個性と多様性が同時に成り立つ世界

音楽は、個性的な楽器が
それぞれのパートで楽譜に沿って、
別々の表現をしながら、
束ねられることによって
ハーモニーを奏でていく。

道具の機能を果たすためにも、
いろいろなパーツが個性的に役割を果たしながら、
それがひとつながりになることによって、
ひとつ大きな「道具」という機能を果たしていく。
この世界の仕組みは、
どこを区切っても、そういうものである。

人間の社会でも、
一人一人は個性的でありながら、
他のものとつながり、
全体の中で
しっかりと役割を果たしていくことによって、
もうひとつ大きな世界が営なまれていく。

個人の表現であると同時に、
もうひとつ大きなものの表現である。
そうやって徐々に大きくなっていき、
この世界全体になっていく仕組みである。

自然はまさしくその状態で、
それぞれがしっかりと自分の役割を果たしながら、
全体を創っていく。
これは、万物に共通して言えることである。

個々の意識と肉体で独立している人間たちが、
ばらばらでいることによって、
環境破壊や対立を生んでいる。
それは人間の特徴であり、
能力の高さの表われではあるが、
使い方を間違えると
この世界の成り立ちから外れてしまう。
だから、今、
それが修正されようとしている。

今までの木の花の役割は、
自然のように存在すること。
心の調和が音楽のように奏でられること。
心の調和の場として成り立ち、
役に立つこと。
心の調和の絵として完成し、
人々に観賞してもらうこと。

その絵や音楽は
いつも同じ形をしているのではなく、
その音楽に新たに音を加え、
より高度なものになったり、
絵に新たに登場人物を加えることによって、
より充実していく。

それがわかっていないと、
自分の個を重要視するがあまり、
不調和な行動をするようになってしまう。
誰もがそういった仕組みの中にいるわけだから、
木の花の中どころか、
社会でも通用しない。

ことは単純で、
わかりやすい仕組みである。

万物がその仕組みで成り立っている。
素粒子、原子レベルから銀河に至るまで、
自分を主張する単位ごとに個性的に連なっている。
どんなに大きなものも、
どんなに小さなものも、
個性的であると同時に、
ひと連なりである。
これは絶対法則である。
たったそれだけのこと。
何も難しい話ではない。

しかし、現実にこの地球上で、
そのことを理解して生きている人間が
どれほどいるのだろうか。
人間以外の自然は、
皆、その法則の中であり続ける。
人間はすごく高度な生き物なのに、
そのカラクリを理解せず、
自己主張を目的としてしまっている。

ひとつ大きな枠の目的、
さらにもっと大きな枠、
というところに意識を持っていけば、
そこには自分があり、
同時に自分がなくなる。
その意識がないばかりに不安が生まれ、
対立が生まれてくる。

それをここでは修正したり、
伝えたりしている。
それを強制されていると感じる人もいる。
確かに、
人間は個性的で能力が高いから、
その人が自分の意思で気づいていくことは大事である。
その人その人の歩みを与えられているから、
それを大事にすることはもちろん大切である。

しかし、
もうひとつ大きな枠の中に自分がいて、
役割を果たそうとする時にそんなことを言っていたら、
もうひとつ大きな目的が達成されなくなってしまう。
もうひとつ大きな個、
全体の目的を達成していくためには、
自己主張で不調和を生むようなことでは成っていかない。

社会に当てはめてみても同じことで、
本当に必要とされる自分がそこにいないと、
不必要になってはじき飛ばされてしまう。
同じことがどこでも成立しているのに、
人間はそれをわからず、
個だけを主張し、
不調和や対立の種を心の中に保っている。
何とも奇妙な生き物である。

ここ数日、
深夜に「スターウォーズ」の映画を観ている。
そこで思ったのは、
人間が宇宙へ進出していったら、
また宇宙で戦争をしかねない。
宇宙に人間以外の生命がいたら、
今の延長に同じことをやりかねないだろうと思った。

スターウォーズでは、
地球上での国家の対立と同じように、
聖なるグループと邪悪なグループが対立する。
おかしなことである。
対立に聖なるも邪悪もないのである。
どちらも己の側の正義をかざして対立する。
そういう構図である。

そういったことを理解し、
人間が地上に理想郷を創ったとして、
その先の目的は何かといったらよくわからない。
きっとこの世界を動かしている神が、
知っておられるだろう。
その心が大切である。
わかるかな!

とりあえず今は、
そろそろ人間が
自分というものの存在が何ものであるのか、
を知ること。
個から湧き出してくる欲望を超え、
自分の想いからくる行いが
自分に何をもたらしているのか、
この世界に何をもたらしているのかを知り、
もうひとつ大きな目的に気づいて
生きていく時代に来ている。
それが、地球意識や宇宙意識なのである。

人間たちが対立した結果起きている、
病気も戦争も環境破壊も、
実は人間をどこかへ導こうとしている現象である。
人間たちも含めた地球世界が、
次のビジョンへ行こうとしている
意思の表われだとも言える。

問題事もその意思の表われである。
地球の次の在り方へ行こうとするものと、
それに対して抵抗するもの、
そして模様眺めしているものとが、
今、この世界にいる。
一人一人が自分はどの位置にいるのか、
知ることが大切である。

次のビジョンへ行くことはいとも容易いことで、
価値観が変わりさえすれば、
たちどころにできることである。
しかし、古い価値観に執着しているがために、
なかなかできない。
それだけ人間の能力が高いから、
執着することさえ強くできるのである。
他の生き物なら、草でも動物でも、
環境が合わなければあっという間に死を迎え、
潔く新たなものに変化していく。

