一番のテーマは正しい自己認識

今日は、ケアを卒業した
みずほちゃんがファミリーを出発します。
1ヶ月ぶりにみずほちゃんに会ったお母さんと
いさどん、そしてみずほちゃんが
出発前にお話する機会を持ちました。

いさどん:
みずほちゃんには1ヶ月ほど
ここにいてもらいましたが、
最初はなかなか難しいなと思っていました。
この人の心の構造は
複雑なものですから。
気持ちがぶれたり、
駆け引きがあったり、
人のことを悪意にとったり、
被害妄想だったり。

しかし、ここのところ
素直な考え方になってきました。
自分の中に悪意にとる部分と
善意にとる部分があるとしたら、
物事を善意に受けとることが
出来るようになってきました。

これがどれほど身についているかは、
一度社会に出て
確認してみないとわからないことですが、
ここに訪れた時からすると、
ずっと良い状態になったと思います。
今後自立していくために、
しばらく家に戻って
社会に出るためのトレーニングを
してもらったらいいのかなと思っています。

お母さんから見て、
みずほちゃんはどうですか?

お母さん:
大分変わりましたね。
以前家で生活していた時は、
ひと声かけるにも、
「過敏に反応しないかな」と思ったり、
すごく気を使っていました。

みずほちゃん:
全然知りませんでした。

いさどん:
人が気を使っていても
自分が気づかないということは、
人が気を使っているのを
隠しているのかもしれないし、
自分が鈍感なのかもしれないけれど、
自分が人のことを考えていないから
気づかないということが大いにあります。

人の気持ちを受け取りながら、
コミュニケーションをとっていくことが大切です。

お母さん:
ここに来てしばらく会話していても、
要らない気を全く使わなくていいし、
すごく接しやすくなりました。
何を言っても、
以前のような過剰反応を起こさないし。
気に障るということがないだろうなと思うから、
思っていることを言えるし、
それが素直にすっと入っていくので、
すごく素直になって
要らない考え方がなくなったんだなと思いました。

いさどん:
この人は、持たなくてもいいような考えや、
相手に対して事実とは違うような
想いを持っているから、
そういった余分なことは持たず、
シンプルにストレートに
相手のことを受け取ったらいいよ
というように話してきました。

みずほちゃん、
大分余計な考えを持っていたと思うけどどう?

みずほちゃん:
自分が分裂していたので、
ちょっと記憶が曖昧なんですけれど、
そうだったなと思います。
今はすっきりした感じです。

いさどん;
それがどのくらい本物なのかというのを、
社会に戻って確認することが大切ですね。
昨日、一昨日、
この人が自分のことを分析している時には
非常に良い状態でした。
ここのところ、安定してきているなと思っています。

自分の中に癖がある
ということを知ってもらうのが、
今回の一番のテーマでしたが、
自分の癖を自分で
「私はこういう状態でした」と言えるようになり、
随分進歩したと思います。

お母さん:
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました。

みずほちゃん:
本当にありがとうございました。
お世話になりました。


みずほちゃんの卒業コンサート

昨晩、1ヶ月間でケアを終了した
みずほちゃんの卒業コンサートが
開かれました。
まずは、みずほちゃんのリクエストである
♪光に向かってが木の花合唱団によって
披露されました。
この詩は鞍馬寺のお祈りの言葉で、
ここの心と同じだと感じた
みかちゃんが歌にしたものです。
その後、みずほちゃんと
いさどんのあいさつが続きます。

♪光に向かって

只ひたすらに心磨きて 神へと向かわん

天を覆う雲は厚くとも 太陽は常に大空に在る
風が来て雲を払えば 黄金の光が燦然と輝く
人の心に吹きすさぶ八風を 
苦悩の雲を吹き払う風として
真実を観る智慧の光を迎えよう

智慧の光が輝く時 
宇宙生命に生かされている万象を観る
あなたも私も花も鳥も 
みな共に生かされているこの世界
万象が織りなすいのちの相
宇宙に懸かる金色のいのちの羅網
遠い昔から受け継いできたいのちの絆
私もその中の一つのいのち
たがいに手をつなぎ 響き合ういのち
あなたも私も木も水も 
みな共に厳然と生かされている

