、
すごく広い。
そこを僕は鷲かトンビになって、
8の字を描きながら、ずっと下を見ている。

だんだん高度が下がってきた。
下の花畑は、全く見たこともない景色で、
今の時代の景色ではないことがわかる。
そこには人間の営みが全くない。
自然のままの風景。
明らかにこれは、ずっと昔の景色。
8の字に飛びながら、その景色を眺めている。
そのうち、どんどんどんどん下に降りていく。

地上に近づいた時に、
大理石の大きな門がぽつんと見えてきた。
その大理石に向かって、さらに近づいていった。
その門に向って急降下しだして、
その門をくぐり抜けようとするちょっと手前の所で、
その門いっぱいに顔が現れた。

それは、インド人の顔だった。
ちょっと色が黒くて、眼が鋭い、
凛々しいインド人という雰囲気。
皮膚がピカピカしていて、弾力があって、
生きている顔。
その顔は何も言わない。
笑いもしない。
ただ、「真理」という顔をしていた。
真理とはこういうものである、という顔。
その顔が目の前にばーんと出てきたら、
ふわっと瞑想が終わった。

ああ、見た。見たな、と。
僕がインドに来た目的は、
お釈迦様の吸った空気、嗅いだ匂い、
そして踏んだ土をこの肉体に感じて、
「あなたは、ここで
心を人々に説いたんですね」と確認したかった。
そして、お釈迦様の
生(なま)の生きている顔を見たいと思っていた。
そんなことはできようもないけれど。

僕が大理石の門の所で見た顔は、
生(なま)の生きている、真理という巨大な顔だった。
それが自分の前に現れて、
「見た!ありがとうございます。
そんなことが叶うなんて、想ってもみなかった。
この顔は絶対忘れない」と思った。
その時に、いつか
絵を描くのが上手な人に出会えたら
描いてもらおうと思って、自分の眼に焼きつけた。
あれから27年も経っているけれど、
今でもはっきりとイメージできる。

僕はそれで満足して、
瞑想を終えて休んだ。
次の日の朝、トイレに行った。
便器の左横には洗面台があって、鏡があった。
僕は前を見て座った。
何気なく、ふと左の鏡を見た。
すると、鏡には
昨夜あの門の所で見た顔が映っていた。
その顔が僕の首の上に付いていた。
「ああ、昨夜の顔だ」とじっと見ていたら、
すっと自分の顔に戻ってきた。

それだけの物語。
それで僕の目的は全部達成されて、
インドから戻ってきた。

僕は、お釈迦様が生きていた時の生の顔、
誰も見ることのできない、
その顔を見たいと思っていた。
それが叶えられた。
それが自分の顔に映っていたというのも、
何となく、
これからそういうふうに生きていくんだという予感もした。

今、僕のまわりに、
何となくあの方がおいでになるという感覚がある。
あの方が、神様のように、
この世界に遍満しておられる。

お釈迦様に縁をいただいてから9年後、
天上に昇られる時、
「私はまだ赤子のようで、
あなたなしでは歩めません」と言った。
しかし、お釈迦様は、
「赤子と思っておるのは、そなただけじゃ。
歩んでみなさい。
もう十分に育っておるから」
と諭されて、
「わかりました」と答えた。
そして、今日まで歩んできた。

その頃、ある女性のシャーマンとの出会いがあり、
彼女は僕にこう伝えた。
「古田さん、お釈迦様は決して
あなたから離れていこうとしているのではありません。
ただ、役割が終わったから、
天上の世界へ帰られるというだけなのです。
これからは上からあなたを見守っておられます。
そして、何か大切なことがあったら、
いつでも戻って来て、
あなたの力になるとおっしゃっていますよ」と。

あれ以来、
一度も音を上げたこともないし、
力を欲しいとお願いしたこともないけれど、
2か月前、これからますますこの心を
人々に伝えていくと思った時に、
「どうかあなたの力をお貸しください」とお願いしたら、
もともとそうだったけれど、
僕の発想はますますインド哲学的になってきた。
「ああ、おいでになるな」と思った。
自分の想いの中に、
色が水に溶けていくようにおいでになる。

そういう僕とお釈迦様の物語。


6 thoughts on “いさどんインドへ行く ~ 色が水に溶けていくように”

  1. いさどんがインドでお釈迦様のお顔を見たという話は以前にも聞いていたけど、こうやってあらためて通しで文章で読んでみると、すごく伝わってくるなあ。ようこちゃんありがとう!

