正直者の頭に神が宿る

今回で木の花訪問4回目になるゆうすけくんは、
いさどんブログ「おやじの館」の愛読者です。
今回は、「木の花の志を参考にして、
心を耕しに来ました」とのこと。
そんなゆうすけくんの悩みは、
「ブログに書いてあるような心で
日常生活を送りたいのに、
人に良くみられたい、
人に嫌われたくないという自分の弱さから、
なかなか実践できなくて。
また、人のために優しくしているつもりが、
本当にその人のためになっているのかなって。
自分が傷つけられるのが嫌だから、
人にも本当に思っていることが言えないんじゃないかと。
いさどん、
そんな僕に何かアドバイスはありますか?」

さあ、おやじの登場です!

いさどん:

「嘘も方便」とか、
「正直者は馬鹿を見る」とか、
世の中にはそういう言葉があるよね。
まず、こういうことを言う人は、
自分の本当を今まで出してこなかったから、
正直を出すことにためらいを持っている。

「あの人は物事をずばずば言うけれど、
なんか憎めないね」という人は、
生まれた時からの環境、その人の魂の形で、
自分の本当を出すということを今までやってきている。
本当のことを言って日々生きている人にとっては、
それが習慣になっているから、
本当のことを言わないと気持ちが悪くなり、
本当のことを言う。

本当のことを言わないで、
それが自分を守ることだとか、
得をすることだと考えてやってきた人は、
それが習慣になって日々を生きているから、
本当のことを言うことが怖くなったりする。
本当のことを言ってすっきりすることよりも、
自分にとって不利になるんじゃないか、
問題事が起きるんじゃないかと、
駆け引きや損得でものを考えている。

その心を分析すると、
本当のことを言うということは、
自分の気持ちの中に何も溜まっているものがない。
本当のことを言わないということは、
仮にそれが自分にとっていいことだと思っても、
「本当はこうなんだよな」と
自分の中で溜まっている心がある。
正直者がいいとか、
嘘をついて生きることはいけないという
単純なことではなく、
自分にとってそれは不健康のもとである。

そこで考えてみよう。
自分にとって不健康な状態で、
自分を守ろうとしている自分。
自分が得しようと思って、
自分の中に溜まりものをつくって、
気持ちの悪い状態にしている。
それが自分のためなのか。

隠すとか嘘を言う心には、いろんな答えがある。
それに対して、本当はひとつしかない。
そうすると、本当のことを言うというのは、
すごいエネルギーが少なくてすむ。
いつもひとつしかないからである。
「これはこういうことだよ、
これはこういうことだよ」ということで、
全てが片付く。
だから、重荷にならない。

ところが、
今度はこう言っておこう、とか、
この場合はこう、とか、
そういった心でいると、
いろいろ心を使い分けないといけない。
さらに、本当のことを言ってないと、
何かの拍子に
本当のことを明かさないといけない時がある。
その時にまた、
本当のことを言おうかどうか、と
また、エネルギーを使う。
ばれそうになると、
本当のことを言わない人は、
また新しい嘘を言う。
いつも自分の中に
負の部分が溜まっている状態を繰り返す、
ということだよね。

人によく見られたいという心から
本当のことを言わないとしたら、
その人のご機嫌を伺っていることになる。
その連鎖というのは、
その人に気に入られようと思って、
一度人にご機嫌を伺うと、
ずっと続けていかないといけない。
これも、すごくエネルギーのかかることで、
自分がいつも本当ではないことを表現することに
エネルギーを使い続けないといけない。

本当のことを言えない、
言わないというのは、
心の癖だから、
そういう手法が身についてしまっている。
なかなか、実践ができないというのも、
まさしく自分に身についてしまっている。

人によく見られたい、
嫌われたくないという心を持っていると、
結果としてあまりいい気分で人生を歩めない。
一度、いつ頃から自分がそういう人になったのか。
学校の交友関係とか、
子供の頃からの家族との関係を振り返ってみる必要がある。
そこで、どこかトラウマ的になっているものを見つけ、
それがどういう形で影響しているのかということを
客観的に捉え、解決して、それを処理していかないと、
その癖は折をついていつも出てくる。