慈愛の温もりに抱かれて
智慧の光に照らされて
豊かな活力に満たされて
今ここに生かされていることの嬉しさと有難さ
この歓びと感謝の輪を拡げよう
あなたも私もあの人もこの人も 
たがいに光合い照らし合う
明るい未来を信じ希いながら
一日一日を宝石のように大切に生きよう

全ては尊天にてまします

みずほちゃん:
今日の午前中に
もう一人の人格と話すことが出来まして、
今まで二人いた自分が
やっと一つになりました。
今やっとリアリティを持ってここにいまして、
変な話ですけれども、
正気になって初めて、
「あ、私分裂病だったんだ」
と気づいている感じです。
「正気に戻れて良かったな、
帰ってきたな」という感じでいます。
皆さん、暖かく見守って下さいまして、
本当に感謝しています。
ありがとうございました。

いさどん:
最近思うことがあります。
人間は誰もが幸せになりたい
と思っているのに、
その持っている想いが、
人を幸せにするばかりではありません。
それをどうやって伝えるのか
難しいと思っています。

一人一人、
自分の幸福観というのがあって、
それを叶えようと
自分を行き詰まらせてしまう。
固くなってしまって、
頑なになって、
行き詰まりの方に
自分を持っていく人がいます。

今、鞍馬寺の祈りの言葉の歌を聞きました。
それを聞いていると、
そこには自然というものの
正直さ、美しさ、
全く駆け引きのない姿があり、
それに倣いなさいということを
この詩では言っています。

それに対し
人間は自分を幸せにしようとして、
わざわざ企んだり、
偽りを言ったりするような
濁りが心の中に沢山あります。
それを綺麗に取ると、
この世界にあるひとつらなりの絆、
命の仕組みが現れてきます。
それが宇宙の姿であり、
私たちはその生命の仕組みの中で
それにふさわしく生きていくことが
大切なのだと思います。

体の病気をもらうことも
心の病気をもらうことも、
美しくひとつらなりになって
調和しているこの世界の姿から
自分が外れてしまった時に、
私たちに気づきを与えるために
起きる現象なのです。

そういったことに気づいていない人、
気づいていないからこそ、
行き詰まりの方に
自分を持っていってしまう人に、
わかりやすく伝えられるように
考えています。
それが相手に伝えられたら、
体の病気にしろ、
心の病気にしろ、
いとも簡単に治るのだと思っています。

今日、みずほちゃんの卒業コンサート、
こうやって私たちと縁が出来たのだから、
いってらっしゃいということで、
またいつでも帰ってくるための
見送りのコンサートでもあります。
初めてこの人に会った時、
「心に濁りがあるな、
駆け引きの心があるな、
そして悪意に物事を受け取る人」
と彼女の心に色が沢山ついていると思いました。

それをどうやって
伝えようかと思った時に、
受身の人ならば
伝えやすいかもしれないけれど、
この人は受身ではなく、
強く自分を表現する人だから
伝えにくいなと思っていました。

しかし、ここ何日か
急に話し方が変わってきました。
様子が違ってきたなと思っていました。
昨日、ケアスタート1ヶ月の面接をしました。
その時に、「この人はものが見えてきたな。
今まで自分に訪れてきた行き詰まりの原因が、
自分の中にあるということに
気づいてきたな」と感じました。

人は、問題事の種が自分の中にある
ということに気づくと、
自分の内を見ることが出来てきます。
その時に初めて、
自分自身を改めていく歩みが
出来るようになります。
自分の内に種がある
ということに気づいていないと、
外を見て外に原因を求め、
自分の内を改めることをしません。

「病気」は「気が病む」と書き、
外ではなく自分の内に問題があるのです。
自分の心に歪みがあったり、
色がついている状態が、
「病気」という状態です。
だから、自分の内を見て、
自分の中にある色や癖を取っていくことによって、
この世界の仕組みが正しく見えてくるのです。

そうすると、人は
自分自身のことも他人のことも
正しく捉えることが出来るようになります。
正しく捉えないと、
いくらものを考えても
それは違う方向に向かってしまいます。
幸せになろうと思っても、
心が歪んでいたら、
自分を苦痛にする方が幸せだ
と思って進んでしまいます。
これは当たり前のことなんですが、
人はそこに陥り自分を混乱させてしまいます。