今、地球の意思が次の次元に移行しようとして、
大きな変化がもたらされている。
地球の意思がその方向に向いている。
私たちも地球の一部として、
霊的にウエイトの高い部分を占めているのだから、
これからは地球の意思に沿って
生きていくことが大切である。
地球がそう考えているから、
そういう考えも私たちの中に
湧いて出てきているのだと考えられる。

過去に地球上で起きていることは、
すべて地球の意思であり、
その延長に人間も存在している。
すべては地球の自己表現である。
人間社会の対立や問題事も、
地球レベルの自己表現なのである。

そのことに気づくと、
この世界の全体像が観えてくる。
だからこそ私たちは、
地球が進もうとする次のステージへと、
新たな役割を果たしていける。

それならば何でもいいじゃないか、
と思う人もいるかもしれない。
人間たちが個々の単位に執着しすぎて、
個を表現することが快感のようになってしまっていると。
なかなか次に進めない状態であり、
生みの苦しみが今起きている。

時期が来ると、どの人も気づいてくる。
ある時期では大変なことも、
新たなものに生まれ変わるのだとしたら、
真剣に粘り強く捉えなければいけない。

地球が自己表現をしていることは、
同時に個々が自己表現をしていることである。
大きな自分と小さな自分の表現が個性的に表わされ、
この世界ができている仕組みをわかり、
しっかりと自己表現をし、
多様な働きをしながら、
全体が成り立つ働きをいただいていく。

この宇宙表現のドラマであったり、
大きな絵画であったり、交響曲のようなもの。
私たちは、その表現の中の一部分である。
そのうねりが今起きていて、
それを理解することが、
悟るということである。

来年に向けて、「変革」の時を迎え、
ますますその動きが強くなっていく。
今年から来年を見通してみると、
方向性は見えてくる。

私たちは恐れることなく、
自然界の仕組み、命の仕組み、
人間社会の仕組みの中で、
私たちの存在が
地球の自己表現であるということに気づき、
しっかりと自己表現をしながら、
全体の役に立っていくことが大切である。

個性と多様性というのは、
一見対立するように見える。
しかし、個性と多様性がしっかりと発揮されながら、
次の大きな仕組みを同時に成立させることは可能である。

今までは、それが難しかった。
しかし、なぜそれが可能かと言ったら、
この世界が個性と多様性で
全体ができているからである。
個性と多様性と全体が
同時に成り立つ世界であることを認識する必要である。

新たな年に向け、それを表現する。
今までは理解しないで、表現していた。
理解しないと、そこで抵抗する心が出てくる。
全体のために、個性や多様性が壊れるのが嫌だと思う人もいたが、
それは違う。
それは同時に成立することだから。

それが成立する世界で何が起きてくるのかというと、
皆で喜べる世界。愛ある世界。
善意でことが動いていく世界が生まれる。
それが私たちが求めているユートピアである。

制度や仕組みを変える必要はない。
人の心がそれに気づくだけでいい。
真実に気づくことによって、悟りに至る。
たったそれだけのこと。
その一番の根本にある真実に気づくということだけ。

気づきは、
人間が思考を巡らせた結果
生み出すものではない。
気づきは思考を超えて、湧き出てくるもの。
自分の中にある神性から出てくるもの。
私たちが自然を観ていて気づくこと。
私たちの思考を超えて、
ふっと何かが湧き出すこと。
それは、自分の中の
もうひとつの自分から湧き出てくる。
自分のもうひとつと密接に自分がつながることによって、
この世界の仕組みが湧き出てくる。
それが、私たちのもとにある神様の意思。

そういった人間たちの営みが
これから地球上に現れてくる。
誰に言われなくても、
個々が気づき、
つながっていくことによって、
この地球が動いていく。
そういった時代が来る。
その生活モデルが私たちの生き方であり、
エコビレッジ運動である。
そして、
それはユートピアにつながるものである。

新たな年を迎えるにあたり、
神様と皆さんと共に歩んでいきたいと願っています。


3 thoughts on “個性と多様性が同時に成り立つ世界”

  1. あけまして おめでとうございます

    古びてもう使えぬものを
    ○○○○○   空けまして おめでとう、
    で気づくのか

    やっぱり執着頑固者でも とうとう
    ●●●●●   飽きまして おめでとう、
    で手放すのか

    とか思っていたら、
    21世紀も二桁で開けてしまいました(笑)
    今年もブログなど、楽しみにしております

  2. 新年明けましておめでとうございます。

    京都亀岡よりひろっちです♪

    年始から、すんばらすぃ~~ブログをありがとうございます^^
    まさに僕のために書いてくれたのか!?とさえ
    思ってしまうようなブログでした(笑

    すごいことが書かれている気がします。
    とりあえず2回読んだけど
    何度も読み返していきたいと思うものです。

    なにわともあれ
    今日から始まる新たなる年を
    神様と、みなさまと、内なる自分と
    みんなひっくるめて共に歩んでまいりたく存じます。

    何卒よろしくお願い申し上げますm(__)m

  3. 新年あけましておめでとうございます。
    僕は頭の回転が遅いのでブログの内容を理解するのに時間が掛かるのですが、毎回楽しみに読ませて頂いてます。
    要は、自然の中から学び、神様の意思を受け取って生活していくことが大事だということですね。
    今年もコツコツと行動として実践していけるよう励んでいきたいと思います。
    休みがあれば近場なのでなるべく滞在させて頂いて、刺激を受けていきたいと思います。
    どうぞこれからも宜しくお願い致します。

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