それは癖だから、
それを個性として変えていくとしたならば、
人から評価される人になりたいという心の癖には、
向上心がある。
自分が人に評価される人間になるためには、
まず、自分が気持ちよい人間になるということ。
正直であること。嘘をついて、
何か隠し事をしているということは、
外に対して気持ちの悪い空気を発している。

しかし、
「あの人は言いたいことを言うし、
好き勝手に行動しているけれど、
何でも上手くいくね」とか、
「好き勝手に行動しているけれど、憎めないね」
という人がいるはずなんだ。
それが正直者の証拠。
それを、タイプが違うから僕にはできない、
ということにしておかない。
やろうと思えば、誰にでもできる。

それから、他人のために優しくするということは、
厳しいことも優しさのうちなんだよね。
厳しいことも優しいことも、
相手のことを想って言ってあげるのが優しさで、
そのことで一時、相手が離れたとしても、
本当のことを言った人は、
相手のために大切な役割を果たしたことになります。

本当のことを言った人のもとに戻ってこれない人は、
その結果、成長しない人生を歩むことになる。
そして、大事なことが伝わっていれば、
何かの時に、
「そういえば、あの時にああ言われたな」と
その人の中に残っているものである。

最終的には、虚栄、嘘の世界は壊れていく。
そして、本当の世界は必ず成就していく。
長い目で見れば、人と人の縁を
もう一回つなげるんだし、
仮にそれがそのまま消えていったとしても、
相手に対して本当のことを言うということで
悪い結果は生まれない。

ただし、本当のことにも旬というのがあって、
今言っていい時とそうでない時がある。
大切なのは、今この人のために
本当を伝えてあげないといけないけれど、
その人は今聞く耳がないと思えば、
嘘をつくのではなくて、旬が来るまで待つ。
時期が来た時に伝えてあげる。
必ず、伝えるべき時が来る。

そういった旬を
見分けられる人になることが大切で、
常日頃から本当のことを言っている人は、
見分けられるようになる。
しかし、嘘を言っている人は心が濁っているので、
その旬を見分けられない。

だから、本当のことを言って
人間関係を悪くする人もいる。
それは、日頃から自分本位でいると、
今の言い時、今言ってはいけない時、
というのが見えていないからである。
本当のことでも何でも、
その時々に合わせて使い分けていけばよい。

ただ、旬のことを見分けられない時でも、
本当のことを言うことは、
たとえ相手とトラブルになったとしても、
相手に対して悪いことをしていないから、
嘘をついていくよりはずっといいことである。

「嘘も方便」や
「正直者は馬鹿を見る」という言葉は、
一般的に生きている人たちが、
自分が得をするために使う。
実際は、「正直者の頭に神が宿る」と言って、
正直者が一番いい人生を送れるように
この世界はできている。
損得勘定の上でのいい人生を模索していくよりも、
正直で生きているということは気持ちがいい。

冷静に自分の姿勢を観れば、
自分が気持ち悪いから悩んでいるわけです。
それが自分にとって
何をもたらすのか冷静に振り返ったら、
自然とやめられるものです。
真剣に自分に取り組んでいないということなんだろうね。
それは、自分の姿勢を見ることから逃げている。

政治の世界でも経済の世界でも、
不正はいろいろある。
それは、最後は必ず、全部元通りに戻すどころか、
隠してきた分だけの痛みを持って自分に返ってくるもの。
生涯それを隠し通せた人がいたとしても、
自分がそういう人間であるという価値は、
自分についてまわる。
それは、自分が一番よく知っているはずである。

やはり、
胸を張って気持ちよく生きていかないといけない。
そうすると、方法ではなくて、
あなたはどちらを選びますかということになる。

ゆうすけくん:

正直に言っていくことですよね。

いさどん:

その言葉のトーンからすると、
なかなかできないんですよ、
ということを同時に言っているように感じられる。
それはあなたの人生だから、
どうするかというのはあなたが決めればいいこと。
だけど、そのトーンで言っている限りは
できない、できないを繰り返すことになる。

もうひとつ。
さっきも同じことを言ったけれど、
敢えてもう一度言うと、正直になるってことですよね、
切り替えていくってことですよねと言いながら、
やれないトーンの自分を繰り返すよりも、
こんな清々しい日々を毎日送れるのか、
気持ちいいなって生きていくことのほうがずっといい。

自分が発したものが返ってくるのだから、
嘘をついていたり、
全体に対していいものをもたらさないのに、
いいものが返ってくるわけがない。
それで返ってきたら、この世界はおかしい。
因果応報ではなくなってしまう。
客観的に自分がどういうものを
まわりにもたらしているのか。
それが見えさえすれば、
返ってくるものが何であるか、
自ずと理解できる。

よく人から聞かれることで、
異性に好かれるためには
どうしたらいいんですかという質問がある。
そこで答えるのは、相手に好かれようと思うと、
とかく相手の心をこちらに向けようとする。
それは大きな間違いで、
たまたま相手がこちらを好みなら、
こちらが好かれようと思わなくても
勝手にこっちを向くんだから、努力は何もいらない。
そんな悩みも所詮ないわけです。

相手がこちらを向くかどうか未知の時に、
そういうことを考える。
そうしたら、相手がこちらを向くかどうかわからない。
その状態でこちらを向いてほしいというのは
難しい話だよね。
いろいろ努力してみるのもいいけれど。
物でつったり、嘘をついたりすれば、いつかばれる。
そうすると壊れる。

そうしたら、
相手にとって自分が魅力的な人になればいい。
自分を磨けば、ほっといても、
相手は自ずとこちらを向く。
評価されたいからと言って、評価してくれと
相手の気を引こうとするのではなくて、
評価されるような自分になる。
それが自分磨きだよ。

自分を磨かないで評価されたい。
自分を磨かないで嫌われたくない。
嫌うのは嫌なところがあるから嫌うのであって、
いいところがあれば嫌うどころか好きになってくれる。

だから、
そういうことを言っている人は、
とかく人のことばかり見ていて、
自分を見て磨いていない。

ゆうすけくん:

何か自分の中で想うことがあって言おうとしても、
これを言ったらこの人は怒るんじゃないかとか、
その場の全体の雰囲気が悪くなるんじゃないかとか、
先のことばかり勝手に自分で予測してしまって。
そうなるかどうかは、わからないのだけれど、
いつもセーブしてしまうんです。

いさどん:

それは、相手の意思を無視しているわけだから、
相手に対してすごく失礼なこと。
全てこちらで考えて、
こちらで結論を出しているわけだから。
実際にあなたが思っている通りかもしれない。
でも、そうでないかもしれない。
なのに、先に結論を出してしまっている。
それでは、いい人間関係は絶対に築けないよね。

ゆうすけくん:

自分の想いを素直にぶつけるべきだと。

いさどん:

ぶつけるというのは問題で、
ぶつけるという言葉を使う人は、
日頃素直に言えてないから、
勢いをつけて言う。
本当のことというのは身の丈だから、
別に勢いをつけて言わなくてもいい。
ただ自分の意思を伝える。
「僕にはこう見えるよ」とか、
「僕は今こう思っているんだけれど」
という伝え方をすればいいのであって、
そこでは伝えるという作業はあっても、
ぶつける必要は全くない。

もうひとつ。
黙っていると、自分の中に感情を溜めている。
それが膨らんでいくこともある。
どんどん真実と違う方向へ膨らんで行くこともある。
相手の真意も確認できないと、
どんどん違うほうへ行ってしまう。

それが、
怒りのほうへつながっていった場合には、
何かの拍子に爆発して出る。
始めに正直に出た時には、
さらっと言えたことが、
日にちが経っていって、
自分の中に真実と違うことが膨らんでいった時に、
怒りとなって出たりする。
そういうふうに、感情は旬を逃すと、
全く違う感情になって出てくることになる。