どんなものも「幸せになりたい」と
思うことから始まっているのに、
自分の眼や姿勢、
自分の中にある歪みが
自分を混乱の方に導いてしまいがちになります。

みずほちゃんがさっき言っていた、
「私って分裂病だったんだ、
心が分裂していたんだ」ということは、
正しくものを見る自分と
歪んで見る自分とが二人いて、
分裂していたということです。
素直に正直にものを見ていくと、
一つになれます。
そして健康な状態になっていきます。
だから、良いことに気がついたなと思いました。

でもこれは、
1ヶ月間の期間があったから
そうなったのではありません。
1ヶ月かからなくても、
気づけば3日でも、1日でも、
その話を聞いて「そうですね」と
気づけば1時間でも、1分でも、
あっという間に健康になれます。

ただ、今までの歩みや
心の癖が沢山あれば、
多少時間はかかるかもしれません。
しかし、どんな人でも
気づけばたちどころに健康になります。

このことを忘れず、
幸せも不幸も発信源は
全て自分の中にあることに気づけば、
真っ直ぐ正直に生きていくことが出来ます。
そして歪んだ自分が出てきた時には、
自分で「素直に素直に」と
その自分に対して言葉をかけて歩んでいけば、
今までと違う良い人生が訪れます。

ここは「世のため人のため」にあるところですから、
ここで学んだ人はまずは自分のために、
健康に生きていってもらいたいと思います。
そして、健康になったら、
自分の健康を世の中に広める、
つまり、世の中のために生きてもらいたいと思います。

いつも卒業ということになると、
「おめでとう」というよりも、
「卒業してくれてありがとう」という想いでいます。
これをみずほちゃんにも伝えたかった。
そして、そういうふうに生きてほしいと思っています。
人が幸せに生きることは、
その人の喜びであるかもしれませんが、
その前に僕自身の喜びであるということです。
卒業ありがとう、そしておめでとう!

(ここで、卒業コンサートでは
毎回卒業者に贈られる、
♪とびきりの花が歌われました。)

♪とびきりの花♪
一緒に大地の上で 空を見上げていようよ
一緒に大地の上で 夢を描こうよ
一度きりの人生だもの とびきりの花を咲かそうよ
何べん生まれ変わっても この人生は一度きり

あなたに会えて良かったよ この広い空の下で
生まれてきて良かったよ この青い星の上に

一緒に大地の上で 空を見上げていようよ
一緒に大地の上で 夢を描こうよ
みんなの心の中にある 大きな夢を描こうよ
決して消えることのない 極彩色の夢を

あなただけの大きな花が 大地の上に開いたならば
この星はどんなにか 美しくなるだろう 
美しくなるだろう 美しくなるだろう 美しくなるだろう

いさどん:
今、気がついたことがあります。
ここにケアで訪れる人は、
問題があったからこそ来るわけです。
問題事があると、人は喜べません。
しかし、こうやって
自分が問題事の奥にある種を知って
卒業するということは、
ひょっとして問題事がなく生きている人よりも、
大切なことに気づけるチャンスが
与えられたのではないでしょうか。

だから、問題事があることは
良くないことだと皆さん思うかもしれませんが、
実は問題事があることによって、
この世界の本当のことに
目覚めることが出来るのです。
問題事があることによって
本当の生き方が出来るのならば、
問題事はありがたいものです。

病気になるのは辛いことですが、
その病気の奥にある
病気を与えたものの心に
私たちが気づいたならば、
この世界は本当に素晴らしい世界です。
この世界を美しくしていくために、
この世界は問題事をつくっているんだなということに
♪とびきりの花を聞いて思いました。

さっきの鞍馬寺の祈りの詩も、
とびきりの花も、
本当に真実を表わしていて
素晴らしいなと思いました。

「嫌だ嫌だ」と思っていた問題事が、
自分を救ってくれる。
そのことによって、
問題事のない人よりも幸せになっていく。
このカラクリを私たちは
もっと知るべきだと思います。
そういうふうに皆が気づいて
生きていけたらと思っています。


正直・素直・信じる

昨日の大人会議での
みずほちゃんの報告を受けて、
今日はいさどんと
ケアスタート1ヶ月後面談の時間が持たれました。
今回はその時の様子を
皆さんともシェアしたいと思います。