    「赤子と思っておるのは、そなただけじゃ。
    歩んでみなさい。
    もう十分に育っておるから」

    このセリフは、以前いさどんからも同じことをミーティングで言ってもらったことがある。
    これからはひとりひとりが自立して歩いていくことが大切なんだね。

  2. おはようございます。
    素朴な疑問なんだけど・・・。
    ここ数年自分の出会った方々を振り返るとインドに行かれた方が非常に多い。
    ヨーガや瞑想をやるようになり、ラーマクリシュナやパラマハンサ・ヨガナンダの本を繰り返し読んでいる。
    また、現在ブラーマクマリスのラージャ・ヨガを勉強中。
    自分ではインドに行きたいとかあまり思わないけど、少しは縁があるのかな~?

  3. 途中でコメントが飛んでしまいました(汗)
    何をどこまで書いていたのか?わからない…スミマセン。

    “これからの私の人生=(心の)修行!”

    その言葉を胸にインドから帰国してすぐ
    いさどんはじめ木の花ファミリーのみんなに出会えたこと、
    いさどんがお釈迦様に出会ったこととおなじように
    私にとってすごく重要で素晴らしいことだと感謝しています。

    日々学び、高めあってゆきたいものです♪

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  4. いさどんの言葉を借りると
    “ジワジワと流れるように木の花にたどりついた” 私。

    旅先のインドで偶然知り合った人に木の花のことをきき、
    帰国後すぐに訪問、そしてアッという間にファミリー宣言!と本当に自然に今に至りました。

    初めていさどんのプレゼンを聞いたとき
    変わった人だな(笑)と思うとともに、

    “あっ ここに輪廻(転生)の最終段階の人がいた!” と驚きました。

    インドでヨガの心やヒンドゥ教の教えを学び、

    “これからの私の人生=(心の)修行!”

    それが自分にとって一番大切なことなんだ!と気づき、
    帰国してすぐいさどんはじめ木の花ファミリーのみんなに出会えたこと、
    いさどんがお釈迦様に出会ったこととおなじように(レベル違いすぎますが…)
    私にとってすごく重要で素晴らしいことだと感謝しています。

    日々学び、高めあってゆきたいものです♪

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  5. じいじの武勇伝は高級霊との出会いが多くて驚愕です。じいじは今生で菩薩業は卒業で、次は仏様へ進級なんですねきっと!
    (完璧で退屈な高級階層からも、地獄の地上をご支援くださいませ)

    私は数年前に建築見物でインドを周遊しました。そのとき、現地のガイドさんからヨガナンダ自伝のペーパーバックを貰いました。ガイドさんが涙ぐんで「こんど日本人のツアーでヨガナンダ師の師匠が修行したチベットの洞窟に行けるんだ」って話していたのを覚えています。

    インドにいくより前、テレビで芸能人を霊視する美輪明宏氏と江原啓之氏の「オーラの泉」を観て毎週感心していたのですが、インドにも不思議な方が実在したんだと知りました。

    そのあとシルバーバーチの霊訓を読んで、第一次大戦の頃には英国で降霊会が盛んに行われていたと知りました。前述の江原啓之氏の見解では、人の目に見えない世界が実在することを知らせる目的で、デモンストレーションの時代には物理現象が頻繁に起きたとのことです。江原氏もじいじと同じように、今は実践の時代で、人のが滅亡に向かうか進化するか岐路にあると2020年頻繁に語っています。

    ちなみに江原氏は自身の守護霊である昌清という茶坊主を通じた霊界通信を 「スピリチュアルメッセージ」というシリーズで数冊を書籍化しています。

    江原氏は最近はテレビやラジオのレギュラー以外はコロナを避けて熱海の別荘に疎開されているそうです。富士宮と熱海は近いので、じいじと江原氏の対談が実現したら面白いのにと妄想しています。

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