さて、それをどうするか。
そこでは、自分にとって損か得か考えたらいいと思う。
それを自分の中で吟味して、
できなければできるように日々の生活の中で練習していく。
とても一人ではできませんと言う人は、
こういったところへ来てトレーニングしてみる。
いろんな方法があるけれど、
それには、現状がよくないなということを
自分の中で結論付けないと。
現状でいいなと思っていたら、取り組めない。

ゆうすけくん:

日々の中で取り組んでいきたいなと思います。

いさどん:

ちょっと重くなっているよね。

ゆうすけくん:

すぐ重くなっちゃいます。

いさどん:

雰囲気からして想いが溜まってきているから、
重くなっているよね。
だけど、こんなものは心の問題だから、
チャンネルを合わせるようにぱっと切り替わったら、
嘘のように
「何で今まであんなことをやっていたんだろう?」
というような世界なんだよね。
でも、そのきっかけが見つからないと、
どこに合わせたらいいのかもわからない。
変えようとするきっかけも掴めない。
底なし沼のようにね。
そういったところにはまってしまうこともある。

ゆうすけくん:

そうですね。いつも一歩踏み込めない。

いさどん:

よくあるのは、
そういう癖になってしまっていて、
それを繰り返すのが自分らしさのようになっている。
だから、悩んで反省しているんだけれど、
そこから抜け出せない自分がいて、
またそれを悩む。できない。
悩む。できない。
そういったスパイラルにはまっていく。

だから、どこかで突破口を開いていけられるといいね。
自分でやれる人は自分でやればいい。
だけど、自分でやれない人は、
人の力を借りてやればいい。
どの手法を取ってもいいけれど、
そこを超えていく作業がとりあえず必要だよね。

インタビューの直後は、
「言われていることは
すごくよくわかるんだけれど、
自分の心が邪魔して、
『そうですね』と切り替えられない自分がいます」
と晴れない顔のゆうすけくんがいました。

しかし、翌日ここを出発する時には、
「昨日は、いさどんの心を受け取る心、
いただく心が自分には足りなかったなと反省しました。
わからないことを無理やりわかろうとするのではなく、
シンプルに、正直にまずはやっていこうと思います!」と、
ちょっと表情が明るくなったゆうすけくん。
おやじだけでなく、
皆でゆうすけくんの人生を応援しています。
いつでも、困った時でも、
何もなくても、心の実家に帰ってきて下さいね。


3 thoughts on “正直者の頭に神が宿る”

  1. 大変わかりやすい良いお話です。

    他の方にも伝えたいので転載してもよろしいでしょうか?

  2. お久しぶりです。
    本当に一字一句文字お越しをしてもらって、ありがとう。
    改めて文章で呼んでみると、いさどんの話が昨日の事のように思い出せたし、自分の心に響きました。
    自分はいつからこういった癖を持つようになったのかなあと考えたら、物心ついた頃から同じような癖を持っていたような気がします。末っ子で甘えてきて、何でもみんなから与えてもらってきました。かわいがってもらうために本音を言わなかったり、気まずくなるのが嫌で嫌なことから避けて通ったりしてました。あと、けんかを見るのがすごく嫌いでした。嫌われるのが嫌だったんだと思います。
    なんかそう考えると自分本位ですよね。いらない心だなあって思います。
    正直、素直、現象を受け取るが今の僕のテーマです。
    なんかまとまらないですが、また休みを見つけて心の実家に帰りたいと思います。ブログは毎回楽しみに見てます。みなさん身体に気をつけて。

  3. 2はるのさん、コメントありがとうございます。
    転載の件は、大丈夫です。
    いろんな方の参考していただければ、幸いです。

    ゆうすけくん、お待たせしました!
    そうだね、「正直者の頭に神が宿る」だから。
    今度ゆうすけくんが帰ってくる時、
    また、いろいろとシェアできるのを皆で楽しみにしています。
    心磨きは、楽しくね!

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