いさどん:
まず、みずほちゃんから
質問があればどうぞ。

みずほちゃん:
昨日から気合いを入れて、
今日も元気に過ごせました。
私がここでケアを受けようと思った動機は、
躁鬱だとか自分の人格が
沢山あるような気がしたり、
もともと自分の中にある
「怖い」という感情を
どうにかしたいということだったんですけれど、
その怖い感情も思いこみだった
ということがわかりました。

いさどんに
「病院に行きたい」と言った時に、
「それは逃げで、駆け引きの心だよ」
と言われて初めて、
それが自分の問題点で
あったことに気づきました。
言われる前までは
それが問題点であるとは
思っていなかったので。
これからは、何を目的に
ここにいたらいいのかというのを聞きたいです。

いさどん:
あなたにはなかなか
わかりにくいだろうと思うのだけれど、
自分が何かを考える時に
強い癖がついています。
例えば、まず最初に怖がって、
引いて、自分の色をつけて人を見る。
時にはわざとちょっと
いじわるしてみようというような、
本来なら不必要な心が働くこともある。
意味もなく怖がるという癖も
あるということ。
怖がることも、
ただ単純に謙虚に怖がるのではなく、
怖がることによって相手を攻撃する。

場合によっては、
怖がっている方が加害者になって、
相手が被害者になることもあるのです。
そういった心の癖があるということを
理解するのが難しい。
知らない間に出てくるようなことだし、
相手が感じて初めて
わかるような微妙なことだから。
普通はそこまで分析出来ないから、
なかなかわからない。

では、これをどう処理したら
いいのかと言ったら、
まずはいかに正直に自分の心を出すか。
自分の心を正直に出せば、
「これはこういうふうに違うんじゃない?」とか、
「これはこういう心から出ているんじゃないの?」と
人から言ってもらえるから、
それを自分の中で
理解していくということが必要です。
「確かに自分の心の根っこのところには、
そういう心があったな」と振り返ることで、
不必要な心が少しずつ取れていきます。

あなたは雰囲気としては、
控え目でおとなしい感じがする人ですが、
心の中ではそうではないところがあって、
そのギャップが人を驚かせる。
だから、なるべく表に出すものと
内にあるものが同じ方が、
人には信頼される。
そうでないと、
「あの人はよくわからない人」
ということになってしまい、
自分にとってマイナスになる。

今後、家族を持ったり、
職場でも色々な人間関係が出来てくる時に、
そういった心の癖は
人間関係を壊すもとになる。
それが最終的には
自分の信用を落とすことにもなりかねないから、
気をつけないといけないことです。

常に正直に
眼の前の人と接していくというのが、
人に好かれ、
人生に良い流れが訪れるコツである。
心が歪んでいれば歪んでいるほど、
流れは複雑になってくるから、
人にも自分にもわかりにくい。
ここでは、「正直、素直、信じる」
という言葉があるように、
正直や素直をモットーに生活しています。
それが一番大切です。

みずほちゃん:
私の中では愚痴を言っているという
感覚はありませんでした。

いさどん:
そうそう、そこなの。
自分が知らないで
やっていることがあるのです。
知らないからこそ、
伝える側も伝えにくい。
知っていれば、
「ああ、そうでしたね」ということなんだけれど、
知らなければ、
「えっ、そんなはずはありません」って
反論するようなことにもなります。

みずほちゃん:
裏表がないか、
自分の心をしっかり
観察していくということですか?

いさどん:
裏表もそうだけれど、
大切なのは、
自分の中で攻撃的な心や
相手を非難する心が出てくれば
自分でわかるはず。
そういった時に、
それが非難なのか、
相手に対して正しく伝えようとしているのかを
吟味する必要がある。
それが非難や悪口になっているようでは、
元も子もない。

人のことを言っているようで、
実は自分の値打ちを落としている。
人と対立するのではなく、
正直にありのままを伝えていくということを
しっかりと身につけることが大切。

わからなかったら、
常に正直でいること。
何となくニュアンスを変える、
変則表現をすることはしない方がいい。

みずほちゃん:
今までは、
「こういうふうに思われたい」と
柔らかい言い回しに変えていました。

いさどん:
そうやって
自分の心の癖に気づいていけば、
正直の出し方がわかってくる。
例えば、正直だからといって、
正直にどんどん怒りをぶつけるのが
いいわけではない。
相手の言葉に対して
ちょっと引っかかりを感じたら、
「そのことに対して
自分はこういうふうに不快に感じるんだけれど」
と怒りではなく、
情報伝達として伝えることも出来るはず。
そういう心の出し方を
身につけることが大切。

今後については、
自分の性格的なものを
見つめる段階だから、
ケアを卒業ということにして、
ここでもう少し
生活体験として滞在してもいいし、
外で働いてもみるのもいい。
これからどう生きていくのか
というのは考えているの?

みずほちゃん:
家に帰ってまずはバイトをして、
ケア滞在費を親に返し、
社会で生活していきたいと思っています。

いさどん:
そうだね。
借金をきれいにしてから
新たな道を探るということでいいと思う。
今後は安定した生活を送る
ということを目標にして、
出来れば自立できるような
しっかりとした職を
見つけられるといいよね。

みずほちゃん:
実は調理師免許を持っているんです。

いさどん:
そういうものを活かしていけばいいよね。
では、とりあえず1ヶ月を
区切りにして卒業ということで、
今後は自分で方針を立てて挑戦してみる。
心構えで大事なのは、
正直に生きていくということ。
駆け引きするような心では、
被害者のつもりで
加害者になっていることもあるし、
自分の立場を悪くすることもあるから
気をつけることですね。

まだ卒業するには
心もとないなと思っていたけれど、
今の感じからすると大丈夫だよ。
大体自分の心の癖を
把握出来てきているから、
後は実践でどれほどやれるか、まずはやってみましょう。


本当の自分を出せる環境があれば

うつ的な心の改善のため、
みずほちゃんは2月中旬から
ケア滞在をしています。
ここに来てからそろそろ1ヶ月が
過ぎようとしているみずほちゃんの、
昨日の大人会議での報告を
皆さんともシェアしたいと思います。

みずほちゃん:
2、3日前から心が安定して、
安定しているのがずっと続くと、
なぜか体がすごく緩んでくるということが
ヴィッパサナー瞑想の後から時々あります。
ヨガでも瞑想でも体を緩めるということが
作用としてあるらしいんですけれど。
穏やかな気持ちでいると、
だんだんと体が緩んでくるような感じで、
体がだるくなってくる。

それで、自分の感覚としては
どんどん具合が悪くなってきた
というふうに思いこんでいました。
今までは具合が悪くなると
2、3日とか1週間寝続けて、
その状態から抜け出すということをやっていたので、
「休まなきゃ、休まなきゃ」と思っていました。
でも、休むたびに
もっと具合が悪くなっていきました。

今朝いさどんに、
「不整脈や頭痛もしてきたので、
病院に行きたいんですけど」と言ったら、
いさどんは、「それは具合が悪いことに
逃げているんじゃないか」と言いました。
「思い込みに捉われているんじゃないか。
『具合が悪いけど、ちょっと今日は頑張ってみます!』
ぐらいのことは言わんといかん」と言われたので、
「そんなものか」と思い、
食当さんのお手伝いをしに行きました。

下っ腹に力を入れて頑張ってみたら、
体もすごく温まってきて、
すぐ治ってしまいました。
頭も真っ白な感じが
何日か続いていたんですけれど、
ちゃんと考えられるようになって、
「ああ、気合いを入れればいいんだ」と
単純なことで落ち着きました。
明日からも気合いを入れて
頑張ろうと思います。

あと、私の中には人を操りたい、
支配したいとか、
彼に対しては
いじめてやりたいという
欲求があるなと思っています。
そういう癖を人にぶつけることがないように、
コントロールしていかなきゃいけないなと思いました。

いさどん:
今度、エリーとここのケアについての
本を出版するにあたり、
どのようにしてここのケアの仕組みや秘訣を
本に表わしていくのか難しいなと思っていました。
というのも、人の本質、一人一人の心の状態を
どうやって把握するのかというのを
伝えるのは難しいことなのです。

今日、みずほちゃんが僕に
頭が痛い、足がだるい、
それと心臓が時々止まってしまう、
だからお医者さんに
行くべきなんじゃないでしょうかと言ってきた。
その時僕が思ったのは、
この人の中に彼に対して
いじめてやりたいといういじわるな心や
悪意的に企む心があるから、
そういう心が湧いてくることがある。

しかし、人にそういうことが
癖としてあるということを伝えても、
悪く取って受け取らない人が多い。
こちらがいくら、
「あなたの癖はこういうものですよ」
と伝えようとしても、
本人がそのことに
抵抗しているようでは成果は出ない。
そういうことをどうやって
理解してもらったらいいのか。
こういった癖は
その人にしみついているものだから
理解するのに難しいものだし、
なかなか時間がかかるものです。

今朝の話も、
よく子供が「学校行きたくない!」と思うと
頭が痛くなってくるようなことと同じです。
僕も昔、
「学校行きたくないな」と思うと、
妙にお腹のあたりがちくっとしたりして、
「もうお腹が痛いから学校に行けないな」と考える。
そうすると、もっとお腹がちくちくっとしてきて、
完全にお腹が痛いような気になってくる。

そこでお母さんに
「お腹が痛いから学校に行けない」と言うと、
「そんなことぐらいで
学校を休むんじゃないよ!」と言われる。
「でも、痛くてどうしようもないんだから」と
僕も頑固だから言い続けるんです。
そうすると、仕方がないからということで
学校を休むことになる。

そのうち、
今から学校に行っても
間に合わないくらいの時間になると、
だんだん良くなってきて、
もう完全に今日は休みだなという時点では
痛みなどどこにもなくなる。

今日は一日得した気分のはずなのに、
あっという間にお昼になり、
夕方になって、
いつもならもう家に帰ってきている時間になる。
「今日一日何をしたんだろう?
なんだかちっとも得じゃなかった」
ということを思った記憶がある。

それとみずほちゃんの話は
ちょっと似ていて、
そうやって自分の心の中で
「嫌だな」と思う何か別の理由を探して
実行しようとすると、
嫌な心が出てきて頭も痛くなるし、
心臓も止まる(笑)。
だから、ちょっと気合いを入れて、
「具合が悪いけどやってみよう」という方に
心を持っていくことで、
その気持ちを切り替えることが出来る。

この人に伝えたいのは、
ストレートに物事を受け取めてほしいということです。
この人はどちらかと言うと
変化球ばかりが得意な人だから、
こちらがストレートに投げても
歪んで受け取ってしまい、
困った人だなと思っていたものだから、
今日はしっかりと話が出来ました。

そうしたら、
「わかりました」ということで
先程の報告になったわけですが、
ここでケアをスタートしてから
もうじき1ヶ月になるんですよね。
それでいて今日のようなことを言うようでは、
成果が出ていないな
というふうに思っていたのですが、
さっきの報告を聞いて、
それならば良かったと思っています。

そうやって
人の心や物事を素直に受け取り、
ストレートに表現することの大切さを
気づかせる環境をつくれば、
自分の本当を素直に
出していくことが出来るようになる。
そういったことも
皆の中で語れるようになるものです。
そういう環境があると、
どう対処していけばいいのか
ということが見えてきます。
ですから、
そういった本当の自分を出せる環境を
つくるということが大切です。

そういったことも
本の中で伝えられたらと思っています。


「神様の意志」と「自分の意志」の見分け方

前回のブログ「いさどんの『Mの精神』人生哲学」を
大人会議でシェアした時に、
いさどんから「神様の意志」と「自分の意志」の
見分け方についてのコメントがありました。
今回は、その話を皆さんともシェアしたいと思います。

まり姉:
ブログを聞いていて、
以前いさどんから言われたことを思い出しました。
私は悩んでいる時に、
大体二つにまでは考えを絞れる。
そこからどちらを選んだらいいのか、いさどんに尋ねたら、
その時は「うっとする」という表現ではなくて、
「得ではない方、損な方を選んだらいい」
と言われたことを思い出しました。

いさどん:
それは少しニュアンスが違っていて、
私たちの前に物事が起き、
そのことに対する自分の行動を選ぶ場合、
「神様の意志」と「自分の意志」があるとして、
神様の意志の方に行こうとする時に
どちらを選んだらいいのかという話だったと思う。

僕がその時に答えたのは、
損得を考えない方へ行けばいいんですよ。
それは得ではない方に行くのではなく、
そのどちらでもない方向へ行くということです。

キャサリン:
私も昔いさどんに、
「神様の意志なのか自分の意志なのかわからない時に、
どうしたらいいのですか?」
と聞いたことがありました。
その時いさどんは、
「損得のない方を選べばいい」
と言っていました。

いさどん:
自分にとって損得に関わらない方へ行くというのが、
一番賢明な方法です。
それが自分にとって一番の学びになり、
有益な道を選ぶ方法です。